トム・ルーター氏は高校生の時に初めて日本を訪れました。日本から帰国した後、ア ラスカに来て 15 年間ツアーガイド、映画コーディネーター、日本語通訳などとして働 いてきました。この 25 年間はアラスカの汽船会社に勤務しています。ルーター氏は仕 事を通して、幾つかの日本企業を含め、航空業・水産業・商社などで働く多くの人々と 出会いました。ルーター氏によれば同氏は 20 回以上の訪日経験があり、日本の社会や 文化には常に何か新たに学ぶものがあるとしています。 初めて日本に興味を持ったのはいつ頃ですか?また、初めての日本での経験はいかが でしたか? 私が日本に興味を持ち始めたのは 1969 年の高校生の頃でした。静岡県の朝霧高原で 開催されたボーイスカウトの世界大会に行きたかったのです。ですが、初めて日本を訪 れたのは 1971 年で 3 週間の滞在でした。日本に行く前は日本語を勉強していなかった ので、当初は言葉の問題が最大の試練でした。私が最初に使った日本語は“時々”で、 それは私が答えなくてはならなかった多くの質問に適切だったからです。 日本でキャンプをしているとき、台風が来てキャンプから避難しなければなりません でした。私には水田に覆われいる日本のイメージがあったので、市街地開発にはとても 驚きました。日本の歴史や異なる時代の神社・仏閣を学ぶことが楽しかったです。日本 から帰国し、ワシントン州ケント市との姉妹都市である兵庫県柏原町への高校生交換留 学に応募しました。1972 年 4 月に日本に戻り、兵庫県の柏原町(現在の丹波市)に 1 年間滞在しました。 何を日本で学び、その経験から変わったことは何ですか? 相手が何を表現したいのかを理解することに時間をかける努力をしました。リスニ ングは物事を理解するためにはとても重要だからです。また、日本語を学び、その土地 の言葉で人々と会話する努力もしました。最初の日本旅行の後、日本語を独学しはじ め、その後学校の先生と一対一で勉強しました。言語を学ぶことで、私のコミニュケー ション能力も向上しました。 アメリカの人々が、日本をもっと理解するためにはどうしたら良いでしょうか? 若い学生は、日本語に限らず、英語以外の言語を学ぶように推奨されるべきでしょ う。他の言語を学ぶことは生徒の世界中の異なる文化や社会に対する興味をそそり、視 野が広がります。
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