上…成生の港と集落(二〇一五 年 撮 影 )。 集 落 の 戸 数 は 水 島 が 生まれた明治末の頃と変わら ない。 下右…少年時代に本を読むた めに籠った土蔵。 下左…生家。 2 アルバム 上…成生村境のトンネル跡。現在は切通しの道 路となっている。手前が成生、 右が田井へ続く。 下 右 … 一 四 歳。 旧 制 小 浜 中 学 入 学 に あ た り、 舞鶴の写真館で撮影。既に眼鏡をかけている。 下 左 … 柔 道 に 打 ち 込 ん だ 旧 制 小 浜 中 学 時 代。 写真左の人物は級友。 3 4 アルバム 前頁上右…旧制中央大学法学部一年次の特待生の授 与状と在学中の写真。 前頁上左…『浮動擔保の研究』執筆の頃。上総一ノ 宮の海岸で、齊藤房信氏と齊藤家の愛犬・マリ。 前頁下…『浮動擔保の研究』自筆原稿。 上…法学博士の学位記。 下…毎日学術奨励金受賞者を報じ る 毎 日 新 聞( 一 九 五 三 年 一 〇 月 二五日) 。記事では「英国の浮動担 保制度の優位性を解明した水島氏 の研究はわが国の物権法上の問題 点をつくもの」と紹介されている。 5 上…日本興業銀行に勤務しなが ら中央大学講師を務めていた頃 (一九五〇年頃) 。 下…日本興業銀行証券部次長時代 の 同 僚、 部 下 と の 写 真( 左 か ら 三人目)と当時の二種類の名刺 (一九五五年頃) 。 6 アルバム 上…法務省から出されたイギリスへの調査留学の委嘱状 (一九五六年) 。 下右…一九五三年に謄写版(ガリ版)刷りで印刷製本された 『浮動擔保の研究』全五巻。制作部数は不明だが、写真(自 宅書斎に保存されていた一セット)のほか、国立国会図書館 関西館に所蔵されている。 下左…ロンドン滞在中の写真。滞在中の様子は本人の随想 『人 の間』に詳しい(一九五七年) 。 7 右 … 妻・ 静 と 上 総 一 ノ 宮 に て。 そ ご う 副 社 長 の 頃 (一九五九年頃) 。 下…四三歳で初めての人間ドック受診(前列右から二 人目。一九五五年) 。 左 頁・ 上 …「 水 島 社 長 誕 生 」 を 報 じ る 業 界 新 聞。 当 時 の 大 阪 本 店、 神 戸、 東 京 の 三 店 舗 の 写 真 を 掲 載 (一九六二年) 。 左頁・下右…社長就任後初の役員会(中央。一九六二 年) 。 左 頁・ 下 左 … 幹 部 社 員 を 前 に 社 長 就 任 挨 拶 を 行 う (一九六二年) 。 8 アルバム 9 上…俣野健輔(右から二人目)らと中央大学南甲倶楽部旅 行のスナップ(一九六五年。安房鴨川) 。 下 … 親 友・ 平 木 信 二( リ ッ カ ー ミ シ ン 創 業 者 ) と 新 型 ミ シ ンを前に(一九六五年頃) 。 10 アルバム 上 … 中 央 大 学 駿 河 台 校 舎 で の 講 義 風 景。 黒 板 の 左 に「 水 島先生の教科書入用の方は中大旧正門前の中村洋服店へ」 と書かれている(一九六八年)。 中・ 下 … 六 〇 代 の 頃 の 講 義 風 景 と 教 科 書 に も 使 用 さ れ た 『信託法史論』と『特殊担保法要義』。 11 上…移転した千葉駅前に一九六七年に開店した千葉そごう (一九六九年発行の『そごう社史』より)。 中…一九六七年に増床した三宮駅前のそごう神戸店(『そごう 社史』より)。 下…そごう東京店(有楽町そごう)の大運動会(一九六五年)。 12 アルバム 上…『そごう社史』に掲載された昭和四四年頃の横浜駅東口付近 と横浜そごう建設予定地(一九六四年)。 中 … 後 の 内 閣 総 理 大 臣・ 福 田 赳 夫 ら と と も に 大 谷 貴 義 の 還 暦 祝 い にて(一九六五年)。 下…ジャパンライン事件をきっかけに親しくなった児玉誉士夫と (一九七三年頃)。 13 上…お盆と正月時期の舞鶴への帰省は欠かさなかった。毎回、 舞鶴市内で親族が出迎えた(一九七〇年) 。 中…「レインボーの法則」で千葉に続いて出店を決めた柏そご う(柏駅東口市街地再開発事業)竣工記念式(一九七三年) 。 下…中国地方最大の百貨店を目指した広島そごうの建設現場 視察(一九七四年) 。 14 アルバム 上…ヴァチカンでパウロⅡ世に二度目の謁見(一九八二年) 。 下右…ローマ法王の写真使用が認められた「大ヴァチカン展」 のポスター(一九八〇年) 。 下左…「大ヴァチカン展」のパンフレット(一九八〇年) 。 15 上…東洋大学での最終講義。定年退職後は同大の名 誉教授となる(一九八三年) 。 下…中央大学での最終講義。学生から著書へのサイ ンを求められる(一九八三年) 。 16 アルバム 上…「世界最大級の百貨店」としてオープンした横浜そごう(一九九五年 撮影) 。 下右…「トリプルそごう」達成記念パーティーにて(一九九一年)。 下左…ロンドンそごう開店時。旧知のサッチャー元首相も来店 (一九九二年)。 17 18 アルバム 右頁上右…二〇〇〇年に会長を辞任するまで使用 した名刺。 右頁上左…六〇年以上過ごした北沢の住まい (二〇一五年撮影。翌年、管財人による処分が完了 し、解体され更地となった) 。 右頁下…そごう破綻を報じる新聞(二〇〇〇年) 。 上…自室に飾られていた妻・静との写真(一九九〇 年に撮影) 。 下 …「 水 島 廣 雄 先 生 百 寿 を お 祝 い す る 会 」 に て (二〇一二年) 。 19 上…分骨された西徳寺の、水島家の墓から眺めた成生の 集落と日本海(二〇一五年撮影)。 中…愛妻・静とともに納骨された御殿場・冨士霊園の墓 所(二〇一六年撮影)。 下…晩年に使用した二種類の名刺。 20
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