とりかへばや物語登場人物解説(一)

図
と り か へば や 物 語 登 場 人 物 解 説
系
(一)
﹃校 注 とり か へば や物
○左 記 の系 図 は 、 とり か へば や物 語 の 登場 人 物 に つい て解 説 を施 す た
轡
菅鈴
木
弘
道
( ) 内 に記 し たが 、 大 体 のと ころ を指 す 場 合 が 多 い。 ま た、 岡 本
保 孝 の ﹃取 替 ば や物 語 考 ﹂ は 、 国 文学 註 釈 叢 書 本 によ った。
○ ﹁そ の他 ﹂ に集 め た人 物 は 、系 図 作成 の不 可 能 な も ので あ る。
の御 子 。
○ な お、 前 掲 拙 著 所 収 の ﹁と り か へば や物 語 登 場 人 物 総覧 ﹂ と重 複 す
る と こ ろも か な り あ る こと を 断 わ って おく 。
め 、拙 著 ﹃と り か へば や物 語 の研 究 灘
語 ﹄ の各 付 録 と し て収 め てあ る こ の物 語 の系 図 を再 録 し た も の であ
(-) せ ん て い
朱 雀 院 (烈 く)11 先 帝 の篁
とにした(
上 一五 )。 そ の う ち 病 気 に か か り 、 そ れ が 長 引 く の で 弟 の 春
(
女 )は 女 一の 宮 の 後 見 に し た い と 一応 考 え る が 、 侍 従 の 昇 進 を 待 つ こ
(男 )に 御 心 を か け 、 入 内 の 仰 言 が あ る (
上 一四 )。 姫 君 (
男 )と 同 胞 の 侍 従
余 歳 で た い へん 立 派 で あ っ た (
上 一四)。 こ の こ ろ 、 春 宮 と と も に姫 君
める(
上 一 一)。 侍 従 (
女 )を 寵 愛 す る こ と 比 類 な く (上 一三)、 こ の 時 四 十
を さ え 賜 わ っ て 、 元 服 ・出 仕 さ せ る よ う に 若 君 (
女 )の 父 権 大 納 言 に勧
若君 (
女 )の 学 才 ・容 貌 が と も に す ぐ れ て い る こ と を 知 り 、 む り に 冠
で は も っぱ ら ﹁帝 ﹂ と し て 記 さ れ て い る 。
︹注 ︺ ﹁朱 雀 院 ﹂ と い う 名 は 、 退 位 後 の御 座 所 を も っ て 呼 ぶ 。 そ れ ま
︹呼 称 ︺ 帝
(
2) すざくいん
︹注 ︺ (10) ﹁吉 野 の宮 ﹂参 照 。
先 帝 (鴛勉
る。
○人 物 名 は 、大 体 、 物 語 に おけ る最 高 官 位 に よ って記 す こ と を原 則 と
し たが 、 例 外 も あ る。
記 し た。
登 場 人 物 解 説 ﹂ 所 載 の人 物 名 と照 合 し や
○ ( ) の中 に は、 官 位 の昇 進 な ど に よ る名 称 やそ の他 の主 な 別 名 を
○人 物 名 の右 肩 に は、 ﹁二
す い よ う に、 番 号 を 施 し た。
一一 登 場 人 物 解 説
○人 物 名 は系 図 と同 じ 番 号 の下 に、 新 か なつ か い ・漢 字 ・旧 か なつ か
以 下 に は、 簡 単 な系 図 的 説 明 を記 し た。
い、 の順 で示 し たが 、 系 図 と多 少 異 な る場 合 も あ る。
○人 物 名 の次 のー
○根 拠 を示 す た め の頁 数 は 、前 掲 拙 著 の そ れ であ り 、 巻名 と と も に
受 理)
*国 文 学 研究 室(昭 和56年9月29日
りか へ ば や 物語 登場 人 物 解 説(一)
鈴 木:と
21
部
卿
〕
21
大殿 1
大
臣
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221太
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政 大 臣(右大臣
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朱 雀 院(帝
23
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1 朱雀院の 女御
(大君
)
齢
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錦
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娼 久 矯曜
入 道関∵日の 北の 方
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入道 関自 の 北の 方
男
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(春
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宮
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・春宮の女 轡
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帝の女 御
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(若君
君
)
・
春宮)
29
大若
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大 若 君(若君
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乙如君
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ー
6
5
︿並 (若寧 春宮)
今 上 の春 宮 (
二の宮.
姫 君)
へ
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壷
女
御
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鴛
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・左大臣4 50
入 道 関 白 秘大納言 夫将 殿
夫 ・殿
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﹁ ♂幽
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宮
君
太 政大臣の 北の 方
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宮
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治中女
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橋言大
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御 門従
1、}督fモ
右位
)
壼 女御 へ
姫君・
大姫君
寮15
什臥山丁将 (
宇 治 の若君 、
三16姫171」
君
「
内 大 臣 へ
宰 相中 将 ・
権中 納 .
∵中 納曹
.
∵大 納 .
∵源大 納 .
、
∵中宮 の大た ・
大将}
若20
君
33
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君
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22
第10号
要
紀
学
良 大
奈
りかへ ば や物 語 登 場 人 物 解 説(一)
鈴 木:と
23
宮 に譲 位 し、 女 一の宮 を 春 宮 にし て 、
自 身 は朱 雀 院 に 引 退す る (
上 一七)。
御 心 を か け 、 入 内 の仰 言 が あ る (上 一四 )。 そ の う ち 兄 帝 の 病 気 が 長 引
たが 、 巾 納 言 (
女 )の 作 っ た の は 稀 代 の 絶 唱 で あ った の で 御 衣 を 脱 い で
言が ある(
上 八七 )。 そ の 後 、南 殿 の 観 桜 の 御 遊 が 催 さ れ 、勅 題 が 出 さ れ
(
上 二七 )。 や が て 中 納 言 (
女 )を 召 し 、 尚 侍 (男 )を 女 御 と し て 奉 る よ う 仰
御 母 は后 。
く の で即 位 し て帝 と称 す (
上 一七 )。 十 一月 、 五 節 に 中 院 の 行 幸 が あ る
﹂ 11 朱雀 院 の御魂
の父 左 大 臣 に交 渉 す る(上 二五)。
女 院 (蕪
春 宮 女 一の宮 の後 見 人 と し て今 度 は 姫 君 (男)を 適 当 と 思 い、 姫 君 (
男)
(3) に ょう い ん
一七 五 ) が 、 今 大 将 (
男 )が 前 の 尚 侍 (
男 )で あ る こ と を 知 ら ず 、 や た ら に
中納言 (
女 )に 与 え た (
上 一〇 三)。 今 大 将 (
男 )を 召 し 、 歌 を 贈 答 す る (
中
︹呼 称 ︺ 女 一の宮 ・春 宮
亡 母 后 の腹 に誕 生 す る。 帝 の 一人 子 と いう の で特 に目 を か け ら れ て
前 の尚 侍 (
男 )に 対 す る 昔 の 恋 し さ が 忘 れ ら れ ず 、梨 壷 へ行 く (
下 一九 三)。
養 育 さ れ る(上 一四)。 やが て女 なが ら 立坊 (
上 一七)、 女 春 宮 と し て梨 壷
の御 子 .御 母 は中 宮 (
女).
か く て今 尚 侍 (
女 )と 密 通 し (下 二〇 七)、 今 大 将 (
男 )を 通 じ て 今 尚 侍 (
女)
じ)
1
1帝 の笙
に住 む (上二六)が 、宣 耀 殿 の尚 侍 (
男)と 密 通 し て (上二六)懐 妊 す る (
中一
今 上 (貌
に消 息 し たり す る (
下 二 一 一)。 年 月 も 移 り 過 ぎ て 、 譲 位 す る (
下 二五 九 )。
(5 ) き ん じ ょう
三三)。 そ の後 、 今 尚 侍 (
女)と 対 面 す る が 、 今 尚 侍 (
女)を前 の尚 侍 (男)
︹呼 称 ︺ 若 宮 ・春 宮
と 思 いな が ら も少 し様 子 の違 う こ と を 感 じ る (
下 一九〇)。 そ こで 今 大
大 将 (男)と 歌 を 贈 答 す る (下 一九 二)。 そ の年 の 十 二月 若 君 (
今大将︹男︺と
将 (前の尚 侍︹
男︺
)に 忍 ん で対 面 し 、真 相 を聞 く (
下 一九〇)と と も に、 今
今尚侍 (
女 )二 十 一歳 の 冬 、 十 一月 か 十 二 月 に 誕 生 (
下 二四 四)。 翌 春
沁勢 )11 帝 の 第 二
一
の問の子。大若君)を 出 産 (下 一九九)。 帝 の位 にも つかず 、 翌 年 一月 、若
今 上 の 春宮 (繰
の御 子 。 御 母 は中 宮。 (
女 )。
(6 ) き ん じ ょう の と う ぐ う
位す る(
下 二五 九)。
月 、 五十 日 の こ ろ に立 坊 (
下 二四 七 )。 中 宮 (
女 )三 十 歳 以 上 の こ ろ に 即
帝 (齢か)
11 先 帝 の第 二 の御 子 、
君 の五 十 日 の こ ろ に女 院 と申 す こと にな る(下 二四七)。
(4) み か ど
︹呼 称 ︺ 春宮
︹注 ︺ こ の帝 が 、 は た し て朱 雀 院 の御 弟 であ り 、 ま た、 先 帝 の第 二 の
︹呼 称 ︺ 二 の 宮
巾宮 (
女 )二 十 三 歳 よ り 二 十 九 歳 ま で の 問 に 誕 生 (
下 二五 〇 )。大 納 言 の 宇
御 子 であ るか ど う か に つい て は確 証 は な いが 、 物 語 の内 容 によ って、
朱 雀 院 ・帝 ・吉 野 の宮 は兄 弟 の間 柄 で はな いか と思 わ れ る の で、 こ
(
下 二五 九 )。
治 の若 君 と とも に、 中 宮 (
女 )の も と で 遊 ぶ (
下 二五 二)。 そ の後 、 立 坊
の)-ー 帝 の第 三 の御 子 。 御 母 は中 宮
の推 定 のも と に、 一応 、 ﹁系 図 ﹂ を 作 成 し た 。﹃全訳 王 朝文 学 叢書 ﹄
三 の 宮 (転
姫 宮 (墾
11 帝 の篁
の御 客
御 母 は中 實 女).
中宮 (
女)二十 三 歳 よ り 二十 九 歳 ま で の間 に誕 生 (
下 二五〇)。
(
8) ひめみや
中宮 (
女 )二 十 三 歳 よ り 二 十 九 歳 ま で の 間 に 誕 生 (
下 二五 〇)。
(
女 )。
(
7) さ んのみや
の訳 本 所 収 ﹁系 図 ﹂ にも 、 同 様 の記 載 が 見 ら れ るが 、 岡 本 保 孝 の
﹁取 替ば や 物 語考 系 譜 ﹂ には 、 三 方 の兄 弟 関 係 に つき 明 示 され て い
な い。
若 君 (女)の学 才 ・容 貌 が と も にす ぐ れ て い る こ と を知 り 、 た び た び
出 仕 の仰 言 を 下 す (上 = )。 二十 七 ・八歳 に な って、 容 貌 な ども 王 ら
し い気 品 が 備 わ るが 、 こ の こ ろ兄 帝 (
後 の﹁朱雀院﹂)と とも に姫 君 (
男)に
.
要
良
奈
24
第10%'J
学 紀
大
(9) ︹み こ た す う︺ 御 子 多 数11 帝 の御 子 。御 母 は 中 宮 (
女)。
吉 野 の 宮 (鉱紬糊)
H 先 帝 の第 三 の御 子 。
中 宮 (女)二十 三歳 よ り 二十 九 歳 ま で の聞 に誕 生 (下 二五〇)。
(
1
0) よ し の の み や
︹呼 称 ︺宮 ・聖 の宮
︹注 ︺ (4) ﹁帝 ﹂ 参 照 、
渡 唐 し て唐 の 一の大 臣 の娘 と結 婚 し、 女 児 二人 を儲 け る。 し か し、
妻 が 死 亡 し て悲 嘆 のあ ま り 出 家 を とげ よ う とま で考 え たが 、 二人 の女
児 が あ るた め にそ れ も でき ず 、 た だ 心 だ け 出 家 し た 気 持 を 抱 く 。 や が
て妻 の父 も 娘 を 亡 く し た 悲 嘆 のた め 病 死 し た が 、 再 婚 問 題 に 絡 ん で 殺
害 され そ う に な った ので女 児 を 連 れ て 日 本 に 帰 国 し 、都 で 人 目 を 忍 ん
で暮 ら す こと に な る 。 そ のう ち に 、 ど う し た わ け か 即 位 企 図 の噂 が 流
れ た ので俄 に 出家 剃髪 し 、吉 野 山 の麓 に景 色 のよ い御 領 地 が あ った 所
に女 児 と とも に隠 れ住 む (
上 四九)。 万 事 にす ぐ れ 、 学 才 ・陰 陽 ・天 文
・夢 解 き ・相 人 な ど の知 識 を持 つ人 で あ る (上四九)。 中 納 言 (
女)の訪
問 を快 く 迎 え 、 そ のす ぐ れ て いる こ と に感 心す る (上五九)が 、 そ の後
も大将 (
女、もと中納 、
口
)の来 訪 を待 ち 受 け て大 将 (
女)を慰 め (
上 一一〇)、
真 心 を こ め て護 身 の祈 藤 な ど し 、 薬 も さし 上 げ ら れ る (上 = ○)。 翌
年 三 月 十 余 日、 二条 殿 に引 取 ら れ て行 く 大 君 ・中 君 と別 れ を惜 しん で
(") か ん ば く のき た のか た
関 白 の北 の方 (駅硫 鰻
(
大
の 正 妻 と な る (下 二 一五)。 父 宮 と 別 れ に 際 し 歌 を 贈 答 す る (下 一= 五)。
実 子 が な い の で 、 内 大 臣 (も と今 大 将 )の 、 春 宮 (
女 一の宮)腹 の 若 君
若君)や 、大納 言 の 乙姫 君 (
妹 中 の君 と の間 の子 )を 引 取 って 養 育 す る (下
二五 一) 。
(
21) な いだ いじんのきた のかた 内大 臣の北 の方(
魏趨 郷 泌)
11
吉 野 の宮 の第 二 の女 。母 は吉 野 の宮 の北 の方 。
三 月 十 余 日、 今 大 将 (男、もと尚侍)に伴 なわ れ 、 姉 大 君 と とも に吉 野
︹呼 称 ︺中 の君
よ り 二条 殿 に引 取 ら れ る (
下二 一五)。 父 宮 と 別 れ に際 し歌 を 贈 答 す る
(下 二 一五)。 翌年 の六 月 十余 日 、今 大 将 の手 引 で中 納 言 に 逢 い、 縁組
(下二四〇)。 そ の年 の冬 、宇 治 の若 君 を預 か って養 育す る (
下 二四五)う
ち に姫 君 二人 ・若 君 一人 (いずれも大納 一
.
口
︹もと中納言︺との間の子)を出 産
式部 卿 の宮 (
誌
麓
や)
11 帝 の叔 璽
し 、 乙姫 君 は 、姉 吉 野 の宮 の大 君 の養 女 と す る (
下 二五 一)。
(
31 ) し き ぶ き ょう のみ や
︹注 ︺ (1
4) ﹁内 大臣 ﹂ 参 照 。
中 納 言 が宇 治 の 若君 を 連 れ て帰 京 す る条 に、 ﹁若君 具 し て、 京 の宮
内大臣 (
糖 郁)11 式 部 卿 の宮 の子 。
に ま つ出 で た ま ひ て﹂ (
中 一八二)と あ る。
(41 ) な い だ い じ ん
︹呼 称 ︺ 式 部 卿 の 宮 の 巾 将 ・宰 相 中 将 ・権 中 納 言 ・中 納 百 ・大 納 言 ・
源 大 納 言 ・中 宮 の 大 夫 ・大 将
よ り 美 し く 上 品 で 好 色 な の で (上 一六)、 大 将 (
権 大 納 言 )の 姫 君 (
男 )と 四
の)11 吉 野
歌 を 贈 答 し (下 二 一六)、後 、 いちず に仏 道 に精 進 す る (
下 一= 七)。
の 宮 の第 一の女 。 母 は 吉 野 の 宮 の 北 の 方 。
吉 野 を 訪 れ た 中納 言 (
女 )と 歌 を 贈 答 す る (上 六 二 .中 一 一 一)。 後 、 行
の君 の 二人 とも に懸 想 し (
上 一六)、 侍 従 (
女 )に 姫 君 (
男 )の こ と を 語 る
一般 人
方 不 朋 の大将 (
女 、 も と中 納 冒)を 探 し に 吉 野 に 来 た 尚 侍 (
男 )と 密 通 し た
(
上 一六)。 そ の う ち に 、 今 ま で 中 将 で あ った が 宰 相 を 兼 任 す る (上 一九 )。
侍従 (
女 )よ り 二 歳 ぐ ら い 年 長 で 、 侍 従 (
女 )に は 及 ぼ な いが 、
り (
中 一六五 )、 歌 を 贈 答 し た り す る (
中 一七 一)。 翌 年 三 月 十 余 日 、 今 大
九月 十 五 日、 月 明 の夜 、 内裏 宿 直 の中 納 言 (
女 、 も と の侍 従)を 探 し あ て 、
︹呼 称 ︺ 姉 宮 ・大 君
将 (
男 、 も と 尚 侍)に 伴 な わ れ 、 吉 野 よ り 二条 殿 に 引 取 ら れ て 今 大 将 (
男)
りかへ ば や物 語 登 場 人 物 解 説(一)
鈴 木:と
25
って し ま う (上四〇)。 し か し、 そ の後 も 左 衛 門 の手 引 で 、 しば しば 四
を 話 す が 、 事 情 を 察 し た中 納 言 (
女)か ら 恋 の病 だ と嫌 味 を 言 わ れ て帰
紙 を 届 け る (上三七)。 中納 言 (
女)に対 面 し て 、 最 近 身体 不 調 な る こ と
な った (上三六)。 四 の君 の女 房 左衛 門 のも と にた び た び 四 の君 宛 の手
中 、 四 の君 と 密 通 し (
上三五)、 四 の君 は 懐 妊 の兆 候 が 現 わ れ る よ う に
中納 言 (
女)のも と へ行 く (上三二)。 中 納 言 (女)が 宮 中 の宿 直 のた め不 在
く 思 う (上二四)。 あ た かも 中 納 言 (
女)の横 笛 と尚 侍 (
男)の琴 を 立 ち聞 き 、
と 同 時 に、 中 納 言 (女)の美 し さ に魅 力 を 感 じ 、 女 とし て見 た いと 恋 し
姫 君 (男)のこ と に つ いて取 持 ってく れ な い恨 み を言 って 口説 く (
上 二二)
使 に聞 いて 、 急 遽 、京 都 に帰 り (
中 一四 八)、 い った ん宇 治 に来 るが 、
る(中 一四七)。 そ の 日 の夕 方 、 四 の君 の出 産 が 近 いこ と を京 都 から の
た よ り も し な いで 、 久 し ぶり に宇 治 へ来 て大 将 (
女)に四 の君 の噂 をす
の懐 妊 に ついて 何 か と 世 話 を す るが 、 七 ・八 日間 、 大 将 (女)に は何 の
時 も 看 病 す る(中 一二七 ・中 一四 三)。 そ の後 、 四 の君 のも と へ行 き 、 そ
こ に滞 在 す る(中 一二五)が 、再 び宇 治 へ行 き 、大将 (
女)を 懐 妊 中 も 出 産
四 の君 のも と に行 き (
申 一二四)、 四 の君 の看 病 の ため 、 五 .六 日 間 そ
一方 、左 衛門 か ら の手 紙 で 四 の君 の病 状 が 悪 いこ と を知 って、 京 都 の
(
中 = 七)。 宇 治 到 着 の翌 朝 、大 将 (
女)を女 の形 に変 わ ら せ る (
中 = 八)。
の密 通相 手 で あ る こ と を中 納 言 (
女)に知 ら れ る (
上七三)。
大将 (
女)の姿 の見 えな い こ と を嘆 き 悲 し む (
中 一六六)。 仕 方 なく 宇 治
野 に脱 走す るが 、 そ の こ と を知 らず に四 の君 のも と か ら宇 治 に来 て、
再 び 京 都 か ら の使 が 四 の君 の容 態 の険 悪 な こと を 宇 治 に告 げ に来 た の
(
男)が 物 忌 の時 、 宰 相 の君 に手 引 さ せ て尚 侍 (
男)のも と に 忍 び い るが 、
の 若君 を連 れ て帰 京 し、 参 内 す るが 、 今 大将 (
男、もと尚侍)を 見 て も 、
の君 のも と に 通 い(上四 一)、 四 の君 の出 産 後 、 産 養 の あ る 日も 四 の君
す か さ れ て帰 り (上七六)、 贈 答 の歌 が あ る。 そ の後 は 、 尚 侍 (
男)か ら
今尚侍 (
女、もと大将)と取 り替 わ って いる こと に 気 が つかず 、 も と の
で京 都 に帰 るが 、 そ の翌 朝 四 の君 が 安 産 した ので 、 四 の君 のも とか ら
手 紙 も 来 ず 、 四 の君 にも 逢 え ず 、 恋 情 を 中納 言 (
女 )に移 し (上七九)、
大将 (
女)の行 方 を案 じ て い る (
中 一八二)。 四 の君 か らも 見 捨 て ら れ た
そ の旨 を 大将 (
女)に報 告 す る (
中 一六〇)。 やが て 大将 (
女)は宇 治 か ら 吉
中納言 (
女)の い る西 の対 に行 って中 納 言 (
女)と 密 通 す るが 、 こ の 時 、
ので 、 左 衛門 に会 い、 四 の 君 を 恋 い慕 って い る こと を 話 す (
下 二二二)。
一方 、 尚 侍
初 め て中 納 言 (
女)の男 性 で な いこ と を 看 破 す る (上八二)。 た び た び中
結 局 、今 大 将 (
男)の 二条 殿 で吉 野 の姫 君 た ち をか いま み、 六月 十 余 日 、
のも と に 忍 び 入 る が 、扇 や畳 紙 な ど を落 と し て お いた た め に、 四 の君
(
女)に作 っても ら ったり す る (
上 八九)ほ か 、 中納 言 (
女)が 月 の障 り の た
納言 (
女)と贈 答 歌 が あ り (
上 八四)、 四 の君 と の逢 瀬 の機 会 を、 中 納 言
吉 野 の宮 の中 の君 と縁 組 (
下 二四〇)。同 年 冬 、大 納 言 に昇 進 し (下二四五)、
す る(
下 二五 八)。
(51 ) ふ じ つぼ の に ょうご
︹呼 称 ︺ 姫 君 ・大 姫 君
器 の)11 内 大 臣 の第 一
中納言 (
女)十 七歳 ま たは 十 八歳 の時 に 誕 生 す る(上七 一)。 やが て人 形
の女 。 母 は関 白 の北 の方 。
藤 壷 女 御 (騎
翌 年 四月 、 中 宮 の 大夫 を兼 任 (
下 二四七)、 や が て内 大 臣 で大 将 を 兼 任
め、 六 条 近 辺 の乳 母 の家 に いる時 、 中 納 言 (
女)を 訪 問 (
上 九 一)、 一夜
共 寝 し て、 中 納 言 (
女)に 、 女 の 姿 に 還 る よ う勧 告 す る (
上 九二)。 か く
て権 中 納 言 に昇 進 (上 一〇四)、 同時 に右 大 将 に昇 進 し た中 納 言 (
女)に
祝 い の手 紙 を出 す 。 四 の君 か らも 官 位 昇 進 祝 いの手 紙 を受 取 るが 、 そ
しか し、 懐 妊 中 の 大将 (
女)を隠 ま う た め、 大 将 (
女)と宇 治 へ籠 る日 を
の手 紙 を発 見 し た大 将 (
女、もと中納言)か ら嫌 味 を 言 わ れ る (上 一〇 六)。
約 し(
中 一〇九)、 いよ いよ 大将 (
女)を伴 な って宇 治 へ行 く こ と に な る
良
大
紀
要
26
第10号
'、、
ク
」 畠
ブく
刀、
の よ う に物 に つか ま って立 上 り な ど し (
中 =
二)、大 将 (
女 、 も と中 納 言)
の あ と を 慕 った り す る (
中 = 四 )。 成 人 し て 今 上 の 女 御 と な り 、 藤 壷
方。
︹注 ︺ (15 ) ﹁藤 壷 女 御 ﹂ 参 照 。
)11 内大 臣 の第 三 の客
にいる(
下 二 五九 )。
姫君 (
㍊
(
8
1) ひめ ぎ み
大将 (
女 )十 九 歳 の 秋 、 誕 生 (
中 一六〇 ・ 一六 九)。
乙姫 君 (難
若君 (
勢
(12) お お いど の
大殿 (
耀
母 は 内 大臣 の北
茄)11 内 大 臣 の第 四 の女 .母 は内
11 内 大 臣 の第 李
. 母 は 内 大臣 の北 の
い)11 姫 君 (
男)・薫
(
女)の祖 翁
巾宮 (
女 )二 十 三 歳 よ り 二 十 九 歳 ま で の 間 に 誕 生 (下 二 五 一)。
方。
( 0) わ か ぎ み
の大 君 (関白 の北 の方)に養 育 さ れ る (
下 二五 一)。
巾 宮 (女)二十 三歳 よ り 二十 九歳 ま で の間 に誕 生 し 、 や が て吉 野 の宮
大 臣 の北 の方 。
(91) お と ひめ ぎ み
巾 宮 (女)二 十 三 歳 よ り 二 十 九 歳 ま で の 間 に 誕 生 (下 二 五 一)。
の方 。
︹注 ︺ 二 五 九 頁 に 、 ﹁今 の 関 白 殿 の 四 の 君 腹 の 大 姫 君 、 女 御 に ま ゐ り
た ま ひ て 、 藤 壷 に さ ぶ ら ひ た ま ふ 。﹂ と 見 え る 。 た だ し 、 今 の 関 臼
(
も と今 大 将 、 男)に は 、 そ の 実 際 の 子 と し て 、 四 の 君 腹 の 姫 君 と い う
の は 一人 も な く 、 二 五 八 頁 に も 、 ﹁四 の 君 腹 の 姫 君 た ち は な ち て は 、
女 も も の し た ま は ねば ﹂ と あ るが 、 四 の君 はす で に今 の関 白 の北 の
方 と し て 二条 殿 に いる はず で あ る か ら 、 実 は内 大臣 (
も と中 納 言 )と
四 の君 と の間 の子 も 、 と も に 今 の 関 白 殿 のも と で養 育 さ れ て い た と
見 る べ き で あ る 。 な お 、 二 五 九 頁 の 本 文 中 の ﹁大 姫 君 ﹂ と は 、 姫 君
中 で も 年 長 者 を 指 し て 言 った も の と 考 え ら れ る 。 岡 本 保 孝 の ﹃取 替
ば や 物 語 考 系 譜 ﹄ 三 三 頁 (国文 学 註 釈叢 書 本 )に も 、 こ の ﹁藤 壷 女 御 ﹂
に 相 当 す る ﹁女 ﹂ と 、 17 ﹁姫 君 ﹂ に 相 当 す る ﹁女 ﹂ と の 両 人 を 、 28
ると 見 な し て お く 。 な お 、拙 著 ﹃平 安 末 期 物 語 に ついて の研 究 ﹄ 所
れ ば 、 御 ぐ し お ろ し た ま ひて﹂ (一七頁)の ﹁大 殿﹂ と 同 一人 物 であ
﹁大 殿 も 、 今 は 御 年 七 十 に お よ び、 御 や ま ひも おも く の み おぼ さ る
訳 王 朝 文学 叢 書 ﹄ の訳 本 に は ﹁姫 君 の祖 父 君﹂ (= 頁)と あ る が 、
れ(
﹃現代語訳国文学全集﹂第 三巻所収 ﹁とりか へば や物語﹂二四四頁)、 ﹃全
﹁関 臼 ﹂ に 相 当 す る ﹁男 君 ﹂ の 子 と し て 系 図 を 作 成 し 、 さ ら に 、
大臣 の
(一二頁)と あ り 、 川 端 康 成 氏 は 、 こ の ﹁大 殿 ﹂ を ﹁父 の大将 ﹂ と さ
偽 ち ゅう、
凸
︹注︺ 上 巻、 姫 君 (
男)裳 着 の条 に、 ﹁大 殿 ぞ 御 腰 は結 ひ たま ふ 。
﹂
三 位 中 将 (㍑
﹁コ ノ 両 人 ハ、 ミ ナ 、 式 部 卿 ノ 御 子 ノ 、 四 君 ニ ウ マ セ タ ル ナ リ 。﹂
と 施 注 し て い る。
(61) さ ん み のち ゅう じ ょう
第 二子 。 母 は 中 宮 (
女 )。
大将 (
女 )十 九 歳 の 七 月 一日 、 宇 治 で 誕 生 す る (
中 一四 四)。 同 年 冬 、
︹呼 称 ︺ 宇 治 の 若 君
第 八章 ﹃大 殿 ﹂ ﹃宰 相 の君 ﹄ 考 ﹂ 参
子.
収 ﹁第 三 篇 と り か へば や 物 語
11 大 殿 の笙
照 。 姫 君 (男)の裳 着 の際 、裳 を結 う (
上 一二)が 、 七 十歳 に な って重
雛
中 納 言 に連 れら れ て帰 京 (
中 一八 二)後 、 吉 野 の 宮 の 中 の 君 に 預 け ら れ
太政大臣(
詫
養 育 され る (
下 二四 五)。 中 宮 (
女 、 も と の大 将 )二 十 九 歳 の 春 、 十 一歳 の
︹呼 称 ︺ 右 大 臣
(22) だ じ ょう だ い じ ん
母 は関 白 の北 の
病 のた め 剃 髪 (上 一七)。
)11 内 大 臣 の第 二の客
時、 中宮 (
女 )の も と で い ろ い ろ 語 り 、 中 宮 を 母 君 か と 思 う (
中 二 五 二)。
姫君(
㍊
そ の 後 、 三 位 中 将 に 昇 進 す る (下 二 五 九)。
(" ) ひ めぎ み
りかへ ば や物 語 登 場 人 物 解 説(一)
鈴 木:と
27
結 婚 さ せ た いと 思 い (上 一三)、若 君 (
女)が 女 性 で あ る こ と を知 らず に、
若君 (
女)の元 服 の際 、冠 を着 せ る (
上 一三)。 娘 の四 の君 と若 君 (
女)と
右大臣
梅壷女御
大君
ー中君
1 三君
1 四君
と あ り 、 別 に、
年 七十 。
入道 。
そ の縁 談 を積 極 的 に進 め て結 婚 さ せ る (
上 一九)。 四 の君 が 中 納 言 と の
密 通 に より 懐 妊 三 ・四 か月 に な った こ と を知 り 、 正 式 の夫 婦 関 係 に よ
る懐 妊 と信 じ て大 い に喜 ぶ (
上四 二)。 密 通 事 件 そ の他 で厭 世 心 を起 し
て 一時 吉 野 に姿 を隠 し た中 納 言 (
女、もと若君)が 十 余 日後 に帰 った の
を見 て喜 ん だ (上六八)が 、 そ の原 因 を 知 って情 な く 思 う (
中 一二二)と と
朱雀院女御
(
三三頁)
仙 洞 女 御 。 内 侍 督 ノ中 宮 ニナ リ タ マ ヒ
テ ヨリ、 ヨ ヲウ ラ ミ コモリ居 給 フ。
(
下略)
も に四 の君 を 勘 当 す る (
中 一二三)。 そ の後 、 四 の君 の勘 当 を許 し (
中一
コノ女 御 ノ御 イ キ ホイ ヲ ウ ラ ヤミ給 ヒ シ コト アリ 。 (三六頁)
と見 え る。 右 の説 明 文 巾 の ﹁仙 洞 ﹂ と は (4) ﹁帝 ﹂ の こ とで あ るが 、
保 孝 の右 の記 述 の仕 方 によ ると 、 ﹁大 君﹂ と ﹁梅 壷 女 御 ﹂ と は 全 く
殿 の女 御 、 や ん ごと な く て さ ぶら ひた ま ひ ぬれ ど 、 一の人 の御 む す め
四 の君 は た ゴ に てお は す るを ﹂ (上 一三)と あり 、 一五頁 に、 ﹁右 大 臣
ぎ り ぞ 四 人 持 ち たま へる。 大 君 は 内 の女 御 、 中 の君 は 春 宮 の女 御 、 三
春 、 若 君 (女)元 服 、 姫 君 (
男)裳 着 の条 に、 ﹁こ の大 臣 は 、 姫 君 のか
が 帝 の御 寝 所 に参 上 な さ る場 面 が 描 か れ 、女 御 は ﹁い みじ く も て な
く 名 前 さえ 現 わ れ な い。 し か し 、右 の条 に は 、た ま た ま ﹁梅 壷 女 御 ﹂
十 六歳 秋 九月 十 五日 の条 に登 場 す るだ け で 、 そ れ 以外 の箇 所 には 全
と を述 べて おら れ る。 と こ ろで 、 こ の ﹁梅 壷女 御 ﹂ は 、 中 納 言 (
女)
女 御 ﹂ す なわ ち ﹁太 政 大 臣 の第 二 の女 ﹂ を ﹁梅壷 女 御 ﹂ と す べき こ
か へば や物 語 の復 原 ﹂ (﹁
平安交学研究﹂
第 四+ 七輯) の中 で (24) ﹁帝 の
政大
仙 洞 ノ女 御 ナ ル ベ シ。 殿 ノ姫 君 、男 ノ マネ シ テ居 給 ヒ シ比 、
朱雀院 の女御 (
餌賢 読 )共
七三) つ いに は太 政 大 臣 に昇 進 す る (
下 二五 八)。
(
32) すざく いん のに ょ・
三
臣 の第 一の女 。 御 母 は 太 政 大 臣 の北 の方 。
な ら ね ば 、 后 にも え ゐ た ま はず 。
﹂ 四 四 頁 に、 ﹁いで や 、 そ こ には 、
しか しつ か れ たま ふ さま ﹂ (二 一頁)で あり 、 しか も 、 そ の姿 を 見 た
別 人 の関 係 にあ る こと にな る 。 こ のほ か 、小 木 喬 博 士 は 、 ﹁古 とり
大 将 、 女 御 の御 方 々を こそ 思 ひき こえ た ま へれ 、 こ の御 方 には お ろ か
中納言 (
女)が 、 自 分 が 本 来 の女 姿 であ った ら 、 こ の よ う な様 子 に待
︹呼 称 ︺ 大 君
︹注 ︺ 従 来 、 こ の ﹁朱 雀 院 の女 御 ﹂ と (51) ﹁梅 壷 女 御 ﹂ と は 、 同 一人
は、 帝 に は こ と の ほか に御 寵 愛 を蒙 った 女 御 で あ る と考 えら れ る。
遇 され る であ ろう と羨 ま し く 思 った と いう か ら 、 こ の ﹁梅 壷 女 御 ﹂
な るな め り 。 か く し る く な る ま で知 ら ぬ人 やあ る 。
﹂ などと見える。
﹃凌明本 とり か へば や﹄ の傍 注 、 校
物 であ ると す る説 と 、 別 人 であ ると す る説 な ど が あ る ので 検 討 し て
の頭 注 、 川 端 康 成 氏 の ﹁と り か へば や物 語 ﹂ (﹃現代語訳国文学全集﹂
註 国 文 叢 書 本 ・校 註 日 本 文 学 大 系 本 ・ ﹃全 訳 王 朝 文 学 叢 書 ﹄ の訳 本
退 出 し てし ま わ れ た こと が 記 さ れ て いるが 、 こ の ﹁右 の 大 臣 の 女
て 、 わ れ は と お ぼ し た り つる に﹂ (二五〇頁)肩 身 狭 く 思 わ れ て里 へ
つめ ら れ た た め 、 ﹁右 の大 臣 の女 御 は、 人 よ り さ き に ま ゐり たま ひ
一方 、 後 に、 中 納 言 (
女)が 中 宮 (
女)にな って帝 の御 寵 愛 を 一身 にあ
お く 。 前 者 と見 る の は、 拙 著
には 、
第 三巻所収) の注 など であ るが 、 岡本 保孝 の ﹃取 替 ば や物 語 考 系譜 ﹄
要
良
28
第10号
学 紀
大
大
ン丁く
御 ﹂ は 、 (24) ﹁帝 の女 御 ﹂ で 、 し か も 、帝 の女 御 の中 で最 古 参 格 の
ば や物 語 O ﹄一五 六頁 )。 ま た 、 七 三 頁 に ﹁ひ と つに よ ろ こ び て 、 殿 上
(
宰相
こ の ﹁大 将 殿 の 上 ﹂ も
御 湯 殿 、 大 将 殿 の 上 迎 へ湯 な ど 、 も て さ わ が る \に 、﹂ と あ る が 、
の)11 太 政 大
﹁三 の 君 ﹂ で あ ろ う か 。 四 の 君 の 安 産
て 、前 記 ﹁梅 壷 女 御 ﹂ と いう 女 御 と は 同 一の人物 で あ る可 能 性 が き
女御 (
右大臣 の中 の君。も と春宮 の女御)で あ る こ と が わ か る 。 し たが っ
(
) か んば く の き た のか た
中 将 と の問 の 子) を 喜 び 、 迎 え 湯 の 役 を す る の で あ る 。
擾
わ め て 濃 厚 で あ る が 、 よ り強 度 の 確 証 が な いか ぎ り 、 こ こ で は 、 一
関 白 の北 の方 (嵐魏
応 、 別 人 と 見 て お く こ と にす る 。 ち な み に 、最 古 参 格 の女 御 で あ る
︹呼 称 ︺ 四 の君 (
初め、三位中将 ︹女、後、中宮︺ノ北 ノ方。後、内大臣 ノ北
ノ方)
臣 の第 四 の女 。御 母 は太 政 大 臣 の北 の方 。
︹注 ︺ (
23) ﹁朱 雀 院 の女 御 ﹂ 参 照 。
﹁右 の大 臣 の 女 御 ﹂ に ついて は 、 拙 著 ﹁凌明本 と り か へば や﹂ の傍
注に、
た り (三三六頁)
物 語 の初 め で は独 身 であ った が 、 三 位 巾将 (
女)が 男 性 であ るとば か
右 大 臣 の大姫 君 と き こ え し は こ の物 語 の前 に ま いり給 ふ と 兄 え
と あ る が 、前 述 の ごと く ﹁右 大臣 の大 姫 君﹂ は ﹁朱 雀 院 の女 御 ﹂ で
った時 、忍 び込 ん で来 た宰 相 中将 に犯 さ れ (
上三五)、 そ の事 件 後 、 悪
り 信 じ て、 十 九歳 にな るま で に結 婚 す る (
上 一九)。 申 納 言 (
女、も と一
.
一
誌 )11 太政 大 臣 の第 二の
あ る か ら 、 ﹁右 の大 臣 の女 御御 退 出﹂ と は 何 等 の関係 も な いはず で 、
帝 の 女 御 (鷺
位中将)が 十 七歳 の春 、中 納 言 (
女)が 宮 中 の宿 直 のた め 邸 に不在 であ
(
42 ) み か ど の に ょう ご
傍 注 の失 考 と 考 えざ る を得 な い。
相 中 将 は しば しば 通 って来 る ので 、 しだ いに宰 相 中 将 を 恋 し く 思 う よ
阻 に悩 む (
上 三六)。 し か し 、 四 の君 の乳母 子 の女 房 左 衛 門 の手 引 で宰
︹呼 称 ︺中 の君 ・春 宮 の女 御
うになる(
上四 一)。 懐 妊 三 ・四 か月 に なり 、 実 情 を知 ら な い父右 大 臣
女 。御 母 は 太 政 大 臣 の北 の方 。
︹注 ︺ (23) ﹁朱 雀 院 の女 御﹂ 参 照 .
門 の手 引 で 忍 び 入り (
上 七三)、再 び宰 相 巾 将 の胤 を 宿 す (
上九五)。宰 相
(上七 一)。そ の後 、 七 日目 に大 将 殿 の産養 が あ る日 、 宰 相 中 将 が左 衛
を 大 いに喜 ば せ (上四 二)、 や が て姫 君 (
宰相中将との間 の子)を 出 産す る
政 大 臣 の第 三 の女 、 御 母 は
一方 、 吉 野 へ逃 避 し て 帰京 し た夫 の大 将 (
女、もと中納 召)と贈 答 の歌 を
の)⊥
中 宮(
女)に 対 す る帝 の御 寵 愛 が 深 く な る た め 、 肩 身 狭 く 思 わ れ て 里
三の君 蕊
へ退 出 す る (下二五〇)。
(
) さ ん の き み
詠 ん だ り す る(中 一一三)。 し か し、 大 将 の逃 避が 中 納 言 と の密 通 事件
中 将 は 巾納 言 に昇 進 し た が 、 四 の君 はそ の官位 昇 進 祝 い の手 紙 を 出す
︹呼 称 ︺ 大 将 の 上 ?
に 一因 が あ る こと を知 った 父 右 大臣 に勘 当 され た (
中 一二三)ま ま 再 び
太 政 大 臣 の北 の方 。
︹注 ︺ (23 ) ﹁朱 雀 院 の 女 御 ﹂ ・○ ﹁大 将 ﹂ 参 照 。 四 四 頁 に ﹁い で や 、
姫 君 を出 産 す る(中 一六〇)が 、 やが て許 さ れ て父 右 大 臣 に引 取 ら れ る
よう にな る(中 一七〇)。 そ の後 、今大 将 (
男)に逢 って契 を結 び(中 一八〇)、
そ こ (右 大 臣 ノ北 ノ方 )に は 、 大 将 、 女 御 の 御 方 々 を こ そ 思 ひ き こ え た
十 二月 ご ろ懐 妊 (
下 二 一八)、 翌 年 八月 晦 日、 出 産 のた め 、 二条 殿 へ参
ま へれ 、 こ の 御 方 (
四 ノ君 )に は お ろ か な る な め り 。﹂ と あ り 、 こ の
﹁大 将 ﹂ は ﹁大 将 の 北 の 方 ﹂ の 意 で 、
﹁大 君 ﹂ の 誤 写 と も 考 え ら れ
るが 、 桑 原 博 史 氏 は 、 三 の君 で あ ろ う と 説 いて お ら れ る (
﹃とり か へ
りかへ ば や物 語 登 場 人 物解 説(一)
鈴 木:と
29
ほ か 、 数 年 後 、 三 人 の 若 君 (いず れ も今 大 将 ︹男 ︺ と の間 の子 )を 出 産 す る
め、 吉 野 へ 一時 的 に 姿 を隠 し た中 納 言 (
女)が 十余 日 ぶり に帰 京 し た の
て いる の で 、 大 いに あ き れ驚 く (
上四七)。 四 の君 の密 通事 件 な ど のた
分 が す ぐ れ な い こ と を聞 き 、 御 修 法 ・祭 ・祓 な ど、 本 復 のた め に手 を
上 し (
下 二四 三)、 九 月 一口 ご ろ 若 君 (
今 大 将 ︹男 ︺と の間 の子 )を 出 産 す る
入 道関旦 鷲 警 く)
11大殿 の第 ニモ
を見 て喜 ぶ (
上 六八)。 そ の後 、 宰 相 中 将 に 犯 さ れ た中 納 言 (
女)の 、 気
(
") にゅうどうかんばく
(
下 二五 一)。
た 大 将 (男)を 探 し当 て た尚 侍 (
女)が 宇 治 か ら 帰 京 し た の に逢 って 喜 び
尽 く す べき こ と を指 図 す る(上 一〇 一)が 、 大 将 (女、も と中納言)が 失 踪
に堪 え ず 、 将 来 の こ と を話 し 合 って(
中 一五六)後 、 剃髪 、 仏道 に入 る
す るや 、 ま たも や祈 疇 を続 け (
中 = 九)心 を痛 め る(
中 一二八)。失 踪 し
い つの こ ろか 、権 大納 言 で大 将 を 兼 任 し てお り 、 容 貌 ・学 才 ・性質
(
ド ニ五八)。
︹呼 称 ︺ 権 大 納 言 ・大 将 ・大 殿 ・殿 ・左 大 臣
・人 柄 ・世 評 、 な ど す べて 並 々で な く 、 何 一つ不 満 な 点 は な か った が 、
︹注 ︺ (28) ﹁関 白 ﹂ と 区 別 す るた め 、 便 宜 上 ﹁入 道 関 白 ﹂ と す る。
子 供 の こと だ けが ただ 一つ悩 み の種 で あ った (
上 五)。 と いう の は 、男
君 に次 いで女 君 が 誕 生 し た が 、 二人 の性 格 ・態 度 が そ れ ぞ れ女 性 的 ・
男 性 的 で あ った か ら で 、 二人 を ﹁とり か へば や﹂ と言 って嘆 き 、結 局 、
若 君 を姫 君 (
男)、 姫 君 を若 君 (
女)と呼 ぶ よう にな る(上七)。二人 の子 供
の母 北 の方 は別 々 の人 であ った の で、 一か 月 の うち 十 五 日ず つそ れ ぞ
れ の北 の方 のも と に通 う よう に し て い た(上八)。 姫 君 (
男)が 十 二歳 の
春 、 物 忌 の た め つれづ れ な る時 、 姫 君 (
男)の い る東 の対 へ渡 る (
上 八)
が 、 そ の女 性 的 行 状 を見 て悲 嘆 に く れ (
上九)、 つい で若 君 (女)の い る
西 の対 へ渡 る が 、 そ の男 性 的 行 状 を 見 て 同 じ く 悲 嘆 す る(上 一〇)。 し
か し若 君 (
女)のす ぐ れ て いる こと に 思 い慰 む (
上 一三)。 やが て帝 の 譲
三位 中 将 (
女、もと若 君)が 女 性 で あ る こと を知 り つつも 、中 将 と右 大
位 に伴 い、 左 大臣 関 白 と な る (上 一七)。 この ころ 、 右 大 臣 の希 望 で 、
の宮) の後 見 人 と し て 勧 め ら れ た が 、 姫 君 (
男)が 男 性 で あ る た め 、 心
臣 の 四 の君 と の結 婚 を許 す (
上 一九)。 帝 か ら は 、 姫 君 (男)を 春 宮 (
女一
を乱 す (
上 二五)。 翌 年 一月 上 旬 、 宣 耀 殿 の尚 侍 (
男、もと姫君) のも と
に行 き 、 一緒 に や って来 た巾 納 言 (
女、もと三位中将)の 二人 に対 し て、
兄 妹 が 仲 よ く す べき こと な ど を 諭 す (
上三〇)。 そ の うち に 四 の君 の懐
妊 を 右 大 臣 よ り聞 いて 、 夫 の中 納 言 (
女)が 真 の男 性 でな い こ と を知 っ
奈
良 大
学 紀
要
30
第10号
Torikaebaya(1)
OntheCharactersinthe'taleof
HiromichiSuzuxi
Summary
ThisstudyexpoundsthecharactersmtheTaleofTorikaebaya
ued,)
(oecontin一