■長崎市内の土木遺産めぐり [11/27(日)] 1.テーマ:日本のインフラ技術をリードした港湾と水道に関する土木遺産をめぐる 鎖国時代に唯一世界に開かれた海港都市であり、開港後にいち早く西洋技術を取り入れ てインフラ整備をおこなった長崎には、日本初のものや、日本のインフラ技術をリードし た土木遺産が多く残されています。今回のツアーでは、そのうち外国船の来航によって対 応を迫られることになった港湾関係の土木遺産と水道関係の土木遺産を中心にめぐり、日 本に導入された近代土木技術の原点に触れます。 2.各土木遺産の概要 (1)南山手居留地 明治 2 年(1869) 国重要伝統的建造物群保存地区 国重要文化財のグラバー邸をはじめ、多くの洋館住宅が残っ ているほか、石畳の舗装や様々な形態の石造側溝も残り、居留 地時代の都市景観が偲ばれる。 (2)小ヶ倉ダム 大正 15 年(1926) 国登録文化財/選奨土木遺産 コンクリート造重力式ダムで、完成当時は日本一の堤体高さ をもつ水道用ダムであった。正面には御影石が張られており美 しい。堤体のほか、緩衝池や管理用橋梁も残る。 (3)小菅修船場跡 明治元年(1868) 国史跡/世界遺産 日本初の洋式ドックであり、日本の近代造船所発祥の地とさ れる。当時の石積み、滑台、巻き上げ小屋などが残る。 (4)中島川変流工事護岸 出島橋 明治 22 年(1889) 明治 23 年(1890) 中島川河口の土砂堆積を受けて、出島正面(県庁側)を通る 流路に変更する工事が行われたが、その当時の石積み護岸が残 る。また、変流後の河口に架けられた新川口橋は、出島橋とし て現在地に移されているが、日本最古の現役道路鉄橋である。 5 (5)本河内高部ダム 明治 24 年(1891) 近代水道の父とされる吉村長策が設計・監督した日本初の水 道用ダムであり、近代水道敷設としては日本で三番目である。 堤体には芝生が張られ、正面に階段が配されており、美しい。 堤体のほかに、配水池が残る。 (6)本河内低部ダム 明治 36 年(1903) 吉村長策が顧問をつとめた、日本で二番目のコンクリート造 重力式ダムである。堤体のほかに、自然流下で 1km 先の西山 浄水場に水を運んだ導水トンネルや、日本初の鉄筋コンクリー ト橋である管理用橋梁が残る。 3.行程(予定) ※終了時間は目安です。これより遅くなる場合もあります。 9:30 長崎駅かもめ広場集合――(バス)――南山手居留地――(バス)――小ヶ倉ダム ――(バス)――小菅修船場跡――(バス)――出島交流会館で昼食――(徒歩)――中 島川変流工事護岸・出島橋――(バス)――本河内高部ダム――(バス)――本河内低部 ダム――(バス)――17:00 頃 長崎駅にて解散 6
© Copyright 2025 ExpyDoc