あとがき まず私的な話で恐縮ですが、 私、家内ともに生まれも育ちも熊本です。とても他人事とは思 えません。今回の地震で亡くな られた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々の ご健康および被災地域の速やか な復興をお祈りいたします。 私も講習会などで地震の話を することもあり、日本列島いつどこで地震が起きるか判らない ので注意が必要、などの説明を しているが、まさか熊本で地震が起きるとはさらさら思わなか った(私の知り合い殆どがそう思っていたようである)。認識不足、勉強不足である。いつのま にか正常性バイアスが自分自身 を含む熊本県人に働いていたのかも知れない。 最初に 4 月 14 日午後 9 時 26 分頃にマグニチュード 6.5 の地震が発生し、益城町では震度 7 の地震動が観測された。後で 聞いたところ、九州支社(福岡)の技術者は当日の午 後 10 時過ぎ には数人で支社に集合して、明 日からの調査計画を打合せしたようである。当然 15 日は早朝 から熊本へ調査に出発した。そ の後、著名な東京の大学の先生より連絡があり、熊本に調査に 入るとのこと。ただしホテルが 取り難いようなので、熊本の我が家(家内が住んでます)に 2 人の先生に泊まってもらった 。夕食時に家内が先生 に、余震はどうでしょ う、と尋ねたところ、 余震は大分方面に行っているよ うだし、熊本はしばらくしたら落ち着くでしょう、という答が 返ってきたとのこと。ところが 、その日の夜中1時 25 分頃にマグニチュード 7.3 の地震が起 こり、またもや益城町で震度 7、熊本市で震度 6 強の地震動に見舞われた。そ の日のニュース で、この地震が本震と発表され た。 以上のことからもわかるよう に、震度7の地震 が 2 回、それも本震が後からやってくるなど 誰も想像できなかったと思われ る。本報告書の中の写真からもわかるが、前震で生じたダメー ジが本震でさらに大きくなり、 破壊に至ったという構造物や斜面が殆どであろう。 熊本県人としては、熊本城の 無残な崩壊、水前寺公園の池の干上がり、阿蘇大橋の崩落、阿 蘇神社の桜門の倒壊、というよ うに熊本を象徴する構造物が大きなダメージを被ったことに、 かなりショックを受けた。また、立野から阿蘇盆地にかけて斜面崩壊や流 動、地盤の帯状沈下、 などの被害が数多く生じた。熊 本の民話では、大昔、阿蘇は火口湖であり、健磐龍命(たけい わたつのみこと)が立野付近を 足で蹴飛ばして、水を流し阿蘇盆地に農地を切り開いた、そし て黒川をふさいでいた大鯰を退 治した、などの言い伝えがある 。このことをよく考えてみると、 大昔から地震が繰り返し生じて 、現在の立野が形成されたのでは、と想像されるのだが、どう であろうか? 最後になりますが、今回の地 震を契機として、熊本城、阿蘇大橋、阿蘇神社等々が、より価 値が高く、美しく、便利で、強 く、耐久性があるように生まれ変わることを祈念いたします。 謝辞:東京電機大学副学長の安 田進教授、同大学の石川敬祐助教には、調査方針の時点から実 際の調査、結果の解釈に至るま で、常に的確なご指示を種々頂きました。ここに改めて感謝の 意を表します。 取締役九州支社長 193 田上 裕
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