RPT2016003

第1 部
天理の体育 ―倉J 設者 中山正善 二代真柱、スポー ツヘ の想 いとその継承 、体育学部小史
教授 近 藤 雄 二 (大学院 体育学研究科長)
は じめ に
2015年 度 は、天理大学創 立 90周 年 である とともに体育学部設置 60周 年 、さらに体育学
部 の悲願 であつた大 学院修 士課程 、体育学研究科 が 開話 しま した。 この 3つ を記念 して本
日開催す る本 フォー ラム では、 「
天理 の体育」 をふ りか え ります 。 そ の 際 に欠 かせ な いキー
ワー ド、それ は 20歳 で発議 し 21歳 の 時に天理大学 の前身 ・天理外 国語学校 を創設 した天
理教 二 代真柱 、創設者 で もある中山正 善氏 です。 そ して次 に述 べ る 「
天理 ス ポー ツ」です。
体育学研 究科 では 、は じめての院 生 を迎 える入学式 を前 に、改めて 16人 の体育学部 と院
を兼務 して担 当す る教員 で体育学研 究科 の人材養成 につい て意見交換 を しま した。研 究者
養成 を一 義的 目的 とす るのでは な く、天理大学体育学部 の歴史 と伝 統、 これ まで の成果 を
踏 まえての リー ダー 、 さま ざまな領域 での指導者 、実践的 なマ ネ ジメン ト能力 をもつた論
理 的思考 がで きる人材養成 を 目標 としま した。 これ までに も質 の高 い 中 ・高等学校 の保健
一
体育教員 を輩 出 しています ので 専修免許 を もつ 教員養成 は本研 究科 の つの柱 であ り特色
です。 しか し教員養成大学院 を 目指す の ではな く、 ス ポー ツ、運動 、体育は、社会 の さま
ざまな領域 で 、人 の発 達、人 々 の絆 づ く り、困難 な状況 下で しなや かに対応 で きる身心形
成 、健康 、初期 の治療 とともに人 間開発 と平和 に大 き く寄与 ・
貢献す るもの だ とされ ていま
す。 そ うした社会 で求 め られ る実務能力 を備 えた 、開拓者 に もな り得 る職能 教育 を とお し
て リー ダー とな りうる人材養成 を 目的 とします 。
4月 に 10人 の第 1期 生が体育学研 究科 に入 学 したばか りです が 、す でに研 究計画 に基 づ
く教育研 究 をは じま りま した。教員志望 もいれ ば、 コー チ ン グにかかわ る者 、健康 ・予防
に 関わ る者 もお り、多彩 な学生達 です。体育学研 究科 の教育研 究課程 に天理 の歴史 と伝統
を反 映 させ た人材養成 とす るためにも、創 立か ら 30年 目に設置 され 、今年 で 60年 を迎 え
た体育学部 の歴 史 をふ りかえ ります 。 この 60年 は、創設者 のスポ ー ツヘ の 関心 と想 い を結
実 させ つつ ある と考 えています。天理 で盛 んな ス ポー ツ環境 を創 出 し、支 え、また天理 で
育成 したスポー ツを 「
天理 スポー ツ」 と呼称 して、そ の創設者 が育 んで きた精神 を継承 し
て きた天理 と体育学部 の歴 史 と今 後 に触れたい と思 い ます 。
天理大学短期大学部保健体育 科 か ら体育学部 ヘ
1925年 に天理大学の前身 、天理外 国語 国語学校 が設 立 され 、30年 後 の 1955年 に体育学
部 が増設 され ま した。 実 はそれ 以前、 1950年 に天理大 学短期大学部 が設 立 され 、2年 後 に
短期 大学 に 「
保健 体育科 」 が増設 され て い ます。 それ が発展改組 され る形で体 育学部 が設
置 され ま した。短期大学保健体育科 を体育学部 の前身 とす る と、2015年 は、体 育学部創 立
63年 とい えるのか も しれ ませ ん。
天理大 学短期大学 に保健 体育科 が増設 され たのは、文部省(当時)から環境 ・
設備 の フ
点か ら
考 えて も体育指導者 を養成 しては ど うか との誘 いが あ った こと、 当時 二代真柱 が奈 良県水
泳連盟会長 を していた こともあ り、県 内に水泳 の強 い選手 を留 めたい意 図があ った こと、
1947年 に最後 の卒業 生 をだ して第 2次 大戦後 は武道 禁 止 令 によ り閉校 を余儀 な くされて い
た京 都武道専門学校 (武専)の柔道指導者達 の強 い要望、これ らを倉」
設者 が受 け とめた経緯 が
あ ります 。
武専 の 目的であった学校教育 にお ける武道 指導者養成 を 引きつ ぎ、そ の教師 を含 め指 導
者養成 を天理 で 引 き うけ、また奈 良地元 に水 泳選手 を残 して 育 て る、 これ が天理 大学体 育
学部 につ なが る短 期大学保健体育科 の 出発 であった と言 えます。
短 期大学保健体育科 の 1期 生 は 、短期大学保 育科 か らの水泳女子 4人 を含 め、男子 6人
の計 10人 か らは じま りま した。保健体育科 がで きた年 の 7月 には 、前年 に短大保
育科 に入
学 し保健体育科 に移 つ た大石 泰子 さんが第 15回 ヘ ル シ ンキオ リンピ ック大会 に 出易 しま し
た。短期 大学入 学者 の最終年 の 1953年 には 、保健 体育科 に 29人 が入 学 しま した。短期大
学保健体育科 の卒業生総数 は、66人 です。
保健 体育科増設 の 3年 後 に発展 的改組 して 、 1955年 に文 学部 と外 国語学部 につづい て体
育学部が設 置 され ま した。40人 の定員 に対 して 98人 が応募 し、当時、英米 に次 い で人 気 の
高 い 学部 とな りま した。そ の結果 は 、体育学部 1期 生 として 39人 が入 学 しま した。体育学
部 には柔道 専攻 コー ス が設置 され 、短大在学生 10人 が 2年 次編入者 として入 学 しま したの
で 、体育学部 が設置 された 1955年 には 1学 年 と 2学 年 あわせ て 49人 の学 生 で始 ま りま し
た。
二代真柱 は、後 の 1967年 8月 、ス ポ ー ツニ ッポ ンの 取材 を受 けそ こで 「
体 責避 の主 生達
の
こ
なや
、
なり
いの力主
も知れないが、真の 目的は、やは
」(「対談、真柱 に聞 く」)と述 べ ています。 この 「
体育科 の学生達」は、
柔道 の学生 を念 頭 においた発言 です が 、 この発言 の精神 は 、体育学部 の教育姿勢 として 現
在 も引き継 がれ ています。
体育学部増設認可 申請書 にみ るス ポ ー ツによる国際化人材 の養成
文部省 へ の体育学部増設認 可 申請書 と設置 目的 には、 一 つ に外 国語学部 があるメ リッ ト
を教育課程 に活 か して海外布教 、国際文化 交流 に貢献す る 「
ス ポー ツ を とお した 国際化 」
の人材養成 を謳 っ ています。 これ は とくに 当時 か ら天理 で強化 しその成果 をあげていた柔
道 、水泳 と体 操 の個別種 目を揚 げて い ます。 二つ には 、天理教教義 に立脚す る保健体 育 を
志 向す る こ とを謳 ってい ます。 ス ポー ツ人材 の発掘 、 リー ダー の育成 、指導者養成 が体育
体育早部増設認可申請書
「
学 生 をしてスポー ツによつて、明朗間違にして
健 全なる身心を鎌唐酒 養するとともに、外 国脂学
部 との密 接なる連携の下に、外国語および外国
文化の修 得研究を充実深化せしめ 、さらに今 回
国際的スポーッとして発展しつつある柔道、水泳
体操等を通じて、より深厚に、より友好的に海外
布教並びに国際文化及び親善の上に有効適切
なる貢献を果さんとするものである。」
よ
∝獣報十残
り
学部教育課程 の 目標 と言 えます。
この 国際化 に 関連 して一 つ 紹介 してお きた いのが海外 の柔道家 の ための 専科 日本語 科 で
す。体育学部 と直接 関わ りはあ りませ んが 、 1952年に天理大 学 の 中 に短 期教 育 を 目的 とし
た選科制度 が設 け られ ,1958年 に修 業年 限1年半 の大学 ・
選科 日本語 科 が 開設 され ま した。
学生 は、米 国本 土等 の信者 が 中心で したが ,天 理 へ の柔道研修者 が 多 い ことか ら,1967年
に海外 の柔道修行希望者 のため選科 日本語 科 に2部の柔道 コー ス が設 け られ ま した 開設
。
当
初 の2年 間だ けで も 8ヶ 国33人の柔道研修者 が この コー ス を利用 してい ます 。天理 で柔道 を
す る外 国人 の ためにその機会 とその仕組 み、そ の場 を早 くか ら提供 す る雰 囲気 とその力 が
あ つ たのです。
体育学部設 置の創設者 の メ ッセ ー ジは 、
体育学部設立の時期 は、21歳 で大 学 を設立 した創設者 も 50歳 代 に入 ります 。大学創 立後
30年 が経過 し、創設者 は 、数 多 くの多様 な ス ポー ツ 関係組織 の役職 を兼 ねて 、選科 日本語
科 2部 柔道 コー ス設置 な ど大胆 な こ とを積極 的 にす る、 で きる立場 、 い わ ゅる油が の りき
つ たエ ネ ル ギ ッシュ な年代 で あ り、そ うい う時 に体 育学部 が増設 され たので した
。創設者
が体育学部設置 に対 して 、何 を意 図、期待 していたのか等 は 、ぜ ひ知 りたい 事項 です。
体育学部設 置 は、天理大学 の創 立 30年 にあた る年 で もあ り、学長 は岸 勇 一 氏 で した。
昭和30年(1955ン
月23日
「
天理大学創立 三十局年記念式」
劇捜者 ・
中山正警二代真柱、50回 目の艇生日
あ
翠罷採極梶偶穏鎌 器、
晋雪
灘番
ご
の
っ
か
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自
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て
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親
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き
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長
鼎 漂留雪
竪蟹松
雪
勤
築手
督
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多
国
鯖
学
校
創
以
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投
来
教
育
垢
習
韓
者
翠
寓
』
投
転
詳
兼
要
男
射
双i舛
創設者 は 4月 23日 に 開催 され た 30周 年記念式で挨 拶 を しています。
体育学部 増設や体育学部 へ の期待等 に直接触れ た発 言 は 、記録 をみ て も見 い だせ ませ ん
で した。 同年 6月 には天理大 学新入生歓迎会 に 出席 され ます が 、 この発言 に も体育学部生
に向けた 直接 の メ ッセ ー ジ は見 い だせ ませ んで した。
体青年部は国内外の 『においが けJ
体育早都はスポーッによる国内外のにおいがけも確視
せ ないのでこの運どに至つた。他学部の売足も自然科
学の点が十分ではないが、賠学部は―応尭農年度に
H、苦しい中から育てていく親心をお田いした
なつた。・
日
0日
い。 、新捜学部のため伯学部をおさえるつもりはない。
・
・
・
・
B、
、本節の負担が大部 ヽ
が、・
隅桑料を出上げする
ことは経の新報という面から忍びない。
ネ馬本歯榛R害 弁、日83碑 円 月26日)
スポー ツによる国内外の 「においが けJ
創設者 の言葉ではあ りませんが、体育学部増設 に関わる状況を垣 間見る記事が天理時報
(1955年 3月 )にあ りま した。記事は、天理教集会になるので しょ うか、6日 間にわたる天
理教活動方針や予算を審議する場 のなかで大学に関わる議論 の一端が掲載 されています。
本部委員 の答弁を読む限 り、体育学部設立には、教会内外 ・学内外内において理解 を得 る
ための努力が必要な状況にあった と推祭 されます。本部役員 の答弁にあ りますが、天理教
を母体 とす る大学の体育学部に 「
スポー ツによる国内外のにおいが け」を期待 していた、
この 「
においがけ」に結びつ けて体育学部設置を天理教会本部内や大学関係者 に理解 を求
めたのです。
文部省 に提 出 した体育学部増設認可申請書や体育学部設置 目的を読む と、 「
海外布教並び
に国際文化及び親善の上に有効適切なる貢献を果たす」 と書かれています。 当時、そ して
体育早部 ・
投E目 的
「
天理教の教義、ならびに伝統的な日本国民
性独特のスポー ツ精神に基 づ く、天理教の海
丼布教師並びに国際文化及び親善 に貢献する
人材の育成、天理教教義に立脚する保健体育
の強化徹底を図ること」
現在 に続 く天理 の歴 史 と伝統 の なかで 「
柔道」 「
そ の大 きな役害Jを果 た していま
柔道部」 カミ
す が 、 申請書 には 、柔道 、水泳、体操 の 3つ が具 体的種 目として記 され ています。 柔道 と
海外布教 と国 際親 善 に 関わ る資料 は多 数 あ ります が 、一例 を紹介す る と、2009年 までの 25
年 間、 フ ラ ンスの天理教 ヨー ロ ッパ 出張所 での フ ラ ンス滞在 の記録 をま とめた永尾教昭氏
は、 「
在 欧 25年 」(2014.3刊、天理大学おや さと研 究所)のなかで 、柔道 が フ ラ ンスの天理
教布教 に果 た した功績 が大 きい 、 いや 柔道 な くして フ ラ ンス布教所 はあ り得 なか っ た こと
を うかがわせ るエ ピソー ドをい くつ も記 しています。
天理大 学法人 は 、2002年 か ら、学校法人 の教 育機 関 で 強化す る重点 競技種 目を 4つ 定 め
ま した。体育学部増設 申請書 に記 された 3つ の個別種 目の なかでは 、 「
柔道」 の みが挙が り
ま した。設置 目的にある 「
天理 教教義 に立脚す る保健 体育 の強化 ・
徹底」 につ い て 、そ の天
理 教教義 は 「
か しもの ・か りもの」 の教理 、それ が一 つ と考 え られ ます。 この 「
か しもの ・
か りもの」 の教理 は 、天理教 の生命観 、身 心の 関連 を しめす身心観 で もあ ります。 体育学
部設置 目的 にあるス ポー ツ、保健体育 の強化 ・
か しもの ・か りもの」 の教理 に結
徹底 は 、 「
び つ けて論究す る必要があ る と考 えています。 これ は二代真柱 のスポー ツ愛好 の延長 に も
ある と思 われ ます。創設者 は 、幼少 よ りさま ざまな ス ポー ツの体験 。経験 を通 して 、 とく
に柔道 を通 して ス ポー ツの魅力 を次 の よ うに述 べ ています。
「
天理教 の教義 的生活 を行 うの に、柔道 で きたえ られ た ものが 一 つ もマ イナ ス にな らず 、
大 い にプ ラス してい るが、天理 教 の 『陽気 ぐらし」』 カミ
、柔道 に も通 じるんだ。持 て る力 を
フル に発 揮す ること、そ してあ くまで フェア であるこ とが基 本 であるこ とが根 本 だが 、
H才 で宗機機能を、スポLッ 0長 野守
'牧め の一環として体口,スポーツの活用
出的 、最んになったスポーッ
・
'と
天理機強確の ―つ かしもの と
かりもの ●カ
ー
録韓とスポ ツ→「
口筑ぐらしJへの 出
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こ
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三
宙び
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断
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より、天理のスポ ツが
r天理スボーツJと呼稔.
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体宙学毎増段
ここに は じめて 、相手 も共 に喜び合 える試 合 が生 まれ るだ ろ う。誰 もが喜び、楽 しんで
毎 日を暮 らす ことを念願す る。“陽気 ぐらし"と、道 は一 つ だ とい うの だ。要す るに、あい て
を尊重 す る こ とだ ろ う。」(スポ ー ツニ ッポ ン、対談、真柱 に聞 く、1967年 8月 )、ス ポー ツ
で培 われ るものには 、陽気 ぐらしの道 につ なが るものがある信念 ・確信 を もつたの で した。
そ の確信 を教理 に結び つ けた の は 1949年か ら始 めた天理 教体育大会 です。 そ の前 に二代
真柱 が ス ポー ツ と教 理 との 関連 にかかわ る次 の語 りも知 っ ておいていただ きた い と思いま
す。 「…・
、柔道 と天理 教 との 間に、ある関連 、 一種 の メタフ ィ ジ ックな相 互 作用が あるの
で はな いか と、私 にそ の こ とについ て しば しば質問 した りします。 そ の よ うな時、そ んな
に もの は 、あ とか らくっつ ける話 です。今 は 、多 い に こ じつ けてお ります がね …・
、 と言 つ
て大 笑 い を した こ とがある」 (「大和」、1960年 3月 )
「
か しもの 日
か りもの」の身体 とスポ ー ツ
ス ポ ー ツを宗教活動 に 引きつ けて考 え、 ス ポー ツの価値 を導 いた と考 えます。全教 的な
規模 の天理教全 国体育大会 は、1949年 4月 に第 1回 目が開催 され ます 。 45歳 にな っ た 二代
か りもの としての身 体」 に言及 しま
真柱 は、そ の挨拶 の なかで、 ス ポー ツに結び つ けて 「
す。体育大会 がなぜ 教 内で行 われ るに至 ったか を 「
そ の一 つ は、健康 増 進 をはか る こ とで
あ り、今 ひ とつ は、老若男 女 が一 手 一 つ とな って 、和楽 と親 睦 を深 めることであ ります。
そ もそ もわれ われお互 いの身上 は、 日々い ろい ろ と御 守護 を頂 いて居 る ところであ ります
が 、我 々 は、身 上の健康 な時 には、此のか りもの を、何 とも思 わず に、無 理 に使 い勝 ちで
あ つて 、健康 な身上 をお与 え頂 いて居 る喜び を忘れ が ちで あ ります。」(原文 のママ)と述 べ
ます。以降、体育大会 では同様 な発言 を しています。
第 1回天理教金田体市大会を高松官由席のもとに開犠。
伸 隼虚、お3回田R体 青大会に自観を は,泰農RE手 田曇として◆加 )
物 1グうのを めての 身 体 Fこ旨浸y
か りものを立派に健わ して頂 く上か ら、瞬競な路気な気持ちを毒 う上か ら、
冬といわず、軍 といわず、おらゆ る季持 々々にふきわ しいような搬え方 を
以て、年々の身体 を向上 していく、 を 向上 していく手もお、路気 ぐら
中学
天理時報、紙面座障会
の
授、東申 ・
百ラグビーヨー才、青年会ら10名
動吉」
天短大敬
(水詠お監■・
1957年 開催 の第 9回 大会では、さらに明確 に 「
か りもの を立派に使わせて頂 く上か ら、
明朗な陽気な気持ちを養 う上か ら、冬 と言わず 、夏 と言 わず、あらゆる季節 々々にふ さわ
しいよ うな鍛 え方を以て、年 々の身体を向上 してい く、体位 を向上 してい くことも亦、陽
気 ぐらしの一つの道である」 と述べ ます。
スポー ツと宗教」(2006年 『
宮田 元氏は、 「
武道 と宗教』所収、体育学部編 ・発行)のな
かで、「
人間の原″
点に立ち返 るとき、心 と身体 の問題に行きつ く。親神様 か らの 『か しもの ・
か りもの』 としての身体を大切に使わせていただ くことは、身体 の働 きを十分活用 して使
わせていただ くことで あ り、いつ までも健康である用に使わせていただ くことで もある。
スポーツによつて身体を鍛 え、身体を動 かす ことによって明るい心にな り、活かされてい
る喜びの経験 を通 して 、究極 的な実在 を身近 に感 じることがで きるよ うにな るの は 、ある
意味 において 、 ス ポ ー ツ を通 して 、宗教 性、精神性 を高 めるこ とがで きる と考 え られ るの
である。・・・。 これ を積極 的 に教育 の場 に活 かす こ とに よって 、喜び と楽 しみ に満 ち溢れ
た明 るい真 の 平和世界 の実現 に向けての有為 な人材 に貢献 してい く ことがで きるの ではな
かろ うか とフ
思われ るので ある」 と述 べ ています。
天理 プー ル
も ともと天理 で盛 んなスポ ー ツは 、強化 して競技 をす るだ けでな く、各種 ス ポー ツ施設
をつ く り、 国内外 の一 流 の選手 を招 い て競技 を抜露 し、また全 国的な大会 を招致 す る、 さ
らに海外 の選手達 に場 を提供す るこ とを積極的 に して きま した。
1950年 8月 には 、天理 50m公 認 プール が完成 しています。教会本部前の本通 りをへ だ
てた場所 にあ り、現在 も使 われ て 、完成 直後 は 、第 2回 天理 教体 育大会 の夏期大会、高等
学校水泳大会 、 日米水上親 善競技大会等 が行 われ てい ます 。体育学部 の総合体育館 に屋 内
プ ール が完成す るまでは、体育学部 の水泳(プー′
L/1実
習 も夏期集 中授業 として 、 このプール
で実施 していま した。
1950年 8月 に天理 プ ール で 開催 された 「日米対 抗来県記念水泳大会」 につい て 、おや さ
と研 究所所長 時代 に天理 ス ポ ー ツ ・オ リン ピ ック研究室 を設 置 して 、 二 代真柱 がつ く りだ
した天理 ス ポー ツの継 承 のための研 究 を発信 した井 上 昭夫先生 は 、 中学生 の 頃 をふ り返 り
次 の よ うに書 き記 しています。 「
天理 中学 の私 もあの フジヤ マ の トビ ウオ といわれ た古橋広
毒何伊らみたデ=ル 構B
之進 の泳 ぎぶ りを 目の 当た りにみて、歓 声 をみ なであげたのを思い 出 します。」 (2007年 10
二代真柱様 と天理 ス ポー ツ」 の講演 )
月 27日 に道 友社 で 開催 され た 「
この よ うに子供達 のスポー ツヘ の興 味や 関心 を高 め、 一 流選手 を 目指す気持 ちを強 め さ
せ ま した。 そ の子供達 の気持 ちを受 け とめるため一 流 の指導者 を招 いてスポー ツ ・
運動 、運
動 クラブが天理 管 内教 育機 関をは じめ として設 け られ 、活発 な活動 を しています。 こ うし
た天理 で行 われ るス ポー ツは、いつ しか 「
天理 ス ポー ツ」とい う固有名詞 で呼称 され ます 。
「
天理 ス ポー ツ」 の 呼称 ・
用語 がい つ 頃 か ら使 われだ したかにつ い て も、 さま ざま調 べ て
み ま した。少 な くとも二代真柱 自身 が造語 し、使 われ た ので はない ことが二代真柱 の著作
や講話等 の記録誌 を検 索 して確認 で きま した。「
天理 ス ポー ツ」の活字 が 印刷 された初 出は、
1952年 1月 13日 号 「
天理時報」 の年頭座談会 と思 われ ます。誌 面座 談会 『天理 スポー ツの
動 き』 の見 出 しで使 われ ています。水泳部監督 ・天理短期大学 教授 、天理 中学 。高等学校
の ラグ ビー コー チ、青年会 の 10人 が誌 面座 談会 を しています。 見 出 しの 「
天理 スポ ー ツ」
につい ての説 明や意義 な どに触れ た もので はな く、座 談会 の 内容 か らは、天理 で行 われ て
い るス ポ ー ツ を総称 した意味 をもたせ て使 ってい る と思われ ます 。し か し、天理 のスポ ー
ツは 、 この 頃 か ら 「
天理 ス ポー ツ」 と呼称 され た と言 えます。
この 固有名詞 「
天理 ス ポー ツ」 には、 ス ポ ー ツ と結 び つ けた天理教 の 「
か しもの ・か り
一 手 一 つ カミ り込 まれ た 「
もの 」 「
」 折
陽気 ぐらし」 の希求、 この要素 を含有す る天理 のスポ
ー ツの性格 をあ らわす用語 ではないで しょ うか
。
1955年 に体育学部 が増設 され るまでに、天 理 で活 発 に展 開 され るス ポー ツは 、他 とは ど
こか違 う 「
天理 スポー ツ」 と呼ばれ る宗教的 ス ピ リッ トを含有 し、施設 を含 めた スポー ツ
環境 とスポー ツ普及発信力 を もち、わが国 のスポー ツ界 で大 きな存在 として 「
天理」カミあ
っ た 、そ うい う環境 下で体育学部 が設置 され た とい えます。
体 育学部設置 時の陣容
さて、体育学部 は、文部省 の指導 もあ り男女共学の学部 として、1955年 4月 に定員 網 人
の 1期 生 が入 学 します。
西 日本 では唯 一 の体育学部 で した。 また男 女共学 の体育学部 も全 国 で 3番 目で した。 98
人 の応募者 か ら選 抜 された 39人 の学 生 で始 ま つた体育学 部 は、初代学部長 に大谷武 一 氏
(1887∼1966)を迎 えます。大谷氏 は、当時 の 日本体 育学会会長 、1930年 に 日本体操連盟 の創
立 にかかわ り、1949年 には東京 教育大 の初代体育学部長 を努 め るな ど、大 正か ら昭和 にか
けてわが国を代表す る学校体育指導者 の第 一 人者 で した。 そ の大谷学部長 の も とに京 都武
道専門学校 の柔道指導者 な どの 陣容 を整 えています。
195S年以降、201算由月まで
の中韓生鶴破 :軌
384人
`ふる書と会亨―')
天理短 期大学保健体 育科増設 の 際、帯広 畜産大か ら天理 に赴 任 し体育学部 の 立
設 に関わ
る堤 処夫氏 は 、 「
着任 早 々案 内 され説 明 され た大 学体育館 の広大 さ、公 認 プー ル のす ば ら
しさ、柔道場 、テ ニ ス コー ト、ラグ ビー兼用 の一周 300mの 陸 上
競技場等 々 、余 りに も前任
一
校 との違 い に只 々驚 き、今 まで抱 えていた不安 は 蹴 され 将来 へ の希望 に
夢ふ くらした」(ふ
るさと会報 、第 38号 )と短大保健体 育科赴任 時 の 印象 を記 してい ます。体育
学部設置以 前 か
らス ポー ツ施設 が整 っ ていた ことが伺 える記述 です。 開設 当時に関わ る教
員 は 、大谷武 一
をは じめ、谷 田憲 二 郎、西 山実機 、佐 々木茂、堤処 夫、松本 安 一 、宮崎美
智恵、宮畑 虎彦 、
本 問茂雄 、栗原 民雄 、吉松義彦 、湖井岡J一、細 谷文男 、橋本元 らと記 されていま
す。
1955年 4月 に天理 大学 に入 学 した学生 は、352人 で あ り、体育学部 が の
そ 1割 を 占めて
い ます 。 当初 40人 の入 学定員 は 、1965年 に 80人 定員 へ 1974年
、
には 120人 定員 、1992年
には武道 、ス ポー ッ、健康 の 3つ の コー ス制 を取 り入れ、入学定員 は 120名
(学則上 )です が 、
付則 で 臨時定員増 を加 えた 220人 定員 (∼1999年 )と してい ます。2000年 度 か らは
毎年 10人
ず つ 臨時定員 を減 じるなかで 、2004年 に 170人 定員 に戻 します。2010年 には
、全学的 な学
部改組 の なかで 200人 定員 とな り、定員増 にあわせ 、3コ ー ス に教 育 とell造を くわ えた 5コ
ー ス制 に して
現在 につづ い ています。
1995年 以降、2015年 3月 までに体育学部 を卒 業生 した総数 は
、短期大学保健 体育科 卒業
生 66人 、体育学 部生 が 8,384人とな りま した。
一
体育学部 の歴史 をつ く り伝統 を守 り、 学部 を束ね る舵 取 り役 の学部長 は 、初代 の大谷武
学部長 を始 め、 1期 2年 任期 とす る と、2015年 5月 の段階までに 18人 の学部長 が めて
務
い ます。 現在 (2015年度 )の大 田雅夫 学部長 は 、 18人 目、 31代 とな
第
ります。
この機会 に歴 代 の学部長 (氏名 と期 間)の一 覧 を作成 し資料 として示 してお
きた い と思い
ます (フォ ー ラム発表後 、ホ ッケー 部創部 60周 年 を記 念 して 「
天理大 学 ホ ッケー 部 60年 史」
を編集 中 の恩 田昌史先生か ら、い くつ かの有益 なア ドバ イ ス を
い ただ きま した。 それ をもとに再度資 料 を調 べ 直 して作成 してい ます
)。
2年
聞
任
期
4tttと
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格
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暫
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対
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10
体育学部のキャンバスと施設の推移
次 に、体育学部 のキャンパ ス と主要な施設について も触れま しょう。
てヨH瞭
″ H-4-み
領
体育学部 は、文学部、外 国語学部 がある和 之内の天理 大学構 内に開設 され ま したが 、教
室 は、天理 プール のス タン ド下(裏)に位 置す る 2部 屋 で授業 が され ま した。天理 プ ール は当
時、国際試 合 が行 われ るほ どの施 設 、50m 9レ ー ンの競泳用 と飛び込み用 のプール をもつ
もの で した。水泳以外 の実技 は和 之内に移動 して行 われ ていま した。 当時、和 之内 グラン
ドは 300mの トラ ックをもち、体育館 はわが 国 では学校体育館 として最大 であ り、バ レー ボ
ー ル コー トが 3面 とれ
、体操競技 の 国際試合会場 に も利用 され ていま した。
毎授 業 ご との移動 は、移動距離 こそ違 い ます が 、現在 の体育学部 と同様 だった よ うです。
1963年か らは、詰所移転 に ともない現在 の 田井庄 で一 部 の授業 が行 われ始 め、 1964年 4
月 には、全面的に 日井庄校 舎 ・キ ャ ンパ ス に体育学部 は移転 しま した。 この年す ぐに体育
学部体育館 が完成 し、翌年 の 1965年 には体育学部 グラン ドが 、 1967年 には現在 の 6号 棟 、
体育学部本館 が完成 しま した。現在 の柔 ・剣道場 を もつ 武道館 は、 1978年 に完成 していま
す。 1964年 以降、現在 に至 るまで体育学部 は、 日井庄 キ ャ ンパ ス を拠点 に しています。 こ
の 間 には 、 1992年 の大学改革時 に移転 して 、体育学部 ・ス ポー ツ科 学科 と健 康科学科 の 2
学科改組 にす る計画で したが 、断念 し、 これ を機会 に現在 の 7号 棟 がで き、 またlHl之
内に
は、入 学式や卒業式 に も利用す る第 1体 育館 が完成 しま した。 室 内 の温水 プ ール を備 えた
総合体育館 は、2005年 に体育学部 キ ャ ンパ ス(田井庄 )に完成 して 、水泳 、室 内実技援業や 課
外活動で大 い に活用 され ています。
天理スポ ー ツの開花 、オ リン ピ ックヘ の 関わ り
総合体育館正面玄 関 の フロア には 、国際試合や オ リン ピ ック大会 での金 と銅 メグル 、そ
して大 小 の柔道着 がガ ラス ケ ー ス に収 め られ ています。本学体 育学部 出身者 の もの であ り
創 設者 、 二代真柱 が培 つたスポー ッ天理 ス ポー ツが 開花 した成果 の 一 つ を展示 した もので
す。 メグル は 、天理大学体育学部 に指導者 として残 り、教鞭 と柔道部 の指導 を担 う細川伸
二 教授 と正 木嘉美教授 の ものです。
1968年 か ら2004年 までの 36年 間 のオ リンピ ックを概観 します と、 柔道 だ けでな くホ ッ
ー
ケ 、水泳 、サ ッカ ー(女子 )やアー チ ェ リー な ど多彩 な種 目で本 学関係者 がオ リン ピ ック大
会 に 出場 しています。選手 としてではな く、指導者 も含 め る と、2008年 の北京 オ リンピ ッ
クでは 20人 が 関 わ り、2012年 の ロン ドンオ リンピ ックでは 15人 がオ リンピ ックに関わ っ
ています。 2012年 の オ リン ピ ックに出場 した穴井隆将氏 は 、本学部 出身 です が 、奈 良教育
大学 ・大学 院修 士課柱 を終 えて 、細川 ・
正 木 の 両氏 につづ く天理柔道 の指導者 、継承者 とし
て 、2014年 4月 か ら体 育学部教員 (現 :講 師)と して戻 つて きて い ます。
天理 の 国際的 ス ポ ー ツ大会 へ の 関わ りは、体育 学部 に限 られた もの はあ りませ んが 、創
設者 が 育み、培 っ た ス ポ ー ツ拠点 の天理 スポー ツの成果 であ り、 ス ポー ツ普及 ・支援 へ の
国際的な貢献度 として も大 きい もの です 。
・・第16ロオリンビッタ持 シヨンティ)● ホッケー、8田 B史 氏日本代章
1988(S付)・
10'2tS47j・・・
第20ロオリ:た!ックロ出て
革 ンヘン) ●
兵出、AB土 氏aメ ダル
13■651)。 ・・
寄21回オリズ ックロ世(モントリオール)● ネ泳、山中理貴子最丑出お
198駅SSS)… ・
第22回オリンピック(モスクワ)日 本ポイコット
19HG59j・ ・・
第23ロオリガ ック(■サンゼルス)
二 金メタル
●韓減と水泳 :中■,町 景と出母、何,1'い
1381S83j・ ・・
欝248オ リ:え『
ックロ住υ ウル)● 素出:領"1常二 宮メダル
1032Ct O)・ …打25Eオ リンピッタ田 出″tル七日"
●
ホ林 :元】●景込出培
1998帆 8)・ …野28Bオ リンピックロ機(アトラン')● 轟出 :野村虫虫・
金翼rル.
水殊:田申ほ手シカ ロで団体aメ デル.元■●お抑 、安手"卜
卸HttLl分 Ⅲ…第27ロオリンピッタロ郎 ンドニー〕
疑お :野村息宏 ・
金メタル、横暉■― ・
縄メタル
却uttLiO・ …曽28Bオ リンピックロは`アテわ 象 減 :野村とな ・
食メゴル
Aラ リンピッタ伊予ネ)7-チ エリー:中西 務 ・
団距
北京オリンピック(2008年
)
ホッケー女手テームの■■、ヨーチ、』宇
最とのヨーチ、RR
へお ヨテ〕
シンクロ・
中日代表チーム、井村4tti静 いン膨 ・
パラリンピックにアfェ リー、中西 字 ・
何人位
天理大学日傑釈 卒象生台む)鶴政203が ●加 ・
貫ほ.
温主 として、柔通 :穴井 陰将、ホッケーで6名。
20124F
コ ン ドンオ リンピック
ヘの選手等の流通
監督 、ヨーチ、毒判等として、柔道、ホッケー 、サッカーで合わせ 5名 。
パラリンピックで 4名
意味としての 「
天理スポー ツ」の形成 と確立
ここで改 めて天理 とスポー ツ、 「
天理 スポー ツ」 と現在 に引き継 がれ る天理 のスポーツ振
12
興 の展 開 と現状 につい て触れ ます。 「
天理 ス ポ ー ツ」 の用語 は 、創設者 自身が使 い は じめた
の ではな く、1952年の天理時報 1月 の特集 であ る こ とは 、す でに紹介 しま した。
天理 とス ポー ツ、天理 のスポ ー ツか ら、 「
天理 スポー ツ」 へ の共通認識形成 が確認 で きた
と考 え られたのは 1975年です。
この年 は 、海外 で天理 教 を紹介す る展 覧会 が ドイ ツ ・マ ール ブル クで開催 され ま した。
天理 とマ ール ブル クは 、 1950年代 か ら交流 をもつてい ます。 1975年にマ ール ブル ク大 学 中
央 図書館 で 開催 された 「
天理教展覧会 」 は 、企 画 と提 案 はマ ール ブル ク側 か ら持 ちかけ ら
れ た もので した。天理 では教会本部、海外部 を中心に天理 大学、天理 図書館 、参考館 が組
織 と人が あげて展 覧会準備 に 関 わ り、教祖 90年 年祭活動 の 一 つ として行 われ ま した。 この
スポー ッ」 コー ナ ー が設 け、天理 のスポー ツの紹介 ・解説 が され ています。
展覧会 で 「
1952年は ,つ 天理時報(1,13号
),
年始座掛会 「
天理スポーツの動きJを相8
1967年tS.42)観 畿者中山正善二代翼柱の死去(出直し)
1975年て
盟め 『
天理改風受会J年 一ルプル幼
スポーツコーナーを出置
1984年(S車)掛 ■天理田書出 rぉヵちとぇポ_ッ EJ開 催
「
天理スポーツ」とは』
く
).
1即却比3)「天理スポーツー躍動の足跡― 』
を表現敬出友社樹として発行。
パ ネ ル には、 「
か しも り 。か りもの」 の教理 、 「
めへ めへ のみ の うち よ りのか りもの を し
らず にい てハ なに もわか らん」(おふ で さきIII,137)が
天理教 の教 えに よれ ば、身
紹介 され 、「
体 とい うもの は神 か ら人 間に貸 し与 え られ た もの にす ぎな い。 したがって 、 この身体 は、
か りもの として、 と りわけ大 切 に扱 わなけれ ばな らな い。 こ うした上か ら、 二 代真柱 は 、
天理教 に とって ス ポー ツが持 つ 重要 な意義 を導 き出 され 、体育振興 上 の企 画 を大 い に奨励
され た。」 と記 され 、 二代真柱 が天理 教 全 国体育大会 でのあい さつ が紹介 され ています。 こ
の紹介文 の 内容 が天理 とスポ ー ツ との 関連 づ けをあ らわす天理 の公式 的な見解 と思 い ます 。
13
1984年 には、附属天理 図書館 で 「
おみ ち とス ポー ツ展 」が催 され ま した(ビブ リア No.83)。
天理 図書館 は、 さま ざまな企 画展 を開催 しています が 、 ス ポー ツに 関連 しては 1984年 に唯
一 と りあげ
られ ま した。この企画展 では、天理 ス ポー ツが始 め られ た意義 をは じめ として 、
二代真柱 が力 を入れ た柔道 、 ラグ ビー 、水泳 、 さらに新 し く活躍 め ざま しいホ ッヶ ―
、野
球 を コー ナ ー に写真 と二 代真柱 が使 っ たシ ュー ズや 柔道着 な どが展示 され ま した。
展示会後 の天理時報 (1994.4.29)に
は 、特集 「
天理 ス ポー ツの伝 統根 づ く」 の タイ トル 、 リ
ー ド文 には 「天理 ス ポー ツ
『
』 と言 われ るよ うに、本教 では とくにス ポー ツが盛 んだ。本教
では 、 ス ポー ツは単 に健 康 のた めあるいは競争す るために行 うので はな く、生か されてい
るこ とを感謝 し、 か りものであ る身体 をきたえる とい う教理 に基づ い て い る。・・」 と書 か
れ、天理 教体育大会 のポス ター 、 1924年 に極東 オ リン ピ ックで優 勝 した天理 高等女子学校
庭球部員 の藤本 人重子 選手 を囲む祝賀 時 の写真や 資料類 が紹介 され ています。
1991年 には 、天理道友社 が 「
天理 ス ポ ー ツ ー躍進 の足跡 一」 を刊行 します。巻頭文 には
「この本 は、『
天理 ス ポー ツ』 と言 い 習 わ され てい るこの地 で行 われ るス ポー ツの歴 史や活
躍 の跡 をた ど り、勝敗 のみ な らず 、それ を超 えた人間性 に根 ざす考 え方 ― 『陽気 ぐらし』
とス ポー ツのかか わ りを掘 り起 こそ うとす るもの であ る。」 と書 かれ 、写真や年表等 も含 め
天理 で盛 んなスポー ツ を紹 介 しています。 一度 は 目を通 していただ きた い もの です。 これ
は現在 で も購入 で きます 。
2000年 前後 以降の 「
天理スポ ー ツ」の展 開 と継承の営み
2000年 代 に入 つ てか らの継 承 は、積極 的取 り組 み として展 開 され ます 。 おや さと研 究所
こ「
ヤ
天理 ス ポ ー ツ ・
ォ リンピ ック研 究室」 (1999年)が設置 され ます。 二代真柱 が 育 んだ ス ポ
ー ツの意味 をそ のス ピ
リッ トを含 め論究 し、記録 として残 し、そ して継承 ・普及す る 「
天
理 ス ポー ツ ・
ギ ャラ リー展」が 2000年 か ら 2010迄 に 8回 にわたって 開催 され ま した。
この研 究室 は、2012年 4月 か ら体 育学部 に 引 き継 がれ ま した。 専任 ス タ ッフこそ配 置 さ
れ ていませ んが 、6号 棟 4階 の小部屋 を 「
天理 ス ポー ツ ・
ォ リンピ ック共 同研 究室」 として
配置 してい ます 。 体育学部 において創設者 、 二 代真柱 が 育 んだ ス ポ ー ツ、 「
天理 ス ポ ー ツ」
を構 築す る役 目を持 たせ よ うと考 えています。 このた めには、おや さと研究 所 「
天理 ス ポ
ー ツ ・オ リン ピ ック研
究室」 をつ くった井 上 昭夫所長 が次 に述 べ る項 目を指針 にす る必要
が ある と思 つています。
井 上 所長 は、 二代真柱 とス ポ ー ツ との 関係 を考 える力″
点として 、① 「
真柱 とス ポー ツ と
の 関わ りを幼少 時代 か ら自叙伝 的 に説 明す る」、② 「
真柱 のス ポー ツ運動 とその 国際的、社
会 的、教育的貢献度 を紹 介す る」、③ 「
真柱 のスポー ツ伝道 に示 され た信仰 的 ・宗教 的意味
世界 を読み 取 る」、④ 「
真柱 のスポ ー ツ関係者 との さま ざまな人 間的 エ ピソー ドを物 語 る」、
⑤ 「
真柱 のス ポー ツ運動 の独 自性 を 日本 ス ポー ツ史 の なかに位 置 づ ける」、⑥ 「
真柱 のスポ
ー ツ促進運動 の なかに
暗示 され てい る普遍 的思想 を探求す る」、そ して⑦ 「
真柱 のスポー ツ
精ネ
申を如何 な る 目標 を もつて 引き継 ぐかを考 える」 こ とを項 目に挙 げて い ます 。
14
天理 ス ポー ツ 。ォ リンピ ック研究室 を引き継 い だ体育学部 は 、⑤⑥⑦ の課題 を私 た ちに
託 され た ミッシ ョン として受 け とめたい と思 っ て い ます 。体育学部 では 、 この研 究室が体
育学部 に移 した こ とを記念 して 、天理 ス ポー ツに関わ る研 究会 「
天理 ス ポ ー ツの継 承 と発
展」 のテ ー マ で 毎月開催 しま した。 そ の記録 は 、 テ ー プ起 こ しを して 、今 、編集 中です の
で近 い うちに読み物 として 目に していた だ ける ことで しょ う。
法人 を含 めた大 学 の組織 的取 り組 み にお い ては 、 ス ポー ツ振興 の様 々 な制度や 組織 、教
育課程 へ の反 映が とられ ます。
2002年 には、学校法人 として強化す る重″
点競技種 目を定 めま した。 これ は、現在 の理事
長 、安野嘉彦氏が理 事 に就任 した ことが契機 にな ります 。柔道 、 ホ ッケ ー 、 ラク ビー 、野
球 の 4種 目です 。そ の翌年 (2003年)には 、この重点 4種 目を対象 に した競技選手確保 の ため
「
天理 ス ポー ツ推薦 」選抜 の入試 が導入 され 、体育学部以外 の 学部 に もア ス リー ト学生 の
入学 を促進 す るこ とにな りま した。 2010年 か らは、4種 目以外 も含 めて 、 ほぼす べ ての競
技種 目の 学生 を全学 部 で受 け とめる 「
天理 アス リー ト選抜 (推薦 )」に発展 します。
天理 ス ポー ツ推薦 と天理 ア ス リー ト選抜 で入 学 したアス リー ト系学生 の述 べ 総数 は、 13
年 間で 1,362人です。体育学部以外 は、 この うち 1,108人です。 2015年 4月 1日 時点 の 1∼
4年 次 の在籍 学生数 は 、3,141人。体育学部生 876人 とア ス リー ト選抜入試 を経 て在 籍す る
他 学部生 を合 わせ る と 1,263人です。 この数値 だ けで も全体 の 4割 を 占めます が 、ア ス リー
ト選抜 を経 な いで入学 して運動部活動 に参加 してい る数 を考慮 す る と、天理大 学 がスポー
ツに熱 心 な大学であ るこ とは確 かで あ り、外 部 か らもス ポー ツの天理大 学 とみ られ 、 ス ポ
ー ツ好 きな子供達や生
徒達 に とっては、魅力 とあ こがれ の天理大学 にな る可能性 を もつ て
い ます。
体育学部の教 育課程 へ の 「
天理スポ ー ツ」の組み込み
へ の反映 も多 々 あ ります。体育学部では 、2003年 に専門授業科 目 「
教育rjR程
天理 ス ポー
ツ学」 を設 置 しま した。 1年 次 生 の必 須科 目(全学開放科 目)と して、体育学部入学生 は必ず
受話 しなけれ ばな らな い科 目として い ます。 そ の授 業 では 、天理 とス ポ ー ツ との 関連 、天
理 ス ポー ツの意 味や 主 要競技種 目に関わ る歴 史 と現状等 につい ての授業 を開講 しています。
2015年 度 の授業 内容 は、略J設者 とス ポー ツ、天理 のスポー ツ発展小史」、 「
天理 ス ポー ツ
ヘ の展開、そ して継承 の歴 史」、 「
天理大学 体育学部設置 とその 時代背景」、 「
天理水泳 の変
ー
「
ー
遷」、 西 山実幾 :日 本 ス キ 教程 とのかかわ り」、 「
西 山実幾 :ス キ と教育」、 「
中山正善
天理 教 二 代真柱 と天理 柔道 ・オ リン ピ ックにつ い て」、 「
松本安 市 と天理 柔道 の発展」、 「日
本的身体論 につい て」、「
天理教教 義 にお ける心身観 とス ポー ツ」、「
天理 ス ポ ー ツ(ラク ビー )」
「
天理 ス ポ ー ツ(野球)」のテ ー マ で 7人 が担 当 します。
15
棚
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2005年 には 、創設者 、 二代真柱 の生誕 100年 を期 に 之内キ ンパ ス
和
ャ
内に創設者記念 館
ー
が 開館 しま した。そ こに 「
ー
ー
ス
コ
天理 ポ ッ」
ナ が設 け られ 、天理 とス ポー ッ との歴 史、
倉J設者 が愛用 してい たバ ッ トな どが展示 され ることに な りま した
。天理 のス ポ ー ツ を観 る
こ とがで きます。 この創設者記念 館 の天理 ス ポー ツ コー ナ ー
は 、一 度 と言 わず機会 ある毎
に観 ていた だ きた い もの です。
体育学部 の 国際化 の一 端 につ い て も触れ てお きます 。天理大 学 は
、海外 の大 学 と数 多 く
学術交流 協定 を締 結 してい ます。 そ こに体育学部 を もつ 大 学 は少 な
くあ りませ んが 、体育
大 学 との初 めての協定 を体育 学部主 導 で 2010年 に締結 しま した
。体育学 部 の 中谷敏 昭教授
を介 して 打診 が あ り、推進 され ま した。 ェ リー トス ポー ッ育成 のた めに
韓 国唯 一 の 国立 総
合体育大 学校 として設 立 され た韓 国体育大 学校 との協定締結 です。体育
念 して韓 国体育大 学校 の教育 ・
研 究 の現状、 日本 と韓 国 にお ける近
学部 は 、 これ を記
代 ス ポ ー ツ政策 とス ポー
ツ行政 の歴史 と実 際 を特別 講演 と両大学教員 によ るフォー ム
ラ として
開催 しま した。
また 、 これ まで細川伸 二教授 ・正 木嘉美 教授 と天理 柔道会 が 心
中 とな り、受 けて運 営 し
て きた武道 館 での 「フ ラ ンス柔道指導者研 修会」 につ い て
も、2013年 度 か らは体育学部共
催 とい う形 で進 めています。授業 へ の反映では 、2010年 か らの 「
国際 ス ポ ー ツ交流実 習」(国
2013年度→2015年度 :海外派地学生研俸引度にスポーッ派遣
何度を殴け、→ 海外研俸塾金理
俸制度(ふるさと会)
謝奨震ダ
:スポ ツ 里海外インターラジップ制度とフリブー,レ
で
2013年 度 :教職採用支 援室の開敵 :
体育学部0■会〈
仙友会)によると学
・ の活動、毎週 1回
(こ
学?相 騨 事揮
れまでも面機指導を毎年産業
16
際学部共通科 目 ・全学開放)があ ります。国際学部 と体育学部 と協力 ・
連携 して企画 ・
運営 し
ー
てお り、言語教育研究センタ と体育学部の教員によって協定校がある ドイツのマールブ
ル クを拠点に して、ケル ン体育大学にも訪 問 してスポー ッ交流 ・交歓が毎
年行われていま
す。 これには多 くの体育学部生が参加 しています。 この実習を契機 にマールブル クの地域
スポー ツクラブにスポー ツ留学す る者 も生まれ 、体育学部のナ ッカー ホ
、 ッヶ―の学生達
が現地で選手 として技術 ・技能を高め、また ドイツ語を磨 いています。
-3-t P4,・
・‐ルゴル…
翻
また 2013年 か らは、単位科 目 「
海外イ ン ター ンシ ップ」 に 「
ス ポ ー ツ型イ ン ター ンシ ッ
プ 」 カミ
追力日され ま した。細川伸 二教授 の尽 力 で 、ド イ ツ ・ミュンヘ ン、 スイ ス ・フ リブ ー
ル の 2つ の柔道 クラブ とイ ン ター ンシ ップ受 け入れ の覚 え書 きを交 わ しま した フ
。 リブ ー
ル では、 日本語 も達者 な スイ ス柔道 チ ャ ンピ ョン、グ ビ ッ ト・
パ ポ ゥ氏
ー
(フ リブ ル 大学 ・大
学院在学 中)と連携 して 、柔道、剣道 、バ ス ケ ッ トの学生達 に よるイ ン ター ンシ ップが毎 年 、
継続 して行 われ ています。
2013年 には、ふ るさと会 (同窓会 )、海外派遣学生研修制度 は、そ の なか にス ポ ー ツ派遣制
度 を設 けま した。 2015年 には、それ を海外研修基金 ・海外研修制度 として 、毎年、国際的
な大会 等 に学生 を派遣 す る研修 制度 として整 え られ ま した。
この よ うに体育学部 の 国際化 を促進 す る取 り組 み が 20∞ 年 以降活発 に行 われ 、海外 で
学
び 、交流す るだ けでな く、 ス ポー ツ をキャ リアにつ なげる海外 での 「
道 」 も整備 され てい
ます。
保健体育指導者 の養成 は 、そ の基本 となる教員養成 に力 をと い できま したが 、2013年 度
か らは さらに体制 を整 えま した。体育学部 の 同窓会 ・和友会 (せん ゆ うか い 協力 の もとに
)の
教員経験 の あ る卒業生 が 中心 とな り 「
教職採用支援室 」 を開設 したのです。体育学部 6号
棟 2階 の小教室 を専用室 として 、毎週 1回 、受験相 談や採用試験面接指導 な どを含 めた活
動 を始 めています。
17
天理大 学体育 学部の 保健体育 科教 員養成
天理大 学体育 学部 が教員養 成 に どの よ うに関わっ
てい るかにつ い て述 べ ま し ょ う。 平成
26年 (2014年度 )の学校基本 調査 をみ る と
、全 国に 782の 大 学 が あ ります。 そ の うち体
育学
部 を もつ の は 12大 学です。 その在 籍学生総数 は 22打
64人 とな ります。 この 2万 余 の学生
、
の大 半、21,696人が私立大 学生です。
学校基本田度 平成26年度T t
卸
謂鋪艦糖鑑晶H的
えイタスrダち私立 2r,伊ぁり
ス下―ツ・
健席《
科)学部 7,437人
人
i:的
告
辮 f旨
健盛 ,スポーッ科学問 734人
児■スポーッ学部 415人
スポーツA田
3● 1人
・ ・
…………Ⅲ計19,■
6人
)
曇手挙ぷ立:iす
東
体育学 部 の名称以 外 、ス ポー ッ ・健康科 学部、ス ポー ッ
科 学部、児童 ス ポー ッ学部 な ど、
ス ポ ー ツ、健康運 動、保健 体育 に
関わ る人 材養成 は、 さま ざまな学部名称 が あ ります。 ス
ー
・
ポ ツ 運動 が もつ 多様 な価 値 が社会 で求 め られ
るよ うになってい ます。
会目林育ス
ッ系大学協機会
資将
督吾
留話編斎
【 242%
2ユp%
討盛 如
転
天理大 学 は体育学 部 の名称 に こだ わ り、876人
(2015年4月 の在 籍者数 )は、全 国か らみれ
ば ご くわずか な割 合 です が 、これ まで培 われ て きた
保健体 育教育 とス ポ ー ッの拠″
点「
天理 」
とい う恵 まれ た環境 で 学び、能力 の高 い指導者 を
数 多 く輩 出 して きま した。実際、天理 大
学 出身者 へ の外部評 価 は高 く、多 くの種 目で実 技指 の
導 技能 ・能力 が 高 い と聞か され ます。
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体育学部 を有す る全 国 12大 学 を含む 32校 で構 成す る 「
全 国体育 ス ポ ー ツ系大学協議会 」
資料 (平成 26年 度 、2014年 度 )には 、加盟校 9,130人の卒業生 の うち、教 員 は 2害Jであるこ
とが示 され ています。
しか し、天理大学体育 学部 は、213人 の卒業生 の 76人 、卒業生 の 42.2%が教員 に い て
就
い ます (非常勤 を含 む)。また 、就職者 の なかで教職就職者 だ けでな く、卒業生の
教職希望者
は 、32大 学 の なかで最 も多 くな っ ています。全 国 の体育系大学のなかで も教職 に び つ
結
き
の 強 い天理大 学体育学部です。
2014年 4月 各都道府 県、政令指定都 市 の教育委員会 か らの 回答 (回答 があった ものの
み)
を集計 した ところ、本 学 の卒業生 は全 国で ち ょ うど 100名 が 専任教員 として新 たなスター
トを切 つ ています。
ス ポ ー ツの 多様 な価値 をひ きだ し発揮す る人材 養成 を
今 、 ス ポ ー ツ を取 り巻 く環境 は 、大 き く変 わって きて い ます 、2011年 にス ポー ツ基本法
が成 立 して 、 ス ポ ー ツ を文 化 として み な し、 ス ポー ッが あ らゆるす べ ての人 に とっての
も
の である とい う理念 とその実現 を国の 責任 として 明記 され るに至 りま した ス ポー ツが
。
持
つ 多様 な価 値 を社会 が求 めています。 それ 価値 を発 揮 させ る教育 と担い 手 とな る人
材 を必
要 としてい るの です。
2011年、ス ポー ッ基本法が成立
轍 鱗 鋸鮮 筋 品 数
目通機会は、1896年第1回近代オリンピック大会の間会式の日にあたも
4月6日を「
開発と平和のためのスポーッ国際デー
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また 国連 は 、2005年 を 「
ス ポー ツ と体 育 の 国際年」 と定 め、教育、健康 、開発 と平和促
進 の上でス ポー ッ と体育が重要な役割 を果 たす ことを周知 し、また理 解 を深 める取 り組 み
をは じめま した。2014年 か らは、毎年 4月 6日 を 「
開発 と平和 のた めの ス ポー ツ 国際デ ー 」
と定 めま した。ス ポー ッ を文化 として社会 で根 づ かせ 、活用す ることが求 め られ ています。
今年 、大学院体育学研 究科 が設置 され た体育学研 究科 は、そ うした社会 の動 きに積極 的 に
答 えたい と思 っ ています。
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終わ りに
最後 にま とめたい と思います。天理 のス ポー ツ を語 る際 に、決 して忘 れ てはな らな い こ
とは 、天理 のス ポ ー ツは 、体育学部 だ けが担 っ てつ く りあげて きた もので はない ことです。
二代真柱 が育 んだ ス ポ ー ツは 、天理教 の教理 、そ のスポー ツが 「
においが け」 に貢献す
るものだ として 、天理 の あ らゆる領域 の部 門 と人 々 に よって意味 づ け され 、 ス ポー ツ環境
の充実 が進 め られ 、支 え られ て育 まれ 、 「
天理 ス ポー ツ」 の名 の も とに発展 し、 さらに展
開 させ よ うとして い るこ と、それ を謙虚 さも含 め、事実 として考 える必 要 が あ ります 。
それ を踏 まえ、2010年 の大学改革 で 改 め られ た体育学部 の教育研 究上 の創設者 の思 いが
含有 され る 目的(現在 につづ く)、これ を今 後 の教育 ・
研 究 に携 わ る私 た ちがかみ しめ、 自覚
す るために掲載 して最後 に したい と思います。
『「
陽気 ぐらし」世界 の建設 に寄与せ ん とす る建 学 の精神 を具 現化す るために、 「
他者
へ の献身」 の精神 を涵養 し、身体 につ い ての科
学的な認識 を深 める と共 に、国際的な視野
ー
に立 っ て ス ポ ツの意義や可能性 を探究 す るこ とを教育研 究上 の 目的 とし、以下 の よ うな
人材 を育成 す る。 ① ス ポー ツにお ける高度 な競技能力 ・指導能力 を有す る人 材。②子供
達 へ の深 い理 解 を持 った教育能力 の高 い 学校体育教 員。③ ス ポー ツの新 たな可 能性 を追求
し、 ス ポ ー ツ文化 の創 造 に寄与で きる人材 。④人 々 の健康 の維 持 ・
増 進 に貢献 で きる人材。
⑤ 日本 の伝統文化 であ る武道 を正 し く継承 し、世界 に発 信 で きる人材 。』
(本文は、2015年 4月 25日 に発表 した PPTを もとに した講演 を、資料 としても活用す るため
にデー タの確認 を改めて行 い、修正 を施 し、追加等で内容 を膨 らませています。)
主な参考 文献
文章及び図表 で 出典 を示 した もの以外 で 、参考 に した主な書籍 、資料 を参 考文献 として
示 します。
体育学部 同窓会編 (1986年 3月 )、体育学部創 立 30周 年記念会報告書 、天理大学体育学 部
(体育学部創立 30年 に記念式 とともに体育学部同窓会が発足 、第 1回 総会 が行われ、その
報告冊子 として発行 されたもの。)
天理大学 編 (1995年4月 )、天理大 学 にお ける真柱訓話 集 (抄)、天理大 学 ・
天理 時報社。
(天理大学創 立 70周 年 を記念 し、大学に関わる二代真柱 の罰‖
話 を掲載 してい るもの。)
ふ る さ と会 編 ( 1 9 9 7 年 1 1 月 ) 、ふ る さ と会報 二 代真 柱 様 3 0 年 祭 特別 号 、 ふ る さ と会 刊
二代真柱様 と天理 ス ポー ツ」 の項 が設 け られ ています。 )
( 特別 号 として 、そ の なかで 「
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