和 菓子 のススメ は、含まれる水分量によって、次の ように分類することができます。 生菓子/練り切り・大福・まんじゅ ようかん う・団子・羊羹など か 半生菓子/もなか・鹿の子など らくがん 干菓子/落雁・あられ・煎餅など 和菓子の種類や分類は、その変遷 や地域、用途などにより、数え切れ ないほど豊富にあります。一般的に その多くが植物性であり、洋菓子に 多く含まれる油脂の使用が少ないと さ れ て い ま す。 こ れ は、 古 く か ら 変 わることのない、和菓子の特徴です。 和 菓 子 の 主 原 料 は、 米 や 小 麦 な ど あん の穀類、小豆や大豆など餡の材料と なる豆類、砂糖などが挙げられます。 豊富な種類とその特徴 きました。現在は、明治以降新たに 日 本 に 入 っ て き た 洋 風 菓 子 を「 洋 菓 子 」、 そ れ ま で の 日 本 の 伝 統 菓 子 を 「和菓子」と呼んでいます。 外国からの菓子文化の影響を受け 吸 収 し な が ら も、 日 本 独 自 の 発 展 を 遂げた食文化が「和菓子」なのです。 心和らぐ島田の和菓子を味わう 「 和 食( 日 本 人 の 伝 統 的 な 食 文 化 )」 が、平成 年にユネスコ無形文化遺 産として登録されて以来、日本の食 文化に対する世界の関心が集まって います。そこで今回は、和食のひと つである「和菓子」に注目。島田市 に ゆ か り の 深 い 和 菓 子 を「 知 っ て 」 「食べて」、心もお腹も満たしてみま せんか。 「和菓子」の歴史 「 菓 子 」 と は 古 来、 果 物 や 木 の 実 を指す言葉でした。そこに、奈良 ・ とう 平安時代に中国から伝わった「唐菓 子」により、加工・調理技術が加わ る と、 り ま す。 安 土 桃 ・ 山時代にな こんぺいとう ポルトガル・スペインから金平糖や なんばん カ ス テ ラ の 原 型 と な る「 南 蛮 菓 子 」 が渡来。卵や砂糖を使用した、甘い 菓 子 が 作 ら れ る よ う に な り ま し た。 江 戸 時 代 初 め に は、 京 都 を 中 心 に 上 流 階 級 向 け の「 京 菓 子 」、 江 戸 を 中 心 に 武 家 や 庶 民 向 け の「 江 戸 菓 子 」 が 発 展 し、 和 菓 子 の 形 を 整 え て い Shimada 2016-10 3 25 まんじゅう 6,000 低迷する和菓子需要 菓子嗜好の変化 − 現代の若者の声を聞く う こ し 料理男子 滝 さ ん と 深 沢 さ ん も「 和 菓 子 は 好 き だ け ど、 和 菓 子 屋 ふかざわたつひろ 約5分の1程度となっていま す。和菓子は、年齢が高い世 深沢達博さん ケーキ 10,000 (円) 8,000 に聞きました 滝颯斗さん しょうせい たき は や と 菓子需要の変化 2,000 さんに行くことはない」と 続 き ま す。 和 菓 子 の イ メ ー ジを聞くと、3人からは「伝 統 的 な お 菓 子 」「 茶( 抹 茶 ) に 合 う お 菓 子 」「 洋 菓 子 よ り 繊 細 」 と の 答 え。 購 買 環 境 の 変 化 に 加 え て、 和 菓 子 や 和菓子屋の伝統を感じるこ と で、 敷 居 を 高 く 感 じ て し まうのかもしれません。 3 人 は「 お い し い 和 菓 子 屋さんの情報があれば、行っ て み た い 」 と も。 流 行 に 敏 感 な 高 校 生 は、 お い し い 情 報には心が動かされるよう です。 わ だ ひでのり 島 田 樟 誠 高 校 に は、 料 理 好きな男子が集まる「調理部」 があります。クッキーやパウ ンドケーキなどの洋菓子作り を中心に活動しています。今 回、普段は洋菓子専門な部員 3人に、和菓子について話を 聞きました。 【食べる機会が少ない】 「 和 菓 子 は 食 べ る 機 会 が ほ とんどないので、興味を持て ない」と言う和田部長。深沢 さんも「誕生日やクリスマス など洋風な行事の時は、ケー キなど洋菓子が多い。そちら な じ の方が生活に馴染んでいる」 と話します。 和田英憲さん 一方で、和菓子は「あれば 食べる」と、3人が口を揃え て言います。深沢さんの家で は、祖父が餅をついて餡と一 (左から) 緒に周囲に振る舞うこともあ るそうです。祖父母など年配 者がいる家庭では、季節の和 調理部 帯ほど支出金額が高く、若者 を中心に需要が減りつつあり ます(グラフ②)。 5,000 H7 H12 H17 H22 H27 グラフ① 1 世帯あたりの年間支出金額 (平成 27 年 総務省「家計調査」 ) グラフ② 世帯主の年代別年間支出金額 (平成 27 年 総務省「家計調査」) 0 まんじゅう その他の チョコレート 和菓子 羊羹 0 菓子を口にする機会もありま す が、 そ の 習 慣 は す っ か り 減ってきているようです。 【和菓子屋には行かない】 「お菓子はコンビニかスー パーで買う」と言う和田さん。 島田樟誠高校 「家計調査」 平成 年総務省 によると、1世帯あたりの菓 子類への年間支出額は年々増 加しています。品目別に見る と、チョコレートへの支出が 顕 著 に 増 加( グ ラ フ ① ) 。そ の要因として、海外有名ブラ ンド商品の国内市場へ進出が 挙げられます。また、コンビ ニエンスストアなどでは、新 商品が次々と展開され、手軽 かつ安価に購入できるように なったことも一因と推測され ます。 一方で、和菓子(羊羹・ま んじゅう)への支出額を見る と、平成7年の3563円か ら 平 成 年 の 2 2 0 8 円 と、 年間で約4割減。和菓子需 要が、年々減少していること 4,000 羊羹 10,000 チョコレート 15,000 がわかります。 60 若者の和菓子離れ 39 39 歳以下 40 〜 59 歳 60 歳以上 25,000 (円) 20,000 27 27 菓子への年間支出額を世帯 主の年齢階級別に見ると、世 代ごとに好む菓子の種類が異 なることがわかります。例え ば、チョコレートが 歳以下 に好まれている一方で、まん じゅうへの主な支出層は 歳 以上で2217円。これが 歳 以 下 で は 4 1 2 円 と な り、 60 20 Shimada 4 2016-10 和 菓 子 のス ス メ 宿場町のおもてなし こまんじゅう との関わり 茶 和菓子に大きな影響を与え た も の の 一 つ と し て、「 茶 」 が挙げられます。茶は、鎌倉 えいさい 時代初期に栄西禅師が大陸か ら持ち帰ったことから、喫茶 文化が広まったとされていま す。茶席で振る舞われていた 「 点 心 」 と 呼 ば れ る 軽 食 が、 後に茶菓子となりました。そ して「茶の湯」の広まりとと もに、趣向を凝らし、洗練さ れた和菓子が作られるように な り ま し た。 時 代 と と も に、 煎茶や抹茶の「お茶請け」と して、広く庶民の生活の中に 溶け込んでいったのが和菓子 なのです。 へのこだわり 餡 あん 均一な品質の餡を効率よく 作るため、市内の和菓子屋が 年前に「島田菓子商工業共 同組合」を設立。共同で原材 料を購入し、餡を製造してい ます。工程は、できるだけ手 作業で行い、昔ながらの変わ らぬ製法で、丁寧に小豆を炊 いています。できた餡は、砂 糖の種類や塩加減、火力・時 間の違いにより、各店独自の 味に仕上げられます。組合に は、 今 も 多 く の 店 が 加 入 し、 島田市独自の餡作りは続いて います。 製餡所(東町)では、一般 へ の 小 売 も 行 っ て い る の で、 61 島田こだわりの餡を家庭でも 味わうことができます。 原材料は厳選した北海道産小豆を使用 江戸日本橋から京三条大橋 ま で を つ な ぐ 交 通 路「 東 海 道」 。 江 戸 時 代 に は、 街 道 に は の 宿 場「 東 海 道 五 十 三 次」が整備され、旅人の休息 や宿泊のため宿場を中心とし て宿場町が発展しました。街 道の整備や宿場町の充実が進 むと、道中は安全になり、経 済力をつけた庶民も旅を楽し むようになっていきました。 江戸時代の道中を題材にし た書物や絵などには、各宿場 の「 名 物( 食 べ 物 ) 」に関す る記載が多くあります。峠や 難所を越えた場所には、必ず といっていいほど名物があ り、旅人の疲れた体を癒して きました。また当時から、各 地の名物を食べたり、土産に 買ったりすることが、旅の楽 しみの一つだった様子もうか がえます。 の名物「小饅頭」。江戸時代、 島田宿に留まっていた旅人か ら、甘酒皮の饅頭づくりを伝 授されたのが始まりといわれ ています。今でも、当時から 大きな改良を加えることな く、市内の多くの和菓子屋で 作られています。 あい 間の宿菊川(現在の金谷地 あめのもち や じ 区 ) の 名 物 は「 飴 餅 」。 弥 次 き た さん喜多さんで知られる とうかいどうちゅうひざくりげ 「 東 海 道 中 膝 栗 毛 」 に は「 し さ よ ろきもち」と表記され、小夜 の中山の茶店で売られていた ことが確認できます。平成 いえやすこう かちどきもち 年には「家康公の勝鬨餅」と し て、 当 時 の 味 を 再 現。「 島 田の逸品」としても認定され ています。 こうした宿場町としての繁 栄が、市内和菓子文化の発展 に寄与したと考えられます。 Shimada 2016-10 5 今に伝わる島田の味 道「島 当時、島田には東海 あい しゅく 田宿」 「金谷宿」 「間の宿菊 川」の3つの宿場町がありま した。そこでも、旅人のにぎ わいとともに、名物が育まれ てきました。今も受け継がれ ている名物の一つが、島田宿 六合公民館こどもチャレンジクラブ「抹茶」 間の宿菊川の飴餅店(東街便覧図略より) 26 53 歴史ある島田の和菓子 市内に数ある和菓子店 − その文化の始まりを探る 和菓子好き10人が選んだ 私 のイチオシ! 和菓子好きの市民が選ぶ「お薦めの一品」を紹介。どれも、そ のおいしさは間違いなし。日頃甘いものを食べない人も、洋菓子 派の人も、この機会に市内の和菓子屋さん巡りをしてみませんか。 小饅頭 ㈱清水屋(本通二丁目) と く だ ひ な 徳田陽菜さん (金谷扇町) あんこの甘さと皮のしっとり 加 減が 絶 妙なんです。皮の 厚さもちょうどよくて、大好 き。ついつい、たくさん食べ ちゃいます。 すあま 七丁目清水屋(本通七丁目) 「ほっぺが落ちちゃった」っ て思うくらい柔らかくて、す ごく伸びます。甘くて、おい ま つ う ら しょうだい 松浦翔大さん (中河) しいから、いくらでも食べら れます。 たいやき 鯛焼屋(本通四丁目) いつも焼き立てで、しっぽ まであんこがたっぷり。敬 老の日には、祖父母にお土 産に買って行きました。家族 みんな大好きです。 かわむら あ い こ 河村愛子さん (さわやかしまだ) カリント饅頭唐変木 龍月堂(本通六丁目) 島田に越して来て悩んでいた とき、子育て講座に参加して 食べた思い出の味。味はも ちろん、カリカリの食感がお いしいんです。 ひ る た 蛭田ひとみさん (稲荷一丁目) Shimada 2016-10 6 和 菓 子 のス ス メ カステラ 春日堂(幸町) 長崎県出身の僕も、そして 息子も大好きな味。生地が おいしい! 切り落としもい 永橋隆一さん・郁くん いけど、1 本丸々の方が、しっ とり具合が違います。 (伊久美) な が は し りゅういち いく みそまんじゅう ㈱みのや(本通二丁目) さ と う ま さ え 佐藤雅衣さん (金谷緑町) みそは、子どもの頃から食 べ慣れている味。その風味 が素 朴で 懐かしい。甘さと しょっぱさが同時に味わえ、 食べると止まらないです。 三色まんじゅう ふでや(金谷新町) あきやま り き た 秋山力太さん (金谷中町) 2016-10 Shimada 7 昔から変わらない、手作り の味です。癖がなくて、素朴 でおいしいんですよ。よくお 土産にするけど、みんなに喜 ばれます。 栗まんじゅう 稲葉屋(本通二丁目) 栗 が上にのっていて、 栗 の 形をしたクリクリしたおまん じゅうです。中には、しろあ んがたっぷり。どっしりと大 きくて、おいしいですよ。 は せ が わ あ や こ 長谷川文子さん (稲荷四丁目) 花まんじゅう 土屋餅屋(金谷下十五軒家) プニプニ・モチモチした食感 で、柔らかくておいしい。中 に入っている「こしあん」も 大好き。色もきれいなおまん じゅうです。 か と う けん 加藤健さん (金谷二軒家) 川根大福 加藤菓子舗(川根町身成) 生クリームとあんのバランス が 絶妙。川根に初めて来た 日に食べて「おいしい!」と いう言葉が、自然に出てき ました。川根に来たら、ぜひ! さ と う ひろゆき 佐藤洋行さん (川根町家山) けでなく、 年 年先を考え、 積極的に商品の研究に取り組 んでいってほしいですね。 て「いい」 と思うものを提供し ています。若い世代の職人に は、古くからの伝統を守るだ (稲葉屋・本通二丁目) が並び、全国どこでも同じ味 が食べられます。それは長所 ですが、短所とも捉えられま す。 私 た ち の よ う な 個 店 で の 時 代、 ス ー パ ー や コ ンビニには均一な商品 い歴史を持つ和菓子屋 も 多 く あ り、 昔 か ら 何 長 伝 統 に 甘 えず 柔軟な発想 を は、手作りや独自の商品にこ だわっているので、一軒ずつ 味が違います。自分の好みに 合った店や味を探すのも、和 菓子の楽しみ方の一つではな いでしょうか。 時 安間 保行 さん も変わらないものもありま す。それはそれでいい。ただ、 古 い も の に と ら わ れ す ぎ て、 変化に対して壁を作ってし まってはいけません。いつで も前向きに考え、自分が作っ 今 代とともにお客様の好 み も 変 化 し、 味 覚 も 人 それぞれ。 その変化に合わせ、 新しい材料もどんどん増えて います。 最近は健康志向から、 甘 過 ぎ る 菓 子 は 売 れ ま せ ん。 そのため、砂糖一つとっても 液 体 状 や 糖 度、 甘 味 度 な ど、 商品と材料の組み合わせを思 考錯誤しながら、いいものを 選んでいます。 や す ゆ き ま ん あ 20 ① ② ①「敬老の日」には、毎年「紅白ま んじゅう」を手作りする安間さん ② 毎朝 1 枚づつ丁寧にどら焼きを焼く ③店頭にはさまざまな手作りの和 菓子が並ぶ 10 「伝統」の味・ 「新しい」味 和菓子の世界も温故知新 − 挑戦し続ける職人の心と技 ③ Shimada 8 2016-10 しゅぼ 伝 統 と と もに 季節を味わ う ② ①酒 母もろみを醸造して作る自 慢の小饅頭 ②店頭に飾られてい る祖父作の大奴の工芸菓子 ③形 作りには祖父から受け継いだ菓 子木型を使用 ④温度・湿度を 気にしながら、素早く練り切りを 作る大池さん こ ① 口伝で教わったりしています が、今でも覚えることが多々 あり、毎日が修行です。 ③ ④ 和 (和菓子処宝家・本通四丁目) 菓 子 の 一 番 の 魅 力 は、 四季を感じられること。 味だけでなく、形でも季節を 表現しています。昔の職人の 繊細な感性や器用さには、感 心することばかりです。最近 は、季節感をより分かりやす いように、今風のきれいで可 愛らしいデザインや名前を取 り入れ、アレンジを加えてい ます。 「見て」「食べて」情景 を 思 い 浮 か べ て も ら え た ら、 うれしいですね。堅苦しく考 え ず に、 ラ フ な 感じで味わって もらいたいです。 大池 則子さん の道を選んだきっかけ は、 都 市 計 画 に よ る 店 舗の移転。父母が店を続けて い く こ と を 悩 ん で い た 時 に、 「代々受け継いでいるものを 無くしたくない」と強く思っ たからです。始められる環境 があり、元々作ることが好き だったので、 「やってみよう」 と転職を決意しました。 菓の基本は学校で習い ま し た が、 最 初 は 失 敗 の連続でした。素材の見極め 方や指先の感触など、言葉だ けで伝えられるものではない ですね。経験しながら、自分 の感覚で覚えていかなければ なりません。祖父が残したレ シピを参考にしたり、父から Shimada 2016-10 9 こ り の お お い け 製 和 菓 子 のス ス メ か ち ど き 家康公の勝鬨餅 菓子処 叶家 大井川最中 ㈱みのや ういろう餅 に、 麦 芽 糖 から 作った水飴かけて食べる東海 皮の中には、まろやかに仕上 げた餡、さらにその中に柔ら ぎゅうひ かな求 肥。江戸時代、大井 川を越える旅人が必要とした 道の「名物」 。その名は、徳 川家康が関ヶ原の合戦前に食 し勝利したことに由来する。 「川越札」をかたどった最中。 お茶羊羹 ㈱三浦製菓 黒大奴 ㈱清水屋 風味豊かな川根茶の「渋み」 と「甘み」が味わえる羊 羹。 昆布を練り込んだ羊羹の中に は、しっとりとした「こし餡」。 筒状の容器を下から押し上げ ることで、誰でも・どこでも 簡単に食べることができる。 島田大祭に登場する「大奴」 にちなんで名付けられ、明治 時代から続く歴史ある菓子。 地域で育む「自慢の味」 島田の逸品 − 島田発信の魅力的な和菓子へ あり、島田とのつながりが深いものなど、どれ も自信を持ってお勧めできる品ばかりです。 松浦さん/高校生の視点で評価することを心掛 けました。島田の歴史を知ることにもつながり、 そこにグッときたものを選びました。多くの人 に島田のことを知ってもらえたらうれしいです。 ■認定基準 楯さん/選考会は緊張しましたが、最初に見て感 じたことを、素直に評価に入れました。歴史が 島田の逸品に認定 まつうら り く 楯直斗さん・松浦利空さん(島田商業高校 2 年) ①島田市の歴史、文化、伝統、 自然が表現されている。 ②島田市の認知度を向上させ ることができる。 ③同種商品において他と異な る特長を有している。 ④「おもてなしの心」が感じ られる。 ⑤商品の開発、または販売に ストーリー性がある。 ■今後の出展予定 ◉世界お茶まつり/ 月 日 ㈭〜 日㈰(グランシップ) ◉全国グルメ博/ 月2日 ㈬〜 日㈭(松坂屋静岡店) ◉島田産業まつり/ 月 日 ㈯・ 日㈰(おび通り) 島田の逸品選考委員 市では現在、和菓子4品を 「島田の逸品」として認定し ています。これは、島田市の 魅力と認知度の向上を図るシ ティプロモーション、そして 産品の販路開拓などの支援に つなげていくことを目的に実 施しています。市内で生産ま たは企画し、販売されている 産品を、5項目の認定基準に つ い て 審 査・ 選 定 し、「 島 田 の逸品」として認定していま す。選考委員は、販売や消費 者のグループなど幅広い分野 から選出し、高校生も選考に 携わっています。 たて な お と 13 10 11 12 30 11 10 27 Shimada 2016-10 10 和 菓 子 のス ス メ 和菓子を 楽しむ 暮らしが育む和菓子 形式にとらわれず、いろいろ な味わい方で楽しむことがで きます。 次世代へ伝える心 和菓子の成型に使われる手 作 り の「 菓 子 木 型 」。 江 戸 時 代から続く伝統工芸も、今で は継承者がほとんどいませ ん。そのため職人たちは、先 人から受け継いだ道具を、長 い 年 月 大 切 に 使 い 続 け ま す。 精密精巧な木型から生まれる 和菓子には、職人の技や心が 詰まっています。 育まれ続けています。 は、その文化の価値を、日本 の心を理解しているといえる 日本人の心に基づく独自の食 文化であることが世界で評価 されました。一方で、私たち 和食は「自然の美しさや季 節 の 移 ろ い の 表 現 」「 年 中 行 事 と の 密 接 な 関 わ り 」 な ど、 新しい楽しみ方 おもてなしの心を、日々の忙 端 午 の 節 句 に は「 柏 餅 」、 彼 岸 に は「 ぼ た も ち・ お は ぎ」といったように、年中行 事には、その日や時期にまつ わる和菓子があります。さら には、祝事に「紅白まんじゅ う」、仏事に「しのぶ(春日) ま ん じ ゅ う 」 と い う よ う に、 結婚や出産、葬礼など人生の 節目を演出する和菓子もあり ます。季節を問わず作られる ものもありますが、店頭には 春 に な れ ば「 桜 餅 」 が 並 び、 秋になれば栗や芋を使った和 菓子が多くなります。時代と ともにライフスタイルは変化 し、季節感は薄れ、風物詩は 忘れられつつあります。しか し、和菓子は昔から日本人の 暮らしに密着し、生活の中で 好 時代とともに消費者の嗜 は変化し、それに合わせて和 て、和菓子を楽しむことから のとして受け継ぐための第一 歩です。まずは、ひと息つい 次世代が日本の心を誇れるも しさに追われ、見失ってはい ま せ ん か。 和 食 へ の 理 解 は、 でしょうか。先人が大切にし てきた、自然に寄り添う心・ 菓子も新しい形へと進化して います。使用する材料の幅も 広がり、生クリームやチョコ レートなど、洋菓子の要素を 取り入れた「和洋折衷」の菓 子。コーヒーや紅茶、また酒 始めてみませんか。 し こ う 類 に も 合 う 和 菓 子。 今 で は、 Shimada 2016-10 11
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