1 - Science Window(科学技術振興機構)

科 学 す るこころを開く
秋
号
2016
10-12
サ イ エ ン ス ウ ィンド ウ
特集
共
生に
き
る
甘い蜜が大好き
クロオオアリ
Camponotus ja ponicus
日本のほぼ全域に分布。畑や林道などのほか、住宅
地や公園など都市部でも見かけやすい。ツノゼミの
ほか、シジミチョウの幼虫やアブラムシなどが出す蜜
も好む。
危険から守ってもらう
ツノゼミ
Butragulus f lavi pes
日本の山地に見られる。幼虫は成虫と似たような形
をしているが、羽はないので飛ぶことはできない。
5回の脱皮を繰り返し、成虫になる。
illustration 前田和則
解説
秋号
サイエンス ウィンドウ
2016 10-12
ツノゼミは体長数ミリほどの小さな虫
だ。大きな種類でも2センチ程度だとい
Science Window は「科学するこころ」を開く科学教育誌。
「なぜ」という子どもの問いをともに考えていく
学校の先生や保護者、地域の人々を応援します。
今号では、食と科学の関係について考えます。
04
育てる・つくる「食」の未来
06
世界は「食」でつながっている
岩永勝 国際農林水産業研究センター理事長
自然を守る養殖技術を求めて
マーシー・N・ワイルダー 国際農林水産業研究センター主任研究員
楽しく食べよう
12
お茶の水女子大学附属小学校の SHOKUIKU プログラム 14
「味」を言葉にしてみよう
早川文代 農業・食品産業技術総合研究機構 上級研究員
食料の自給率向上を願い国産小麦を実用化
15
国産小麦のパンにかけた敷島製パンの挑戦
復興×食 1 農業を変える植物工場
18
アイディアと技術の宝庫、グランパドーム
20
復興×食 2
夢は世界へ釜石の新鮮な魚介類を届けること
佐藤正一 釜石ヒカリフーズ株式会社社長
京都、錦市場をデザインする試み
22
京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab
24
したものだが、このバリエーションが実
に豊かで、報告されているだけで、世界
で約 3100 種にもなる。
「アリやハチのように強力な武器を持
特集
10
う。ツノのように見える部分は、胸が変化
『おいしさの扉』
サイエンス チャンネルの新番組
たないので、ほかの生き物に食べられな
いよう、擬態を進化させてきたと考えら
れています」と話すのはツノゼミの研究
者、丸山宗利さん。植物の芽やとげにな
りきっているものも多いが、ハチなど危
険な生き物に似せているものや、いもむ
しのふん、昆虫の脱皮した抜け殻など、
食べてもおいしくないものに似せている
ものもいるという。カラフルで奇抜な形も
ある。
ツノゼミはセミではないが、セミやア
ブラムシと同じ仲間(カメムシ目)だ。羽
を持っていて飛び、針のように細くて硬
いストロー状の口で植物の汁を吸う。汁
の中には多くの糖分が含まれているた
め、過剰なものは体外に排出する。
アリはこの甘い蜜が大好きだ。まだ羽
が生えておらず、あまり動き回らない幼
虫はかっこうの存在。触角で幼虫の体を
やさしくたたくと、腹の先から蜜が出てく
連載
る。一方幼虫にとっても、天敵のクモや昆
02
共に生きる ツノゼミ、クロオオアリ
虫から守ってもらえるメリットがある。ア
26
空からジオ 栗駒山麓ジオパーク / 宮城県
リとツノゼミの種の組み合わせは、これ
28
動物たちのないしょの話 タスマニアデビル(東京都多摩動物公園)
以外にもたくさんある。
30
タイムワープ夢飛翔 元素発見 / 栄誉かけ悲喜こもごも
丸山さんは10 年ほど前シカゴに留学し
32
自然観察法のイロハのイ 松ぼっくり拾い
ていたとき、早春の森で下草の葉の上に、
34
文学と味わう科学写真 宮沢賢治『雨ニモマケズ』より
36
発見!くらしの中の科学 ねじにはどんな技術が使われているの?
38
読者の広場 サイエンスウィンドウカフェ
40
空からジオ 解説
子どもでも読めるように工夫をしたページ
さらに知識を深めたいときに役立つ情報を
「サイエンスドア」から提供します。
たくさんの見たこともないツノゼミを見
つけた。以来、南米や東南アジアなど熱
帯の森を中心に、世界中のツノゼミを研
究している。
植物の軟らかな新芽にアリが行き来を
していたら、要注意。ツノゼミが見つかる
かもしれない。
「日本にも十数種類ほどが
生息しています。小さな世界の美しさを
ぜひ観察してください」と丸山さんは話
している。
Science Window の記事に関連する番組が
動画サイト「サイエンス チャンネル」
(http://sciencechannel.jst.go.jp/)に
掲載されています。
03| 取材協力:九州大学総合研究博物館助教 丸山宗利
特集
育てる・つくる
食
の未来
Science Window 2016 秋号 |04
神様にお酒や収穫した野菜を奉納し、日々への感謝を伝える。
食物に感謝や願いを込めることは、
私たちが昔から変わらず続けていること。
明日の「 食 」を求めて、
将来まで安定した「 食 」の確保のために、
知恵を絞り、技術も高めてきた。
育て、つくり上げてきた「 食 」のバトンを
未来へきちんとつなぐため、
「 食 」の今を見つめてみよう。
05| 写真/三宅拓也(KYOTO Design Lab)
世界は「食」で
つながっている
未来のために科学ができること
私たちができること
今夜は何を食べよう?
私たちは日々のメニューに悩むことはあっても、
岩永勝
飢えを心配することはない生活をしている。
世界には食べ物が豊かな国と
そうでない国があるのはなぜだろう。
(いわなが・まさる)
1951年長崎県生まれ。国際馬
鈴 薯センター、国際 熱 帯農 業
センターなどのさまざまな国
際機関を経て、2002 年に国際
トウモロコシ・コムギ改良セン
ターでアジア人初の所長とな
る。2011年より現 職 の国際 農
林水産業研究センター理事長。
れています。昔 より 飢 える人の数は
で、数で比べてみる と 飢 え は 改 善 さ
人に1人という 割 合だったの
世 界 から 見ると、日 本 はとても 不
思議な国です。現在の日本では、スー
れることで実現しているのです。
かし、この豊かさは他の国々に支えら
いつでも食べ物が豊富にあります。し
飢餓発生のメカニズム
も悲しいものです。
飢 えに 苦 し む 人 がいる 事 実 は、とて
減っているとはいうものの、いまだに
前は
パーやコンビニエンスストアに行けば、
日 本 の 食 料 自 給 率 は、カ ロ リ ー
ベースで %しかあり ません。残 り
3
ています。世界の食料生産者からす
では3分の1にあたる食料を廃棄し
ところがそれに もかかわら ず、日 本
豊 か な 生 活 を 送 る こ と が で き ま す。
本に 集 めることで、私 たち日 本 人は
いかな くても、外 国 から 食べ物 を日
ので す。つま り、食 料 生 産 が う ま く
現在、飢 えが発生している地域は、
日常 的に食 料 生産が う まくいってい
を輸入して飽食になっています。
わけではないのに、世界中から食べ物
ば、日本は、食料が十分作られている
も う一つは 社 会 的 な 要 因です。例 え
まくいっていないということ。そして、
このよう なことが起きる要因は二
つあります。一つは生産そのものがう
%分の食料は外国から買ったも
る と た まった も ので は あ り ま せ ん。
ないという 場 所 も あ り ま す が、それ
元に行かずに捨てられているのです
から。
一方、世界に目を向けてみると、世
界 全 体 で 億 人 以 上の 人 がい ま だ
億 人なので、約
割
に飢 えに苦しんでいます。現 在の世
界の人 口 は 約
ま す。以 前 は、中 国 も 飢 える 人の 数
アフリカでは4人に1人が 飢 えてい
特に飢えが深刻な地域はインドを
中 心 と す る 南 ア ジア とアフ リ カで、
います。
310万人が栄 養不 足で死に至って
5 歳 以 下 の 子 ど も に 限 る と、毎 年
の 人 が 飢 え ている こ とに な り ま す。
73
が多かったのですが、経済発展によっ
作物全体で生産量世界一。日本ではスイー
トコーンとして知られているが、アフリカで
は主食。家畜の飼料としての利用も多い。
一生懸 命 作った食べ物が必要な人の
の
39
8
て減少しました。ただ、アフリカも以
トウモロコシ
1
食卓と
世界の
つながり
61
Science Window 2016 秋号 |06
250
30.0
72
世界の人口は 20 世紀以降急激に増加し続けている。1900 年と現在を比較
すると100 年余りで4倍以上に増えていることがわかる。
カロリーベースの「食料自給率」は、自国で消費する食料の合
計熱量のうち、国内で生産した食料の熱量の割合を表す。
1900年
16.5億人
西暦元年
3.0億人
10.0
1990年
53.1億人
70.0
60.0
とは 別 に 内 戦、気 候 変 動、異 常 気 象
な どで 食 料 が 十 分 に 生 産 で き ない
ケースもあり ます。そ ういう 突 発 的
かなくなってしまうのです。
食料の不平等が争いを生む
実 は、日 本で も かつては 飢 えが あ
りました。例えば、江戸時代には、享
き 渡れば、地 球 上から飢 えはな く な
れている 食 料 が一人一人に 等 し く 行
他の 地 域 か ら 食 料 を 運 んで く れ ば、
な 要 因で 食 料 不 足 が 起 き た 場 合 は、
保、天明、天保と三つの大飢饉が起き
る 計 算 で す。し か し、世の 中 は そ う
人類を養っていけるだけの食 料が生
ました。その時代、日本の人口は二千
なっていま せん。世 界 中で 食べ物 が
現 在の世界の食料生産量をつぶさ
に 検 討 していく と、地 球 全 体では 全
数 百 万 人ほどで、その う ちの百 万 人
う ま く 分 配 されていないのです。そ
問題は解決するはずです。
が飢餓で亡くなっています。人口比率
の原因は、社会システムの不整備、経
産されています。もし、世界で生産さ
で 考 えれば、第二次 世 界 大 戦での死
済格差などさまざまです。
き きん
飢 饉 は、夏の低 温、ウンカの大 発 生、
者の数に匹 敵します。江戸 時 代の大
私たちは、得てして「 食料がなけれ
ば買えばいい」と思いがちです。しか
見 合 う 量を供 給できなくなってしま
な 冷 夏で米が う まく 育 たず、需 要に
ません。例えば、1993年は記録的
しかし、現代の日本では、米が不作
になっても 人々が 飢 えることはあ り
いました。
ところが、日本では味も違い、香り
も 強 す ぎるタイ 米 は不 人 気で、米 不
しまったのです。
上がり、貧 困 層では餓 死 者 まで出て
あ おり を 受 け、タイでは米の価 格 が
から大 量の米 を輸 入しました。その
1993 年の米 騒 動の 時 には、タイ
干ばつなどです。これらの突発的な現
いました。この時、日本政府が取った
足が解消された後に産業廃棄物とし
し、食料を買い集めれば、買えない国
対 策 が 米の緊 急 輸 入で す。タイ、中
て捨てられるケースもありました。こ
象 が 起 きることで、米 が 収 穫でき な
国、アメリカな どか ら 米 を 輸 入 し た
のとき、タイ 国 内 か ら日 本 に 対 して
から恨まれるかもしれません。現に、
り、パンなどで代用することもできた
反 発の 声 が 上が り、一時 期 関 係 が 悪
く なってたくさんの人が 飢 えてしま
ので、日 本 人 は1人 も 飢 えることが
化してしまったのです。食べ物は人間
しく、後々、さまざまな国との関係に
あ り ませんでした。そのよ う な 社 会
は、現 代でも ま だま だたく さんあ り
亀裂が走る要因にもなってしま うの
の生死に関わるもの。その恨みは恐ろ
ま す。そこで干 ばつや 病 害 虫の影 響
です。
的なシステムが整っていない国や地域
を 受 けてし ま う と、人々は 飢 えるし
07| 日本
イギリス アメリカ
ドイツ
フランス
オーストラリア カナダ
人口(億人)
1800年
1500年 9.8億人
5.0億人
1000年
3.1億人
20.0
39
50
0.0
0
90.0
258
1950年
25.3億人
40.0
92
100
50.0
127
129
150
2015 年
73.5億人
80.0
205
200
世界の人口の動き
各国の食料自給率(カロリーベース)
[出展]内閣府のウェブサイトから。1900 年までは United Nations,"The World at Six Billion",
1950 年以降は United Nations,"World Population Prospects, the 2015 Revision" による
100.0
[出展]農林水産省東北農政局ウェブサイト「日本と世界の食料自給
率」に基づいて作成(日本は平成 26 年度、ほかの国は平成 23 年の数値)
(%)
300
の未来
食
育てる・つくる
サツマイモ
エビ
トマト
焼きイモの美しいオレンジ色はカロテン
(ビタミン A)。アフリカではビタミン A 不足
解消の切り札として注目されている。
日本は世界有数のエビ消費国。現在はそ
の大半を輸入に頼っている。
野菜では世界で一番生産量が多い。ビタミ
ン類が豊富だが、熱帯での栽培は難しい。
国際農林水産業研究センター
( JIRCAS)のさまざまな活動
つくば 市に本 所を構える JIRCAS は
熱帯地域や開発途上地域の農林水
産業を研究する国内でただ一つの機
関。海外の食料生産を安定化させる
ことは、政治や経済を通じて日本の
利益にもつながっている。
写真提供/国際農林水産業研究セ
ンター
アフリカでの増産を目指すコメ。熱
帯の低肥で乾燥した環境でも安定し
て生産できる農作物や生産技術を開
発している。
フィリピンで実験中の複数の生物を組み合わせた養殖手法。ミルクフィッ
シュ、食用ナマコ、海藻の共存によって富栄養化などの環境悪化を防ぐ。
ナイジェリアのササゲ豆。これまでは強くて収穫が多くなるように育種されてき
たが、近年はさらに商品価値向上につながるより高度な育種が求められている。
東南アジアの郷土樹種による人工林。育成技術、資源管理技術、系統選
抜の技術などを開発し、農山村の生産性を向上させつつ過剰伐採を防ぐ。
ジャガイモ
バナナ
コメ
世界4大作物の一つ。アンデス高地原産
で日本には16 世紀に渡来してきた。
世界では少数の品種しかなく、病気の蔓延
で大打撃を受けている。
ま ん え ん
世界で 30 億人が主食としている。アフリカ
でもコメの消費が急増中。
Science Window 2016 秋号 |08
飢 え というのは、人 間の考 え 方や
行 動 も 変 え て し まいま す。例 え ば、
タミンな どの栄 養 素 が 欠 乏し、健 康
なっている 人 が た く さんいま す。ビ
み る と 栄 養 バラ ン ス が 極 端 に 悪 く
し か し、カロリ ー として 食の 量 が
足 りていても、食 事 内 容 をよく 見て
した。
す。一つひとつの効果は小さいかもし
な技術を組み合わせる必要がありま
駄を減らす技術開発などのさまざま
存・加工技術の開発、食品の廃棄や無
開 発、水 利 用 効 率の 改 善、食 物の 保
度の維 持 向 上、栄 養 価の高い品 種の
飢えと平和は共存できない
朝 食 と昼 食 を 抜いた人は、夕 方には
食べ物 を奪 う といった犯 罪 もいとわ
が 生 き 延 びるためであ れ ば、他 人の
た社 会はどう なるでしょうか。家 族
ころが、他の作 物の供 給 量はあ ま り
ことができるよ うになり ました。と
穀 物の増 産に成 功し、安 く 供 給 する
たくさんの農学者の努力によって、
小麦、米、トウモロコシなどの主要な
上っています。
くに発展 途上国の食を支えていきた
さまざまなプロジェクトを通して、と
国 際 農 林 水 産 業 研 究 センターで も、
幸い、日 本 は 高い農 業 技 術 を 持っ
ていま す。私 が理 事 長 を 務 めている
れ ませんが、た く さんの技 術 を 組 み
なくなってしまいます。
伸びていません。主要穀物は、とても
とて も イラ イラ して、攻 撃 的 に なっ
億人にも
日常的に飢 えがある地域では治安
が悪くなりますし、その不安定さが内
安 価に人のおなかを満たしてくれる
いと考えています。地球は一つにつな
障害に苦しんでいる人が
戦や戦争へと結びついていくのです。
ようにはなりましたが、その結果、栄
がっていま す。世 界の国々で 食 料 が
てし まいま す。これが日 常 的になっ
現 在、世 界 的に治 安 が悪いとされ
る 国 々 は、北 ア フ リ カ、中 近 東、中
養バランスを崩してしま う 人がたく
本が担っていく必要があるのです。
もたらします。その大きな 役 割 を日
できます。食の安 定は世界に平 和 を
意味で食料の安定供給を得ることが
安 定 供 給 されることで、日 本 は 真の
を実現していくことが重要です。
く、栄 養バランスも 取 れた 食 料 供 給
合 わ せることで、カロリ ー だ け で な
央アジアな ど、さ ま ざ まな 場 所に 広
さん出てしまったのです。
今、日本ができること
がっています。そのすべての国が小麦
生産国です。今もなお、内戦が続いて
いるシリアはもともと小 麦の発 祥の
地球上では現在も人口増加が続い
ていま す。2050 年 には世 界の人
要になります。ところが、耕地面積は
り、現 在の
地でした。小 麦は人間の主食 となる
穀物の中で、唯一、雨が少なくても育
口は
億人に達すると見込まれてお
ちます。それ故に人口増 加を支 えて
きたのです が、生 産 量が 十 分に 確 保
1960年代以降、増 えていません。
人類は農地を開墾し続けてきました
が、もうこれ以上、広げられる土地が
その上で、食 料 生 産 量 を 上げてい
くには次のようなことが考 えられま
かん がい
%以上の食 料 増 産 が必
でき な く なると、社 会 不 安 が 高 まっ
てしまうのです。
栄養バランスも大切
ち農学者は世界から飢餓をなくそう
す。気 候 変 動 に 強い品 種の開 発、乾
ないのです。
と、研 究 を 重 ねて 収 量の高い穀 物 を
ひ よく
燥や 塩 害 な どに強い作 物の探 索、農
1940 年代から、農学者ノーマン・ボーロー
グ博士らによって取り組まれた高収量穀物
の品種育成プロジェクト。人口が急増し続け
た20 世紀では、食料危機は直面する重大課
題だった。1950 年代以降、緑の革命によって
コムギやコメは大増産に成功した。
しかし、これらの緑の革命の品種は、灌漑
設備、肥料が利用できない農地、不良環境地
域ではあまり収量が増加しなかった。現代で
は不良環境下でも持続的に高い収量を得る
「第二の緑の革命」が期待されている。
レタス
スイカ
紀元前から地中海沿岸で栽培されていた
作物。日本の食卓での歴史は浅い。
西アフリカ起源の作物。シルクロードから
日本へ伝わってきたとされる。
JIRCASの試験農場には現在も緑の革命の
中心的なイネ品種「IR8」が育てられている。
20
開発してきました。その結果、飢えて
「 緑の革 命 」を 指 導 したノーマン・
ボーローグ博 士をはじめとした私た
60
薬に頼らない病 害 虫 対 策、土壌 肥 沃
「緑の革命」ってなに?
95
いる人を少なく することに成功しま
09| の未来
食
育てる・つくる
自然を守る養殖技術を求めて
高密度循環式バナメイエビ生産システムの確立
日本はエビの消費量が極めて多いが、その自給率は %程度しかない。
環境負荷が少なく、安定した生産が可能なバナメイエビの
新しい養殖システムが国内で動き出し、注目を集めている。
環境負荷の小さい
養殖技術を求めて
万
を 超 え る一大 産 業 と
億 ド ル 以 上、年 間 生 産
エビの需要が世界的に高まってい
る。海水性エビ養殖産業は今や市場
規模
量
なった。
%は海水性のバナメイエビだ。クル
エビには淡 水 性と海 水 性のものが
あ り、現 在 養 殖 さ れているエビの 約
t
2
0
0
4
0
0
課題を解決しなければならない。
コスト 的に も か な り 難 し く、多 くの
い。しかし、そうするには技術的にも
施 設 内で 閉 鎖 的 に 行 うのが 望 ま し
すいな どの問 題 が あ る ため、陸 上の
エビの養 殖 は、屋 外で 行 う と台 風
な どの天 候の影 響や、病 気 が入 りや
ている。
育水で養殖することだ。バナメイエビ
その特 徴は中 南 米 産のバナメイエ
ビを、淡 水 に 近い条 件で 高 硬 度の飼
研究員マーシー・N・ワイルダーさん。
国際農 林 水 産 業研究センターの主任
養 殖 を可 能にし ました」と 話 すのは
リアし、経 済 的で環 境 負 荷の少 ない
した生産システムは多 くの課 題 をク
所、( 株 )ヒガシマルの4者で研究開発
(株)
、水産研究・教育機構増養殖研究
稚エビは低塩分の水でも、なじませる
に慣れていく仕組みが明らかになり、
バナメイエビは海水性だが、ワイル
ダーさんの研 究から水 中の塩分 変 化
当した。
の養殖に最適な生育環境の研究を担
いる ため、生 理 学 的 な 側 面 か らエビ
の生殖や脱皮の仕組みを専門として
やすいという。ワイルダーさんはエビ
に砂 利に隠れる性 質がないので扱い
日以上設ければ育 成できる
期間 を
マーシー・N・ワイルダー
は育成が早く、クルマエビなどのよう
(Marcy N Wilder)
アメリカ合衆国ボストン生まれ。大学
時代に来日した際、日本の水産業の
現 状を知って興味を抱き、その 後、
専門知識 を生かして養 殖 技 術の研
究に従事したいと考えるようになっ
た。1994 年より現センターにて勤務。
2003 年に研究功績者表彰「文部科学
大臣賞」
、2009 年に産学官連 携 功労
者表彰「農林水産大臣賞」を受賞。
「私 た ち 国 際 農 林 水 産 業 研 究 セ
ン タ ー と、I M Tエン ジニア リ ン グ
で 生 産 され、そ れが 世 界 中 に 出 回っ
を持たないものが隔離された施設 内
エビはアメリカやタイなどで、病原体
究が 進んでいる。養 殖に使 われる稚
マエビの仲間で、エビの中では最も研
80
1
10
中南米原産のバナメイエビ。成長が早く、病気にも比較的
強く、しかもおいしいことから世界中で養殖されている。
2つの水槽が並ぶプラント内の様子。幅12‌m、奥
行き40‌m、深さ2.5mの巨大水槽に試薬を調合し
て作った低塩分水を満たし、造波装置や人工海
藻などによって海に近い環境を作る。
(写真提供/IMT エンジニアリング株式会社)
Science Window 2016 秋号 |10
ムが薄くなってしまう。ミネラルが足
淡水に近くするとミネラルやカルシウ
ことが分かった。一方で、塩分 濃 度を
水 質 な どを 研 究 し な が ら 設 計 し た。
養 殖用プラントはエビの各 成長 段
階に最 適な水温、酸素 消 費量、流速、
必要だとワイルダーさんはいう。
まった。
捕って く るのが 伝 統 だが、安 定 的 に
業プラントが稼働している。バナメイ
る方法を確立した。これはグリーンウ
エビの養 殖に適した水 環 境 を実現 す
稚エビをふ化場で生産するため、現
地のカントー大学と共同でオニテナガ
供 給したいとの要望で共同研 究が始
りないと丈 夫な殻ができない。また、
年から新 潟 県 妙 高 市で商
が付き、それが黒い斑点となって見え
エビはこの水 槽で脱 皮 をしながら大
カルシウムが不足するとエビの体に傷
る。養 殖には低 塩分で高 硬 度の水が
オーターシステムと呼ぶもので、植 物
プランクトンの自然培 養によって、水
低い方法を探ろうとするワイルダーさ
し、そこから環境にもエビにも負荷の
日本とベトナムの養殖技術は異なる
が、エビの生態と生殖の仕組みを追求
質 管理を簡 素 化しながら稚エビ生存
する。
号の
も海外から問い合わせが来ている。
いは ず は あ り ま せん」と 語 るワ イル
御する内分泌機構などで分からない
「これまでの研究で多くのことが明
らかになりましたが、生殖・脱皮を制
んの姿勢は変わらない。
ダーさん。そ れぞ れの地 域に 合った
ています」
食 料問題の解 決に貢 献したいと願っ
ビにも優しい養殖を実現することで、
に 新 しい技 術 を 開 発 し、環 境に もエ
な 基 礎 研 究 を 続 けて、その知 見 を基
ことが残っています。エビの生理学的
お り、そ れ は 小 規 模 農 家
オニテナガエビを養殖して
古 く か ら 水 田で 淡 水 性の
するメコンデルタ周辺では
いた。ベトナム南部に位置
養 殖 の 研 究 に 取 り 組 んで
年にはベトナムで淡水エビ
ワイルダーさんは、今回のバナメイ
エビの 養 殖 技 術 確 立の 前、
可能性を広げる強い探求心
した。
養殖を見極めることが大切だと強調
「 養 殖は食 を豊かにします。でも、
そ の た め に 環 境 に 負 荷 を か け てい
エビプラントが設立され、そのほかに
さ れている。モンゴルでは 第
ビ自給 率 向上につながることが期 待
率を大幅に改善することに成功した。
18
g
この方法により内陸でも海水性の
エビを養殖することができ、日本のエ
18
に とって 貴 重 な 生 活 の 糧
ベトナムで養殖している東南アジア
原産のオニテナガエビ。淡水に生息
するが、産卵時のみ汽水域を回遊す
る。成体になるとオスはメスよりも
大きなハサミを持つ。
水を浄化し、蒸発した分を
補給して循環させる。
水槽内は V 字型の傾斜で 造波装置で水槽内に波を起こす。
ゴミなどを回収しやすい。 人工海藻は、エビが脱皮する時に必要。
1
1
9
9
4
❸
❹
浄化装置
❶養殖に適した塩分濃度の水が、人工的な波となって造波装置から生育水槽に流れ出る。
❷水は水槽上部を流れて反対側の壁で折り返し、水槽下部を通って浄化装置に入る。
❸浄化装置では窒素化合物を微生物によって分解し、水をきれいにして水槽に戻す。
❹エビは水槽内をゆらゆ
横断面
縦断面
生育水槽
造波装置
らし、人工海藻の陰に隠
れて脱皮を繰り返し、大
❶
きく育っていく。
❷
❺水槽は中央の底の部分
きく なり、 週間で
‌ほどに成 長
2
0
0
7
であった。稚エビは川から
11| ❺
に向かって V 字型の溝に
なっていて、その溝に沈
殿する餌の食べ残しや排
せつ物などを機械が回収
し、水質を保つ。
の未来
食
育てる・つくる
高密度循環式エビ生産プラントの模式図
2年生「よもぎ団子から月見団子へ」
(H27)
「おいしいな」と
感じる体を作る
プロ グラムの
ますか。
ること。それはおいしい」と体で感じ
いう感覚だと思います。
「 食べさせら
わっておいしいな、と感じる体を作っ
とだろう」
「 単に安 ければいいのだろ
この値 段で流通するのはどういうこ
足 立 昨 年 か ら 始 めた 取 り 組 みで、
2カ月に1回ぐらいの割 合で実 施し
うですね。
食の献立を自分たちで考えているそ
――5、
6年生の給食委員たちが、給
自分たちで作った献立が
給食になる喜び
れるのではな くて自 分で選んで食べ
神 戸 能 動 的 という 意 味は、自 分で
考 えるということです。子 どもたち
てほしいのです。
作った り す る 立 場 に な り ま す。
「加
は 将 来、自 分 で 食 べ 物 を 選 ん だ り、
目 標 の 中 に「 何 よ り、食 を 楽 し む 気
工食品と天然の素 材とをどのように
――
持ちをもつ」とあります。
と分析的なこと、例えば「この食品が
てほしいのです。タンパク質やビタミ
うか」ということをしっかり 考 えて、
世の中は常に変わっていきますか
ら、私たちは、
「それはこうしなさい」
意識を持ってほしいのです。
い」
「オレンジジュースを 出 してほし
が出ないの」
「 給 食でお刺し身 食べた
ています。子 どもたちに給 食の感 想
知 識 も 必 要 で す。け れ ど も「野 菜っ
して「このラーメン、本当においしい」
と教えることはできません。ですから
い」
「お 茶にしてほしい。和 食に 牛 乳
「紅白給食合戦」
赤い
メニュー
て甘みがあるんだな」とか、苦労して
というのは、やっぱり体で感じるんで
変化に対して、積極的に関わっていく
は合わないと思います」とかなり率直
大好評だったテーマ。トマトソースを基調にした
赤い料理と、かぶや大根、白魚、白みそなどを使っ
た白い料理を出して、どちらが好きかアンケートを
取った。
「改めて料理の色は大事だと気付いた」と足
立先生。勝ったのは赤だった。
を尋ねると、
「 先生どうしてステーキ
すね。小さいうちにそういう体を作っ
子どもたちであってほしい。その基礎
埼玉県鶴ヶ島市の農家に出向いての農業体験。3
~4人のグループに分かれて、丸一日お世話になる。
春と秋、同じ農家を訪ねて、畑の様子や農作業、出荷
や流通の実際を学びとった。実施前と実施後のアン
ケートでは、農業についての見方が大きく変わった。
トマトが苦手だった子が、鶴ヶ島産のトマトを丸ごと
食べてしまった、給食で野菜をおかわりする子が増
えた、などのエピソードも。
作ってく れた人のことに思いを巡 ら
ておいてほしいと思います。
な 感 想 が 出てき ま す。
「じゃあ、一緒
メニューには子どもたちの豊かな発想が反映され
る。インドネシア料理の「ナシゴレン」が提案された
ことも。
「小さい子も食べるのだから辛すぎないよう
に」
「においがあまりきついとだめかもしれない」と
いろいろ考え、実現にこぎ着けた。
となるのが「 食べるって楽しいな」と
給食の献立をつくろう
――能動的な態度の育成にも役立ち
「 自分はこれを選ぶんだ」と積極的な
ンの必要量など、いろいろな栄養上の
使い分けるのか」とか、あるいはもっ
神 戸 「 楽 し く」というのは、お も し
ろおかしくではあ り ません。食 を 味
S
H
O
K
U
I
K
U
3 年生「校外学習・鶴ヶ島農業体験」
(H26)
お茶の水女子大学附属小学校の
SHOKUIKUプログラム
春には構内のよもぎを摘んでよもぎ団子を作り、秋
には月見団子を作ってお月見会を開いた。お月見会で
は竹取物語の劇を上演したり、19 時過ぎまで学校に
残って、屋上でスーパームーンを鑑賞したりした。
楽しく食べよう
学年ごとの体験型
プログラム実践例
教育から見つめる「食」
「食べる」ことを、子どもたちにどう伝えたらよいか。平成 26、27 年度に文
部科学省よりスーパー食育スクール(SSS)の指定を受けたお茶の水女子
大学附属小学校では、学年ごとの体験重視型プログラムや給食を活用し
たプログラムなどを実践してきた。指導にあたった副校長・神戸佳子先生
と栄養教諭・足立愛美先生にお話をうかがった。
Science Window 2016 秋号 |12
の未来
食
育てる・つくる
に考えてみようか」と始まりました。
――子どもたちに変化はありました
か。
カロリーも下がってしまう。どうしよ
足 立 栄 養 計 算 な ども す る う ちに、
「 牛乳をお茶に替えるとカルシウムも
うか」などと自分たちで考えて、だん
だん献立が完成されていきました。不
思議だなと思ったのは、今までのよう
に 無 茶 を言 う 子がいなかったことで
す。責任を持つ立場になって、自分を
す。これはものすごい力です。その体
を変 えることができたということで
分 が 社 会に 何 かを 働 きかけて、それ
験 なんで す ね。広 く 言 う な ら ば、自
る。それは彼らにとってものすごい経
際に 給 食にな り、全 校でそれ を 食べ
そのメニューを自分で考え、それが実
を 自 分で 把 握 して、そ れ を 食べきる
どもたちがそれぞれの食べられる量
の子にふさわしいものがあります。子
のはうれしいです。ただ食べる量はそ
作る立場からすると完 食してくれる
も う一つ実 感 し たのは、学 級 単 位
での完食を目標にしないことですね。
と思っています。
もたちに伝えることだと思います。
を楽しんでいるよ」ということを子ど
ですよ( 笑 )
。大切なのは、
「 先生は食
目は輝いてきます。食べ方が変わるん
な 話 題 を 振るだけで、子 ども たちの
れはおう ちでもよく 作るのよ」
、そん
きた一品を取り上げて「これおいしい
実践して気づかれたことは?
うしたらよいでしょう。
ね」とか「 先生はこれは苦手だな」
「こ
験は食を超えて大きい効果を持つと
足立 一緒に体験を重ねる中で、子ど
神戸 例えば地方特産の食材をテー
マにするなど、それぞれの学校独自の
13| 写真提供/お茶の水女子大学附属小学校
ことを目指したい。その上で、苦手な
ものももう少し食べられるといいな、
と ・・・・。
・・
――いろいろな 制限 や 条 件で、学 校
もたちが 感 じ取ることは一人ひとり
良 さ を 生かして、無 理な くや りや す
子どもたちの感性を大切にしている
神戸先生(右)と足立先生(左)
切り替えたんだな、と思いました。
「食に対して能動的な児童を育てる」
●
画一的に与えられた量を食べるのではなく、味や栄養について、
また、自分が食べられる量を考えて食べる。
●食べたことがないものや食べ慣れていないもの、
嫌いなものでも少しずつ食べようという意識をもつ。
● 人によって味の好みの違いや文化の違いがあることを尊重する。
● 食に対して興味をもち、
日常から情報を取り込む意識をもつ。
何より、食を楽しむ気持ちをもつ。
白い
メニュー
思います。
子どもたちと一緒になって
無理なくできることから
違っていることに気付きました。共通
いよ う に 取 り 組 めばいいのではない
で取 り 組 むこと が 難 しい場 合 は、ど
の基礎 知識を伝 えることはもちろん
でしょうか。何かをやらなければいけ
プログラムを
大 切です が、彼 らが 自 分で 考 えてい
ないわけではありません。給食に出て
――
くきっかけを、一緒に作っていけたら
S
H
O
K
U
I
K
U
神 戸 子 ど も た ちに とって、給 食 は
いつも誰かが出してくれるものです。
SHOKUIKU の目標
教育から見つめる「食」
「味」
を
言葉にしてみよう
私たちは「おいしさ」をどう感じているのだろうか。
技術がどんなに進歩しても、数値化できない「味」の感覚。
それがどんな「言葉」で表現されているのかを研究している
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構の
早川文代さんに、味覚と言葉の関係について聞いた。
五感を使って「味」を感じる
どを元に、食感を表す 445 語を記載。このリストをツール
として食品の品質評価に活用しています。
食品の味や品質を調べる方法のひとつとして、実際に人
例えば、同じリンゴでも、収 穫直後と収 穫 後しばらく
が食べて評価する「官能評価」があります。ものを食べたと
時間が経ってからではみずみずしさやかたさが変わり、
きに人がどのように感じるかを調べるため、超音波画像装
「シャキシャキ」から「すかすか」へと表現が変化。
「シャキ
置を用いて飲み込むときの舌の運動を測定したり、ものを
シャキ」と「サクサク」のように似ている言葉も使い分けて
食べているときの脳波や血流を調べるなど、機械を使って
いて、品種や収穫のタイミングの違いを表現することがで
数値化・定量化することもあります。
きます。
しかし、どんなに精密な機械でも、数値化できるのは人
外国語でも同様の用語リストは作成されていますが、他
が感じる「味」のごく一部に過ぎません。人間の感覚はとて
言語に比べて日本語の用語は数が多く、
「ねばねば」
「ねっと
も複雑で、舌で捉える味だけでなく、食感、見た目、におい、
り」などの粘りや「ぐにゃぐにゃ」
「ぷるぷる」などの弾力を表
音など、五感をフルに使って「味」を感じています。まずは
す言葉が多いことが特徴です。
人が食べてみて、その感覚を表現することが「味」を知る
また、過去のデータと比較してみると、
「ぷるぷる」
「ぷ
基本になるのです。
にょぷにょ」
「ふるふる」など、ゲル状の軟らかさを表す言葉
微妙な違いも言葉で表現
が明らかに増えてきています。これには、食嗜好の変化と、
ゲル化剤の開発が進んでさまざまな食感がデザインできる
人が感覚で捉えた「味」は「言葉」として表すことができ
ようになったことが関係していると考えられます。
ます。そこで、研究の一環として作成した「日本語テクス
このように「味」を表す言葉はとても多彩です。食事をす
チャー用語リスト」では、研究者のアンケートや文献調査な
るときには、触覚、味覚、視覚、嗅覚、聴覚と、五感を使っ
て「味」を表現してみてください。言葉にすることでその食
品に対する愛着が増し、記憶との結びつきが強くなります。
食事を作ってくれた人、一緒に食事をしている人にもおい
しさが伝わって、食生活がさらに豊かになるはずです。
Science Window 2016 秋号 |14
国産小麦のパンにかけた敷島製パンの挑戦
その国産小麦の使用率向上を目指す敷島製パン(Pasco:愛知県名古屋市)
。
――国産小麦 “ゆめちから ”とは
そもそも食料全体でも4 割程度しかない日本の自給率を高めるために、
どんな小麦なのでしょうか?
しかし、その原料であるパン用小麦の自給率はわずか 3%。
井 上 ゆめちか らは、国 内ではとて
も 希 少 な、パン製 造に 適した小 麦で
20 世紀以降、私たちの日々の食生活に定着してきたパン。
す。また、これまでの多くの小麦は種
を 春にまき、夏の終 わりに 収 穫 する
国産小麦を使用したパンを世の中に広めようと奮闘している。
ので す が、ゆ め ち か ら は 秋 に まいて
そして小麦の作り手である農家。3 者がタッグを組み、
雪の下でひと 冬 を 過 ごし、7月 に 収
ちゅう り き
長年の研究で国産小麦「ゆめちから」を完成させた北海道農業研究センター。
パ ス コ
穫します。小麦は湿度に弱いため、日
本の蒸し暑い夏が始まる前に収穫で
きる秋 まきは栽 培がしやす く、収 穫
量も豊富です。
そもそも日本の気候は小麦栽
培 に 適 さ ないので、小 麦の 自 給 率 は
西崎
高 く あり ません。いく らかある国 産
きょう り き
小麦も、パン作りに適した 強 力小麦
ではなく、うどんなどに適した 中 力
小麦がほとんどです。
そこで製パン業 界ではほとんど外
国 産の小 麦に頼ったパン作 り をして
きたのです。
――皆さんが国産小麦でパンを
作り始めたのはなぜですか?
井 上 2007年にオーストラリア
の干 ばつ等 が 影 響 し、小 麦の国 際 相
場が高 騰したことがあり ました。食
の 豊 か な 時 代 で も、外 国 ば か り に
頼っているとある種の食 糧 危 機に陥
15| る危険があると痛感しました。
弊 社社長の盛田は、世界 的な食料
不安や食料自給率などの諸問題を解
食料の自給率向上を願い
国産小麦を実用化
米は「コシヒカリ」など品種そのものがおいしさ
を伝えます。小麦の世界でも「ゆめちから」ができ、
く わず か。どうやって商 業ベースに
した。しかし国産小麦の生産量はご
産小麦でパンを作ることだと考えま
決 す るために、弊 社でできるのは国
参加を決めたのです。
せる食 品開 発 プロジェクトへ弊 社 も
そして2010 年、農 林 水 産 省 が
立ち上げた“ゆめちから”を実用化さ
です。素晴らしいタイミングでした。
小 麦 粉 を買い取ること。将 来 的にも
か ら を 作って も ら え れ ば、必 ず その
と弊 社の想いを 伝 えました。ゆめち
長 くゆめちからを 使っていきたいこ
そこで社長の盛田が自ら北海 道の
農 家 を 訪 ね 歩 き、ゆめちからの魅 力
乗せられるだけの国産小麦を確保で
力を続けました。
「 社長が直接やって
ンドさせれば強 力 粉同 様になり、品
もと日本に多 くある中 力 粉をブレ
は強 力 粉ですが、ゆめちからともと
強力小麦。パン作りに適しているの
ました。しかも、ゆめちからは「 超 」
ない小麦に切り替えて本当にやってい
し、農家にしてみれば、わざわざ慣れ
を 確 保 することができ ません。しか
ければパンを製 造できるだけの小 麦
に“ゆめちから”を生産してもらえな
すでに別の作 物 を生産している農 家
井 上 さ ま ざ ま な 困 難 が あ り ま し
た。プロジェクトは 始 まった ものの、
した。こうした努力が実って、ついに
らいかな ど、試 行 錯 誤 を繰 り 返しま
るためのミキシングの時 間はどれぐ
ブレンドすればいいのか、生地をこね
この超強力 粉にどのくらい中 力 粉を
西 崎 開 発面も一筋 縄では行きませ
んでした。初めて扱う小麦ですから、
来 る な んて!」と 農 家の 方々も か な
質を安定させることができます。
けるのか、その決断は容易ではありま
り驚かれたようです。
西 崎 つま り、社 長の盛田が 本 気で
国産小麦のパンに取り組もうと決意
産 小 麦“ゆめちから”を品 種 登 録 し
ちょうどその頃、北海道農業研究
センター が 年 か け て 開 発 し た 国
きるのかが、まず大きな課題でした。
と。それらを納 得いただけるよう 努
材料の配合や発酵時間、温度、製造工程などを試行錯誤しておい
しさを追求する。工場の製造ラインは機械作業だが、パンの品質
は町の手作りパン屋さんと差がない。ほぼ無菌状態で製造するた
め保存料などを使用しなくても保存日数が長い。
(写真提供/敷
島製パン株式会社)
――商品化までスムーズでしたか?
井上俊逸さん
2012 年 6 月 に1カ 月 限 定 で『ゆ
2014 年
のやりがいを感じます。
せん。
2013年
でしょうか。その瞬間に関われると思うと、仕事
し た とき、ゆ め ち か らが 誕 生し たの
家庭用 その他製粉
うどん 中華麺 その他麺 菓子
パン
2020年
2012 年(9-12 月)
2015年
2%
7%
1.9%
60%
Pascoのパン製造における国産小麦粉使用比率
日本の小麦の用途別自給率
日本の小麦はうどん用の中力粉が中心。Pascoもパンの製造はほぼ外国産小
麦に頼っていた。現在はパン、和洋菓子製造の国産小麦の割合は約15%に。
2020 年の創立100 周年までには20%までの引き上げを目指す。
農林水産省「平成 23年度 食料・農業・農村白書」のデー
タを基に作成
20%
5%
1.2%
敷島製パン株式会社
研究開発部
研究室長
13
3%
0.4%
同じようなことが起こりつつあるのではない
13.2%
14%
23%
Science Window 2016 秋号 |16
じられたり狙った通りに出来上がったりすると、
めちから入り食パン』を販売。ゆめち
した。2013年
ださるメッセージも 多 数いただきま
粉の全量に対する国産小麦の使用比
西 崎 はい。私たちは今 後 も研 究開
発を続け、Pascoが使用する小麦
を開 始しました。このときは農 家の
率を2020年に
月 には 通 年 販 売
からに国産中力小麦をブレンドした
100%国 産 小 麦でできた食パンが
方々のご協 力 も あ り、作 付 面 積 が 増
%まで引き上げ
誕生したのです。
4
い」が 8 割。逆 に「 買いた く ない」と
は「お い し い」が 9 割、
「ま た 買 い た
bアンケートを実 施しました。結 果
井 上 『ゆ め ち か ら 入 り 食 パン』で
は、パッケージのQRコードからWe
――商品に対する消費者の反応は?
国産小麦
リーズでゆめちからを
社のトップブランドである“ 超 熟 ”シ
の使用を広げ、2015年4月には弊
そしてベーグルやクロワッサン、ロー
ルパンなど多種類のパンでゆめちから
ることもできました。
%配 合 し た
えたおかげで価格を220円に下げ
井上 それぞれの立場の方が力を合
わせ、ゆめちからは「パンは輸入小麦
生産していただく必要もあります。
待したいです。いっそう多くの農家に
ための改 良 を、研 究 者の方々に も 期
そのためには、異 常 気 象や 病 気 と
いったリスク回 避や 生産 地 域 拡 大の
ることを目標にしています。
20
%の 食 パン『 超 熟 国
のでした。
300円という 価 格の高さによるも
いう 方 も 1 割いて、その理 由 はほぼ
勢を示すことができたと思います。
を継 続して使用するという 弊 社の姿
産小麦 』を発売。これからも国産小麦
これを 推 し 進め、国 産 小 麦 を通じた
識 を変 革 しつつあ り ます。私 たちも
で 作 る」とい う これ までの 業 界の 常
日 本の食 料 自 給 率の向 上に、今 後 も
革命的な新しい品種として期待さ
れるゆめちからは、海外への競争
力も十 分に備えていると井上さ
んと西崎さんは評価しています。
2020 年東京オリンピックを機会に
訪れる海外の方に日本産小麦によ
るパンの味を知ってもらえば、将
来は海を越えてそのおいしさが広
まっていくかもしれません。
50
「ゆめちからを社員にも身近に感じてもらいたい」という盛田社長
の想いから、本社屋上でゆめちからをプランター栽培。2009 年に
7 台のプランターから始めて、現在は 46 台となり小麦粉にして約
8㎏ほどの小麦が収穫できる。
(写真提供/敷島製パン株式会社)
「超 強 力小 麦」の 特 性 が 他
の小麦にはない付加価値を
ゆめちからに与えている。中
力粉を混ぜた食 パン(左)
。
粘り強さを生かしたベーグ
ル(右上)
。薄力粉が常識の
洋菓子には、新しい食感の
商品を生み出した(右下)
。
ゆめちからが持つ国際競争力
1
0
0
貢 献できるようチャレンジし続けた
西崎陽介さん
―― パンの 小 麦 を め ぐ る 状 況 は 今、
敷島製パン株式会社
研究開発部
研究室
価 格 設 定は課 題でしたが、全体 的
には好 評で、食 料 自 給 率 を上げよう
側面もあって、奥が深いですね。
いと思っています。
細やかさが必要であるのと同時に科学技術的な
変わりつつあるのですね。
感動や喜び があります。職人のようなきめ
と す る 私 た ちの 姿 勢 を 応 援 して く
17| の未来
食
育てる・つくる
パン作りは 面白いです。原料による違いを感
復興×食
農業を変える植物工場
アイディアと技術の宝庫、グランパドーム
明るいドームの中、ミストが散布される室内に、たくさんのレタスが元気に育っている。
株式会社グランパ( 神奈川県横浜市 )が開発した太陽光を利用したドーム型の植物工場は、
従来の水耕栽培の常識をくつがえす栽培システムだ。
グランパドームの特徴について、グランパファームの山田篤志さんにうかがった。
農業経験がなくても参入可能
長 年、農 業の改 良 普 及に 携 わって
きた山田さんは、グランパドームでの
水 耕 栽 培の様 子 を通 常のビニールハ
ウスと 比 較 して、スポーツカー と 普
通車の違いに例える。
温 度 や 湿 度 を 自 動 で 管 理 す るの
で、冷 夏や 暖 冬 などの気 象 変 動の影
響を受けない。水 耕 栽培の病 害虫被
ドームの外観。入り口にあるセンサーが外部のあ
らゆる環境をつぶさに監視する。
2016 年 7 月末に訪ねてきた中国農業大学の視察
団。海外からの注目が高まっている。
害は露地栽培に比べてもともと少な
で化 学 合 成 薬 品に 頼 らない。一年 を
いが、自 然の力 を利 用した駆 除 方 法
通して安定供給ができ安全性も高い
ことから、バイヤーの信頼度が高く、
流通面で有利に展開できるという。
「ド ーム 内 での 生 育 状 況 を 細 か く
把 握していろいろな調 整をするため
の知 識 は必 要です が、これ まで農 業
経 験のない人で も 習 得 は 可 能 で す」
成 り 立つためには、運 営 や 流 通 面で
と山田さん。ただし ビジネスとして
か
の条件をクリアする必要がある。
ろ
復興支援を支えた濾過技術
水 耕 栽培においてもっとも重要な
要 素の一つが 水の品 質 だ。同 社で 導
*参照 )
の不純物を取
入 し た 逆 浸 透 膜 システムは、1ナノ
メートル(
震 災の翌 年、復 興 支 援 プロジェク
ト として 建 設 さ れ た 陸 前 高 田 市の
実用化が実証された。
能 だ。耐 久 性 に 優 れ、水 耕 栽 培 での
り 除 くことができ、塩 分の除 去 も 可
P
37
1
リーフレタスを栽培するドームの内部。内側
から空気圧で膨らませたエアドームなので
骨組みがなく、作物に影を落とさない。ドー
ムは光を散乱する樹脂フィルムで覆われて
いる。外気は遮断され、作物に最適な太陽光
の量、湿度、温度などあらゆる環境条件を高
度にコンピューター制御している。
陸 前 高田ファームのプロ
ジェクトマネージャーを務
める山田篤志さん。
Science Window 2016 秋号 |18
育てる・つくる
食
の未来
グランパドームの栽培の仕組み
1
ハチを養殖しているところ。アブラムシが発生し
た場合は、天敵のハチを放って駆除する。自然の
力を利用するので安全性が高い。
2
3
直径 20mの円形水槽に浮く専用フロートで作物を
栽培する。苗のときに中心付近に植えられた作物
は、自動スペーシングシステムによって、外周側に
移動。植え替えなどの手間なく、成長した作物を外
周部で収穫できる。
1
1
種を育苗ベッドで育て、できた苗を円形水槽の中
心部で植える。
苗は成長に応じて外側へ移動。径方向に 57 列、円
2
周方向に 250 列、最大1万 4250 株が並ぶ。生育速
度は季節や天候で変わるが約 30日で外周に達する。
3 収穫は外周部に来た野菜を抜き取るだけ。1人で
1日2棟分収穫できる。生産量は年間平均で、1棟
当たり1日約 400~500 株。
19| 写真提供/株式会社グランパ
東日本大震災で壊滅的な津波
の被害を受けた岩手県の陸前
高田市。国の大型復興支援プ
ロジェクトとして建設されたグ
ランパドームは、塩害でダメー
ジを受けた土地を改良する必
要もなく、現地に安定した生産
と雇用を生み出している。
陸前高田市内に並ぶ 12 棟のグランパドーム
ドームでは、井 戸 水の塩 分 濃 度 が 高
被災地の
農業復興支援にも
く、この技術が生かされたそうだ。
「この プロ ジェク ト は 地 域 連 携 が
う ま くいき ま し た」とマネ ー ジャー
を務めた山田さん。市 内の学 校給 食
に 使 われたほか、教 職 員や 生 徒の体
験学習も行われた。養護学校から来
たインターン生の中 には、卒 業 後 そ
のまま就職した人もいる。
「 初めは仮
設住宅の人がほとんどでした。
『 緑を
見 ている と 落 ち 着 く ん だよ ね』とつ
ぶやかれた言葉が忘れられません」
として導入した愛知県の老人ホーム
ドーム内での作 業 自 体は、高 齢 者
や車いすの人でも可 能 だ。サービス
では、入 居 者が 楽しんで作 業 するう
ちに元 気になり、血圧や血糖 値 など
の数値も改善したという。
「 今後、農
業以外の福祉面などへの展開も視野
3
に入れたい」と山田さんは話した。
2
復興×食
夢は世界へ釜石の新鮮な
魚介類を届けること
年
号の新規企業として設立された。
月に発生した東日本大震災のわずか カ月後の
~震災復興そして新たなチャレンジへ~
釜石ヒカリフーズ株式会社は
とう に
5
と違うんです」と佐藤さん。
高知工科大学の松本泰典准教授に
よって開 発 されたスラリーアイス製
造 装 置は、塩分 濃 度 を調 節 すること
で氷の温度を調 節できるのが特 徴だ
復興の道筋が見えてきた
釜石ヒカリフーズが構 える唐丹地
区 周 辺 は 震 災 前 に は 海 沿 いに 水 産
再 建 することも 考 えたという。しか
しすべてが流された釜石に貢 献した
いという 強い気 持 ちで、土 地 も お 金
も人もない中で一大決心をする。
「 当 時、釜 石 は 働 く と ころ が な く
て、みんなすごく不安でした。この場
を基本に魚の種類によって変える。こ
所はどう 見たって産業ではなく漁業
加工の工場 が 何 軒 も あった。震 災に
も 流 されたため、復 旧 を あ き らめて
の場 所。です か らこれ まで私 がやっ
よって工場だけでなく、港も壊れ、船
く保持することが可能だ。コンパクト
多くの企業が撤退していった。
てきた水 産 加 工業で、釜石 を中 心に
きるので、鮮度を保ったままさらに長
な装置も導入のきっかけとなった。
佐藤さんは出身地の盛岡で生活を
れ を 使 う と、魚 が 凍 らない温 度にで
という。製氷温度はマイナス0・8℃
釜石ヒカリフーズ株式 会社社長
佐藤正一さん
昨 年、佐 藤 さんはこの製 造 装 置で
作ったスラリーアイスを使って、サン
マを釜石から高知に送る実験をした。
「サンマの場 合、水 揚 げされてから6
日間は刺し 身で食べられます。高 知
はサンマを生で食べる文化がないので
す る。この温 度では 魚 が 凍ってし ま
ました。もちろん鮮度が保たれている
ことがありません』と喜んでいただき
すが、『こんなにおいしいものを食べた
い、細 胞が壊れ、味が落 ちてしま う。
ので焼いてもおいしいですよ」と話す。
凍 結するマイナス2℃以下まで冷 却
イスは 海 水 か ら 作 られるため、魚 が
も傷が付かない。一般的なスラリーア
却でき、温度ムラもできない。魚体に
に ピタッと くっ付 くので、素 早 く 冷
水 を 混 ぜた ものに 比べて、魚の 表 面
漁港や市場で見かける砕いた氷と海
これは氷の細かい粒子と塩水など
の液体が混ざり合った流動性の氷だ。
スラリーアイスと呼ばれる。
このシャーベット 状の軟 らかい氷 は
藤さんが「シャビシャビ」と表現する
いえない液体の中に浸かっている。佐
発 砲 スチロールの 中 をの ぞ く と、
釜石で捕れたサンマが氷とも水とも
スラリーアイスとの
出会いが原動力
というその思いは現実のものとなりつつある。常に前向きに走り続ける佐藤さんに話を聞いた。
それから5年たち、
「 釜石で捕れる魚介類を新鮮なまま遠くの人にも食べてもらいたい」
津波ですべてが流されたこの地域に雇用で貢献したかったという社長の佐藤正一さん。
1
3
月に、岩手県釜石市唐丹町で震災後県内第
8
2
0
1
1
「でも、このスラリーアイスはちょっ
東日本 大 震 災 のときには、津 波 に
よって正面の木の根元の辺り
(赤い
点線部分)まで海水が押し寄せた。
2
Science Window 2016 秋号 |20
です」と佐藤さんは振り返る。
て、雇 用の 受 け 皿 を 作 り たかったの
三 陸 の 魚 介 類 を 使 った 復 興 を 考 え
)の職 員 だった 貫 洞 義一さん
岩 手 大学で、当 時 科 学 技 術 振興 機 構
語る。中でも 市 役 所の勧めで訪れた
いがあって現 在 があると佐 藤 さんは
と、そしていろいろな人たちとの出会
このよう な 厳 しい状 況でスタート
したが、家族が背中を押してくれたこ
が資金を出してくれました」
付 かなかったのです。最 終 的には県
業だったので第4次 補 正まで予 算が
い見 込 み をしていま し たが、新 規 事
く、いわば料理屋のいけすのようなも
直 前 まで海 水のプールで泳がせてお
は海で捕った成 魚を生きたまま出荷
最 近、佐 藤さんはサバの「 畜 養 」と
いう 新たな取 り 組みを始めた。畜 養
と知ってもらいたい」と願っている。
て価値を高めて、
「日本中の人にもっ
になる。そのために も ブランド 化 し
スラリーアイス便で運べば釜石の
水産物を日本中に届けることも可能
す。これが信頼の証しなのです」
は 違いま す よ』という 姿 勢 は 大 切で
の名 称で登録 商標を取 得。
「『ほかと
別 す る た めに、
「スラ リ ーア イス 便 」
スラリーア イスを一般のものとは 区
すでに世界を意識している。
く ないのか もしれない。佐 藤 さんは
石の魚介類が出荷される日もそう遠
スラリーアイス便がもっと浸 透す
れば、日 本 中にだけでな く 世 界に釜
くのが一番いいと思います」
リ ピーターか ら口コミで 広 まってい
て も ら えれ ばいいです ね。それには
「スラリーアイス便だったら鮮度も
安心だし、買っても間違いないと思っ
ほぼ同じ状態を保つことができます」
イントです。すると生きていたときと
ぐにスラリーアイスに入れるのがポ
に、サバを活け締めして血を抜き、す
てる養殖とは異なる。
「 出荷する直前
「 最 初 は 震 災の 第 1 次 補 正 予 算の
グループ補 助 金が使 えるのではと甘
貫 洞 さんは当 時、岩 手 県において
企業が必要としている技術を全国の
との出会いは大きな出来事だった。
(
大 学 から 見つけてきては、共 同 研 究
高知工科大学が開発した
スラリーアイスの製造装
置。円内はスラリーアイ
スを手ですくったところ。
の。栄 養 豊富な餌を与 えて大きく 育
ンナーだった。
「『 魚 介 類 の 鮮 度 を 長 時 間 保 持 す
ることができ れ ば、釜石の水 産 物 を
遠 く まで 届 け ることがで き る』とい
う佐藤さんの強い思いに応えるには、
高 知工科 大 学のスラリーアイスしか
ないと思いました。そこで、すぐに松
行ったのです。先生はとても忙しく、
本先生に協力をお願いしに高知まで
『 被 災 地 の 企 業 ま で は とて も 無 理 で
す』と言われたのですが、口説き落と
しましたね。ふつう は県 内の企 業 と
大 学 をつな ぐので す が、このよ う に
東北と四国の組み合わせは大変珍し
い事例だったのです」と貫洞さん。
より新鮮な魚をより多くの人へ
スラリーアイス便は、ほか
のスラリーアイスと区別
するために登録商標を取
得した。このマークが貼
られている荷物には高知
工科大学のスラリーアイ
スが使われている。
という 形でつな げ るマッチングプラ
向かって左から貫洞義一さん(元 JST マッチングプランナー)
、佐藤
正一さんと尾形健作さん(釜石ヒカリフーズ株式会社)
、箭野謙さん
(JST マッチングプランナー)
。
釜石市唐丹町にある釜石ヒカリフーズ株式会社。佐藤正
一さんは東日本大震災が起きたわずか5カ月後の8月に
この会社を設立した。
J
S
T
佐藤さんは高知工科大学の優れた
21| の未来
食
育てる・つくる
京都、
錦市場 をデザインする試み
京都工芸繊維大学
KYOTO Design Lab
四百年の歴史をもつ京都の台所、錦市場。
流通を含めた京都の食を多角的に研究し、
建築とデザインの視点から
観光客で賑わう錦市場。
デザイン思考による
社会的問題の解決をめざして
デ ザ インの 考 え 方 について、こん
な例え話をご存じだろうか。年 老い
た魚 が2匹の若い魚のところに寄っ
することを狙ったものだ。
ワークショップに 先 立って調 査に
当 たったのは、小 野 さ んほ か同 ラ ボ
の教員、学生など 人ほど。それぞれ
分 担 して、自 然 環 境、水、廃 棄 物、食
文 化 な どを調 べた。この調 査を牽 引
海 外の 専 門 家 と 共 同 研 究 を 行 うの
り も 難 しかった。け れ ど もこの調 査
の流通を データ化 するのは思ったよ
した建築学専攻・三宅拓也助教は「 食
い魚 は 泳 ぎ 去 り な がら、もう1匹に
年 6月
ラムのビル・バーネット教授は、この
スタンフォード大 学 デザインプログ
ヘルツ 客 員 教 授( 現 バー ゼル 大 学 教
市設計に関わる建築家、マニュエル・
研 究所(バーゼルスタ ジオ)から、都
にはスイス連邦工科大学の現代都市
点が浮かび上がってきた」と言う。
によって、錦 市 場の 変 化 に 伴 う 問 題
「 KYOTO Design Lab
( ラボ)は、
建築学とデザイン学の視点から社会
直せば、新たな発見がありそうだ。
てる。この方 法で 私 たちの周囲 を見
前過ぎて気付かないものに焦点を当
査、データを 基に 衛 生工学の手 法 を
さま ざまな 角 度 から 京 都の食 を調
ショップを開 催 した。流 通 をはじめ
とア ー バニズ ム」をテ ーマにワ ー ク
い て、
「都 市 を 形 作 る 食 京 都 の 食
授 )とシャディ・ラーバラン講師を招
市場 ができてから現在のような形態
て 栄 えた 後、昭 和の初 めに中 央 卸 売
がひしめく。江戸 時 代に魚 市 場とし
い 通 り の 両 側 に、
商 店 街。幅3~5メートルほ どの狭
4
0
0
つ くだ に
余 りの 店 舗
もそろう。料 亭などに高級 食 材を供
な 食 材 を 中 心に、包丁 や日用 品 まで
湯葉、鰻 、佃煮、お茶、菓子など多様
うなぎ
通 り、魚 の み な ら ず、野 菜、漬 け 物、
に変 わって きた。
「 京の台 所 」の名の
1
3
0
-
錦 市 場は四条通りの一本 北 側にあ
り、東西 約
メ ー トルに わ た る
的問題を発見してその解決に取り組
用いて食文化や都市構造を明らかに
錦市場の変化に着目
ン思 考 なの だ と語っている。当 たり
ラ ボの 特 徴 だ。
も
て き て「 水 は ど う?」と 尋 ね た。若
20
話 し か け る。
「 水って な に?」 ――。
「調査はなかなか困難だっ
た」と三宅助教。
2
0
1
5
「 水 」を 見 る た め の 考 え 方 が デ ザ イ
D
む、ユニークな研究所です」と話すの
スイスの建築家を招き
食の視点から都市調査
を集めているものも多い。
「 造 形 遺 産 プロジェクト」な ど、注目
ダム、トンネルな どを有 効 活用 する
日本各地で使われなくなった道路や
な プロ ジェク ト を 立 ち 上 げ て き た。
問 題 解 決 をテーマに 掲 げ、さま ざま
人に 役 立つデ ザインな ど、具 体 的 な
市や農 村の再 生、高 齢 者 や 介 護 する
年の 設 立以 来、国 内 外の 都
はラ ボラ ト リ ー 長の 小 野 芳 朗 教 授。
D
国 際 的 な 潮 流 を取 り入 れる た め、
「崩れやすいので触らないで」
。中国語
と英語による表示。
2
0
1
4
意欲的な取り組みを紹介する。
今日の新しいあり方を提案しようとする、
ヘルツ氏と店舗調査をする学生。
Science Window 2016 秋号 |22
の未来
食
育てる・つくる
細長い町家の中の動線。青
は消費者、赤はオーナー、
緑は品物。
430 ページに及ぶ英語版と日本語版の報
告書『京都の「食」
』
。
給するブランド力をもつ一方で、市民
が日常的に利用する場所でもある。
年 代 まで
しかしな がら、奥 様 たち が買い物
かごをさ げて 食 材 を買 う、そんな 姿
が 主 流 だっ た の は 昭 和
で、その後は生 活習 慣 な どの時 代 的
な変化から、一時期活気が衰えた。最
近は再 び 盛り返 して きた が、その様
子は以前とは違っている。
「 外 国 人 観 光 客 が 増 え、お 店 の 売
り 方 も 変 わって き ま し た」と三 宅 さ
ん。京 都 を 訪 れ る 観 光 客 は、年 間
万人に上る。京 都ならでは
観 光コ ース だ。観 光 客 の「そ の 場 で
の食 材 が並ぶ錦 市 場は、今 や人 気の
食べてみたい」という要望に応え、食
市 場の食 材 をおいしく、京 都 らしく
味わうための食空間の「しつらえ」を
目 指 す。当 初、錦 市 場の 店 舗の2階
イベート空間になっていること が多
の活用 を 考 えた が、住居 な どの プラ
く、難 しいこ と が 分 かった。新 た な
プ ラ ン を 立 て る た め、現 在、各 国 の
都市における市場とレストランの関
係を調査中だ。
食屋 があったりする。伝 統 的な仕 出
しのシステムも気軽に使えるように
なれば、高齢者、要介護者、共働き家
庭 な ど、いろいろ な 需 要 が あるので
はないか」と小野さんは考える。
「 今 回 招い た バー ゼルス タ ジ オの
研 究 者 た ち は、建 築 家 と し て 行 政
に 提 案 して き た 実 績 を 持つ人 た ち
で す。日 本 で は 都 市 計 画 は 土 木 部
門の専門 領 域になっていて 、建 築 家
の 声 が届 きにくいので す が、この 状
況 が変 わったら 、非 常に面 白いと思
いま す 」
京 都にふさわしい、どんな 都 市 空
間 がしつらえられるだろう。 ラボ
に期待したい。
D
国立大学法人京都工芸繊維大
学副学長・KYOTO Design Lab ラ
ボラトリー長。建築学専攻教授。
1957 年 福岡県 生まれ。京 都 大
学工学部卒業、同大学院工学研
究科修士課程修了(衛生工学専
攻)
。工学博士。
材 を 並べる だけで な く、調理も する
屋台のような店も増えたという。
その一方で、食材に平気で触り、食
べ歩 きし な が ら 見て回 り、ごみ を ポ
イ 捨て するよう な 観 光 客に対し、錦
市 場の人 たちの懸 念も大 きい。三宅
さんによれば、アジアのマーケットで
そ う だ が、このま までは 錦 市 場 がア
は店頭での食事や食べ歩きが普通だ
ジア化してしまいかねない。
観 光 客を満足させな がらも、錦 市
場の 魅 力 を 失 わ せ ない 方 法 と は 何
か。問 題 解 決 に 向 け て の 試 み が 始
まった。
仕 出 し屋 に も 注 目 している とい
う。
「 高 級 な イ メ ー ジ を 持つ 錦 市 場
23| 図・写真提供/KYOTO Design Lab
乾物屋・島本商店の正面デザイン(中央)
。16 世紀の江戸時代、税金は家の間口で決められて
いたため、京都の町家では基準の3間(5.4m)が多い。島本商店は 4.5m。
だ が、錦の食 材 を使った 大 衆 的 な 定
小野芳朗
40
プロジェク ト2年 目の 今 年 は、錦
食空間の「しつらえ」に
チャレンジ
(おの・よしろう)
5
5
0
0
各回においしい献立
“ サイエンス・レシピ ” つき!
私たちの身近な「食材」と「調理」について、
さまざまなトピックを取り上げ、科学の視点で解説。
その背景にある、人々のたゆまぬ努力や知恵を紹介する。
2回
食べて良いもの、悪いもの。体の中に入っ
た食べ物が消化吸収されていく仕組みを解
きながら、人の身体に病気を起こす食中毒や食物ア
レルギーのメカニズムに迫る。
味覚のミステリー
~おいしさはどう感じるか~
人はなぜ味を感じるのか。甘みなどを感じ
とる細胞の研究や、味覚に影響を与える食べ物の色・
香り・音、食べ物の好き嫌いはどうして起こるのかな
ど、
「おいしさ」の仕組みをひもとく。
第
3
食事&風土
回 (フード&フード)~日本の食文化と伝統~
日本には古くからの伝統料理や知恵があ
る。お浄めの塩の意味や製塩方法など塩にまつわる
話から、精進料理、凍 み大根など伝統食のおいしさ
を科学の視点で探る。
き よ
し
4回
食材加工の科学
第
こうじ
フード・テクノロジー
5
回
6
回 海の幸、山の幸に恵まれた日本列島。多種
~おいしさを求めて~
7
29
分 )が完成し、
食材のおいしさを広げる「加熱」
「 発酵」
「熟
成」
。食材と加熱方法の関係性、麹菌による
発酵食品(米麹)
、熟成肉のおいしさの秘密など、食材
をおいしくする技術に迫る。
回、各回
第
J
S
T
( 科学技術振興機構 )が提供している動画サイト「サイエンス チャンネル」で
第
12
月中旬から順次公開される。その概要と見どころを、一足先に本誌で紹介する。
1
回
食にまつわる科学をテーマにした新シリーズ『おいしさの扉 』( 全
体と食べ物の不思議な関係
第
サイエンス
チャンネルの
新番組
『おいしさの扉 』
『おいしさの扉』
おいしさを求めて進化する科学と技術。農
産物の品種改良や、工業と農業の融合で可能となった
水耕栽培技術、炊飯器の技術変遷など、食にまつわる
最新テクノロジーを紹介する。
第
日本列島と食物
多様な野菜を育む日本の土壌の秘密や、昆
布・牡蠣と大地の関係性など、食物をつくる自然の力
や先人たちの知恵・努力をみていく。
か
第
7
回
き
『おいしさの扉』
P. 25で紹介している第 2回
と第 5回は、10 月3日より下
記のサイエンスウィンドウ
の特設ウェブサイトで視聴できます。
http:/ /sciencewindow. jst.go. jp/
oishisa.html
食の惑星
~世界とつながる食環境~
グローバル時代の食として、食品の冷凍・解
凍技術や、世界中で食べられている穀物とそれぞれ
の調理を紹介。また、ユネスコ無形文化遺産となった
「和食」の秘密にも迫る。
動画サイト「サイエン
ス チャンネル」の番組
12 月中 旬 から 全 7 回 が
順次紹介されます。
http://sciencechannel.jst.go.jp/
各回 29 分 ( 前編・中編・後編の 3 パート構成 )
Science Window 2016 秋号 |24
全 7回の中から
見どころを紹介
第 2回 味覚のミステリー ~おいしさはどう感じるか?~
▲
▲ 「甘味」に赤く反応する細胞の様子。将来的には人が
食べて計測していた味を、数値化することが期待される。
【前編】味覚センサー味の種類
う ま
み
人が味覚によって味わうことのできる「甘味・旨味・酸味・塩味・苦味」
の5 種類の味。近年、味細胞や味を感じるセンサー(受容体)が明らか
になり、
「おいしさ」の研究が徐々に発展してきている。
東京大学の生物機能開発化学研究室では「甘味」に反応する細胞を
つくり出して、そこに味物質を振りかけて観察することで、客観的に甘
味を判別することに成功した。
これまで人が実際に食べて計測していた味に対し、客観的な数値的
計測をすることで、
「おいしさ」を科学的に解き明かそうとしている。
第 5回 フード・テクノロジー ~おいしさを求めて~
【中編】メロン 工業と農業のハーモニー
土壌を使わずに、液体肥料を溶かした水で作物をつくる「水耕栽培」
は、土壌による病害や連作による障害がなく、少ない農薬で栽培が可
能となる。近年、技術の進歩で、これまで水耕栽培が困難だった作物が
栽培できるようになってきた。
まちだシルク農園(東京都町田市)では、流体力学、伝熱工学など
工業分野の観点から技術を見直すことで、メロンの水耕栽培に成功し
た。液体肥料が全体に行き渡るように水の流れをつくり出す独自のシ
ステムを開発することで、高級メロンと同等の品質で大量に生産でき
るようになった。
「おいしさ」を追求するテクノロジーは日々進んでいる。
▲
新しい水耕栽培の技術によってたくさんの実をつけたメロン。糖度は高級メロンの
目安である15度を超えるという。
制作者からのメッセージ
「おい し さの 扉 」は、私 た ち が 生
きる上で 必要 な 食 材 や調理に秘 め
き明かす番組です。
ら れ た 謎 をサイエンスの 視 点で 解
だ け で 味 を 感 じているので は ない
味には「 甘味 」や「 酸味 」
、
「 塩味 」
「 苦 味 」「 旨 味 」があります が、これ
食 欲 を、嗅 覚 で 香 り を 感 じ るこ と
のです。視覚、聴覚、触覚で食感や
起こります。
7
で、同 じ 料 理 で も 味 わい に 変 化 が
シ リ ー ズ 全 回 を 通 して「 好 き
嫌いの秘密 」や「 日本の製塩技術 」
、
北地方の伝統料理 」「 発酵と熟成の
「お 供 え 物 や 精 進 料 理 の 秘 伝 」「 東
新の冷・解凍技術 」「 世界三大穀物
メカニズム」「 旬の食材の知恵 」「 最
料理の再現 」
、ご家 庭でも簡 単にで
どころ満載です。
きる「サイエンス・レシ ピ」な ど見
で し た が、そ れ だ け に、見 た 後 に
最 先 端の研 究 施設 や 生産現 場へ
の 取 材 はス タッフ一同 苦 労 の 連 続
く な り、家 族 や 友 達 と 話 し た く な
つの 扉 を 開 け て、お
は きっと 食 べること が もっと 楽 し
な すて きな
る 番 組 に なった と 思い ま す。そ ん
いしさの世界をのぞいてください。
余 談 で す が、取 材 先 の 扉 が 開 いて
25| が手動で行っています。
(笑)
渡辺達也
カメラが入っていく場面。あれは私
株式会社 日経映像
映像事業本部 プロデューサー
7
Science Window 2016 秋号 |26
空から
ジオ
宮城県 栗駒山麓ジオパーク
東北地方のほぼ中央にそびえる栗駒山は、現在も活動
を続ける活火山だ。この山の緑の山肌をえぐる巨大な
くぼみ。いったいこれはどうやってできたのだろうか。
P.40 に解説しています。
N
27| 写真提供/林野庁東北森林管理局
とり にく
▲
なが
エサは鶏肉や馬肉、ヒ
ヨコ、ウサギなど。顎 の
力が強く、皮も骨もすべ
てかみ砕 いて食べるこ
とができる。
ほね
あご
くだ
Science Window 2016 秋号 |28
や
たん とう
▲
かげ
じ
じっ さい
しん
よう
そう
黒くて小さな「 森の掃除屋 」
タスマニアデビル
てん じ
「こっちに来た!」「 顔はちょっとクマみ
し せん
たいだね」
。来園者の視線を集めているの
年 月から公開されている。
頭のタスマニアデビルだ。多摩動物公園
た ま
は、展示スペースをすばしっこく走り回る
で
し いく
「『思ったより小さくてかわいい。どう
あく ま
して デ ビル(悪魔 )なの?』ってよく聞か
た のり こ
うな
れ ま す」と 話 すのは、飼 育 を 担 当 する 永
田典子さん。その答えはこうだ。
こわ
「 体 が黒っぽく、夜、集まって大きな唸
し がい
り声を上げながら動物の死骸を食べる様
ま
むか
善大使 )として迎えることになった。
ぜん
のタスマニア デ ビル をアン バサ ダー( 親
やって来たのは
年にタスマニ
アの 動 物 園で 生 ま れ た 姉 妹。丸 太の 橋、
胸 と腰 の白い模 様 が
大 き い 方(左)が メ イ
ディーナ(先住民族の言
、小さ
葉で『影 』の意味)
い方(右)がマルジュー
ナ(同『星』の意味)
。
も
子から、
『デビル』という怖そうな名前 が
き き
付きました。でも実際はおとなしい動物
です」
ぜつめつ
絶滅の危機を知らせるために来日
がん
生のタスマニアデビルは、「デビル顔
め野
ん しゅ よう びょう
かん せん かく だい
ぜつ めつ
面 腫 瘍 病 」の感 染 拡 大により、絶 滅 が心
年 より「タ
配されている。そこで、オーストラリアの
せい ふ
ほ ぜん
タスマニア州 政 府は
た
始。多 摩 動 物公園 もこれに参画し、 頭
2
こし
6
スマニア デ ビル 保 全 プロジェク ト」を開
2
0
0
3
2
0
1
3
むね
2
2
0
1
6
大きく
に口を
い
互
お
るのは
開いけ
で す。
つ
さ
あ
しぐさ
の
拶
挨
たが
タスマニアデビル
げん ぞん
フクロネコ目フクロネコ科。現存する
にく しょく ゆう たい るい
肉 食 有 袋 類 最大の動物で、オースト
せい そく
ラリアのタスマニア島にだけ生息する。
お
大人の体長は約 60cm、尾 の長さは約
じゅみょう
25cm。寿命は 5~7 年。メスのおなかに
ふくろ
ふくろ
は後ろ向きに口が開いた袋があり、袋の
こし
中で子どもを育てる。体色は黒く、腰や
むね
も よう
胸に白い模 様 があることが多い。耳は
けつえき
す
かんきょう
血液が透けて赤く見える。多様な環 境
で生活することができ、主に死んだ動
物(ワラビー、鳥など)を食べることから
そう じ や
せいたいけい
い じ
「森の掃除屋」とも称され生態系を維持
や こうせい
なが
している。夜行性で、数 km 先のにおい
とら
するど きゅうかく
を捉える鋭い嗅覚を持ち、多いときには
た
のり
こ
永田典子さん
さが
1日に16kmも動いてエサを探す。
ち
てん じ
ち
こ ん ちゅう
し
いく
てん
じ
法にも新しい試みを積極的に取り入れている。
2016 年からはアジアで初めて「タスマニアデビル保全プロジェ
ほ
ぜん
クト」に参画し、日本で
唯一タスマニアデビル
を飼育、公開している。
ゆい いつ
し
いく
ど う にゅう
し
いく
たん とう
導 入 前には 飼 育 担 当
しゃ
じゅう
い
し
者、獣医師をタスマニ
アでの実習に派 遣、ま
は
げん
ち
けん
せん もん
か
た現地からも専門家を
まね
か ん きょう
し
いく
招き、環 境や飼育方法
のノウハウを学んだ。
【住所】東京都日野市程久保 7-1-1 【 T E L 】042-591-1611
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/
29| 写真/さとうあきら
タスマニアデビルのふるさとは、オース
トラリア大陸の南東に浮 かぶタスマニア
島。かつてはオーストラリア本土にも生息
していたが、人間が外部から持 ち込 んで
野生化した犬「ディンゴ」に生息域を奪わ
れた。さらに、家畜を襲う害獣との疑いか
ら駆除の対象とされ、数が激減。1941年よ
り保護法が施行されたが、近年、感染症が
蔓延し、絶滅の危機にさらされている。
う
せい そく
も
こ
せい そく いき
か
く
じょ
ほ
ご
まん えん
ちく
おそ
が い じゅう
うば
うたが
げき げん
ほう
し
ぜつ めつ
こう
か ん せ ん しょう
き
き
タスマニア島
せっ
しき
多摩丘陵の豊かな自然を生かした敷地に、アフリカ園、オーストラ
リア園、アジア園、昆虫園を設け、約320 種の生き物を飼育。展示方
かべ
く
すがた
小 川、よじ 登 れる 岩 や 壁、小 屋 な ど が設
ね
置された展示スペースで暮らしている。
みち
「 朝から昼は小屋で 寝ていることも多
いで す が、夕 方 が 近 づく と 活 発 に な り、
よ
何 時間も走り回ったり、時々上を向いて
あ
▲
ゆた
周りのにおいをかいだり、寄り道したり、
こう き しん おう せい
いろいろな行動を見せてくれます」
こ
こ
盛 な デ ビル た ち が 飽 き ない
好 奇 心 旺
かん きょう
あた
よ うに、環 境 を 変 化 さ せ た り、エサの 与
も
かん
え方にも工夫を凝らす。そうしたことが
むずか
う
同 プロジェクトのプログラムに盛り込ま
し いく
れている。
そう ぞう
あみ
初めて飼育する動物の難しさ
たい しょ
しかし、時には想 像 していなかったこ
あな
とも起こる。デビルが小屋の横に深い穴
ほ
を掘ってしまい、石を置いたり、網を埋め
せん
せっ ち
たりして 対 処 したこともある。また、汗
てん じ
すず
腺が少ないことから予想以上に暑さに弱
こ
度を超える真夏には、涼
く、急いで展示スペースに冷風 機を設置
した。気 温 が
ちが
しい室内の巣箱で休ませる日もあった。
なが た
しょう かい
きゅうりょう
「日 本 と タスマニアの 気 候の 違いを ど
こく ふく
あた
うやって 克服 するか、エサは何 を与えれ
はげ
ま
わり あい
体はタヌキほどのサイズだが、頭と口の割 合 が大きく、
走る姿もどこかユーモラスだ。
ま
東京都多摩 動物公園
た
ば食 べるのかな ど、まだまだやってみな
けい じ
いとわからないこと ばかりで す」と永田
はん のう
て ごた
さんは語る。何 よりの励みは、来園 者の
すがた
反 応 だ。掲示したプロジェクトの紹介 パ
じっ さい
ネルを熱心に読む人の姿に、手応えを感
じるという。
ご
こ
「 実 際 に デ ビル を見 た り、自 分で 調 べ
ぜつ めつ
ほ
たりすることで、絶滅しそうな動物を保
護することについて考えてもらえたらう
れしいですね」と期待を込めた。
た
30
36
第 回
元素発見 /
栄誉かけ悲喜こもごも
60 年前の周期表。並び方なども現在と異なり興味深い。
(株式会社養賢堂発行 1957 年改訂 柴田栄一創編「周
期律活用図表」より)
た。109 番元素は「マイトネリウム (Mt)」に決まった。
82 年に発見したドイツの重イオン研究所が、オーストリア
生まれのリーゼ・マイトナーに捧げて命名を提案していた。
彼女はウラン核分裂の発見でオットー・ハーンを理論面で支
えた。しかし、第 2 次大戦直後の 45 年に
発表されたノーベル化学賞にマイトナー
の名はなかった。戦時中、ユダヤ系の彼
女はナチの迫害を恐れて北欧に亡命して
いたこともあって、貢献がきちんと評価
されなかったようだ。
リーゼ・マイトナー
(1878-1968)
マイトナーは周期表によみがえった
<周期表の進化>
1957 年の周期表(当時は周期律表といった)を見ると、101 番元
素のメンデレビウムまで記載されている。これが 118 番まで増え
た。99 番の「アインシュタインニウム(E)」は「アインスタイニウム
(Es)」に、100 番の「センチュリウム(Ct)」は「フェルミウム(Fm) 」
に、101 番の「Mv」は「Md」に改
称している。
国名に由来する元素名は欧米
のガリウム、フランシウム(フラ
ンス)
、ゲルマニウム(ドイツ)
、
ポロニウム(ポーランド)
、アメ
リシウ ム(米 国)し か な か った
が、ニホニウムが一角を占める
ことになった。
アルバート・アインシュタイン
(1879-1955)
が、ノーベ ル 賞の ハーンはどうなった
か。105 番元素に米ローレンス研究
所が「ハーニウム」を提案したが、ロ
シアのドブナ研究所の優先権が認め
<元素名になった科学者>
発見した鉱物から 62 番元素を見つけてもらって仲間入りした幸運なサマルスキーから、現
存中に 118 番元素になりそうなオガネシアンまで 17 人が元素名となる栄誉に浴している。
元素名
番号
記号
科学者
ち着いた。同じ元素名を再提案でき
サマリウム
62
Sm
ワシリー・サマルスキー
ロシアの鉱山技師。サマルスキー石を発見。
ガドリニウム
64
Gd
ヨハン・ガドリン
フィンランドの化学者。希土類元素研究の元祖。
ないという慣例があるので、ハーン
キュリウム
96
Cm
キュリー夫妻
フランスの物理学者。ラジウム、ポロニウム発見。
が周期表に登場することはもうない
アインスタイニウム
99
Es
アルバート・アインシュタイン
ドイツ出身。相対性理論を提唱。
フェルミウム
100
Fm
エンリコ・フェルミ
イタリア出身。人工放射性元素を探究。
だろう。
メンデレビウム
101
Md
ドミトリー・メンデレーエフ
ロシアの物理学者。周期表を発案。
られた結果、
「ドブニウム (Db)」に落
ノーベリウム
102
No
アルフレッド・ノーベル
スウェーデンの技術者。ノーベル賞の創設。
ローレンシウム
103
Lr
アーネスト・ローレンス
アメリカの 物 理 学 者。サイクロトロンを 発 明。
ラザホージウム
104
Rf
アーネスト・ラザフォード
ニュージーランド出身。原子核を発見。
シーボーギウム
106
Sg
グレン・シーボーグ
アメリカの化学者。超ウラン元素の発見。
ボーリウム
107
Bh
ニールス・ボーア
デンマークの物理学者。量子力学を提唱。
マイトネリウム
109
Mt
リーゼ・マイトナー
オーストリアの物理学者。核分裂反応を発見。
レントゲニウム
111
Rg
ヴィルヘルム・レントゲン
ドイツの物理学者。X 線を発見。
コペルニシウム
112
Cn
ニコラウス・コペルニクス
ポーランドの天文学者。地動説を提唱。
フレロビウム
114
Fl
ゲオルギー・フリョロフ
ロシアの物理学者。新元素合成を推進。
オガネソン(内定)
118
Og
ユーリ・オガネシアン
ロシアの超重元素研究者。
エンリコ・フェルミ
(1901-1954)
マリー・キュリー
(1867-1934)
アルフレッド・ノーベル
(1833-1896)
Science Window 2016 秋号 |30
ゆ
め
ひ
し ょ う
タイムワープ夢飛翔
武部俊 一
元素が並んだ周期表がうれしい進化を遂げようとしている。周期表の誕生を追った第 28 回(2014 年秋号)で期待し
た113 番元素発見は、日本の理化学研究所の業績が国際的に認められた。今年中にも「ニホニウム(Nh)
」が周期表
に書き加えられることになる。欧米以外にちなむ元素名は初めての登場。科学の場で愛国心をあおる気はないが、
科学史の新たな流れと評価できる。今回は、新元素の発見に挑んだ科学者たちを訪ねてタイムワープする。
先駆けシェーレの非運
1774
ほどの円形加速器サイクロトロンで、天然で一番重い 92 番元
素ウラン 238 に高速中性子をぶつける。原子核の中性子を 1
新元素の発見は、いつまでも残る栄誉だ。ところが、7 つも
つ弾き飛ばし、新核種ウラン 237 を発
の元素の発見に関わりながら、あまり知られていない化学者
見した。
がいた。18 世紀スウェーデンの薬剤師カール・W・シェーレ
これは放射性同位元素で、電子を
だ。ここはタイムマシンの出番。
放つベータ崩壊も確認した。すると
1774 年 9 月末、ウプサラの薬局をのぞくと、31 歳のシェー
未発見の 93 番元素が生まれているは
レがフランスの大物化学者ラヴォアジエ
ずだ。仁科らは、その分離を試み、極
宛に手紙を書いている。酸化銀を分解す
めて長い半減期の新元素を予想して、
る実験方法を伝え、
「そこで発生する空気
翌年 5 月の英文誌に報告。成功すれ
の中では、動物は死なず、ロウソクが燃え
ば、ウランより重い人工元素(超ウラ
上がることを確認していただきたい」
。酸
ン元素)発見一番乗りになるところだったが、惜しくも果た
素発見の第一報だったのだが、ラヴォアジ
せなかった。
カール・W・
シェーレ
(1742-1786)
仁科芳雄(1890-1951)
エからの返事はなかった。
93 番元素は、同じころ挑んでいた米カリフォルニア大バー
翌年、シェーレは「火の空気」について
クレー校のマクミランらが、サイクロトロンでウラン 238 の
著作をまとめたのに、出版社のもたつきで 2 年後の刊行に
中性子を 1つ増やしてウラン 239 からベータ崩壊させる方法
なった。その間に英国のプリーストリーが論文を公表し、発
で分離に成功し、
「ネプツニウム(Np)
」と命名した。Np239
見の栄誉を先取りした。ラヴォアジエは 2 人の研究をもとに
の半減期は 2.3日だった。それに対して Np237 の半減期は
新元素を「酸素」と命名し、新しい化学体系に位置付けた。
214 万年だったため、仁科らの測定は困難だったと思われる。
シェーレは、フッ素、塩素、マンガン、モリブデン、バリウ
理研のサイクロトロンは 1945 年 11 月、原爆開発装置と誤
ム、タングステンの発見でも先駆けの役割を果たしている。
認した連合国軍総司令部(GHQ) によって破壊され、東京湾に
これらも発見の栄誉は友人や後輩たち。14 歳から薬局に出
沈められた。いったん途絶えた理研の加速器実験は 70 年後、
入りしていたシェーレは、薬剤をなめる癖があって、体に毒
20 番あとの 113 番元素の発見として実を結んだ。研究の舞台
が回ったためか 43 歳で亡くなった。もう少し長生きしていた
は埼玉県和光市にできた理研仁科加速器研究センターの重
ら、さらに大きな業績を上げていたかもしれない。
イオン線形加速器に移っている。
超ウラン第1号に迫った仁科
1939
周期表で報われた陰の功績
1997
太平洋戦争が 2 年後に迫る1939 年暮れ、東京・駒込の理化
ニホニウムの誕生までには最初の発見から12 年かかって
学研究所で仁科芳雄、木村健二郎両教授らが野心的な実験に
いるように、元素名は難産が付きもの。101〜109 番の元素名
挑んでいる。米国に次ぎ世界で 2 番目に動かした直径 67cm
も国際命名委員会での長年の議論の末、1997 年夏に決着し
たけべしゅんいち/科学ジャーナリスト。元朝日新聞科学部長・論説委員、日本科学技術ジャーナリスト会議理事、プラネタリー・ソサエティ会員。
31| 写真提供/黒田玲子
達人
!
に 聞く!
自然が生んだ
さまざまな形を集めよう
㎝以 上 に も な り ま す。ま た、ヒ
かん そう
自然が大きく変化する季節です。その中で、何となく、
秋は木々が色付いたり、たくさんの果物が実ったりと、
いとても小さなものですが。
く りは、球 形で 直 径1㎝にも 満 た な
す。もっとも、ヒノキやスギの松ぼっ
じ ゅ じょう
われ がちで す が、同 じよう な ものは
達 人 松 ぼっく り とい う 名 前 か ら、
マツだけに見られるもののように思
実のことなのでしょうか。
―― 松 ぼっくりとはマツの木になる
す。もう少し細かくいうと、私 たち
マツやヒノキなどの果実に当たりま
といいます。つまり、松ぼっくりとは
な じみ 深いもの だ と思いま す が、松
達 人 松 ぼっ く り と い う 名 前 は 日
じょう
常 的 に よ く 使 わ れ る の で、と て も
わたし
ぬ
くわ
がら
ぼっく り を 専 門 的 な 言 葉 で は 球 果
きゅう か
いろいろ な 植 物 で 作 ら れ てい ま す。
が 松 ぼっく り と 呼 んで いる もの は、
せん もん てき
日 本 で は、マツ 科、ヒ ノ キ 科 な ど の
球果が種子を飛散させた後の抜け殻
し しょく ぶ つ
裸 子 植 物 を 中 心 に 松 ぼっく り を 見
のようなものです。
ら
ること がで きます。そうした 松 ぼっ
――その辺りのことをもう少し詳し
く教えてください。
そん ざい
しょう。
かべる松 ぼっくりはクロマツやアカ
達人 植物の種によって形は大きく
みな
おも
う
違ってきます。皆 さん がよく思い浮
枝 先 に た く さ んつい た 状 態 に なっ
して種子を作りますが、雌花は一つの
す。雄花でできた花粉を雌花で受粉
じゅ も く
――形は植物によって違うのですか。
達 人 マツ 科、ヒノキ 科 な どの 樹 木
お ばな
め ばな
は、一本の 木 に 雄 花 と 雌 花 がで き ま
マツに代表されるような円すい型の
ています。マツやスギの仲間の場合、
はい しゅ
じょう たい
もの だ と 思い ま す。で も、松 ぼっく
一本の軸に対してたく さんの雌 花 が
えだ さき
りの 形 は そ れ だ けで は あ り ま せ ん。
らせん状にくっ付いています。
じく
ヨーロッパ原 産 で、日 本 に も た く さ
ちが
く り は、身 近 な 存 在 だ と 言 え る で
にち
秋に松ぼっくりを拾った思い出がある人もいるでしょう。
とく
―― 松 ぼっ く り の 正 体 は 何 な の で
そな
し ん よう じゅ
しゅ りん
松ぼっくりとはいったい何なのでしょうか。
きゅう か
しょうか。
ノキやスギにも松 ぼっくりができま
は
乾 燥 によって 球
果 が開き種 子 が
飛 ば され た 後 の
松ぼっくり。
ん植えられているドイツトウヒの松
が
はつ
の
ロ
イ ハイ
長年、針葉樹について研究を続けている勝木俊雄さんに話を聞きました。
ヒマラヤスギ
地面に落ちる前のヒマラヤスギの松ぼっくり。樹上では松ぼっくりの特
徴を備えた形をしていても、種鱗がバラバラになって落下して、松ぼっ
くりとは気づかない種も多数ある。
ちょう
み しょう
か
緑色でまだ中に種
子を抱 えているア
カマツの松ぼっくり
。
(球果 )
かか
Science Window 2016 秋号 |32
散布された種子から発芽したモミの実生。森林にはあちらこちらに実生
が出ているが、ほとんどの実生は十分な光を受けることができず、競争
に負けて枯れてしまう。
10
わった 後に、胚 珠の外 側
開 花 が終
しゅ りん
ほう り ん
に あった 種 鱗 や 包 鱗 な ど が 成 長 し、
ぼっく りは とて も 細 長 く、その長 さ
1967 年生まれ。森林総合研
究所多摩森林科学園サクラ
保全担当チーム長。
農学博士。専門は樹木学、植
物分類学。
「日本産希 少トウ
ヒ属 樹木の保全に関する研
究」で 第 55 回林 木育種賞を
受賞。
しょう
き
松ぼっくり拾い
自然観察法の
達人 勝木俊雄
(かつき・としお)
たん とう
ぞく
お
クロマツやアカマツの場合は、一つの
鱗に対して種子は二つ入っています。
には種子が挟まっています。一つの種
くように付きます。種鱗と種鱗の間
では、種 鱗 も軸に対 して らせんを 描
球果となります。マツやスギの球果
達 人 実 は、松 ぼっく りは 秋 だけで
なく一年を通して見ること ができま
できないのですか。
―― 松 ぼっくりは秋しか見ることが
道具でもあるわけです。
同 時に、周 りに 種子 を 広 げる た めの
ていきます。球果は種子 を守るのと
4cm
3cm
2cm
1cm
0
えが
球果の中に数十個の種子 が入ってい
す。松ぼっくりをつける樹木は、ふつ
よく ねん
5cm
はさ
ることになります。
う春になると花を咲かせます。そし
て、雌 花 が 球 果へと 成 長 していき ま
さ
―― 球 果 は、な ぜ つ く ら れ る の で
しょうか。
ちまちで、開 花した 年の秋に成 熟 す
す。球果 が成 熟するまでの期間はま
達人 種子を虫や風雨などの被害か
ほう ふ
ら守るためです。種子は栄養 が豊富
るものもあ れ ば、翌 年 まで かかる も
ひ がい
で デ リ ケ ー トで す。で す か ら、種 鱗
のもあります。
おお
た、球果 は 樹 木の 高い場 所にで きま
で 覆 うことで 守っているので す。ま
また、球果は成 熟して 種子 がなく
なった もので も、その ま ま 枝 につい
す。そして多くのマツ・ヒノキ類は、
てき
ていること がよく あります。で すか
さん ぷ
種 子 が 成 熟 して 散 布 に 適 し た 時 期
ら、マツ や ス ギ な どの 枝 に は一年 を
せ い じゅく
になると、種鱗が開いてくるのです。
通して松 ぼっくりを見ることができ
くさ
そ う する と、間に 挟 まれていた 種子
ます。さらに球果は腐りにくいので、
さが
が風に乗って樹 木の周りに飛 び散っ
木の近くを探せば落ちているものを
拾うことができます。
――日本では何種類の松 ぼっくりを
見ることができますか。
達人 日本産の樹木は 種ほどです
ふく
が、外国 産のものまで 含 めると 種
ほ ど が見 られま す。松 ぼっくりは形
だつ らく せい
や 大 きさ だ けで な く、個々の 種 鱗の
形や脱落性など、種類によってまった
く 違います。裸子 植 物は葉 や 木の形
がよく似ているので、球果で見分ける
とく ちょう
ことがよくあります。松ぼっくりをた
くさん集めて、それぞれの木の特 徴
を調べてみるのも面白いですね。
33| 30
ヤマガタケトウヒ(マツ科)の種子。
(写真提供/勝木俊雄)
きゅう りょう
か ん きょう
JR高尾 駅から徒歩10 分ほどの丘陵に広がる森
の中の研究所。森林科学における研究成果から
学習プログラムや教材を開発し、森林環 境 教育活動を進
めるための研究などを行っている。
https://www.ffpri.affrc.go.jp/tmk/
たか
か
しん りん
ま
た
し ん り ん そ う ご う け ん きゅう じ ょ
50
がく えん
森 林 総 合 研究所 多摩森 林 科学園
(東京都八王子市)
文学と味わう
科学写真
賢治の祈り
文/ 伊 藤 淳子
宮沢 賢 治は 歳のとき、農 学 校の教 師
を辞め、私塾「 羅須地人協会 」を立ち上げ
た。自 身 も 農 民 として耕 作 しながら、農
家に出向き施肥指導( 肥料設計と呼んだ)
を行う。夜には塾生たちと音楽を楽しみ、
自 作の『 農 民 芸 術 概 論 綱 要 』で 講 義 を開
く。そこには「 世界がぜんたい幸福になら
年で幕を閉じた。
言葉も綴られていた。けれど、その活動も
ないう ちは個 人の幸 福はあ り 得 ない」の
病により
そんなとき、東北砕石工場の工場主、鈴
木東蔵に請われ、嘱託技師となった。
「土
地改良剤の石灰石粉で東北の農民を豊か
にしたい」という 東 蔵の考 えに共 鳴 した
のだ。賢 治 はかねてより、岩 手の酸 性 土
壌をアルカリ性の石灰で改良すれば収穫
り入れていた。当 初は実 家で療 養しなが
が増 えると考 え、自 身の肥料 設 計にも取
ら 宣 伝 文 を 書 き 送っていたが、回 復 する
と 農 村 に 出 向いて 普 及 活 動 を 行ったり、
工場で品質管理のアドバイスをしたりと、
仕事にのめり込んでいく。
そして昭和 (1931)年 月、セー
ルスに赴いた東 京で高熱を出して倒れて
月
2
9
日、 年の生涯を閉じる。
21
37
一眼レフデジタルカメラ
撮影データ
レンズ:35mm
シャッタースピード:1/160 秒
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
30
6
しまう。再び花巻での療養を余 儀なくさ
中に
ページにわたって書 き込まれてい
9
絞り:F16 感度 :ISO400
宮沢賢治「 雨ニモマケズ手帳 」より
2
れた賢 治の再 起は叶わず、 年 後の昭 和
年
9
死後、愛用のトランクから、掌に乗るほ
どの小さな黒い手 帳が発 見された。その
8
撮影/伊知地国夫
Science Window 2016 秋号 |34
【雨ニモマケズ手帳】
『雨ニモマケズ』のメモが書かれた手帳は、昭和6 年10 月から
年末か年始まで使用され、昭和9 年 2 月に遺品の中から発見
された。林風舎(宮沢賢治の実弟・清六の孫の宮沢和樹氏が
代表)により、
『 雨ニモマケズ』の部分など 32 ページ分を抜粋
し、色・形・文字・形態(ペン刺しに入っていた短歌を含む)
をそのままに複製したレプリカ手帳(左の写真)がある。
資料提供/林風舎
たメモが、一般には賢治の代表的な詩とし
て知られる「 雨ニモマケズ」だ。
冒頭の上部に「 ・3」の書き込みがあ
ることから、昭 和 年 月 日に執 筆さ
3
という題目も記されている。 賢 治 が 亡 く なった 昭 和 年 の 岩 手 県
は、その祈 り が 届いたかのよ う な 大 豊 作
「 南 無 無 邊 行 菩 薩 / 南 無 上 行 菩 薩 ……」
で結ばれているが、手帳にはそれに続いて
は「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
のメモを綴ったのではないだろうか。詩句
訪れるように」という深い祈りをこめてこ
豊かであるように。すべての人に幸 せが
姿を思いながら、
「すべての田んぼが実り
賢 治は病 床で、かつて自 分が目にした
田んぼや、そこで出会った農家の人たちの
真を撮影したという。
見 たであろ う 稲 をイメージして」この写
上で、賢 治が岩 手の田んぼを歩 きながら
められていることが実感できました。その
を知ってから読むと、もっと深い思いがこ
地国夫さんは、
「 賢治の農業への取り組み
詩 ととら えていた」という 写 真 家の伊 知
この「 雨ニモマケズ」を、
「以 前は、過 酷
な自然環境に立ち向かっていく前 向きな
死を覚悟していたことだろう。
れたと推定される。賢治の病気は結核で、
11
賢 治 は 家 族の制 止 を 振 り 切って 応 対 し、
肥 料の相 談 を するために 賢 治 を 訪 ねた。
だった。亡くなる前夜には、一人の農夫が
8
時間ばかり話を聞いている。
そこにあった。
35| 協力/原 智子
6 11
東北砕石工場で我が身を顧みずに奔走
した歩みとも重なる「デクノボー」の姿が
1
発 見 ! く
ど. ん な 金 属 でで きてい る の?
鉄. やステンレス、
チタン合金などです。
日 本 に お け る 締 結(もの 同 士 をつ
もく
な ぎ 留 める)用 ねじの始 ま り は 木 ね
じで す。これ は「 木 を 素 材 と し た ね
じ」という 意 味ではなく、
「木材同士
現 在ではステンレスより 硬 度が高
く、そ して 軽 くて 耐 食 性の高いチタ
ン合 金 ね じが 開 発 さ れていて、競 技
用 自 転 車、スノーボード な どに 用 途
が広がっています。
あつぞう
てん ぞう
ど. ん な 工 程 でつ く ら れ るの?
. 造 」と「 転造 」の
「圧
鉄 製 と は 鉄( )に 炭 素 を 含 ん だ
はがね
鉄合金の総称で、一般的には鋼のこと
のものが多く用いられてきました。
が 盛んな日 本では、木 ねじには 鉄 製
かけ ると、ね じの基 本 的 な 形 ができ
を 金型に押 し込んでぎゅっと圧 力 を
1本分の体積の針金をカットし、それ
の下に軸の部分がついています。ねじ
ねじの形を思い浮かべると、ひとま
わり 大 き な 頭 部(ヘッド)が あ り、そ
2工程で作られます。
を指します。
「はがね」は「 刃金」に由
ます。この工程を「圧造 」といいます。
業用ロボットなどに使われています。
イレ を は じ め、家 庭 用 電 化 製 品、産
す。住宅のサッシ、キッチン、バス、ト
ねじに 交 換 す ると、ねじの総 重 量 を
例 えば、競 技 用 自 転 車に使 われて
いる鉄 製のねじをすべてチタン合 金
です。
頭部
凹凸のないねじをセット
をつなぐためのねじ」であることから
来し、古くから強度を高めるために、
そ う 呼 ばれています。昔から木工業
鉄を焼き入れしたものが日本刀など
次は「 転造 」といってねじ山を形成
する工程です。ねじ山とは、軸にある
機 )によって形作られます。これでね
に使われてきました。
じは完成です。
凹凸部分で、ローリングマシン( 転造
度も下がってしまいます。そこでより
ま た、ね じは 単 独で も 売 られてい
るので、ねじを別に購入して、元々の
品となっていきます。
経て出 荷 され、さま ざまな 製 品の部
工 場 で 作 ら れ る ね じ は、そ の 後、
「洗 浄」
「最 終 検 査」
「 梱 包 」の工 程 を
しかし鋼は酸 化しやす く、酸 化 す
ると外観が悪くなるばかりでなく強
強 度が強 くさびにくい「ステンレス」
stainless
を素材としたねじが登場しました。
ス テ ン レ ス は 英 語 で「
」
、直 訳 す る と「さ び ない 鋼 」に
steel
な り ま す。鋼 な の で 鉄( )が 主 成
)とニッケル
ま た、磁 石に 付 きに くい性 質 を 持っ
約6割に軽 量化できます。交 換 後の
製品のねじと交換する人もいるよう
てい る の で、コン ピュー タ のハー ド
デザイン性も重要視されることから、
)が含まれる合金がステンレスで
分 で、そ れにクロム(
Fe
転造
針金
圧造(ヘッダー工程)
回転させて出てきたときにはねじ山が出来ている
Fe
ディスクにも使われています。
(
Cr
針金から1本のねじができるまでの工程
ローリングマシン(転造機)
A Q
A Q
Ni
学
今回のテーマは目立たないけれど大切な役割を果たしている「ねじ」
。
1本のねじが出来上がるまでを通して、ねじに潜む科学性を、
静岡科学館る・く・る館長の長澤友香さんがお伝えします。
軸の部分
Science Window 2016 秋号 |36
科
私たちの身の回りの製品には、たくさんのねじが使われています。
し
の
中
の
ねじにはどんな技術が
使われているの?
ら
「み る」
「きく」
「さ わ る」を
キーワードに、発見する喜び
と創造する楽しさあふれる参
加体験型の科学館です。自分
の体を使って科学を体感で
静岡科学館る・く・る きる 50 種類の展示物や、土日
館長 長澤友香
や長期休暇には楽しく学べる
(ながさわ・ともか)
イベントが盛りだくさん。子
どもから大人まで、遊びながら科学のふしぎを体
験、学んで考えて科学大好きになろう!
所在地:静岡県静岡市駿河区南町 14 番 25 号
エスパティオ 8~10 階
TEL:054-284-6960
URL:https://www.rukuru.jp
されるようになってきました。
最 近ではいろいろな 色のねじが生産
に も お しゃれ な カラ ー ね じ は、こ う
輝 きを変 化させていきます。見た目
紫・青・青 緑・黄 緑など異なる色に
して 作 られていき ま す。またおしゃ
れなだけでなく 膜によって保 護され
それぞれ違っているからです。カラー
に、色によってその部分の膜の厚さが
か。虹色に見えるのは、下の図のよう
虹 色のシャボン玉を想 像できました
てみましょう。いろいろな色が付いた
と 併 せて、さ ま ざ ま な 用 途への需 要
込まれます。今 後はチタン合 金ねじ
に、発 電 用 ター ビン等への需 要 も 見
が 高 く、耐 熱 性に も 優 れているため
そ うです。ニッケル合 金ねじは硬 度
ケル合金ねじの量産技術を確立した
反射光
反射光
色. はどうやって付けるの?
ね. じの表面に薄い膜を
ているため、さらにさびにくいという
鉄 製 か ら 始 まったね じは、素 材の
研 究 開 発 も ま だ ま だ 続いていま す。
効果もあるのです。
私 た ち 人 間 は、目に 入って く る 光
の 波 長 に よ って、紫・ 紺・ 青・ 緑・
今回協力してもらった興津螺旋株式
作ることで、自由に発色させる
ことができます。
黄・橙・赤 といった異 なる色 を認 識
会 社( 静 岡 市 )では、平 成
年にニッ
します。ここでシャボン玉を思い出し
ねじはこの原理を利用しています。
酸化皮膜の厚みによって違う色のねじができる。
(写真提供/興津螺旋株式会社)
が広がっていくことでしょう。
24
カラーねじ を 作 る 場 合には、同 じ
ようにねじの周りに膜を作る必要が
*ナノメートル(nm)は10 億分の1メートルのこと。
1nm=0.000000001m
あ り ま す。作 り 方 は、弱い酸 性の電
解 質 水 溶 液にねじを浸して、電圧 を
かけていきます。すると、ねじの周り
には酸 化 皮 膜といわれる薄い膜がで
きます。
電解 質 水 溶 液とは、例 えば食 塩水
などのように電流を通す 水 溶液のこ
*
とです。この時にできる 膜の厚 さは
~‌
ナノメートル 程度です。
酸 化 皮 膜 自 体は無 色 透明ですが、か
ける電圧によって膜の厚みが変わる
ので、その 厚 みの 違いが 色の 違いに
なって見えるのです。
チタン合 金ねじの場 合もこの方 法
で電圧をかけていくと、黄色・桃色・
37| 3
0
0
入射光
入射光
酸化皮膜
チタン
酸化皮膜
チタン
酸化皮膜はかける電圧によって厚みが変わる。酸化皮膜に入射した光は、膜の表面で
反射する光と、膜の中に入りチタン表面で反射する光とに分かれる。それら2つの反射
光が膜の表面でぴったり波長が合ったときに光が強くなり、それが色として見える。
静岡市にねじの製造工場を構える会社で、国内ではステンレ
スねじのトップメーカーである。圧倒的に男性の多い業界だが、
女性が働きやすいようにさまざまな取り組みを行ったことで、こ
こでは女性たちが第一線で活躍している。
静岡科学館る・く・るで
は静岡の企業が研究開発し
た素晴らしい技術を毎月紹
介している。興津螺旋株式
会社のメンバーは2016年7
月に「世界でたった一つのね
じを作ろう」をテーマにワー
クショップを行った。写真は
その時のメンバーである。
A Q
10
すべてのねじをチタン合金ねじに
交換した競技用自転車
執筆者紹介
興津螺旋(おきつらせん)株式会社
「す べて の 人 にス ポ ーツ を」の 特 集 は、
普段、私にはなじみのない分野でしたが、
スポーツも科学も、社会の中で
捉え直すことが大切
たい! 遺 伝 のこ と』を 勤 務 先 の 病 院 の 外
遺 伝 の こ と を 考 え る き っ か け 作 り が
で き れ ば と 思 い、子 ど も 版『も っ と 知 り
遺伝のことを科学的に
理解する初めの一歩に
な く「 私 た ち の 体 質 に 関 わ る こ と」で あ
遺 伝 は「 特 別 な 体 質 に 関 わ る こ と」で は
て い る 兄 弟 が こ の 本 を 手 に 取 る こ と で、
さった 患 者 さ ん や そ のご 家 族、一緒 に 来
来に設置 しています。興 味 を持って く だ
楽しく読めました。
ま ず 、運 動 神 経 と い う 考 え 方 に つ い
て の 解 説 は 、大 変 参 考 に な り ま し た 。 などのモータースポーツが
「 超人スポーツの世界 」では、農 作 業の
合 間 に 数 々のス ポ ーツ が 生 ま れ、工 業 化
歩になればいいなと期待しています。
る と 科 学 の 視 点 か ら 理 解 す る、初 めの一
社会では
誕 生、といった 社 会 の 文 脈 でのス ポ ーツ
は 産 業 や 文 化 と 無 縁で は ない、というこ
の位置 付 けにま ず 驚 きました。スポーツ
近 に あ る か らこそ 日 々こういった 情 報
「理科のお話とし
ま だ 数 カ 月 で す が、
て 遺 伝 の こ と を 勉 強 で き た」
「病気が身
に は 敏 感 に なって 自 分 た ちで もいろい
や文化ともちろん無縁ではないわけです
ね。それを改めて感じました。
ばいいのか悩むことも少なくありませ
いことを子 どもに伝えるにはどうすれ
とは、科学に対する考え方、見方も、産業
スポーツの要素として、技術、スポーツ
感、そ して ル ール デ ザ イン という 見 方 も
るので、共 通の話 題 として 話 がしや す く
ん で し た。マ ン ガ は 親 子 で 一 緒 に 読 め
ろ調 べて きたけ れ ど、親で も理 解 が 難 し
新鮮でした。特にルールデザインです。こ
よ く よ く 練って おかないといけ ないこと
れ は 科 学 の 教 育 普 及 活 動 を す る 際 に も、
なった よ う に 感 じ ま す」といったご 意 見
をいただきました。医療スタッフからも
ジ ば か り が 浮 か んで 敬 遠 して し まって
「 遺 伝 と 聞 く と ど う して も 難 しいイ メー
ですね。
ト」と い う一ノ 瀬 メ イ 選 手 のエ ピソ ー ド
で 勉 強 に なった」な どの 感 想 が 寄 せ ら れ
いたけ ど、大 人 が 読 んで も 興 味 深い内 容
中 村 ブ レ イ ス 株 式 会 社 の 記 事 で は、
「 本人から手らしくない形に、とリクエス
が 印 象 的でした。目 標 を持っている人間
てい ま す 。
も ち ろ ん、科 学 的 な 理 解 だ け で は、自
分の体に起きている症状や体質をすっか
■ 店頭での販売
■学校や科学館にお届けしています
の強さを感じます。
経験が重要なのは言うまでもありません
くことは難 しいと思います。患 者 さんや
り 納 得 して、そ れ と う ま く 付 き 合ってい
「 運 動 神 経 」に つ い て も、科 学 的 な 見
方・ 考 え 方 の 力 について も、小 さい 頃 の
が、そ の 経 験 が 十 分 で な く て も、大 人 に
そのご家族の本を読んだ感想をお聞きし
なって か らこう 伸 ば せる、という 研 究 が
伝いや、考 え や 気 持 ち を 整理 する お 手 伝
て、そ れ ぞ れの 体 質 を理 解 していく お 手
い を、遺 伝 医 療 に 関 わ る一つの 職 種 と し
あ れ ば、多 くの 人 を もっと 引 き 込 めるで
ています。
るようになりました。
て 大 切 に していき たいと、よ り 強 く 考 え
しょう。私 も研 究 してみよ うかな と思っ
今 回の 特 集 号 は、教 育 学 部の 他の 先 生
方 に も 好 評 で す。学 生 た ち に と っ て も
認定遺伝カウンセラー 秋山 奈々)
( 千葉県こども病院
勉 強 に な る こ と が い ろ い ろ と あ る の で、
さっそくゼミで紹介しようと思います。
( 和歌山大学教育学部教授 富田晃彦 )
ご希望の方には1部 309 円(送料込み)でお送りします。お申し込みは、サイエンスウィン
国立研究開発法人 科学技術振興機構
ドウのウェブサイト(http://sciencewindow.jst.go.jp/)をご利用いただくか、委託販売先
科学コミュニケーションセンター メディアグループ
の株式会社ジェイ・エヌ・エス(電話:03-3355-8321/FAX:03-3355-8323/E メール: サイエンスウィンドウ編集部
[email protected])までお知らせください。
【郵便】〒102-8666 東京都千代田区四番町 5-3
■ モニター募集中
【電話】03-5214-7377【 FAX】03-5214-8088
サイエンスウィンドウ編集部では、感想を定期的に送っていただけるモニターを募集し 【E メール】[email protected]
ています。ご希望される方は編集部までご連絡ください。
『Science Window』は、年4回(春・夏・秋・冬)の発行です。
■「 読者の声」の送り先・連絡先
■ 個人での購読方法
日本科学未来館、ジュンク堂書店(池袋本店)
、八重洲
ブックセンター(本店)
、三省堂書店(神保町本店)などで
も購入できます。
『Science Window』は、小・中・高校と特別支援校に無料で 2 部ずつ配布しています。配
布には、都道府県や市区町村の教育委員会、私学担当などの学校窓口のご協力が必要と
なります。学校と連携する科学館・博物館へも、ご希望があれば無料で 2 部送付します。
F
1
カフェ
サイエンス
ウィンドウ
読者の
広場
皆さんはどんなふうに秋を満喫しますか?おいしいもの
を食べたり、読書を楽しむのにもいい季節ですね。近くの
公園で松ぼっくりやドングリ探しを楽しむときは、ぜひ今
号と2015 年の秋号もお持ちください。
このページでは、
『Science Window』読者のご感想を掲
載しています。皆さんからのお便りをお待ちしております。
E メールなら [email protected] へどうぞ!
『Science Window』は、インターネットで全ページ閲覧・ダウンロードが可能です。http://sciencewindow.jst.go.jp/
Science Window 2016 秋号 |38
冬号は1月発行です。
お楽しみに。
Science Window 2016 年秋号(10-12 月)/第 10 巻 3 号
発行日
2016 年 10 月1日
発行人
国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)
理事長 濵口道成
同機構 科学コミュニケーションセンター
発行所
メディアグループ
〒102-8666 東京都千代田区四番町 5-3
電話
03-5214-7377
FAX
03-5214-8088
E-mail
[email protected]
ホームページ http://sciencewindow.jst.go.jp/
● Science Window 委員会
お茶の水女子大学長
室伏きみ子
(委員長)
青木久美子 東京都世田谷区立千歳中学校主幹教諭
木村政司
日本大学芸術学部デザイン学科教授
清原洋一
文部科学省初等中等教育局主任視学官
田邊則彦
清教学園中・高等学校特任教諭
永島絹代
千葉県教育庁東上総教育事務所指導主事
森 裕美子
理科ハウス館長
●アドバイザー
佐藤勝昭
東京農工大学名誉教授
●編集・制作
JST 科学コミュニケーションセンター
編集長 柴田孝博
編集 植松利晃
編 集 部 か ら の メッセ ー ジ
まだ暑い日もありますが、朝夕はだいぶ涼しくなって秋の訪れを実感する今日
この頃です。秋と言えば、
「味覚の秋」
。秋刀魚、栗、松茸、梨、新米、さつまいも、
などなど美味しい食べ物がいっぱいです。くれぐれも食べ過ぎにはご注意を。
さて、昨年 9 月にニューヨーク国連本部において「持続可能な開発のための
2030アジェンダ(Sustainable Development Goals)
」が 全 会一致で採 択さ
れています。そこでは、
「 貧困をなくそう」
「エネルギーをみんなにそしてクリー
ンに」
「 気候変動に具体的な対策を」など「世界を変えるための17 の目標」が掲
げられており、
「 飢餓をゼロに」という目標もあります。私たち日本人はスーパー
やコンビニに行けばいつでも食べ物が豊富にあることが当たり前になっており、
「飢餓って言われてもピンとこない」という方も多いのではないでしょうか。
世界に目を向けてみましょう。国際農林水産業研究センター理事長の岩永勝
先生によると、
「 世界人口約 73 億人のうち8 億人以上の人々が飢えに苦しんで
おり、5 歳以下の子供に限ると毎年 310 万人が栄養不足で死に至っている。一方
で、日本はカロリーベースで 61% の食料を輸入に頼っているにもかかわらず、3
分の1もの食料を廃棄している」とのことです。日本人として非常に考えさせら
れる状況だと思います。また、
「 2050 年には世界の人口は 95 億人に達すると見
込まれており、現在比 60% 以上の食料増産が必要となる」とのことで、今後食
料生産量を上げていく努力が求められていることが分かります。
今回は食に係る、研究所・学校・企業の取り組みを特集しました。秋の夜長
に本誌を片手に「食」について語り合ってみませんか。
編集長 柴田孝博
表 紙より
「食」が文化や技術を生み出すことも
火のまわりに並べて
土器にゆっくり熱を通す。
平塚裕子、早野富美、笹しげみ
株式会社 文化工房
編集
野口勝広、平塚正之、松本浄
執筆
荒舩良孝、牛島美笛、
イラスト
アライヨウコ、河田邦広
写真撮影
アイキ元、小倉和徳、山本雷太
尾﨑久美、佐藤成美、林愛子、松本浄
アートディレクション 黒木敏記
デザイン
沼澤順子、吉村真理子
表紙は、東京都埋蔵文化財センターが体験用に使用している石皿と
すり潰したドングリ(マテバシイの実)
。ドングリの左にはクルミもある。
縄文人はクルミ、クリなどのように採集してそのまま食べられる実のほ
か、ドングリ類なども主食としていた。しかし、ドングリ類はマテバシイ
協力
表紙・P.39/東京都埋蔵文化財センター、
西東京市教育委員会
P.26〜27、P.40/日本ジオパークネットワーク
印刷・製本
三浦印刷株式会社
やイチガシの実などを除き、そのまま食べるには苦味やエグ味が強く、
アク抜きを行う必要がある。ドングリを煮立てたり、水さらしたりする
にも土器はなくてはならない存在だった。表紙のレンズは都立埋蔵文化
財調査センター所蔵の縄文中期の土器で、煮炊き用として使われてい
たという。
「食」は、さまざま文化や技術の原動力でもあるのだ。
上の写真は、8 月25日に行われた西東京市が主催する「Dokiドキ!親
子縄文土器づくり体験教室」の一場面。3 回の
製作工程で最終日だったこの日、子どもたち
は自分の手で作った土器を焼き、持ち帰った。
縄文土器は野焼きだったため、わらや泥など
で覆って焼いた弥生土器よりも焼成温度が低
く、それが土器の厚みや色にも影響している。
※営利目的としない教育機関で、授業や資料などに使用するため
に複写・配布することは構いません(著作権法第 35条第1項、第 36
条)
。使い方について不明な点があれば、お問い合わせください。
39| 土器を中央に集め、強い火で焼き上げる。
(都立埋
蔵文化財調査センター「縄文の村」にて)
Science Window 2016 10― 12
地球が活動する様子を、現地で感じ取りながら楽しく学べる「ジオパーク」
。
空から
空と地上の両方から紹介する。 空から見た写真はP.26-27
ジオ
宮城県
栗駒山麓ジオパーク
秋 号 特 集 育 て る ・ つ く る「 食 」の 未 来
栗駒山の山頂は、秋になると紅葉で真っ赤に染まる。
地上から見ると
解説:栗原市ジオパーク推進室 専門員
長尾 隼さん
標高1626mの栗駒山から、ふもとの標高約 5mの伊豆沼や平野部まで広がる栗駒山
麓ジオパーク。溶岩が重なり湿原もある火山地帯、激しい侵食や斜面変動の見られる山
麓部、新しい時代の堆積物から成り市街地が散在する丘陵部、河川の氾濫などにより肥
沃な土砂が堆積した平野部と、多様な地形から成り立つ。標高差が大きいことから植生
の幅も広く、秋になると山頂は紅葉で真っ赤に染まる。
2008 年の岩手・宮城内陸地震では最大震度 6 強を観測し、山麓地帯を中心に3500カ
冬の伊豆沼は白鳥の渡来地として有名
だが、夏は蓮の花が満開になる。船の上
から蓮の花を間近に見ることができる。
所もの崩壊や地すべりなどの斜面変動が発生した。比較的軟らかい堆積岩層の上にも
ろい火山灰層が重なる栗駒山周辺は、斜面変動が生じやすい場所だったのだ。このよう
あら と ざわ
な地質条件で発生した荒砥沢ダム上流の「荒砥沢地すべり」は国内最大級の規模。体験
学習で訪れた小学生は、激しく変動した地形を目の当たりにして「すごい!」と叫ぶ。大
地が動いていることを実感できる場所だ。このようなダイナミックな景観を教育や観光、
学術研究などに活用することで、災害の経験を後世に伝えていこうとするジオパークが
誕生した。
平野部はコメ作りがさかん。山から運
ばれた土砂が肥沃な土壌になった。
栗駒山周辺は複雑な地形や地質を持つため、地
震のみならず、火山活動や洪水など多くの自然災害
が生じてきた場所だ。地域の人々が度重なる自然災
害と向き合い、災害に強い町づくりを進めた結果、
あら と ざわ
2008 年の荒 砥 沢 地すべりで、中腹の
こう えい
集落(栗駒耕 英 地区)とふもとを結ぶ
市道が崩落。道路が寸断され、集落は
定価(個別購読)309 円(本体 286 円)
孤立してしまった。
現在の景観にも見られる豊かな地域文化が育まれ
た。
「自然災害との共生と豊穣の大地の物語」をテー
マに自然と人の関わりを見つめ、災害に強い人や地
域をつくることを目指している。
栗駒山麓ジオパーク
宮城県栗原市志波姫新熊谷284-3
0228-21-0020
http://www.facebook.com/geo.kurikoma/
ISBN978-4-88890-518-3
ISSN1881-7807
2016 年10-12月・10 巻 3 号 通巻 64 号
C9440 Y286E
地域独特の杭がけの方法「ねじりほん
にょ」
。稲の束をらせん状にかけるの
で風の循環がよくなり、裏返す必要が
ない。