大 な親親切切 大き きな 前 前東 東大 大学 学長 長の の茅 茅誠 誠司 司博 博士 士が が、 、卒 卒業 業式 式の の訓 訓辞 辞の のな なか かに に﹁ ﹁小 小さ さな な親 親切 切﹂ ﹂と とい いう うこ こと とば ばを を使 使っ った たの のが が きっ っかけと き とな なっ って て、 、﹁﹁ 小小 ささ なな 親親 切切 運運 動動 ﹂﹂ がが 全全 国国 のの 主主 婦 の 婦 のあ あい いだ だへ へ急 急速 速に にひ ひろ ろが がっ って てい いっ った た。 。暗 時く く 316 3路 い点 点火 火を を呼 呼ん んで で 険しい時代に、東京の一角に点ぜられた灯が 、つ つぎ ぎつ つぎと新しい 、、 全全 国国 にに 諮着 問意 意の灯 のひろがりゆく有り様を空想して、心あたたまる思いを味わった。 −│ −このことばには、なにか気にかかるものがあった。小さいにしても大き だが、小さな親切│ いにしても親切は親切である。それよりもほんとうの親切は、いま自分のしていることが親切で あると気づかぬところにあるのでないか。親切の意識がつよくなれは ばなるほど、皮肉にも報酬を 求 める心が募 募っ って てゆ ゆく く。 。こ これ れだ だけ けし して てや やっ った たの のに にーー ーと とい いう う物 物ほ ほし しさ さの の意 意識 識が がそ その の行 行為 為に つ れ て 生まれるのも、人間の悲しいさがというものであろう0 。 無償の善意に出る親切であるならば、だれも見ていない道路にころがっているガラスの破片ひ と とつ つを を拾 拾っ って てす すて てる るこ こと とだ だっ って て、 、け けっ っし して て小 小さ さな な親 親切 切と とい いい い切 切る ることはできない。なぜなら、こ の のよ よう うな な心 心の の用 用い い方 方の ので でき きる る人 人で であ あれ れば ば、 、そ そう うし した た一 一見 見些 些細 細な な行 行為 為で でも も、 、や やが がて ては は人 人類 類に に偉 偉大 大な な 恩 恩恵 恵を をも もた たら らす す﹁ ﹁大 大き きな な親 親切 切﹂ ﹂に に発 発展 展す する る可 可能 能性 性を を、 、そ その の内 内に に蔵 蔵し して てい いる るの ので であ ある るか から ら。 。 ︵ 四 十 一 年年 二二 月月 ︶) (昭 昭和 和 四 十 一 317 3 1 7
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