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福生市立福生第六小学校
平成28年
10月
3日
NO.526
福生六小ホームページ
http://academic4.plala.or.jp/fussa-6e/
武蔵の国と相模の国
~地図っておもしろい 学ぶっておもしろい~
福生市立福生第六小学校
校
長
猿 田
恵
一
秋は学習の充実の時期。10月を迎えるの今の時期は、学芸会のことが職員室でも話題にのぼっています。
そんな中、学びの楽しさを知り、自ら調べたり学んだりする子どもになってほしい…という願いをこめて、
月曜朝会では2回にわたって地図の話をしました。その内容をプリントし、校長室の前に置いています。
1回目は6年生の教科書にも出てくる「伊能忠敬」の話、2回目は「地図っておもしろい」というお話を
しました。(読んでみたい方はお申し出ください。お届けします。)
さて、今日は「相模の国と武蔵の国」のことを書いてみたいと思います。
みなさんは、列車の「上り・下り」を不思議に思ったことはありませんか? 小さな子どもにとっては不
思議な言葉遣いです。千葉県の下総(しもふさ)の国、上総(かずさ)の国、などの上・下の使い方もなぜ?
と思います。一般に天皇の住まう都に近づいていくのが上り、反対が下りといわれています。房総半島の南
の方が上総で、今の市川市や習志野市のあたりが下総なのです。反対な気がしませんか?
源頼朝は、関東の武士達の力を頼り伊豆から房総半島に渡りました。このころ江戸の街はまだ小さな漁村
で、東海道から関東・東北に向かうメインストリートは真鶴から船に乗って房総半島に渡るルートだったの
です。だから房総半島は南の方が「上」北の方が「下」となったのです。
さて、今日の「相模の国と武蔵の国」は、このこととどんな関係があるのでしょうか。
武蔵の国はかつて毛野国(けのくに=草や木々は生える原野の意味)と呼ばれた地域の一部で、7世紀頃ヤ
マト朝廷がこの地域を治めたとされています。
この関東地方一帯は「ムサあるいはフサのくに」と呼ばれていました。
ムサの国の天皇に近い方が上(かみ)なので「むかさみ」、遠い方が「ム
サシモ」です。長年呼び習わされていく中で、ムサカミは(muのuが
はずれ)mさかみ」から言いやすい「サガミ」に、「ムサシモ」も、モ
がノ(野)に転じて「ムサシノ(野)」になったのだろうと私(校長)
は想像しています。「カミとシモ」の考え方からは、語源がいっしょと
いうことになりますね。
「毛野国」から群馬県のあたりを呼ぶ上州や上毛や、また栃木県のあたりを呼ぶ下野(シモツケ)という
地名が生まれたともいわれています。
また、「フサ、ムサ、毛」が同じ意味で使われていたことも興味深いですね。「ふっさ」という地名に何
か関わりがある感じがします。市内にも加美や加美平、志茂という地名があります。何か歴史の重みを感じ
させてくれる地名に思えてきませんか。