一票で変える女たちの会 かわらばん 第 10 号 2016 年 10 月1日 月刊弁護士ドットコム 2016 年 9 月号より転載 インタビュー 角田由紀子さん 弁護士以外に道はなかった 数多の出会いに導かれ 切り拓いてきた「女性の未来」 今回の「かわらばん」では、一票で変える女たちの会の発起人のひとり、角田由紀子さんを紹介します。 角田さんは、この 9 月から各地で始まった安保法制違憲訴訟の代理人としても活躍中です。 東京から新幹線で約一時間。角田 由紀子弁護士は、静岡県沼津市に住 を目指した。 弁護士としての理想や志も何もな かった角田氏だったが、運命に導か えた女性に巡り会ってきた。 んで弁護士活動を続けている。 たいだった」と語る角田氏は、二〇 れるかのようにさまざまな悩みを抱 年以上を過ごした東京を出て、依頼 「すべては巡り合わせ」 — 出会いが 出会いを呼び、角田氏は女性問題の 「 東 京 で は、 海 に 塩 を ま い て い る み 人と距離の近い郊外での暮らしを選 第一人者としての地位を築いてき た。 んだ。 学生時代を過ごした一九六〇年 代、女子学生の就職口はほとんどゼ 女 性 に 寄 り 添 い、 女 性 の た め に 闘ってきた女性弁護士の半生を伺っ たロング・インタビュー。 1 ロ。 手に職をつけたい一心で司法試験 撮影:永峰拓也 一票で変える女たちの会 かわらばん 第 10 号 2016 年 10 月 1 日 弁護士になったのよ」弁護士・角田 返り討ちからの再起 女性が働けない現実 くことにこだわったのには、理由が 当 時、 女 性 が 働 く こ と は「 普 通 」 ではなかった。その中で角田氏が働 たのよ」 て、私も司法試験を受けることにし 弁護士を目指していたこともあっ い。「 消 去 法 」 の 結 果、 た ど り つ い 職先を探そうとしても見つからな ばかりだった。母の教えに従って就 ガ リ 勉 の 結 果、 無 事 東 大 に 合 格。 しかし、入学してからも悩みは増す たのよ」 の。敵討ちの方法はそれしかなかっ うって思ってたの」 かだけでもあればどんなに楽だろ たわ。時間かお金か、せめてどちら は 月 一 万 二、〇 〇 〇 円。 夫 は 弁 護 士 「学費は年一万二、〇〇〇円、保育園 学を学び、高校の国語教師を目指し 一九六〇年代の学生時代、東京大 学(以下、東大)の文学部で日本文 連れ戻されてお婿さんをとらされた たんだけど、一人娘だったから家に える人でね。東京の女子大学に入っ は二人の子どもを抱えながら司法試 格。その後女の子が誕生し、角田氏 大学卒業と同時に男の子を出産 し、最初の司法試験に臨んだが不合 たのが「弁護士」だった。 園に馴染んでいたから、東大生でな 「そのころには二人の子どもは保育 すぐさま退学届を提出した。 一年目だったから、家計は苦しかっ 由紀子氏はそう言って笑顔を見せ あった。 ていた。しかし、就職先を探すべく の。だから家制度には恨み千万。 くなったあとも保育園においてもら 「弁護士以外に仕事がなかったから、 た。 がんばった甲斐あって二回目の司 法試験に合格した角田氏は、半年分 東京都の教育委員会を訪ねた時、担 験に向けて勉強することになる。 えたのね。 ティーとアイデアで乗り切った。 しかし、角田氏は持ち前のバイタリ 子どもを二人抱えて勉強すること は、 想 像 以 上 に 大 変 な も の だ っ た。 でもわいてくるものなのね」 ﹁必死になればアイデアっていくら 本当に忙しかったけれど、そこはや り方次第なのね。種類の異なる仕事っ ンを踏んで。 て、夜はバザーのために必死でミシ なるとすぐに保育園へお迎えに行っ しっかり加わっていたの。昼間は司 て い た か ら、 そ う い っ た 活 動 に も 「母親はまさに家制度の犠牲者とい 当者にこう切り捨てられた。 私は小さいころから『手に職をつ けなさい。憲法が変わったんだから、 の学費を節約するため、一〇月末に 「東京都に国語の女性教員はもうい なんでもできるのよ』と母に教えら れて育ったの」 東大には、附属病院の看護師さん た ち 向 け に 学 内 に 保 育 園 が あ っ た。 て、疲労回復になるらしいの。だから それでも働きたい らないんだよ。理科や数学なら女性 高校は旧制中学の元男子校。女子 は暗黙の了解で県内にある元女子校 角田氏はあらためて文学部に学士入 台所と机を行ったりきたりして。 無認可保育園は予算が厳しかった から、年に一回バザーがあったのよ。 でもとらないことはないけれど」 に入ることが求められていた。 学し、長男を保育園に預け、自身は も同然だった。 企業への就職の道も閉ざされていた て女子というだけで男子よりも低く そのころ『女性差別』なんて言葉 は知らなかったけど、女子はどうし 「食べていくために手に職をつけな 格をとるしかないと思ったの。 仕事も家事も手順次第 生 ま れ も 育 ち も 福 岡 県 北 九 州 市。 東京に有力なコネなどあるはずもな 見られ、バカにされるのか、悩んだ 男 女 雇 用 機 会 均 等 法 の な い 時 代、 「 地 方 の い わ ゆ る 男 子 校 で、 歓 迎 さ 大 多 数 の 採 用 募 集 が 男 子 学 生 の み。 れない少数の女子生徒だったの。 い。 のよ。 こっそりと法学部の授業を聞きに 買 い 物 や ス ト ッ ク の 仕 方 も 大 事。 日曜日にまとめて買い物をして、お 法修習生として勉強して、一七時に 私は保育園の運営委員会にも参加し いとって思っていたから、本当に困 悩んだ結果、周囲を見返すには男 子でも受かることが難しいとされて 通った。 女 子 学 生 の 就 職 先 は ほ と ん ど な く、 り果ててしまって。とにかく国家資 いる東大に入るしかないと思った 当時、結婚していた夫が法学部で 2 肉なんかは小分けにして冷凍してお あった。 なこの時の再審請求からの参加で 三〇名、うち女性は四名。女性はみ 再審弁護団には、そうそうたるメ ンバーが名を連ねていた。実働は約 ね。 年に亡くなってしまったんですけど 「 冨 士 さ ん は 裁 判 の 途 中、 一 九 七 九 ち取った。 一九八五年七月、再審無罪判決を勝 げて服役していた。 「 同 期 の 田 中 さ ん と 私 は、 そ の 弁 護 きりしたから弁護団に加えていただ 団活動を『徳島学校』と呼ぶくらい 裁判記録をみていくと、検察官も 裁判官も、事実婚を選んだ彼女の考 けることになったのよ」 勉強させていただいたの。事実の見 えが理解できなくて、女はみんな『正 「男性の法律」への疑問 東京に戻り、渉外事務所で働き始 めた角田氏は、企業からの依頼ばか 方、ものの考え方を徹底的に仕込ま 妻の座』を求めて嫉妬に狂うものだ くの。そのうち小分けにする時間も りで生身の人間の顔が見えない仕事 れたわ。その経験は本当にありがた と言わんばかりの犯行動機を捏造し 再審請求審では多くの未提出 証 拠 な ど が 出 て き た こ と も あ り、 に欲求不満を感じていた。 かった」 法律に殺される女性 ワーク・ライフ・バランスなんて 言うと大げさだけど、商店街の方々 の日弁連の事件委員会による再審請 協力してくれたの」 そんなある時、一つの新聞記事が そ う し て 周 囲 に 助 け ら れ な が ら、 角田氏の心をとらえた。 修習を終えた一九七五年、無事に弁 「 新 聞 で『 徳 島 ラ ジ オ 商 殺 し 事 件 』 はみんな顔見知りだったから、快く 求活動が始まることを知ったの。ア もったいなくなっちゃって、お肉屋 護士登録を果たした。 メリカにいる時から再審事件に興味 会議は東京・大阪・徳島など、必 要に応じて何度も行なわれた。当時、 りたいと思ったのよね」 ワープロなどの機器はない。手書き ど思い知らされた最初の事件だった これが、法律が女性にとって理不 尽なものであることをいやというほ じゃないって(笑) 。 さんに買う時にやってもらえばいい しかし、角田氏がようやく弁護士 一年生となったその年、夫がアメリ を持っていたから、私も弁護団に入 もを二人抱えた角田氏は、夫の実家 でまとめ、それをタイプして……と ていたのよ。 カ留学へと旅立ってしまった。子ど に身を寄せ群馬県前橋市の法律事務 の」 「いろいろと勉強させていただいた 成者である男性の視点しか入ってお いう作業を繰り返し、山のようにあ 「たぶんすごくあやしまれたと思う んだけど、私たちも女性の視点から らず、そこに女性の被害者の顔は見 角田氏はすぐさま日弁連会館に飛 び込み、弁護団に入るにはどうした 所で働くことになる。 の。一ヵ月たっても返事がこなかっ 言うべきことははっきり言わせてい えない。 る資料をまとめていった。 たから。けど、後から聞いたところ ただきましたよ」 らいいのか事務局に尋ねた。 によると、その間に私のことをいろ 刑法ができた一九〇七年、女性に は参政権もなかった。刑法には、作 ほどなくして家族ばらばらの生活 に耐えられなくなった角田氏は、翌 年、渡米を決意した。 「アメリカでは一生分の主婦業をし たって感じ(笑) 。 なって寝ている内縁の夫を刺殺した こうして女性の問題に出会うこと で、ようやく法律そのものの持って 「 私 も、 そ ん な 刑 法 を 学 ん で き た 一 その弁護団にたまたま修習の同期 だった田中薫さんが参加されてい として殺人事件の被告人にされたと いる問題に目が開かれるようになっ いろと調査していたみたいなのよ。 雑誌だけ取り寄せて隅から隅まで読 て、私のことを話してくださったよ い う も の だ。 無 実 の 冨 士 さ ん は 一、 ていったのよ」 人なのよね。 んでいたの。そこに再審事件の判例 う な の。『 あ や し い 人 じ ゃ あ り ま せ 二審とも有罪とされ、上告を取り下 事件はある早朝、冨士茂子さんと いう女性が幼い娘を挟んで川の字に も 載 っ て い て、 再 審 事 件 に 興 味 を ん』って(笑)。それで、身元がはっ お金はなかったけど、時間だけは たくさんあったから、日本から判例 持ったのよ」 3 一票で変える女たちの会 かわらばん 第 10 号 2016 年 10 月 1 日 出会いが出会いを呼ぶ 必要とされる女性の視点 女性に関する法律の問題に興味を 持ち始めた角田氏は、また、運命の 新聞記事と出会った。 識で承諾したの。 して困らないだろうという程度の認 頼がくるとは思えなかったから、さ たんだけど、なにか役に立つものを た。あとから入れる状況ではなかっ 高裁での判決を待っている状態だっ 被害者の言葉は、これまでの勉強 の中では一度も聞くことのなかった 気持ちに変わってきたのよ。 者の弁護なんてできないわ、という い か け 回 さ れ て、 ど ん な に 恐 ろ し まったあとも、血まみれの男性に追 まだ議論されていなかったから。男 そこで、女性が男性を刺したとき の精神状態に着目したのよ。それは 持っていければ、と考えたの。 ような事実ばかりで。私自身の強姦 かっただろうって」 でも、実際に被害者の女性の話を 聞くうちに、これは頼まれても加害 への理解も、男性と同じようなもの 性 か ら 刃 物 を 奪 い 取 り、 刺 し て し だったんだとショックを受けたわ」 4 事件の一部始終は、男性が自身の 行為を記録するために持ち込んだビ デオテープに映っていた。 大の教授だった福島章先生にお願い そ の 翌 年、「 池 袋 買 春 男 性 死 亡 事 件」と呼ばれる事件が発生した。ホ 女性が、利用客である男性に暴力を したの。福島先生は、犯罪心理学の 「この精神鑑定を当時東京医科歯科 振るわれ、抵抗する過程で男性を刺 権威で、日本性教育協会の委員でも テトル嬢としてホテルに派遣された 殺してしまったという事件だ。 性たちが声をかけあって、被告人の なんとか三週間でやってほしいと お願いして、承諾の言質がとれたか たのね。 そしたらセンターから連絡があっ て、弁護士のアドバイザーを探して サポーターというか、被告人のこと ら、二人の弁護士にアプローチした 「センターのアドバイザーになる条 その人に女性の視点で弁護してほ しいと頼まれてしまって。でも、す その後、角田氏は弁護人に加わり、 被告人質問のやり直しも認められ あった人ね。 いるというので引き受けることにし をわかりたいと思う人たちで『池袋 C)が資金難で閉鎖の危機』という 件として、加害者の弁護活動はしな でに二人の男性弁護士がついていた た。 一、二 審 と も 客 で あ る 男 性 の 行 「この事件を法廷で傍聴していた女 たの」 新聞記事を目にしたの。こういうセ いこと、というのがあったのね。ど し、 裁 判 は す で に 終 わ っ た 状 態 で、 認められるんじゃないかと思って」 ンターがつぶれたらまずいんじゃな うせ女のところにこの手の事件の依 姦救援センターだった。 の。福島先生は裁判官にも信頼され 続・性の法律学」 (有斐閣)など著書多数。 撮影:永峰拓也 事件を考える会』というグループを こと、変えたいこと」 (岩波新書) 、 「性の法律学」 「性差別と暴力― ている方だったから、きっと弁論再 2013 年 3 月まで明治大学法科大学院教授。 「性と法律―変わった 結成したの。そこにTRCCのメン と健康のための支援教育センター」の代表理事。2004 年 4 月より TRCCは、六名の一般女性市民 によって立ち上げられた日本初の強 バイオレンス調査研究会を設立。2000 年 4 月より、「女性の安全 開となり、被告人質問のやり直しも の法律アドバイザー。1992 年、8 人の女性によるドメスティック・ バーがいたのね。 卒業。1975 年に弁護士登録。1986 年より、 東京強姦救援センター いかと思って、すぐにカンパを送っ 「 『東京強姦センター(以下、TRC 角田由紀子氏 1942 年北九州市生まれ。1967 年東京大学文学部 女性の側に明確に立って司法の世 界で働くことで、この社会がいかに ちたものであるかを痛感したわ。 るべきよね。法律がいかに矛盾に満 も量刑事情の中では同等に評価され ら、被害者の買春行為も、少なくと だ、 一審の実刑は執行猶予となった。 防衛にはならないと判断された。た 至るまでナイフを刺したことは正当 とは認められたが、結果的には死に 対する「急迫不正の侵害」であるこ 為は、女性の身体および性的自由に 翌年、角田氏は日本で初めてとい われるセクハラ事件を福岡地裁で提 として興味を持って見ていたのよ」 かりで、私もそれを社会全体の問題 クハラの概念が日本に輸入されたば 売り歩いたの。ちょうどそのころセ を考える集会でそのパンフレットを 「 私 は、 女 性 た ち が 開 い た 天 皇 問 題 を翻訳したものだった。 働者教育用に作られたパンフレット これは、アメリカのデトロイトで労 るためのハンドブック」を出版した。 の会)が「性的嫌がらせをやめさせ こ の こ ろ、「 働 く こ と と 性 差 別 を 考 え る 三 多 摩 の 会 」( 以 下、 三 多 摩 セクハラ)だ。 かよ」 問題が可視化されたことで、活動 が生まれ、議論が深まったことは確 たの。 くかを明確にしたことに意味があっ て、どう社会的・法的に対応してい つけていなかった問題を明らかにし 「 こ の ア ン ケ ー ト は、 法 律 家 が 手 を して出版した。 結 果 を「 女 六、五 〇 〇 人 の 証 言 」 と 性たちがアンケートに回答し、その す る 実 態 調 査 だ。 七、〇 〇 〇 人 の 女 日本で初めて実施したセクハラに関 人アンケート」とは、三多摩の会が 「 セ ク シ ュ ア ル・ ハ ラ ス メ ン ト 一 万 ぎりぎり間に合ったのよ」 一万人アンケート』だった。裁判に 私は大事なことをしているんだ と、自分のやっていることの意味を される。 なんて言ってくれるし、とても信用 と、 み ん な『 い い 仕 事 し て い る ね 』 アドバイザーをやっていますという 士 で 強 姦 救 援 セ ン タ ー の リ ー ガ ル・ 紹介をしたときの反応の違い。弁護 「 ア メ リ カ で 強 く 感 じ た の は、 自 己 でフェミニズム法学を学んだ。 に迎えられ、マッキノン教授のもと 一九九四年から二年間、角田氏は ミシガン大学ロースクールの研究員 めたのよ」 題として提起したの」 ないと。働く女性全体にかかわる問 た時も、これは原告一人の問題では た。 任も認めた点で画期的なものとなっ この判決は、被告男性の不法行為 責任を認めただけでなく、会社の責 様に語られたり、強姦神話がまかり あまり変わってないのよね。今でも 「 女 性 を 取 り 巻 く 問 題 は、 昔 も 今 も いつも依頼者の隣に 顔の見える距離で 女性をないがしろにしているか、し を考える上で軽視できない重大事な 「彼女が売春をしたことが刑事責任 かも、それは法律が後ろ盾になって 訴したグループに参加した。 決して選んだわけじゃないんだけ ど、いろんな偶然があって、多くの 角田氏たちは、支援者、新聞記者、 「 そ の あ と も い く つ か の セ ク ハ ラ 裁 学者、弁護士などの女性たちと手を 判を引き受けたんだけど、理論的な 再評価できたの」 いることがいかに多いかがわかった 女性と出会って、女性をめぐる問題 詰めはまだまだだと感じていたの。 サリン・マッキノン教授だという記 か ら だ 』『 本 当 に い や だ っ た ら 最 後 姦されたのは、被害者に責任がある 神話というのは、根拠のない思い 込 み、 単 な る 思 い 込 み の こ と。『 強 とおっていたりするから。 「この事件が私のところにやってき が仕事の中心になっていったの」 。 携え、全国規模で支援者を組織した。 「裁判は一九二二年に全面勝訴した 事を読んだの。それで、彼女のもと まで抵抗するはずだ』なんて、よく の。 問題意識の高まり そのため、傍聴席はいつも満員だっ んだけど、その時に証拠となったの で勉強するためにアメリカ留学を決 女性の『性的自由』が『貞操』と同 社会に投げかけた波紋 そうしたら、ある時アメリカのセ クハラの理論的構築をしたのはキャ 一九八〇年代後半、日本であらた な 女 性 問 題 が 話 題 と な っ た。 「セク が、 『 セ ク シ ュ ア ル・ ハ ラ ス メ ン ト た。 シ ュ ア ル・ ハ ラ ス メ ン ト 」 ( 以 下、 5 一票で変える女たちの会 かわらばん 第 10 号 2016 年 10 月 1 日 ろがって『人間』に興味を持ってほ ことを知り、いろんなことをおもし おもしろがる心が大切だと思うの。 『子どもが夜中まで父親とはしゃい しいの」 児精神科医に協力してもらって再度 で、翌日に父親の布団の中でじゃれ 「食べていくためだけに弁護士に 言えたものよね。 ているというのは危険な行為だ』っ なった」という角田氏の四〇年以 *ネットやメールを利用されない方に 検証したんだけど、その先生も同じ て。 そんなこと、自分の経験だけじゃ 上の弁護士人生を支えてきたもの は印刷版をお届けしています。ネット 力量はやっていく中で磨かれてい くもの。周辺知識を学び、知らない わかんないわよね」 は、すべて人との巡り合わせだった。 で ご 覧 に な る 方 も、 ぜ ひ 印 刷 し て ご 友 ことを言ったの。 事件を見てしまうからなのよ」 法律の知識だけでなく、ものを見 る視点を若い人に伝えたい。これま 困っている女性に出会い、寄り添い、 人・知人の方に紹介してください。 こうした強姦神話がいまだに裁判 の現場でまことしやかに語られるの 性の問題同様、家事事件でも「自 分にも子供がいるから」 「自分の家 でに仕入れてきたものを全部提供し 女性の顔が見えない法律に怒りを覚 は、裁判官や検察官が自分の経験で でも同様のことがあった」など、問 たいという思いから、角田氏は九年 え、闘ってきた。 ★投稿大歓迎! 本 や 映 画 の 紹 介、 地 域 で の 活 動 報 告、 「 だ か ら こ そ、 弁 護 士 に は 隣 接 し た 『一票で変える女たちの会」かわら版 る まも 9条 題を十分に理解していると思い込ん 間、明治大学法科大学院の教授とし 「 す べ て は 巡 り 合 わ せ な の。 出 会 い でいる人は多い。 学問の知識が必要なのよ。 て教鞭をとった。 法 』 は、 司 法 試 験 科 目 で は な い の。 会うかは、わからないものよね」 の記事もそう。どこでどんな人に出 て一二〇〇字〜一六〇〇字) なんでもお寄せください。 (一本につい 45 6 例えば、子どもの親権を争う事件 で、父親のところへお泊りをさせる 判例などの知識はもちろん大事だけ 選挙や地域の政治の動き、情報、ご意見、 親は娘が父親から性的虐待をされて ど、こうした隣接の学問の知識も必 静 岡 に 移 っ て か ら 二 〇 年 が た つ。 街 中 で 依 頼 者 や 検 察 官、 裁 判 官 の 宛先: [email protected] 郵便:〒 162-0823 東京都新宿区神楽河岸1の1 が出会いを連れてくる。新聞や雑誌 いるのではと疑い、精神科医に相談 要だということで、資料もたくさん 方々とすれ違うことは、東京では考 東 京 ボ ラ ン テ ィ ア・ 市 民 活 動 セ ン タ ー 「 私 が 担 当 し て い た『 ジ ェ ン ダ ー と したところ、その疑いありとして面 配 っ た わ。『 実 務 家 に な っ た 時 に 役 えられないことだった。 という面会交流が行われていた。母 会交流が停止されたの。 立つかもしれないからすぐには捨て No. : 03-5684-1412 FAX メールボックス 面会交流の様子を撮影した録画ビ デオでは、子どもはすごくはしゃい るの。だから自然に会って『最近ど 「 事 件 が 解 決 し た あ と も、 や っ ぱ り 私は彼らよりも年配の人間とし て、人間をどう見るのか、社会をど う?』なんて聞けると安心するのよ ないでね』って。 う見るのかを語ったつもりなの。目 ね」 でいて、父親と楽しそうに遊んでい 楽しそうにしているようにしか見え 先のことだけでなく、広い視野で法 し伸べ続ける。 依頼者のことはずっと気になってい なかったわ。 律の問題を考えてほしかった。 る。 私もそのビデオを見たんだけど、 親 権 は 母 親 に 渡 さ れ た ん だ け ど、 後に父親がその精神科医を相手どっ 弁護士が相手にしているのは『人 間 』 だ か ら。 人 間 に 興 味 を 持 っ て、 自然あふれる暖かな大地で、角田 氏はこれからも悩める女性に手を差 て面会交流が途絶えたことを理由に 賠償請求したのよ。そこで、別の小 い しな 争 戦
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