音声内容のテキストはこちら - 一般社団法人 日本先進医療臨床研究会

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第10章 :代 替医療と
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この章のゴール
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鮮明なイ メージングを助 ける
ビジュアルマテリアル
あなたが、ある目標に向かって自らを強 く駆 り立てねばな らないとき、また、プログラムがあなたにイメー ジングを求めるとき、
「息づかいが感 じられるほど鮮やかに心に描 くこと」を意味 します。このペー ジは、そ うしたあなたの鮮やかなイ
それは、いつも、
「象徴物つ ために設けてあ ります。
メー ジングを助ける
写真、
絵、図面、リス ト.… … あなたの鮮やかなイメー ジング助けるもので
あれば何でも貼つて ください。
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第10章 :代 替医療との係わり方
■奇跡 的治癒 は 自然治癒 力 が 強烈 な形 で 発揮 され た結果 で あ る。
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の 中 にあ る。
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■ 自然治癒 力 を発動 す る鍵 は、 自 らのィ
ヽ
の動 きは きわめて密接 に相 関 して い る。
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■症状 と′
■ プラシー ボ反応 こそ、医療 にお ける もっ とも大切 な果実 であ る。
■治療 家、患者双方 の信 念が、複合 プラシー ボ を発現 させ る。
■医療 にお ける奇跡 的治癒 は、す べ て、 プラシー ボ 反応 に起 因す る。
■治療家 と患 者 の相 互 信頼 ほ ど、治癒 を促進す る もの はない 。
現代西洋医学 に幻 滅 した人 々が代替 医療 との 係 わ りを深 めて い ます。しか し、
「科 学 的医学」 を嫌悪 す るあ ま り、深 い知識 を もたず に 、妄信 的 に代替 医療 に
走 る ことはたいへ ん危険 な ことな ので す。 正 当、非 正 当 を問 わず 、 さまざまな
治療家 が、 さまざまな療法 を考案 し、現代西洋 医学 に見切 りをつ け た患者 を多
く受 け入 れて い ますが 、それ らが必ず しも有効 であ る とは限 りませ ん。 中 には
症状 をさらに悪化 させ 、 もう一 度科学 的医療 に戻 った ときにはす で に手遅 れだ
った とい うケ ース もあ るのです 。
第 10章 で は 、 さまざまな代替 医療 の 中か ら、 一 般 的 に認知 を受 け、効果があ
る と認 め られて い る もの を選 び 、そ れぞれ の歴 史、実態 を学 びなが ら、そ れ ら
の代替 医療 との正 しい係 わ り方 、そ して、それ らが われ われの健康維持 や治癒
に貢献 で きる もの な のか を考 えてみ る こ とに しま しょう。 尚、そ れぞれ の 医療
に関す る見解 は可 能 な限 り中立 的 な立場 で論 じた つ も りです 。そ れで も、特定
の代替 医療 を現在受 けて い るユ ーザ ー に とって は 、あ ま り好 感 を持 て ない 表現
にぶ つ か る こ とがあ るか もしれ ませ ん。
しか し、 この 第 10章 にお けるそれぞれ に対 す る評価 は 、現在入手 しうるい か
なる文献 に も傾倒せず 、 バ イ タルシス テ ムズ独 自の立 場 で 、冷静 な分析 の もと
に至 った結論 であ り、 バ イ タル シス テ ムズ が い か なる代替 医療 を も特例 的 に支
持 せ ず、否定 も して い ない ことを明記 して くだ さい。
■ホメオパ シー医学
英雄医学 をア ロパ シー と命名 したサ ミュエ ル・ クリスチ ャ ン・ハ ー ネマ ンに
よってその基礎 が形成 されたホ メオパ シー 医学 は 、現在 は代替 医療 の一 つ に数
え られて い ますが、 19世 紀 の ヨー ロ ッパ で は新 しい 医学体系 として民衆 に熱烈
に支持 され、受 け入 れ られたのです。潟血 一 本槍 の 野蛮 な英雄医学が成功率 の
低 い 医学 と して人 々 に愛想 をつ か され た時期 、 ハ ー ネマ ンの弟子 たちはす で に
ヨー ロ ッパ 全土 に散 らば ってお り、知 的 で 、成功率 の高 い新 医学 と して医学 の
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主流 を形成 し始 めてい ま した。
ホ メオパ シ ー 医学 とア ロパ シー 医学 は19世 紀 と言 う100年 をライバ ル と して、
医学 の 主流 を争 って きた関係 なのです 。そ して、そ の争 い は、新天地 、 アメ リ
カで もっ とも壮 絶 に展 開 され ま した。 ヨー ロ ッパ か ら渡 ったホ メオパ シ ー 医学
は 、当時 の アメ リカで も、民衆 の絶大 な支持 を勝 ち得 たので す。1836年 、 ペ ン
シルベニ ア州 フ イラデ ル フ イアにハ ー ネマ ン医科大学 が 設立 され、 ホ メオパ シ
ー医学 の 本格 的 な教 育 が始 ま りま した。1844年 には 、 アメ リカ初 の全 国的医学
団体 、 ア メ リカ ・ ホ メオパ シー協 会が設立 され、ホ メオパ シー 医学 は確 固 とし
た地位 を築 きは じめ る こ とにな ります。
1847年 か ら48年 にか けて米 国中西 部 を襲 った コ レラの大流 行 を救 ったの も、
ア ロパ シ ー医学 ではな く、 ホ メオパ シ ー 医学 であ った とい う事実 もそ の有利 に
拍 車 をか け、 多 くの ア ロパ シー医が ホ メオパ シ ー に転 向す る とい うなだれ現 象
の結 果、最盛期 には全米 で59の ホ メ オパ シー 医学校 が誕生 し、治療 家 の二 人 に
一 人がホ メオパ シー 医 で あ る とい う状態が しば ら く続 くこ とにな ります。
英 雄医学家 の 末裔 であ る 当時 の正 当医学 家 たちは 、 しか し、 この ホ メオパ シ
ー の支配 をそ う長 くは許 しませ んで した。彼 らは背水 の 陣 を しい て結束 し、 多
くの 企業 、資 産家 、政 治 家 を支 援 者 に して、1846年 、触
IA、
ア メ リカ医師会
とい う有力 な政治的圧力 団体 を結成 します。 この 団体 が行 な った 、 ホ メオパ シ
ー 医学 に対 す る弾圧:は 、す さま じい もので 、 ホメオパ シー 医学 の起 こ したポ ピ
ュ ラ ー ヘ ルス運動 に よって撤 廃 され た 、医師 の 免許制 を復活 させ るや 、早速 、
ホ メオパ シ ー 医学 の 絶 滅 に着手 しま した。 そ して、 アメ リカ医師会 の 会員が 、
ホ メオパ シー系 の 医療 を行 な った な らば、す ぐに除名 、 ホ メオパ シ ー医 と共 同
で 医療 を行 なって も容赦 な く除名 とい う大鈍 をふ るったので す。 ア メ リカ医師
会 の 除名 は 、即 、医師免許 の景1奪 を意味 し、1923年 まで にはホメオパ シー 医学
は 、 ほぼ絶減 して しまい ま した。優 位 を取 り戻 した英 雄医学 の 末裔 た ち は、科
学 とい う鎧 を まとって 、科学 的医学 、す なわち、現代西洋医 学 を強力 に推 進 し
てゆ くこ ととなるので す。
(1)類 似 の 法 則
ホ メ オパ シ ー 医学 が 「類 似 の 医学」 と称 され るの は 、そ の 第 一 の 理論 、「類
似 の法則」 に起 因 して い ます。ハ ー ネマ ンに よつて提 唱 された「類 は類 を治す 」
とい う理論 は 、 ホ メオパ シー 医学 の基礎 的理論 となって い るのです 。類似 の 法
則 とは 、「健常 者 にあ る特 定 の症状 を起 こ させ る物 質 には 、そ れ と類似 した症
状 を呈す る病者 を治す効力 があ る」 とす る理 論 で す。 もっ とわか りやす く言 え
ば 、頭痛 を起 こ させ る物 質 を頭痛 を訴 える人 に、少量 、処 方す る と、頭痛 を治
さなけれ ばな らない とい う恒常性 を刺激 して、内部 か ら治癒 を引 き出す こ とが
で きる とい う考 え方 なので す。
ハ ー ネ マ ンは 、 さまざまな物 質 を研 究す る 中 で 、薬理効果 には二 相性 があ る
こ とを発 見 します。 つ ま り、 アヘ ンの場 合、処方後 の初期症状 と して快 感 と幸
福 感 を もた ら し、そ の あ とに深 い憂鬱状態 をひ きお こ します。 ハ ー ネマ ンは こ
の二 相性 を物 質 の 人体 に対す る作用 と、人体が起 こす反作用 と解釈 した ので す。
これ を、 ホ メ オパ シ ー 医学 にお ける、類似 の法則 といい ます。
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(2)無 限的少量の法則
ハー ネマ ンは、類似 の法則 に したがって診療 をする うちに、薬物 の初期効果、
すなわち、類似の法則 の説明で例 にあげた頭痛 の場合、頭痛 を起 こさせ る効果
を弱 めることはで きないか と考 え、薬物 の投与量 を減 らしてみました。す ると、
意外 にも、二相性 の効果 は以前 にもまして強 くなったのです。彼は、 この事実
に したがって、患者 に投与する薬 の量 を減 らしてゆきました。現在 の薬理学で
は理解 に苦 しむこの解釈 は、 しか し、ハー ネマ ンが打 ち立てたホ メオパ シー第
二の法則、無限的少量 の法則 として定着 していったのです。
「薬物 は、正 しく希釈 されれば、その投与量が少なければ少ないほど、病気
に抵抗する体 の恒常性 を刺激 し、 よ り効果的に内部か ら治癒 を引 き出す ことが
で きる」 とい う、 この独特 な理論 を、ホメオパ シー医学 における、無限的少量
の法則 といい ます。
(3)単 薬投与 の法 則
ハー ネマ ンはホメオパ シー第三の法則 として、単薬投与 の法則 を提起 してい
ます。単薬投 与 の法則 とは、ホメオパ シーの薬物 は一 回に一種類 しか投与 して
はならない とい うきま りをいい ます。
ハー ネマ ンは、治療 の経験 か ら、「薬 を処方 して、患者が どう反応す るか を
見極めてか ら次の行動 をお こせ 。決 して、二つ以上の薬 を同時に処 方 してはな
らない」 と教 えてい るのです。 これ をホメオパ シー医学 における、単薬投与 の
法則 といい ます。
(4)慢 性病 の 法則
ハー ネマ ンは慢性病 の法則 を使 って、英雄医学 を手厳 しく批判 しました。す
なわち、ハー ネマ ンは「治療 して も治 らない病気 は、以前、体表面 に生 じた疾
患 をアロパ シー医学が症状 だけを抑 えつ けて しまった結果、それ らの疾患が体
内深 くに潜伏 して しまい、あ とになって、 ガン、精神障害、 リウマチ、糖尿病
などのい ろいろな病気 となって発症する。したが って、ホメオパ シー医学 では、
個 々の障害 を治療す る場合、症状 を治療するのではな く、 まず、その背景 とな
っている慢`性 病 の治療 をしなければならない」 としました。
ライバ ル医学 に対す る攻撃の手段 とい う側面 はさてお き、現在、科学的医学
の欠点の一つ、対症療法か ら患者 を守る法則 として、い まもホメオパ シー医学
が継承する考え方 の一つです。 これをホメオパ シー医学 における、慢性病 の法
則 といい ます。
現在、ホ メオパ シー医学 に復活 の兆 しがあ ります。 しか し、それ らは必ず し
も正統的なものではな く、単薬投与 の原則 を無視 して、多 くの薬 を一度 に処方
した り、科学的医学が使 っている新薬 を多用 した り、お よそ、ハーネマ ンの理
想 には遠 い ものに終始 してい るのです。なぜ ならば、アロパ シー医学 によつて、
一度、絶滅 に追 い込 まれたホメオパ シー医学 は、世代 の断絶 のために正統派理
論 の継承が途切れて しまってい るか らです。 また、一部 の詐欺的業者 は、ホメ
オパ シー医学 の なんたるか を知 りもせ ず、「ホメ オパ シーの薬」 と称 して、 ど
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メモ
う考 えて も効 果 な ど期待 で きない 健康食品や栄養補助 食品 を極 めて高 い値段 で
販売 した りも して い るのです 。
あ なたが 、 ホ メオパ シ ー 医学 に興 味があ るのであれば 、数少 な い正統 派 のホ
メオパ シー 医 を探 さなければな りませ ん。近年 、 ホ メオパ シー 医 を標榜す る医
師 は少 しず つ ふ えて はい ます が 、それ で も、 まだ、著 しい 少数派 です 。 また、
自然療 法 、ナ チ ュロパ シ ー 、 カイ ロ プ ラ クテ イ ック とい う看板 をあ げ なが ら、
ホメオパ シ ー を自称 す る治療家 は、 ほ とん どの場合 、 にせ ものか 、悪 質 な もの
が 多 い とい う こ とを明記 してお い て くだ さい 。
ハ ー ネマ ンの理論 には 、 一 部 、首 を傾 げた くな る よ うな部分 も確 か に存在 し
て い ます。 しか し、それは、 当時 の正 統派 医学 が、治 療 と称 して患 者 の血 液 を
大量 に抜 い た り、患 者が、涎 をた ら しだす まで重金 属 の毒物 を与 えた りして い
た時代 の こ とで 、多少 の非科学 的 な側 面 は致 し方 あ りませ ん。 そ う した部分 を
除 けば、 ホ メオパ シ ー医学 は 、 ヒポ クラテ スの理想 を多 く継承 して い る医学 と
い う こ とがで きます。
患者 を傷 つ けない とい う鉄則 を守 り、薬剤 の過剰 な投与 をせず 、対症療 法 に
頼 らず に、病気 の本質 を探 ろ うとす る特徴 な どは、医学 の理想 に近 い とい って
も過言 で は あ りませ ん。 ただ し、無 限的少量 の 法則 は、現 代 の薬学理論 には ま
つた く反す る ものだ とい う こと を補足 してお きます。
■東洋 医学
東洋医学 を代替医療 、 と りわけ 、非伝統 的医学 に分類 す るの は抵抗 が残 りま
す。 なぜ な ら、それ は 、 三 千年 も前 に始 ま り、中国歴 代王朝 の 庇護 の もとに、
12世 紀 には真 の科学 と して体系 づ け られ 、学 問 の頂 点 に立 っていた か らです 。
そ して 、 14世 紀 を境 に始 ま った長 い 凋落 の歴 史を経 たい まも、世 界 中 で復活 の
兆 しを見せ 、何 よ りも大 中国民族 の 健康 を一 手 に引 き受 けて い る とい う現 実が
あ るか らです 。 い わゆ る東洋医学 は、現在 アジアに存在 す る さまざまな医 学 の
主流 で あ り、道教哲学 を源流 とす るその理 論 の格調高 さは他 の 追随 をゆる しま
せ ん。
現代西洋医学 と東洋医学 の共通点 を探そ うとするいかなる努力 も決 して報わ
れることはないで しょう。なぜ なら、それ らはまった くちが う祖先か ら生 まれ
た、縁 もゆか りもない医学体系 だか らです。論理学的に非常 に厳 しい訓練 を受
けた中国の思想家たちは、森羅万象 の根底 を成す普遍的なエ ネルギーの存在が、
あ りとあ らゆるものに影響 を与 えるとし、そのエ ネルギー を「気」と名付けて、
人体内部 に流れる気,と 、外界を巡る気 にバ ラ ンスが取 れている状 態 を健康 と定
義 したのです。すなわち、気 の過不足 は双方 とも異常 であ り、気が足 りない器
官 には気 を増や し、気が多す ぎる器官か らは気 を減 らす ことが東洋医学 の治療
の基本理念 となってい ます。彼 らはまた、気 のバ ランス とい う理論か ら、すべ
ての ものの二極性、すなわ ち、陰陽の概念でその性質を見極め、バ ラ ンス を獲
得 しようと試 み ました。
すなわち、あなたの体が陽 の性質であれば、陰の食物 を取 り、陰であれば、
より多 く陽に接するとい う、東洋医学独特の治療形態 を確立 したのです。東洋
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医学 にお い ては 、 この 陰陽 の分類 はたいへ ん重 要 で 、内臓 も、薬 も、そ の他 治
療 に供す る もの すべ て を陰陽 に分類 します。
例 えば 、 胃や腸 な どの 、中空 の臓器 は陽 、肝臓 や腎臓 な どの中空で はない臓
器 を陰 と分類 し、陰 の臓器 には陽 を処 方す る とい う具合 に、陰陽 の バ ラ ンス を
徹 底的 に追及す るのです 。 また、 こ う した理論 の上 に、五行説 とい う、森羅万
象 の 生成 ダイナ ミックス を木、火 、土 、金 、水 の五つの シ ンボル に分類 した理
論 を重 ね 、そ れぞれの カテ ゴ リー に 、臓 器 、薬 、食物 を割 り当てて、それが常
時変化 して巡 る、 いわ ゆる気 の流 れ る方向 を示 そ う とも試み ま した。東洋医学
で は 、 この気 の流 れ る道 を経絡 、そ の流 れ を干渉 しうる点 を経 穴 として治療 に
利用 して い ます。
(1)機 能 面 か らの 臓 器
東洋医学 で は人 間 の臓 器 を12に 分類 します。 しか し、それ らの臓 器 はわれ わ
れの西 洋解剖学 に基 づ い た もの とは大 き く違 うので す。 中国で は古 来、死体解
剖 を忌 み嫌 う風習 が あ りま した。そのため、中国の医 師 たちは 、外 見 で はな く、
機 能 としての臓 器 を設定 したのです 。例 えば漢方医が 「肝」 と言 った とき、そ
れはわれわれの思 う肝臓 を意味す る もので はな く、肝臓 が人体 にお い て果 たす
機 能領域 を指す ので す。
(2)体 内 の エ ネ ル ギ ー の 流 れ は体 表 に投 影 す る
東洋 医学 にお ける もう一 つ の重要 な考 え方 は、臓 器 には体表 に通 じる気 の 道 、
す なわち経絡 が あ り、気 は この経絡 を通 って全 身 を巡 ってい る とい う考 え方 で
す。す なわ ち、体 内 エ ネ ル ギ ー の流 れは、経絡 とい う体 表面近 くに張 り巡 らさ
れ た気 の 通路 に投 影 されてお り、経絡 のいた る ところ にあ る経穴 を鍼 で刺激 す
る こ とによ り、そ の方 向、経路 、お よび強 さを調整 しうる とい う理論 です 。鍼
灸 とは 、 この 理 論 に基 づ い て 行 なわれ て い る 、東 洋 医学 を代 表 す る治療 法 で
す。
(3)陰 陽 五 行 に忠 実 に行 な わ れ る湯 液
湯液 とは い わゆる漢方薬 の こ とで 、漢方 医 に よる四 診法 、す なわち、外 見 を
見 る望 診 、呼吸音 を聞 い た り体臭 をか い だ りす る聞診 、 一 般 的 な問診 、脈 を取
った り、体 に直接 触 れて内臓 の様子 を探 る切 診 の 後 に、陰陽五 行 に基 づ い て処
方 され る薬物投与 を指 します。す なわち、 胃 に障害が あ る と判 断 され る場合 に
は 、 胃の 属す る カテ ゴ リー であ る 「土 」 と親和 性 の あ る 、「土 」 の性 質 を もつ
とされ る薬 草 が薬 と して特 に処 方 され るこ とにな ります。
東洋 医学 とは 、か くも複雑 で哲学 的 な理論 に基 づ く医学 であ る こ とがお分 か
りになった と思 い ます 。科学 的医学 が 機械 の操作 方法 をマニ ュ ア ル に従 って極
め たエ キ スパ ー トとす るな らば 、東洋 医学 は マニ ュ ア ル な しで、実際 にその機
械 を操作 しなが ら熟達 したエ キス パ ー トとい う こ とがで きます。 しか し、東洋
医学 を こ じつ け の 医学 と批 判 す る人々は 、鍼灸 や湯液 は 、古 来 よ リシ ャーマニ
ズ ム によって用 い られて きた治療 法や薬草調剤 に、あ とか ら理 論付 け を した も
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76ア
メモ
のだ とし、経絡 の存在な どいかなる死体解剖実例 をもって して も、明 らかにな
ってい ない としてい ます。
その理論 の根拠 と信憑性 はともか く、東洋医学 は、三千年 を超える長 い歴史
と、おびただ しい治癒実績 を誇 ってい ます。そ して、その予防医学 としての側
面 は患者 を傷 つ けず、マ イル ドな治療効果 の中に治癒 を引 き出す とい う特徴 も
あい まって、多 くの 人々の支持 を集 めてい るのです。
■カイロプラクティック
カナ ダの オ ン タリオに生 まれ、後 にアメ リカに移住 した、 ダニエ ル・デ ビ ッ
ド・パ ーマ ー に よつて始 め られた骨 治療 が 、 カ イロ プラ クテ イックの始 ま りで
す。 パ ーマ ー は医師で はな く、特段 な医学 的教 育 を受 け て い たわけで もあ りま
せ ん 。彼 は 、 アイオ ワ州 ダベ ンポ ー トで雑 貨 店 を営 む傍 ら、趣 味 の 骨相学 と、
心霊研 究が昂 じて「磁 気 治療 ス タジオ」 とい う治療 院 を開設 し、近所 の 人 々 を
対象 に、 自 らの理 論 に もとづ く治療 を行 なって い ま したが 、 1895年 、 自ら命 名
した脊椎 の ず れ 、す なわ ちサ ブ ラ ックス を矯 正 す る手技 で 、難聴 に苦 しんで い
た患 者 を完 治 させ る に至 り、そ の 結果 、あ らゆ る病気 の 、 ほぼ 100パ ーセ ン ト
が 背骨 の ず れ を原 因 として起 こ る とい う結論 を得 た と、 自 らの著書 で言 ってい
ます。
カ イ ロ プ ラ クテ イックは 、彼 の 虐、
子 で あ り、BJの 愛 称 で 呼 ばれ 、 の ち にた
もとを別 ったバ ー トレッ ト・ ジ ョシュア ・パ ーマ ー に よって治療 体系 が確 立 し
た とされ て い ますが 、B」 は
療 家 とい う よ りは、 む しろ根 っか らの ビジ ネ ス
マ ンで 、派手 な ス ロー ガ ンを用 い て組織 を高揚 し、一 大 カイ ロ プ ラクテ イック
'台
王 国 を築 き上 げた とい うのが正 しい 見方 の ようです 。やが て 、そ う した ビジ ネ
スー 本槍 の 姿勢 と、「背骨 の ず れ を直せ ば す べ てが 解 決す る」 とい う単純 な理
論 を嫌 う人 々が 分裂 し、食餌療 法 や物理療法 な どの他 の療 法 も併用 して治療 を
行 な うようにな り、 自 ら「混合派 Jと 名乗 って 、 パ ーマー の や り方 とは一 線 を
画す る ようにな ります。
(1)無 理 の あ る理 論
ヨーガ にお け る訓 練 や、東洋医学 の教義 の 中 に も、 脊柱 を人体 の幹 とし、そ
の 中 を とお る多 くの神経 を活性 化 させ るため に、その骨 の 配列 を矯 正 す る こ と
は重 要 とされて い ます。太極拳や ヨー ガのポ ーズの 中 には 、それ を繰 り返す こ
とに よつて脊柱 を徐 々 に柔軟 に して整列 を促 す よ うな もの もあ ります。しか し、
「すべ ての病気が椎骨 のずれ に起 因す るJと い う理論 にはい ささか無理があ り、
独立 した治療形態 としてカイロプラクテイックが認知 された背景 には、多分 に
B.」 .パ ーマーの政治力が働 いていたもの と思 われ ます。
すなわち、 カイロプラクテ イックは、他 の主導的医療 の追加的治療 として捉
えられるべ きであ り、た とえ、食餌療法や物理療法 を採 り入れてい るとして も、
重篤 な疾患 にもかかわらず、他 の医療 を拒否 して、カイロプラクテ イックー本
槍 になるのはまちがってい るとい うことを明記す る必要があ ります。
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(2)強 い ビジネス性
カイ ロプラクテイック医の ところに診療 を受 けにいつて、「あなたの脊柱 は
異常あ りません」 と言 われた人は恐 らく一 人 としてい ないで しょう。ほ とんど
すべ ての人がサブラ ックス、すなわち、関節間転位 があると言われます。具合
を悪 くしてカイロプラクター を訪れたのですか ら、た しかにそ うなのか もしれ
ませ んが、 カイ ロプラクテ イックにおける初診 の際 の異常率 は、 ほぼ100パ ー
セ ン トなのです。また、脊椎 の調整 を行なって も、それを固定化す ると称 して、
定期的な手技 をうけるようにしむける傾向 もあ ります。
す なわち、長期 に渡 って金 のかかる治療 に通わせ る とい う傾向 は、 B.J.
パーマー以来のカイ ロプラクテ イックの伝統 で、一部 の科学的医学関係者 が 、
カイロプラクテイックを称 して「マ ネーオパ シー」 と批判 す る根拠 ともなって
い ます。また、近年、 カイロプラクテイックが食餌療 法 や物理療法 を採 り入れ
るようになった結果、高価 な健康食品を半ば強制的に買わせた りす るところ も
あ って、科学的医学 の医師同様、 カイロプラクターの人物評価 もたいへ ん重要
なポイ ン トとなって きてい ます。
カイロプラクテイックは、近年、科学的医学 か ら、あたか もい んちきである
かのような批半Jを 受けて きました。アロパ シーの医師 たちは、 カイロプラクテ
ィックの特徴的手技、すなわち、頚椎 をい きな り捻 って、 ボキッと鳴 らすあの
や り方 はたいへ ん危険 であ り、対称性運動麻痺や脳卒中 をひきお こす危険性が
あ ると警告 してい ます。そう した警告 の真偽 はともか くとして、 カイロプラク
ティックはむち打 ち症 の予後や、背中のよじれなどか らくる、耐 えがたい痛み
を瞬時に治 して しまうとい う点 ではたいへ ん優 れた治療法 であ ることは事実 で
す。
それは、科学的医学 には足元 にも及 ばない即効性 と耐再発性 を誇 り、それゆ
え、その根強い信奉者 は何 で もカイロプラクテイックで治るもの と誤解 して し
ま う傾向があるのです。 しか し、そ う した痛みや、肩 こ り以外 の病気 には、そ
の理論上 も治療法上 も有効 とは言 えず、パーマーの脳裏 に神の啓示 の ようにひ
らめい た、「全ての疾患 は脊柱 の関節 間転位 に相関する」 とい う理論 は矛盾 し
てい ると言 わざるを得 ません。
■ホ リステ ィック医学
ホリステ イック医学 のホ リステイックとは、ラテ ン語 の全体 とい う言葉 か ら
派生 した造語です。人間全体 を診 る医学、病気 とい う現象 の全体 を診 なが ら治
療 を行 な う医学 とい う意味 です。 しか し、残念 なが ら、国や地域 を問わず、現
在 のホ リス テイック医学 を標榜す る組織 には、独 自の体系化 された医学理論や
治療法 は見当た りません。 ホリステイックを自認する医師たちは、皆、 アロパ
シー医学 の医師であ り、医療 の現状 に不満 を持 つ患者たちが、代替医療 に流れ
てゆ く現状 を察知 した ことによ り、 ホリステイックを標榜するようになったケ
ースが多 いのです。
バ イタルシステムズが考 えるホリステイック医学 とは、科学的医学 の病理学、
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メモ
薬理学 の知識 を尊重 し、ホ メオパ シー医学 の診療姿勢 を兼ね備 えた医師たちに
よる、医学的、分子生物学的、精神神経免疫学的 に理論づ けられた自然治癒力
を患 者 の内部か ら引 き出そ うとす る医学理論、治療法 の体系化 なのです。それ
に対 して、 ホリステイック医学運動 はい まだス ター トライ ンに限 りな く近 い過
渡期 で、その理論的統一性や一貫性 を打 ち出さない限 り、行 く末 は、結局、患
者 の心 の問題 を重視する「個 々の医師たちの活動 の集合体」 とい う、社交 クラ
ブ的範囲をでることはないで しょう。
ホ リステ イック医学 とい う、 はっ きりした理論的統 一性 が存在 しない以上、
い まの段階では、その実態 は、既成医学 に批判的な内科医、外科医、ナチ ュロ
パ シー、 カイロプラクテイック、気功 などの治療家が活動 の場 を求 めて集合 し
たに過 ぎません。それで も、そ こは医師や治療家 の集団であ り、ホリス テ イッ
ク医学 の名 の もとで行 なわれる治療 も増 えて きてい るため、プログラムユーザ
ー には、い くつ かの例 をあげて注意 を喚起 してお くことにします。
(1)非 正統 的治療法 の 多用
ホ リス テイック医療 の名 の もとに、あらゆる非正統的治療法が是認 され、多
くのホ リス ティック派 の医師が、そ う した治療法 を無批判 に採用 してい ること
は大 い に注意 しなければならない点 です。なぜ なら、そ うした治療法 の中には、
かな り胡散臭 い もの も含 まれてい るか らです。そ して、彼 らの理論 の 中には、
根強 い ア ロパ シー医学 に対す る批 判が見 え隠れ し、非 ア ロパ シー、す なわち、
科学的医学以外 の ものなら無条件 で承認 しようとするス テ レオタイプが存在す
ることも気 になるところです。科学的医学が重視 して きた、入念 な実験 と再現
性 の確認 を飛 び越 して、そ うした治療法 に基盤 をお くことは、 ヒポクラテスの
訓令 に反 し、軽率、行 き過 ぎの謗 りを免れない行為 と批判 されて も仕方がない
のです。
(2)や さ しすぎる医療
科学的医学が、テクノロジー崇拝主義 に過 ぎ、危険で攻撃的な治療 に頼 りす
ぎるとした第 9章 の批判 の対岸 に、あまりにや さしす ぎるホリス ティック医療
とい う ドグマが存在 します。病気 とはある意味で体内に宿 った生命 の敵 であ り、
その手強 い敵 に対処:す るためには、その存在や実態 を探求 し、 ときには苦渋 に
満ちた治療 にも耐 えなければな りません。
ホ リステイック派 の医師 たちは、その耐 えるべ き治療 を快適なものに しよう
とす るあま り、効果が ほ とんど望めないデ リケー トな治療法 を採用 しがちなの
です。前立腺 ガンの患者 に美 しい花 のエ キスを集 めてつ くった希釈製剤 を処方
した り、彼が10年 前か ら実践 してい なければならなかった 自然食 の食事 をプロ
グラムす ることは、少な くとも悪性腫瘍 に対す る治療 の決 め手 になるとは思 え
ません。 しか し、多 くのホ リスティック派 の医師たちは、そ うした治療 こそホ
リステイック医療 のあるべ き姿だと信 じてはばか らないのです。
(3)悪 の 対岸 は善 とい うまちが った 思想
サ ミュエ ル ・クリスチャン・ハーネマ ンが開いたホメオパ シー医学は、類似
7/θ
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の 法則 に立 って病気 を真 正 面 か ら捉 え よ う とした ところにそ の す ば ら しさが あ
ります。す なわ ち、 ホ メ オパ シ ー は「 毒 を もって毒 を制す るJを 実践 した医学
なので す。 当時 の英 雄医学 が い か に野蛮 だか らとい って も、 ハ ー ネマ ンは患者
をその蛮 行 か ら救 済 して、甘 やかす つ も りな どまった くなか ったはず で す。 そ
の 証拠 に、彼 は 自らの 体 で 実験 した膨大 な薬物 リス トの 中 で 、 一 時作用が不快
な もの ほ ど良薬 で あ る と信 じて い たふ しがあ るのです 。
す なわ ち、患 者 を病気 か ら解 放 してや るため には 、あ る程 度 の 苦痛 は我慢 さ
せ る とい う医師本来 の 強 さをあわせ持 っていたか らこそ、 一 時 はキ リス ト教世
界 の 主流 医学 た る学 閥 を打 ち立 て るこ とがで きた にちが い あ りませ ん。しか し、
い か に科学 的医学が患者 に対 して残虐 であ って も、そ の 反対 に真理 が存 在す る
とい う考 え方 もまた まちが ってい ます。科 学 的医学 を反面教 師 とす る思 想 が 、
ホ リステ イック医学 の懐 をか えって浅 くし、末期 医療 との境界 が は っ き りしな
い 地位 に とどめて い る とい う意見 も、 い まの ところ完全 には否定 で きないの で
す。
ホ リス テ イック医療 とは、あ る意味で理 想的 な医学 の姿 で す。 さまざまな代
替 医療 に広 く門戸 を開 き、患者 に とって良 い もので あれ ば 、迷 わず採 用す る と
い う柔軟性 を もち、権威 主義 を真 っ向 か ら否定 して、患者本来 の 治癒 力 に重 点
をお く姿勢 は 医療 の あ るべ き姿 を明 確 に表 して い る とい える ので す。 しか し、
保守政治 をあ ま りに強 く批判す るあ ま り左 傾 し、反対 のための 反対 に終始 して
い る革新政党 の よ うに、 ホ リス テ イック医学 は 、やや もす る と行 き過 ぎの路線
には ま り込 んで しまう危険性 をあわせ 持 ってい るのです 。
われわれ 医療 を受 け る側 の大 多 数 は 、「科学 的主流 か ら大 き くか け離 れた医
療 に 身 を任せ た くはな い が 、そ うか とい って 、既 成 の ア ロパ シー 的療法 も不安
だ」 と考 えて い ます。 ホ リス テ イック医学本 来 の 柔軟 で 、固定観 念 に とらわれ
な い 自由な発想 と、必要 とあ らば、大胆 にメス を振 る う医師本来 の 頼 も しさが
融 合す る 日が くれ ば 、 ホ リス テ イ ック医学 は まちが い な く医学 の頂 点 に立 つ こ
とに なるで しょう。
■信仰治療
ホ メオパ シ ー 、東 洋 医学 、 カイ ロ プ ラ クテ イ ック、 ホ リス テ イック医学 と、
多 くの代替 医療 の 中 か らい くつ か を選 んで解説 して きま したが、 この信仰治療
の 原理 を知 る こ とで 、代替医療 におけ る治癒 の 仕組 み を明 らか にす る こ とがで
きます。 そ の 詳細 につ い て は、次節 で触 れ る こ とと して、 まず 、そ の 信仰治療
につい て解説す る こ とに しま しょう。
信仰 をその基盤 にお く治療 法 は 、 い か なる時代 に も、 また い か なる地域 に も
厳然 として存在 して きま した。民族 、宗教 の形式 、文 明 の浸透度 な どによつて
さまざまな形態 を と りますが、 それは常 に超 自然 の 力 と日常世 界 とを仲介す る
代弁者 も しくは システムが 存在 し、助 け を求 め る もの だ けが、そ の偉大 な力 の
恩 恵 にあず か る とい う形 を と ります。
あ る ときは シャーマ ンで あ り、司祭 であ り、僧侶 で あ り、 また偶像 で あ るそ
〃
確
◎Cο ″咤晟昨a1/Sysセ "■ にハ
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.
7フ
アア
メモ
れ らの媒体 は 、偉大 な力 か らメ ッセ ー ジや パ ヮー を受 け て 、そ れ を伝 える こ と
に よ り治癒 を引 き出す ので す。科 学 的医学 の 医師た ちは、当然 こ う した信 仰治
療 に関 しては眉 をひそめ ます が 、実際、不 治 の病 とされ る もの まで を劇 的 に治
して しま う力 を持 ってい るので す。
(1)シ ヤー マ ニ ズ ム や ブー
ドゥー にお け る 治 癒 例 と死 亡 例
都 市 に住 む人 々が 密林 に分 け入 つて まで治療 に訪 れ る とい う、あ るイ ンデ ィ
オの シ ャーマ ンは、末期 ガ ンで 、医師 にあ と数 ヶ月の命 と宣告 された男性 を二
日間の祈祷 と、強力 な催 吐物 質 を使 って治 して しまった とい う実績 を持 ってい
ます。その詳細 は、第 11章 で詳 しく解 説 しますが、そのほか に も、彼 が祈祷 に
よって、幾 つ かの奇跡 的治癒 を もた ら した事 実が科学 的医学 の研 究者 に よって
確 認 されてお り、治癒 を もた ら した システムの研 究が行 なわれて い ます 。 しか
し、 それ らの 多 くは 、「実 際 にその症状 が存 在 したのか 」、 とか 、「治癒 を起 こ
した患 者 はサ クラで はなか ったの か」 とい う、 シャーマニズ ム に よる治癒 の事
実 を打 ち消 す ための 反証 的研 究 であ り、 ここで も、科学 的医学 の 治癒 に対 す る
無方 向感 と不遜 な無知 が露呈 されて い るので す。
シ ャーマニ ズ ム にお け る疾病観 は 、科学 的医学 は もちろんの こ と、 これ まで
に解 説 して きた、 い か なる代替 医療 の それ ともまった く異 質 の もので す。 そ の
疾病観 の 中心 をなす病原 は、死霊 や悪霊 で あ り、それ らが何 らかの理 由 で患者
に作用 す る こ とに よ り、 また、患者 に憑 依 す る ことに よって病気 が発生 す る と
考 えるので す。例 えば動物 に噛 まれて傷 口が 化膿 した とす れば、 そ の動物 を噛
み つ くよ う に仕 向け た悪霊 の存在 を疑 う とい った具合 で す。す なわち、 シ ャー
マ ンの 医学書 の 中に は 自然発生 的 な病気 や死 とい う概念 は存在 せ ず 、あ らゆる
病気 の背後 には、必ず悪 を働 く邪悪 な ものの存在 があ るので す。
治療 の方法 は さまざまで す が 、 ほ とん どの場 合、 シ ャーマ ン 自身が幻覚剤 を
飲 んで トラ ンス常態 とな り、患者 に も同 じ幻覚剤 か 、催吐物 質 を飲 ませ て 、夜
を徹 して儀式 が 行 なわれ ます。 そ して、朝 と共 に幻覚剤 の作用 が醒 め る と、 シ
ャーマ ンは精霊 に指示 された とお りの調剤 で 、本 の根 や薬 草 か ら作 った薬 を患
者 に与 え 、治療 はひ と通 り終 了 します 。 しか し、 こ う した黒 魔術 的 な儀 式 と、
なにや ら、 えた い の知 れ ない薬 に よって も、治癒 は確 実 に引 き出 されて い るの
で す。 シ ャーマ ンの儀式 を経験 した人 々 は、 一 様 に良 くな った と言 い ます。 そ
して、そ う した 中に、科学 で は まった く説 明 ので きな い劇 的 な治癒 が 時折 お き
て い るので す。
また、宗教 には治癒 と反対 の現象 、す なわち、人 の死 を誘発す る よ うな伝 統
的技 法 をい まだ に温 存 して い る ものが あ ります。 一 般 に呪 い と呼 ばれ るこの習
慣 は、 モ ン ゴロ イ ドに広 く分布 す るシ ャーマニ ズ ム、 ハ イチ な どで盛 んなブ ー
ドウー教 にお い て 、 い ま も盛 ん に行 なわれ てお り、 日本古 来 の「丑 の 刻参 り」
も、そ う した習慣 の 変形 と言 われて い ます 。呪 い もしくは呪 証 は、悪霊 の力 を
借 りて 、恨 み を持 つ 人 に不幸 を もた らそ う とす る 自慰 的行動 と思 われが ちです
が、 ハ イチ な どの ブ ー ドゥー教 国 で は、 い まで も、呪 い に よる と しか 考 え られ
な い死 亡 が 、年 間 100件 近 くに も及 ぶ ので す。 われわれ は 、 こ う した事 実 を一
体 どの よ うに理 解 すれ ば いい ので しょうか 。
7/2
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(2)マ リア信仰 による治癒例
フランス南西部 のスペ イ ン国境近 くにルル ドとい う村があ ります。 ルル ドは
カ トリックにお ける聖地 とされ、聖母 マ リアが出現 した とされる洞窟 の中に湧
き水があって、聖なる泉 として厚 い信仰 の対象 となってい ます。またこの泉 は、
難病 で苦 しむ患者 が「奇跡」 とい う治癒 に最後 の望みを託 して訪れ る場所 で も
あるのです。 ルル ドの洞窟 を訪れ た人が まず 目にするのは、壁面 にかけられた
無数の松葉杖 で、 ここを訪れて歩けるようになった人々が不要 になった杖 を置
いていった もの なのです。事実、 ルル ドでは信 じられない ような奇跡的な治癒
が何度 も起 こっていることは明 らかで、さまざまな人に よって事実確認がなさ
れてい ます。
科学的医学 の医師 たちは、 こうした事実 にぶつ かると、当惑す るか、無視す
るか して、決 してその存在 を認めようとは しません。 しか し、事実 はそこに厳
然 としてあるのです。 こ う した ことか ら、ルル ドでは奇跡的治癒 の証明 をかな
りの厳密 さで行 なって きました。奇跡的治癒 をした患者は一万人 を くだ らない
とい うのが カ トリック倶Iの コンセ ンサスですが、医学的な検証 にも耐 える必要
があるとい う観点か ら、ルル ドにお ける奇跡的治癒 の認定 には、以下 の五つ の
条件 を満たす必要があるのです。
① ②
疾患 が確 実 に存在 し、正規 の 医師 に よる診 断が確 定 して い る こ と。
継続 的 な治療 の有無 を問 わず 、そ の予後 が不 良 で あ った こ とを立 証 で き
③ ④
る こ と。
疾患 が 一 般 的 に重症 であ り、不 治 とされて い る こ と。
奇跡 的治癒が時 間 の経過 を要 さず、事 実 上 、そ の場 で 瞬時 に起 こった こ
と。
⑤
奇跡 的治癒が 一 時的 ではな く、永続 的 に持続 して い る こ と。
この奇跡的治癒の認定 は、三名の科学的医学 を専門とする医師団によつて厳
密に検証 され、さらに、そ こで奇跡 とされた治癒 を多 くの医師、宗教家が再検
証す るとい う周到さで行なわれます。
その結果、1949年 以来、奇跡 と認定 された治癒は75件 を数え、そのうち27件
は科学的 に説明不可能な治癒 とされているのです。 こうした事実は、果たして
聖母マ リアの成 した業なので しょうか。
■超常的現象 なのか
シャーマ ンの治療 による治癒 も、ルル ドでの奇跡 も、それ らはわれわれに人
間社会 の 向 こ う側 に潜 むオカル テ ィックな心霊 の存在 を予感 させ る出来事 で
す。 われわれはその神秘 さ、不気味 さゆえに、そ う した事実 を遠巻 きにし、日
をつ ぐんだまま、いつか 自分 にも同 じことが起 きないか とひそかに願 うほかな
いのです。 しか し、 この事実 に対 して別のアプローチを試み ると、それ はまっ
た く違 った姿 を見せ るようにな ります。
あなたは、 このプログラムの前半で 身 につ けた人間の自然治癒力 の存在 をよ
◎Cο ″花
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sysセ m,麟
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化
"峰 `ryc′
7/3
メモ
もや忘れて しま ったわ けで はな い で しょう。 そ うで す。 これ らの奇跡 は シヤー
マ ンや精霊 、聖母 マ リアに よつて もた らされた もので はな く、あ なた の 中 に も
潜在 的 に存在す る 自然治癒 力、す なわち、 三大生 体 システ ムや ゴール デ ンルー
プ な どで 構 成 され る 自己治癒 力 が強 烈 な形 で 発揮 され た結 果 にほか な りませ
ん。 また、 ブ ー ドゥー教 におけ る呪 いの 成就 も、 オカ ル ト現 象 や霊 障 な どで は
あ りえ ませ ん 。 それ も、心 が相 関 した生 体 反応 の一 種 にほか な らな いの です 。
呪 い に よって 命 を落 とす 人 は 、皆 、 自分 が呪 われ て い る こ とを知 ってい ます。
そ して、そ の事 実 を知 る と急 に具合 が悪 くな り、早 い場 合 には数 日で死 に至 る
こ とがあ ります c
未 開 の社 会や、小 さな村社 会 の 中で は 、そ う した こ とので きる人 は 限 られて
お り、社 会全体 が そ の霊 能力 を信 じ、恐 れ 、 人 々は そ の 能力 に対 す る絶対性 を
半 ば信念化 して い ます。 そ して、 ひ とたび呪 われて い る と知 る と、そ の 計 り知
れ な い恐 怖 と、「呪 い は必 ず成就 され る」 とい う絶望 に も似 た確信 が 、 自律神
経系 、特 に副交感神経 を異常 に興奮 させ 、そ れが つ か さどる心拍 や血 液循環 に
ヽ
ンて 、 つい には′
し
重大 な異常 を きた し
停止 を招 くので す。
この節 の キ ー ワー ドは、「奇跡 的治癒 は 自然 治癒 力が 強烈 な形 で発 揮 され た
結果 であ る」、 です 。
■心 と体のはた らき
あ なた の体 に潜在 的 に存在す る 自然治癒 力 は 、通常 は生 命現象 の システムの
中 に包 含 され、静 か に恒常性 を保 つ 働 きを して い ます。 それ は、 われ われ にそ
の存在 を悟 られ ない ほ ど滑 らかで静粛 な回転 を続 けて い るのです 。 しか し、何
らかの原 因 で三大生 体 システ ム とマ クロ フ アー ジを中心 と した治癒 システムが
弱体化す る と、 ホ メオステ ー シスの 変形 、す なわち病 気 とい う状態 が起 こ りま
す。
この こ とは 、す で に第 4章 で 学 んだ とお りです。 そ して、その ときに、 マ ク
ロ フ ァー ジを中心 と した治癒 システム 、す なわ ち ゴール デ ンルー プを高速 で回
転 させ る こ とがで きれ ば治癒 が起 きる こ ともあ なたはすで に学 び ま した。 しか
、
し実際 は、病気 を発症 した段 階 で 、そ れ らの システムは 、消極 的 な′
し
構 え、 ス
トレス、悪 い食習`質 、悪 い生活習 慣 に よって 、再起不 能 な まで に、痛 め つ け ら
れて しまって い る場 合が殆 どなので す。す なわ ち、それ らの システムには 、 も
う、 自律 的反転 の力 は残 されて い ませ ん。医療 の 位置付 け とは 、そ の 自律 的反
転 を促す ための手助 け をす る手段 であ り、治療 が正 しく働 きさえすれ ば 、そ れ
を きっか けに して ゴー ル デ ンルー プは急速 に回転 を始 め ます。 しか し、医療 と
い う支援 を自然治癒 力 の 発動 の きっか けにで きるか ど うか は 、 ひ とえにあ なた
の心 にかか っているので す。 なぜ な ら、医療 を受 け入 れ る ドアの鍵 は 、あ なた
の心 の奥深 くに隠 されて い るか らです 。 そ して、その鍵 を使 うの は 、医師や治
療 家 ではな く、あなた 自身 に しか許 されて い な い こ とを明記す る必 要 があ りま
す。 われわれ は全て の病気 を 「心 身相 関病」 と定義 しま した。
それは第 5章 の ス トレス に関す る解説 に よって 的確 に立証 で きたはず です 3
7/4
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む
われわれは、 しか し、科学的医学が この理論 を忌み嫌 うこともよ く知 ってい ま
、
す。なぜ なら、 この全′
と
身相関病理論 は、彼 らが一世紀 を費や して打 ち立てて
きた現代西洋医学 にお ける薬理 と病理 とい う絶対理論 に対 して反証的に働 くか
らです。た とえそ うだ として も、心 と体 のつ なが りを無視すれば内部 か らの治
癒 は絶対 に起 こ りえないこ とを、 われわれは理論 の蓄積 と健全な生物的直感に
よって確信 しているのです。
あなたは、 この聖なる仕組 みの存在 をヘ ルスモテ ィベー ショナル プログラム
のユーザ ー らし く理論的に納得 し、理解 しなければな りません。そ うでなけれ
ば、あなたはこうした奇跡的治癒や、心 身相関 に起 因す る死の存在 も完全には
信 じないで しょうし、また、そのため に、 こうした奇跡的な治癒 の恩恵 にあず
かることもで きないか らです。
この節 のキー ワー ドは、
「 自然治癒力 を発動する鍵は、自 らの心の中にある」、
です。
■プラシーボとい う反応
プラシーボとはあまり聞 き慣 れない名前 ですが、それ は、本来、ラテ ン語 の
「お世辞 を使 う」 とい う意味 の言葉です。 カ トリック教会内部 で特別な ミサ を
表す言葉 として用 い られていた ものが、同意で英語化 し、やがて、医学 の専 門
用語 として定着 しました。殆 どの医学用語辞典 はプラシーボのことを「患者 を
益することはな くて も、気休め として用 い られる薬状 の不活性物質」 と定義 し
てい ます。つ まり、一般的解釈 にお けるプラシーボとは、特異的な症状 を示 し
てい ないの にもかかわ らず、薬 をほ しがる患者 に処方す る、薬 の ような形 をし
た不活性物質、例 えば豆乳 などの物質か ら作 られた、益 も害 もまった くない、
薬そ っ くりの形 をしたもののことをさしてい ます。いわゆる「にせ薬」 とい う、
医療 における便宜的処置の総称 なのです。
投薬 の必要がないの に、薬物信仰 に取 り付 かれて しまっているような患者 に
は、副作用 の心配 をせず、ある一定 の満足感 を与 えるとい う理由で、一部 の医
師の間では、い まで もプラシーボが行なわれているのです。 しか し、プラシー
ボを使 うことは多 くの医師 にとってあま り後味のいい ものではあ りません。な
ぜ なら、患者 をだましてい るような罪悪感が常 に付 きまとうか らです。しか し、
この プラシーボによって、症状が改善、もしくは消失する ことはよ くあ ります。
ときには完全 な治癒が起 きることさえあるのです。医学 ではこれをプラシーボ
効果 と呼 んでい ますが、その仕組みか ら見 て、む しろ「プラシーボ反応」 と呼
ぶのがふ さわ しいで しょう。なぜ なら、その症状 の軽減や治癒 は、薬理効果 で
はな く、患者 の心 の 中に起 こった反応 に起 因 してい るか らです。
プラシーボ効果 を知る上でいい例が、薬物厚生施設 での治療 の中にあ ります。
麻薬中毒 は 日本で も大 きな社会問題 となってお り、厚生施設 に収容 されて治療
を受ける人は年 々増加 してい ます。麻薬中毒患者 は、施設 に入るとす ぐに薬物
を絶 つのではな く、毎 日、薬物 の摂取量 を減 らして最後 にはそれに依存 しない
で もいい状態 に徐 々 に誘導 されてゆ くのです。
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“
775
メモ
す なわ ち、投与 され る薬物 の量 を毎 日少 しず つ 減 ら して、最後 にはゼ ロの状
態 に持 ってゆ くわ け で すが 、治療 の 後半 に入 る と含有す る薬物 の量 は極端 に減
らされ、 つ い にはプラシ ー ボにす りか え られて一 ヶ月ほ ど与 え られ ます。 しか
し、患者 はその 間、 目立 った禁断症状 もお こ さず、 きわめて安定 した状態 であ
る こ とが 多 いので す。
そ して、医師が、「 この 四週 間 の 間、君 が 服 用 して い たの はただの豆 乳 だ っ
、
の働 き
たJと 告 げ た瞬 間、激 しい禁 断症状 を呈す るのです。 これ は、症状 と′
亡
が 深 く相 関 して い るこ とを証 明す るに足 る事実 です。仮 に、麻薬 中毒 にお ける
禁 断症状 とい うものが 、生体 の論 理 的必然 と して存 在 して い るの だ とす れ ば 、
この患者 は四週 間 もの 間、 プラシー ボ反応 に よって 禁断症状 の 発生 を自ら抑 え
て い た こ とになるので す。
、
この 節 の キ ー ワー ドは 、「症状 と′
の動 きは きわめ て密接 に相 関 して い る」、
と
です 。
■除外 するべ き反応
大半 の 医師が プラシー ボ効果 とい う言葉 に与 える評価 は 、除外す べ き特例 的
反応 とい う こ とになるで しょう。す なわ ち、薬理効果試験 にお ける、期待値 を
外 れた反応 、除外す べ き誤差 とい う こ とにな ります 。 これ は、現在 、 プラシー
ボの 使用 が 晴 れて公 に認 め られて い る唯 一 の場 が、新薬 の薬理効果試験 であ る
とい う発想 に起 因 して い るか らです 。新薬 の 薬理効果試験 は、通常 、二 重盲検
法 が とられ ます。 二 重 盲検法 とは 、被験 者 をあ らか じめ二 つ の グ ルー プに分 け
て 、 Aグ ルー プには検査 すべ き新薬 を投 じ、 Bグ ルー プにはプラシ ー ボ を与 え
て 、試験 が 終 了 し、す べ てのデ ー タが 出揃 うまで 、医師 も、被験 者 も、誰が新
薬 をのみ、誰 が プラシー ボだ ったの か を知 らせ ない で行 う試験 の こ とを言 い ま
す。何 のため にこの ような こ とをす るので しょうか。 それ は 、現 代 の研 究者 が
二 重盲検法 に よって 、薬理効果試験 に とって もっ と も厄介 な「信 念」 とい う フ
ァクター を確 実 に排 除 で きる と考 えて い るか らなので す。
彼 らは被験 者 や医師が信 念 に よって動 か されて しまう事 実 に気 づ きなが ら、
それ によって生 じたプ ラシー ボ反応 の はか りしれ な い可能性 には ま った く興 味
を持 ってい ませ ん。 つ ま り、彼 らに とっての プラシー ボ反応 とは 、薬理効果 と
は 関連 の な い 、JF除 す べ き厄介物 で しかな いの です 。 この こ とか らも明 らか な
よ うに、科学 的医学 は 、 自らの 治療法 や薬物 が生 じさせ る物理 的効果 を唯 一 の
、
よ りどころ と して い る医学 であ り、患 者 の′
が介在 して生 じた内部 か らの反応
亡
な どには毛先 ほ どの興 味 もない とい う こ とを自ら表明 して い るわ け で す。
薬理効果試験 で生 じる予測 で きない 反応 の 原 因が、医師 と被験 者 の 信念 で あ
る とい う こ とを知 りなが ら、そ れ を排 除 しよ う とす る 自家撞着的 な傾 向 は 、 と
んで もな い心得違 い と言 わ なければ な りませ ん。 なぜ な ら、純粋 な治癒 反応 と
しての プラシ ー ボ 反応 こそ、医学 関係者 が もっ とも大切 に しなければな らな い
「 医療 の果実」 だか らで す。
医師 た る ものは 、 この事 実 に一 日も早 く気 づ き、それ を排 除 しようとす るの
7/6
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ではなく、大切に保護 しようとす るべ きであ り、安全、かつ、効果的な手段 に
よつて、 よ り多 くプラシーボ反応 を生 じさせることにこそ心を砕 くべ きなので
す。「誰が、 もしくは何が病気 を治 した」な どとい う矮小 なこだわ りな どまっ
た く意味をなしません。
治癒 とい う現実がそ こにある以上、プラシーボ反応 を真摯 に受け入れ、患者
と一緒にその果肉を味わ う気持ちをもった治療家 こそが、い ま望 まれているの
です。
この節 のキーワー ドは、「プラシーボ反応 こそ、医療 におけるもっとも大切
な果実である」、です。
■抗生物質が物語る信念というファクター
風 邪 をひい て 、ゃが て熱が下 が り、 ほ とん ど回復 した と思 って も、喉 の痛 み
や 鼻炎 が 長 く残 るこ とが あ ります。 これは、 ウィルス性 の風邪 の あ とに、細 菌
に よって二 次感染 を起 こ して い るためです。 こ う した症状 は、抗生物 質 の投与
に よって簡単 に治 って しまい ますが、当初 の風 邪症状 、す なわち、 ウ ィル ス性
の風 邪症状 に対 して抗生物 質 は ま った く効力 を もち ませ ん。 しか し、医師 たち
は、細菌感染 の検査 もせず に、そうした症状 を うったえて きた患者 によく抗生
物質を処方 します。そ して患者 もその抗生物 質 を飲んで、けろ りと治 って しま
うのです。
薬理作用 の ない薬物 で病気が治癒 して しまうのはいったい なぜ なので しょう
か。それ はプラシーボ反応 にほかな りません。そ して、 これ こそが、われわれ
が複合 プラシーボ反応 と呼ぶ、 自然治癒力 を強力 に発動す る引 き金 となる重要
な生体反応 なのです。
医師は抗生物質の効力 に絶大 な自信 を持 ってお り、患者 はその効 き目に対 し
て絶対的な信頼感 を持 ってい ます。つ ま り、医師 は信念 をもって薬 を処方 し、
患者 は信念 をもってそれを服用 したため、 よ り強い形 でプラシーボ反応 を発現
させたとする結論が ここに導 きだせるわけです。
豆乳のにせ薬 は、患者 にとっては薬で も、医師はプラシーボであることを知
ってお り、その処方 に信念は介在 しません。 また、二重盲検法 において も、そ
の試験 システムを熟知 してい る医師であれば、被験者の半分がプラシーボを投
与 されてい ることは当然察 しがついてい るで しょう。つ ま り、二重盲検法 に対
して も、強い信念 は介在 しないのです。
こうした、片方の側 の信念が欠 けてい る状況下 で起 きたプラシーボ反応 を単
純 プラシーボ反応 とすれ ば、双方が強 い信念 の もとに行 なった医療行為 によつ
て発現す る複合 プラシーボ反応 は、その強 さ、確実性 ともに、さ らに強化 され
てい るとい うことが容易 に想像 で きるわけです。
この節 のキー ワー ドは、「治療家、患者双方 の信念 が、複合 プラシーボを発
現 させ る」、です。
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■治癒 と複含 プラシーボ反応
この章 で 学 んだ こ とはた いへ ん重 要 です 。そ れは治癒 とい う事 実 に明確 な回
答 を投 げか け る もので あ り、あ る心理状態 の もとに、 自ら治癒 を コン トロール
で きる可能性 を秘 めた、 非常 に有益 な結論 に到達す る こ とがで きるか らです。
す なわ ち、代替医療 にお ける顕著 な治癒 、特 に、そ の理論 や治療 方法 か らは
無理 があ る よ うに思 われ る劇 的 な治癒 は、そ の ほ とん どが プラシ ー ボ 反応 に起
因す る ものだ とい う こ とを明確 に結 論 づ ける こ とがで きるので す。
た とえその原理 に無理 が あ り、そ の 治療 法 が 著 しく独 善的 で あ った と して も、
治療 家 に 「絶対 に効 く」 とい う強 い信念 が あ り、患者 に 「 これで 治 る」 とい う
強 い信念 と希望 を持 たせ る もので あ る限 り、 い か なる場 合 に も劇 的 な治療効果
を もた らす可能性 が あ ります。す なわち、ホ メオパ シ ー の 究極 的 な希釈製剤 は、
薬理学 的 には単 なる)不 活性物 質 で あ って も、患者が そ の理論 を信 じ、効 く と確
信 しさえす れば高 い確 率 で治癒 を もた ら し、 カイ ロ プ ラ クテ イックの脊柱調整
が現 実的 にはむち打 ち症 や急性 の腰痛 な どに しか効果が ない と して も、治療者
がその効 能 を′
さか ら)信 じ、患者 が絶対 に治 る とい う強 い信 念 を持 つ こ とがで き
れば 、 ガ ンの 消滅 を も実現 しうるので す。
人間の体がかか そ)不 可思議 な ものであ る とい う事実 は 、科学 的医学 の 医師 よ
り、正 しい思想 を も│っ た経験豊 か な代替 医療 の 治療家 の ほ うが よ く知 って い ま
す。 そ して、彼 らは患 者 の信 念 とい う不可視 な物質 を心眼 で 見 る こ とがで きる
ので はない か と思 え_る ほ ど、的 を得 た診療 を行 うので す。
す なわ ち、彼 らは、科学 が い まだ証 明 ので きな い あ る種 の シス テ ム に よつて 、
心 と体が完全 に相 互 浸 透 的 であ る こ とを よ く知 って お り、そ の システ ム に従 っ
て治療 を行 な う とい う特性 を もってい るのです。 また、そ う した優 秀 な治療 家
は患 者 に 自信 や信念 を持 たせ る名 人で もあ ります。 ホ メオパ シー にお ける長 い
問診 や、 カ イ ロ プラクテ イックの骨 をボキ ッと鳴 らす手 技 、信仰 治療 にお ける
場 面設定 、儀式 、幻覚剤 な どは 、す べ て患者 に治癒 を予 感 させ る フ ァクター と
して働 きます。 つ ま り、それ らの 印象的 な経験 、痛 みや軽 い恐怖 を患者 に経験
させ る こ とに よって 、信念形成 を強力 に促進す る意 味 を もつの で す。
この節 の キ ー ワ ー ドは、「代替 医療 にお け る奇跡 的治癒 は 、す べ て 、 プ ラシ
ー ボ反応 に起 因す る 、 で す。
│」
■結論 と して
代替医療 は信仰治療 まで含 め る と、殆 ど人類 の 発生 と同時 に存在 して い た医
療 で す。 また、民族 、地域 、時代 の違 い に よ り、数 え切 れ ない 治療体系 を生 ん
で きま した。す なわち、あ なたに とって 、代替 医療 に関す る選択肢 は数 限 りな
くあ る とい う こ となので す。 この 章 で学 んだ とお り、 い か なる代替 医療 もあ な
た にプラシ ー ボ 反応 、す なわち、劇 的 な治癒 を もた らす可 能性 が あ ります。 し
か し、同時 に、それ との係 わ り方 をまちが える と取 り返 しの つ か な い事態 を招
く可能性 もあ ります。 そ こで 、結論 とい う意味 で 、代替 医療 との 係 わ り方四原
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則 を以下 に示 してお きます。
(1)科 学的医学 との 併 用を原則 とする こと
科学的医学 を批判する材料 は数多 く存在 します。 しか し、それは 自然科学 の
頂点 に立つ学問である ことにはまちが いな く、 日々進歩 を繰 り返 しなが ら、新
たな治療法や薬 を生み出 しつづ けているのです。あなたはそ うした恩恵に浴す
るチ ャンス に自ら背 を向ける必要 は絶対 にあ りません。
第 8章 で学 んだ「良 い医師の条件」 にかなった主治医 を一 日も早 く見 つ け、
代替医療 の併用 を視野 に入れて、自らのための総合的医療体制 を確 立するべ き
です。 また、そ うした医師であれば、代替医療 に対する理解 もあ り、併用 はそ
う難 しいこ とではないで しょう。
(2)う そを見抜 く力 を身 につ ける こと
代替医療 の殆 どは即効性 ではな く、あなたの 自然治癒力 に うった えて治癒 を
引 き出す ことを目的 としてい ます。それゆえ、即効的実感がないこ とをいいこ
とに、詐欺やにせ ものの温床 になってい る側面 も否定で きません。あなたは こ
う したクワッカリー、すなわち、にせ治療 を見抜 く力 を身 につ けなけれ ばな り
ません。幸 い クワッカリーたちには、ある共通 の特徴 のようなものが あ ります
ので、 よ く覚 えてお くといいで しょう。
①
必ず治 ると断言す る。
②
治療 に要す る費用が常識的な範囲を逸脱 してい る。
③
長期 に渡 って治療 を受けさせ るように しむける。
④
患者 の質問 に対 して宇宙、摂理、自然治癒力 といった言葉 を連発する。
⑤
治療以外 に健康食品な どの物品 を売 りつ け ようとす る。
こうした診療姿勢 をとるところは、 ほぼまちがい な く悪質な治療家 です。百
害あ って、一利 もあ りませんので、近づかないこ とが懸命 です。本物 の治療家
とは、医療 の種類 を問わず、直感的に判断 で きる「良 い オー ラ」 のようなもの
を発散 させ、決 して誇大 な ことを言 わず、何 よ りも、 自分 の信ず る治療 に信念
を持 って携 わってい ますので、容易 に見分けがつ くで しよう。
(3)自 分 に合 つた代替 医療 を選択 する
代替医療各派 は、その理論面、実技面 で氷炭相容れない関係 にあ ります。従
って、ライバル医療 の誹謗 中傷 は茶飯事 で、あなたはそ う した言葉 に惑 わされ
てはい けません。
代替医療 を選択する場合 は、まず、あなたに合 ってい ると思われる医療 を試
し、その治療 か ら、「 自らの治癒力 が引 き出される」 とい う自信 と、「絶対 に治
せ る」 とい う信念 を持てるものを最終的 に選択 して ください。
(4)効 果測定 は科学 的医学 に委ね る
代替医療 を受けていて、いちばん気 になる ことは、それが本当 に効 いている
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メモ
のだろ うか とい う点です。 これは、信念 を持てる医療 とい う原則 と矛盾す るよ
うにも見 えますが、効果測定 をする ことで、 さらに信念 を強める こともで きま
す し、また、効果がないのであれば代替医療 シ ヨッピングを開始す るきっか け
にもな ります。
勿論、あなたが 自らの実感 か ら判断する ことが理想ですが、確信が もてない
場合 は、効果測定 を行 なうことも重要です。数値的効果測定では科学的医学 の
右 に出るものはあ りません。それゆえ、科学的医療 と代替医療 の併用が望 まし
いのです。
第10章 ではホメオパ シーか ら信仰治療 まで、 さまざまな代替医療 につい て学
んで きましたが、それぞれの医療が、相矛盾す る理論 と治療法 をとりなが ら、
それぞれ奇跡的治癒 を成 し遂げて きたとい う事実 を知 った とき、そ こに介在す
る治療家 の信念 と、患者 の信念 とい う不可欠な ファクターが 自然発生的に浮か
び上がって くるのです。
一つの治療法 を信 じる度合 いは、治療家 によって も、また、患者 によって も
大幅 に異な ります。その温度差 によって、いかなる治療 も効果的に働 き、また、
まった く効果がない とい う両極端 の現実が実際に存在する以上、治療家、患者
双方 の信念 とい うファクターが医療 の成否 を分 けてい ることはまちが いあ りま
せん。
また、新 しい 医療 ほ どよ く効 くとい う現 実 は 、創始者 の信念 に、 よ り近 い 治
療家 の存在 が、それ を明確 に説 明 して い ます。す なわち、 自己 の 治療法 に対 す
る治療家 の 強 い信念 は、患者 の信 念 同様 、そ の 治療結 果 に決定 的 なちが い を生
じさせ る フ ァクター となるので す。
この原則 に鑑 み 、正 当、代替 を問 わず、最 良 の 医療 を以下 の よ うに定義す る
こ とがで きます 。
「最良 の 医療 とは、治 療家 が患 者 の 自然治癒力 を引 き出す治療 に徹 し、患者
はその 治療 法 を心 か ら信 じ、治 療 家 もそ の 治療 法 を心 か ら信 じて、 なおか つ 、
患者 と治療家 が互 い に強 い信頼感 で結 ばれて い る状態 を い う」
この節 のキー ワー ドは、「治療家 と患者 の相互信頼 ほど、治癒 を促進す るも
のはない」、です。
第 8章 、第 9章 、第10章 と、医療 との係 わ り方について学 んで きました。あ
なたが健康 とい う光 を見失 いかけた とき、それを唯一取 り戻す ことがで きるの
は、他 ならぬあなた自身 と、勇敢 で善良な治療家 との強い信頼関係か ら発生 す
る信念である ことがおわか りいただけたと思 い ます。そ して、あなたはい ま気
づ かれてい るはずです。
あなたが知 らず知 らず の うちに、 自らの心 をコン トロールで きるようになっ
てい ることを。磨 き上げ られたその能力 を良 い医師、良い医療、良い治療家が
バ ックアップす ることがで きれば、あなたは絶対 に敗北する ことはあ りません。
失 いかけた健康が間 もな くあなたの手 に戻 って くることは必然 なのです。
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■健康意識の再評価
第10章 で、あなたは代替医療 との係 わ り方 と治癒の しくみに関す る基礎知識
をすべて身につけたことにな ります。それでは、 ここで、あなたの健康意識の
再評価を行ない ます。いつ ものように、七つの選択肢から現在の評価 を選択 し
て ください。
① 胸 を張 って、100%健 康 だと言い きれる。
②
ほぼ健康 だ。
③ 健康 だと思 う。
④ 健康 だとは思 うが、時々不安 になることもある。
⑤ 最近、健康状態が気 になる。
⑥ 自覚症状はないが、どこか悪いのではないかと悩 んでいる。
⑦
自覚症状があ り、病院に行 くきっかけを探 している。
いかがですか。あなたの自らの健康 に対す る評価 は上がったで しょうか。上
がったのであれ、下が ったのであれ、以前 と同じであれ、そのこと自体 はあま
り重要ではあ りません。自己評価 の基準 にほんの少 しの変化があればいいので
す。例えば、以前、あなたが 3の 選択肢 を選び、今回も同じく3で あったとし
ても、 2か 、 4か に少 しでもペ ン先が振れたようであれば、あなたの健康意識
は確実 に変化をはじめていることにな ります。
評価が決まった ら、フォーム集の「健康意識推移グラフ」 に記入 して くださ
νヽ。
■キ ー ワー ドの整理
章 を結 ぶ前 に、各節 のキー ワー ドを整理 しま しょう。私 のスキ ッ ドに続 いて
復唱 して ください。 もしあなたが声 を出 しに くい場所 にい るのであれば、心の
中で復唱 して ください。
奇跡 的治癒 は 自然治癒 力が強烈 な形 で発揮 され た結果 で あ る。
自然治癒力 を発動 す る鍵 は、 自らの心 の 中 にあ る。
症状 と心 の動 きは きわめて密接 に相 関 して い る。
プラシー ボ反応 こそ、医療 にお ける もっ とも大切 な果実であ る。
治療家、患者双方 の信念 が、複合 プラシーボを発現 させる。
医療 にお け る奇跡的治癒 は、すべ て、 プラシーボ反応 に起 因す る。
@Copy rightVital/Systems, lnc.
All right reserved.
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メモ
治療 家 と患 者 の 相 互 信頼 ほ ど、治癒 を促 進 す る もの は な い
■第 10章 の言葉
「 自らを正 しい と信ず るものは、王の軍隊をも駆逐 し、自らの正 しきを疑 う
ものは、い ささかの力 も有せず」
トーマス・ カー ライル
もし、あなたが これ らの原則 を心か ら信 じ、実践す る自信がつい たならば、
これであなたは第11章 に進 む準備が整 ったことにな ります。第10章 を完全 に理
解 したと確信 したならば、第11章 「死 に打 ち勝 った人々の話」へ進 んで くださ
い。
に思 い 描 い た とお りにな って ゆ き ます 。 あ な た は最 高 の 17a康 状 態 に
人生 は,と 、
あ り、 自信 を持 って 毎 日 を生 きる 自分 を鮮 や か に心 に描 か な け れ ば な りませ
ん。
心 か ら望 み 、鮮 やか に想 像 し、強気 と、希望 と、夢 を従 えて生 きる。
間 を置 い た繰 り返 しの効果 に よ り、健康 は必 ず あ なたの もの にな ります 。
前 を向 き、信 じ、そ して行動 して くだ さい 。
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第10章 1代替医療との係わり
方
きょうの行動は、その日に習得 したことがらを行動として生活にとり入れ、確実に身につ
けるためにたいへん重要です。プログラムを聴くたびに行動として必ず実行 してください。
■第 1日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴 きました。
キーワー ドの一つ「奇跡的治癒は自然治癒力が強烈な形で発揮された結果である」は、あなたの心に深 く刻
まれましたか。そして、あなたはその原則 をどう享受し、実践 してゆきますか。
き ① ②
●
う起 こす行動
:
日記 をつけて ください。
上記 の方針 を更に深 く心に刻んで ください。
■第 2日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴きました。
キーワー ドの一つ「自然治癒力 を発動する鍵は、自らの心の中にある」は、あなたの心に深 く刻まれました
か。そして、あなたはその原則をどう享受し、実践してゆきますか。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください。
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② 上記の方針を更に深く心に刻んでください。
■第 3日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴きました。
キーワー ドの一つ「プラシーボ反応 こそ、医療におけるもっとも大切な果実である」は、あなたの心に深 く
刻まれましたか。そして、あなたはその原則をどう享受し、実践 してゆきますか。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください。
② 上記の方針を更に深く心に刻んでください。
■第 4日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴きました。
、
キーワー ドの一つ「治療家、患者双方の信念が、複合プラシーボを発現させる」は、あなたの′
に深 く刻ま
と
れましたか。そして、あなたはその原則をどう享受し、実践してゆきますか。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください。
② 上記の方針を更に深く心に刻んでください。
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■第 5日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴きました。
キーワー ドの一つ「あなた治療家と患者の相互信頼ほど、治癒を促進するものはない」は、あなたの心に深
く刻まれましたか。そして、あなたはその原則をどう享受し、実践 してゆきますか。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください
② 上記の方針を更に深く心に刻んでください。
■第 6日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴きました。
きょうまでのレッスンで、わたしの健康意識は、以下の事実をもって、信念が生み出す内部からの治癒を肯
定し、受け入れる傾向にあります。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください。
② 「第10章 の言葉」を暗記し、その意味をかみしめるように理解してください。
■第 7日 目
年
月
日、わたしは第10章 を聴 きました。
きょうまでのレッスンで、わたしがこの章から得たものは以下のとおりです。
①
②
③
④
⑤
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5
私が____を 持つことにより、プログラムの内容を肯定的に理解することができ、
のプロセス
の効果 によって、
が発生 します。その結果、プログラムの内容は、着実 に私の もの となってゆ きます。
●きょう起こす行動
:
① 日記をつけてください。
③ きょうはテキス トを読みながらプログラムを聴いてください。聴覚と視覚が相乗的に働きかけて、あな
たは、より高度な理解に達することができます。
■最終 日の質問
以下の質問 に答えて ください。下線部分には正 しい言葉を補い、問いに対 してはあなたの言葉で解答 して く
ださい。すべ ての質問 に答えたら、マニュアルの最後 にある解答 と照 らし合 わせ、点数を確認 しなが ら採点を
行なって ください。80点 以上を修了とし、次の章 に進むことができます。80点 未満、50点 以上の場合 は、もう
一度、テキス トを読みなが らプログラムを聴 き、再度質問に答 えて ください。評点が50点 未満 の場合 は、理解
が足 りない ものとして、もう一週間、同じ章 を聴 いて ください。
① 奇跡的治癒は
② 症状と
が強烈な形で発揮 された結果である。
は きわめて密接 に相関 してい る。
③ 医療における最も大切な果実は
④ 医療における奇跡的治癒は、すべて
である。
に起 因す る。
⑤ 最良の医療とは以下のような環境で行なわれる医療を言う。
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