No.1775 2016.9.25

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「写友かたくり写真展」を観てきまし
た。今回のテーマは「自然からのメッ
セージ 光・彩・香」、17人の写真仲
間のみなさんが十日町市の星峠、長野
県の戸隠、剣岳などで撮った写真をそ
れぞれ4点ずつ展示されていました。
この写真展では光をどうとり入れる
か、風景写真の中の野の花の位置など
参考になることがたくさんありまし
た。上の写真は私の本の表紙写真でお
世話になっている吉川区の平田一幸さ
んの作品のそばで撮ってもらったも
の。平田さんの作品は最近、身近なと
ころでの題材を使ったものが多く、そ
こでの新鮮な発見が光ります。
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菊」と書きます。薄紫色
の花が茎を囲んで、段に
なって咲きます。初めて
見た時に花の輪が茎から
離れて見え、不思議な感
覚に襲われました。
2016.9.25
発行・編集 日本共産党上越市議 橋爪のりかず
℡ 025-548-3628
通じないときは 090-5392-1961
E-mail [email protected]
URL http://www.hose1.jp/
ブログ
「ホーセの見
てある記」は
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周年記念特別講演会です。
池田先生の講演では、「啄木
は短歌だけでなく、日記もすば
らしい」として啄木日記を中心
に話をされました。啄木が16
上越地域各消防署における 歳から26歳まで書き続けた日
記について、「自らの感情を
空間放射線量測定結果 赤裸々に記している」「(日記
測 定 は 毎 日 午 前 9 時。数 値 は マ イ ク ロ を)相談相手、友人のように」
シーベルト。1時間当たりの測定量です。 あつかっているなどと特徴づけ
消防署によると、通常は1時間当たり ておられました。また、キーン
0.016~0.16μSv(マイクロシーベルト) だ 先生の啄木日記論も紹介してく
とのことです。
ださいました。「啄木が一番落
9月14日(水) 9月21日(水) ち込んだのは明治41年だ」「原
上越南消防署
0.037 0.047 稿は1か月に400字詰め原稿用紙
上越北消防署
0.057 0.050 に300枚くらい書いている」など
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さ花あしし動るあ
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並咲妻、。終」ゃ
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でせ実れ女て訊を
いて家以に、(柏
まいに来よ正き崎
すま着、る午)ま
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て後と電家、て
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たしう、は」言
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四
二
二
回
敬
老
の
日
に
上越市吉川区吉井出身で現在、国
際啄木学会会長の池田功先生(明治
大学大学院教授)の講演があるとい
うので19日、柏崎市市民文化会館に
出かけてきました。正式にはドナル
新井消防署
0.050
0.047
頸北消防署
0.047
0.043
頸南消防署
0.043
0.047
東頸消防署
0.050
0.053
高士分遣所
0.053
0.057
名立分遣所
0.053
0.057
久しぶりにモクガニと出合いました。
いくつものエピソードが盛り込まれ
ていて、面白く聴きました。啄木の
日記は部分的にしか読んでいません
ので、今度、ゆっくり読んでみたい
と思います。
池田先生とキーン先生の対談では
正岡子規と石川啄木の違いなどが話
題となりました。「啄木が最初の現
代日本人」というキーン先生のとら
え方はとても興味深いものでした。
講演会が終わってから楽屋に池田
先生を訪ね、数年ぶりの再会を喜び
合いました。楽屋には平山征夫元知
事もおられ、「村山市政、しっかり
チェックしていますか」などと声を
かけていただきました。ツーショッ
トは池田先生とです。