世論・熟議リテラシーの 向上に向けて

世論・熟議リテラシーの
向上に向けて
鈴木 寛
東京大学大学院・慶應義塾大学大学院
1 20 世紀型ガバナンスの限界
1.1 経済と幸福の相関関係の希薄化
1.2 無力化が進む政府,あがく政治家
1.3 記号消費の対象となった政治・選挙
1.4 代議制,投票制の限界
2 いかにアプローチすべきか
2.1 市民に必要な「政治リテラシー」「メ
ディア・リテラシー」
2.2 選挙の意味
2.3 圧政者なき圧政
2.4 ステレオタイプに依拠するマスメディ
ア
2.5 思考停止を脱する「現場での実プロ
ジェクト経験」
3 熟議民主主義の可能性
3.1 当事者意識を喚起する熟議
3.2 教育現場におけるリアル熟議
3.3「討論型世論調査」の可能性
4 熟議社会へのヴィジョン
4.1 コミュニティ・スクール,コミュニティ・
スポーツの可能性とコミュニティ・メ
ディア
4.2 熟議メディアとシンクネット:大学へ
の期待
4.3 PBL の高校への普及と記述式入試
の本格導入
むすびに
「互いを思い,真心を尽くして,事にあたれば,そこには人と
人との絆が生まれる,そして,その絆こそ,一人一人の未来を
つくる。」(N H K 大河ドラマ「花燃ゆ」より)
1
20 世紀型ガバナンスの限界
1.1 経済と幸福の相関関係の希薄化
近代国家における主たる目的は「富国強兵」であった。戦後もまた,そ
の路線は続いていく。池田勇人内閣の時代には「国民所得倍増」政策が掲
げられ,経済成長・GDP 成長率の最大化が国家目標となった。公害の被
害者や先祖伝来の土地を工場や道路に収用された当事者などを除けば,一
般国民にあっても経済成長自体を否定する声は少なかった。バブル崩壊後
は,労働界も経済成長を強く望むようになり,今なお,GDP 至上主義は,
この国に根強く残っている。経済成長のための政治や政府の主たる機能
は,社会資源の調達(徴収)と成長投資と成果の分配であった。
一方,幸福感の多様化,多元化が進む今日,所得増や GDP の成長は,
人々の幸福増とイコールではなくなりつつある。
『幸福の研究』で知られ
るハーバード大学総長も務めたデレック・ボックは,ある水準までは「所
得」と「幸福」の間に相関関係は認められるが,一定以上超えるとその相
関が薄くなる,むしろ,闘病がもたらす慢性痛や精神的な苦痛,睡眠障
害,うつ病などを軽減していくかが幸福感と強く関わると言っている。あ
るいは結婚,家族,教育,仕事に関わる諸問題が幸福に非常に大きな影響
を及ぼすと述べ,経済に偏らない幸福論の再定義の必要性を説いている。
私自身,多くの大学生や高校生と関わっているが,確かに,彼らの幸福
感に大きな影響を与えているのが「親の離婚」である。高校生のソーシャ
ル・アントレプレナーのワークショップなどに参加したときに,親の離婚
で痛手を受けた子どものケアに取り組む NPO を立ち上げたいとする高校
生の提案の相談に乗ったこともある。
336 放送メディア研究 No.13 2016
厚生経済学のアマルティア・センも,所得増を超え,ケイパビリティ
(=潜在能力)の獲得のための,質の高い健康・教育・仕事の確保,人間
の尊厳(人間の安全保障)などを,より重視している。
また,法哲学者の井上達夫氏は,経済の貧困もさることながら,関係性
の貧困こそが日本の課題であると指摘する。確かに,いじめ対策は,いじ
1.2 無力化が進む政府,あがく政治家
多くの人々が「いじめ」
「ハラスメント」
「うつ」
「離婚」など関係性の
貧困に関する課題を抱えているが,社会に蔓延するコミュニケーション不
全に対して 20 世紀のガバナンスは十分に機能していない。
政府の仕事や責任・権限の範囲を表す「ガバメント・リーチ」という言
葉がある。ガバメント・リーチには両義があり,その範囲までは政府が責
任を持つという意味と,その範囲を超えないよう政府は謙抑的であれとい
う意味であるが,改めて,政府のやるべきこと,やるべきでないことにつ
いて再検討する必要に迫られている。
民主憲法は,国家権力の暴走を抑制するためにその活動範囲に制限をか
けてきた。政府は,基本的人権を守り,公共の福祉の観点から人々の行為
に対して必要最小限の規制をかけること,健康で文化的な国民生活を行う
ための社会的給付(現金・現物)を行うことにとどまるべきであり,結
婚・離婚・出産といった私的自治の領域,あるいは,信仰や思想・信条の
自由,学問の自由など内心の問題に立ち入らず価値中立的であるべきとい
うのが,近代民主主義における大原則であった。
しかしながら,21 世紀に入って,そうした原則が,欧米・日本を問わ
ず,揺らぎつつある。例えば,結婚促進対策に税金を投下している地方自
治体は珍しくないし,子どもの権利の充実という文脈を超えて,少子化対
策の名の下に,出産奨励策が行われている。また,表現の自由は,近代憲
法下では無条件に保障されるべき自由とされていたが,テロの深刻化など
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 337
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
められた子に経済的援助をすれば済む問題ではない。
に伴い,多くの国で,なしくずし的に,過激思想の検閲や,表現の自由の
制限が再び始まっている。
日本では,社会保障など社会ニーズの増大,累積財政赤字により,どの
政権であっても,政府の責務を十分には果たせなくなっている。たとえ
ば,OECD 加盟国のなかで,公教育に対する公財政支出の対 GDP 比は,
最低の水準にある。一方で,困難を抱える一般大衆の政治・政治家への期
待は高まっており,政治は,本来のガバメント・リーチを超えてでも,世
の期待に一生懸命に応えようとする姿勢(パフォーマンス)だけでも示す
ことに腐心する。
例えば,政府が,社会保障や教育研究基盤の充実などの本来政府が行う
べき政策のための国民負担増を先送りにせざるをえない一方で,一部の人
しか受益しない個別企業の株価対策や個別の選手・チームや個別の研究者
などのミクロな成功事例づくりに政府や政権が過剰に肩入れするのは,そ
の典型である。
また,昨今,基本法が乱造されている。本来,法律というものは法律事
項(国民の権利・義務の付与・変更か政府の権限の付与・変更)を伴うも
のであるが,法律事項を含まない基本法が議員立法の形で数多く制定され
ている。十分な予算措置をもって有効な政策を構築できない政治家が,課
題に対して,熱意を持って取り組んでいる姿勢だけでも示したいとの意図
の現れである。
さらに,従来は,一国の閣僚クラスが娯楽番組に出演するのは希であっ
たし,批判のほうが多かったであろう。しかし,今では,大物政治家の娯
楽テレビ番組出演は珍しくない。出演する政治家は,出演の是非を綿密に
分析・吟味をした上で,メリットがあるとの判断で出演している。実際,
テレビの人気者が選挙でも得票しやすい。
他方,テレビ・タレントやアーティストが,差別,環境,難病,貧困,
いじめ,薬物乱用,非行防止など社会問題に関心を持ち,その解決・改善
に熱心に取り組み,そのことが視聴者の啓発に繋がっているケースも多数
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ある。コミュニケーション不全が問題となった昨今,こうした活動は課題
の解決・改善に大いに貢献しているものも多い。
例えば,1988 年 6 月,南アフリカのアパルトヘイト運動の英雄ネルソ
ン・マンデラの 70 歳の誕生日を祝う英国ウェンブリー・スタジアムで行
われた世界的アーティストによるコンサートがマンデラの釈放を確実なも
多く行われている。 まさに,アーティストの政治化と,政治家のテレビ・タレント化とい
う,倒置現象が起きている。
1.3 記号消費の対象となった政治・選挙
商業メディアが我々の生活空間にどんどん入り込んでいくなかで,例え
ば,AKB の総選挙やスポーツの一戦と現実の国政選挙が,スポーツ・
チームの監督選びと内閣の首班選びが,テレビのなかでは,同じような
枠組みのなかで扱われ,テレビのなかで,事柄の重要性は,番組が取り扱
う時間の長さに還元されてしまう。また,テレビ局も視聴者も結果判明ま
では盛り上がるが,結果が明らかになり,余韻が消えると,テレビ局は次
の話題探しと話題づくりに奔走し,視聴者も,あっさりと次のテーマに関
心を移していく。その繰り返しのなかで,視聴者は,結果を単に消費する
だけで,その結果がもたらす実社会や実生活への意味についてまで深く掘
り下げて考え行動することはない。まさに,ボードリヤールの言う「記号
消費」の対象に,政治や選挙もなってしまっている。
1.4 代議制,投票制の限界
それぞれの幸福観で「島宇宙化」されたコミュニティが,点在・散在す
る状況が生まれるなかで,
「代表制」や「投票制」という近代の統治シス
テムの限界も露呈しつつある。
多様化する人々の利害を一人の人間や一つの組織に集約して代表させる
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 339
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
のにしたことは有名だが,国内規模でのチャリティ・コンサートなども数
ことが難しくなっている。政治においても,有権者の民意を一人の代議士
や政党に集約する代議制が機能不全に陥りつつある。
そもそも世の中には,経済価値化・数値化可能なものと,そうでないも
のが存在する。不可能な場合,集計できないものを集めても,
「集計」自
体が意味をなさない。
さらに,順位・順番はつけられるが絶対値はつけられないことも多い。
例えば,陸上競技では 100 m 10 秒とか,走り幅跳び 8 mなど,数値化で
きるが,レスリングで吉田沙保里選手の強さを計測できない。2002 年の
サッカーワールドカップのブラジルチームと 2014 年のドイツチームのど
ちらが強いか比べることはできない。
投票システムも,コンドルセのパラドックスという問題にぶち当たる。
つまり,A,B,C の 3 つの選択肢があって,1 人目は,A > B > C。2 人目が
B > C > A,三人目が C > A > B だとすると,3 人の選好を集計しようと
するときに,同数になって決着がつかない。そこで,どれか 2 つを選んで
投票し,その勝ったほうと残りとの決選投票する方式にすると,投票の順
番によって結果が変わる。投票というと一見客観的に思えるが,意外に恣
意性を孕んでいる。
2
いかにアプローチすべきか
2.1 市民に必要な「政治リテラシー」「メディア・リテラシー」
人々の幸福感が変容し,代議制・代表制,投票制・選挙制をはじめ 20
世紀型のガバナンスが綻び始めているが,市民はいかにアプローチすれば
いいのであろうか?
政治の空洞化を見抜き,何が真の政治なのかを理解する市民が増えれ
ば,政治家や政府は行動様式を変えるであろう。
政治を,
「記号消費」の対象ではなく,
「生身のリアリティのある利害調
整」として理解しなおす。現実のトレードオフ,コンフリクト,ディレン
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マと向き合い,板挟みの中で苦渋の決断をしていくことが政治だと,政治
について本来の理解をする。そして,商業メディアが政治を記号消費の対
象化とし,政治が翻弄されていることについての理解を深める,つまり
は,市民の側が,政治リテラシーとメディア・リテラシーを向上させてい
くことこそが,少しずつ社会を変えていく。
政治リテラシーとして,政治家を選挙で選ぶことの意味についても,深
く理解する必要がある。選挙では,当該候補者が掲げる重点政策の当否と
同時に,任期中に起こる不確実な状況下での意思決定について権限を付与
する正統性も問うている。
価値観が多様化し,判断材料と判断基準の取捨選択自体,人によって,
見解が分かれることが多くなる。誰にその取捨選択権を付与するかを決め
るのが選挙である。
また,判断時における判断材料が十分でなく,あとで振り返れば裏目に
出た,ということが起こりうる。災害対応や,常に不確実性を伴う新技術
の社会導入など,その典型だ。不確実な情報下で決断する正統性を誰に委
ねるのかが選挙である。
その際,①候補者個人ならびに政党が重視する思想・信条・価値,②候
補者ならびに政党が採用する判断プロセス(開放性,参画性,透明性,清
廉性など)
,③意思決定プロセスをマネジメントできる能力,などをしっ
かり見極める必要がある。
2.3 圧政者なき圧政
政治の記号消費化も含め,現代的権力の特徴について理解する必要があ
る。グローバル資本主義が生活圏,生活空間の隅々に入り込んでいる。商
業メディアも,ブラック企業も,資本の論理に従って動いている。市民の
側も,むしろ,世の中で支配的な資本の論理に順応しようと積極的に学習
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 341
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
2.2 選挙の意味
し,行動する。
19 世紀,20 世紀の権力は分かりやすかった。権力者,支配階級が明確
だった。しかし現代では,権力者を倒しても圧政はなくならない。なぜな
ら,その権力は,権力者ではなく,支配される側が支えている。フーコー
の言う自発的服従であり,規律訓練型権力である。まさに,現代は「圧政
者なき圧政」になっている。
その典型例が「リクルートスーツ」や「サービス残業」である。企業の
募集要項に「リクルートスーツ着用のこと」などと,どこにも記述されて
いないにもかかわらず,しかも企業側はより個性的な学生を望んでいるに
もかかわらず,学生はみなリクルートスーツを着る。
会社や官庁は,ノー残業デーなどというキャンペーンを推進しており,
残業命令は誰も発していないにもかかわらず,身近な先輩や同僚の目を気
にして,一人だけ早く退社することを憚り,残業してしまう。
これが昨今の権力の特徴であることも市民が理解しなければならない。
同調圧力,自主学習,自己規制,自発的順応である。その底流には,ハン
ナ・アレントなどが指摘する「思考停止」の蔓延がある。
2.4 ステレオタイプに依拠するマスメディア
ベネディクト・アンダーソンは,著書『想像の共同体』で,国家や社会
の成立には,同じニュース,情報,関心を共有する人々の共同体意識が基
底にあると述べている。
明治時代以来,東京の大手町や有楽町で編集,印刷された新聞が,東京
駅や新橋駅から鉄道などで輸送され,一日で届く範囲が,交通網の発展で
次第に広がり,近代化も進んでいった。戦前は,戦争や武力衝突や自然災
害があるたびに,新聞の発行部数が伸びた。戦後は,ラジオ・テレビの発
達で,電波(地上波)が届く範囲が「想像の共同体」になった。衛星放送
が発達し,インターネットが拡がり,その共同体は,国境を越え拡がって
いった。
342 放送メディア研究 No.13 2016
そのメディア共同体における,主たる価値,関心,慣習,文化を,共同
体に属する人々は自主的に学んでいく。受験システムや昇進システムがそ
の自主学習を青少年期から加速している。
政治学者のリップマンが 1922 年「世論」のなかで,世の中に流通する
誤ったステレオタイプ(紋切り型の認識)を修正するのが,本来のジャー
を利用して,自らの発行部数を伸ばそうとすると指摘したが,今でも,商
業メディアの行動原理は,発行部数や視聴率の最大化である。昨今,公共
放送までもが,視聴率のプレッシャーに影響されている。
ドイツの政治哲学者ユルゲン・ハーバーマスが 1960 年に著した『公共
性の構造転換』では,大衆民主主義下における選挙が,マスメディアの普
及と相まって,スペクタクル(見世物)になってしまうと指摘した。まさ
に,今の政治・選挙報道は,その通りのことが起きている。
逆に,商業メディアの提供するステレオタイプに当てはまらない言説や
事実は,報道から,どんどん切り捨てられていく。例えば,2012 年の
OECD・PISA 調査において,日本の 15 歳は,34 か国加盟国中,読解力
で 1 位,科学的リテラシーで 1 位,数学で 2 位,総合 1 位に返り咲いた。
2003 年,2006 年の同調査で読解力が 12 位と低迷した当時は PISA ショッ
ク,学力低下問題が騒がれた。それ以来,約 10 年間,現場や家庭の努力,
読書活動の充実(小学生の 96%が読書をし,1 か月の平均冊数は 11 冊)
が,学力を大いに向上させた。だが,学力低下をあれだけ大々的に報じた
日本の商業メディアは,1 位復活のことについてはあまり報じない。
また,国連大学や UNDP が IWI(Inclusive Wealth Index)という新
指標を発表した。この 20 年間で,生産資本,自然資本,人的資本,いず
れの指標もプラスになった国は日本だけである。まさに,持続可能な成長
を文字通り実現できたのだが,こうしたこともメディアは取り上げない。
失われた 20 年,自虐的日本像,日本の政治は失敗しているという文脈
から離れた情報は,ほとんど報道されない。認識誤認が修正されないまま
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 343
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
ナリズムの仕事だが,商業メディアは,世の中に流通するステレオタイプ
に偏った世論がどんどん形成され,さらに,選挙も,政策の是非ではな
く,テレビを通じた党首のイメージによって左右される選挙に変容する。
2.5 思考停止を脱する「現場での実プロジェクト経験」
思考停止で付和雷同する庶民を脱し,自ら考え行動する市民になるため
には,どうしたよいのか? 重要なのは,現場での実体験である。座学も
否定はしないが,記号消費の言論空間に漫然と身を置くのではなく,自分
が現場のプロジェクトの当事者となる。身近なことからでいい,実際の当
事者となって,課題に向き合い,実際に,様々な利害や価値間の対立する
なかで板挟みを経験する。それまで,漠然と見過ごし,やり過ごしてきた
ことも,当事者として身を置き,実体験を積み重ねることで,それまでの
皮相的なステレオタイプ的理解がいかに一面的な見方であったかを反省
し,実際の世の中はより複雑で,しかも動的に変わっていることを実感す
ることだろう。
例えば,大学生の議員インターン・シップが始まって 15 年経つが,受
け入れ議員の党派年代性別にかかわらず,インターンを実際に経験した大
学生の政治家への印象は飛躍的に向上する。この傾向は,15 年ほぼ変わ
らない。
また,教員不祥事に関する報道が氾濫するなかで,すべての教師=悪と
いうステレオタイプが生まれ,モンスター・ペアレンツ(保護者)から,
教員に対する理不尽なハラスメントが行われ,その対応に学校の多くのエ
ネルギーが割かれている。まともな大多数の保護者の児童・生徒が結果と
して損をしている。
こうした学校教育の現状に対して,2004 年に法制化され現在では 2,500
の公立校に広がっているコミュニティ・スクール(地域運営学校)や,学
校支援地域本部などを設置している約 3,000 の学校においては,一校あた
り数十人から数百人の学校ボランティアが存在する。そうしたボランティ
アは,登下校の見守り,校庭や花壇・菜園の手入れ,図書館やパソコン教
344 放送メディア研究 No.13 2016
室の整備,授業のサポートなどで,具体的に,教員や児童・生徒と,日常
的な関わりを持っている。また,学校運営協議会や学校理事会などの会議
を通じて,学校の運営方針になどについて,校長や教職員,教育委員会の
職員などと,具体的な議論を積み重ねている。
こうした,当事者としての具体的な実践を通じて,今の学校の抱える問
なければならない生徒指導の難しさ,モンスター・ペアレンツの理不尽ぶ
り,などの実際に触れることで,むしろ,過酷な状況下で仕事を続ける教
員への理解と尊敬などが生まれ,地域住民や保護者が,モンスター・ペア
レンツから教員を守る盾になるというケースも生まれている。現場に当事
者として参画することによって,認識が変わり,真の問題解決に繋がる自
発行動が生じるのである。
3
熟議民主主義の可能性
3.1 当事者意識を喚起する熟議
当事者意識を喚起するのが<熟議>である。熟議とは,多様な関係当事
者が集まって,直面する問題について,それぞれの持つ様々な情報や思い
を共有し,問題を立体的・動的に把握し,悪循環構造を同定し,好循環へ
の糸口やきっかけを発見し,それぞれが果たせる役割を認識・自覚するプ
ロセスである。熟議の主目的は合意形成ではない。熟議を通じて,問題へ
の深い理解と様々な気づきを起こし,解決・改善に向けた自発的協働を自
然と生みだしていくことにある。<熟議>とブレインストーミングが決定
的に異なるのは,<当事者性>の有無である。人間は,いったん当事者に
なれば,必要な情報を真剣に集め,思考を開始する。当事者になって,板
挟みになり,難問に対峙する経験が重要だ。板挟み経験のある市民は,そ
れぞれの持ち場で板挟みになりながら任務を全うしている担当者たちの苦
労が分かるようになる。さらに,板挟みを通じて,自らの多様なアイデン
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 345
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
題の大変さ,多様な児童・生徒が多数いる学級運営の難しさ,個別対応し
ティティにも気づいていく。
ところが,当事者でないことについては,いかに知的能力が高く,検証
能力を持った人でも,時間的余裕がないので,流れている情報を信用して
しまう。
3.2 教育現場におけるリアル熟議
当事者意識を持って熟議する市民を育てるための取り組みの一つが,小
中学校,高校,大学,公民館など,全国何百か所で実施してきたリアル熟
議である。当初は文部科学省の支援があったが,いまでは,役所から独立
して有志で主催される。
まず,その学校等に関わるステークホルダーに集まってもらい,学校の
問題を熟議するのだが,ノウハウがある。第一は,熟議ワークを行うメン
バーの数だ。一つの班に 7 人程度が標準的で,なるべく,多様な人々によ
るのが望ましい。
従来の会議では,主催者が冒頭に会議の主旨を述べ,予め議論の土俵を
決め,予定調和で進め,結局,消極的に同意を得る形になりがちである。
とくに,20 人を超える会議となると,この傾向は強まる。
リアル熟議では,会議の冒頭は,メンバー同士打ち解けるために自己紹
介を行う。弱みや失敗などを交えた自己紹介してもらうと座が和む。次
に,テーマに関する意見を,議論の前に,黙って付箋に書いてもらう。影
響力のある人の発言からの影響を排するためである。付箋 1 枚に 1 つずつ
思いついたキーワードを書いていく。頭のなかにある考えや思いを吐き出
す。このプロセスを通じ,自分の日常的な思考パターン,関心領域を自覚
できる。さらに,みんなの付箋をグルーピングして,グループごとに見出
しを付ける。このプロセスを通じて,自分と他者と何が同じで何が違うか
を理解し,自己の考えを相対化したり,結合したりする。これまでの紋切
り型の議論では掘り起こせなかった課題や切り口を浮き上がらせ,問題の
難しさを共有する。決して,解決を慌てない。
346 放送メディア研究 No.13 2016
教育現場におけるリアル熟議の
試みでは,様々な立場のステーク
ホルダーが対等な関係で議論する
ことで,形骸化していた会議が一
挙に活性化する例を数多く見てき
ある小学校の関係者 100 人強
と熟議をやったときのこと(写真参照),
ある班は,5 年生の児童と校長先生,地域の人,保護者,それに 70 歳の
消防団の人,ボランティアの大学生など 7 人でリアル熟議を行った。テー
マは「○○小学校の抱える問題は何?」というようなオープンでジェネラ
ルなもの。通常通り付箋にそれぞれが思っていることを書いてもらった。
その時,小学生が提起した「陰口」というコメントに,大人たちもハッと
した。熟議では,こうしたことが頻繁に起こる。
熟議とは,直面している課題を,多角的多元的な視点から,動的で三次
元的に理解することから始まる。熟議が低調になったときには,ファシリ
テーターが固有名詞や数字を含んだコメントを強く求めてみたり,それぞ
れの個々人の思考領域をより具体的にしたり,思い切って抽象度を上げた
り,時間軸を極めて短期に設定したり,あえて,長期に設定したり,ファ
シリテーションの創意工夫が不可欠となる。
3.3 「討論型世論調査」の可能性
「討論型世論調査」にも触れておこう。討論型世論調査(Deliberative
Polling = DP)は,熟議民主主義にとっては,有効な手段の一つと言え
る。DP は,ランダムに選ばれたメンバーが,熟議を行い,熟議の前と後
とで,メンバーの考えや選好がどう変化するのかを世論調査によって評価
する。筆者も文部科学副大臣のときに年金問題や原発問題などディレンマ
に満ちたイシューについて,慶應義塾大学の曽根泰教教授らが実施される
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 347
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
た。 DP をサポートしたが,DP が代議制民主主義の限界を補い,再び機能さ
せる効果があることは間違いない。
一方で,代議制民主主義だけで統治するのが難しい時代となり,社会自
身の自発的問題解決力を育てようというのが熟議ワークである。二つの手
法が相俟って,より良い社会に向かうことが理想である。
4
熟議社会へのヴィジョン
熟議の先にあるのは,当事者による真の<自治>の確立である。自分た
ちの問題は自分たちで解決する。自分たちで直ちに解決できないときも,
すぐ「お上」に頼るのではなく,自分たちの知恵や人脈で解決策を探る。
まさに,自立・自律,自治,コミュニティによる自発的協働的問題解決で
ある。
4.1 コミュニティ・スクール,コミュニティ・スポーツの可能
性とコミュニティ・メディア
自立・自律・自発協働する市民育成の場として,コミュニティ・スクー
ルとコミュニティ・スポーツに可能性が潜んでいる。
筆者が慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授の金子郁容氏と共
にコミュニティ・スクールの提案を始めたのが 1999 年,現在,熟議とコ
ミュニティの場としてのコミュニティ・スクールは 2,400 校になった。コ
ミュニティ・スクールの第 1 号の一つ,足立区の五反野小学校で,PTA の
副会長とコミュニティ・スクールの学校理事会の副会長を兼任するお母さ
んと話をしたときのこと。彼女はコミュニティ・スクールの役員になっ
て,初めて学校教育法のことを学んだという。そこからの知識習得はめざ
ましく,学校の設置者(区)と教員の人事権(都)が異なっていることを
初めて知った。当事者意識こそが,学ぶ意欲の源である一例だ。
コミュニティ・スクールでは,それに携わる人々が,身近な公共の一つ
348 放送メディア研究 No.13 2016
である公教育の当事者であることを自覚し,自分の学区の学校は,自分た
ちが働きかければ変えることができる。こうした成功体験により,市民が
思考し試行することの意義を実感し,自己効力感が増し,静かな市民革命
が起きる可能性が秘められている。
もう一つの可能性が,スポーツや文化を軸にしたコミュニティの創造で
リジェンス機構という NPO 法人を 15 年ほど前に立ち上げたが,これをモ
デルに,総合型地域スポーツ・クラブが全国各地に広がって,3,500 を超
えている(もっとも,この 3,500 を,熟議によって再活性化する必要も高
まっている)
。
J リーグの産みの親であり,日本のバスケットボールを立て直した川淵
三郎氏と筆者は,チアーニッポンという,スポーツを通じて日本にクラブ
文化・コミュニティ文化を根付かせる活動を,2012 年の秋から行ってい
る。サッカー J リーグの成功は,自らの地域の幸せは自らで作り出すとい
う地域文化を各地に醸成した。それまでは,東京や都会から,企業や大き
なイベントを誘致し,地域を活性化してきた。しかし,J リーグは,地域
で市民がクラブを育て,プレイヤーを応援し,自らの幸せを自前で創って
いくことに成功した好事例だ。
2015 年 12 月には,ストリート・ラグビーで地域のラグビー・サポー
ト・ボランティア活動を普及するキックオフイベントを秩父宮ラグビー場
で開いたが,ラグビーワールドカップ 2019 や 2020 年の東京オリンピッ
ク・パラリンピックを機に,キャンプ地を抱える地域などで老若男女が障
害や国境を越えて繫がり,集い,スポーツをする,見る,支えるスポーツ
文化コミュニティを創造しうる可能性が一挙に高まっている。
コミュニティ・スクール,コミュニティ・スポーツ以外にも,コミュニ
ティ・ソリューションの活動は,各地で着々と始まっている。表参道から
始まった,地域美化活動のグリーンバード運動や,市民大学の草分けであ
るシブヤ大学も,全国各地に多くの連携拠点ができている。表参道からの
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 349
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
ある。筆者は,ラグビーの平尾誠二氏とスポーツ・コミュニティ&インテ
こうした動きが,LGBT 支援の是非が争点となった 2015 年の渋谷区長選
挙での新タイプの区長誕生の下地となった。
コミュニティ・ソリューションを機能させるためには,健全なコミュニ
ケーションを積み重ねていくコミュニティ・メディアの存在が必要だが,
コミュニティ・スクールや地域スポーツ文化コミュニティが,SNSなど
をインフラとして活用して,それぞれ当事者によるコミュニティ・メディ
アを創生していくことが期待される。そうしたコミュニティ・メディアに
市民が日常的に触れれば,マスメディアからの影響を相対化し,記号消費
者を脱し,コミュニティの当事者としての意識を芽生えさせることができ
るだろう。
4.2 熟議メディアとシンクネット:大学への期待
商業メディアの数々の問題を指摘してきたが,筆者は,大学のポテン
シャルを活用できると考えている。
近代においては,政府と企業が主要な役割を担ってきた。特に,20 世
紀後半からは,企業の影響がより強くなっている。しかし,これからの多
文化共生時代には,多様性がコンパクトに集積している大学,ユニバーシ
ティが重要となる。大学であれば,隣の部屋,隣の建物に行けば,哲学,
サル,宇宙など様々な研究があり,まさに小宇宙である。しかも,それぞ
れの研究室は,世界中の大学の研究室と繋がっている。
商業メディアを修正・補完する存在として,ユニバーシティ・プレス=
大学出版会を活用できないだろうか? 資本力はない大学出版会であって
も,メディアとして質と信用と,情報の真贋を見分ける力や編集力があ
る。その専門的な人材や幅広いネットワークを持ちながら,商業的動機で
運営されない点が重要である。しかも,世界中の大学メディアがネット
ワークできる。センセーショナリズムを排し,エビデンスに基づく熟議の
プラットフォームとして機能し,そこで熟議の末に導かれた洗練された情
報を,NHK などの公共のメディアのプラットフォームに繋げていく,逆
350 放送メディア研究 No.13 2016
に,世の中の関心事に沿って,マスメディアが大学出版会と協力して,大
学内の知や文化を改めて発掘する。メディアと大学との協働を大学出版界
が仲立ちできる。大学には,学術に限らず,スポーツも音楽も文化もあ
る。ソフトパワーを発揮していくことも可能だ。
また,政策形成や企業の経営戦略などの様々な意思決定支援にも,大学
やエビデンスを集め,編集し,発信する,ポリシーエディターになってい
くことが求められている。権力を振りかざすのではなく社会情報の編集者
になっていく,その際に,大学がサポートしていくという構想だ。
筆者は,政策シンクネットというプロジェクトを,東京大学政策ビジョ
ンセンターと慶應義塾大学 SFC 研究所らと協働して行っている。これま
で,霞が関は日本最大のシンクタンクといわれてその機能を果たしてき
た。しかし,霞が関だけに頼った政策分析・政策立案が,限界を迎えて久
しい。現在の政策形成は,商業メディアのセンセーショナルな報道の下
で,短期的な内閣支持率にあまりにも敏感に振り回されすぎており,印象
やエモーションに基づく政策形成になっている。これを,エビデンス(証
拠)に基づく政策形成(Evidence Based Policy Making)に変えていく
ために,主要大学がコラボレーションして,持っている知的・人的資源を
用いて,熟議のきっかけやアジェンダ,プラットフォーム,エビデンスを
提供するというのが,政策シンクネットだ。
4.3 P B L の高校への普及と記述式入試の本格導入
現在,文部科学省では,高校教育と大学入試の一体改革の議論が行われ
ているが,これは我が国の熟議リテラシーを向上させるために不可欠な改
革である。1979 年の国立大学共通一次試験導入,1990 年の大学入試セン
ター試験導入によって,我が国の大学入学者選抜においては,私立大学の
多くも含めて,マークシート型,複数選択肢選択型の試験形態が主流になっ
ている(例外的に,東京大学,京都大学,慶應義塾大学などの個別入試は
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 351
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
は大いに貢献できる。これからのリーダーは,世の中の様々なオピニオン
記述式・論述式が中心)
。このことが,日本国民の熟議力低下の一因となっ
てきた。すなわち,マークシート型試験対策準備のため,与えられた複数
の選択肢から,誤りがあるものを高速に消去する処理能力(大量生産の製
造ラインで不良品を発見するのには大いに貢献する能力)を受験生は磨い
てはきたが,他人の考えを批判的に分析し,独自の意見を提案する議論や
熟議の能力を磨いてこなかった。結果として,指示されたことを,マニュ
アル通りに,ミスなく行う人材の育成には成功したが,自発的に主体的に
社会に関わり,多様な他者と積極的に協働する市民の養成には失敗した。
現在,文部科学省で次期学習指導要領の改訂や OECD では教育 2030 プ
ロジェクトが進められているが,そのなかで,アクティブ・ラーニング,
とりわけ,PBL(Project Based Learning)の導入の必要性が強調されて
いる。選挙年齢の 18 歳への引き下げや,ポスト工業社会の本格到来,人
工 知 能 の 本 格 普 及 を 受 け て, 高 校 の 学 び に PBL(Project Based
Learning)を導入し,高校生が具体的なプロジェクトの当事者となって,
チームメイト間や関係者との板挟みなどの体験もし,難問と向き合う,思
考,判断,表現,熟議の力を獲得してもらう。そして,個別大学入学者選
抜では,高校時代のプロジェクトの活動実績を含め多面的な評価を導入す
る(国立大学協会は総定員の 3 割を多面的入試とすることを決定した)
。
また,大学入学希望者テストでは,最低限,新聞の社説程度のものが読解
できて,原稿用紙一枚程度で自分の意見を論理的に表現できる能力を求
め,これまでのマークシート型偏重を改め,長文読解や記述式の導入を
図っていくこととしている。
むすびに
世論・熟議リテラシー向上のための特効薬は存在しない。今を生きる
我々が,熟議を重ね,自発的に協働し,様々な思考と試行を地道に積み重
ねるしかない。全力を尽くし続けた結果として,我々の背中を見て育った
若者たちが,真の民主主義に向けた新たな一ページを切り拓いてくれるも
352 放送メディア研究 No.13 2016
のと信じている。
文献
◦アマルティア・セン(1999)「不平等の再検討−潜在能力と自由」池本幸生,野上裕生,佐藤仁訳 岩波
書店
◦デレック・ボック(2011)「幸福の研究」土屋直樹 茶屋努訳 東洋経済新報社
◦井上達夫(2011)「現代の貧困」岩波書店
◦ジャン・ボードリヤール(1995)「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店
◦ジャン・ボードリヤール(1992)「象徴交換と死」筑摩書房
◦ジェイムズ・S・フィシュキン(2011)「人々の声が響き合うとき:熟議空間と民主主義」曽根泰教訳 早川
書房
◦金子郁容・鈴木寛・渋谷恭子(2000)「コミュニティ・スクール構想」岩波書店
◦金子郁容(2002)「新版コミュニティ・ソリューション−ボランタリーな問題解決に向けて」岩波書店
「ボランタリー経済の誕生」実業之日本社
◦金子郁容・松岡正剛・下河辺淳・鈴木寛他(1998)
」岩波書店
◦川崎修(2010)「ハンナ・アレントの政治理論(アレント論集1)
」岩波書店
◦川崎修(2010)「ハンナ・アレントと現代思想(アレント論集2)
◦ミッシェル・フーコー(2006)「フーコー・コレクション」筑摩書房
◦曽根泰教(2013)「学ぶ,考える,話し合う」討論型世論調査−議論の新しい仕組み 木楽舎
◦鈴木寛(2013)「熟議のススメ」講談社
◦田村哲樹(2008)「熟議の理由−民主主義の政治理論」勁草書房
「公共性の構造転換−市民社会のカテゴリーについての探求」細谷貞雄
◦ユルゲン・ハーバーマス(1994)
訳 未来社
◦ベネディクト・アンダーソン(1997)「増補 想像の共同体−ナショナリズムの起源と流行」NTT 出版
◦ W.リップマン(1987)「世論 上・下」掛川トミ子 岩波書店
鈴木 寛
すずき・かん
1986 年通商産業省に入省。慶應義塾大学助教授を経
て,2001 年参議院議員初当選(東京都)。12 年間の
国会議員在任中,文部科学副大臣を 2 期務めるなど,
教育,医療,スポーツ・文化・情報を中心に活動。大
阪大学招聘教授(医学部・工学部),中央大学客員教
授,福井大学客員教授,和歌山大学客員教授,日本
サッカー協会理事を務める。
2014 年 2 月より,東京大学公共政策大学院教授,慶
應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授
に同時就任,日本初の私立・国立大学のクロスアポ
イントメント。10 月より文部科学省参与,2015 年 2
月文部科学大臣補佐官就任。
第 4 章 困難から生まれる世論の未来,社会の可能性 353
世論・熟議リテラシーの向上に向けて
◦井上達夫(2014)「立法学のフロンティア」ナカニシヤ出版