将棋棋士 羽生善治 INTERVIEW Yoshiharu Habu 小宇宙のように深くて広い、八一マスの盤上での戦い ―― 将棋棋士・羽生 善治氏は一五歳でプロデビューしてから数々の大記録を打ち立て、四五歳に なった今でもトップに君臨し続けている。緊迫した勝負のさなか、どのよう に思考をめぐらし、最善手を選択するのか。進化するコンピューター将棋に 対し、どう向き合うか。勝ち続ける羽生氏の強さの原点、頂点を極めても飾 らない人柄が垣間見えるインタビューとなった。 4 写真 谷山 實 取材・文 小堂敏郎 NICHIGIN 2016 NO.47 士は同じ考えをしているのです た」と、指し手でミスをするこ ―― 羽生さんが「あっ、間違っ 「この一手」を決断する思考のプロセス か。 ―― 羽生さんは一五歳のデビュ ――かつて大山康晴十五世名人 というところはありますね。 のかをお互いに推測しているわ どういう判断や思考をしている 羽生 そこは同じですが、定跡 やセオリーがない未知の局面で ね。私の経験には一局もないと 羽生 あります。ミスのない将 棋というのは非常に難しいです 「信用」があれば、勝負に有利に働く ー か ら 破 竹 の 勢 い で 勝 ち 進 み、 は「棋士は仲間に信用されるこ とはありますか。 二五歳で七冠を制し、四五歳の のミスを誘発することもありま 思いますが、将棋はミスをした 要素になりますね。 ず良い結果になるとも限らない。 けです。そのときに信用されて たとえば、一つの局面で新し あら て いアイデア ――「新手」が指され そこはマーケットの動きにも似 とが大切だ」とおっしゃったそ は 強 い 」 と い う 信 用 が あ れ ば、 たとします。将棋の場面ですから、 ていると思いますが、将棋には 現在も第一人者の座に君臨され 羽生 現役のプロ棋士は一六〇 人ほどいます。毎年、新人が四 普通なら悪手となる手を指して 誰が指しても同じ手なのですが、 論理やロジックだけでは割り切 ら必ず負けるというわけでもあ 人ほど生まれ、それと同じぐら も、相手のほうが「何か深い考 信用されている棋士が指した場 れない「機微」みたいなものが いるかどうか、強さを認められ いの棋士が引退するので、全体 えがあるんじゃないか」と疑心 合は真似されるんです。将棋の あるんです。もちろん、その大 うですが、 ここでの「信用」とは、 の 人 数 は あ ま り 変 わ り ま せ ん。 暗鬼になって、勝負に有利に働 世界には特許や著作権がないの 前提としてこれまでの体系的な ています。俊英ぞろいの棋士の そのなかで私がよく対戦する相 くことがあります。対局中、棋 で、誰でも自由に真似ができる。 積み上げや思考があるのですが、 りません。こちらのミスが相手 手は一五人から二〇人ぐらいで 士は盤を挟んでお互いの考えが 信用のある人が良い手を指せば、 そこに偶然性がプラスされてい ているかどうかは非常に大きな す。とくに、谷川浩司先生(十七 全てわかるわけではありません。 すぐにみんなが真似をして、定 るというか、人には推し量れな どういうことでしょうか。 世名人) 、佐藤康光さん(永世棋 半分くらいは一致しても、残り 跡とされていたものが変わった いものもあるのではないかとい 生きる世界とは、どのようなも 聖) 、森内俊之さん(十八世名人) は 一 致 し て い な い 部 分 が あ る。 りします。一方で、あまり信用 う気がします。将棋を長くやっ のでしょうか。 の三人とは、公式戦だけでそれ その一致していないところでど のない人の手は、それが新しい ことがよくわかってくるんです。 す。正しい選択をしていれば必 ぞれ一〇〇局以上指しています。 れだけ相手に信用されているか ていると、 「わからない」という 羽生 棋士の仲間同士の「格付 け」みたいなものです。 「あいつ 棋士の世界には人事異動も転職 アイデアであっても、埋もれて しまうことがあるんです。 が、大きな影響を与えるんです。 ―― 定跡通りのところでは、棋 もないので、基本的に限られた 人たちと何十年も競争している、 NICHIGIN 2016 NO.47 5 ように駆使するのでしょうか。 セスのなかで、この三つをどの と述べておられます。思考プロ こなしながら対局に臨んでいる」 と『読み』と『大局観』を使い ―― ご 著 書 で「 棋 士 は『 直 感 』 んでいく。ただ、 ここですぐに 「数 だ選択肢から先へ先へと手を読 ンするように、直感で絞り込ん そこから今度は「読み」に入 ります。展開をシミュレーショ うことになります。 は、見た瞬間に捨てているとい 択肢に絞ります。残りの可能性 く、全体を俯瞰したうえで判断 ―― 具体的に手を読むだけでな に頼ることになります。 断 で き な い。 そ こ で「 大 局 観 」 ると、選択肢のどれがいいか判 凄い数になってきます。こうな 三の五乗とか三の一〇乗という が、五手先、一〇手先となると、 から、九手読むだけで済みます 二手先を読む場合は三×三です ど ん ど ん 増 え て い く わ け で す。 はなります。けれども、最初の じゃないかとイメージしやすく 羽生 終盤戦でゴールが近くな ると、こういうふうに終わるん と。 ジまで浮かんでくることがある ―― 大局観で「詰み」のイメー ける作業をします。 ある局面と最後の部分をくっつ たら、また「読み」に戻り、今 詰んで勝つんじゃないか」と思っ に基づいて、仮に「こうやって い描くのです。そういう大局観 羽生 最初は「直感」を使いま す。将棋は、一つの局面で八〇 の爆発」という問題にぶつかっ する、ということですか。 15 歳でプロ四段に昇段し、史上三人目の中学生棋士としてデビュー。89 年、 19 歳で初タイトルとなる竜王位を獲得。96 年、25 歳で王将位を獲得し、 名人、竜王、棋聖、王位、王座、棋王と合わせて前人未到の七冠制覇を達成 した。2008 年には永世名人(十九世名人)の資格を得る。現在、永世棋聖、 永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将の永世称号の資格も有する。通算 タイトル獲得も 94 期を数え、 歴代トップ。著書に『羽生の頭脳 1 ~ 10』 (日 本将棋連盟) 、 『羽生善治 闘う頭脳』 (文春文庫) 、 『直感力』 (PHP 新書) 、 『決 という方向性を決めるのです。 じっとしているほうがいいのか か守ったらいいのか、それとも して、ここでは攻めたらいいの るように局面を捉えます。そう 大局観はその逆に、森全体を見 感」 「読み」 「大局観」の三つの ―― 棋 士 の 世 代 に よ っ て、 「直 多いです。 るかという視点で考えることが して、過去から見て次に何をす 番初めから流れを振り返ったり 未来の形を思い描くよりも、一 なるかと未来を予想する。ある 流れを見てきて、方向性がどう くなったら、過去から今までの 具体的に読んでみる。わからな 面に出して対局に臨みます。し ときの強みですから、そこを前 する力、反射神経の良さが若い と思います。記憶する力、計算 羽生 若いときは圧倒的に「読 み」を中心に考えることが多い 比重が変わることはありますか。 いは、現在から見て未来はこう かし年齢を重ねるにつれて、少 ですから、思考のプロセスと しては、最初に直感で手を絞り、 いう形になるんじゃないかと思 6 NICHIGIN 2016 NO.47 性は足し算ではなく、掛け算で 通りぐらいの可能性があると言 てしまいます。三つに選択肢を 直感・読み・大局観を駆使して考える われますが、私は最初にパッと 絞ったとしても、その先の可能 12 歳で二上達也九段に師事し、プロ棋士の養成機関・奨励会に入会。85 年、 う ち は そ こ ま で 見 え な い の で、 見た段階で二つないし三つの選 断力』 『大局観』 (ともに角川書店)などがある。 羽生 そうです。 「木を見て森を 見ず」という言葉がありますが、 はぶ・よしはる● 1970 年、埼玉県生まれ。6 歳で将棋を覚える。82 年、 INTERVIEW に大きな方向を定めたうえで「読 える必要はありません。感覚的 と判断できれば、 「守る手」は考 いうことを論理ではなく、パッ ります。 「今は攻めるべきだ」と と思考を省略化できるようにな と、「ここは考えなくてもいいな」 す。直感や大局観を身につける くなっていくのが普通の流れで しずつ直感、大局観の比重が高 大きかったと思っています。野 的な後押しみたいなものの力が 能力というよりも、周囲の圧倒 達成したときは、私の個人的な ようになりました。でも七冠を 感覚的な判断や方向性を捉える やしていたのを減らし、現在は み」に思考のかなりの部分を費 ると感じています。二〇代で「読 と現在の指し方は違ってきてい 感じはなかったんです。 があって、自力で勝ったという 周りの雰囲気に乗っている感じ 過 程 で、 大 き な 流 れ や う ね り、 七つのタイトルを獲得していく 覚がありました。一年間かけて のですが、あれと同じような感 を応援してくれるわけではない りますよね。対局場で観客が私 ムアドバンテージというのがあ ます。ただ、実際に将棋を指し 羽生 将棋のルールを知ってい る人は一〇〇〇万人弱と言われ いでしょうか。 ―― 現在、将棋人口はどれくら だなと思っています。 いるのは非常にありがたいこと 将棋がきちんとした形で続いて す。ですから、日本で今日まで ンチー)と日本だけだと思いま て勝負するのはハードと言えば 球でもサッカーでもホームゲー ハードなので、日本将棋連盟で は、将棋を見て楽しむファンも 増やそうと力を入れているとこ 経験値が非常に大きいと思いま 化することができないところは で、言語化とか数値化とか論理 棋の直感や大局観もこれと同じ 新人にはそれができません。将 いるなどと感覚的に捉えますが、 るとか、このへんに魚が群れて んは海に出れば、今日は雨が降 と同じような世界だったんです。 した。茶道や華道、歌舞伎など が世襲で受け継いできた称号で 敷かれ、 「名人」というのは家元 羽生 江戸時代と言われていま す。その頃の将棋は家元制度が のはいつ頃でしょうか。 ですが、今のルールが確立した ―― 数百年もの歴史がある将棋 けれども、今では廃れてしまい ど で 独 自 の 将 棋 と な り ま し た。 中国、モンゴル、ミャンマーな そ れ が 伝 わ っ て、 タ イ、 韓 国、 将棋の起源と言われていますが、 羽生 古代インドのチャトラン ガという双六のようなゲームが 国にも独自の将棋があります。 ―― 日本だけでなく、アジア各 ています。 棋士が負けたこともあります。 棋が強くなり、 「電王戦」でプロ ―― 近年ではコンピューター将 です。 たいと試行錯誤しているところ 付随的な効果も併せて浸透させ のツールにしてもらうといった、 力を身につけてもらったり、将 将棋をつうじて礼儀作法や集中 棋そのものを教えるだけでなく、 コンピューター将棋には 「美意識」がない み」の量を落とし、最善の判断 に近づくことができるのです。 直感とか大局観のような感覚 的なものは経験値が物を言うと す。 近代になって十三世名人の関根 そうなものもあるんです。チャ ろです。あるいは、子どもに将 ―― 羽生さんは若くして七冠王 金次郎が世襲制を廃止し、「名人」 トランガはもうほとんど残って 思います。経験を積んだ漁師さ となりましたが、すでにその頃 は実力制に移行しました。伝統 羽生 コンピューターの将棋ソ フトの歴史を振り返ると、当初 はハードの性能向上で強くなり 棋を親子のコミュニケーション から直感も大局観も身につけて いないし、プロの将棋として存 在しているのは中国の象棋(シャ 的な世界のなかでも、将棋は異 質な歴史をたどって今日に至っ いたのでしょうか。 羽生 私自身、若い頃の指し方 NICHIGIN 2016 NO.47 7 INTERVIEW 上げていくということもしてい コンピューターの判断する力を タ や 計 算 量 を 増 や す と 同 時 に、 られるようになっています。デー 械学習」と呼ばれる技術も用い けです。それに加え、 最近では 「機 データを入力し、計算させたわ 統計的に判断するだけです。 きには勝率がいいとか悪いとか、 の三つの駒がこの場所にあると ターは、例えば、飛車と角と銀 た観点はありません。コンピュー には「この局面が美しい」といっ いんです。でもコンピューター 力を上げることとイコールに近 そういうものを磨くことが、実 き も、 見 た と き の 美 し さ と か、 麗ですよね。将棋の手を指すと きは無駄がなく、洗練され、綺 ません。たとえば職人さんの動 ものまで身につけることはでき しかし、コンピューターは人 間が持っている美意識みたいな が上がっています。 コンピューターは飛躍的に実力 というプロセスも学習していて、 たら無駄な思考を省略できるか 算して考えるうえに、どうやっ している。一秒間に何千万と計 ターもそれと似たようなことを は苦手なんです。 ンで「この一手」を見つけるの 限定的なため、長期的なビジョ コンピューターの評価の仕方が 価 を し な く て は な り ま せ ん が、 できず、ある段階のところで評 先、三〇手先まで見通すことは 増やすことができても、二〇手 ます。どんなに瞬時に計算量を 思考にも保守的なところがあり すが、逆に、コンピューターの 守的なところをついてくるので があるんです。人間の思考の保 盲点や死角をつく手を指すとき を持っていないけれど、人間の コンピューターは人間の美意識 め ず ら し く な く な っ て い ま す。 見つけることは、将棋の世界で かアイデアをコンピューターが 羽生 ここ二、 三年、かなり影響 を受けています。新しい発想と か。 ―― 羽生さんも影響を受けます す。 参考にすることもできるわけで ―― 本日は、貴重なお話をどう なると思います。 とが、棋士に求められるように も自分の実力に反映していくこ て使いこなし、そこで得たもの す。コンピューターを道具とし く活用できるかというスキルで ピューターソフトをいかにうま れ か ら 求 め ら れ る の は、 コ ン 想が重視されてきましたが、こ して、創造的なアイデアとか発 違いありません。棋士の能力と 時代とともに将棋の競技とし ての質が変わりつつあるのは間 電気代が跳ね上がるらしいです。 すか?」と不審に思われるほど 会社から「今月は何をしたので 電王戦に出た人によると、電力 タ 解 析 を す る こ と に な る の で、 ます(笑) 。四六時中ずっとデー やるとなったら電気代もかかり 将棋の勉強とは全く違うことを をやることになります。普段の 時間で解析するか、ということ 羽生 というよりは、プログラ ムそのものを、いかに限られた がります。ただ、それを人間が るんです。 ――コンピューター同士の将棋 ―― 羽生さんが電王戦で対局す もありがとうございました。 う話をしましたが、コンピュー ――コンピューターが自分で判 は、人間とは違うものになりま ることになったら、そこを一つ ました。過去の棋譜など膨大な 断する力を磨くのですか。 すか。 の鍵としてお考えになりますか。 (聞き手/情報サービス局長・鶴海誠一 ) しなければいけなくなりますし、 羽生 そうです。棋士は大局観 を使って読みを省略化するとい 羽生 ルールは同じでも、内容 としては全く違う棋譜ができ上 8 NICHIGIN 2016 NO.47
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