Sep 12, 2016 No.2016-043 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 主席研究員 武田 淳 03-3497-3676 [email protected] フィリピン経済:課題の供給力不足を補いつつ高成長を持続 2016 年に入り実質 GDP 成長率は一段と高まり、4~6 月期には前年同期比+7.0%、ASEAN 主 要国中最高の成長率を実現した。牽引役は所得環境の改善とインフレ抑制を背景とする個人消費 の堅調拡大と、対内直接投資の復調などを追い風とする固定資産投資の急拡大である。好調なフ ィリピン経済の課題は、輸入の増勢加速に見られる通り供給力不足であるが、固定資産投資の拡 大やドゥテルテ政権の経済政策により供給力の拡充が見込まれることから、現状程度の成長ペー スであれば持続可能であろう。今後も 6~7%の高成長を維持すると予想される。 ASEAN 主要国中で最高の成長率を実現 実質GDP成長率の需要項目別動向(前年同期比、%) フィリピン経済は、2016 年に入り成長ペースを一 段と加速させている。実質 GDP 成長率は 2015 年通 12 年の前年比+5.9%から 2016 年 1~3 月期に前年同 8 期比+6.8%、4~6 月期には+7.0%へ伸びが高ま 純輸出 10 在庫投資 固定資産 投資 政府消費 6 4 った。この 7.0%という成長率は、ASEAN 主要 5 2 ヵ国(インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピ ▲2 ン、ベトナム)の中で最も高い 1だけでなく、中国 ▲4 の+6.7%をも上回りインドの+7.1%に肉薄して ▲8 おり、アジア有数の高成長だと言える。 ※統計上の不突合により各項目の寄与度の合計は実質GDPと合致しない 14 0 個人消費 実質GDP ▲6 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 ( 出所) フィリ ピン統計機構 成長加速の主役は個人消費と固定資産投資(設備投資、公共投資、住宅投資の合計)である。個人消費は 2015 年の前年比+6.3%から 2016 年 1~3 月期に+7.0%、4~6 月期には+7.3%へ伸びを高めた。固定資 産投資に至っては、2015 年の前年比+15.2%から 2016 年には 3 割近くまで増勢を強めている。その一方 で、純輸出(輸出-輸入)は、輸出が伸び悩む中で輸入の増勢が強まったため、成長率に対する寄与度が 2015 年の▲2.5%Pt から 2016 年には▲6%台まで下押し幅が拡大した。こうした動きは、別の見方をすれ ば、需要の増加に国内生産が追い付かず、輸入の拡大によって補っている状態と言える。つまり、供給力 の不足が成長の天井になり易いことを示しており、これがフィリピン経済にとって最大の課題である。 所得環境の改善とインフレ抑制により個人消費の堅調拡大が続く 以下、主な需要の動きを見ると、GDP の 7 割強 2を占める個人消費は、その好調さの背景に雇用情勢の改 善や物価上昇率の低下を受けた購買力の向上、良好な消費者マインドなどが指摘できる。 雇用情勢については、失業率が 2014 年前半の 7%台から低下傾向にあり、2016 年に入り 6%を割り込んで いることが示す通り(当研究所試算の季節調整値)、着実に改善している。また、消費者物価上昇率は、 原油など資源価格の下落を背景として 2015 年 5 月に前年同月比で+1%台へ低下、 2016 年 4 月まで概ね 1% 前後の低い伸びで極めて安定的に推移した。 2016 年 4~6 月期の各国の成長率(前年同期比)は、インドネシア+5.2%、タイ+3.5%、マレーシア+4.0%、ベトナム+5.5%。 2015 年実績で 73.8%。 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研 究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告 なく変更されることがあります。記載内容は、伊藤忠商事ないしはその関連会社の投資方針と整合的であるとは限りません。 1 2 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 ただ、5 月に前年同月比+1.6%、6 月、7 月にはともに+1.9%と伸びが高まっている点は気懸りである。 主因は食料品価格の上昇 (4 月前年同月比+1.6%→5 月+2.3%→6 月+2.9%→7 月+2.7%→8 月+2.4%) であり、8 月にはやや落ち着いたことから消費者物価全体でも前年同月比+1.8%へ伸びは鈍化したが、資 源価格が底入れしたこともあって、引き続き価格上昇率が高まっている商品・サービスが散見されており、 インフレ圧力が強まりつつある可能性には留意が必要であろう。 失業率の推移(季節調整値、%) 消費者物価の推移(前年同月比、%) 12 8.0 総合 ※当研究所試算の季節調整値 食品・飲料 住居(含む水道光熱) 10 7.5 8 6 7.0 4 6.5 2 0 6.0 ▲2 5.5 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 ▲4 2009 2016 ( 出所) フィリ ピン統計機構 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 ( 出所) フィリ ピン統計機構 消費者マインドについては、代表的な指標である消費者信頼感指数(翌四半期見通し DI、プラスは改善 を示す)が 2016 年 3 月調査の+9.1 から 6 月調査では+6.5 へやや低下したがプラス圏にあり、引き続き 良好と言える。内訳を見ると、 「経済情勢」についての見方は、好調な景気動向を背景に 3 月の+6.4 から 6 月に+7.7 へ上昇した。また、 「家計金融状況」に対する見方が+9.1 から+2.5 へ、 「家計所得」につい ても+11.8 から+6.5 へ、ともに低下し、先行きに対してやや慎重な見方が出始めてはいるが、依然とし てプラス、つまり改善を見込んでいる向きが多いということには変わりはない。 消費者信頼感指数の推移(来期見通しDI、改善-悪化) 30 自動車販売の推移(含む商用車、季節調整値、年率、万台) 40 来期見通し 20 35 10 30 0 25 ▲ 10 20 ▲ 20 総合 家計金融状況 家計所得 経済情勢 ▲ 30 ▲ 40 ▲ 50 ※乗用車と商用車の合計 最新期は7月単月 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 15 10 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 4 1 2 3 2008 2016 ( 出所) フィリ ピン中央銀行 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 ( 出所) フィリ ピン自動車工業会 (C AM PI) 個人消費の堅調さは、自動車販売の動向からも窺うことができる。2015 年通年の自動車販売台数(乗用 車と商用車の合計)は前年比+22.9%の 28.9 万台であったが、2016 年 1~3 月期には当研究所試算の季 節調整値で年率 32.3 万台(前年同期比+21.6%)へ、4~6 月期は 36.0 万台(+32.7%)へ、さらに大き く増加している。所得水準の高まりに伴って、自動車の本格的な普及期を迎えているようである。 固定資産投資は機械投資を中心に急拡大 固定資産投資は、個人消費以上の盛り上がりを見せている。固定資産投資のうち、54%(2015 年)を占 める建設投資は、2015 年の前年比+8.9%から 2016 年 1~3 月期に前年同期比+13.0%、4~6 月期には 2 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 +14.1%へ伸びを高め、堅調な拡大を続けているが、それ以上に急拡大しているのが、全体の 38%を占め る機械投資(設備投資)である。機械投資は 2015 年の前年比+21.8%から 2016 年 1~3 月期は前年同期 比+39.8%、4~6 月期には+42.8%へ急速に伸びを高め、固定資産投資全体(2015 年+15.2%→2016 年 1~3 月期+28.2%→4~6 月期+27.2%)が 2016 年に入って増勢を加速させる原動力となった。 固定資産投資の推移(季節調整値、億ペソ、2000年価格) 3,300 建設投資 対内直接投資の推移(認可ベース、億ペソ、4期平均) ※後方4期平均 1,000 機械投資 非製造業 900 2,800 製造業 800 700 2,300 600 500 1,800 400 300 1,300 200 100 800 2008 2009 2010 2011 2012 ( 出所) C EIC DAT A 2013 2014 2015 2016 0 2011 2012 2013 2014 2015 2016 ( 出所) C EIC DAT A 機械投資が目立って好調な一因として、対内直接投資の増加、なかでも製造業が顕著に拡大していること が挙げられる。対内直接投資額(認可ベース)は、2015 年 4~6 月期以降、前年同期比でプラスに転じた が、実施ベースに近いと考えられる 4 期平均で見ると、全体の過半を占める製造業の投資が特に 2016 年 に入って急増している様子が見て取れる(右上図)。フィリピンでは今年 5 月の大統領選(詳細後述)を 控えて、政策の行方に対する不透明感が強まり海外からの投資が抑制されるのではないかとの懸念があっ たが、好調な景気動向がその懸念を払拭した模様である。 冒頭でも触れた通り、フィリピン経済の課題は旺盛な需要を満たす供給力の強化であるが、こうした固定 資産投資の大幅な拡大は、供給力不足を補いながら高成長を維持する可能性を感じさせる動きと言える。 輸出は総じて横ばい圏で推移 GDP ベース(実質)の輸出は、2016 年 1~3 月期の前年同期比+7.3%から 4~6 月期は+6.6%へ伸びが 鈍化しつつも拡大が続いたが、通関統計(名目、ドルベース)の輸出は、1~3 月期の前年同期比▲8.4% から 4~6 月期も▲6.6%とマイナスが続いた。 こうした実質ベースと名目ベースでの輸出動向の違い 3は、 輸出が数量ベースでは拡大傾向を維持しているが、価格の大幅な下落によって、金額ベースでは減少して いることを示している。 金額ベースである通関輸出の動向を財別に見ると、全体の 6.3%(2015 年)を占める農産物が不作の影響 などにより 1~3 月期の▲11.1%から 4~6 月期には▲20.0%まで落ち込んだほか、鉱産物(シェア 4.9%) が価格下落を主因に▲33.9%から▲44.7%へ下げ足を速めている。工業製品では、主力の半導体・電子部 品(シェア 35.6%、1~3 月期前年同期比+5.2%→4~6 月期▲7.3%)が息切れ、化学(シェア 3.2%、 ▲35.8%→▲24.5%)や衣料品(シェア 2.5%、▲48.9%→▲34.6%)の大幅な落ち込みが続いた。一方 で、電子計算機(シェア 8.5%、▲6.4%→4~6 月期+18.8%)はプラスに転じ、木製品(シェア 4.8%、 +48.7%→+12.8%)は高い伸びを維持、輸送機器(シェア 8.8%、▲16.8%→▲4.5%)や電機製品(シ そもそも GDP ベースの輸出はサービス取引を含み、通関統計は財のみである点で両者は異なっているが、ここでは単純化のた め敢えて考慮していない。 3 3 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 ェア 5.4%、▲9.3%→▲4.8%)などはマイナス幅が縮小するなど、品目によるバラつきが大きい。全体 で見れば総じて横ばいの動きといったところであろう。 財別輸出の推移(前年同期比、%) 仕向地別輸出の推移(季節調整値、百万ドル) その他 4,000 15 その他工業品 3,500 10 機械・輸送機器 25 20 3,000 5 0 電機製品 ▲5 電子製品 2,500 2,000 ▲ 10 ▲ 15 一次産品 ▲ 20 輸出合計 ▲ 25 1,500 1,000 2011 2012 2013 2014 2015 500 2011 2016 ( 出所) フィリ ピン統計機構 日本 米国 2012 2013 ASEAN 中国 EU 2014 2015 2016 ( 出所) フィリ ピン統計機構 仕向地別の動向を当研究所試算の季節調整値で見ると、最大シェア(20.9%、2015 年)を占める日本向 けが 4~6 月期に前期比+1.6%と 4 四半期ぶりの増加に転じたほか、米国向け(シェア 15.3%、1~3 月 期前期比▲9.4%、4~6 月期▲0.6%)、EU 向け(シェア 12.2%、1~3 月期▲14.4%→4~6 月期+3.7%) 、 中国向け(シェア 10.5%、1~3 月期▲9.6%→4~6 月期+3.0%)もプラスに転じた一方で、ASEAN 向け (シェア 14.9%、1~3 月期▲11.1%→4~6 月期▲4.2%)は減少が続き、輸出の回復を遅らせる主因とな った。 外交・内政にリスク抱えるも新政権の経済政策には一定の評価 以上の通り、フィリピン経済は、引き続き堅調な拡大が続いている。そうした中で行われた 5 月の大統領 選挙では、ロドリゴ・ドゥテルテ前ダバオ市長が得票率 39%で当選、アキノ前大統領に後継者として指名 されたロハス前内務地方自治相、世論調査では高い支持率を得ていたグレース・ポー上院議員は、ともに 得票率 2 割程度にとどまり、大差をつけての圧勝であった。 ドゥテルテ新大統領は、既に広く知られている通り言動の過激さに特徴があり、国政未経験という点と併 せて、政権運営の手腕を疑問視する声が聞かれた。実際に、9 月 6~8 日にラオスの首都ビエンチャンで 開催された ASEAN 首脳会議に合わせて予定されていた米オバマ大統領との会談が、自らの暴言によりキ ャンセルされるなど、ドゥテルテ大統領の発言が 特に外交上のリスクとなっている。 施政方針演説(7/25)などで示された主な方針 インフラ整備 国内においても、ドゥテルテ大統領のお膝元であ るダバオで 9 月 2 日、10 人を超える死者を出す爆 首都圏交通渋滞解消 マニラ新空港建設 規制緩和 事業許可の申請過程を迅速化 対内投資に関する憲法改正、銀行秘密法の緩和 弾テロが発生した。IS(イスラム国)系とされる 税制改革 個人所得税・法人税引き下げ イスラム過激派が犯行声明を出したと報じられて 治安 共産党、新人民軍、民族民主戦線との一方的な停戦 おり 4、ドゥテルテ大統領が打ち出した同勢力の 南シナ海問題 仲裁裁判所の判断を尊重 撲滅方針に反発した動きとみられている。麻薬組 その他 人口抑制法の完全施行 織の撲滅に向けた取り組み強化なども含め、強硬 な手段によって社会の安定を目指す手法は国民の 4 犯罪・違法薬物の撲滅 インターネット、wi-fiの速度不足の解消 国民皆保険制度の構築 (出所)各種報道などから当研究所にて作成 現地メディアは、イスラム過激派「アブサヤフ」の報道担当者が犯行を認めるコメントをしたと報じた。 4 Economic Monitor 伊藤忠経済研究所 広い支持を受けてはいるものの、一時的な治安の悪化にもつながるため、引き続き留意が必要な点であろ う。 ただ、経済政策に限って言えば、少なくともメニューを見る限り、フィリピンが抱える現状の課題に的確 に対応した内容という印象である。7 月 25 日に行われた施政方針演説では、上記の治安強化の取り組み のほか、経済政策としてインフラ整備の推進、規制緩和による工事の進捗促進や対内投資の呼び込み、税 制改革による経済活動の活発化、IT インフラの整備促進、社会保障の充実などを盛り込んでおり、その内 容に対する産業界からの評価は総じて高い。また、新政権は連立与党で国会議席の 9 割を占めるなど基盤 は盤石であり、政策運営上の障害も少ない。これらの政策が速やかに進められ、持続的な成長に貢献する ことが期待できよう。 今後も 6~7%程度の高成長を維持する見通し 以上の通り、堅調な拡大を続けるフィリピン経済の懸念材料は、新政権の強硬的な政策に伴うリスク、フ ァンダメンタルズにおいてはインフレの芽が出る兆しであろう。ただ、後者については、一方で供給力不 足の緩和につながる固定資産投資が急拡大しており、新政権の経済政策も供給力の向上を促すと期待でき るため、これらによりインフレ圧力は抑制されよう。また、経常収支が出稼ぎ労働者の仕送りによって黒 字基調を維持し、通貨の安定、ひいては物価の安定に寄与していることも、インフレ抑制に大きく貢献し ている。 こうした状況を総合すると、フィリピン経済は、現状程度の需要の拡大ペースであれば供給力の拡充によ って物価の上昇を抑制することが可能であり、その結果、今後も 6~7%程度の高い成長を維持すると考え られる。そして、高成長が途絶える最大のリスクは、ドゥテルテ政権の経済政策運営であり、インフレ圧 力が高まった際に、金融引き締めなどによって景気にブレーキをかけられるかどうか、とうことであろう。 暴走気味の新政権には経済においても巡航速度での安全運転が求められている。 5
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