おりおりの山 - 千葉県隊友会

おりおりの山
第83回
2016 年 9 月 1 日
作者プロフィール
柚木 文夫氏 千葉県隊友会会員 習志野支部長 桧町陸幕 平成 2 年退官 1958 年防衛大学卒
元防大山岳部監督 現自衛隊山岳連盟会長
追憶の上州武尊山
剣 ヶ 峰 ~ 沖 武 尊 (武 尊 山 本 峰 )の 峰 々 の 連 な り
9 月 半 ば 、 上 州 武 尊 山 ( 2158m ) に 登 っ
た 。武 尊 と 書 い て「 ほ た か 」と 読 む 。北 ア
ル プ ス の 穂 高 連 峰 と 分 別 す る た め 、こ ち ら
は「上州武尊」と呼ぶことが多い。
私 に と っ て は 先 年 、僚 友 N 君 を 雪 崩 で 失
っ た 追 憶 の 山 で も あ る 。麓 の 民 宿 で の 前 夜 、
故人を偲びながらしっかり酒を酌み交わ
した。
翌 朝 5 時 半 、N 君 馴 染 み の 宿 の 主 人 が 武
尊 ス キ ー 場 の 上 部( 1 6 5 0 m 付 近 )ま で 車 で
送ってくれた。6 時、スキー場上部の最後
の 斜 面 を 直 登 し て 花 咲 登 山 道 と 出 合 う 。後
は 雑 木 の 中 の 尾 根 道 。途 中 、N 君 遭 難 の 現
場 に 花 束 を 供 え 7 時 、前 武 尊 山 頂 に 到 着 し
た 。小 広 い 山 頂 に 等 身 大 の 日 本 武 尊 像 が 屋
根付きで立っているのがいかにも無粋。
ここから剣ヶ峰の岩峰群の通過が始ま
る は ず だ が 、数 年 前 の 豪 雨 に よ る 崩 壊 で 岩
稜どおしコースが立入禁止になっており、
過ぎ、中ノ岳の山腹を巻
き、メルヘンチックな池
塘のある草原を通過し、
最後に岩場の急斜面を一
登りして、巨大な日本武
尊像に迎えられ 9 時半、
武 尊 山 山 頂 (「 沖 武 尊 」 と
も呼ぶ)に到着した。
曇りがちではあるが、
立派な方位盤が備わった
山 頂 か ら は 360 度 の パ ノ
ラマが展望出来る。北は
至仏山、燧ケ岳の向こう
家ノ串から見上げる沖武尊への登路
に 谷 川 連 峰 、東 は 今 登 っ て 来 た 前 武 尊 の 向
こ う に 奥 白 根 山 、皇 海 山 、南 は 赤 城 山 、榛
名 山 、西 は 四 阿 山 、草 津 白 根 山 な ど 、山 の
名 前 を 挙 げ れ ば 際 限 も な い 。存 分 に 眺 望 を
楽 し み 10 時 、 武 尊 牧 場 に 向 か い 下 山 を 開
武 尊 山 頂 か ら の 至 仏 山 ・燧 ヶ 岳 遠 望
家ノ串から振り返る剣ヶ峰
標 識 に 従 い 左 の 巻 き 道 を た ど っ た 。岩 場 の
登 り 下 り を 数 回 繰 り 返 し 9 時 、家 ノ 串 山 頂 。
こ の 先 は 、灌 木 と 熊 笹 に 覆 わ れ た な だ ら か
な 尾 根 歩 き と な る 。途 中 、武 尊 牧 場 分 岐 を
始 し た 。武 尊 牧 場 分 岐 ま で 戻 り 、セ ビ オ ス
岳 経 由 の 経 路 を 取 る 。途 中 に 数 ヵ 所 ク サ リ
場 が あ り 、順 番 待 ち に す っ か り 時 間 を 取 ら
れ た 。し か し 時 間 も た っ ぷ り あ り 1 1 時 半 、
セビオス岳の心地よい草原に座りこんで
のんびりと昼食休憩。
後 は ブ ナ や ク ヌ ギ 林 の 中 の 長 い 下 り 。1 4
時 、武 尊 牧 場 の 駐 車 場 到 着 。出 迎 え の 民 宿
の主人の笑顔に迎えられた。