Page 1 前島美保 江戸中期上方の大切所作事考 はじめに 十八世紀後半

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詞章にみる江戸との関わり
︹キーワード︺上方、歌舞伎舞踊︵所作事︶、近世、東西交流、囃子方
前島
美保
そ し て 宝 暦 期 以 降 の 大 切 所 作 事 の 定 着 は 、上 方 に お い て 詞 章 付 き 史 料 を 登 場
が往来した際に上演され、歌舞伎の東西交流を象徴する演目の一であった。
こ れ ら は ﹁ み や げ ﹂﹁ い と ま ご ひ ﹂ 等 の 外 題 が 示 す よ う に 、 し ば し ば 役 者
九日小袖
一代奴一代女
梅紅葉浪花丹前﹂*
天明八年三月大坂角の芝居﹁大切所作事 花形見娘道成寺﹂
*詞章を確認できる上演
天明五年十一月京四條北側西角芝居﹁大切所作事
七宝浜真砂﹂
天 明 七 年 九 月 大 坂 大 西 芝 居﹁ ご ば ん に ん ぎ や う 所 作 事
わん久まつ山
廓
天明五年五月大坂中の芝居﹁大切所作事
名大坂高麗屋橋﹂
天明五年七月京四條北側西角芝居﹁大切所作事
七変化七艸拍子﹂
天明五年正月大坂中の芝居﹁大切所作事
七変化七艸拍子﹂*
天明五年四月大坂中の芝居﹁大切
けいこと所作事
恋闇卯月の楓葉﹂*
天明四年九月大坂角の芝居﹁大切所作事
恋渡縁石橋﹂*
本稿は、宝暦以降、上方歌舞伎にて上演機会の増える大切所作事について、台帳・絵尽し・正本など詞章内容を把握できる
史料群の翻刻に基づき、江戸での所演と比較・検討し、先行曲との関係性や江戸の文化の受容の仕方等について考察するもの
である。上方での上演の前後に江戸でも関係所作事が確認され、詞章レベルでの影響関係を具体的に ることができた。また
上方での上演に際しては、江戸に縁の囃子方の存在がしばしば確認された。江戸の所作事が上方にて再演され、定着してゆく
背景には、囃子方の存在も大きかったことが窺われる。
江戸中期上方の大切所作事考
はじめに
十 八 世 紀 後 半 、す な わ ち 宝 暦 期 以 降 、歌 舞 伎 舞 踊 ︵ 所 作 事 ︶ に お い て 、上
方 に 対 し て 江 戸 の 先 行・優 位 が 著 し く な っ た と さ れ る 。 特 に 立 役 の 舞 踊 が 上
方 に も 大 き な 影 響 を 与 え て ゆ く 。 た と え ば 上 方 の 興 行 を 見 る と 、一 日 の 大 切
に 大 踊 が 踊 ら れ る こ と が 多 か っ た 時 代 か ら 、宝 暦 期 を 境 に 大 切 所 作 事 の 上 演
が顕著に見られるようになっている。いくつか列挙する。
宝暦九年九月大坂角の芝居﹁出世 葉
いとまごひの所作事﹂
宝 暦 九 年 十 二 月 大 坂 角 の 芝 居﹁ 所 作 事
江戸みやげ
咲からに龍すへとゝ
け 山 桜 ﹂︵ 娘 道 成 寺 ︶
宝暦十一年八月大坂角の芝居﹁大切りしよさ事
花橘吾妻みやげ﹂
宝暦十二年十一月京四條南側芝居﹁大切嵐松之丞所作事﹂
宝暦十三年正月京四條南側芝居﹁大切所作事
都鹿子娘道成寺﹂
安永八年三月大坂角の芝居﹁大切所作事
鐘恨重振袖﹂*
天明四年九月京四條北側西角芝居﹁大切所作事
花王石橋獅子座振﹂
さ せ る こ と に つ な が っ た も の と 考 え ら れ る 。 本 稿 で は 、天 明 期 上 方 の 大 切 所
作事の詞章を翻刻・紹介しながら、江戸での所演と具体的に比較・検討し、
︵八十五︶
前島美保 江戸中期上方の大切所作事考
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先行曲との関係性や江戸の文化の受容の仕方等について考察してみたい。
︵八十六︶
え ら れ る 。 第 三 曲 ﹁ 傾 城 ﹂ が 終 わ る と 、台 帳 に 明 記 さ れ て い な い が 、お そ ら
りの後、
﹁老女﹂は消え、
﹁相かた﹂や台詞が
く 半 四 郎 は 一 度 舞 台 か ら 消 え 、﹁ 老 女 ﹂ 姿 で せ り 上 が っ た の だ ろ う 。 こ の 時
に も ﹁ と ろ 〳〵﹂ で 登 場 。 立
戯 曲 全 集 ﹄ が 知 ら れ る が 、こ こ で は 国 立 国 会 図 書 館 蔵 大 坂 八 幡 屋 の 台 帳 よ り
変 化 舞 踊﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂が 出 さ れ た 。 こ の 時 の 上 演 台 帳 の 翻 刻 は﹃ 日 本
に 、天 明 四 年 冬 四 代 目 松 本 幸 四 郎 と 共 に 初 上 坂 し た 四 代 目 岩 井 半 四 郎 に よ る
天 明 五 年 正 月 二 十 五 日 よ り 大 坂 中 の 芝 居 に て 、﹃ 傾 城 睦 月 の 陣 立 ﹄ の 大 切
半 四 郎 が 一 度 舞 台 か ら 消 え、 再 び 登 場 す る 時 に は 花 道 か せ り 上 げ で、 そ の
た後、
﹁ と ろ 〳〵﹂ に て ﹁ 石 橋 ﹂ の 形 り で 出 る 。 こ の よ う に 、早 替 り の た め 、
わ か る 。﹁ 切 禿 ﹂が 消 え る と 、変 化 の 正 体 を 察 す る 台 詞 の や り と り な ど が あ っ
か た ﹂ に て ﹁ 切 禿 ﹂ 姿 で 出 る 。 こ の 時 、か ら く り 台 に 乗 っ て せ り 出 た こ と が
び ﹁ と ろ 〳〵﹂ で 消 え 、 台 詞 で つ な い だ 後 、﹁ と ろ 〳〵﹂ と ﹁ 三 番 そ う の 相
あった後、
﹁ と ろ 〳〵﹂ に て ﹁ 座 頭 ﹂ で 出 る 。 第 五 曲 ﹁ 座 頭 ﹂ が 終 わ る と 、再
音 楽 演 出 と 詞 章 部 分 を 中 心 に 翻 刻 し 、﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂ の 内 容 を 確 認 し た
一
天明五年正月大坂中の芝居﹁七変化七艸拍子﹂︵台帳︶
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い ︵︻ 翻 刻 一 ︼︶。
台 帳 に は 他 に も 、 陰 で 演 奏 さ れ た で あ ろ う 音 楽 演 出 が 所 々 散 見 さ れ る ︵﹁ 太
際 、必 ず﹁ ど ろ 〳〵﹂が 鳴 る 。 お そ ら く 陰 で 鳴 ら さ れ た も の と 推 察 さ れ る が 、
台 帳 の 詞 章 を 見 る と 、七 曲 の う ち ﹁ 春 駒 ﹂﹁ 座 頭 ﹂﹁ 切 禿 ﹂ の 三 曲 は 、半 四
﹁七変化七艸拍子﹂は岩井半四郎扮する傾城大矢野の亡魂が変化して顕わ
橋 ﹂の 七 役 を 半 四 郎 が 早 替 り で 踊 り 分 け た 。 役 者 評 判 記 に は﹁ 大 切 七 化 所 作
天 明 七 年 三 月 桐 座 で 踊 っ た 七 変 化 ﹁ 七 襲 東 雛 形 ﹂ の 中 で は 、﹁ う ら ゝ か に ﹂
な い が 、こ の 年 度 、す な わ ち 天 明 四 年 十 一 月 中 の 芝 居 の 顔 見 世 番 付 に ﹁ 外 記
あ っ た こ と が わ か る 。こ の 時 の 演 奏 者 連 名 は 番 付 等 か ら 確 認 す る こ と が で き
城 ﹂ の 途 中 で 、﹁ 川 竹 の 夜 ご と に か わ る 仇 枕 ﹂ か ら は 独 吟 で 聴 か せ る 演 出 で
を 掛 け 文 を 見 て い る﹁ 傾 城 ﹂が せ り 上 が っ て く る 。 演 出 上 興 味 深 い の は﹁ 傾
入 の お も し ろ き 相 方 ﹂ と 台 詞 に よ っ て つ な い だ 後 、﹁ と ろ 〳〵﹂ で 床 几 に 腰
わ っ た 可 能 性 が あ る 。﹁ 春 駒 ﹂ が 終 わ る と ﹁ ど ろ 〳〵﹂ に て 一 旦 消 え 、
﹁大小
駒 ﹂ に な る 。 こ こ で は ト 書 き に ﹁ 消 え る ﹂ と な い こ と か ら 、引 き 抜 き 等 で 変
な る︵﹁ 三 味 せ ん な ら ぶ ﹂︶。﹁ 男 舞 ﹂が 終 わ る と﹁ ど ろ 〳〵﹂に て 第 二 曲﹁ 春
半 四 郎 が﹁ 男 舞 子 の 形 り ﹂で 花 道 よ り 出 る 。 一 面 の 御 伩 が 上 が っ て 出 囃 子 と
﹁ 太 鼓 う た ひ ﹂ に て 幕 が 開 く 。﹁ と ろ 〳〵﹂ や ﹁ 鳴 も の 入 ﹂ が 奏 さ れ る 中 、
ておきたい。
致 す る が 、歌 い 出 し は 異 な る 。 同 じ 役 者 ︵ あ る い は 門 弟 な ど ︶ が 上 方 と 江 戸
か ら こ 〳〵﹂ か ら ﹁ 扨 も ナ ア ﹂ ま で と 、足 拍 子 の 拍 子 事 の 箇 所 が 部 分 的 に 一
七 月 中 村 座 の ﹁ 三 扇 雲 井 月 ﹂︵ 角 書 ﹁ 京 人 形 後 の 雛 ﹂︶ の ﹁ 切 禿 ﹂ と 、﹁ ち ん
が そ の ま ま 上 方 の 舞 台 に 上 っ て い る こ と が 窺 わ れ る 。﹁ 切 禿 ﹂ は 、 安 永 二 年
が ﹂ と あ る が 、こ の 人 は 千 葉 房 総 東 金 の 豪 商 で 、そ う し た 東 都 に 関 す る 詞 章
化 七 艸 拍 子 ﹂ を 映 す。 ま た﹁ 座 頭 ﹂ の 歌 詞 に は﹁ と ふ 金 の 文 鎮 の 茂 左 衛 門
復、
﹁ う か れ 〳〵座 頭 の 坊 ︵ お も し ろ や ︶﹂ の 段 切 な ど 、全 体 の 骨 格 は ﹁ 七 変
し 、台 詞 後 の ﹁ 浪 花 り さ ん が ﹂、
﹁ひょっくり﹂や﹁さぐり﹂などの言葉の反
か ん 〳〵﹂ は ﹁ あ だ に や 思 ふ た か て ん と 様 ﹂ な ど ︶、
に 変 更 が あ る も の の ︵﹁ 四 乳 か 八 乳 ﹂ は ﹁ 三 す じ が い と し 〳〵﹂、﹁ 引 ば な び
か ら わ か る 。﹁ 七 襲 東 雛 形 ﹂ で は ﹁ 座 頭 ﹂ も 上 演 さ れ て い る が 、 詞 章 の 細 部
か ら﹁ 花 の 山 ﹂ま で の 歌 詞 が 差 し 替 え ら れ て 上 演 さ れ て い る こ と が 長 唄 正 本
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ぶ し 小 哥 ﹂ の 鈴 木 万 里 が タ テ 唄 で お り 、こ の 独 吟 も 万 里 が 唄 っ た 可 能 性 が 考
郎 が 江 戸 で 踊 っ た 変 化 舞 踊 と 関 係 が あ る 。﹁ 春 駒 ﹂ は 、 半 四 郎 が 東 帰 し て 、
事殊外評よく
︵ 天 明 五 年 三 月 刊﹃ 役 者 百 ﹄︶と あ る
き つ い お て か ら 〳〵﹂
よ う に 、こ の 所 作 事 の 評 判 は 大 変 良 か っ た 。 ま ず 、各 曲 の 演 出 や 段 取 り を 見
鼓 う た ひ ﹂、﹁ 鳴 神 楽 ﹂、﹁ 打 出 し ﹂ 等 ︶。
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れ る 七 変 化 で 、﹁ 男 舞 ︵ 白 拍 子 ︶﹂﹁ 春 駒 ﹂﹁ 傾 城 ﹂﹁ 老 女 ﹂﹁ 座 頭 ﹂﹁ 切 禿 ﹂﹁ 石
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たか袖の﹂の歌い出
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で、 一 部 手 を 加 え な が ら も 同 じ よ う な 詞 章 を 用 い て 上 演 す る こ と が あ っ た
作 品 と 見 る べ き だ ろ う 。 し か し 、そ の 詞 章 自 体 は 江 戸 長 唄 の 面 影 が 見 ら れ る
と は 異 な り 、こ こ で は 万 里 は 浄 瑠 璃 を 語 っ た 可 能 性 が 高 く 、こ の 曲 も 浄 瑠 璃
点が注目される。
が 、﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂ の 三 曲 に も 同 様 の 受 容 を 確 認 す る こ と が で き る 。
な お ﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂ は 、同 外 題 で 同 年 七 月 二 十 六 日 よ り 京 四 條 北 側 西
三
天明七年九月大坂大西芝居﹁梅紅葉浪花丹前﹂︵正本︶
、珍 し く
り上げる。この作品は﹃
女の恋妬﹄の大切所作事として上演され
詞 章 入 り の 絵 尽 し が 出 版 さ れ た 。 表 紙 並 び に 詞 章 を 翻 刻 す る ︵︻ 翻 刻 二 ︼︶。
よ り 松 本 幸 四 郎 、岩 井 半 四 郎 両 人 に よ っ て 踊 ら れ た ﹁ 恋 闇 卯 月 の 楓 葉 ﹂ を 取
次 に 、﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂ と 同 じ く 大 坂 中 の 芝 居 に て 、 天 明 五 年 四 月 一 日
袖 ﹂ と を 一 日 替 り で 勤 め た 。﹁ 月 雪 花 寝 物 語 ﹂ を 引 用 し た ﹃ 歌 舞 伎 年 表 ﹄ に
役 割 番 付 に 拠 れ ば 、仲 蔵 は こ の ﹁ 梅 紅 葉 浪 花 丹 前 ﹂ と 椀 久 物 の ﹁ 廓 九 日 小
帖 ﹄ に 基 づ き 、 正 本 表 紙 、 口 上 、 詞 章 の 順 に 翻 刻 す る ︵︻ 翻 刻 三 ︼︶。
表 紙 と 詞 章 に 加 え て 、 仲 蔵 ︵ 秀 鶴 ︶ の 口 上 が 貼 り 込 ま れ て い る 。﹃ 許 多 脚 色
芝 居 に て 大 坂 御 名 残 と し て 演 じ た 丹 前 物 で あ る 。﹃ 許 多 脚 色 帖 ﹄ に は 正 本 の
こ の 作 品 は 、上 坂 し た 初 代 中 村 仲 蔵 が 天 明 七 年 九 月 十 五 日 よ り 大 坂 の 大 西
全 体 の 趣 向 は 長 唄 ﹁ 高 尾 さ ん げ ﹂︵ 延 享 元 年 春 江 戸 市 村 座 初 演 ︶ で 、 松 本
二
天明五年四月大坂中の芝居﹁恋闇卯月の楓葉﹂︵絵尽し︶
角大芝居にて、同じく岩井半四郎による大切所作事として上演されている。
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幸 四 郎 扮 す る 佐 々 木 六 角 が 高 尾 の 起 請 文 を 火 鉢 に く べ る と 、煙 の 中 か ら 岩 井
︵﹁ わ れ が す み か は ﹂ 以 下 、﹁ む ざ ん や た か を は よ の ひ と の ﹂ 以 下 な ど ︶。 ま た
内 容 で あ る 。 と り わ け 後 半 部 分 の 詞 章 は﹁ 高 尾 さ ん げ ﹂に 重 な る 箇 所 が 多 い
も
作 事 で も 勤 候 事 か 、臆 面 も な く ヤ ツ シ 役 い た し 候 こ と 、気 恥 し く 候 へ ど
大 坂 お 名 残 と し て 、難 波 の 色 男 椀 屋 久 兵 衛 を つ と め 候 。 敵 役 の 私 、所
も以下のようにある。
﹁ じ た い わ れ ら は ﹂か ら﹁ も の ぐ る ひ ﹂ま で は﹁ 一 人 椀 久 ﹂
︵ 四 季 の 椀 久 ︶に
仕候ところ、江戸なまりも一流ぞと、悪しざまに申され候御仁もなく、
﹁ 一 人 椀 久 ﹂ で は ﹁ み や こ の う ま れ ﹂ と し て お り 、﹁ 娘 道 成 寺 ﹂ の 場 合 と 同
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見 せ 、次 に 和 か な る 椀 久 を い た さ ん ハ 、何 程 か 見 よ か ら ん と 其 の や う に
連 名 に は 、鈴 木 万 里 を 含 め 六 名 が 確 認 さ れ る が 、三 弦 の 市 山 太 治 郎 と 上 調 子
が 挿 入 さ れ た 作 品 で あ っ た こ と が わ か る 。 と こ ろ が 、庵 に 囲 ま れ た 演 奏 者 の
以 上 、詞 章 を 確 認 す る と 、こ の 曲 は 部 分 的 に 江 戸 で 上 演 さ れ た 長 唄 の 歌 詞
ど ん ︵ 生 野 暮 薄 鈍 ︶﹂ の 歌 詞 が こ の ﹁ 梅 紅 葉 浪 花 丹 前 ﹂ に も 見 ら れ る こ と は
﹁積恋雪関扉﹂の関兵衛を勤めたが、関兵衛の踊りに出てくる﹁きやぼうす
知 ら れ る 。 詞 章 に 着 目 す る と 、仲 蔵 は 天 明 四 年 十 一 月 江 戸 桐 座 で 上 演 さ れ た
た 口 上 に 拠 れ ば 、估 太 郎 の 古 風 な 丹 前 に 志 賀 山 の 奴 所 作 を 合 わ せ た 内 容 と も
難 波 の 椀 久 と 対 比 さ せ て 、赤 面 に て 江 戸 の 丹 前 を 見 せ た こ と が わ か る 。 ま
の 中 村 估 太 郎 は 共 に 役 者 で あ る ほ か︵ 演 奏 者 連 名 に あ る 紋 も 座 本 估 太 郎 の
興 味 深 い 。 ま た﹁ そ の ふ う ぞ く に
似 た り に ま し た よ さ て 〳〵な
くわんく
様、東西の上演時に際しての歌詞の書き換えが施されている。
方 な く 、伝 九 郎 一 流 の 丹 前 赤 つ ら 奴 に て 、ス ツ キ リ と し た 江 戸 者 を
同 じ 歌 詞 が 見 ら れ 、最 後 の ﹁ あ わ れ み た ま へ
わがうきみ
かたるもなみだ
なりけらし﹂は、宝暦十二年四月江戸市村座初演﹁柳雛諸鳥 ﹂の﹁鷺娘﹂
始終一日替りに勤め候。
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の 段 切 の 歌 詞 と 同 じ で あ る 。﹁ じ た い わ れ ら は あ づ ま の う ま れ ﹂ の 箇 所 は 、
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半 四 郎 扮 す る 高 尾 が 現 れ 、六 角 と 様 々 に 戯 れ 、最 後 は い づ く と も な く 消 え る
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紋 ︶、鈴 木 万 里 の 肩 書 に は ﹁ 太 夫 ﹂ と あ る 。 す な わ ち 前 作 ﹁ 七 変 化 七 艸 拍 子 ﹂
︵八十七︶
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は つ く わ れ い な い で た ち ﹂の 歌 詞 は 、後 に 江 戸 で 上 演 さ れ た 長 唄﹁ 供 奴 ﹂
︵文
︵八十八︶
史料の翻刻に関し、掲載許可を賜った関係諸機関に謝意を捧げる。
︹付記︺
政 十 一 年 三 月 中 村 座﹁ 拙 筆 力 七 以 呂 波 ﹂の う ち ︶に 同 じ 詞 章 が 見 え る 。 こ の
松崎仁﹁東西の交流﹂︵鳥越文蔵他編﹃岩波講座
歌舞伎・文楽﹄第二巻︵歌舞伎の歴
史I︶、岩波書店、一九九七年、二四五∼二四六頁︶参照。
注
奨励費︶による研究成果の一部である。
本 稿 は 、平 成 二 十 六 ∼ 二 十 八 年 度 日 本 学 術 振 興 会 科 学 研 究 費 ︵ 特 別 研 究 員
惣︵三味線︶という二人であった。
こ の ﹁ 梅 紅 葉 浪 花 丹 前 ﹂ は そ の 後 、内 題 角 書 の ﹁ 一 代 奴 ﹂ と い う 曲 名 で 上
方 に 伝 承 さ れ て い っ た 可 能 性 が あ る 。﹃ 摂 陽 奇 観 ﹄ に は 文 化 元 年 の 大 坂 に お
い て 、江 戸 長 唄 の 浸 透 を 示 す 記 事 が あ る が 、そ こ に 掲 出 さ れ た 二 十 三 曲 の 長
唄 の 中 に﹁ 一 代 奴 ﹂が あ る 。 ま た 天 保 年 中 刊 と 考 え ら れ て い る 上 方 の 長 唄 見
立 番 付﹁ 江 戸 長 歌 稽 古 本
外 題 見 立 相 撲 ﹂の 中 に も 前 頭 の 位 置 に﹁ 一 代 や つ
こ﹂が見える。
むすびに
詞章付き史料の登場や長唄呼称の定着など、宝暦期以降の上方の江戸化の方向性につ
いては、拙稿﹁歌舞伎囃子方の東西交流︱宝暦期から天明期にかけて︱﹂
︵
﹃日本伝統
音楽研究﹄第一〇号、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター、二〇一三年、一
∼二一頁︶参照。
﹃許多脚色帖﹄役割番付に﹁なゝばけなゝくさひやうし﹂の傍訓がある︵﹃日本庶民文
化史料集成﹄第十四巻、三七五頁[十一︲ ]
︶
。
渥美清太郎編著﹃日本戯曲全集﹄第四十七巻、春陽堂、一九三三年、三九∼五八頁。
国立国会図書館蔵﹃傾城睦月の陣立﹄[八二四︲一]。翻刻にあたっては、旧字・異体
字等は新字または通行の字体に改めた︵以下同︶。なお、台詞と台詞にかかるト書きは
﹄[貴重書
774・3︲Y164︲ ]。
適宜[]にて略した。二重傍線部は七変化の各曲、傍線部は音楽演出に関わる箇所。
東京藝術大学附属図書館蔵﹃役者白
82
︲2973]。
早稲田大学演劇博物館蔵顔見世番付[ロ︲ ︲ ︲ ]。タテ三味線は中村文蔵。
古井戸秀夫氏は﹁すこぶる単純な演出の繰り返し﹂と見る︵﹃歌舞伎
問いかけの文
国立音楽大学附属図書館竹内道敬寄託文庫蔵﹁七襲東雛形﹂長唄正本[
学﹄、一九九八年、ぺりかん社、三六〇∼三六二頁︶。
1
以 上 、宝 暦 以 降 、次 第 に 多 く な る 上 方 の 大 切 所 作 事 の 中 か ら 、詞 章 付 き 史
料 の あ る も の を 中 心 に そ の 内 容 を 吟 味 し て き た 。所 演 が 具 体 的 に 確 認 で き る
1
さらに寛政四年四月河原崎座﹁杜若七重の染衣﹂の中で﹁座頭﹂は再演されている。
日吉小三八家蔵﹁杜若七種の染衣﹂長唄正本。
が出ている。
﹁七襲東雛形﹂の﹁春駒﹂は大当りし、後に﹁門出新春駒﹂という曲名で、単独に正本
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上 演 は 、こ の 他 に も 、た と え ば 天 明 四 年 九 月 二 十 四 日 か ら 大 坂 角 の 芝 居 に て
﹃洛陽見物左衛門﹄の大切所作事として、四代目市川団蔵によって上演され
た ﹁ 恋 渡 縁 石 橋 ﹂ な ど が あ る 。 絵 尽 し に 囃 子 方 連 名 の ほ か 、詞 章 、踊 り の 所
作 、衣 裳 の 詳 細 が 記 載 さ れ た こ と で 知 ら れ る が 、そ の 詞 章 を 確 認 す る と 、宝
暦 四 年 三 月 江 戸 中 村 座 で 初 代 中 村 富 十 郎 が 演 じ た﹁ 英 執 着 獅 子 ﹂と 全 く 同 じ
で 、富 十 郎 の 門 下 で あ る 団 蔵 が 師 の そ れ を 上 方 で 演 じ た も の と わ か る 。 こ の
ることができる。そして上方の上演に際
よ う に 上 方 で 演 じ ら れ た 大 切 所 作 事 の 詞 章 か ら は 、江 戸 で の 関 係 所 作 事 と の
関 連 が 確 認 さ れ 、影 響 を 具 体 的 に
し て は 、江 戸 に 縁 の 囃 子 方 の 存 在 が 目 に 留 ま る 。 こ こ で は 鈴 木 万 里 や 湖 出 市
十 郎 、錦 屋 多 惣 が 地 方 を 勤 め て い た が 、江 戸 の 所 作 事 が 上 方 に て 上 演 さ れ 定
着してゆく背景には、こうした囃子方の存在が大きかったことが窺われる。
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この他、台詞に詳しい台帳、調弦や合方を明記する長唄正本といった、それぞれの史
料の性格に即した違いも認められる。
︵長唄正本研究335︶︵﹃邦楽の友﹄、二〇一〇年七月号、三六頁︶。な
﹁七襲東雛形﹂
おめりやす﹁東金﹂
︵宝暦九年刊﹃哥 集﹄所収︶にも﹁東金の茂右衛門女房はよい女
房﹂という詞章がある。
日吉小三八家蔵﹁三扇雲井月﹂長唄正本。
実践女子大学図書館蔵役割番付。曲名は定かでない。
﹃許多脚色帖﹄の役割番付に﹁大切
けいこと所作事
恋闇卯月の楓葉﹂とある︵﹃日
本庶民文化史料集成﹄第十四巻、三七六頁[十一︲ ]
︶
。
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る が 、こ の 曲 を 演 奏 し た タ テ は 、江 戸 に 縁 の あ る 湖 出 市 十 郎 ︵ 唄 ︶ と 錦 屋 多
よ う に﹁ 梅 紅 葉 浪 花 丹 前 ﹂の 詞 章 か ら も 江 戸 で の 上 演 と の 関 わ り が 読 み 取 れ
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国立音楽大学附属図書館竹内道敬寄託文庫蔵︵藤根道雄旧蔵︶絵尽し﹁恋闇卯月の楓
葉﹂[ ︲1022]。この他、京都府立総合資料館にも所蔵を確認する。
﹁高尾さんげの段﹂︵松和文庫︶︵﹃長唄原本集成﹄巻一、長唄原本集成刊行会、一九三七
年︶。
39
日吉小三八家蔵﹁四季の椀久﹂長唄稽古本。なお、﹁一人椀久﹂は稽古本のみが知ら
れ、初演の上演年月が定かでない︵植田隆之助執筆﹁一人椀久﹂︵﹃日本音楽大事典﹄、
九七七頁︶︶。
日吉小三八家蔵﹁柳雛諸鳥 ﹂長唄正本。
京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター伝音アーカイブス﹁正本を読む会# 鈴
http://denon805.exblog.
。
jp/5763621/
]︶。
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木万里出演﹁恋闇卯月の楓葉﹂﹂︵竹内有一主催勉強会︶参照
﹃日本庶民文化史料集成﹄第十四巻、三九九頁[十二︲ 、 ]。
﹃許多脚色帖﹄役割番付︵﹃日本庶民文化史料集成﹄第十四巻、三九八頁[十二︲
伊原敏郎﹃歌舞伎年表﹄第五巻、岩波書店、一九六〇年、五六∼五七頁。
38
この時期の囃子方の東西往来については、注 拙稿参照。
浜松歌国﹃摂陽奇観﹄巻之四十四︵船越政一郎編﹃浪速叢書﹄第六、浪速叢書刊行会、
一九二九年、三二四∼三二五頁︶。
中内蝶二、田村西男編﹃常磐津全集﹄、日本音曲全集刊行会、一九二七年、二〇六頁。
日吉小三八家蔵﹁拙筆力七以呂波﹂長唄正本。
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前田勇編﹃上方演芸辞典﹄、東京堂出版、一九六六年、八八頁。なおこの﹁江戸長歌稽
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古本
外題見立相撲﹂には長唄九十四曲が見える。
﹃許多脚色帖﹄︵﹃日本庶民文化史料集成﹄第
﹃歌舞伎図説﹄、二九一頁[図二七九]や、
十四巻、三六九∼三七〇頁[十一︲ ∼ ]︶参照。なお﹁恋渡縁石橋﹂の詞章の翻刻
51
ある。
と検討は、井浦芳信﹃日本演劇史﹄︵至文堂、一九六三年、一四六三∼一四七四頁︶に
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﹁英執着獅子﹂︵安田文庫︶︵﹃長唄原本集成﹄巻二、長唄原本集成刊行会、一九三七年︶。
︻翻刻一︼天明五年正月大坂中の芝居﹁七変化七艸拍子﹂︵台帳︶
傾城睦月の陣立
五
室町館
傾城正月陣立
大切
一
桜井主水
綱七
一
奥村金吾
才蔵
一
黒塚軍内
正蔵
一
大垣伴蔵
友三郎
造り物
東江引付て高ふたい
向ふ無地金 見須一めんに懸
一
浪島甲次郎
助十郎
一
高崎兵部
蔦右衛門
一
大矢野亡魂
半四郎
一
組子
四人
て奥病口の長廊下
真中西よりに大つい立
まくの内より蔦右
衛門助十郎
いせう長上下
友三
正蔵
才蔵
綱七
いせう
上下にてなみよくならぶ
太鼓うたひにて
まくひらく
[台詞]
つな才
イサ
御出仕あられ升ふ
鳴神楽に成る
助十郎
蔦右衛門
才蔵
つれ立入
友三
ト
正蔵残り
[台詞]
友
そふじやムれい
と ろ 〳〵 に て
両人
向ふへ行ふとして気ぬけのやうにな
ト
る鳴もの入にて
半四郎ゑぼしすいかんにて
うしろに御
へいをさし
男舞子の形りにて
花道より出る
花道の処
︵八十九︶
前島美保 江戸中期上方の大切所作事考
134
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20 19
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30
にて宜しく留り
[台詞]
半
山の色
音羽あらしの花の雪
ふかき晴間を人やしる
是より男舞
色々有て
一めんにみす上る
三味せんなら
ト
ぶ
たのしかりける花の小平
錦咲おもしろし
そ よ 〳〵 の 風 に さ
そはれ咲やさくらのかわゆらし
恋しき君にさんせたい
なア
雛鳥の春日の月をのるしほらしや
四季をかなへるそのたわむれ
時は春立花盛り
花にまさりし風俗は
いとしらしさのますおは
な
猶うき立や袖の色
うつらい安き人心
こ れ 思 へ は 〳〵 春 の
夜の
夢斗りなる手枕に
う つ ら 〳〵 の お ほ ろ 月
しのぶの夢の
しめうらむ
にくうないもの
ヲヽほんに
事におもしろのひめ
桜
ひらけばひらく三つあふぎ
はなの浪花にさきそめて
いづ
れながめや増るらん
ト
ど ろ 〳〵に て
春駒に成る
嬉し目出たの
春駒見事にかざり立
門 出 よ し 〳〵
ヲヽ
又さ
ん し や へ そ れ 〳〵〳〵
おつくら馬にふとんかさねて
あやにし
きじや
金らんびろふと
しゆすひゆしゆす
ふとんはりしや小
せうをのせて
うとふ小哥のおもしろさ
うらゝかに
そのふ花
のはるこまは
夢に見てさへよいとの初はるの
恵方参りは皆伊
勢参り
さんぐう道はむれくる白さぎ
なんどのの舞まふやふに
ち ら り 〳〵と 菅 笠 き つ れ て
四方の花笠
ト
是よりおどりに成り
こき紅のたて小袖
見せる角袖古風もあれは
今風にちんちりめ
んのかゝへ帯後てとてあれは
恋の重荷かやきせん男女の
心は
いかに花の山
ト
是よりよろしきおとり
︵九十︶
つ な き と め た る 〳〵
岩井の春駒が
諌めど木の末の花立ひらり
ひ ら く 〳〵 扨 も 春 陽 東 よ り 来 て
雨じやムらぬ
て ん 〳〵 天 気 の
日照りがさ
お し か け よ い 〳〵〳〵〳〵
見せかけアイヤ
〳〵〳〵〳〵
是のお庭へみているはね馬
春駒花かさへひらい
た 〳〵
ひ ら く 〳〵
幾千代かけていさむ春駒
と ろ 〳〵 に て 消 る
是より大小入のおもしろき相方に成り
ト
い ろ 〳〵有 て
両人起上り
[台詞]
と ろ 〳〵に て
半四郎
傾城の形りにて
床几にこしかけ
ト
文を見て
いる処をせり上る
はてしも知らぬうき勤
冬 草 の 上 に ふ り し 〳〵 白 雪 も
一入
〳〵 か わ ゆ ら し と は い へ
もはや夜半になれる
見へぬはどうぞ
いな
ふ時斗り引寄て
誠すくなき男気の
ないてわかれは心
も済ず
たはこ呑でもきせるより
のどがとふらん薄けむり
よ
そへなびくもみんな男ゆへ
けふわ東の人の月
あすはわが身の
うその花
アヽ扨うたてのじやば世界
ト
是より独吟に成り
川竹の
夜ごとにかわる仇枕
とふした縁ぞわしやうれし
おま
へはとふやらいやそふな
本にそふした気偽て白ぎくの
同じな
がれのその中に
外の客衆もすて小舟
ねやの障子のおもかけも
れて
もれてうきなのながれて末は
ついのよるへの君
別れの
鐘のたはこほん
きせるに科はあるまいし
それでとけたる氷り
みづ
[台詞]
と ろ 〳〵 に て
両人せり合
真中へ
半四郎
老女にてせ
ト
り上る
133
両人
ヤアコリヤ何じや
白なみや
たゞよふ水の鏡山
夢かうつゝか定めなき
思ひか
けなきつくも髪
我身うるさし人目はづかしおもかけの
かわら
で 年 の つ も れ か 〳〵
たとい命に限りあり共
誰云問ねど関守り
の
と わ れ ん 身 に 〳〵 木 が ら し の
はては落葉の夕日影
洛中洛
外町々を
只何となく立出て
花かうぞへよ人々よ
ものたへの
旅人
ちつとたへの旅人
あなたへさらり
こなたへさらり
こ
な た へ さ ら り さらり
半
ホー
旅人何ぞたべるかヤヤ
そんなら宮のおとりか
待身なりやこそ畳ざん
忍ぶ其夜のいさ
くれは実そふでこんすかへ
たそや此夜中に
さいたる門叩くと
も
よも明けし雲のせうぞくなければ
千夢は恋のならわせなり
りにて
い ろ 〳〵 し て き ゆ る
相かたに
ト
両人切りかゝる
心付て声かわりけしかゝる
見 ゆ れ ば す ご 〳〵 と
関守のいおり
にかへるありさま
山田の影のかゞし夜の
友
合点の行ぬ白髪ばゞ
正
正体をあらわはせ
両人かゝる
立
ト
なる
[台詞]
と ろ 〳〵に て
半四郎
座頭になり出る
ト
たか袖の
引ばなびかんかわゆらしやの
しめてねた夜は四乳
か八乳
われらかやふなむくつけか
引 ば な び か ん 〳〵
天より
ばちがあたつて君故すとんとはまつたら
おらも深みへおはまり
申たふ
よ の 色 に や 目 の な い 座 頭 の 坊 〳〵
さ ぐ り 〳〵〳〵 つ た
行当つた
跡 へ ひ よ つ く り 〳〵ひ や う
さ ぐ り 〳〵〳〵〳〵 つ て
行当りて
跡 へ ひ よ く り 〳〵〳〵ひ や う
ひ よ つ く り ひ よ 〳〵
ひ
よ く り 〳〵〳〵 ひ よ つ と
しのふ夜もつらや
伺をたよりに来た
りけり
[台詞]
半
岩部と成て
腰 か ら 肩 カ ウ 〳〵〳〵
もみかけて
ト
是より相方に成り
い ろ 〳〵あ ん ま 取 事 こ な し
友
コリヤとてもの事に
足 カ 〳〵
半
合 点 じ や 〳〵
ト
是より又
四
あ ん ま い ろ 〳〵有 て
ホウえらい物じや
友
今のりやうしでかたもこしも
や わ 〳〵 ぼ じ や
〳〵
アノ
それはきついめい人じや
定めて三味せんも上手であろ
ふ
半 イ ヱ 〳〵
三味せんはきつい不調法
三味せんは私が師せうか
きつ
い上手でムつたはいナア
友
聞 た い 〳〵
浪花りさんが引手はかれて
ばちもとつたて引やらん
さつても
上手な曲ばちうちばち
はね撥打ばち
はねばちとてん
〳〵〳〵〳〵○
てんとならせはとへんへひゞく
とてんとならせはとへんへひゞ
く
さつても上手な曲ばち
ある時は町やおやしき
月待日待に
ひいてうたれてわれなから
我身なからもおもしろや
とふ金の
文鎮の茂左衛門が
サ ア 〳〵
き く 〳〵 嫁 を 三 人 持 た か
中のヱ
ノ ヱ 、三 人 め ナ ア
中の嫁コサ
おれに三味せん引とはなんのこつ
ちやへ
罪もめつするわざなれば
この世は我もくらくとも
来
世はやみもはれなんと
花もろともに君の顔ばせ
見たいもの
〳〵 し ん そ ぞ つ と し た
君の顔ばせ見たいもの
しんそそつとし
た う か れ 〳〵座 頭 の 坊
ト
と ろ 〳〵に て
半四郎消る
友三思ひ入
︵九十一︶
前島美保 江戸中期上方の大切所作事考
132
[台詞]
正蔵
友三
介十郎にかゝり
と と ろ 〳〵 に 成 り
皆々ウ
ト
ントこける
と三番そうの相かたにて
半四郎
切禿の形り
にて
からくり台にてのり
せり出す
とかく子供達は
いたいけがよいものじや
はらゝとほろゝ
ほ
ろゝとはらゝ目さへさむれば
て う ち 〳〵
あ ば ゞ か む り 〳〵
駒取
雀の小鳥
その尾にとりつき
塩 の 目 つ む り て ん 〳〵 や
太 郎 松 米 松 だ ん 〳〵 大 助
ひつつき取付
さほどならんでぬふて
ふ鳥の
花 に は き り 〳〵〳〵
や つ き り 〳〵と
遊ふ取なりいたづ
らや
ま つ れ 〳〵
ち ん か ら こ 〳〵
こゝ ムれ手車に乗て
あ
りやおきやがりこぼし
犬張子
猿の角力は上りたり下りたり
ヱ イ 〳〵〳〵〳〵
いかなるわるささかりも
こつちや町へムれの
は つ て 〳〵 は り 人 形
金平段平坂田猿主さまが
三千ぶらりとな
下つて
俵 こ ろ ひ や こ ろ び や 〳〵
やつころりとのめらさんすわ
ヲ ヽ や れ 〳〵
扨もナア
ヲ ヽ や れ 〳〵
扨もナ
枝わ すぞし
ほらしや
小猿めが枝にたわむれ遊ぶ
鷲にとらるゝ夢を見た
守りをかけさへよけれども
わしにとらるゝ夢を見た
守りをか
︵九十二︶
つた
ハテ合点の行ぬ
さ ま 〳〵 に 姿 を か へ る は
正しく変化のせふけ
そち達は心を付て
正体を見届い
殿をとり逃すな
[台詞]
橋懸りより
もへき半てんにて出る
友三郎
正蔵も
も
ト
へきの半てんに成り
つた
奥へふん込
義
にて
出る
島 の 松 風 と ふ 〳〵た ら り
島 の 松 風 と ふ 〳〵た ら り
牡丹の花房匂
組
ハア
み な 〳〵 行 ふ と す る
ト
と ろ 〳〵 に て た じ ろ く
半四郎
石橋なり
ひ の み ち 〳〵
谷深くして山々ひゞく
乱れ咲たる牡丹花に
子子子子子のあらわれて
子子子て仇を恨の一ねん
誠におん敵て
ふ敵討亡して
納る御代の神風や
実も目出たく四季のことぶき
此間に
舞台先へ
牡丹の花見事に出る
組子を相手に
ト
半四郎大立
此中へ蔦右衛門を
れんり引の心にて引付る
蔦 右 衛 門 い ろ 〳〵 な や ま さ る ゝ も や う の 内
半四郎はたを
取 と ゞ 組 子 を み な 〳〵 引 付 る く み 子 み な 〳〵
山のか
獅々の見へ宜敷あつて
半
先鉾の御旗
おわたし申まふ
助 ヱヽ忝い
大矢野が亡魂猫と化して
うばわれし御旗をとりかへす
そ
の上
たちに成り
此上へ半四郎上り
蔦右衛門か御旗をばひかへす
加茂のけいばのひざ栗毛
赤 貝 に 〳〵 し ん く の 手 綱 の 鐙 を か け て
に け ど ん 〳〵
よけつかへしつはい
ト
是より
せめの拍子事
と り 〳〵有 て
けさへよけれ共
かけて参らそぬしさまへ
是よりせめになる
ト
いさむ事
足音土手馬場先桜のばゝ
な み 打 き わ に 〳〵
ざんぶ
と よ せ て は よ い 〳〵〳〵
ざ ん ぶ と よ せ て は よ い 〳〵
いさむ足は
おもしろや
ト
打出し
半
目 出 た い 〳〵
蔦右衛門
それをとかゝる
立 りにて
どつこいと留る
ト
口上出る
もはや日もばんけいに及びましたれば
先今日
ト
は是切り
ト
是よりかつこに成る
い ろ 〳〵 に て
半四郎きへる
蔦右
衛門
正蔵
友三郎おき上る
131
幕
︻翻刻二︼天明五年四月大坂中の芝居﹁恋闇卯月の楓葉﹂︵絵尽し︶
恋 闇 卯月の楓葉
座本
中村估太郎
︵紋︶太夫
鈴木万里
三弦
市山太治郎
小つゝみ
八木重兵衛
ワキ
三舛長二郎
上調子
中村估太郎
大つゝみ
小林重右衛門
なつかしやいもせの中のうらみごと
なごりおしかのいのちげも
きの
ふのつゆとはかなくも
きへて此よになきつまの
むねにおもひのけふり
とは
尾が立姿
かうのかほりにひかれくる
ありし高
うらみもこひものこりねの
もしや心のかはりやせんと
思ふうたがい
はらさんための
せいしをばなぜにけふりとなし給ふ
うらめしや
[さゝ木六角
けいせい高をがきせうを火はちにくべ
高おがあらわれ
しゆへ
たはむれ給ふ
松本幸四郎
大でき]
[け い せ い た か を
すがたをあらわし
とのをなぐさめ
是よりいろ
〳〵す が た を か へ
あくにんともをなやます
岩井半四郎
大でき]
あさいこゝろとしらいとの
そめてくやしきなれごろも
かぜにやなぎ
のふくまゝに
まかせるはづのつとめじやとても
いやなきやくにもひよ
くごさ
おもふおとこは山どりの
おろのかゞみのかげをだに
見ぬめに
くもるうす月夜
ねやのしやうじのおもかげもれて
もれてうきなのなが
れてすへは
ついのよるせのなみまくら
かはるまいぞやかはらじと
ふ
でにちかいの神かけて
すみとすゞりのこひなかを
たが水さしてぬれぎ
ぬの
せめてみらいはもろともに
はちすのうてなにふたりねの
ちかひ
をたのむきしやうをば
けふりとなしてのちのよは
そはぬこゝろかどう
よくと
うらみなげくぞどうりなる
じたいわれらはあづまのうまれ
いろにそやされこんななりになられた
てんちけんこんこんどの身ぶん
みごとなさけはおほけれど
きいてひつ
くりなる三ばい
の ん だ さ か づ き つ い 〳〵の
ついさけにあかさぬよはも
なし
それがこうじてものぐるひ
われがすみかはくさばにすだく
つゆをまくらにさはらはおちよ
なひ
てよごとのつまほしそふに
とのご恋しきはたをりむしよ
ひるはものう
きくさのうへ
[さゝ木六かく
かねをならし
たかをとおどり給ふ
松本幸四郎
大
でき]
[けいせいたかを
六かくをなぐさめる
岩井半四郎
大 あ た り 〳〵]
むざんやたかをはよのひとの
おもひをかけしなみだのあめの
はら
〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵は ら り 〳〵と ふ り し き つ て
みにしみたへてこかけに
よれば
やいばのせめのぼんのふの
いぬのむらがりてきばをならしてと
ひかゝり
こはなさけなやごわうのからす
はしをならしまひさがり
ま
なこをぬかんととびめぐり
あわれみたまへわがうきみ
かたるもなみだ
なりけらし
[さゝ木六かく
うかれ給ふ
松本幸四郎]
[たかを
たわむれる
岩井半四郎]
︻翻刻三︼天明七年九月大坂大西芝居﹁梅紅葉浪花丹前﹂︵正本︶
紅葉浪花丹前
後日
座本中村座
梅
文千代のお梅
中村估太郎
奴江戸平
中村仲蔵
相勤申候
長歌
湖出市十郎
中村嘉七
岩橋利助
中村清蔵
三弦
錦屋多惣
嵐文四郎
西川与八
錦屋太吉
笛
和田新蔵
小鼓
坂巻氏吉
大鼓
瀬山七之助
太鼓
八木伊三良
絵師
鳥居清秀画
︵九十三︶
前島美保 江戸中期上方の大切所作事考
130
春は一流の三番
に寿き
此秋のわん久まつ山と草子の古き都をしたひ
估太郎丹前のいにしへに
一代奴は志賀山の所作ふりをむすひて
一座
のすゝめにまかせるも
一年の興行目出度舞納る
誠に難波の御ひゐきを
仰にて
こひ風とおもはんせ
︵九十四︶
心もくもるむねの
ヲ ヽそ れ 〳〵〳〵そ れ ま こ と 〳〵
月のよにござんせ
やみ
つ ま が へ さ ん つ ま が へ さ ん 〳〵
かんならず ヱヽ
そ れ そ れ 〳〵 そ れ ま こ と 〳〵
こひ風と思はんせ
おもしろや 合
ヲヽ
こ ひ は さ ま 〴〵有 る 中 に も
わけもこひぢはあふこひまつこひ忍ぶこひ
御取立に
四季の扇の
舞納め
松竹亭
秀鶴
わがこひはかならすこよひはがつてんか
が つ て ん 〳〵
そなたもかつて
んわれらもがつてん
あいつのてくだはのみこんだ
ゑ い 〳〵や つ と も 手
一代奴
を う ち い さ み い さ ん で く る は 大 よ せ 。 ふ れ 〳〵ふ り こ め さ
おさきをそろ
へてこれはとさ
ありやんりやゝこりやんりやゝ
いさんでさ
すゝんで
さ
きやうれつそろへてぼつたてろ
ゆくもやれ
さて通ふもしのぶのみ
たれ風が
ふくやらこひ風が
つ れ 〳〵さ つ さ お ち よ も の
さつさわかさ
梅紅葉浪花丹前
一
代女
むかしを今に見るごとく
むかしを今にみゑの帯
われもむかしのそのふ
うぞくに
似 た か に ま し た よ さ て 〳〵な
くわんくはつくわれいないでた
ち
すいせんの
花のすがたやわかしゆぶり
おなごなりけりむろのむ
め。 あらおもしろのけしきかな
山もいろめく花もみぢ
ち ら 〳〵そ で に
し や り 〳〵
ひなのやつこの
さしてしこなすさとがよひ
やつこのこ
の 〳〵あ か つ つ ら
ちやぶくろづきんのはながよく
にしがァしをそめら
んとこぎりめに
帯引しめてとゝんどどつこい
とゝんどどつこい
との
様 〳〵と の 様 ご と し よ
ながいかたなにながわきざしを
十もんじにほん
けにこひはくせもの
やこはいつもにぎはふ
お せ や も ま る ゝ も ま れ て 〳〵
なにはの水のすいもあまいもめだかの町中
見 物 様 の な し み な さ け の 御 ひ い き 〳〵
大木戸鼠木戸押合へし合
花のみ
はかまのまちやもみうらもみたしの
大 つ ゞ み は し い て う 〳〵〳〵〳〵
しちよちよんちよちよん
や く ら だ い こ は て ん 〳〵 が ら 〳〵 て ん か ら 〳〵
にもまるゝ
も ま れ て 〳〵も ま る ゝ
との様のもみぢがさはしかのかはに
もまるゝ
ま り や ゆ か け や き や は ん 〳〵
かはぎやはんはいてもまるゝ
し ゆ す の お び 〳〵 き り ゝ と し や ん と 〳〵
むすびしめたよやれさてのふ
花はこゝのへ。 しんたから
いとべにもまるゝ
うぢのさらしはたつなみ
との
花 と な が め ん ゑ い や ら さ ら さ 〳〵
とゝんどとんと
此身をなげか
けゆりかけ
しとゝんとんしとゝん
しだれやなぎのほつそりすはり
黒
〳〵か き の れ ん の
いろ様たちや
あだしやつこと
ばんにござらばまど
からござれ
まどはひろかれ
お ふ や れ や れ 〳〵さ い た と さ
おふやれや
そ で に ち ら 〳〵 ち る も み ぢ
なさけもあらは
ちよつと一筆かきもみぢ
まいらせらべく候かと
もしやお心こゝろ
心かはらばわしやうすもみぢ
おとこでたちのいたづらふうに
し や ん 〳〵し や
れ 〳〵 さ い た と さ
きみにあいたくば
ふ り こ め 〳〵 よ ん や さ
まいに
ちそふしてかよはんせ
さりとはへどふじやいな
まいにちそふしてかよ
はんせ
きやぼう
さりとはへどふじやいな
わするゝひまないわいな
すどん
せうなしてなしのくせとしてわるじやれい
ふたり大つらしうち
がにくらしい
そ で に そ よ 〳〵ふ く か ぜ
どふいふりくつかきがしれぬ
をこひ風と思はんせ
心もくもるむね
ヲ ヽそ れ そ れ 〳〵そ れ ま こ と 〳〵
月のよにござんせ
のやみ
つ ま が へ さ ん つ ま が へ さ ん 〳〵
かんならず ヱヽ
129
Kamigata Kabuki Dance in the Late 18th Centur y:
An Analysis of Kabuki Scripts and Song Lyrics
MAESHIMA Miho
The purpose of this paper is to transliterate scripts and song lyrics (sh hon, ezukushi, and daich ) of
Kamigata kabuki dance, to compar e Kamigata kabuki per for mance to Edo, and to analyze the way of
reception of Edo kabuki in the late 18 th centur y (from Hōreki to Tenmei eras: 1751-1788). My analysis showed
that song lyrics of kabuki dance in Kamigata were due to the influence of the per formance in Edo and some
musicians originally fr om Edo became to per for m r eplays of Edo kabuki dance even in Kamigata. In
concluding, I should note that Edo musicians gradually began to play an impor tant role in Kamigata in this
time.
Keywords: Kamigata (Kyoto and Osaka), Kabuki dance, Edo period, Cultural exchange between Kamigata and
Edo, Kabuki musicians
︵九十五︶
128
前島美保 江戸中期上方の大切所作事考