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復興のパイオニア(復興女子編)
片山春美さん(ふくしま連携復興センター)
 活動内容
ふくしま連携復興センターで運営している各事業の中のひとつの、
「ふくしまの今とつながる相談室toiro」(県の委託事業で、県外に避
難されている方々のための相談窓口)で電話相談に応じています。
また、県外避難者の方々に福島の現状を知っていただく取組みと
して、福島の人材を交流会等に派遣する事業や県内の情報をまと
めた冊子「color」の制作にも関わりました。
 活動を始めたきっかけ
震災後、放射線に対する健康不安から、幼い子ども4人を連れ鳥
取県へ母子避難をしました。避難直後から交流会等を通じ、避難者
の方々とのネットワークを広げ、お互いに信頼関係を築き支え合い
避難生活を共にする中、平成24年12月より、とっとり震災支援連絡
協議会の支援コーディネーター(鳥取県の委託事業)として鳥取県
内全域の避難者支援業務に携わってきました。平成27年春、父が
病のため急遽帰還を決意しましたが、まだまだ終わりの見えない現
状ゆえに志半ばで帰還することへの葛藤が日々続いていました。こ
れまで自分を支えてくれた同じ境遇である避難者の方々、多大なる
ご支援をいただいた皆様に対する感謝の気持ちが最大の原動力と
なり、福島から何か力になれることを続けていきたいという強い想
いで、平成27年3月11日にこの事業に応募しました。
「colorの制作では、3カ月かけて色々な団体を
取材しました。」と活動を振り返る片山さん
福島市にある「ふくしま連携復興センター」の
事務所
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
 復興庁について
当事者、支援者の声を真摯に受け止め、国と福島県が一体とな
り主導となり、本当に必要な支援をきちんと反映していただきたい
と強く願っています。
ふくしま連携復興センターは、様々な支援NPOの調整役(中間支援)の組
織です。復興庁は「被災者支援コーディネート事業」によりふくしま連携復興
センターを通じてNPOの取組みを支援させていただいています。
広域避難者支援のメンバ―同士で打合せをする
(右から)片山さん、安齋さん、佐藤さん
で制作された冊子「 color
」
toiro
の表紙
最近は帰還を考えている方から住宅の相談が多く、また、長期
避難による経済的負担が限界に至っているケースも少なくありま
せん。家庭不和による行き所の無い悩みや避難先あるいは帰還
後の人間関係に不安を抱いている方等、相談は多岐に渡ってい
ます。長期避難により身も心も疲れ果てている方からの相談も時
間の経過と共に増えており、少しでも心が軽くなるようなお手伝い
ができればと思っています。
また、福島に戻って感じたことは、県外に福島の情報が十分に
行き届いていないということです。toiroの活動を通し、県内県外共
に正しい情報を共有し、相互理解を深め良好な関係が創り出せる
よう努めていきたいと思っています。
今後、どのような選択をされても、みなさんが笑顔になれる日が
1日も早く訪れますよう心から願っています。
復興のパイオニア(復興女子編)
廣畑裕子さん(小高を応援する会 3B+1)
 活動内容
南相馬市小高区を訪れた方々に気軽に交流してもらう居場所
「おだかぷらっとほーむ」を運営しています。また、小高の今を伝え
るためにWEB発信や情報誌「おだかだより」の発行もしています。
 活動を始めたきっかけ
自分は小高区住民で、周りは津波で被災しました。原発事故で避
難指示が出て、鹿島区の仮設住宅に避難しています。避難すると、
やりたいことが分からない、思いついてもやって良いか分からない
気持ちになります。やりたいことを表現できないことが「被災」と認識
しました。
そこから、「とりあえずやってみよう」という気持ちで、仮設住宅の
敷地で退職金をつぎこんでビニールハウスを建て農園を造り始め
ました。ノウハウは全くありませんでした。
また、小高に戻れるようになって、「明かり、営みのある風景」がな
くなったことに気づき、「小高に明かりをつけたい」と「おだかぷらっと
ほーむ」の運営を始めました。まずは、小高を訪れた方々が「あれ
は何?」と思ってもらうことが目的でした。最初はボランティアなど県
外からの人の割合が多かったですが、段々と小高の人が増えてき
ました。ぷらっとほーむの運営については、南相馬市の助成を受け
ています。
「元々、小高はe-まちタクシーというデマンド交
通発祥の地になるくらい住民活動が盛んだっ
た。」と語る廣畑さん
ユーモアが楽しい「お
だかぷらっとほーむ」
入口(上)と「小高のア
ビーロード」ポスター
(左)
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
 復興庁について
新しいものを呼び込むことも大事ですが、震災直後から継続活動
しているものを応援する方がずっと良くなると思います。
訪問の際には、廣畑さんの想いの込められたビデオも拝見しまし
た。二ヶ国語で、You Tube(「福島第一から20キロ 南相馬市小高
への想い」)で閲覧できます。よろしければご覧ください。
手作り感が、気軽に立寄れる雰囲気を生み出
している「おだかぷらっとほーむ」内部
「広めたいので、新幹線座席に
こっそり置き忘れてください。」
とユーモアを交えて渡された情
報誌「おだかだより」
農園もぷらっとほーむも、とにかく始めてみました。やってみたら
大変でした。でも、自分ではできないことが多いので、様々な方々
に手伝ってもらいました。「今、忙しいんだけどな。」と言われながら、
手伝ってもらったことで交流が始まりました。
情報誌も、きれいに作りすぎるとかえって伝わりにくくなり、ダメ
だったりします。
「嫌々、渋々」の方がうまくいくこともあると思います。例えば、町
の草刈りも嫌々でも続けることで、コミュニティが作られたりします。
自分は小高13,000人の1人に過ぎません。小高は、今、住民自身
が帰還するか否かを決めないといけない時期だと思いますが、住
民の判断材料になるよう、自分と異なる考えを持つ人も含め、自分
のような活動が乱立していく必要があると思います。
今は、どこもボランティアなので人手不足、とにかく人が必要です。
また、これまで特にPRをしなくても良いと思っていましたが、今は必
要かなと感じています。
復興のパイオニア(復興女子編)
村上茉南さん(みらいと)
 活動内容
NPO法人「みらいと」事務局で、常勤スタッフとして連絡調
整や事務全般を担当しています。
「みらいと」は、活動スタッフの多くが地域で事業を行って
いる事業主であり、地域に対する想いから、ボランティア色
の強い活動を行っています。
 活動を始めたきっかけ
私は南相馬市小高区出身で、震災当日は大熊町で仕事
をしていました。原発事故の影響で山形県へ避難し、避難
生活を送っていました。震災から時間が経つにつれ、環境
の変化に慣れ、働くという意欲をやっと取り戻し始めた頃、
新地町の友達から「みらいと」を紹介されました。最初は地
元へ戻ることへの不安や、NPO法人という今まで無縁だった
職業に対し戸惑うこともありましたが、「みらいと」が地元住
民の仲間たちで設立し、地域の共感を得ながら「自分たち
の町は自分たちでつくる」という意識のもとに活動していると
いうことを知り、平成25年3月に新地町に移り、「みらいと」で
働き始めました。
「自分も新地町に元気づけられた。新地町に
恩返しをしたい。」と語る村上さん
新地町にある「みらいと」の事務所
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
震災で何をして良いのか分からなくなった時期もありました
が、「みらいと」のおかげで前向きになることができました。
支援する立場として、「受入れていただけますでしょう
か?」と尋ねる姿勢が必要だと教えていただきましたし、支
援される側、支援する側の一方だけが満足する活動では意
味がないことも学びました。“自分も楽しみつつ、相手に喜ば
れること”を常に意識しています。
物事の捉え方は人それぞれなので、自分は正論だと思っ
ていることが他人を傷つける場合もありますし、言葉の使い
方には注意をしています。
小高を離れ、友達と離れ離れになったことはつらく、今も一
番の願いは昔の同級生たちに会うことです。ただ、今は、新
地町で「みらいと」の活動に関わって、町づくりを学び、新地
町に恩返しをしたいと思っています。
 復興庁について
普段身近に復興庁の方がいないためか、遠い存在だと思
います。助成金については、「心の復興」事業も申請しました
が、いつも申請書の作成に苦労します。小規模であっても、も
う少し簡単に申請できるものがあれば助かると思います。
かつて村上さんと同じ学校の同級生で、今は
同僚として働く復興支援員の佐々木さん(右)
手長明神のイラストがかわいい「みらいとタオ
ル」(「みらいと」で販売中)
復興のパイオニア(復興女子編)
青木淑子さん(富岡町3・11を語る会)
 活動内容
NPO法人「富岡町3・11を語る会」の代表として、富岡町民が震災
の記憶を語る「語り人(かたりべ)活動」を行っています。また、「語り
人」の活動や富岡町から避難している方々と受入れている郡山市
の方々の交流を図る場として、「人の駅 桜風舎」を運営しています。
他にも、富岡町内にある「交流サロン」の運営も支援しています。
 活動を始めたきっかけ
私は郡山市在住ですが、震災前に4年間、県立富岡高校の校長
をしていました。原発事故で町民の多くが郡山市に避難して来られ
た際に、ビッグパレットふくしまでボランティア活動を始めました。そ
の後、避難所に開設された「おだがいさまセンター」(避難者の生活
復興支援をする組織)のアドバイザーとして活動してきました。
平成24年の秋頃より、日本を訪れた東南アジアなどの海外の学
生から「震災の話を聴きたい」という要望が寄せられました。当初は、
富岡町民の方々は、思い出すとつらく話したくないという声が多かっ
たので、センターの職員が話をしていましたが、町民の方々の理解
を得て、平成25年4月から町民自らによる「語り人活動」を始めるこ
ととなりました。その後、大学ゼミや企業研修、中高生の教育旅行
の利用も増え、平成27年4月にセンターから独立した組織になりま
した。昨年度の利用者数は1万人を超えました。
「避難者と受入れ地域が交流することで、今も
ある誤解が解ければ。」と期待する青木さん
富岡高校の学生寮「桜風寮」にちなんで名づ
けられた「桜風舎」の看板(左)と団体ロゴ(右)
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
「語る会」事務局のメンバ―で打合せをする(左か
ら)青木さん、波多江さん、富岡町出身の長沼さ
ん
「おだがいさま工房」で
作られた草木染めや
布製品なども販売さ
れている「桜風舎」内部
「語り人活動」は、語り人の「自分の震災体験を話すことで、誰か
の役に立ちたい」、「避難時に全国から助けてもらった。全国から
聴きたいと言われれば応えたい」という想いに支えられ、語り人の
生きがいとなる有意義な活動だと実感しています。最初は、時間
内にまとまった話ができない方も多く、3ヶ月ほど研修しましたが、
回を重ね上手すぎる位になられています。高齢の方が多いのです
が、活動中は服装や歩き方がしっかりし、とても元気です。
また、富岡町内の「交流サロン」は、帰還開始前に設けられたこ
とがとても意味のあることだと思います。一時立入りで戻られた方
の交流の場となり、多い日は1日に100名以上も訪れています。離
れ離れになっていた知り合いの方や帰還予定の方と会話されるこ
とで、帰還を迷っている方が、「富岡町に帰れるかもしれない」とい
う気持ちになることもあります。
今後、頑張りたいことは、交流拠点の充実です。語り人の多くは
富岡町に帰還される予定なので、郡山市の「桜風舎」だけでなく富
岡町にも拠点を設け、帰還後も活動しやすい体制にしたいです。
 復興庁について
独立した組織となり、資金や人材の確保が課題です。助成金の
仕組みが、スピーディでわかりやすくなることを希望します。
復興庁は、「『心の復興』事業」を通じ、「富岡町3・11を語る会」の活動を支援させてい
ただいています。
【人の駅 桜風舎(富岡町3・11を語る会)の問合せ先】
所在地:郡山市長者1-7-17 さくらビル3F
電話:024-955-6760
復興のパイオニア(復興女子編)
佐藤めぐみさん・大久保美子さん(福島市社会福祉協議会)
 活動内容
福島市社会福祉協議会では、福島市に避難している方々への支
援活動を行っています。主な活動は、福島市内の借上げ住宅及び
復興公営住宅に住んでいる方々への生活支援相談員による訪問
活動や、保健福祉センターでの毎月2回の避難している方々の集う
場「ホッとサロン『てとて』」の開催などです。
 活動を始めたきっかけ
ホッとサロン「て とて」で毎回参加
者に配布され、ついに通算50号
を超えることとなった会報
(佐藤めぐみさん<生活復興支援室長>)
私は福島市出身で、震災前から福島市社協の保健師として飯野
町で保健活動に携わっていました。震災後、福島市民だけでなく、
飯野・立子山地区に避難してきた方々への支援をしていましたが、
平成26年8月から生活復興支援室に異動し、現在の活動を始めま
した。
(大久保美子さん<生活支援相談員>)
私も福島市出身で、高校生の頃にボランティア活動を、震災前に
は介護福祉士をしていました。震災後は、別の仕事をしていました
が、ボランティア時代にお世話になった方から生活支援相談員の仕
事を紹介され、平成26年7月から生活支援相談員として訪問活動
を始めることとなりました。
「避難は急に海外に行くことと同じ。」
(佐藤さん):避難生活が認知症の悪
化にもつながっていると語る大久保さ
ん(左)と佐藤さん(右)
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
避難している方々に訪問活動でお話を伺うと、悩みは多岐にわ
たっています。その中には、答えを出すことができず、ただ傾聴せ
ざるを得ないものも多くありますが、生活支援相談員の勉強会や
情報共有を大事にして、職員の資質向上に努めてきました。現在、
ホッとサロン「てとて」の参加者は、多い時には100人になりますが、
今後の課題は、「避難している方々と福島市民との融合」です。
福島市内には様々な団体による活動が数多くあります。しかし、
残念ながら、避難している方々の多くが地元住民向けの活動には
参加していません。とはいえ、避難生活が長期化し、いつまでも居
住地に馴染むことなく生活することは大変です。避難元と避難先
にこだわらず、福島市内に住む方々全てが一緒に生活のできる
環境をつくっていきたいと考えています。
また、避難元と避難先の行政の協力も重要です。私たち社協が
活動を展開する場合、避難元行政と避難先行政のそれぞれと何
度もやり取りを行うことがあります。基本である「誰のための何の
ための支援か」を常に考えながら、行政・避難元社協と一緒に活
動したいと思っています。
現場への訪問日程の調整や電話での問合せで
忙しい、生活復興支援室の職員の皆さん
 復興庁について
助成金はありがたいのですが、情報が現場まで伝わりにくいよう
に思います。また、使い道が限定的という印象もあります。
「足で稼いでいます。」(大久保さん):訪問活動の
際の会話のきっかけにも役立っているという大久
保さんのユニークな靴下
復興のパイオニア(復興女子編)
芳門里美さん(双葉町復興支援員)
 活動内容
双葉町復興支援員(「ふたさぽ」)として、コミュニティ支援やブログ
による情報発信を行っています。コミュニティ支援では、町民の方々
の活動をサポートしています。例えば、男性のコミュニティ活動への
参加のため、男の料理教室の実施サポートをしたり、町民グループ
へ活動内容の提案をしたりしています。最近では、「ふるさとのため
に何かしたい」という双葉郡出身若者による「ぐるぐるユニット」とい
うグループを立ち上げました。TV会議で定期的に話し合いをするこ
とから始め、平成28年1月には、いわき市内で実施された双葉町ダ
ルマ市で、双葉町民の懐かしの味である「よっちゃんスルメ」を再
現・販売するサポートをしました。
私は東京生まれ東京育ちで、震災前は特に福島県と縁はありま
せんでした。震災後訪れた南三陸町で、津波被災した漁師さんたち
が自分の地域を元気にしようと取り組む姿を見たことや、そこで友
人が復興支援員として働いていたことをきっかけに、復興支援員に
興味を持ちました。募集説明会で、福島県の原発事故の影響で避
難している市町村の住民の方々には、避難の長期化やその中での
孤立化が課題であると聞き、平成25年8月に双葉町の復興支援員
となりました。
数十年ぶりに再現され、い
わき市のダルマ市で販売さ
れた、双葉町民の懐かしの
味「よっちゃんスルメ」
 活動を始めたきっかけ
「双葉町には方言や習慣、土着愛など地域の
アイデンティティーがたくさんある。都内出身
の自分には羨ましい。」と語る芳門さん
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
双葉町の歴史的財産である、清戸迫古墳の壁画
の渦巻文にちなみ、若者のつながりを連想して名
づけられた「ぐるぐるユニット」のメンバー
「何年ぶりの田植えだぁ。」と
5年ぶりの田植えを難なくこ
なす町民の方
「ふたさぽ」で活動を開始した当初は、「コミュニティ支援とは何
か?」という迷いからのスタートでした。
町民の方も役場の方も、何も知らない私に震災前の双葉町の話
や、震災後の複雑な想いなどたくさん話してくれました。そんな中、
震災後、双葉町を離れたことで、「できなくなってしまった」と感じる
ことも多いですが、「今できること」、「やりたいこと」を町民のみなさ
んが考える手伝いをすることがコミュニティ支援ではないかと考え
るようになりました。町民の方の気持ちやペースに合わせて活動
したいと思っています。
平成28年5月に、いわき市内で、震災前農家をしていた町民の
方が5年ぶりに田植えをする場面に立ち合いました。普段杖で歩
いていた方が、畦道を杖なしでスタスタと歩き、ぬかるみに入って
田植えをする姿を見て、震災前の生活の中で蓄積されたその人
の技術や営みは今もちゃんと身体が覚えていること、そしてそれ
を生かす機会があることがその人を元気にするということを実感し
ました。私自身も、生活の中で「当たり前」と思っていることがたくさ
んありますが、それ自体がすごく幸せなことであると感じるように
なりました。
復興支援員の仕事をする中で、このような気づきをたくさんも
らっています。それを双葉町のみなさんに還元できるよう、引き続
き取り組んでいきたいです。
復興のパイオニア(復興女子編)
渡邊とみ子さん(かーちゃんの力・プロジェクトふくしま)
 活動内容
「かーちゃんの力・プロジェクトふくしま」で、阿武隈地域から避難さ
れた「かーちゃん」(=女性農業者)たちのコミュニティづくりや、地域
の食文化の継承をしています。主な活動として、福島市にある「あ
ぶくま茶屋」でサロン運営、弁当や加工品の販売をしています。
 活動を始めたきっかけ
「何か活動をする度に支援者がいた。自分は
幸せだ。」と多くの支援者に感謝する渡邊さん
自然と会話が生まれるように
という想いで、渡邊さんのご主
人が「あぶくま茶屋」入口につ
くってくれた囲炉裏
私は飯舘村の農家でしたが、同村出身の菅野元一さんが品種改
良したじゃがいも「イータテベイク」やかぼちゃ「いいたて雪っ娘」の
生産、加工、販売に向けて準備中でした。苦労の末、種芋生産や品
種登録の目途がつき、ようやく世の中に出せると思った矢先、原発
事故が起こりました。汚染によって飯舘村では作付ができなくなりま
したが、作付を休むと種が途絶えてしまうため、種つぎをするため
に作付場所を必死に探しました。そして、平成23年5月に避難先の
福島市で畑を借り、作付を始めました。飯舘村の土と全く異なる環
境で不安でしたが、芽が出て、実がなった時は感激して涙が流れま
した。その後、私と同じように畑などが使えなくなり、生きがいを失っ
たかーちゃんたちがいることに胸を痛めていましたが、以前から地
域づくりで関わっていた福島大学の先生から声をかけてもらい、
かーちゃんたちの笑顔を取り戻すための構想を教えてもらいました。
そして、平成23年10月から具体的なプロジェクトとして開始しました。
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
最初の活動は餅づくりでしたが、震災前から交流のあったかー
ちゃんたちが集まり、久々に心の底から笑うことができました。こ
の成功をきっかけに次への期待の声が生まれましたが、幸いにも、
雇用創出事業による支援があり、かーちゃんたちを雇用して活動
を続けることができました。しかし、平成27年3月で支援が切れて
しまい、経営的に続けることが難しくなりました。考えた末、一旦は
全員を解雇せざるを得ませんでしたが、活動形態を請負制にする
といった工夫で経営改善を図り、活動を継続できました。自分たち
の課題に対し自分たちで考えることは大切です。
震災から5年が経ち帰村宣言がなされ、「帰る人」と「帰れない
人」の間で分断が生まれているようです。それぞれ事情があるた
め、どちらが良いのか一概には言えません。私は、作物の種をつ
ないでいくことを最優先しなければならないため、帰りたくとも飯舘
村には帰れませんが、それぞれを尊重することが必要です。
私のテーマは「つなぐ」ことです。作物の種をつなぐこと、食文化
など技をつなぐこと、人と人をつなぐこと、いずれも大事です。そし
て、今後は「いいたて雪っ娘」を全国に広げたいという私の生涯を
通しての夢・目標に向かって前に進んで行こうと思っています。
「いいたて雪っ娘通信」で情報を発信中です。ぜひご覧ください。
平成28年度、復興庁は、「『心の復興』事業」を通じ、「かーちゃんの力・プロジェクトふく
しま」の活動を支援させていただくこととしています。
「あぶくま茶屋」では、かーちゃんたちが受け継い
できた地域の食文化である菓子や漬物も販売中
皮の色が白いことから、雪
のイメージで名付けられた
飯舘村の特産品かぼちゃ
「いいたて雪っ娘」を使った
マドレーヌ(右)と、親しみ
やすいパッケージ(上)
復興のパイオニア(復興女子編)
小林奈保子さん(田村市復興応援隊)
 活動内容
田村市の復興支援員(「田村市復興応援隊」)として、都路町を拠
点に、地域活動支援や地域の情報発信をしています。特に地域活
動支援に力を入れており、「○○してみたい!」という住民の想い=
「復興のタネ」の実現に向けてサポートしたり、新たな復興のタネが
生まれるよう、私たちが外部の研修などで学んだことを住民の皆様
に紹介したりしています。他にも、最近は市外・県外の大学生など
の訪問者から「ボランティアや視察・ツアーをしたい。」という声が増
えており、私たちは訪問者と地域をつなぐ窓口もしています。
 活動を始めたきっかけ
私は田村市出身ですが、元々、地元に関心があったわけではなく、
大学時代から田村市外に出ていました。大学時代には、ボランティ
アに夢中になり、ボランティア団体の立上げに関わったりしました。
大学卒業後は郡山市の企業で働いていましたが、その頃に震災
が起こりました。震災直後、田村市に戻ろうか悩みましたが、田村
市にいる親に反対され、しばらくは郡山市にいました。
平成25年に、知人のいるNPO法人「コースター」が復興支援員制
度で田村市復興応援隊を発足する際、声をかけられました。都路
町には友達もいましたし、田村市のために自分にできることがあれ
ばという想いで、平成25年9月から応援隊に加わりました。
「ボランティアに夢中になったのは、奉仕の精
神からではなく、楽しかったからです。今も同
じ気持ちです。」ときっかけを語る小林さん
小林さんの特に思い出に残ったとされる、田
村市内の小中学生に農業体験や地元野菜を
使った郷土料理を学んでもらう企画「都路ふる
さと塾」の様子
復興のパイオニア(復興女子編)
 活動を通じて思うこと
田村市復興応援隊の良さは、隊員に任せられる範囲が広く、自
由に活動しやすいことです。一方、どこまで活動して良いのか迷う
こともあります。支援してしまったために、かえって地域内で不公
平感が生まれてしまい、良い結果にならなかったという反省例も
ありました。都路町では「長」を大事にする文化がありますが、長
の方々は地元をよく把握されているため、長の方々の意見を参考
にさせてもらったりして、地域コミュニティが崩れないような活動を
心がけています。
外部の支援者と地域をつなぐ際には、直接支援する以上に配慮
しています。住民、外部の支援者、私たちの3者で、復興の理想
像やスピード感は異なりますし、同じ言葉を発していても、捉えら
れ方が一致しないことは度々あります。この点を意識していないと、
小さな誤解が積み重なって失敗しがちです。外部の支援者は熱
意のある方々ばかりで、大変ありがたい存在なので、誤解が原因
で関係が途絶えてしまわないよう、私たちが間に入って、少しでも
良い関係が生まれるよう努めています。逆に、私たちが離れても
関係が自発的に続いているとうれしいです。
私たちが目指していることは、住民の帰還促進ではなく、住民の
皆様に「田村は良いところだ。住んでいて幸せだ。」と思ってもらえ
ることです。このためには、都路町だけではなく田村市全体を盛り
上げていくことが必要です。復興だけでなく町づくりにもつながる
ような、田村市に根付いた活動を続けていきたいです。
都路町の賑わいを取り戻したいという想いで平成
28年度の新企画として始まった、福島大学災害
ボランティアセンターによる「学生DASH村」に、田
村市復興応援隊もパートナーとして参加中
田村市の魅力や応援隊
の活動が満載の冊子「応
援隊のお仕事ノート!」
(左)とイメージキャラク
ター「タムコちゃん」(上)
復興のパイオニア(復興女子編)
富田愛さん(みんなの家@ふくしま)
 活動内容
福島市で「みんなの家@ふくしま」(運営:ビーンズふくしま)の
事業長をしています。ここでは、福島で子育て中のママを中心
に、地域の方々が気軽に集まれる場所を提供しています。誰で
も自由に参加できる場の他に、様々な方に参加してもらえるよう、
避難先から戻られた親子を対象とした「ままカフェMini」や、パパ
たちを対象とした交流会も行っています。
 活動を始めたきっかけ
私は元々保育士で、震災後は、平成23年5月から郡山市の
「プチママン」という子育て支援団体で活動していました。その
後、県外に避難された親子の支援が県の委託事業で始まると
のことで、平成24年6月から事業受託者の「ビーンズふくしま」
に移りました。県外に避難された親子を支援する中で、避難さ
れたママの「福島に戻る際、避難しなかった方々との関係に悩
む。」という声を聞き、なかなか相談できる場がないことに気づ
きました。そのため、ママたちが気軽に話せる場の「ままカフェ」
事業を提案し、平成25年6月から県内各地で開催してもらって
います。さらに、平成27年3月からは、福島市内の一軒家を借り
て、いつでも気軽に集える「みんなの家」事業を始めました。
「住民の皆さんはとても親切です。だんごさし
など伝統行事を教えていただいたり、ハロウィ
ンなどの行事にご協力いただいています。」と
近隣住民のやさしさに感謝する富田さん
住宅街の借家を活用した施設(左)と、玄関に
設置されているカラフルな看板(上)
復興のパイオニア(復興女子編)
平成28年度、復興庁は、 「『心の復興』事業」を通じ、「みんなの家@ふくしま」の活動を
支援させていただくこととしています。
子どもたちが遊んでい
る間、ママ同士でおしゃ
べりしたり相談したりと、
様々な利用が可能
ママたちが気軽に話し合える場ができたことで、悩みや経験
を共有し、不安解消につながっています。
例えば、以前は放射線に関する情報が乏しく、放射線に対
する不安を誰に聞いてよいか分からない状況でした。しかし、
最近は身近に食物の放射線量を測定できる環境が整ってき
ており、普段の食べ物を測定するママもいます。みんなの家に
集まったママ同士で測定結果の情報などを共有して、お互い
の不安の解消につながったこともありました。
また、震災後に妊娠した方が、妊娠したことで避難すべきか
悩まれた際に、避難先から戻られたママたちによる避難時の
経験談がその方に役立ったこともありました。
福島のママたちは、避難を選択したママや、避難を選択しな
かったママなど、それぞれ異なる経験をしています。「みんな
の家」の活動を通じてママたちが気軽に話し合うことで、お互
いが誤解していた点に気づいたり、自分と違う選択をした方と
互いを認め合う雰囲気ができたことは、活動して良かったと思
うことの一つです。活動を通じて、多くの福島県の方と触れ合
い、良い人ばかりだと実感しました。
アットホームな雰囲気で
ゆっくり時間を過ごすこ
とができる家の中
 活動を通じて思うこと
宮崎県のママたちから福島県のママたちに向け
て応援メッセージとともに贈られた折り紙のバラ