平成28年 8月 12日 資 料 提 供 担 当 課 和歌山県立博物館 学芸課 担 当 者 主任学芸員 前田正明 電話番号 073-436-8684 信長・秀吉・家康・幸村 勢揃い 特別展「戦乱の世から泰平の世へ-16~17世紀の紀北・泉南地域-」 の開催について この特別展では、戦国時代に紀北・泉南地域において勢力を有した高野山・粉河寺・根 来寺・雑賀衆などに注目し、それらが信長・秀吉による統一権力と対抗しつつも敗北し、 やがて徳川による幕藩体制のなかに包摂されていく様子を、残された資料から明らかにし ます。 会期 会場 開館時間 入館料 平成28年9月10日(土)~10月10日(月・祝) 和歌山県立博物館 1階常設展示室・企画展示室 9時30分~17時(入館は16時30分まで) 一般820円(660円)、大学生510円(410円) ( )内は20人以上の団体料金 高校生以下、65歳以上、障害者、県内に在学中の外国人留学生は無料 休館日 月曜日(但し、9月19日と10月10日は開館し、9月20日<火>は休館) 展示資料総数 146件198点 (うち国宝3件3点、重文1件1点、重文(附)3件12点、和歌山県指定1件1点、 彦根市指定1件1点、貝塚市指定6件6点、和歌山市指定2件2点、和歌山市指定 (附)1件1点、紀の川市指定1件1点、橋本市指定6件6点) 期間中の関連企画(詳細はチラシをご覧下さい) ①講演会 9月24日(土) 13時30分~15時 近代美術館2階ホール ②博物館講座 10月 1日(土) 13時30分~15時 近代美術館2階ホール ③現地見学会 13時30分~16時 現 地 9月19日(月・祝) 貝塚市域の根来出城を歩く 10月 2日(日) 太田城周辺を歩く ④ミュージアム・トーク(展示解説) 13時30分~14時30分 展示室 9月10日(土)、18日(日)、22日(木・祝)、10月8日(土) 担当者 県立博物館学芸課 主任学芸員 前田正明 (TEL 073-436-8684 FAX 073-423-2467) [添付資料]チラシ、展示のみどころ、出陳資料目録 画像データは、下記のアドレスにご連絡いただければ、送付いたします。 [email protected](博物館メールアドレス) 【展示のみどころ】 ①今話題の真田幸村の雄姿が、県立博物館でもご覧いただけます。初公開 豊臣家が滅亡する慶長20年(1615)の大坂夏の陣を描いた六曲一双の屛風です。同種の屛風として、 岐阜市歴史博物館本と石川県立歴史博物館本(左隻のみ)とがあります。本品は3例目で初公開。屛 ちゃうすやま 風の右隻(写真左)の上部には、5月7日の天王寺の戦いが描かれています。茶臼山には赤備え、六文 のぼり か づの かぶ 銭の 幟 の真田軍が陣取り、その中心に鹿角の兜を被り、白馬にまたがり、両手に長刀を持って敵陣(松 さな だ のぶしげ 平忠直隊)に切り込む真田信繁(幸村、写真右)が描かれています。この日、大坂城は落城しました。 (資料番号128 大坂夏の陣図屛風 耕南筆 個人蔵) ②天下統一を目指した信長・秀吉・家康の肖像画が勢揃い じょうごんいん 織田信長像(写真左)が残る 浄 厳院(滋賀県近江八幡市)は、信長の命で、浄土宗の僧侶と日蓮宗 あ づちしゅうろん の僧侶とが教義の論争(「安土 宗 論」)をおこなった寺として有名です。豊臣秀吉像(写真中央)が残 る永観堂禅林寺(京都市)は、本尊の「見返り阿弥陀」が有名です。慶長12年(1607)に秀頼(秀吉 の子)の家臣が本堂の再興をおこない、本尊の横に秀吉像が懸けられました。徳川家康像が残る紀州 よりのぶ とうしょうだいごんげん 東照宮(和歌山市)は、紀伊徳川藩の初代藩主徳川頼宣が、父家康(東 照 大権現)を祭るために創建 した神社で、頼宣はこの家康像を紀州東照宮に奉納しました。 (資料番号8 織田信長像 浄厳院像/資料番号57 豊臣秀吉像 永観堂禅林寺像/資料番号120 徳川家康像 紀州東照宮蔵) ③雑賀衆の実像に迫ります。 雑賀衆は、現在の和歌山市周辺を拠点に活動した集団です。鉄砲を早くから取り入れ、信長や秀吉 かぶと さい か ばち かなさび じ さい か ばちかぶと と戦ったといわれています。雑賀衆が着用した 兜 は「雑賀鉢」といわれ、鉄錆地雑賀鉢 兜 (写真左) はその一種です。宇治(現、和歌山市)に居住した雑賀吉久という人が制作しました。雑賀衆のなか か しょせん き か だ には、海上交易に関わる人もいました。過所船旗(写真中央)は、加太(現、和歌山市)を拠点に活 動した向井氏が、村上水軍の村上武吉から瀬戸内海の航行の許可を受けていることを知らせる旗です。 天正5年(1577)に織田信長がおこなった雑賀攻めの直後に、宮郷・中郷・南郷と呼ばれた地域(和歌山 お だ のぶながしゅいんじょう 市の東部)の人々に出した織田信長朱印 状 (写真右)には、戦功に応じて恩賞を与えることが記され ています。信長と戦ったといわれる雑賀衆も一枚岩ではなかったことがわかります。 かなさび じ さい か ばちかぶと (展示番号23 鉄 錆地雑賀鉢 兜 か しょせん き めい き しゅう う じ じゅうさい か よしひさ 銘紀 州 宇治 住 雑賀吉 久 和歌山市立博物館蔵、和歌山市指定文化財・重要美術品 お だ のぶながしゅいんじょう 展示番号25 過所 船旗 個人蔵、重要文化財/展示番号15 織田信 長 朱 印 状 個人蔵)
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