臭化カリウム投与中に血中クロール値が異常高値を示した 犬の一症例と

臭化カリウム投与中に血中クロール値が異常高値を示した
犬の一症例と各検査機関値の比較検討
新里 健
赤瓦動物病院・沖縄県
要約
高クロール血症の原因として、輸液等によるクロールの過剰投与、呼吸性アルカローシスや尿細管ア
シドーシスなどが鑑別診断としてあげられるが、難治性てんかんの治療に用いることの多い臭化カリウム
が見かけ上の高クロール血症と関連することがあります。今回、臭化カリウムの投与により、偽性高クロ
ール血症を起こしたと推測されるクッシング治療中の症例に遭遇したので、これを報告するとともに各検
査機関での臭化カリウム投与時におけるクロールの測定値の比較検討を行ったので、これを報告する。
症例
[年齢]12 才
[犬種]
ミニチュア・ダックスフンド
[性別]避妊雌
[予防]ワクチン履歴なし。フィラリア予防済。
[既往歴]他院にて難治性てんかんと診断される。臭化カリウムとゾニサミドを内服中。胆嚢炎
と診断され抗生物質の投与を行っている。
[主訴]
食欲不振、多飲多尿、嘔吐、しみん傾向、倦怠感などを主訴に来院。
[各種検査]
(1) 初診時血液検査所見:白血球の増加、ALT,T-chon の軽度の増加と ALKP と T-Bill,GGT、血
中クロール濃度の高値を認めた。さらにACTH刺激試験ではポストのコルチゾール値は
30μg/dl と高値を示した。(表 1)
(2) 腹部超音波検査: 肝のびまん性の高エコー像ならびに
拡張、蛇行を呈した胆嚢管と胆石
様陰影が認められた。(図 1)。
(3) 血中クロール濃度の推移(図 2) : 今回の症例においては
spotchemEL SE1520 を院内での
電解質測定機器に用いた。初診時、血中クロール値は 173 mmol/dl と高値を示していた。 治
療開始より、およそ 1 週間は臭化カリウムの投与を行っていなかったためか、クロール濃
度は正常値近くまで減少したが一般状態改善後、臭化カリウム投与をはじめると急激にク
ロール濃度が上昇していき治療開始 60 日ごろ以降は 200 mmol/dl 以上と以上高値を示した。
治療及び診断
上記の結果によりクッシング症候群とそれに伴う胆汁鬱滞と仮診断して、抗生剤としてオルビ
フロキサシン 5mg/kg の 1 日 1 回、Oddi筋弛緩剤としてトレビブトン製剤 1mg/kg
1日2
回の投与、さらに副腎からのコルチゾール産生を抑制する目的でケトコナゾール 15mg/kg
1
日 2 回の投与を行った。高クロール血症については鑑別診断として上記の図 3 に示す原因が考
えられるが、いずれも 200 以上の高値を示すことは少なく、臭化カリウム内服中止中は正常域
近くまで減少したことから臭化カリウムによる偽性高クロール血症を疑い、院外検査を行った。
表1血液検査所見
CBC
RBC
= 570 万/μℓ
HCT
Grans =21200/μℓ
=37.1%
WBC =24500/μℓ
L/M =3300/μℓ
3
PLT
=23.0×10 /μℓ
生化学検査
Glu = 83mg/dl
TP = 6.4g/dl
BUN = 15mg/dl
Cre = 0.7mg/dl
ALT = 398U/L
AST =60U/L
CK = 103U/L
ALKP = 2000U/L
T-Bill=9.2mg/dl
T-cho=310mg/dl
GGT=27U/L
Ca=107mg/dl
Lip=943U/L
Phos=3.6mg/dl
NH3 =29μmol/L
Na=141, K=3.5,Cl=173 (各単位=mmol/dl)
ACTH 刺激試験:刺激前コルチゾール値>10ug/dl,
図1
図2
血中クロール濃度の推移
血中クロール濃度(mEq/L)
250
200
150
100
50
0
0
3
5
8
58
65
刺激後コルチゾール値>30ug/dl
超音波検査
図 3 高クロール血症の鑑別
電解質測定法における考察
院外検査結果を示す前に電解質の測定法について説明する。電解質測定に用いられる測定法
は大きくわけて二つの方法に分けられる。院内、院外検査でほとんどの検査機関で用いられて
いる検査法はイオン電極法で、もうひとつは比較的新しい検査法である蛍光比色分析法である。
イオン電極法とは溶液中の目的成分の濃度を作用電極と参照電極の起電力の差からネルンス
トの式(式 1)にあわせて測定し、溶液中のイオン濃度を測定する方法である。(図 4)。 イオン
選択電極は円筒形の本体の先端部にイオン選択膜を張り付け、内部液を満たしてそこに塩化銀
(AgCl)を挿入しているのが最も一般的な形である。イオン選択膜は特定の電解質をとらえ内
部の作用電極に反応させることができる。スポットケムでは図 5 に示す検査パネルのプローブ
接触孔に電極がおりてきて検体と接触することで電位を測定する。また測定に用いられる電極
の種類もさまざまですらいど図 6 に示すようないくつかの種類の電極がある。ガラス膜電極は
Na 電極として用いられたり、単結晶電極はフッ素イオン選択電極として用いられたりするが、
無機塩膜電極やイオン交換幕電極は選択膜としてクロール測定の際にと用いられることが多い
電極である。イオン交換膜電極は多孔性高分子膜を含ませたものを電極膜として利用し、カル
シウム選択電極として応用され、ニュートラルキャリア電極は電気的に中性で、イオンを選択
的に通過させることのできる環状の細孔こうぞうをもったニュートラルキャリアとよばれる物
質を用い、ナトリウムやカリウムに選択性の高い電極として用いられる。
図4
イオン電極法
式1
ネルンストの式
図5
図6
イオン選択電極装置のしくみ
電極の種類
現在臨床検査に主に利用されている
クロール電極である無機塩膜電極は
塩化銀や硫化銀をイオン選択物質と
して用いているため周期表の 7B 族
(図 7 )のハロゲン物質は膜表面で
化学反応を起こして不溶性の化学物
質を形成する。その際にクロールイ
オンが生成され偽性高クロール血症
の原因となる。この反応はある限ら
れた濃度水準まで臭化物は存在して
も良いが、その水準を超えると急激
に右側に反応がシフトしてその結果、結果が妨害されてしまうことになる。
AgCl+Br-→AgBr+Cl図7
周期表
よって臭化物を含む以下の薬剤はクロール測定に影響を与え得る薬剤として認識しておく必要
がある。
■
臭化カリウム
■
臭化ブチルスコポラミン(商品名:ブスコバン)
■
臭化パンクロニウム(商品名:ミオブロック)
■
メペンゾラート臭化物(商品名:トランコロン)
■
ロクロニウム臭化物(商品名:エスラックス)
■
プロパンテリン臭化物(商品名:プロ・バンサイン)
一方、イオン交換膜電極(図 7)は前述の銀塩を感応物質とする固体電極と異なり液体電極の
ため、共存イオンに依存して急激に妨害を受けることはないが、劣化しやすいというデメリッ
トがある。一方、新しいクロール測定法として、IDEXX 社の蛍光比色分析法がある。(図 8)
検査パネルは 6 層コウゾウになっており検査結果を干渉する物質を濾過することができ、各ス
ライドにはイオンに結合することができる蛍光色素が主剤として添加してあり、 検体中の検出
物質と反応すると、蛍光変化を起こす。 反応前のスライドの発色強度をベースラインとし、反
応後のスライドの発色強度との比を 求めることで、蛍光変化を測定し、検体中のイオン濃度を
求める方法である。
図7
イオン交換膜電極
図8
蛍光比色分析法
血中クロール濃度院外検査結果
以上を踏まえた上で、以下に血中クロール値の院外検査結果を示す。
■IDEXX 社
電極法:175mEq/L(参考基準値:109-121)
蛍光比色分析法:133mEq/L(参考基準値:109-122)
■ファルコバイオシステムズ総合研究所動物検査室
イオン交換膜電極法:121mEq/L(参考基準値:108-117)
■三菱化学社
電極法:158mEq/L(参考基準値: 109-121)
これらの値はスッポトケムで測定した血中クロール値が 200 以上であることを確認し臭化カリ
ウムの 1kg あたりの薬用量は変えずに同じ個体で測定している。しかし、検査時期が異なるた
め固体のその時点での薬の代謝変動を加味した検査結果ではないので、あくまでも参考値とし
て認識していただく必要がある。院外のクロール測定は IDEXX 社,ファルコ社,三菱化学メデイ
エンスの 3 社で行った。電極法では IDEXX 社、三菱化学社ではやはり比較的高い値を示したが、
ファルコ社では比較的低い値を示した。ファルコ社は固定電極ではなく液体膜電極を用いてい
るため,臭化物の影響がでにくいのかもしれない。また IDEXX 社の蛍光比色分析法では基準値に
近い値を得ることができた。 以上の結果をもって今回、高クロール血症を起こした原因として、
臭化カリウム投与における偽性高クロール血症と診断した。
考察
一般に電解質測定に用いられる固定膜電極法は血漿中の臭化物濃度がある一定の水準を超えた
場合、偽性高クロール血症を起こす場合あるため、鑑別のために他の検査機関での測定を検討
する必要がある。またファルコ総研の液体膜電極を用いた測定法やIDEXX社の蛍光比色分
析法は臭化物投与中のクロール測定の際に測定誤差を最小限にできる検査手技であるかもしれ
ないと考えた。