デザイン評価研究と実践プロジェクト クオリティカルテ評価研究と河川標識プロジェクトを通して 九州大学感性融合デザインセンター ユーザーサイエンス部門 九州大学大学院芸術工学研究院 曽我部春香 ●はじめに への回答者となる人々については、あらかじめ評価の対 統合新領域学府ユーザー感性学専攻の教員となり、1年 象との関わりから、作り手・送り手・受け手(※2)の3つの が経過した。この1年「ユーザー感性学」という未知の領域 立場に分類を行い、各立場間の回答のズレを評価の結果 に携わりさまざまな経験をした。この 1 年を振り返り、研究 として明確に提示し、それをもとに新たなデザイン開発に として実施している「クオリティカルテ評価研究」とプロジェ 結びつけていくことを意図している。 クトとして実施している「河川標識プロジェクト」について 本研究ではこれまでに、家具や家電製品等のコンシュー 紹介する。 マープロダクトを評価の対象とした評価実験を繰り返して おり、評価結果として提示される回答者の立場間の評価 ●クオリティカルテ評価研究 のズレの傾向として、作り手は著名デザイナーにより手が デザインは、非常に曖昧な部分が多い領域だと思う。例 けられた対象やデザイン分野において名作と位置付けら えば日常的に我々は「デザインがいいね」といった言葉 れている対象に対しては、評価が高くなる傾向があること、 を使用することがある。この言葉の中には、多様な感性が 送り手は長期間にわたり市場で流通している対象やヒット 入り混じっている。複数の人が全く同一の認識によってこ 商品といわれる大量に販売された対象について評価が の言葉を発していることは稀で、複数の人が同一のモノ 高くなる傾向があることが示された。そして、受け手につ に対し「デザインがいいね」といった場合にも、その認識 いては対象にまつわる情報に左右されることは少なく、い には微妙な捉え方のズレが生じていると考えられる。どの ずれの対象についても顕著なプラスやマイナスの評価を 程度の共通認識が得られているのかを、もう少しわかりや 行う傾向はなく、常に中程度の評価を保つ傾向があると すい言葉で表現しようとも、それは陳腐な言葉の羅列に いえた。これらはこれまでに我々が実施した既に製品化 なり「デザインがいいね」という言葉となってでた感性とは、 されたモノを対象とした実験から得られた調査結果の傾 かけ離れたものになってしまう。複数の人がどの程度、共 向だが、デザイン開発の段階でクオリティカルテ評価調 通の認識を持っているのかがわかりにくく、それを明確に 査を実施することにより、ズレというかたちで得られる調査 表現することが難しいこの状況を、どうにか明確にできな 結果が、最終的なデザイン方針を決定していく上で重要 いかと考え、デザインを捉えようとする試みをスタートさせ な参考資料になるのではないかと考えている。 た。私の担当する統合新領域学府ユーザー感性学専攻 また、前述のコンシューマープロダクトを対象とした場合 の前身である「ユーザーサイエンス機構」(※1)において、 のように評価傾向を導きだすといったところまで到達して クオリティカルテ評価研究は始まった。この研究では、前 いないが、クオリティカルテ評価研究では、評価の対象を 述したように数人の人が「デザインがいいね」といった場 公共空間や公共空間に設置されるモノ(以下、空間構成 合にも、その認識には微妙なズレが生じていることに着目 要素)にした評価実験も試みている。公共空間や空間構 し、モノや空間等を評価の対象として、デザインを評価す 成要素は、コンシューマープロダクトとはその性質が異な る際に発せられる言葉から構築したデザイン評価指標を る。公共空間の整備においては、ある程度の経験や知識 用いて質問紙を作成し、この質問紙への回答を集め、そ を持つ開発者や計画者が予算や景観、管理部署間の調 の回答のズレを見極めるということを行っている。質問紙 整や維持管理等といったことまでを考慮し、最善と考える 計画案の策定や空間構成要素の選定・提案を行っている。 境を整備する必要がある。しかし、河川空間に設置される このように公共空間の整備は、ある程限られた人々によっ 河川標識の現状調査を実施したところ、たくさんの情報を て実施されてしまう傾向があるため、時に「とにかく整備す 提供しようとするあまりに標識が乱立していたり、何を伝え ればよい」といった目的にのみ向かってしまう危険性があ ようとしている標識であるかがわからなかったりといった状 る。このようなケースに陥らないために、クオリティカルテ 況にあることが明らかになってきた(図 1)。そこで、具体 評価調査がいわば立場の異なる人々からの意見を聴取 的な改善を図るため現状設置されている河川標識の整理 できるチェック機能として使用できるのではないかと考え、 を行った。整理を行うことによって河川空間には表1のよう 検討を進めている。以上のように立場間の評価のズレを な標識が主に設置されていることがわかった。表1の分類 デザイン開発に結び付けることを目的にクオリティカルテ にある規制と啓発については、もっとも河川空間に多く設 評価研究を進めている。 置されている標識であり、提示されている情報には重要 ※1 平成 16 年度文部科学省科学技術振興調整費「戦略 度に差があるが、現在はその差がわかりにくい状態で設 的研究拠点育成プログラム」に採択された九州大学の全 置されているといえる。また、多くの場合、イラストを用い 学機構 た情報提示を行っているが、例えば「犬の糞の後始末」に ※2 主にデザイナーや技術者等対象となるモノを作り出 関する標識にも、いろいろなパターンのイラストが用いら す人々を作り手、主に経営者や営業者等対象となるモノ れているために、同一のメッセージであることが伝わりに を広く世の中に広める役割を送り手、主に利用者となる一 くくなっていることが懸念された。そこで、標識に示す情 般エンドユーザーを受け手とする 報の重要度に差があること、何を伝えたい標識であるか をわかりやすく伝えることを念頭に、まず規制・啓発標識 の表示に関するデザインルールを設定し、具体的な標識 のデザインを実施した。 まず、規制・啓発の標識については河川空間の利用ルー ルを示すことになるため、子供から大人まで理解できる必 要がある。そこで、汎用性を考えピクトグラムを用いた表 図1.現状の河川標識 現を行うこととした。次に、重要度の差を認識しやすくする よう、禁止規制については、禁止行為であることがわかる ●河川標識プロジェクト 私の専門とするデザイン分野は、公共空間のデザインで ある。現在、国土交通省九州地方整備局とともに、九州の ようピクトグラム上に赤斜線を用いた表現を行い、注意喚 表1.現状調査をもとに整理した河川空間のサイン 分類 種別 細別 立入禁止 河川空間に設置されている河川標識についてのプロジェ クトを実施している。河川空間は、散策やスポーツ、水遊 禁止措置 を与えてくれる一方で、自然空間であることから、その利 用方法を誤ることによる重大な事故の発生や、異常気象 予防措置 啓発 子供から大人まで多くの人が気持よく利用できる河川環 増水や転落による事故等を防止するための注意喚起を周 知するもの マナーアップ ゴミの投棄の抑止、ペットの糞の後始末など利用マナーを 周知するもの 施設名称 河川名称 施設機能 解説 歴史・自然 利用ルールが存在していることを広く周知する必要があり、 案内 廃棄物の不法投棄等の禁止を周知するもの 注意喚起 記名 等による大雨の発生が考えられこれは、我々の生活を脅 かす可能性がある。したがって、河川空間にはさまざまな 利用行為の制限、河川敷への車の乗入れ及び駐車禁止 利用制限 等を周知するもの 規制 び等が行える場所として我々の日常生活に安らぎや潤い 内容及び目的 河川敷や施設等への立入禁止を周知するもの 利用施設 ポンプ場や水門等の役割と機能を周知するもの 河川の名称等を周知するもの ポンプ場や水門等の役割と機能を周知するもの 水害の履歴、歴史的な遺構の紹介及び周囲の自然環境 等を周知するもの 親水施設や利便施設等の案内や誘導を行うもの 起については黄色、啓発については緑色の表示面を用 いることにし、色によって重要度の差を認識できるようにし た。またメッセージとなる言葉の表記については、各ピク トグラムの下に表示することをルール化し、その内容につ いても、禁止規制・啓発の行為、その理由、規制者といっ た内容を短い文章でわかりやすく表現することをルール 化した。また、赤・黄・緑の色についても、基本色と各 2-4 色程度の推奨色を指定し、各設置場所の環境に応じて最 適な色を選択することとし、景観に対しての配慮を行うこと にした。図2,3にこれらのルールに則り作成した規制・啓発 標識の一部(※3)を示す。このような形で作成した標識は、 現在少しずつ九州の河川に設置され始めており、規制・啓発 標識だけでなく記名や解説等の標識についても検討を進め ている。 今後も、本プロジェクトは継続的に実施していく予定であ り、具体的ないくつかの流域では地域住民と協議しながら、 河川標識についての検討を進めている。既に実施に向け た準備も進んでおり、九州独自の河川景観形成に向けプ ロジェクトを推進する予定である。最後に、本プロジェクト は国土交通省九州地方整備局河川部との共同プロジェク トであり、関係の皆様および関係機関である株式会社東 京建設コンサルタントの方々にこの場を借りて謝辞を申し 上げる。 ※3 図 2.3 に示す標識については既に意匠登録済である 図2.策定したデザインルールのもとに作成した標識の一部 図3.作成した規制・啓発標識の一部
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