特別支援学校における不登校生徒の外部機関との連携を通した支援体制

特別支援学校における不登校生徒の外部機関との連携を通した支援体制
Support System through the Cooperation with External Organizations
of Non-Attendant Students at Special Needs Schools
岡 ひろみ
Hiromi OKA
芦谷 道子
Michiko ASHITANI
滋賀県立新旭養護学校
滋賀大学教育学部
<キーワード> 特別支援学校、不登校、発達障害、外部機関、支援
3
Ⅰ 問題意識
いた(玉村ら,2012) が、知肢併置の特別支援学校にお
1960年代以降、通常学校における不登校児童生徒
いても不登校の児童生徒が多く存在することが、アン
の増加は大きな教育問題となり、文部科学省(当時の
ケート調査(芦谷ら,2016)で明らかになった。さらに
文部省)は、1992年に適応指導教室を各地に設置し、
その調査によると、小学部よりも中学部、中学部より
フリースクールでも在籍校の校長の判断で出席扱いで
も高等部と不登校数が大幅に増えていることや、不登
きるように通知した。また2003年には、教育支援セ
校継続年数も不登校児童生徒の6割以上で3年以上継
1
ンターと名称変更して不登校支援を行い 、現在、約
続していたことから、地域の小学校や中学校に在籍し
12万人とされる不登校の小中学生に対して、フリース
ていた児童生徒が不登校になり、特別支援学校に転入
クールで教育を受けた場合でも義務教育の修了を認め
学してきた場合も、継続して不登校状態であったこと
2
る案が2018年成立に向けて示されている 。
が推察される。
一方、特別支援学校の場合、不登校が通常学校で大
また、周囲との人間関係がうまく構築できないこと
きな教育問題になり始めたときでも、子どものニーズ
や、学習のつまずきが克服できないことで不登校に
を受け止める特別支援学校である限り、不登校は大き
なっている事例に、自閉症、学習障害、注意欠陥/多
な学校課題にはなり得ないと一般的に考えられてい
動性障害等の発達障害があることが指摘され 、田口
た。事実、1979年の養護学校義務制に伴い障害の重
(2012)も発達障害と不登校との関連性を示唆してい
度重複化が進んだときも、教育課程の自主編成のもと、
る。特別支援学校の不登校の事例は、発達障害の児童
障害や生活年齢や発達年齢などの個別の実態や課題に
生徒が抱えるしんどさと関連していることが推察され
応じた学習内容や学習集団を設定してきたことで、
「何
る。
らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・
発達障害の生徒は、年齢を重ねてから特別支援学校
背景により、登校しないあるいはしたくてもできない
の中学部や高等部へ転入学する場合が多いが、小学部
状態にある」不登校児童生徒については学校課題には
から入学する例もある。特別支援学校小学部に入学し
挙がらなかった。それどころか、中学校時代から不登
た発達障害児の中には、年齢が幼いうちは問題が顕在
校であった生徒が、特別支援学校高等部に入学する
化しないが、思春期特有の心の揺れが出てくる中学部
ことによって不登校が改善された例も報告され(竹本
になってから、不登校になることもある。
ら,2007)、筆者もこれまで、地域の中学校から特別支
次に、学校の支援体制を考えてみたい。
援学校中学部への転入や、地域の中学校卒業後、特別
通常学校の場合、近年のいじめの深刻化や不登校児
支援学校高等部への入学で、学校の中に居場所を見つ
童生徒の増加などを受けて文部科学省は平成7年度よ
けたことで不登校が改善された事例を多く経験してき
り学校・教育委員会の支援体制として、スクールカウ
た。
ンセラーやスクールソーシャルワーカーを全国の学校
しかしながら、2007年度に特別支援教育が制度化
に配置し、関係機関との連携強化による組織的・計画
され、それまでは地域の小学校や中学校に在籍してい
的な支援体制の整備を行ってきた 。
た比較的障害の程度が軽い児童生徒が特別支援学校に
しかしながら特別支援学校の場合、現在、校内に心
多く転入学するようになった頃から、不登校が学校課
理や福祉の専門家と協力して支援できる体制はない。
題となってきた。それまでも病弱養護学校では、医療
不登校児童生徒は心理面での支援や、家庭・地域の福
と連携して「心身症」あるいは「小児心因性疾患」等
祉的な支援が必要な場合が多く、外部の専門機関との
の診断がついた不登校児の取り組みが多く報告されて
連携が望まれる。
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実践センター紀要 第 24 巻 2016
本論文は、小学部在学中に不登校は顕在化しなかっ
Ⅲ 結果 たが、中学部入学後に不登校になり、その対応として
1 第1期:登校期 外部機関との連携を積極的に行ってきた発達障害の生
幼児期前半に父母が離婚。祖父母に引き取られ姉と
徒事例を取り上げている。本事例を通して、特別支援
共に育てられた。
学校における不登校支援について考察することが、目
特別支援学校小学部入学後、小学部6年間は体調の
的である。
悪いときや定期通院、親戚の家に行く等の家庭事情で
休む以外は、登校していた。
Ⅱ 研究方法
小学部のときから話し言葉を獲得し、一方的なとき
1 対象
もあるが日常生活の中で指導者と言葉でのやりとりを
①支援対象生徒:
していた。運動能力やバランス感覚に優れていた。自
軽度知的障害を伴う広汎性発達障害であり、B特別
傷やこだわりがあり、物を隠すことや小さい子を押す
支援学校(知肢併置)の小学部に入学、中学部3年生
などの問題行動もみられた。給食での偏食はなく、食
までをフォローした男子生徒A。
べるスピードはとても速かった。気持ちの不安定さが、
②外部支援機関:
足や心臓の痛み、便秘や発疹などの身体症状として現
・C総合病院小児科
れることが多く、歩けないとの訴えで一時期車椅子を
・D大学附属教育実践総合センター 大学教員(臨床
使用していたこともある。行動のモデルでありライバ
心理士)
ルでもある同学年の男子や、Aが常に世話を焼く年下
の男子がいた。
2 研究期間
X年4月~ X+2年11月(B特別支援学校中学部1 ~
2 第2期:不登校期
3年生)
不登校になったのは中学部1年生であった。小学部
・C総合病院小児科との連携:2 ~ 4 ヵ月に一度、A及
から中学部へは同じ校舎の1階から2階への教室移動
び保護者が通院。筆者を含む学級担任が、通院同行
であったが、Aにとって場所の変化は大きかった。学
や医者との懇談及び、保護者から通院時の様子の聞
習内容や指導者や友だちも変わったことで新しい学習
き取りを行った。
環境に適応できず、入学当初から落ち着かない状態が
・D大学附属教育実践総合センター 大学教員との連
続き、5月の運動会の頃には心身の不調が現れていた。
携:Aと保護者のカウンセリングや、学部教員との
祖母は、障害を持った孫を大変な思いで育てておら
コンサルテーションを実施し、校内研修の講師とし
れ、その強い思い故、当初は学校の思いとの間に齟齬
て依頼した。
が生じAの断続的欠席につながっていた。しかし家に
X+1年 4月 A及び保護者のカウンセリング
いると昼夜逆転リズムになり、食欲もない状態が続い
X+1年 8月 学部研修会講師
たことから、祖母は一転してAに登校を促すものの、
X+2年 8月 教員コンサルテーション
今度はAに欠席の意志が強く現れ、登校しても手もみ
X+2年 8月 全校研修会講師
や目が泳ぐ等の落ち着かない様子を見せ始め、10月半
X+2年11月 事例研究会講師
ばからは欠席が連続した。そこで週に1 ~ 2回程度家
庭訪問を行い、心身の状態に合わせて少しずつ興味関
3 研究方法
心が持てる活動を家の中や外で行うことで、指導者と
Aの個別の支援計画や個別指導計画及び通院同行記
一緒に楽しめる活動を増やしていった。祖母との関係
録、懇談記録、連絡帳等々の学校生活における記録類
も少しずつ改善していき、家での様子や祖母の思いを
から経過を整理するとともに、当時関わった教員の聞
聞くことができるようになった。連続した欠席は3学
き取りを含めて、本事例における支援体制のポイント
期末まで続いた。
を明らかにした。
この頃の行動上の特徴として、力の調整が難しいこ
事例の整理は、第1期の登校期、第2期の不登校期、
とが挙げられる。例えば毎朝のランニングや運動会の
第3期の再登校期の3期に分けて各時期での様子と支
徒競走などでは、常に持てる力を全て出し切るまで頑
援内容を記した。
張ってしまうため、ゴール後は倒れ込んでいた。また
なお、事例公表に関してはAの保護者の了解を得た
気温に応じて服装を調整できないこと、散髪を極端に
が、守秘のため本質に触れない程度に事実を改変して
いやがること、年度の終わりにはおしゃれめがねをす
いる。
るようになったことなど外見上の自分らしさを保つた
めの決めごとがいくつかあった。
やりとりは一方的であり、指導者には、自分が好き
なゲームやキャラクターの話しを一気にとても嬉しそ
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特別支援学校における不登校生徒の外部機関との連携を通した支援体制
うに話すが、自分の気持ちや考えを伝えることは難し
ことで、睡眠や食事のリズムが大きく崩れることはな
く、イエスとノーの意思表示もできなかった。
くなった。しかし依然として就寝時間は遅く、朝食は
身体症状として、発疹、自律神経失調症、ホルモン
食べず、夕食も1人で食べるなど生活リズムの不安定さ
バランスの崩れ、吐き気、甲状腺異常の疑い、成長痛、
はみられ、祖母が注意しても改善しなかった。特にテ
ふらつき、足・心臓・胸・大腸の痛み、百日咳の疑い
レビの深夜アニメを見るようになってからは、就寝時
等が現れ、症状を訴える度に近くの医者やかかりつけ
間が明け方になることも多かった。身体症状について
のC総合病院を受診していた。また、バランス感覚は
は、運動会のクラス種目などの行事に部分的に参加し
とても良いが、自分で耳を傷つけて血を出すことや、
た後に頭痛の訴えはあるものの、続くことはなかった。
自転車でこけてけがをすることや、家の敷居で躓いて
また、給食をランチルームで食べることへの抵抗は
怪我をすることがあった。 大きく、まずは落ち着いて食べられる環境を作るため
【医療との連携】
に指導者と一対一で教室で食べるようにした。2学期
C総合病院小児科は、Aが3歳からのかかりつけ医で
末には、少しずつ関係を拡げるためにランチルームの
あり、約2 ~ 4 ヶ月に1回、定期的に通院し、その時々
端で指導者と一対一で食べ、3学期末には、ランチルー
の身体症状や言動について治療や相談を受けていた。
ムで友だちと一緒に食べることができた。一方、調理
気になる症状があるときには、随時通院し、検査結果
実習で残った食材や友だちが食べ残したものを気にす
をもとに薬の処方も受けていた。
るなど、食に対して執着する姿も見られた。
中学部1年生6月にはCTと筋肉の検査で成長痛の診
人との関わり方は、誘いに乗り気でないときに、
断を受け、学校では車椅子を利用していた。7月の電
「えっ」と躊躇するような返事でノーの意思表示がで
話相談後、自律神経失調症と診断され、登校時には足
きるようになったことは大きな変化であった。しかし
の痛み等を訴えて保健室のベッドで寝ていた。10月の
まだ、これをやりたいというイエスの要求を伝えるこ
通院時は担任が同行した。食欲がない、大腸が痛い、
とはなく、理由や意図を伝えることもできなかった。
便秘等の身体症状や、部屋へ閉じこもり「僕を馬鹿に
毎日の送迎の際に、祖母と日常的に家庭や学校での
している人がいる」と言うことや、気分の落ち込みが
様子を詳しく話ができるようになった。
あることを聞いた医者は、親戚に鬱はいないか確認
【医療との連携】
し、触診や聴診器で表情や身体の部位を診た。
「13歳
前年3月に処方された薬は約1週間後、祖母の判断で
なので身体症状と気分の落ち込みは、大人と同じよう
服用を中止した。6月の通院では、祖母が「本人が大
にあり、何もしたくないめんどくさいと思うことはあ
腸が痛いと言っても学校に行く習慣が大事と思い強引
る。自分が周りからどう見られているのか気にするこ
にでも連れていっている。家では冷蔵庫に入っている
とや、ちっぽけな存在に見えることはよくあること。
物をお腹が空けば1人で出して食べている。独り言が
それが一時的なものなのか思春期鬱なのかを、今後の
多いことが気になる。風呂に入るように言っても「ま
自信の付け方や体重の減り方等の経過を見て判断す
だ入らない」と強く反発するようになった。何回も手
る」「まずは生活リズムを整えることが大事。朝が無
洗いをする」と話していた。12月の通院時は担任が
理なら夕方でも外に行くのは良い」ということで、便
同行した。独り言や咳が多いことから、レントゲンと
秘の訴えに対する下剤のみが処方された。この時Aが
血液検査を受け、気管支拡張剤等が処方された。医者
話したことは「寝ている他は何をしているの?」と聞
は「思春期・反抗期はどの子も通る道である。今は、
かれて「あ-」と答えただけであった。3月の通院時は、
自分の意見を言う時期だけどそのうちに、嫌だけども
食事をとらず、夜も寝られず、思春期で不安定になっ
頑張ろうと思える時期は来る。文化祭の参加方法は、
ていることから若年性うつと診断され、抗鬱剤が処方
自分の気持ちを伝えて学校と相談すると良い。学校
された。学校に無理に行かせると逆効果になるとの意
は、見通しが持てることや代わりのものを準備すると
見を受けて、積極的に登校を促すことはせず、家庭訪
良い。部屋にテレビがない方が良い」と話していた。
問中にAが学校のことを聞いたときにのみ学習内容や
12月には医者と担任だけでの30分程度の懇談を行い、
友だちの様子を少し伝えるようにした。
「テレビやパソコンを自室に置くのは勧めない。他者
視点が難しい子は外からの枠組みが必要である。生来
3 第3期:再登校期 的な双極性かどうかは,学校や家の様子を聞いて小児
(1) 中学部2年生時
科で判断できないときは精神科に回す。統合失調症で
不登校の時期を経て再び登校するようになったの
はなく、独り言についても妄想等の病的なものではな
は、中学部2年生からであった。中学部1年生が終わっ
いだろう。学校が行っているような、人・場所・活動
た春休みに「入学式は行く」と宣言し、スクールバス
を固定して徐々に誘う方法は良い関わり方である。失
はうるさいから嫌だと言う理由で、初日から祖母が運
敗しても良いと伝えることや、やったらできる状況や
転する車の送迎で登校した。登校できるようになった
コミュニケーションや作業面で生きていくことにつな
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実践センター紀要 第 24 巻 2016
がるようなことをすると良い。先生同士でAの様子を
なかったため、完全に教室の間仕切りをした。
共有することや、わかりやすい状況を作ることや、理
体調に波があり、朝からハイテンションで話をする
由ではなくどうしたかったのかという意図を聞くこと
ときとソファーで熟睡してしまうときがみられた。テ
も良い。今のようにAの気持ちを大事にして見通しが
レビの深夜アニメの影響は大きく、エログロナンセン
持ちやすい状況を作り、できることを増やしていくこ
ス的な物に特別な関心を示し、バーチャルな世界への
とが良い」との意見であった。学校で大事にしてきた
はまり込みは以前より強くなっていた。週1回だけ深
支援方法や内容を支持してもらったことや、精神疾患
夜アニメの放映がない日があり、その翌日は体調が良
ではないだろうとの所見を聞き、学校での基本的な関
く、活動にも参加できることが多かった。毎日の授業
わり方を変えずに支援を継続した。 や行事への参加は、基本的にはAの思いを受け止めて、
【大学附属教育実践総合センター 大学教員との連携】
1日に1 ~ 2コマ参加する授業を決めていた。夏休み
この年から、D大学附属教育実践総合センターとの
以降、学校生活に慣れてきた頃からは、Aが即答で拒
連携を始め、臨床心理士である大学教員の支援を受け
否せずに迷っている様子がうかがえたときには、再度
始めた。4月にAと祖母がカウンセリングを受け、担
活動内容の説明をして授業に誘うようにした。その結
任と養護教諭も一緒に話をする機会を持った。Aは学
果、行事や授業に参加できる時間や回数は増え、クラ
校や家ではほとんど話すことがなかったが、この個別
ス校外学習と修学旅行、運動会のクラス発表や文化祭
カウンセリングの場では、箱庭を作成しながら、自身
は参加した。
の思いをさまざまに表現したとのことであった。また
こだわりについては少し柔軟性が見られるようにな
祖母も子育ての不安やAの今後への心配を涙ながらに
り、同じ服の着回しではなく新しい服を買って着るよ
話し、日常生活でのアドバイスを受けながら、僅かな
うになった。落ち着ける居場所を作ったことで、友だ
がらほっと荷を下ろす時間を持たれたようであった。
ちと一緒に学習できることも増えてきた。人との関わ
「自分では言えないから先生から伝えてほしい」とA
りでは、明確に「いや、いいよ」「やらない」とノー
から希望があったとのことで、全員が顔を合わせるな
の意思表示ができるようになり、時には理由も答えら
か、Aがこれからどうしていきたいと思っているのか、
れるようになった。またイエスの意思表示について
どのような手助けが欲しいと思っているのかについ
は、病院や学校の先生に早く寝る方が良いと言われて
て、大学教員から保護者と担任、養護教諭に伝えられ
も「いや、嫌だなあ。テレビ見るよ」と自分の意思を
た。「Aは自身の思いを表現する力があるので、Aの思
伝えるようになっていた。相手を気にしながら話すこ
いをゆったりと聞いてあげて欲しい。Aも勇気をもっ
とや、友だちの動きを見て思いを聞いた上で自分のや
て伝えてごらん」と大学教員よりアドバイスと励まし
りたいことを考えることもあった。また、時間に縛ら
を受けた。また、
「学校はこれまで丁寧に適切に対応
れ融通がきかないこともあるものの、予定を確認する
されている。Aが嫌なことを嫌と表現できることが大
ことでスムーズに活動に参加できることもあった。
事で、それによってAの輪郭が作られる。社会では思
【医療との連携】
うようにいかないこともたくさんあるので、Aの様子
6月や8月の通院時に、今まで診察の場で話すこと
を見つつ、思いを受け止める指導者や厳しい指導者な
がほとんどなかったAが、学校での様子を生き生きと
ど、様々な刺激があってもよいのでは」との意見を聞
話すようになっていた。修学旅行や運動会、文化祭等
いた。
の行事への参加の仕方を相談したときには、部分的な
また臨床心理士である大学教員を学部研修会の講師
参加の仕方でよいとのアドバイスを受けた。これは学
に招いて、通常学校における不登校児童生徒の例をも
校とAとで相談していた参加方法と同じであった。10
とに、思春期や発達障害についての理解を深めた。ま
月の通院時には、夜中のテレビやパソコン視聴が原因
たAの現状報告も行い、保護者の思いを受け止める教
で昼間学校で寝ていることについても祖母が相談した
員同士のつながりが大切であること等のアドバイスを
が、登校して授業にも出られるようになってきている
受けた。
今、テレビやパソコンが見られなくなるような急な変
化は良くないとのことであった。医者の意見を受けて、
(2) 中学部3年生時
学校も家庭もテレビやパソコンを無理に止めさせるこ
春休みから続いている唇の荒れがひどく、発熱欠席
とはしなかった。
があった。年度はじめの給食はランチルームで食べた
【大学附属教育実践総合センター 大学教員との連携】
が、翌日から10日間程度全く給食を食べない日が続い
8月に学部の教員と大学教員とで、学校や家庭での
た。Aと相談した結果、教室で落ち着いて食べられる
Aの経過資料をもとに、現状の捉え方や関わり方を共
状況を作った。新年度になり教室の場所や友だちが少
有し、今解決すべき課題や今後の関わり方等のコンサ
し変わったことで音が気になるのか、教室の間仕切り
ルテーションを行った。この場では、「発達検査の詳
を開けてソファーを置いただけの居場所では落ち着か
しい資料があればAの発達的な課題がわかりやすい。
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特別支援学校における不登校生徒の外部機関との連携を通した支援体制
イエスとノーが言えるようになってきたことは大きな
とで臨床心理士である大学教員と学部教員との信頼関
成長である。深夜テレビについては、知的障害の子は
係も作れ、心理の専門家と連携した支援体制を作るこ
自己コントロールが難しいので、周囲がコントロール
とができた。学校での対応方法を認めてもらったこと
して枠付けしてあげることも大切である。グロテスク
で、教員も自信を持つことができた。
なものや興奮しすぎるものに触れることは、周りの大
しかしながら課題も大きい。深夜テレビの影響で昼
人が調整したい。食べられない、寝られないから元気
間学校で眠ることも多く、番組内容も殺人や性描写な
が出ないという悪循環になっている可能性がある。食
どが多く含まれるため、日常的な会話の中にもバー
べ方は生き方であるため、食事をどこで誰とどのよう
チャルな世界と現実を混同しているような言動が見ら
に食べるかは大事である。音刺激への過敏さについて
れた。また、家庭や地域との関係についても、毎日
は、教室の仕切りにコルクボードを使い布をかけるな
の送迎や余暇や休日の過ごし方について、保護者を支
どの反響音を減ずる方法で楽になる子がいる。関わり
えられるような福祉の支援体制を整えることも課題で
方の多様性も重要である。全てAの思いを叶えようと
あった。
するのではなく、Aの思いを受け止めた上で、無理な
通常学校では、心の専門家として臨床心理士などの
ことは無理と一緒に残念がったり悲しんだりすること
スクールカウンセラー、福祉の専門家としてスクール
が必要なこともある」等のアドバイスを受け、A自身
ソーシャルワーカーが全国に配置され、現在不十分で
の課題から関わり方のポイントまで多岐にわたって話
はあるが児童生徒の心理面や福祉面での支援ができる
ができた。
体制が整えられている。
しかしながら特別支援学校はスクールカウンセラー
Ⅳ 考察
やスクールソーシャルワーカーの配置はなく、心理や
1 本事例における外部機関との連携
福祉面での支援体制は整っていない。このため児童生
登校期である小学部時代は、こだわりが強く気持ち
徒が発達相談や服薬管理等で医療機関を利用している
の不安定さが身体症状に出ることはあったものの、当
場合には、積極的に医療機関との連携を取るようにし
時の小学部教員は、中学部になって不登校になるとは
てきた。インフォームドコンセントが提唱されるよう
思わなかったと振り返っていた。この時期は心理面で
になった今、保護者の同意の下で、学校の様子や見立
の課題は感じなかったため、病院とは通院時の様子を
てに対する医者の意見を聞ける支援体制が作れるよう
祖母から聞くのみで積極的な連携は取らなかった。
になってきた。また福祉行政や支援機関とケース会議
しかし、小学部から中学部への環境の変化に適応で
等で連携を取っている例もある。
きず不登校になった中学部1年生時からは、病院との
本事例については、病院との連携に加えて、臨床心
連携は不可欠になってきた。学校での様子を伝え、今
理士である大学教員との連携も積極的に行ったこと
の身体症状や心理的な状態の捉え方を聞くために、通
で、心理の専門家との連携を通した支援体制を作って
院時の担任同行や、病院と学校との個別懇談等の連
きた。
携を積極的に取ってきた。そして2年生で再び登校し
ここで、臨床心理士である大学教員とのコンサル
たときには、“1人の教室で、好きな先生と、好きな活
テーションに参加した教員の感想を記してみたい。
動” という3要素を大きく崩さない日課で、Aの思い
*本人を知って頂いていることから、継続的に話
を最大限受け止めながら、時間をかけて少しずつ場所
をして頂いたのは良かった。本人の多様性につ
や人や活動を拡げてきた。病院との積極的な連携は継
いてもう一度考え直せるきっかけになった。
続して行い、その時々の様子を伝え、学校の思いやス
*彼の課題がより明らかになり、今後の指導の方
タンスを伝えながら医者の意見を聞いた。学校のスタ
向性がより明確になったと感じました。こちら
ンスを支持してもらうことが多く、学校が日頃話して
が指導する時に迷っていたことやこうじゃない
いることと同じ内容を病院から祖母に話されたときに
かなと感じていたことについて専門的な視点か
は、祖母の気持ちも穏やかになり、学校としても力強
らアドバイスを頂いたので2学期からの指導に
い味方を得た思いであった。3年生時は、学部校外行
生かしていきたいと思います。
事と定期通院日を除いては継続して登校することがで
*長い時間をかけて頂き、幼い頃から現在の姿ま
きた。2年生時に比べて参加できる授業も増え、自分
で知って頂けて良かったし、今できることは何
の気持ちも出せるようになってきたことで、通院時も
かを改めて見直すことができた。
自信を持って学校での様子を報告できるようになって
*ここ数年の実態に先生が感心して下さり、現在
いた。
の指導体制を褒めて下さったのが良かった。テ
また2年生から始めた臨床心理士である大学教員と
レビのない環境作りや高等部へのイメージづく
の連携は、まず、Aと保護者のカウンセリングを行っ
りなど今後目標とするものもわかって良かっ
た。その後、複数回、会って話をする機会を作れたこ
た。
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実践センター紀要 第 24 巻 2016
*本人も保護者も知ってもらっている先生と話せ
支援方法を検討した例として次のようなことが挙げら
たことで、より正確に情報を共有し、方向性に
れる。
ついても共有できたことが良かった。
例えば心理の専門家との連携の中で、思春期特有の
気持ちの不安定さが明らかになってきた。学校での本
次に、同じくコンサルテーションに参加した教員に、
人の様子だけでなく、成長痛、自律神経失調症、思春
今後の不登校支援のあり方について尋ねた結果を記し
期鬱、統合失調症等の医学的な検査結果と所見とを合
てみたい。
わせて支援方法を考えることができた。また知的障害
*複数担任であるために、日常的に直接複数の目
の場合、物事を客観的総合的に捉えることや自分で判
で見られる。以前は学校だけの対応では難しさ
断して考えることが難しい場合がある。この対応とし
を感じることもあった。カウンセリング等の専
て、外から物事を整理し、判断基準を示す枠組みが必
門の方とつながる第一歩の情報を知ること、そ
要であると医者からも臨床心理士からも聞いた。この
こから事例検討会のような流れはとても大切だ
意見を受けて学校では、Aに対して授業への参加の仕
と思った。
方を明確に示すようにしてきた。
*他機関と連携することで、校内だけでは見えて
(2)複数の人が関わっていく支援
いないことや、新たな見解を示してもらえたこ
1つの事例に対する色々な可能性を探るために、関
とは大きい。
わる人を複数確保することが大切である。コンサル
*今後も他の機関と連携しながら実施する方向で
テーションの場では、外部の専門家を交えて、学部の
良いと思う。
全教員が参加したことでお互いの思いを知り合い、多
*実際にどうカウンセラーとつなぐかが課題であ
くの情報を一所に集めることができた。
る。
本人の思いの伝え方や自己肯定感の持たせ方等、す
*やはり、教員と保護者だけでなく、色々な視点
ぐに答えが出ない課題についても、複数の人が様々な
で子ども達を見ていく必要があると感じていま
可能性を出し合いながら方向性を一緒に考えていくこ
す。連携の形や方法についてもその子どもの
とができた。
ケースによって変わっていくだろうし、それを
(3)本人や保護者を知っている人との支援 見据えて動ける教員のフットワークの軽さも求
医者は、本人や保護者のことを長年の関わりの中で
められると思います。
知っている人であり、臨床心理士である大学教員も本
*やはりケースを紹介して意見を頂くと言う回数
人や保護者を直接カウンセリングしたことに加えて、
が多ければ多いほど参考になります。
幼少期からの経過をまとめた報告資料から経年的な変
化も知っている人である。このように本人や保護者を
2 外部機関との連携を通した支援体制のポイント
知った人同士、お互いに同じ立場で正確な情報をもと
以上見てきた事例やコンサルテーションに参加した
に支援を考えていくことができた。
教員の感想から、外部機関との連携を通した支援体制
(4)継続性のある支援
のポイントを整理してみたい。
本事例の臨床心理士である大学教員とは、本人と保
(1)学校とは違う立場からの支援
護者のカウンセリングから始まり、学部研修会や全校
学校の教員は、児童生徒や保護者に対して、その時々
研修会で思春期・不登校・発達障害をテーマにした講
に最善と思われる方法で日々関わっているが、これで
演を依頼し、事例検討会も複数回持つことができた。
良かったのかと悩むことや、学校だけの対応では難し
まずはお互いに情報を共有した上で、コンサルテー
さを感じることもある。そうしたときに外部機関の専
ションを行う流れは有効であり、意見交換できる回数
門家と連携することで、児童生徒の別の側面や、新た
も多かったため、信頼関係を深めることができた。
な関わり方が見えてくることもある。
(5)一方的な指導ではない支援
特別支援学校では複数担任の場合が多く、日々の様
外部機関との連携の場が一方的な指導になってしま
子や個々の対応について担任間での情報共有が欠かせ
うと、
「そんなつもりで関わったのではなかった」「所
ない。また担任同士だけでなく、他クラスの担任や学
詮、校外の人には学校の思いはわかってもらえない」
部主事、あるいは管理職とも日々の会話や会議で話を
と教員が拒否感を感じる可能性もある。本事例では、
する機会は多い。こうして常に校内では様々な場面で
臨床心理士である大学教員が、日常的に関わっている
情報を共有し、関わり方を相談して大きな意見の相違
教員の意図を理解した上でのコンサルテーションを行
は生じないようにしてきている。だからこそ少し学校
うことができた。
とは違う立場で、客観的に流れを見て判断できる人の
また、日々試行錯誤しながら直接関わってきた学校
存在が必要である。
の指導体制を高く評価してもらったことで、教員側の
本事例で、外部の専門機関の意見を聞いて具体的な
モチベーションを上げることができた。結果はすぐに
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特別支援学校における不登校生徒の外部機関との連携を通した支援体制
現れるものでなく、特に心理的な問題が大きい場合、
制を取ることができたことで、多様な専門家を交えて
表面上良くなっても後になって大きく落ち込むこと
内外の連携を深めた支援体制を構築していくことの重
もあるため教員は日々悩みながら関わっている。本事
要性が確認できた。
例では例えば、テレビのない環境作りや高等部へのイ
しかし、地域によっては小児や思春期を対象にした
メージづくりについて、お互いの思いを出しあって、
専門外来や、臨床心理士による心理的な支援を受けら
やりとりができたことで、今後の支援の見通しを持つ
れる外部機関が乏しいところもある。特に障害のある
ことができた。
児童生徒の場合、発達面や心理面に対する専門的な支
(6)地理的に近いところにある身近な支援
援が受けられる外部の専門機関の充実が望まれる。
学校が終わってからの時間でも気軽に行き来できる
今後も継続して、より充実した豊かな支援体制の構
距離であると、本人や保護者とも継続的に関わる機会
築を模索し続けたいと考える。
を持つやすく、日々の変化も共有できる。本事例では
夏季休業中に学部教員が大学での検討会に参加できた
謝辞
が、日常的に放課後や勤務後に行き来できる距離であ
本事例の公開をご快諾くださったAくんの保護者様
ることが望まれる。
に深く御礼申し上げます。
3 今後の課題
1)
不登校に関する調査研究協力者会議(2015)『中
以上6つのポイントを提起したが、これらは全て相
央教育審議会初等中等教育分科会資料3-2』
手との信頼関係を構築することにつながっている。人
2)
2018年11月13日付け朝日新聞(朝刊)
と人との関わり合いがある教育や心理の現場におい
「義務教育の段階に相当する普通教育の機会の確保
て、いろいろな人との信頼関係を築くことがとても大
に関する法律案」が2017年の通常国会で成立すれ
切であり、また難しくもある。
ば2018年4月に実施されるとの方向性が示された。
例えば、カウンセリングは本人だけでなく、保護者
実施されると、義務教育の場を学校に限った1941
に対しても必要である。子どもが不登校になってすぐ
年の国民学校令以来の大きな転換になる。
は、保護者はまず原因探しをする。その場合、特定の
3)
病弱養護学校では、1961年以来、1990年代始め
教員や学校に非難の目が向けられることが多い。その
までに400名を超える登校拒否・不登校の子ども
時にどれだけ保護者の本音を受け止めて支援していけ
達が、心身症、自律神経失調症等の診断名で入学
るかが大切であるが、ここで重要なのは、話を聞いた
していた。1990年代末、寄宿舎のある病弱養護学
教員が一人で抱え込まないことと、学校ではない外部
校の調査では、内部疾患、喘息、肥満、アトピー
の立場の人の関わりを持つことである。正面から向き
性皮膚炎、心身症などであったが、入学する以前
合っている関係では見えなかったアドバイスを受ける
はほとんどの子どもが不登校状態であった。寄宿
ことができる。
舎で生活の枠組みを整え、仲間の中で困難を乗り
保護者との信頼関係づくりに、特効薬や秘策はない。
越えていった実践が数多く紹介されている。 (玉村
関係する人たちが連携し合って、困っている子どもに
ら,2012)
誠実に向き合うことで今の状況を的確に捉えて方向性
4)
「不登校問題に関する調査研究協力者会議」
を見いだしていくしかない。こうしたやりとりをどこ
(2003)報告によると、不登校の要因・背景の多様化・
で誰が行うのか、実際に臨床心理士やカウンセラーと
複雑化として①無気力、学習意欲の低下等、不登
どうつながっていくのか、教員のフットワークの軽さ
校がどの子にもおこりうる現代の社会状況である
や個人的な関係だけでなく、組織的な連携にしていく
こと、②家庭の教育力の低下③学校におけるいじ
ことが今後の課題である。
め、暴力等 ④LD,ADHD、児童虐待等の課題が
今後も学校内外を通じた切れ目のない支援の充実の
あげられ、早期の適切な対応の重要性が指摘され
ために、学校と外部機関が連携して、不登校児童生徒
ている。また、発達障害にも触れ、LD,ADHD等
の実態に応じた具体的な支援策を組織的・計画的に実
の児童生徒については、周囲との人間関係がうま
施していく方法を模索していきたい。
く構築されない、学習のつまずきが克服できない
状況が進み、不登校にいたる事例は少なくないと
Ⅴ おわりに
された。
特別支援学校に障害の程度が軽い児童生徒が増えて
5)
学校における教育相談体制やカウンセリング機
きた現在、心理的問題、思春期的問題、社会との接点
能の充実を図るため、文部科学省は平成7年度から、
など、従来の発達的視点に加えて、多岐にわたる見立
調査研究委託事業で、臨床心理に専門的な知識・
てや支援が必要となっている。
経験を有する学校外の専門家である臨床心理士な
本事例では、主に共同研究という形で大学と連携体
どをスクールカウンセラーとして全国に配置した
79
実践センター紀要 第 24 巻 2016
(平成7年度154校)。その専門性や外部性が評価さ
れ、平成13年度からは各都道府県等からの要請を
踏まえて国庫補助事業として実施され、全国の中
学校に計画的に配置することを目標とされ、平成
25年度においては7,065人が20,310箇所に配置さ
れている。平成18年度において全国の中学校7,692
校(4校に3校の割合)に配置されるとともに、小学
校1,697校、高等学校769校にも派遣されている。
しかしながら、各都道府県における中学校へのス
クールカウンセラーの配置率は、人材の不足や偏
在、財政状況等の理由によって活用の状況は様々
である。スクールカウンセラーは非常勤職員で、
その8割以上が臨床心理士である。また、相談体制
は1校あたり平均週1回、4 ~ 8時間といった学校
が多い。
引用・参考文献
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登校生徒の現状と支援体制.パイデイア 滋賀大学
教育学部附属教育実践総合センター紀要,24,6772
新井英靖・渡辺健治(2000) 病気による長期欠席児の
教育的対応に関する研究-寄宿舎併設病弱養護学校
児童生徒の実態と特別な教育対応について.東京学
芸大学紀要1部門,51, 253
田口正敏(2012) 発達障害・不登校のための新しい学
びの場,日本評論社.44
竹本弥生・芳川玲子・橋爪美津子(2007) 中学校時代
不登校であった生徒が養護学校で改善されたことに
ついての考察.日本教育心理学会発表論文集,49,
230
玉村公仁彦・山崎由可里・近藤真理子(2012) 病弱教
育の歴史的変遷と生活教育-寄宿舎併設養護学校の
役割と教育遺産-.和歌山大学教育学部教育実践総
合センター紀要,22,152.
文部 科学省HP www.mext.go.jp/ 中央教育審議会
初等中等教育分科会第100回(2015年9月14日開催)
配付資料 不登校に関する調査研究協力者会議中間
報告について資料3‐2 不登校児童生徒への支援に
関する中間報告(概要)資料3‐3
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