綿紡労組の歴史を訪ねて 埼玉県・日清紡労組OB 中 村 正 男 私が労組本部役員をしていたときに「組合のあゆみ」を編集していたことから、その時々 の出来事を調べて、後世に引き継いでいこうとした内容で、特に印象に残っているものの 一部をここに拾い出したものである。 1.労働組合の結成 昭和21年に労働組合法の制定により、各産業で労働組合が結成されました。私たち 綿紡績従業員(東洋紡、日紡、鐘紡、大和紡、倉敷紡、呉羽紡、敷島紡、日東紡、富士 紡、日清紡)も同様に労働組合を結成し、全繊同盟(ゼンセン同盟)の結成に参画した。 2.綿紡績の平均賃金 当時の綿紡績平均賃金は、日本工業平均賃金に対して47%と低位にあった。これは 綿紡績の従業員構成の特異性によるものである。全社員中、未婚女性80%、しかも女 性平均年齢は 20.3 歳、男子年齢は 27.3 歳ということで平均賃金は他産業に比して低い のはわかりますが、しからば、どの程度が良いのかと問題になった。当時の記録を見る と、当時の労働省は全工業平均の60%が妥当ではないかとの見解が示されていた。当 時、綿紡部会(10 組合)の労使関係は他業種に比し国民経済の立ち直りを期し、我々が 先頭に立ってその責任を果たそうとの意識を持つと共に、賃金の改善に努力をした結果、 2年で綿紡績の賃金が下表の通り、労働省のいう60%を上回り、全工業平均に対し7 3%という急激な上昇を遂げたのである。 (日経連調べ) 年度 昭和 22 年 昭和 23 年 昭和 24 年 期 全工業平均賃金 綿紡績平均賃金 率 上期 1,188 円 559 円 47% 下期 2,324 円 1,163 円 50% 上期 3,446 円 2,631 円 77% 下期 6,328 円 4,295 円 68% 4,700 円 73% 上期 (推定)6,400 円 3.労務加配米の要求 当時、日本復興の先頭に立っていた紡績産業は、2交替制勤務(先番:午前 5 時~午 後 2 時、後番:午後 2 時~午後 11 時)を強いられていたが、その当時の主食の配給は 1 日当たり2合1勺、これでは2交替勤務の重労働を考えると、もっと増配してもよいで はないかと政府に要求したが、政府は7千万人が最も苦しんでいる主食を、主要産業だ 1 からということで主張することは自重すべきだ、とはねのけられた。ただし、輸出に精 出して、その見返りに食糧が輸入されるようになれば、その一部を褒賞的に優秀工場に 特配されることの希望は結構だと思うが、現在、国内の主食事情を考えれば最小限の増 配で、あとは自給農園の工夫により、これを補うべきとのことであった。 4.朝鮮動乱でガチャ万時代へ 紡績産業がようやく軌道に乗り始めた昭和 25 年 6 月 25 日、朝鮮動乱が勃発した。こ の動乱特需で繊維製品はその恩恵を最大限受けることになった。綿糸はいくら作っても 売れる状態、当時、一梱当たりの値段が 3 倍の値をつけ、紡績業は注文に追われ、面白 いほど儲かったのである。いわゆる「ガチャ万」機械がガチャンと 1 回転すれば 1 万円 になったということのようだ。 5.操業短縮 朝鮮ブームは早くも昭和 26 年下期には台頭し始めると共に国内需要用の停滞、キャン セルの増大が重なり、相場の下落、メーカーの倒産が相次ぎ、27 年に入って一大不況に 直面するに至った。かくして 27 年 2 月末になって通産省繊維局長から日本紡績協会に対 し「適正稼動に対する5項目」の要旨が出された。ここで綿紡部会は政府並びに紡績協 会の動向を注視して 2 月下旬、組合代表が東京に集まり、各政府機関を訪問して調査を 行い、2 月 19 日には紡績協会と懇談会を開くなど、いろいろ対策を考えてきたが、執行 委員会で、①機械のスピードダウン、②希望退職者を募ること、③一定期間を定めて従 業員を親元へ帰休する方法、④配置転換の 4 項目の態度を決定し、3 ヶ月間の操業の短 縮協定を各社ごとに行った。 6.円高の推移 昭和 35 年から昭和 45 年までの日本経済の高度成長期における実質成長率は年平均2 桁であったが、昭和 46 年のドルショックから成長率は急速に落ち込み、2桁の成長とい うことは望めなくなった。この年から円高が始まり、更に、昭和 49 年のオイルショック があり、雇用所得の急上昇(昭和 47 年の賃上げ率 16%、48 年 21.7%、49 年 32.9%)と 相俟って物価狂乱時代となった。特に、昭和 52 年は異常と思えるほどの深刻な不況に見 舞われたが、その直接の原因は円高にあったと言われている。 昭和 24 年に 1 ドル 360 円に決定し、以降昭和 46 年のドルショックまで続いたが、暮 ごろには 308 円と円高になり、以降は 300 円~290 円、その後も少しずつ円高になった が、それほど大きなショックはなかった。 昭和 52 年に入って年初の 292 円 50 銭が 11 月には 240 円と一挙に 52 円(切上げ幅は 実に 22%)の急激な値上がりが輸出貿易だけだはなく、日本経済に大きなショックをも たらした。 以上 2
© Copyright 2025 ExpyDoc