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 曇りがねよにせねば
マタギ
◎独り又鬼の怒弾と日々
縣 一石
目 次
1 出会い 2 事件 ⑴傍若無人
⑵逆撃
7 事件の遠因=狂勢の胴元 6 事件の根因=当局の凶権 59
5 事件の直因=強権の尖兵 43
4 事実の二=工事業者のなぶり 3 事実の一=町当局の無視 7
67
55
35
33
19
13
決着 9 再会 ⑴一審
8 公判 ⑵控訴審
⑴マタギ
⑶生来の狩人と肝魂
⑶上告審
⑵一人の存在
独り又鬼の世界 75
日々の営み 166
⑶自活は自然とひとつで
234
119
⑵自給の百姓
268
229
⑴略歴と生計
別れ 後 記 265
73
249 247
230
195
273
277
227
215
10
11
12
13
すべてを根底から原理的に問いなおし、反時代から超時代に徹した一ドキュメント。
1 出会い
8
1 出会い
ここに一通の手紙があります。
‌
ゆる
前略 突然の便りで恐縮ですが、私らにとってまったく未知の貴重な〝又鬼の世界〟の一端、熊の巻き狩りの
たかせききよし
生態を自主製作で三年がかりで撮影してきた岩崎(群像舎代表)から、独り又鬼の長老格である高堰喜代志さん
が林道の開発問題がからんで止むにやまれぬ激怒から、赦しがたい相手方の一人を誤殺し、逮捕・起訴されて裁
判にふされていることを知ったです。驚いたです。
いま獄中にいる高堰さんの胸中は、軽々しく察することができるなどとはとてもいえんです。私は道産子(東
モノガミ
京生まれで北海道育ち)で、東京の片隅で中年すぎた四五才の一賃働人として妻子三人と生活しながら、ゼニが
まさご
物神づらした世で苦労と辛抱を重ねる底力の衆こそがヤクザな世を底から見返して一変させていくヌシにならね
ばウソだ──という思いから、俗に一匹狼の中年何人かと手を組んで、ささやかな自主雑誌で衆誌〈真砂〉を出
くれぐれ
しているものです。主義や党派はいっさい関係ないです。
高堰さん、どうか呉々も気を落とされんでください。かりにも一生は終わったなどと決して気を弱くされんで
ください。高堰さんの旧知の周りの人らはいざ知らず、私らは高堰さんが猟銃を手にして銃弾を発したのは、高
なぶ
堰さんが林道開設のために提供した用地の代替地問題を何年にもわたって未解決のまま放置して無視してきた町
と、高堰さんを嬲りものにした一土建会社社長にたいする憤怒が、どうにも抑えがたくなって爆発した結果だと
感じとっています。
高堰さんの何年来の心底からの憤りは、〝誤殺の罪〟によって闇からヤミに葬りさられていいものですか? 断じてそんなことはあっていいはずがないです。
9
高堰さん、いまは赤の他人や他人の言葉はいっさい信じられない心境にあるかもしれんですが、せめても胸中
の一番奥底にあるものを少しずつでも一気にでも、私らに伝えてもらえんでしょうか。そうしてもらえたら、私
らのできる範囲で、地元と事件の関係者と世人に、もっとも肝心な高堰さんの意中と、事件の原因と背景の真実
を訴えて、はっきりさせていきたいと思っています。ゼニ無しの私らのできることは、口はばったいですが精神
的助太刀、助っ人です。高堰さん、その範囲でなら私ら精一杯のことはやりますから、どうか思いきって何でも
申しつけてみてください。
いずれ、私らの誰かが稼ぎの合い間をぬって、差し入れ・面会・公判傍聴の機会を見つけだしていきたい肚づ
もりです。
怱々不一
高堰さん、どうか呉々も体を大切にされて、さらに余人のあずかり知れぬ胸中の奥底の怒りを大事にされて、
公判でも獄中でもなんとしてでも〝又鬼の意地と肝魂〟を貫きとおしてください。
ご返事もらえたら、ありがたいです。 日づけが一九八一年(昭和五六年)三月一四日になっているこの手紙は、ときに秋田地方裁判所大館支部法廷
で公判にふされていた一被告人高堰喜代志あてに、〈マタギ誤殺事件の真実を問う衆座〉の一人山県仁から出さ
れたものでした。
あに
え
衆座は同年一月六日に勃発した事件後にできましたが、それと被告人とのかかわりは、発端が事件数年前のつ
ぎの動きにありました。
記録映画畑の岩崎雅典が、みずからの出身地・秋田の山の民で狩猟の民、〝阿仁又鬼〟を「ぜひ画にしたい」と、
10
1 出会い
群像舎スタッフの明石太郎・沢田喬ほかと、一九七八年(昭和五三年)に被告人をふくむマタギ衆の集団猟、熊
の巻き狩りの撮影に乗りだしました。
め
それと並行して、一賃労働人で写真畑の坂野英彰が、年来「ほんとうの狩猟民」をもとめていて映画撮影を手
伝い、そこで撮影当初に重い機材携帯の撮影隊を「お前ら、何だ。そんたら格好で俺だちについでくるごとはな
スチール ど
んねぇ。俺だちは真剣勝負なんだ」と一喝した被告人、「これがほんものの又鬼だ」と感じさせられた被告人に
え
巡りあい、そのご狩りと被告人に魅せられて、撮影いがいにも写真撮りのために単独でマタギの里・阿仁に自家
用のライトバンにガタがくるほど通い、被告人に「旅館に泊るど金かかって大変だべ。俺の家さ来て泊れ」とい
セコ
うっとう
われるようになり、被告人と狩りの現場に七〇回前後におよんで同道し、写真撮りは二の次になって狩りの助手
ヨソモノ
役と熊を追いこむ勢子役をつとめるまでになり、被告人と又鬼のシカリ(統領)の鈴木松治(阿仁町打当/穴の
なかの大熊ほか八頭の熊の頭を射ぬいて異名「頭撃ちの松治」)とマタギ衆に「街場の他処者」としてはじめて「特
別に仲間」と認められるようになりました。
や
ついで事件後に、この二つの動きが機縁になって、一賃労働人で文筆畑の山県が、いずれ「ゼニ狂いの世でゼ
ニを排した自給と自活の衆の村」をつくろうとする思いをこめて、「この殺しはただごとじゃないし、殺った人
物はただものじゃない」から、事件の原因と背景のほんとうのところを被告人と肝をひとつにした私闘でハッキ
リさせる必要があるし、事件そのものと〝自然人〟の被告人を生き方の学びの鏡にしていく必要があると、一人
ひとりがヌシである衆座を発案しました。
これに文筆畑の原田建司(小説業船戸与一)が、「資本狂い文明と文明人」に逆抗せんとして、アメリカ大陸の〝大
地の原民〟であるインディアン衆の叛アメリカ運動に熱くつらなる視点から、一枚加わり、さらにこれにあの人
11
この人が、表立たずに「手を貸す」かたちで加わりだしました。
が、問題は、一通の私信中の事件とは何だったか? それがいみするものは? マタギ高堰喜代志の銃弾は誰
に、何にたいして放たれたか? 又鬼、独りマタギとは何だったか? 高堰の人物と日々、生き方はどういうも
のだったか? それがいみするものは? でした。
12
2 事件
2 事件
と とりない
とちの きざわ
一九八一年(昭和五六年)一月六日午後二時すぎ、秋田県北秋田郡阿仁町戸鳥内・栩木沢の、まだ新年のほろ
酔い気分がぬけやらぬ雪深い山里で、ボタ雪が降りしきるなか一発の銃声がバゥーンと重い音を発しました。
戸数一四戸の栩木沢の里で、それを耳さとく聞きつけた部落住人の何人かは「喜代志がなんか鳥でも撃ったん
マッパ
ぼ
だべ」とおもいました。栩木沢で猟銃を撃つといえば又鬼の高堰喜代志で、高堰は熊をはじめとして野生の鳥獣
かしら
を狩りする秋田特有の狩猟民、阿仁マタギのなかで、集団猟の巻き狩りで獲物を射手のもとに追いこむ(追う)
勢子の頭で、単独猟をする独り又鬼の長老で、自他ともに認める狩りの天才肌の名人で、狩りの現場では誰より
もく
も厳しく「おっかねぇ」ためと、熊との死闘で傷ついた顔つきが「ライオンに似てる」ためにマタギ仲間から「ラ
イオンの喜代志」の異名をたまわり、劇映画『マタギ』(青銅プロ・監督後藤俊夫・主演西村晃)のモデルと目
された人物でした。
が、銃声は狩りのそれではありませんでした。部落民はつぎの異常事態に直面しました。林道開設にともなう
山の斜面の地滑り防止水抜き工事の最終の集水パイプ布設工事のために、高堰宅わきの林道入口部分から工事現
場(一キロメートル弱の先)にむけて小型ブルドーザーで除雪作業をやっていた中嶋土建ほかの男女作業員が、
銃声の何十分か前に急に蜘蛛の子を蹴散らかすように林道の奥にむかって逃げまどい、やがて銃声が響き、一作
業員の急報で地元の警察と秋田市の県警本部から機動捜査隊と機動隊がパトロール・カーと移送車で急行してく
る事態に。里に、ただごとではない異変勃発の戦慄がつっ走りました。
さきがけ
ことは殺人でした。
地元の秋田魁新報は一月六日から九日にかけて報じました。
「マタギの里に恐怖と衝撃」──「阿仁町の猟銃殺人事件」──「争った社長と誤認」し「林道除雪の作業員
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を猟銃で射殺」──「『オレが殺される』と老マタギ」──「『除雪のことでいざこざが絶えず、こっちがやらな
ければやられてしまう』と動機を供述」──「森吉署に逮捕された(略)農業高堰喜代志(六七)は(略)調べ
に当たった捜査官から『殺したのは別人だ』と知らされると、急にうなだれ『申し訳ないことをした。死んでお
わびしたい』と話しているという」──「(隣家の話)以前から事あるごとに、だれかれの区別なく反発してい
た。(略)〝荒っぽい〟性格で、家族もずいぶん泣かされていた。集落の人たちも、当たらずさわらずの付き合い
や
おかしない
しかできなかった」──「林道造成でゴネる」──「動機の真相は〝ヤブの中〟」と。
殺ったのは又鬼で農業もやる高堰喜代志(六七)、争った社長は地元阿仁町笑内の中嶋土建の中嶋礼治(五二)、
殺られたのは仙台の東洋基礎開発のボーリング工助手で宮城県角田市藤田・台田から出稼ぎにきていた阿部哲男
(五一)でした。
事件は痛恨の誤殺でした、怒殺が激変して。高堰は「中嶋どご殺して俺も死ぬど思ってだ」と、殺るべき相手
こく
を殺りきったら自決する肚でいましたが、殺った相手が別人だったとわかったとき、呆然自失して脱力しきり、
おそらくはひと知れぬ痛哭を噛みしめて死にきれず、誤認の殺しについてだけは、「申し訳ない」気持ちひとつ
になり、「死んでお詫びしたい」と極刑の死もいとわぬ意中をもらしました。
が、高堰の「オレが殺される」とは何だったか? 「反発」とは誰に、何にたいして、どんな? 「ゴネる」と
は何を、どのように?
殺人と銃刀法違反と火薬類取締法違反の容疑で秋田地方検察庁大館支部拘置所の独房に拘禁されていた高堰に
たいする公判は、一九八一年(昭和五六年)二月一三日から秋田地裁大館支部法廷で始められました。が、公判
に作用する世論、地元の高堰と事件にたいする反応は、さまざまな参考人が警察当局の事情聴取で述べたことの
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2 事件
なかの「欲深い男で」──「部落のものからヤバッチー男と云われて」──「村八分にあって」──「情状酌量
の余地はまったくない」という数言に如実なように、悪評と非難に満ちみちていました。ヤバッチーとは、どう
しようもなく汚ないことでした。どうじに事件は、誤殺の罪一色に塗りつぶされて、あっというまにカタをつけ
られ、判決にもちこまれる雲行きでした。
これは否で、黙過できないことでした。高堰が一方的に汚ない奴と見なされたままで、事件がもっぱら誤殺罪
で処理されてしまうことは。それはどこか臭いものに蓋をするげな嘘が臭いたち、公判がそれで終始したら、肝
ひろし
腎な事件と背景の一連の真実は闇からヤミに葬りさられて、ついには陽の目をみずにかき消されてしまうからで
した。
衆座は被告人──被告人の家族代表高堰正志(長男)──国選弁護人荘司昊と話しあい、公判では一連の真実
を問いただしてハッキリさせていく方針がかためられました。
真実とは? 一に、ヤバッチー奴とは、ほんとうは誰で、酌量の余地のないものは、ほんとうは何だったか?
二に、村八分とはどんな? 三に、事件はどんな経緯の事実とごまかせぬ原因にもとづいていたか? 四に、
老マタギ高堰が痛劇の誤殺までせざるをえなかった激怒のほんとうの相手は誰で、ほんとうの動機は何だった
か? 五に、独り又鬼の長老高堰に如実だった、ほんとうのマタギの魂と世界が地元の阿仁町だけにとどまらず、
いまの世と時代のなかでもっているいみは何だったか? 六に、そもそも狩人で百姓の高堰はどういう生き方を
してきたか? 七に、狩人高堰がおこした事件の裸核は何だったか?
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3 事実の一=町当局の無視
20
3 事実の一=町当局の無視
話は事件の一〇年ほど前にさかのぼります。
一九七一年(昭和四六年)一〇月五日、阿仁町長沢井作蔵から秋田県知事小畑勇二郎あてに林道事業計画概要
書が提出されました。それは過疎地域の農林業生産基盤整備事業の一環として、県が工事費を負担し、町が土地
かんこう
買収と補償の責任をもつ責任分担制による栩木沢林道およそ二・七キロメートル(部落入口の高堰商店前から部
落の中心道を通り、もっとも山際の高堰喜代志宅をへて、その奥の官行造林地にいたる)の開設工事でした。
同年一一月一九日、高堰喜代志は阿仁町長沢井作蔵あての、栩木沢林道開設にともなう私有地提供の承諾書に
署名・捺印しました。それに先立って一四日、施工の秋田県北秋田農林事務所林務課と用地買収の阿仁町建設課
の担当二人、田畑隆三と加賀谷昭一が高堰宅を訪ねて、道路の測量について説明し、立ち会いをもとめたとき、
え
高堰ははじめて町役場の担当から部落の誰もがすでに知っていること、林道開設計画を知らされて、「この沢に
も林道の一本ぐらい入用だし、部落の人だちが良と思ってるだば俺も協力する」と二人に告げ、林道予定の現地
かえち
を一緒に見て歩きましたが、「測量の立ち合いはしてね」でした。そのあと高堰は加賀谷が持参した「栩木沢林
道開設に伴い、私所有の土地が林道敷地となることについては異議なく承諾します」という承諾書に、「代替地
さえ出してければいいからと云ってハンコを押し」ました。そのさい高堰は自分の土地をどれだけ提供して、代
替の土地はどこでどれぐらいになるかもわからず、土地交換の契約書もないので「おかしい」とは思いました。
ふた
が、従来からの慣例どおり自分としては提供分ははじめから「代替地をもらうつもり」でいました。
が、実はそれの二月前の九月九日に町役場は栩木沢の部落民に林道用地提供の補償について説明会をもち、
「今
回はこれまで慣例になっていた代替地ではなく、金銭買収によって対処したい」旨を伝えて、了解と協力をもと
め、九月一一日に林道を待望していた部落は集会をもち、金銭買収による補償を全員異議なく応諾することを決
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めました。
つんぼ
ところが高堰は部落で聾桟敷におかれて、この件、書面でも口伝えでも電話でも回覧板でもいっさい連絡なし
で、知りませんでした。
なぜ高堰はツンボ桟敷におかれたか? 部落が高堰をいつからとなく村八分にしていたからでした。高堰が
一九六九年(昭和四四年)には栩木沢をふくむ戸鳥内部落会の副会長を一期二年間にわたり無事務めあげている
にもかかわらず。
村八分の発端は高堰が四一年(昭和一六年)に二八才でおよそ三ヵ月間(八月一日~一〇月二七日)、国の徴
兵に応じて秋田一七連隊に入隊したとき、私有地の山林の一部(栩木沢二番地と二〇〇番地)が部落の世話役=
有力者(加賀谷末五郎と佐藤金蔵)によって勝手にほかの部落民三人に名儀変更ないし特売(闇金七〇円で)さ
れていたことにありました。除隊後にそのことを知った高堰はショックを受けて憤慨し、町に抗議して不当に横
領された山林をとりもどし、さらに町から「お詫び」で別の山林(大沢口一〇番地)を安価(三〇円)な特売で
得ました。が、部落の有力者はオノレの不正は棚にあげて、ワレの画策に正面きって楯突いた高堰を、部落の権
勢と利害の暗黙の掟に公然と逆らった身のほど知らずの不埒者とみなし、見せしめで仲間はずれの制裁の対象、
村八分の標的にしだしました。これは法的に正当な高堰が法破りの部落の有力者に制裁を加えられるという、まっ
たく逆立ちした理不尽きわまる村八分でした。
村八分は、冠礼・婚礼・葬式・建築・火事・病気・水害・旅行・生産・年忌の一〇分の協力のうち、火事・葬
式の二分いがいの八分を絶つこと。
高堰の林道開設にともなう私有地提供承諾にかんして、秋田さきがけ新報は報じました。「周辺の聞き込みで
22
3 事実の一=町当局の無視
高堰が自宅前を通る林道造成で集落が一本化した意見を無視し、ゴネていたことが明らかになった。今回の事件
の伏線ともみられる動きだ。/昭和四十六年、県北秋田農林事務所が過疎林道として栩木沢集落から森吉山ブナ
帯への路線延長を計画(五十年に完成)、集落全体で用地の現金買収に応じることで意見が一致した。この時点
では高堰も同意していた。/しかし、買収費が各個人に支払われる段階になって高堰が『金でなく代替地が欲し
い』と言い出し、県の用地買収を代行している阿仁町役場を困惑させた」(一九八一年・一・八・朝刊)
新報は、高堰が金銭買収による補償をまったく知らされていなかったこと、部落と町役場のその不当な仕打ち
は聞きださずに、高堰がそれまでの慣行どおり代替地による補償を求めたことを、高堰が急に態度を変えて得手
勝手にカネではなく替え地をよこせとゴネたというふうに報じました。これは俗に予断による偏向報道で、とき
としてマス・コミは客観と公正を期す公器の名において、事実に似て非なる嘘をつく代物でした。
一九七二年(昭和四七年)五月一八日、すでに二月一二日に阿仁町長沢井作蔵から秋田県知事小畑勇二郎あて
に申請されていた栩木沢林道の過疎地域対策緊急措置法にもとづく基幹道路の指定が、他町村の諸林道とともに
国によってなされた旨の通知が農林大臣赤城宗徳から秋田県知事あてになされました。
そこで栩木沢林道開設工事は、県が総延長二六七七メートルを昭和四七年度と四九年度と五〇年度の三回に分
けておこない、四七年度分は地元阿仁町荒瀬の松岡組(社長松岡久)が一五三六メートルを一一二一万三千円で
落札し、四十七年六月二〇日に着工して四八年二月二〇日に竣工し、四九年度分と五〇年度分は森吉町新屋敷の
奥山建設運材所(社長奥山久次郎)が六二七メートルと五一三メートルを、一五二九万六千円と一四三一万一千
円で落札し、四九年度分を四九年六月二九日~一二月一一日、五〇年度分を森吉町根森田の田中組(社長田中正
直)に代行させて五〇年五月十九日~一〇月二〇日に着・竣工しました。
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ここまでで誰の目にも明らかなのは、林道開設用の私有地について、当初から町はこれの確保をゼニ買収でや
るべく部落ととり決めて、そのことを高堰に知らせなかったのにたいして、高堰はこれの提供を従前の慣行どお
り代替地取得、土地交換によってやる肚でいたことでした。町の方針は県と国のそれでもありました。
ときに一九七一~七二年(昭和四六~四七年)といえば、世ではすでに日本が恥ずべきエコノミック・アニマ
ルの経済大国にのしあがり、ために鼻高々だった自由民主党政権の首相佐藤栄作が退陣し、代わって佐藤門下の
田中角栄が首相となって登場し、日本列島改造論をぶちあげて地価を暴騰させ、あげくに〝物神〟のゼニが暴威
さんぶ
をふるって世と大地の何もかもを利産の餌食にして食いつぶしにかかり、その足下で土地を命綱とする千葉県成
田市三里塚と山武郡芝山町の百姓衆の激しい怒りと抵抗を踏みにじって、成田国際空港用地の私有地の強制収用
代執行が強行されていました。強は凶と狂に通じていました。
そのような世の狂勢が秋田の一山里にも押し寄せていたなかで、百姓で狩人の又鬼の高堰もまた、土地をみず
からの命で命綱にして、林道用地の私有地のゼニによる買収にはまったく応ずる気はありませんでした。高堰の
その意中はそれ自体、ゼニ狂いの世と世人にむかって無言でつぎの問いを発していました。
はぐく
ゼニと土地、なんでも利産材にして食いつぶすゼニと米でも野菜でもなんでも生みだして鳥獣でも人でもなん
でも育む命源の土地、いったいどっちが大事なのか?
七二年(昭和四七年)八月二一日、高堰のもとに阿仁町長沢井作蔵からはじめて公式に、とはいえ唐突に抜き
打ち的に土地売買契約書(案)が送られてきました。それによると、高堰が提供する土地=潰れ地と伐採される
立ち木の内訳はつぎのとおりでした。
宅 地 七 五・八 五 ㎡ ──田 五 一・九 ㎡ ──畑 九 〇・二 ㎡ ──原 野 二 三 四・一 ㎡ ──山 林 一 四 〇 七・七 ㎡ ──計
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3 事実の一=町当局の無視
たん
せ
一八五九・七五㎡(およそ一反九畝=五七〇坪=一九アール)で、買収金額六六二九〇円。
桐二本──杉八本(五年もの)──薪二棚──栗一五四本(七年もの)で、補償金額五一七五四円。
提供地と伐採木の総額一一八〇四四円。
山里での土地の売買価は都市でのそれとは雲泥の差で低額でした。が、高堰は金額の高低にはかかわりなく、
この土地売買契約書には押印せず、町に代替地を求めました。高堰はそれまで町から提供地の金銭による買収を
いっさい知らされていなかったことに不信をいだいたうえに、はじめから潰れ地の見返りには慣例にしたがって
め
ね
ゼニ・カネには換えがたい命で命綱の土地、替え地を望んでいたからでした。
が、町と町長沢井は「お前にばり町有地はやれね」し、「代替地は無」と高堰をつっぱねました。替え地はあ
ぶ
りました。高堰は戸鳥内にも栩木沢にも町の財産区有地があることを指摘し、「なしても代替地をよこしてけれ」
と町に八反歩(およそ八〇〇〇㎡=八〇アール=二四〇〇坪)を要求しました。内訳は、林道用に提供した潰れ
バラシ
地(宅地と田畑と山林と原野)が二反歩弱のところを一反歩強(およそ一〇アール)とし、開設工事で土砂が流
れこんだり砕石(バラシはバラスト=バラスの訛り)が落ちこんで損壊した田と水路の被害地が三反歩弱(およ
なわしろた
そ三〇アール)でしたが、提供地については大阿仁財産区の旧来からのとり決めで、土地代替の割合が山林・原
野で七倍──田畑で一一倍──宅地・苗代田で一二倍となっていて、「ほんとは(最少でも)七反歩(一反歩の七倍)
要求できたが、まず五反歩(一反歩の五倍)でいい」とし、潰れ地と被損地の代替地による補償要求が五反歩と
三反歩で計八反歩でした。
高堰のこの要求にたいして町はどうしたか。秋田さきがけ新報は報じました。「同役場では一人だけ例外の代
替地要求には応じられないと拒み続けたが、高堰のあまりに強硬な態度についに折れ、代替地を提示した。/し
25
かし高堰は『気にくわない土地だ』と次々に提示される代替地をことごとく突っぱね、最後には十アールの代替
地に対して『八十アールなければダメだ』とゴネ続けた。昨年(昭和五五年)十二月下旬には町の担当課長が『な
ごうつくばり
んとか解決してほしい』と頼み込んだが、歩み寄りの気配がなかったという」(一九八一・一・八・朝刊)
この記事は、町側がいかにも道理と誠意をつくしているのにたいして、高堰がいかに勝手な強突張で強欲に無
理難題をふっかけているか知れないと、読むものに強く印象づけるものでした。ほんとうにそうだったか? 否
で、事実はまったく逆でした。
一に、高堰の代替地要求は理不尽で、闇雲に「強硬な態度」をとっていたか? 否でした。
高堰は当初から、提供地の金銭による買収を知らず、知らされず、ごくあたりまえに提供地にはカネではなく
替え地による補償をとの情理と筋道をつらぬいていただけでした。たいして町はハナからゼニでことを片づけよ
うとして、提供地の金銭による買収を既成事実にして高堰に有無をいわせずに押しつけました。が、高堰は町の
唐突で抜き打ち的で高飛車な態度の買収をついに受けいれなかったので、町は高堰に「折れ」ざるをえなくなっ
て、一九七四年(昭和四九年)一〇月二三日しぶしぶ代替地八反歩(およそ八〇〇〇㎡)を「特売」(一〇〇〇
㎡単価二六〇〇円)の形で出す覚え書きを提示しました。
高堰はこれを呑みました。
二に、それなら町の特売のかたちをとった替え地の提示は、高堰にたいして誠意をつくしたものだったか? 一見そうみえて、実は否でした。
なつうおとまり
町は大阿仁財産区の特売を一九七六年(昭和五一年)三月四日、財産区管理会にかけて決め、高堰に図面上で
希望地を選択させました。が、高堰が選んだ戸鳥内・夏魚泊の一部は町が相談した部落に反対されて拒絶され、
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3 事実の一=町当局の無視
代わりに町が夏魚泊の別の部分を指定しました。その場所は高堰が町役場の担当と部落の隣接地所有者とともに
測量のために現場を検分したところ、急傾斜(勾配およそ八〇度)で岩だらけの「ガンケ山」で「とても杉を植
えたりできね場所」でした。瞬間、高堰は騙されたとおもい、即座に「こんたら山なば、いらね」と役場に告げ
ました。高堰の提供地と被損地の代償地がガンケ山だったとは、これは町役場の誠意であるどころか、ひとをナ
メるにもほどがある悪意そのものでした。
どうじに役場は栩木沢の高堰をのぞく一三戸(加賀谷金一・加賀谷時一・加賀谷一義・加賀谷藤雄・加賀谷
三千雄・加賀谷義忠・加賀谷国男・高堰小市・高堰兼蔵・高堰善作・佐藤千代美・石田博・鈴木慶勝)に、夏魚
泊の山林二町七反歩(およそ二七二〇〇㎡)を共有の形で特売(一〇〇〇㎡単価二六〇〇円)しました。これは
町役場が、高堰だけに特売の形で代償地を出すことに陰に陽に異議を唱えた部落に配慮して、部落民とおこなっ
た裏取り引きの産物でした。高堰はこれが腹にすえかねて役場に強く抗議しました。町役場が林道用地の金銭補
償のほかに特売で土地を払いさげた部落民のなかに、「俺が入ってねのは不公平でねか」と。役場はそれを柳に
風で受け流しました。
そこで高堰はもっぱら肝心な代償地について町役場にまともな土地の「別のとこを寄こすように」要求し、こ
じか
んどはダマされないように、みずから候補地を現地検分して提示し、掛け合いつづけました。が、役場は高堰が
いきさつ
直談判した町長沢井をふくめてヌラリクラリと確答を避け、決着をひき延ばして高堰を敬遠し、無視しだしまし
た。
あざむ
この経緯について、さきがけ新報は代償地について高堰が一方的に「気にくわね」と町に楯ついているげな書
き方をしました。が、事実はまったく逆で、一方的に恣意的な振舞をしたのは、ひとを食って欺くとんでもない
27
土地を高堰に押しつけようとした役場のほうでした。この時点で高堰には、町と担当課長と町長はもはや紳士の
ネコっ皮かぶって、ひとをたぶらかすにもほどがある偽善のキツネ野郎であることが歴然としました。
つぶて
高堰は屈辱と激怒をあえて抑えて、そのごも戸鳥内地区のまともな土地を特定して役場に提示しつづけまし
どく
た。が、町は梨の礫で回答を留保し、代替地問題を未解決のまま放置して、高堰を無視の彼方に押しやりました。
三に、高堰が役場に要求した八反歩(八〇アール)の反数は、ゴネ得をねらう欲こきの不当な水増し要求だっ
たか? 否でした。
高堰は先にみたように、ゴネるどころか終始一貫して、提供済みの潰れ地一反歩強について、土地代替のとき
財産区で習わしのとり決めになっていた七倍から一二倍の取得権を遠慮して五倍に減らして五反歩、それに工事
にともなう被損地三反歩弱、計で八反歩を誰もが認めざるをえない当然の要求として町に提示しつづけました。
しゅちど
ところが、この一件で役場と部落は「(高堰が)二反の代替地を五反、八反とつりあげてった」うえに、「他人
の分(ほかの部落民への特売分)まで寄ごせといいだした」から、「まるで守銭奴と同じで守地奴だ」と噂して
評するようになり、高堰が闇雲な土地亡者であるかのように印象づけました。加えて新聞は「(高堰は)最後に
は十アール(一反歩)の代替地に対して『八〇アールなければダメだ』とゴネ続けた」と記して、高堰が正当に
要求できる代替地は一反歩しかないのに法外にも八反歩(八〇アール)も要求したと誰の目にも映る記事と、い
かにも高堰が欲の皮をつっぱらせてゴネ得を狙ったと誰にもおもわせるげな記事を公表しました。
これはどっちもひとをあざむくダマクラカシでした。
ゴネつづけたのは高堰のほうではなく、町のほうでした。なまくら四つのメンツと欲得がらみで、あの手この
手をつかってトボケきって。そして町役場は高堰の代替地問題を一九七一年(昭和四六年)一一月から八一年(昭
28
3 事実の一=町当局の無視
ひきがね
和五六年)一月の事件勃発まで、実に足かけ一〇年にわたって未解決のまま延々と遅滞させて、高堰を無視して
きました。
この無視が、痛ましくも誤殺におわった高堰の怒殺意の起因、第一の引鉄になりました。
その間、一九七九年(昭和五四年)一〇月初旬(五日)に、町の経済課長柴田一忠と建設課長高堰定治が唐突
に高堰喜代志宅を訪れて、高堰と談合しました。
柴田はいいました、「そろそろ決めでもらわねば」
え
高堰は応えました、「それは俺のほうでねぐ、町のほうだべ」
柴田はいいました、「来年はこの家の前まで道路の舗装工事始まるし、今日、決めでもらわねば、町長と相談
して林道は別にもっていぐごとになるかもわがらね」
高堰は応えました、「決めるって、どこば? あのガンケ山だば、いらね、納得できね」
柴田はいいました、「わがった。決めてくれねば、道路は別さもっていぐ」
高堰は応えました、
「よし、わがった。それが一番いいべ。あとは何も要求しね。道路は別さもってってけれ。
その代わり、ここは歩がせね。田んぼのほうの補償は別に請求する」
町の両課長が突然、高堰宅を訪れたのは、林道開設工事は付帯工事をのぞいてすでに一九七五年(昭和五〇年)
に竣工していましたが、工事は事務処理上、用地提供者の一人・高堰への代償問題が解決されないかぎり完了し
たことにはならず、高堰の一件は二課長の責任問題になりかねなかったからでした。
談合は物別れにおわりました。
高堰は「役場がその気」なら、とは代替地も寄こさずに勝手に林道を通して不当に林道の一部の私有地を何年
29
おど
も使いながら、陳謝ひとつせずに高圧的に林道を別のとこにもっていくとできもしないウソをついて威しをかけ
て、代償地問題をご破算にしようとする気なら、こっちにも考えがある、すでに林道になっている道路の一部(自
宅脇から官行造林方向へおよそ五二〇メートルの区間内でおよそ四四〇メートル)はまだ自分の土地、私有地だ
から、そこは誰にも歩かせない、それで誰かが困っても、それは「町の責任」だ、と肚を決めました。
二・三日後、高堰は林道の私有地のところに穴、およそ深さ三〇センチ・幅六〇センチ・長さ二メートルの穴
を掘り、通行止めの立て札、ワラ半紙に「これから先は私有地につき通行を禁止します」と大書した立て札をた
てました。
しっぺい
のろし
これは町の、ひとを食った小手先の弄策と無視を耐え忍んできた高堰が、ついに勘忍袋の緒を切って放った激
怒の竹箆返しで、一つの徹底した私闘を告げる烽火でした。
えんてい
が、高堰は「なしても通らなければならない人だち」には、板で穴をふさいで人でも車でも通れるようにして
いました。
同時期、林道奥で砂防堰堤工事をやっていた松岡組は、前もって高堰から通行の許諾を得べく挨拶代わりに
きんす
金子一万円をもっていって受けとるのを断わられ、代わりに日本酒二升を届けたあと、作業員が林道入口部分を
通るたびに高堰にことわって穴を板で覆って通りました。
が、松岡組は工事の不便と遅滞を懸念して「なんとかしてくれ」と町に再三申し入れ、役場は重い腰をもちあ
げて高堰に穴を埋めて工事関係者を自由に通行させるように働きかけました。が、高堰は「用地問題が片づかね
うちは」道路は私道だからと拒絶し、町は「道路は公費でつくった公共のもの」で公道だから、それを壊したり
通行止めにするなら「司直の手にかけねばならね」と強権発動をちらつかせました。
30
3 事実の一=町当局の無視
ばく
結果、二ヵ月後の一二月初旬(八日)、町の警察が立て札を撤去して穴を埋めました。が、代替地問題は未解
決のまま残されていました。
のちに痛劇の誤殺で獄中に縛される身になった高堰は、誤殺にたいしては心底から謝罪してどんな刑罰でも受
けんとしていましたが、土地問題にたいしては一歩も退かぬ私闘の覚悟を新たにしていて、いいました。
「林道
を通した私の土地はいまだに私の名儀になってるし、代替地もいまだにもらってね。これは町政をあずかる町長
沢井作蔵の責任で、必ず決着ばつけてもらう」と。
31
4 事実の二=工事業者のなぶり
34
4 事実の二=工事業者のなぶり
⑴傍若無人
一九八〇年(昭和五五年)七月二〇日、栩木沢の林道奥で秋田県北秋田農林事務所施工の地滑り防止工事が着
工されました。
工事を元請けしたのは指名競争入札で落札した日本工営東北支社(本社は東京)で、請負額は一六五○万円で
はちのへ
した。日本工営はこの工事自体を宮城県仙台市の笹原地質工業に七〇〇万円で一次下請けさせ、どうじに地質調
査とボーリングを仙台市の東洋基礎開発にX円で二次下請けさせ、さらに地盤と地質調査を青森県八戸市の東北
基礎にX円で、水路と編柵を地元阿仁町笑内の中嶋土建に三七五万円で孫請けさせました。
ひたちない
そこで工事現場のメンバー構成はほぼ、総括責任者が笹原地質工業から一人、作業員が東洋基礎開発から四人、
東北基礎から二人、中嶋土建から六~一〇人(男女)となりました。工事は中嶋土建いがいは阿仁町比立内の松
橋旅館を飯場代わりにし、三交替制(午前零時~午前八時と午前八時~午後四時と午後四時~午前零時)で昼夜
兼行でおこなわれることになりました。
同年一二月中旬(一三日)、中嶋土建の社長中嶋礼治が高堰喜代志宅を日本酒二升を手土産に、仕事はじめで
工事にともなう通行と除雪について依頼がてら挨拶に訪れました。
中嶋「奥のほうで仕事やるがら一 ト月ばり道路通らせてけれ」
農業委員・
中嶋は阿仁町の一名士で押しが強く、土建業のほかに米作と肉牛生産をやり、目ぼしいところ町じの
っこん
農協理事・肉牛生産組合長・笑内部落自治会長・伏影地区公民館長を歴任していて、町長沢井と昵懇な間柄でし
35
た。が、中嶋は工事を紹介してくれた松岡組社長(松岡)から林道の私有地使用を問題にしている高堰の態度を
ことこまかに伝え聞いていたので、高堰には猫っ被りで丁重に接しました。
高堰「わざわざ挨拶に来てけだか。まず、あがれ。一杯やってげ」
中嶋「いや、車で来てるがら」
高堰「んだか。なんも心配しねで通れ」
俺が腹を立てているのは代替地問題をウヤムヤにしている町役場にたいしてで、ちゃんと挨拶にきて筋を通す
人には、なんのツミもないし、なんの文句もないから私有地を歩かせていると高堰は付言しました。そのうえで
高堰は、中嶋が「道路(用地)売ってねそうだな。書類見せてけれ」というので、かって役場から送られてきた
土地売買契約書をはじめ問題の関係書類を中嶋に見せながら、みずからが売買契約書に印を押していないこと
や、みずからが代替地として打診しつづけてきた大阿仁財産区の所有地(最近では戸鳥内堰根用材林=通称で大
め
堰山林)を町が寄こしさえすれば何の問題もないことを明かしました。
中嶋「(林道の一部は)ハンコ押してねぇがら、お前のものだな。これだば機会あれば役場に話して早く解決
してやる」
け
高堰はこのとき中嶋を信用し、前日に荒瀬で集団猟の巻き狩りで獲った熊の肉汁、妻テツエ(六三)の心づく
しのクマ汁を中嶋に、うめぇがら食ぇと振舞いました。
そのあと二人は、中嶋の「土地はどこまでお前のものだか教えてけれ」とのもとめによって林道内と林道沿い
の高堰の私有地を確認しあうために連れ立って外に出て、ひとつの確約をしあいました。
高堰「お前だば、これまでの業者みでに砂利落どしたりズリ(道路に敷いた砕石)撥ねとばして、知らんフリ
36
4 事実の二=工事業者のなぶり
すなよ。そのせいで俺の田んぼや水路三反歩ほど潰されだから」
中嶋「わがった」
高堰「それど除雪のどき、道路のズリば起こさねように注意してけれ。田んぼにはズリの石ころば絶対に入れ
よそ
ねようにな。ブル(ブルドーザー)は絶対に使わねでけれ、ズリば起こすがら」
田畑でのズリ被害、〝石ころ公害〟は高堰のところだけでなく隣接する他家のところにもおよんでいて、高堰
は他家から喜代志のところのズリのせいだと難癖をつけられていました。
と
中嶋「わがった。仕事は一週間ぐれで終わるし、除雪のどきはあんだのとこスコップで雪寄せしてブル使わね
がら。それでもバラシ(砕石)が田んぼに落ちたら、春に雪解けだとき、ちゃんと片づけるがら」
高堰「そうしてけれ。ただし雪寄せは田んぼのほうにしねで山際さしてけれ。それに山林のほうだば、栗の小
さぇ木(およそ一・五メートル)ば植えである道路下(谷側)のどこさ雪落どさねでけれ」
中嶋「わがった」
スピリット
これは二人の間で成立した口頭での確約でした。あとで明らかになるように、独り又鬼として太古いらいの狩
い
猟衆の精魂と世界を本能でひき継いでいる貴重な〝生き証人〟の一人である高堰にとって、口言葉での約束は文
書での契約よりはるかに重みをもっていました。
のちに高堰はいいました、「嘘こかね口だば、文書みでなもの、そんだらもん要らねでねか」
事態はどうなったか、確約は?
中嶋土建の水路工事はボーリングで山の中腹の排水口から流出してくる水を、コルゲートパイプ(波トタン状
37
のもの)をおよそ四〇メートルほど敷設して川に流しこむ工事で、現場は高堰宅からおよそ一キロほど山に入っ
て北側の山腹の斜面にありました。
高堰と中嶋が話しあいをした日(一二月一三日)から四日目の一二月一七日、中嶋土建はそれまで連日のよう
に降りつづく雪を一〇人前後の人手(スコップ)でかいて、なんとか作業員が現場にたどりついていましたが、
積雪はもはや人手ではどうしようもなくなり、ついに小型ブル(アングルドーザー)を導入(借りいれ)して除
雪し、約束どおり山際への雪寄せを履行しました。
と
高堰はブルを目にしたとき確約に反すると疑念をもちましたが、除雪の仕方には安堵しました。
が、それから三日後の一二月二〇日、高堰が山鳥を獲りに山に出かけながら、それとなく除雪の様子を下見し
ていったところ、意外にも前もって中嶋に要注意と告げていたところに異常事態が発生していました。栗の小木
が植えてある谷側の道路下に除雪の雪が押しこまれて、一・五メートルほどの植木群がまったく見えなくなって
いました。
これは明らかに約束違反でした。高堰は大丈夫だとおもった男にいきなり背中をどづかれたおもいがしてギク
リとし、「あれだけ話しどいたのに。あの野郎、こんだらことして」と憤ろしくなり、中嶋が作業員と昼休みで
仮眠していた場所、高堰宅前の空地に駐車していたマイクロバスにとってかえし、バスの乗車口から「中嶋、約
束違うでねが! 栗の木、雪で埋めだな」と怒鳴り、不機嫌をあらわにして外に出てきた中嶋の袖口をひっつか
むや、「来てみれ」と現場に直行しました。
そのとき中嶋は猟銃(水平二連散弾銃)を肩口にかけた高堰の唐突で剣突くな態度に向かっ腹を立ててカッと
身を熱くし、
「なんだ、この野郎!」と大声をあげざま、いきなり銃を奪いとるべく銃ベルトを鷲掴みにしてひっ
38
4 事実の二=工事業者のなぶり
ひと
ぱり、高堰をひき倒しました。
「生まれではじめて他人に倒され」て一驚した高堰は、「何する (現場に)行げばわがるごと、話せばわが
るごとだべ」と中嶋を制止し、中嶋の手から銃を奪いかえして現場に急行しました。
夕刻、高堰は現場からもどってきた中嶋の車を自宅前でとめ、中嶋に厳重に注意しました。
さわ
ことは目にみえていました。高堰はスコップで雪の壁からズリを削りとり、路面にもどしはじめました。
に混じり、ズリまじりの雪は高堰の田に落ちかかり、道の脇の梅の木々に蔽いかかり、やがて田に障りをきたす
ま
にかえって外に出ました。道の両側は除雪で堆く雪の壁ができ、壁にはブルで削り起こされた路面のズリが無数
うずたか
何だ、このザマは 確約、反古にする気だか? 喧嘩売る気だか?
中嶋がブルと作業員の男衆女衆をともなって林道の奥に姿を消していくのを凝然と見やっていた高堰は、われ
ホゴ
という掛け声にうながされて、雪を高堰の田の苗床にどしどし落としこみ、押しこんでいました。
で除雪していました。その様子を窓から目にした高堰は唖然としました。ブルは中嶋の「押せ、もっと押せ!」
ところが、それから五日後の一二月二五日、高堰宅の後ろ側(林道の入口部分)で早朝からブルが中嶋の指示
した。
が車とすれちがっだどきにでも落ちたんだべども、すぐに除けさせるがら」といって脱帽し、頭をさげて謝りま
の
大騒ぎしで、雪も木に大して被ってねでねがとおもいながら、「俺が悪がった。雪はなんかのまちがいで、ブル
現場で栗の小木が雪に埋もれて見えない事実を目にした中嶋は、この熊ジジー、たかが栗の木ぐれぇのごとで
!?
「約束、違うでねが! ズリば田んぼのほうにやるなと言っといたべ」
39
!?
したで
すると中嶋はいきり立ち、がなり立てて、すごい剣幕で高堰に肉迫してきました。
「何だと? このクマ! 下手に出てれば図に乗って、言いたい放題、文句ばりこきやがって!」
とっさに身の危険、中島に闇雲に殴打される危険を察知した高堰はひるみ、急ぎ家に駆けこんで玄関の戸をか
たくしめました。
戸口の前で中嶋はどなり、八つ当たって高言しました。
「この野郎! 何だかんだ文句ばりぬかしやがって、ぶち殺してける!──明日からはもっと雪かいて、栗の
木もつぶしてけるし、田んぼにも雪入れて、ズリもたっぷり起ごしてける!」
ところが、そのご数日間、中嶋は放言したようなことをせず、作業員にもさせませんでした。
え
一二月二九日朝、高堰は神経痛の薬をもらいに森吉(米内沢)の共立病院に出かけ、ついでに九粒散弾を買い
かじ
に鷹巣の嘉成銃砲店に向かいました。その間、中嶋が高堰宅を訪ねてテツエに「車通れねので、家のまえブルで
雪寄せさせでけれ」と頼み、「トーサンに話しといでけれ」とつけ加えました。
共立病院は高堰が先に一九七二年(昭和四七年)四月(二七日)に熊と死闘し、頭部を一撃されて頬部を齧ら
れ、猟犬の「ポチ」に助けられて九死に一生を得、二ヵ月ほど入院して治療を受けた病院でした。
と怒りがこみ
その夜遅く帰宅した高堰は家の周囲と道路脇に、明らかにブルで除雪したとわかる雪がうずたかく積まれてい
るのを目にして一驚し、林道ならまだしも、家の前までブルで雪かいて積みあげるとは何事だ
あげてくるのを抑えようがありませんでした。
!?
40
4 事実の二=工事業者のなぶり
と
翌三〇日朝、高堰は兎を獲りに行く予定をとりやめて、家の前に小山のように積まれた雪をスコップで捨て場
に通じる道路に投げ返し、道路は一時通行しにくい状態になっていました。
め
そこへ中嶋土建の作業員がやってきて、口々にアレコレと文句をつけました。
高堰はいいました、
「お前だち、俺のどごに雪寄せしといで、なに文句こく? この雪、ほがのどごに持ってっ
て投げれ」
え
作業員からの電話連絡で急遽駆けつけた中嶋は、待っていた高堰に手招きで呼び寄せられ、いわれました。
「お前、誰の許可えで家の前、ブルで除雪した? 俺のババ許可しだが? 勝手にブルで除雪しやがって!」
え
へ
あぶ
りぬかしやがって!」
「何だど? お前ごそ好き勝手なごどぎば
ょう
中嶋がいいかえし、つかみかからん形相で高堰に迫りました。
みな
「まあ待で。家の中さ入って話つけるべ」
高堰は外では皆に袋叩きにされかねないから危ないと、機先を制して先に家に入りしな、ウサギ猟に行く予定
で玄関口に立てかけておいた猟銃を不用心だから家の中に仕舞おうと手にしました。そのとき、背後で中嶋が大
声をあげました。
の野郎、何する気だ 」
「こ
えり
襟首をつかまえられて引っぱられた高堰は銃を持ったまま振りむき、中嶋と面対しました。
「人を殺す気だが 」
がまち
たじろいで逃げ腰になった中嶋が銃を奪おうとし、高堰が振りはらって銃を上がり框におこうとするや、どう
!?
したハズミか中嶋が急に倒れかかって戸にぶつかり、玄関内でどーっと仰むけに倒れこみました。
41
!?
とき
と
その瞬間、高堰の身のうちで鬱積していた中嶋にたいする憤りが炸裂し、高堰はいきなり中嶋のうえに馬乗り
になり、中嶋の襟をつかんで首を押さえつけました。
するうち中嶋土建の作業員の男衆が一人やってきて、「やめれ!」と止めに入り、高堰を中嶋からひき離しま
した。
あらが
中嶋は起きあがるや、高堰が首に巻いていたタオルの両端をふいにつかんで高堰の首を思いっきり締めあげ、
懸命に抗う高堰の体を引きずり倒し、玄関の外にもつれあいながら転がり出て、高堰を上から抑えつけました。
高堰は首を絞めつけられたとき、一瞬失神しかけて失禁し、脱糞して下着を汚し、窒息死しかかりました。
「この野郎、ぶっ殺してける!」
いちび
そこに女衆の作業員が二人駆けつけてきて、「社長、離せ! 年寄りだし、あどやめれ! 殺してしまうから!」
と叫びながら、取っ組みあう二人をやっとひき離しました。
ひとり
高堰は瞬時、反撃しようとしましたが、こっちは妻のテツエが市日で比立内に正月用の買物に出かけているか
カバー
ら孤軍で、相手は多勢だから負けるだけとおもいなおし、我慢しました。
離れた中嶋は「鉄砲に被い掛けねでいる。違反だから証拠に写真撮っておぐ」といい、作業員にムリヤリ銃を
外に持ちださせ、カメラをもってこさせて、シャッターを切りました。
高堰は「人の宅地さ入りこんで、こんだらごとして、俺に撃だれでも文句のつけどころねべ!」といい放ち、
急ぎ銃をとりかえして家の中に入りました。
やがて中嶋はみずからブルを運転して除雪をしはじめ、路上に積まれた雪を高堰宅の向かい側、納屋代わりの
旧家屋がある敷地にどしどし押しこんで積みあげ、積みかさねてあったU字溝やヒューム管(鉄筋コンクリート
42
4 事実の二=工事業者のなぶり
いせ
管)やドラム缶を押しころがし、山菜のミズの塩漬けを納めた箱まで雪とともに押しあげ、やりたい放題の仕打
ちをしました。それは明らかに腹癒の仕打ちでした。
高堰は怒りを噛みころして、雪が消えて中島の所業の痕跡が誰の目にもハッキリするときに誰か第三者を介し
て結着をつけようと黙思し、中嶋の所業を黙過しました。
おおみそか
翌三一日の大晦日、高堰は決着をつける前段階として中嶋土建のなかで信頼できるとみた現場責任者の藤根勇
──昨三〇日に「オラほの社長悪い。許してけれ」といった藤根に、作業後の夕方、家にあがってもらって印紙
を貼った便箋にひとつの覚え書き、中嶋のひとを食った仕業の後始末をしてもらうための確認書を一筆書いても
おもむき
らいました。それは除雪で田や山林に落とした砂利(砕石)をあげる(とり除く)、あげなければその分の人夫
まわ
賃を払う、という趣のものでした。
さかて
これは高堰の周りと世でハバをきかせる文書での約束、肝腎な話で平気でウソをこくからこそ文書を持ちだす
世人に、逆ネジを食らわせる逆手でした。覚え書きをしたためた藤根は高堰の「ハンコ押してけれ」との求めに、「俺
こと
ほ
は社長でねし、いまハンコ持ってね」から捺印はできないといい、
「んだばハンコはあとで、こんど来たどきに」
との高堰の言に同意しました。
車中で藤根を待っていた中嶋は藤根から事の次第を聴き、「ハンコだど? 放っとげ」といいすてました。
⑵逆撃
43
さんがにち
年が明けて一九八一年(昭和五六年)一月、高堰宅は三箇日、能代で左官職につく四男清正(独身)と盛岡で
さる土木会社支店の工事係長をつとめる長男正志(既婚)の一家が実家帰りをして、いつになく賑わいました。
よねや
なかで高堰は二日から藤根のもとに何度か電話を入れて、覚え書きへの押印の催促をしました。
さらに五日、高堰は阿仁町議会議員の米谷忠金と元議員の吉田要蔵に唐突に電話をかけました。が、あいにく
二人はどっちも留守で、高堰の窮余の一策はハナから空振りにおわって、実を結ぶことはありませんでした。
一策とは、理不尽にも公道の一環とみなされて使用されている私道の部分の通行と除雪に関する当初の約束事
を平然と踏みにじった中島土建の社長中嶋の仕打ちに、みずからの存在自体を脅かされて心理的に追いつめられ
ていた高堰が当の窮迫の根因とみた町役場の代替地問題の未解決のままの放置を食いとめ、これに結着をつける
しいたけ
のに、もはや役人だけを相手にしていてはどうにもならず、議員に働きかけて役場を動かし町長に責任をとらせ
るしかないと一考したことでした。
高堰が一計の相手の一人に米谷を選んだのは、家業が豆腐屋で、本人は種菌会社の阿仁地区椎茸指導員をやり
きこつ
ながら共産党に属す米谷が、長男正志と小学生時分から旧知の仲であるうえに、町議会でも日常活動でも難苦の
町民のためになる事案に力を尽くして孤軍奮闘し、「気骨のある男」でとおっているのに高堰が好感をもち、当
の米谷に代替地問題を一挙に解決するために一肌ぬいでもらおうとしたからでした。
そして六日、誰も予想だにしなかった事件勃発の日がやってきました。
当日、高堰は朝、藤根に電話を入れ、今日は体調不良で現場にも高堰宅にも行けないが、明日は社長と一緒に
おか
行く旨を告げられて、一安堵しました。ついで高堰は町の建設課長高堰と県の林務課に電話をかけ、私有地を無
断でブルの除雪で侵して荒らす所業は道路交通法か何かの法で違反にならないかどうか確かめましたが、確たる
44
4 事実の二=工事業者のなぶり
返答が得られず、埒があきませんでした。
同日、すでに四日から仕事をはじめていた東洋基礎開発の大友美佐男と阿部哲男のペアは午前八時からの勤務
で、東北基礎の駒形秀勝と加賀茂一のペアと交代で、故障したボーリング・マシーンのチェックレンジを修理し
みちのり
て作業を続行すべく、昨夜から降りつづくポタ雪のなかを比立内の松橋旅館から栩木沢の現場までおよそ八キロ
の道程をジープで向かいました。
その途次、ジープは栩木沢の部落入口手前の集会場のあたり、町の除雪車が一過したあとの雪路で走行が難渋
し、二人は折よく近くに駐車してあった中嶋土建のレンタル・ブルで除雪をしながら現場にやっとたどりつき、
チェックレンジの故障を直せないことを知ってひとまず旅館に帰ることにし、比立内の菊池輪業に故障部品を持
ちこんで至急の修理を頼みました。
同日、中嶋土建は仕事始めで、社長の中嶋・アルバイトの佐藤英明の男衆二人と中嶋正子・中嶋トミエ・山田
ミワ・田口カオルの女衆四人が笑内から一三キロほどある栩木沢の現場に向けてマイクロバスで午前一〇時すぎ
に社長宅前を発ち、一一時前後にブル置き場の部落集会所前に着き、マイクロバスとブルをちょうど集会所と林
道入口部分(高堰喜代志宅前)との間の中間地点に位置する高堰小市宅の空地に駐車させ、女衆が現場までのブル
での除雪の下準備に手作業で周辺道路の除雪を小一時間やり、全員が正午にマイクロバスで昼休みをとりました。
せっぴ
そして午後一時、中嶋がブルで除雪をしはじめ、そのあとを女衆四人がスコップで路面にかぶさる雪を寄せる
マブ(雪庇)落としをしながら追い、さらにそのあとに再び現場にむかう東洋基礎開発の大友と阿部がジープで
したがいました。
中嶋は佐藤を高堰喜代志宅の前に見張り役で立たせてブルを道路に沿って平行にではなく路面にたいして横向
45
きにさせて動かして除雪し、高堰との確約をまったく度外視して雪を道路脇の田畑(苗床)と杉林にどんどん落
としこんでいきました。なぜ? 中嶋はなぜ、あえてそうしたか?
中嶋はすでに別途受注の工事に一日も早く移りたい意向でしたが、栩木沢の短時日でおわるはずの工事が降雪
と積雪が多すぎて除雪に追われて一日遅れにおくれて苛立っていたうえに、「クマ親爺」の高堰の除雪にかんす
る度重なる「きつい文句」の厳重注意に業を煮やしていました。なかでも中嶋はつい昨年末、高堰が中嶋の約束
違反の除雪を咎めて雪を路上にもどし、かつ藤根に除雪について覚え書きを書かせたことに逆上し、悪感をつの
らせていました。結果、中嶋は除雪を一刻も早く済ませるためと高堰への意趣返しのためにブルで雪を遠慮会釈
なく田にも畑にも杉林にも押しこんでいきました。
同日午後一時直前、高堰は妻のテツエが部落の加賀谷時一家の葬儀(老母八二才が一月三日に衰死)に出席す
るのに、「遅れねようにな」と送りだし、みずからも除雪をせんとして外に出てきました。そのとき高堰は中嶋
が除雪の仕方を昨年暮れのやり方とはまったく違ってガラリと一変させ、ブルを道路にたいして横向きにし、路
面を削りとるように除雪してズリまじりの雪を田畑や杉林にどしどし落としこんでいるのを目撃して仰天し、激
怒を逆巻かせて叫びました。
「田んぼに雪落どすな!」
高堰の目前でジープに乗った大友と阿部が除雪の進行を見守って待機していました。
高堰が怒鳴りました。
「こんだら雪寄せして、この道通るの、誰の許可得だ?」
大友が応じました。
46
4 事実の二=工事業者のなぶり
「県の土木のめ仕事だから」
「んだばお前、県さ直接電話してみれ!」
けお
高堰は大友を家に連れこもうとしました。高堰の怒気に気圧された大友と阿部は、あわててジープを現場に向
けて疾駆させました。
やがて山の現場のほうから大友がブルを運転し、中嶋と阿部が歩いて、やってきました。高堰の家の前では佐
おび
藤がスコップを手に雪掻きをする風を装っていました。
それを目にした高堰は瞬時、怒血と怯える血がないまぜになって逆流する心奥で黙考し、覚悟をきめました。
──こいつら四人は俺を袋叩きにする気で寄ってきたか? 約束を踏みにじる除雪も監視役を立てることもみな
なぶ
中嶋がわざとやって、やらせてる。このままでいたら俺はただ中嶋に嬲られるだけだ。今日こそなんとしても決
着をつけてやる。相手が四人なら銃で渡りあうしかない。
いったん家に入った高堰はガン・ロッカーから銃(水平二連散弾銃)をもちだし、道路に面した窓から銃を手
に身をのりだすや叫びました。
「お前だちがその気だば、今日ごそコレ(銃)で結着つけでける!」
そのとき、高堰宅の横をブルで通りすぎようとしていた大友は銃口を向けられて、「これは本気だ」と感じて
慌て、急停車させたブルからとび降りて部落のほうに逃げだしました。どうじに山寄りの路上にいた中嶋と阿部
は、「これはオドシだべ」とおもいながらも現場のほうに逃げにかかりました。
し
それを見とどけた高堰はこれ、銃での威嚇は少し効き目があったべとおもいながら、弾丸は未装填だった銃を
ひっこめ、窓を閉めました。
47
が、それもつかのま、家の周りで人の動く気配を感じとった高堰はギクリとし、窓から間近に中嶋の姿を目に
や
して恐怖で血の気が失せ、ほどなく逆怒の血がたぎりだした心底で黙思しました。──中嶋は隙をみて俺を袋叩
きにする気だ。これでは、殺らねば殺られてしまう。
かん
ふたたび窓を開け放って銃をかまえた高堰は怒声を発していいました。
「中嶋! もうお前には堪忍袋の緒が切れだ。今日ごそ一騎打ちだ。覚悟しれ!」
不意をつかれた中嶋と阿部はあわてて山寄りの現場のほうに逃げだし、どうじに見張りをしていた佐藤が二人
そば
のあとを追いました。逃げながら中嶋は「証拠だ」と高堰にカメラを向けました。
高堰は銃を手に外に出ました。家の傍で撃ったら、近隣のものが飛び出てきて部落中の騒ぎになるし、散弾が
中嶋いがいの人に当たるといけないから、中嶋を山に追いつめて撃ち殺すしかない、とおもいながら。
そのとき、すでに部落のほうに逃げて高堰喜代志宅から三軒隣りの高堰兼蔵宅の脇に身をひそめて様子をうか
がっていた大友は、現場のほうに逃げる中嶋と阿部が手真似で「電話を掛けろ」といっているのを目にし、兼蔵
宅が留守だったため道をへだてて向かいの高堰小市宅で電話を借り、飯場代わりの松橋旅館にいる現場監督・笹
原地質工業の鈴木桂に告げました。
「クマさんが鉄砲もちだして狙ってきた。すぐ警察に電話入れでけれ」
め
中嶋は夢中で走る途次、林道の雪寄せをする女衆の山田ミワと田口カオルに出会いざま、「クマが鉄砲もって
せ
追っかけできた。お前だちも逃げれ!」とわめくように告げて走りぬけ、さらに一〇メートルほど先で出会った
カンジキ
中嶋トミエと中嶋正子の前を息急ききって走りすぎ、そのあと阿部が続きました。
ときは午後二時直前で、ミワとカオルは「異常」を察知し、樏をぬぎとって中嶋らのあとを追い、トミエと正
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4 事実の二=工事業者のなぶり
おど
子は「(異常は)クマさんのいつもの嚇かしだべ」とタカをくくろうとしましたが、カオルの「んでね、本気だ」
との忠告にうながされて走りだしました。
先を走って五〇〇メートルほどきていた中嶋がふいに立ち停って、うしろを振り返りました。そこは見通しの
効く場所で、阿部と佐藤と女衆四人が懸命に走ってくる姿と、高堰がそのうしろから肩に銃をさげて速歩で追っ
てくる姿が、その目にとびこんできました。
中嶋はそのときはじめて俺は殺られるか? と身心が凍りつくような恐怖感に襲われながら、工事現場の下を
せい
一過し、さらにその先七〇メートルほどを走って集水井(円筒型で直径三・五メートル、地下一〇メートル)の
登り口にたどりつき、ついで林道から一〇〇メートルほどの山腹にある大きな集水井のマンホールをめざして急
斜面(勾配およそ三〇度)を這うように登り、やっと集水井に達しました。
そこは中嶋には隠れ場所として最適とおもわれたところで、金網がかぶせられていて、中には工事用ボーリン
グ・マシーンが敷設されていました。中嶋は急ぎ集水井のなかにもぐりこみ、梯子づたいにマシーンの下に、た
とえ上からのぞかれても姿がみえないところに身を隠しました。
阿部と佐藤、トミエと正子は汗だくで工事現場の下にたどりついたあと、その先の駐車場まで進み、さらにそ
こから未除雪の林道を膝まで埋まりながらラッセルしてすすんで谷側の沢に降り、川幅がおよそ五メートルの戸
つもり
鳥内川をびしょ濡れで渡って工事現場の山とは真向かいの山の岸に達しました。
四人は高堰と出食わさないように、あえて迂回して部落のほうに逃げる心算でしたが、つと対岸の林道を振り
むいてみると高堰の姿が目に入り、それぞれにドキリとして「殺される?」とおもい、金縛り状態になって身動
きがとれなくなりました。
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その四人に高堰はおよそ一五メートルの距離から銃口を向けましたが、なかに中嶋がいないと見てとり、大声
め
で告げて問いました。
「お前だちどこだば撃だねがら、心配しな! 中嶋はこの上のほうさ行ったべ?」
高堰は返事を待たずに工事現場のほうへ向かいました。
四人は安堵し、阿部は川をくだって部落のほうへ、佐藤は社長の中嶋がひそむとみた集水井のほうへ、正子と
トミエも集水井のほうへと、それぞれ思いおもいの方向へ歩を進めました。
こみち
最後尾につけていたミワとカオルは工事現場の下からさらに集水井の登り口手前まですすみ、そこから山の斜
面の雪中をラッセルして横切って集水井への径に出、二〇メートルほど登ったところで疲れて中腰で一休みして
いたところ、五〇メートルほど下の林道を銃を肩に早足でやってくる高堰を見ました。
二人は瞬時「殺られるかも」と背筋がゾッとして凍るおもいにとりつかれながら、径を登りつめて集水井に達
し、ここに留まると高堰に追いつかれて危ない気がして雪中を工事現場の上に位置する通称「ダム」の水受口ま
で斜めにくだり、そこで下のどこにも高堰の影も誰の影もないのを見とどけて一〇分ほど時をすごしたあと、林
道を避けて山の斜面をつたって部落に降りていくべく雪中を腰まで埋まって歩きだしました。
ミワのあとにつづいたカオルはつと振りむいた鼻の先一メートルほどのところに高堰がいたので動顚し、高堰
は「お前だちなば撃だね」と告げて先を行くミワを追い越して行き、ミワは横を擦過して行ったのが高堰だと気
づいたとたん心臓が止まるかとおもわれるほど喫驚し、カオルは「オレだちだば撃だねど」とやっと声を搾りだ
して前方のミワに告げ、二人はふいに腰をぬかしたようにその場にヘタリこみました。
そのときすでに集水井のマンホールに達していた佐藤とトミエと正子は、中に隠れていた中嶋を見つけて声を
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4 事実の二=工事業者のなぶり
ひそめて外に呼びだし、中嶋は佐藤に「クマさん、社長だけ殺る気だ」と告げられて苦虫をつぶした面相になり、
正子に「女装して逃げれば」と助言されて頷き、たまたま下方のダムのさらに下側の雪中にしゃがみこんでいる
ミワとカオリを目にし、大柄なミワから服を借りるべく二人のもとに急ぎました。
「ヤッケとスカーフ、それにズボン(キルティング)、みな貸してけれ。女さ変装して部落まで逃げるがら」
中嶋とミワが互いに服を交換して着替えていたとき、集水井のそばにいた佐藤が正子とトミエにむかって妙な
ことを口走りました。
「いま、鉄砲の音(バゥーンという音)、聞ごえねがったが?」
「なんも」
女装した中嶋とミワとカオリ、佐藤とトミエと正子の二組は合流して六人になったあと、目立たぬように個別
に山を下りて部落にもどることにし、まずトミエがハナを切って林道に降り立つや、高堰がどこにも見あたらな
いことを確かめ、五人に順に合図を送って一人ずつ部落へと走らせました。
六人は部落のマイクロバス置き場でふたたび一同に会するや、バスを部落入口の高堰商店に向けて大急ぎで発
進させ、走る車中で正子がぼそりと「阿部さん、川くだって逃げるど言ってだども、どうしたべが?」とつぶや
いたのに、誰も応えようがありませんでした。
高堰は工事現場の上のあたりで二人の女衆(カオリとミワ)を追いこす前、さらにその上の集水井の手前で一
テント小屋に出食わし、中嶋はこの中か? と怪しんで銃をかまえ、「中嶋! 一騎打ちだ、出てこい!」と呼
ばわりましたが、そこには中嶋はいなかったので、さっき川の対岸に男女四人衆(阿部と佐藤と正子とトミエ)
を目にした駐車場までふたたびひき返し、そこから谷側の沢におりて川を越し、砂防ダム(堰堤ダム)のはずれ
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きびす
まで行って川の下流沿いの人の足跡を調べましたが、それはまったく見あたりませんでした。
そこで高堰は、中嶋は上流に逃げたな? とおもい、踵を返して沢にもどり、雪面の人跡を探していたところ、
川の上流にむかって誰か人一人の足跡が点々とついて伸びているのを見つけました。高堰は慎重にその足跡を追
い、杉林の巨木の間をおよそ二五メートル進んだところで前方を見すえると、そこから二〇メートルほど先に太
い杉の幹を背にして斜面に這う人影がひとつハッキリと見えてきました。そこは高堰宅から一・一三キロメート
ルほどの山林のなかでした。人影は急斜面を林道に向けて必死に這い登ろうとあがいていましたが、見えるもの
は背中と臀部だけで顔が見えませんでした。が、身を包む青いアノラックらしいもの(繋ぎ服)は中嶋が着てい
た青い(濃緑の)アノラックと同じで、それにこの辺りでは先刻男二人(阿部と佐藤)と女四人(ミワとカオリ
とトミエと正子)の六人衆と鉢合わせしていたから、いまここで一人で逃げている人物は中嶋いがいにいないと、
高堰は瞬時に判断しました。
が、当の人物の顔を確認できないのがかすかな懸念となって残っていた高堰は、懸念を吹きとばして確証を得
さか
るべく叫びました。
「中嶋でねば叫べ!」
返答はありませんでした。
「叫ばねば撃つど!」
いい放つや高堰は、この何日か出かけていた山鳥猟で熊がふいに立ち現れた場合にそなえて猟用の上着の右ポ
ケットに入れておいた四発の九粒散弾のうち二発を迅速に銃に装填し、射撃の体勢をとって銃の先端の照星を前
方およそ一九メートルに位置する人物の左肩下の脇腹に合わせ、狙いを定めるやいなや間髪をいれず引鉄をひき
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4 事実の二=工事業者のなぶり
ました。
アバラ
高堰が肩下を標的にしたのは、そこは心臓と肺臓があって、人の急所で、マトが大きく、必殺の場所だからで
した。それはクマの急所が肋骨三枚のところであるのと符号していました。
バゥーンと銃声が重く響き、高堰は一発で的中した確かな手応えを感じ、人影がバタリと雪中に倒れてのめり
こみ身動きしなくなりました。ときは午後二時二〇分ごろでした。
直後、高堰は人違いでねべな? と一抹の不安を抱き、動かぬ相手におよそ一〇メートルまで接近しました。
撃ち倒した相手は中嶋ではなく別人で、ついさっき出食わして、もはやこの付近にはいなかったはずの男二人と
女二人ずつの六人衆のなかの一人で、「ボーリングの人方」の一人でした。
高堰は予感が現前の事実となって立ち現れ、怒殺が誤殺に一変したことに愕然とし、脱力しきって呆然と立ち
すく
おぼつか
竦んでいました。
よ
ややあって覚束ない足取りで斜面をくだりだした高堰は、砂防ダムに達したところでドボリと川中に落ちこん
でぐしょ濡れになり、斜面をかろうじて攀じ登って駐車場のある林道にたどりつき、降りつづくボタ雪のなかを
フラリフラリと部落のほうに歩きだしました。
や
事件は殺ったほう殺られたほう、ともに痛ましさがきわまる誤殺におわりました。
問題は、傍若無人な一工事業者にたいしても理不尽な町当局にたいしても一貫して「話せばわかる」姿勢をつ
らぬかんとしてきた高堰が、一転して怒殺の覚悟までせざるをえなくなったのはなぜか? 原因は誰で、何で、
どこにあったか? でした。
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5 事件の直因=強権の尖兵
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5 事件の直因=強権の尖兵
阿仁町の一名士、中嶋土建の社長中嶋礼治が老マタギ高堰喜代志との除雪にかんする約束事をたやすく踏みに
じり、厳重注意した高堰に「難癖ばりつけおって」と向かっ腹を立てて躊躇なく傲然と腕力沙汰と狼藉沙汰にお
よんだ心底にはどんなおもいがひそんでいたか?
てめえ
ハタ
おそらく中嶋のハラには、誰が何といおうと俺はちゃんと町と部落のためになる工事をやってるんだ、ところ
がクマ・ジジーはどうだ、手前の都合やテメェのちっぽけな土地のことばかりいってやがる、そんな傍迷惑な野
郎にはキツーイお粂代わりに何をやってもかまいやせんと、ワレが公権の一端を担って私権のうえに立った気の
タカをくくった己惚れと尊大さがあったにちがいありません。
問題は中嶋のこの腹のなかのおもいにありました。どうじに、たとえそのおもいがどういうものであろうと、
そもそも中嶋が腹イセでなぶりの仕業に出たこと自体に問題がありました。当のハラのなか、当の仕ワザは高堰
には何として作用して、何をいみしていたか? それは紳士のカオで、ひとをナメきって無視しだした町当局の
強権を、誰よりも露骨にむきだして如実に体現した尖兵で権化いがいの何ものでもありませんでした。
無視とは何か? それはひとを黙殺しきって、もはやナニモノでもないクズの屈辱におとしめることでした。
こら
高堰は長年にわたって町からの黙殺を堪えにこらえてきました。が、中嶋の仕打ちは、高堰がそれまで忍んでき
た理不尽きわまる屈辱に致命的な一撃を加えました。ために一挙に忍耐の限界点に立ちいたった高堰は、一転し
て積年の怒念を堰をきって一気に奔出させて逆襲の反撃に転じ、度しがたい無視の尖兵にむかって怒炎の銃弾を
炸裂させました。
これはたんなる恨みツラミの意趣返しではありません。それどころか、これは独り又鬼で百姓の高堰が命懸け
で放った一つの徹底した弾劾で断罪の雷火でした。断罪の? それ、激怒の銃火はいったい誰にたいし、何にた
いして放たれたか? ひとつの赦しがたい凶権と狂勢にたいしてでした。
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6 事件の根因=当局の凶権
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6 事件の根因=当局の凶権
のろし
高堰喜代志にとって阿仁町役場と林道開設担当課長らと町長沢井作蔵は、いったい何ものだったか? 高堰は町当局についていいました、高堰が一九七九年(昭和五四年)一〇月に林道の私有地の一部に穴を掘っ
ほ
て私闘の狼煙をあげたのは、林道用に提供した私有地の補償用の代替地の土地問題を長年にわたって未解決のま
ま「黙って放っておく役場がそうさせた」のだと。さらにそれいぜんに役場は七二年(昭和四七年)七月に、林
道開設工事の昭和四七年度分を高堰とは代替地補償の「契約書を交わさずに」抜き打ち的に強行し、誰がみても
ね
「違法で」私有地に公道である林道の一部を七三年(昭和四八年)三月までに通して高堰の「田を潰し」
、併せ
て道の拡幅工事で高堰の「家と田の水路を止めて」つぶしたと。加えて役場と町長は高堰には「代替地は無」と
いいつづけながら、七六年(昭和五一年)三月にウラをかくように栩木沢の高堰家をのぞく一三戸に大阿仁財産
区有地を合計二町七反歩「特売した」と。そしてつきつめれば、事件は「土地の問題と切っても切りはなすこと
のできない事件」で、「町当局が一番悪いと思っております」と。
どうじに高堰は町当局の奥にひかえている部落と部落の有力者らについていいました、町が一九六九年(昭和
四四年)に高大野四〇番の財産区有地を部落の全戸に均等に分配(特売)したとき、高堰が自家分が測量のミス
あっせん
で広すぎると有力者(加賀谷時一)に申し出て再測量し、一反歩余多いことが判明して過分配分の返上を申し入
れ、町に斡旋を頼んだにもかかわらず、有力者が部落会を招集して「喜代志が不正(隣接する登山道路を編入)
を働いて一反歩も多くくすねた」と高堰を責めてつるしあげ、問題はそのまま放置されたと。またそれいぜんに
クワ
有力者(石田頼太郎)が五四年(昭和二九年)に田から田へ流す水を一つの堰に穴をあけて沢に流し、ワレの田
から高堰の田へ「水を落とさなくなり」、高堰が談判しても聞き入れず、ついには息子(石田博)が高堰を鍬で
足をひっかけて田につき落とす喧嘩沙汰になり、高堰が同じクワで息子を殴りかえして「罰金刑」(二〇〇〇円)
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に処されたと。それに部落が五二年(昭和二七年)に国から農協を介して冷害補助金を交付され、各戸に耕作反
数にしたがって補助金が配分されたとき、高堰のみ「被害なし」として除外され、異議をとなえた高堰を部落が
「全員の意向だから」とつっぱねたと。ついで高堰が一時期兵役についていた四一年(昭和一六年)に、有力者
が高堰の所有地(山林)を部落有地として部落民に特売して「処分し」、帰家した高堰が抗議して土地をとりか
えしたが、それが「村八分」のキッカケになったと。そしてつまるところ、すべては「部落の権力者二・三人と
役場の二・三人(町長と担当課長)でやったこと」だと。
ここにあるものは何だったか? 高堰は一九四一年の私有地の横領問題いらい、六九年の財産区有地の均等特
売の過分配問題をへて、七二年の林道の代替地問題にいたる間、徐々段々に部落の衆とのつきあいを絶たれて絶
うと
ないがし
ち、妻テツエに一任してきました。が、部落は高堰の孤立無援をいいことに暗黙のうちに歴然と高堰を村八分に
して疎んじ、町役場は部落の高堰にたいする反目と白眼視をいいことに高堰を当たらず触わらずで平然と蔑ろに
しつづけてきました。
高堰がかりにも欲得ずくのダマクラカシ屋で無理無体な我利亡者、ほんとうにどうしようもなく汚ない奴、ヤ
ヌエ
バッチー奴なら、それも当然の報いでいいでしょう。
みな
が、ほんとうに欲得ずくの鵼(頭は猿・体は虎・尾は蛇の想像獣)は誰だったか? 部落の衆と世話役らでし
た。どうじにヌエとグルのダマクラカシ屋はほんとうは誰だったか? 町役場の担当課長らと長でした。町の背
後に部落がひかえていました。
たか
モト
であれば、ほんとうにヤバッチー奴らの町と部落が、ほんとうはキレイな奴の高堰を衆目の一致で、皆の圧力
で寄って集って闇雲に真綿締めの「村八分」にして黙殺せんとしてきたとは、これが当局による本末と真偽の転
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6 事件の根因=当局の凶権
倒しきった凶権の発動でなくて、いったい何か。
高堰はこの凶権を発した当局をこそ怒火で、弾劾の銃弾で撃ち抜かんとし、打ち倒さんとしました。当局の尖
兵、中嶋土建の社長の不意の出現によって、露骨に黙殺されつづけていくか逆怒の滅殺でケリをつけるか、二者
択一の剣 ガ峰に立たされて。
問題はさらにそのことの奥、高堰が言及したことの奥にひかえていました。それは高堰にとって、町によるに
しろ工事業者によるにしろ、どこによるにしろ誰によるにしろ、みずからの山林と原野と田畑が無残に潰された
り処分されたり荒らされたりすることは耐えきれないこと、一つの凶悪な犯罪でした。どうじに町と部落による
高堰の黙殺は、たんに高堰一個の問題ではなく、みずからの山と野と田の抹殺に直結していることでした。
が、それ、山や田の抹殺が高堰に忍びがたく度しがたいのはどうしてだったか?
おそ
高堰は独りマタギで百姓でした。生粋の狩人で根っからの農耕人の高堰にとって、山林と原野と田畑はたんに
カテ
獲物の猟場や作物の収穫場ではなく、何よりも活ける畏るべき天地=自然の裸の里で、みずからの何ものにも替
えがたい命で命の綱で糧で源でした。そこには、致死の猛威と活命の光輝を一身に体した〝神々〟が宿っていま
した。天神が、山神が、風神が、雷神が、水神が──。神々とは万物を徹底して相依相関で連動させて、不断に
生成と消滅と再生につかせて秘動している天地の無窮の命律、いいかえれば自然の万物を互いに生死の活かしあ
マキ
いの活生と活死につかせている律、一言にして天地の生死をつらぬく不滅の万物活命律、の別称で自然神化され
たものでした。
そこで高堰にとっては、例えばみずからが薪にする山林の木々も、食糧にする原野の鳥獣も野草も、田畑で作
る米や野菜も、生来の人とまったく同じように、それぞれに畏るべくも活ける自然の申し子、たえまなく作動し
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ブツ
ブツ
つづけている命律=神々の申し子で、命あるもので、人とまったく対等で、不遜にも「万物の霊長」ヅラしたニ
ンゲンの弱肉強食一途による餌食材あつかいの獲物でも、ゼニの利産材あつかいの物品でも決してありませんで
した。どうじに高堰がたとえば熊を狩りするとき、それは一見して明らかに弱肉強食で優勝劣敗で適者生存の仮
借ない生存闘争でありながら、その奥には暗黙のうちに神々の申し子同士がそれぞれ、幸運にも闘いに勝てば「生
きて命を謳歌せよ」との神託に恵まれ、不運にも負ければ「死して命の糧になれ」との神宣に服しているという
エコシステム
内実が伏在していました。それは人と獣のまったく対等に命あるものが互いに本能の黙認で、自然の命律──天
地の生態系──万物の食物連鎖から発する無言の託宣にしたがって、〝自死他生〟(みずからは死んで他を生かす)
から他死自生で、一死多生(一つのものが死んで多くのものを生かす)から多死一生で、互いの生と死を活かし
あう、そく活生と活死につくという内実でした。
いま二一世紀のゼニバンバンザイでニンゲンサマサマのヤクザな世と世人とはまったく対極にあるこういう生
死観──出ない涙が溢れ出るほどにすばらしく、いまのイカサマな世と時代においてこそなんとしてでも復権さ
せるべきこういう生命観、こういう万物観の持ち主である高堰にとって、山林や原野や田畑、木々や鳥獣や野草
や米や野菜を、霊長づらしたニンゲン一同がエジキ材や利産材の死せるブツあつかいにすることは、恥知らずに
たっ
も傲岸きわまるだけでなく、断じて赦しがたい極悪きわまる罪業でした。
いったい命とゼニ、弱肉強食と万物の活生から活死、どっちが貴とく大事なのか?
ワケ
もういうまでもなく、高堰がみずからの山林や原野や田畑を工事業者や町や県や国によって荒らされたり潰さ
れたりゼニで処分されたりすることに逆抗する事由は、みずからの命で命の綱でカテで源であるものの扼殺を断
じて黙過できぬからであり、またみずからと対等に命あるものがブツあつかいで圧殺されることが断じて赦せぬ
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6 事件の根因=当局の凶権
からでした。
どだい、命の危機に直面して黙って見すごすウルトラひとよしがどこにいるか?
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7 事件の遠因=狂勢の胴元
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7 事件の遠因=狂勢の胴元
事件が勃発したいまの世、一九八一年(昭和五六年)当時の日本の国はどういう世だったか?
それはオモテでは経済大国で、企業主の資本族が大から零細にいたるまで大威張りしている世で、マイホーム
やマイカー持ちの中産族と苦労知らずの役人の天国で、「反体制」の左翼が新旧ともにセクトの縄張り争いで四
分五裂している世で、対ソ連(一九九一年=平成三年一二月に崩壊)・中国・北朝鮮(社会主義陣営)むけの極
東戦略で日米(資本主義陣営)の軍事同盟(安全保障条約)が着々と強化されていた国でした。どうじにその底
では、人といわず何といわず大地の命あるものみなを利殖の物具(ブツ・ダシ)にして食いつぶす凶悪罪を犯し
ている資本族がぬけぬけと利ゼニの甘い汁で肥え、それとグルの中産族が良識をひけらかし凶悪罪の獄姿をカム
モノガミ
フラージュして世のウワベ飾りになり、ピンハネの人材(ヒト・ブツ)である財無しの無産族が賃ゼニの苦い汁
で骨身をけずられて世の底力になっている世であり、加えてゼニの〝物神〟が人と大地の命あるものいっさいを
ひあ
万物利産材道(モノミナゼニダシノミチ)に縛して万物活命道(ものみないきるみち)を封殺し、いっさいの命
を食い荒らしてカラに干上がらせ、生首さらす獄況に追い落としてオノレの〝虚栄の市〟をいや栄えさせている
ワサビ
国であり、あげくに「自由」や「民主」や「福祉」や「革新」がとうの昔に資本の凶の物威の格好なカクレミノ
になって宙に浮く風船玉に下落し、「自立」や「前衛」や「変革」がこれも資本の凶威の格好な山葵からエサになっ
て宙にかき消える線香花火に堕している世──でした。
が、待てしばしです。物神化したゼニの魔の物力が人と大地の命あるものみなをことごとく利産材のブツあつ
かいで食いつぶし食い殺している世とは、これほど命がナメられきって、本末が転倒しきって狂った獄世がどこ
にある? が、狂っているのは世だけではありませんでした。このゼニの凶権と魔権がわがもの顔でのさばって、
わが虚栄の春を謳歌している世の狂勢を、オノレの闇雲な我意と我欲と我利と我権にかけて「よし」としている
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ながいもの
じだい
タイコモチ
世人の一人ひとりが、致命的に狂っていました。なかでも世のヌエづらした資本族と、それとツルんだ幇間の中
産族と、現ナマだけを信任して時の権勢にはワレから率先して巻かれる権力好きで権威好きで事大主義の体質の
無産族が、脳梅に成りさがっていました。が、世の底力で、いちばん苦労している衆の無産族の多くが、また誰
よりも狂った世を支えて擁護しているとは、これはなんたる仇で、一気に笑いとばそうにもとても笑いとばせぬ
なんたる怖るべき倒錯に陥っているかしれません。
世の狂勢の胴元は、ゼニの凶権を振りまわす大から零細にいたるまでの企業主一人ひとりと、それの〝番犬〟
の政府と、それの〝メカケ〟の県から町にいたるまでの役所と、それに追従する賃労働衆からすべての衆、でした。
高堰喜代志は本能で、この狂って逆立ちしきった世と世人とはまったく相容れぬ生命観と万物観を拠りどころ
にして生きてきて、またいまの時代と同時代人とはまったく相反する日常を送ってきました。六男三女の子らが
長じて家を離れていらい老妻と二人で、春・夏・秋・冬の四季を通じてほとんど農耕と狩猟に明け暮れて、天地
の命律のままに生きて死んで生まれ変わるいっさいの生きものの動・植・鉱物と持ちつ持たれつのつきあいをし
て、自給と自活に近い日々を。
その高堰と高堰の土地に一九七一年(昭和四六年)、「林道開設」のために紳士の顔をしてコトをすべてゼニで
片づけんとする町と県と国の凶権が魔のカラメ手をのばしてきました。凶は狂に通じていました。高堰はじっく
りと腰をすえて決然と、この魔の手をつっぱねて、提供用地の見返りにはゼニではなく代替地を求めて町に折衝
しつづけました。が、町は問題を未解決のまま放置して高堰を無視しつづけました。あげく、町のお先棒かつぎ
の土建社長の登場によって、高堰は誤殺におわる怒殺の銃弾を放つにいたりました。
高堰が辛抱を重ねてついに爆裂させずにいられなくなった怒火は根と究極で、強権の尖兵である土建社長と、
70
7 事件の遠因=狂勢の胴元
凶権を発した当局である町から部落と、狂勢の発生元で狂権の元締めである世のヌエらから番犬の一統を、徹底
して弾劾し、断罪して焼きつくさんとしました。これ、この一事が事件の真実のもっとも奥底にある核心でした。
き
けが
高堰は、みずからの命で命の綱でカテで源である山林と原野と田畑と、そこに生息する木々と鳥獣と野草と、
そこで耕作する稲と野菜と──この自然の裸の里と天地の生の申し子を、ゼニの極悪きわまる暴威で汚して潰
し、壊して殺さんとする狂った胴元、凶元そのものにたいしてこそ、命の逆襲にかけて激怒の銃弾を撃ちぬかん
としました。凶の元締めは資本族と、守護の政府から町と、提灯持ちの中産族から追随の衆でした。
事件の真実の在りかはそれゆえ、たんに未解決の代替地問題だけにとどまるものではありませんでした。が、
悲痛な誤殺で怒殺を貫徹できなかった高堰にとっては、未解決の代替地問題を要求どおり解決することが残され
た命の反撃の一端を成就する肝心なことでした。
71
8 公判
74
8 公判
⑴一審
一九八一年(昭和五六年)一月六日の事件当夜、秋田・森吉署からの電話での緊急連絡で八時すぎに宮城県角
田市の自宅を家族と自家用車で発ち、夜を徹して現地に駆けつけた被害者阿部哲男の妻ハチエ(四八)は、未知
の加害者高堰喜代志にたいして悲憤の言をつぎのように吐露しました。
亡夫が投宿していた比立内の松橋旅館で、「警察からは(主人が)弾が当たって倒れたという連絡でした。ま
さか、死んでいるなんて……。三人の子供(男三人)がみんな高校を終えて、これからの人生が楽しみだと正月
に(主人と)二人で話し合ったばかりなのに。銃をもった〝殺人鬼〟に追い詰められた主人の心境を思うと、腹
わたが煮えくりかえる思いです」(秋田さきがけ新報八一・一・七・朝刊)と。
森吉署で、「人違いであれ何であれ、猟銃で人を殺すなどとても人間としての心を持っている者の仕業とは思
えません。人間性を失った者の犯行と思っています。何でこんな男に猟銃を持たせねばならなかったのか残念で
なりません。悔しさでいっぱいですが、はっきり申しますと犯人を一日も早く死刑にしてほしいと思っています。
今後はこんな危険な者を社会から隔離して二度と私のような不幸な人をつくってもらいたくないと思います」
と。
や
阿部は子息三人の就業後、秋田の工事現場を最後に東洋基礎開発の社員でボーリング工助手としての各地での
出稼ぎを辞め、母親と妻と長男が同居して次男と三男が職先の都合で別居する「家に帰って百姓をやる」つもり
でいて、「家の庭造り」を楽しみにしていました。阿部家は妻ハチエも会社勤めをして、さる保険会社の外務員
をしていましたが、もともとの家業は農業で、宅地三〇〇坪のほかに水田九反七畝──畑地七反──山林(共有)
75
一町歩をもっていましたから。
しかし阿部夫妻のやっと巡ってきた「楽しみなこれからの人生」は、高堰の誤殺の一弾によって無残にも打ち
くだかれてしまいました。
が、事件後、高堰家の妻テツエと長男正志が死ぬおもいの心痛をもって阿部宅で遺族に示した謝罪とのちの賠
償、それに高堰に「ほんもののマタギ」をみた坂野英彰が高堰の身代わりのつもりで阿部宅で「お詫びの焼香」
をし、遺族に求められて明かした高堰の実姿と事件の背景は、高堰を殺人鬼とみなして直ちの極刑(死刑)をの
ぞんでいた遺族代表の阿部ハチエが、高堰の公判がすすむにつれて心証を変化させて高堰への「寛大な判決」を
上申するにいたるキッカケになりました。
それいぜんに〈マタギ誤殺事件の真実を問う衆座〉は亡き阿部哲男の霊前に弔意の香典を送りました。
まさる
一九八一年(昭和五六年)二月一三日、秋田地裁大館支部法廷で、裁判長須田贒・裁判官古川順一と斉藤隆─
─検察官菅井利夫──国選弁護人深見公一によって高堰の第一回公判が行われました。
検察官の起訴状朗読後、高堰は被告人冒頭陳述中の罪状認否で率直に殺人の罪を認め、
「責任とります」といっ
て言外にどんな刑でも受ける意向をしめしました。
深見は初公判後、急病を理由に高堰の弁護を辞し、急遽、荘司昊が同じ国選で三月六日から弁護につくことに
なりました。
八一年四月一七日、高堰の第二回公判が開かれました。
76
8 公判
当日は裁判官・検察官・新たな弁護人の三者間で、こんごの裁判の進め方について段取りの打ち合わせがなさ
れました。
同年五月八日、高堰の第三回公判がおこなわれました。
この日、高堰の長男正志が代替の土地問題と被害者への賠償問題で証言に立ち、検察官と弁護人の双方から証
人尋問を受けました。
八一年六月六日、山県仁は秋田地検大館支部拘置所に拘留されている高堰あてにつぎの手紙を出しました。
前略 なかなか会いにいけずに、気がかりです。
拘置所での生活は、独居房ですか雑居房ですか。
獄中の毎日は、自然人の高堰さんには耐えがたいことだと思います。どうか、こらえてください。
坂野から、公判(第一回~三回)の模様、周り(部落と町)の情況など逐一知らせてもらっています。周りは
非情のようですね。どうか断じて負けんでください。
負けんために、ぜひとも事件と背景の真実を世と世人に明らかにして訴える必要があります。又鬼の高堰さん
の誤殺までせざるをえなかった怒りの内実と、直接の原因である土建会社社長の傍若無人な振舞の詳細と、根本
の原因である町当局の代替地問題での無視の詳細と、高堰さんの憤りの奥にあるほんとうのマタギの魂から世界
の秘実と──この切っても切りはなせぬひとつながりの真実を、高堰さん、ぜひとも事件関係者と又鬼仲間と阿
77
仁町の人らと全国のまったく事件を知らぬ人らに、はっきりと示す必要があります。
高堰さん、これをやらねば、事件と背景の肝腎な真実が酌量の余地がない誤殺の罪一色に塗りつぶされて、闇
からヤミに葬りさられてしまうではないですか。
それで頼みがあります。
⑴被害者にたいする心境
⑵憤怒の何たるかと相手
⑶事件の直接の動機である土建会社社長との応対の経緯
⑷事件の根本の動機である町当局との代替地にかんする応対の経緯
⑸マタギの魂と世界
⑹これまでの半生の履歴と将来の望み
以上について、どんな手記でもかまわんです、部分的な連記でも一気の長文でも長息・正志さんの代筆でも何
でもかまわんです、手紙で私あてにぜひとも送りつけてください。そうしてもらえたら、その手記によって私ら、
事件の真実と高堰さんの本意を世人に一人でも多く訴えて、はっきりさせていく肚です。
高堰さんからの返事と手記、代筆でも何でも、一日千秋のおもいで待っています。
高堰さん、どうか呉々もみずからの身心を大事にされて、欲得ずくの世の理不尽な非情にたいして決して負け
ん又鬼の意地と闘いを貫きとおしてください。 匆々不備
この手紙に高堰は当初、「迷惑をかけるといけないから」と長男と弁護人いがいには誰にも手紙を出さなかっ
78
8 公判
たので、応答しませんでしたが、のちに公判がすすむにつれて連綿と訴及の手紙の形で返答するようになりまし
た。どうじに、この手紙と同じ主旨の手紙に正志は直ちに応答しました。
高堰正志の手紙の一つはこうでした(一九八一年六月二六日づけ)。
皆々様、御一同様には本当に御多忙の中、父の事件に対して応援を頂き、又、遠路幾度も御足労下さいまして、
誠に感謝の気持ちで一杯です。
(略)
私もなぜ父がこんな事件を起こさなければならなかったか、何のために起きたのか、事件の真実だけはハッキ
リして頂く様に、荘司先生(弁護人)にもお願いをして来ました。
山県さんが盛岡(正志一家在住)に来て下さいました時に話した事とあまり変わりはないと思いますが、手記
の件について何度か父と面会して話した事、(父の)手紙に記された事等を私なりに感ずるまゝ書いて見たいと
思います。
⑴被害者に対する心境
阿部さんには父も拘置所でもいつも云っているが、何もうらみもない人を誤殺してしまい、遺族の皆さんには
本当に申し訳ない、うらまれている万分の一でも阿部さんには気持ちを届ける様に云っております。
(略)
⑵憤怒の何たるかと本当の相手
これは父も思っているし、私とて思いますが、阿仁町当局と思います。
79
なぜ、一件一件土地の問題を解決せず、未解決のまゝ次々と工事のみ進めておられるか。工事をした後の処理
のまずさ、二次被害が起こる様な工事の状況、担当責任者及び責任ある処理をする人は誰なのか、今後どのよう
に処理をするのか。すべての問題及び起点はこゝと思う。
⑶事件の直接の動機である土建会社社長との応対の経緯
調書ですべて述べているので、別にこれと云って記する必要も無いと思いますが。私は本当に中嶋礼治という
人間はよくわからないが、今年正月に実家に帰った時の父の話を聞いたかぎりでは、信用のおけない人と思いま
す。なぜなら、工事に着手する時に(略)直ぐ工事が終わる様な事を云い、(略)父の土地にかかる部分は人力
により除雪をすると約束しながら、ブルドーザーにより除雪をして砕石を写真(坂野さんと私が撮影して証拠物
件として提出)の様に畑に多量に落としております。
又、正月は藤根勇さん(中嶋土建の作業員)にも電話をしていたが、覚書でしっかり話を決めて歩く様に再三
連絡をしたにもかかわらず、事件当日もブルにより除雪をしていた様子で。(業者は)云っても聞いてくれない、
(町は)土地問題は解決してくれないし、(父は)一人追いこまれて「行くあても無くなり」、思いに思いつめて
の事件である様に私は思います。
故に時期を見て、私の出来るかぎり父の心残りな問題を解決してやりたい気持ちはあります。
⑷事件の根本の動機である町当局との代替地未解決問題に関する応対の経緯
これは私としては父よりよく聞かなければ書けませんが、(略)代替地は未解決な事は本当です。
⑸マタギの世界と魂
私にはよくわかりませんが(略)。
80
8 公判
⑹(半生の履歴と将来の願い)
(略)父は私達子供の頃よりこれとて定職はなく、農業のかたわら、春・秋・冬の狩猟期は別人の様に我を忘
れて狩りに熱中しているし、老年となっても若人同様に奥深い山を元気で歩いている父を見て、(正月に)果た
してあと何年歩けるのと聞くと、七十才まであと二年やると云って。
(事件はその)正月に私が盛岡へ帰った矢先の出来事で、本当に私達とて何も手につかない毎日でした。
」と電話で詰って絶句した正志が、
なじ
しかし皆様の応援を得て、今後(父が)もし元気で帰られる事があるものならば、私が引き受けて出来るかぎ
り自由な人生を終わらせてやりたいと思っております。
何卆、今後共宜しくお願い致します。
め
事件当夕、自首のため自宅で待機していた高堰を「お前、何バカやった
かば
およそ半年後にはすでに誤殺罪を犯した父親の止むにやまれぬ怒殺意を察知して、厳罰を受けさせたうえで父親
を庇おうとする心境に立ちいたっていました。
山県はこの高堰正志の手紙に先立って、六月九日(夜)に正志と盛岡市内のさる宿で(自宅ではまだ幼ない子
らに事件のことを知らせていないというので)面談し、一〇日(午前)に高堰と大館拘置所で面会(一回三〇分
で一日二回可能の規制)し、同日(午前)に前弁護人深見公一の大館市内の事務所を訪ね(本人留守)、同日(午
後)に阿仁町議会議員米谷忠金と阿仁町内の自宅で面談し、米谷に高堰宅(空家)と事件現場まで車で案内して
もらい、一一日に弁護人荘司昊と秋田市内の事務所で面会し、調書写しを見せてもらい、各人と各様に高堰の公
判について焦点をしぼって詳しくつっこんだ話しあいと打ち合わせをしました。
81
!?
もと
荘司と山県の話しあいでは、これまでの公判が検察側の調書を基にして、「欲が深くてヤバッチー男」の被告
高堰が誤殺とはいえ被害者阿部を山中に追いつめて猟銃で殺した「残虐な殺人の罪」を裁く、という方向でおこ
なわれていることが判明しました。
そこで、こんご弁護側の方針としては、被告本人の意中を汲んでこの公判の流れを変えるべく、二人の間でつ
ぎのことが煮つめられ、確かめられました。まず「刑事事件」である殺人の動機形成=原因として、高堰が戦時
中から部落と町にたいして問題にしてきた「民事事件」である諸土地問題と、「村八分」による高堰の孤立と、
代替地問題での町の高堰にたいする「不可解な」無視ぶりと、土建社長中嶋の高堰にたいする「異常な」横暴ぶ
りを、明示すること──ついで調書で述べられている部落と町の関係者の高堰への「悪評=非難」にたいする反
証として、高堰の裸姿とマタギの生き証人としての本姿を提示すること──加えて高堰が「一日も早く娑婆に出
られるよう」、刑が少しでも軽くなるように、弁護は「精一杯やる」こと。
この打ち合わせのなかで、荘司が「高堰がなぜ人一人を殺したか? 『やらなければやられてしまう』という
のが、どうも飛躍していてわからない」というのに、山県が「中嶋が、又鬼の高堰の存在そのものと高堰の命で
命綱の土地そのものを無視して抹殺しにかかった町の尖兵だったから」と応じ、一転して山県が「事件は窮地に
立たされた自然人の高堰のさいごに残された正当防衛の銃撃だから、公判は無罪(誤殺は別)で押していけない
か?」というのに、荘司が「人一人の命を銃で絶って、無罪はない。人殺しはあくまで罪」と応じ、さらに荘司
しかばね
が「高堰は土地への執着を断ち切って、土地をすべて売り払ってでも阿部さん遺族にできるかぎりの賠償をすべ
きだ」というのに、山県が「高堰から命で命綱の土地をすべて取りあげることは、マタギの高堰を生ける屍にし
て殺すことだ」と応じました。
82
8 公判
みち
これはつきつめれば二人の間に、あくまで時代のニンゲン第一の途=ニンゲンサマサマの途と、徹底して反時
代で脱時代の自然一義の途=自然の命律につきしたがってサマサマのニンゲンを見返していく途の違いが横たわ
ることを、おのずと物語っていました。
八一年六月一五日、山県は高堰の長男正志あてにつぎの手紙を出しました。
前略 先日(六月九日)は初めてお会いできて、お人柄に感じ入りました。どうか万事にわたって弱気になら
れないでください。
早速ですが、親爺さん(高堰)・米谷さん・荘司弁護人と会って話しあった結果として、今後の裁判の進め方
で要点になると思われることを以下に連絡を兼ねて記します。
なお弁護人(どうも熱意が感じられない)は〈救援連絡センター〉出で、一九七七年に三里塚闘争の一事件で
初仕事をやっている新左翼系で、親爺さんの弁護でも不利なひき継ぎのなかで、それなりの方針と筋(刑を軽く
する)を通そうとしていることだけは確かなので、まずまずじゃないですか。(略)「もっと熱をこめてやってく
れるように」と注文をつけて、弁護人とは厳しく話しあいました。
⑴公判のスケジュールと見通し
事は急を要してきました。
イスケジュールは、七月三日に現地出張訊問(検察側証人は阿仁町役場の高堰課長と柴田支所長、弁護側証人
は中嶋土建社長)──七月一七日の公判で審議終了(弁護側証人として親爺さんと坂野と新たに米谷さんに依頼
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しなければ)──一ヵ月後に検察官の論告求刑と弁護人の最終弁論──さらに一ヵ月半後の今秋(八一年=昭和
五六年)に判決。
ロ見通しは、弁護人の意向として、親爺さんに「一日でも早く娑婆に出てもらう」減刑に懸けることを前提に
して、判例(突発的殺人)が懲役七年、予想される検察官求刑が実刑七・八年、予想される裁判官三人の判決が
懲役五・六年であるところを、弁護の頑張りで実刑四・五年に短縮したいとのこと。
見通しについては荘司弁護人に任せるしかないですが、スケジュールについては七月一七日の公判の模様しだ
いで延長を考える必要があります。
⑵七月一七日公判の証人
既定の親爺さんと坂野の証言については、弁護人に「前もってポイントをしっかり打ち合わせてほしい」と依
頼済み。
新たな証人については、やらんとしていた岩崎(と山県)は証言主旨が「被告人の人柄と又鬼の世界」で坂野
おそ
とダブルので不用。親爺さんが土地問題の証人として推している中村の鈴木元町議は、調書その他で見たところ、
沢井町長サイドの人物で偽証の虞れがあるので再検討。土地問題の証人として最適任者は、米谷さんしかいない
という結論になりました。
米谷さん(いい人ですね)には先一〇日(六月)会ったとき、証言をふくむ今後の高堰支援について「真実の
ためなら、できる範囲のことをやる」旨の内諾を前もって得ています。が、ことが七月一七日になるとは予想外
だったので、早速、昨一四日(六月)米谷さんあてに改めて七月一七日に早まった土地問題の証言をぜひ頼む旨
の私信を速達で出しました。証言のポイントについては、荘司弁護人が七月三日の出張尋問で阿仁町に出向いた
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8 公判
とき(七月二日)、忠金さん(米谷)に正規の証人依頼をして詳しく打ち合わせることになっています。なお忠
金さんは、証言に立つには自分なりに「事実を調べて確かめたうえで」といってくれています。
ついては正志さん、貴兄からもぜひ親友の忠金さんに七月一七日の証言を頼んでおいてください。
⑶殺人事件と土地問題と賠償問題
この三件については親爺さん・正志さん・私ら、原因あっての結果で、まったく一体で切っても切り離せない
もので同件で別件ではないと受けとめ、原因の真実をこそ関係者と地元と世間にハッキリさせていかんとしてい
ます。これは誰が見てもそれが当然で、不変です。ただこの三件、弁護人と厳しくつきつめあった結果、つぎの
結論が出てきました。
イこの三件は法制上と事務手続き上では、各人の受けとめ方とは無関係に、どうしても別件にならざるをえな
い。誤殺は刑事事件、土地問題は民事訴訟、賠償問題は示談か民事訴訟と。
ロそれで弁護人の方針は、いまの殺人事件の公判では原因の土地問題を、減刑を勝ちとる要素の動機形成面で
最重要視して追及し、力説するとのこと。
ハそれなら私らとしては荘司弁護人に目一杯やってもらったうえで、それでも土地問題の糾明で親爺さんが
とくしん
得心できなければ、
さらに親爺さんに量刑問題ではなく土地問題の追及で控訴してもらう
(新たな国選弁護人で)
。
ニさらにそれと並行して、誤殺事件の原因である土地問題を親爺さんと徹底して糾明して是非を明確にするた
めに、法制上で別件になる未解決の代替地問題の民事訴訟を起こす。弁護人は(略)私選で依頼する。
この訴訟は荘司弁護人の話では、いまの殺人公判にはマイナス材料にはならないし、代替地問題の真実を明ら
かにするには意味があるけれども、賠償問題ではせっかく奪い返した土地も被害者の阿部さん遺族への弁償に充
85
てなければならなくなるかもしれないから、それほど意味はないとのこと。
ホ賠償問題はいまの弁護人の言では、被害者側に民事訴訟をおこされたら、賠償額の通例が何千万円(三千万
~四千万円)のケタで、法的強制によって全財産を没収されかねないから、いまの公判が進行中に裁判官の心証
への影響も考えて示談で、加害者側が土地への執着すら断ち切って土地を処分して、最大限の賠償をしたほうが
いいとのこと。
私の判断はこの弁護人の意見にはまったく反対で、すでに正志さんと親爺さんに伝えてあるとおり、出所後に
そなえて親爺さんが自活できるだけの土地はなんとしてでも残しておかなければウソです。そのためには、どう
したらいいか。
一に、亡き阿部さんと遺族にたいする心底からの謝罪は、すでに弔意の一時金(五月七日に一〇〇万円)で示
している。
(略)
三に、家と宅地は正志さんの名儀だから、私的な弁償や法的な没収とは無関係にさせておくことができて問題
ない。
四に、残る問題は親爺さん名儀の山林と原野と田畑について、示談による賠償がどこまで自給できる分を残せ
るかです。
それには、代替地問題の民事訴訟を依頼する新たな私選の弁護人と相談したうえで、まず土地について自活の
分と賠償の分を決めて、阿部さん遺族に赤心での説得をすすめながら精一杯の賠償金を渡す。
説得のポイントは──。
86
8 公判
親爺さんが謝罪のためにどんな重刑でも受ける覚悟でいること。
(略)
親爺さんは刑罰によって重い制裁を受けること。
(略)
親爺さんの痛恨の誤殺は、マタギと又鬼の〝命の土地〟を屈辱と無視と抹殺の危機にさらした相手にたいす
る激怒に発していること。
マタギの生き証人の親爺さんの存在は、地元だけでなくいまの世と時代のなかでどれだけ貴重であるかしれ
ぬことを誰も知らぬこと。
親爺さんから土地のすべてを取りあげることは、又鬼の親爺さんをまったく自給できないようにして生きな
と
がらに殺すことと同じで、残酷きわまる仕打ちであること。
遺族に、残酷な復讐の仕打ちを選るか堪忍の人としての貴重な情理をとるか、迫ること。
以上、殺人事件と土地問題と賠償問題三件について、正志さんはどう判断されますか。意見を聞かせてくださ
い。(略)
なお、こちら(東京)で私らが急いでやろうとしていることはつぎのとおりです。
一に、〈マタギ誤殺事件の真実を問う衆座〉で『マタギの激怒=狩人の魂』と題したアピール・パンフレット
をつくって、関係各方面(裁判長と遺族ふくむ)に送付し、事件と背景の真実を明らかにする。
二に、群像舎(岩崎)がドキュメンタリー『又鬼』を七月末を目途に完成させて、八月末に阿仁町と秋田県下
の数ヵ所で上映会をもつ(時期はズレるかも)。
87
A
C
E
F
G
H
三に、坂野が一雑誌に載せるマタギの写真と文の作業を進めている。
四に、七月一七日の公判に、坂野が証言で、岩崎と原田と山県が傍聴で出向く(行くものが変わるかも)。
(略)
どうか体に気をつけられて。ご家中の皆さんに呉々も宜しく伝えてください。 匆々不備
八一年七月三日、事件の現地所轄の森吉警察署で高堰の第四回公判がおこなわれ、出張尋問がなされて、検察
側証人として阿仁町建設課長高堰定治と支所長柴田一忠と職員加賀谷昭一が、弁護側証人として中嶋礼治が、検
察官と弁護人の双方から証人尋問を受けました。
弁護人荘司は事件の根因である町当局の当事者、林道開設工事当時の用地買収責任者高堰定治と買収折衝担当
者加賀谷と工事責任者柴田に、一〇年間未解決の代替地問題と高堰喜代志家をのぞく部落各戸への土地特売問題
と工事業者による田畑への土砂落とし問題と部落での高堰家への水路止め問題ほかについて、町役場の高堰にた
いする対応の仕方と是非を逐一問い糺し、町当局の非の一部を明らかにしました。
たとえば高堰定治とのやりとりで「林道工事をする一部に(高堰喜代志の)所有地があって、その補償につい
て交渉がまとまらないまま十年の歳月を費やしてきたのは事実だという訳ですね」と。
ウソ
さらに荘司は事件の直因である土建会社の社長中嶋礼治に、高堰にたいする応対の仕方と虚実を問いつめ、本
人から虚の一部を抽きだしました。
たとえば弁護人「栩木沢林道地内に被告人の私有地があることは知っていたと言いましたね」、証人「はい。
しかしそこは被告人本人が承諾しているから公道だということを役場から聴いてました」、弁護人「それはまこ
88
8 公判
とに重大な証言です。そこが公道だということを役場の誰から聴いたのですか。はっきり証言して下さい」と。
八一年七月五日、阿仁町長選挙の投票日である当日に先立って、高堰は獄中で不在投票をし、立候補していた
町長沢井作蔵の対立候補、町議会議長近藤竹雄に一票を投じました。結果は沢井が近藤に大敗して四選を阻止さ
れました。
沢井の敗因の一番のものは、沢井が前八〇年(昭和五五年)九月(一九日)に地裁大館支部法廷で裁判長須田
贒(高堰第一審の裁判長にもなる)により、「役場職員採用をめぐる贈収賄事件」の「受託収賄罪」で「阿仁町
では通常、職員を縁故採用しているが、被告がその採用に当たって町長の地位を利用し、職員への採用を願う父
母などから多額の現金を受け取って私服を肥やした罪は悪質であり、町政を腐敗させるもの」であり、「犯罪がはっ
きりしているのに町長のイスに固執するのは町民を愚弄したもの」との理由によって「懲役二年、執行猶予四年、
追徴金八十万円」の有罪判決をうけ、控訴したとはいえ罪状は隠しようがなかったことでした。
収賄罪は、沢井が七八年(昭和五三年)五月に「農業中嶋春弥から長男を役場職員に」と自宅で現金二〇万円
を受け取り、翌七九年二月に「元町議吉田要蔵と消防署員松橋勝幸から松橋の妻を町立保育所の臨時保母に」と
はばか
自宅でワイロ六〇万円を受け取った罪でした。
高堰は「沢井落選」の報に接したとき、誰憚ることなく快哉を叫ばずにはいられなかったでしょう。
八一年七月一七日、地裁大館支部法廷で高堰の第五回公判が開かれ、坂野英彰が証言に立ちました。
前日、〈マタギ誤殺事件の真実を問う衆座〉の坂野・岩崎雅典・原田建司・山県が〝異体同心〟での高堰支援
89
と旅費節減のため、原田の車で東京から大館に向かい、その途次、阿仁の住む人なき高堰宅と誤殺の現場を訪ね、
現場では亡き阿部哲男=戒名真隆院照巖哲心居士を供養する率塔婆に黙祷を捧げ、翌日の傍聴にそなえました。
当日、法廷で坂野はまず弁護人荘司の問い(主尋問)に答えていいました。
(除雪による被害)
問い 撮影報告書1に添付された①ないし④の写真はどういう目的意識で撮影したものですか。
答え (八一年=昭和五六年)二月末頃から五回ぐらい現地入りして、延べ一ヵ月ほど歩き回っている間に雪
解けが進み、バラシ(砕石)が落ちて被害を受けた個所が次第に見えて来たので、これはひどいなぁと思って、
気がついたところを撮影したのです。
(略)
問い 撮影報告書1の①の写真はどういう状況を写したものですか。
答え 前年(八〇年)の秋に(現地に)行った時は、林道上一帯にバラシが敷かれていましたが、翌年(本年)
春に雪が消えたら路面のバラシは無くなっていて、それが谷側や山側に打ち寄せられたり、畑や田圃にも相当落
ちていたので、それを証拠にと思って写したものです。
(略)
問い 写真②を説明して下さい。
答え 稲を干すために木組みしたものをハサと言うようですが、それが倒された状況を写したものです。
(略)
問い ③の写真はどうですか。
90
8 公判
答え これは高堰さんの旧宅
(納屋)
の敷地内にバラシが落ちた状況と、
U字溝が壊れた状況を写したものです。
(略)
問い 撮影報告書2添付の写真は全部、この事件の後で除雪による被害状況を明らかにする目的で写したもの
ですね。
答え そうです。
は
問い 写真①④⑪は、被告人の所有地内に植えてある栗の木付近に砕石が落ちたり、栗の木が倒れた状況を写
したものですか。
答え そうです。
問い ②⑧⑭⑮の写真はどういう意図で写したのですか。
答え 林道の山側から大きな石が崩れ落ちたり、斜面がえぐられたり、大きな石が食み出したりして、(山側が)
年々崩れていっているのを見たので、その状況を写したものです。
(略)
問い 被告人の家の手前で道路の舗装が切れていますね。
答え そうです。(略)舗装の切れ目付近にはバラシが比較的多く敷かれているのに、高堰さんの家に近くな
すく
るにつれて薄くなっています。
これは除雪の際に路面のバラシが
(ブルドーザーで)
掬われたからだと思うのです。
それともう一つは、道路の舗装工事が居宅の手前で打ち切られたことを高堰さんが思い悩んでいるのを知った
ので、その事実を見てほしくて写したのです。
(町当局への疑義)
91
問い 栩木沢林道の問題で被告人から直接悩みを打ち明けられたことがありますか。
ただ
答え はい。一緒に山に歩いて行く時に、ひどい工事のおかげで土砂崩れなどで田圃がつぶれたこととか、本
来道路を通すはずでなかったところに道路がつくられたことなど話していました。
また居宅の手前で道路の舗装工事が打ち切られたことについても、町(役場)に電話で理由を質していました。
問い 被告人は町当局に対して不満を持っていた訳ですね。
答え そうです。林道問題でも舗装問題でも(略)最初の口約束が常に守られていないことに不満をもらして
いました。
(被告人の人柄)
問い 町側の人に言わせると、被告人こそ口約束をコロコロ変える奴だと言う向きもあるようですが、どうで
すか。
答え 最初の一年間は、ほかのマタギの人達から高堰さんは頑固な人だと聞かされていました。しかし付き合
いが深まるにつれ、高堰さんの話す言葉(東北弁)がわかるようになってからは、話すことがいちいち筋が通っ
ていることに感心させられたほどです。
問い 代替地の問題についても(略)筋の通った意見を言っていた訳ですね。
答え そうです。マタギが熊と対決する時には、一歩誤ると命にかかわることから判断の(的確な)即決が要
ほ
求されますが、高堰さんの日常の態度にもそれが強く感じられ、町が問題をあいまいに放っとくことに怒りを持っ
ていたようです。
問い 被告人のことを守地奴と言う人がいたということですが、被告人が特別土地に執着するとか土地を大事
92
8 公判
にすることについて、証人はどのように思いますか。
おか
はぐく
答え 守地奴というのは全く当たりません。現在、阿仁町の山野はムチャクチャに開発されつつありますが、
ナラ
クルミ
高堰さんのように鳥獣の食物が豊富にある栗・楢・胡桃などの雑木林を持って(鳥獣の生き場にして)いる人に
とっては、その土地を侵されることに特別の抵抗を感じるものと思います。
問い つまり被告人が執着する土地というのは、財産としての土地ではなく、自然の(すべてを育む)土地と
いうことですね。
答え そのとおりです。狩猟民というのは観光客と違って、居住する土地の小川・谷・池・岩・木など全部生
た
きものとして見ているのです。その土地が侵されることは堪えられないことなのです。
問い 被告人が部落の中でかなり孤立した存在であることに気がついていましたか。
答え はい。高堰さん自身も言っていました、みな俺とは付き合いたくないのだから、それも仕方のないこと
だ、俺は一人でも生きて行けると。
そのように一人でも生きて行くための基盤となる土地に(高堰さんが)執着するのは、理解できることだと思
います。
問い 部落の人達が被告人を敬遠している感じもありましたか。
答え はい。よそのマタギの人達は、高堰さんが部落の人達と付き合わないのだと言っていました。しかし高
堰さんが部落の人達の悪口を言ったのを一度も聴いたことがありません。
問い 被告人は金銭的な執着心が強く、その面の要求を通す人だと言う人がおりますが、どうですか。
ケチ
答え それが吝嗇という意味で言っているならば、全く違います。私はそれとは正反対の例を沢山見て来てお
93
ります。
具体的な例をあげると、(略)高堰さんのところに熊の頭(剥製)を買いに来た人がいましたが、当時、熊の
頭は五千円が相場でした。高堰さんはその代金をどうしても受け取らなかったのです。後でその人が、高堰さん
という人は金銭的にきれいな人だと話しているのを聞きました。
問い 被告人を乱暴な人だと言う人がおりますが、どうですか。
と
答え 乱暴という言葉は当たりません。気性が荒いことは確かですが、それはマタギの人達が一般に言われて
いるところです。
比立内のマタギ達は今でも熊を獲り逃がしたりすると、ものすごくドヤされますが、それに比べたら高堰さん
は温厚なほうです。
問い 被告人は理由なく人に暴力を振るうような人ではありませんね。
答え はい。ただ猟の時に真剣味のない人には厳しい人です。例えば、猟が終わっても銃に弾を込めたままに
している人に対しては、口やかましく注意する人ですし(略)。
問い 被告人は部落の中で孤立していると言われますが、マタギ達の評価はどうですか。
答え 一口にマタギと言っても、阿仁町猟友会の会員八十数名の中で本当のマタギと言える人はごく少ないの
です。その数少ないマタギの中でも奇跡的にマタギ本来の狩猟精神を持っている人が高堰さんなのです。
そういう意味で高堰さんはマタギ仲間から尊敬されていました。
問い 被告人は部落外の人達との交際はどうでしたか。
答え 農繁期には結構手伝いに来る人がおりましたから、それなりの付き合いがあると思います。
94
8 公判
(殺人事件の動機)
問い 暴発を恐れて銃から弾を抜くように注意したり、自分の銃に触れさせまいとする人が殺人事件を起こし
たことを聞いて、証人はどう思いましたか。
答え まず獣以外の人間を撃ったということが信じられず、ショックを受けました。その後、阿仁町入りして
地元の人達から話を聴いたり、現場を見たりするうちに、被害者には申し訳ないことですが、こういう結果にな
らざるをえなかったと思うようになりました。
問い それは色々調査した結果、そういう感慨を抱くに至ったということですか。
答え 事件の突発を知った最初にも本能的にそのように思いました。その後、客観的に調査した結果、確信を
深めたということです。
問い 犯行の動機などについて人から(何か)聞いたことがありますか。
答え はい。ある人(マタギのシカリ鈴木松治)がこう言いました、俺達が山に行った時、蜂の巣があればそ
れを避けて通るが、その蜂の巣を棒でつつけば、蜂はその人を刺すだろうと。こんどの事件はそれと同じだと言
うのです。
(土建業者の仕打ち)
問い 棒でつついた人とは具体的には(土建業者)中嶋礼治を指すのですか。
答え そうです。
(略)
問い 被告人はその人から具体的にどういう仕打ちを受けたのですか。
95
たま
答え 除雪する時に、栗の木を何本か折られたり、ハサを倒されたり傾けられたり、砂利を敷地内とか田圃に
沢山入れられたりしたことです。
さかい
高堰さんはそれに堪りかねて、(事件の前日に電話で)町会議員の米谷忠金・吉田要蔵の両氏に相談し(略)、
たまたま両氏とも出張とか所用のために(不在で)現場に来れなかったのです。
その翌日にこの事件が起きてしまったのです。(略)
問い 積雪の最盛期にはハサの先端が雪に隠れてしまうのですか。
答え いいえ。いくら雪の深い時でも先端が隠れることはありません。
問い するとハサは道路端に立てられているから、注意して見れば道路と畑の境は見当がつく訳ですね。
答え そうです。
こううん
問い それにもかかわらず砂利が田圃や畑に沢山入ったということは、細心の注意を払って除雪しても仕方な
わざ
く入ってしまったというよりも、場合によっては態と入れたと受け取れる状況にもある訳ですね。
答え そうです。去年の春でしたが高堰さんの家を訪ねた時、耕耘機に石が入って刃が欠けてしまったと言っ
て仕事を休んでいたことがありました。それで耕地に石が入るということは大変なことなんだなぁと思った記憶
があります。
(被告人への支援)
問い 被告人が本件で逮捕されてから何回か面会していますか。
答え はい、三回会っています。
問い その際、被告人はどんな話をしていましたか。
96
8 公判
答え あなたにまで迷惑をかけて申し訳ない。自分が犯した罪は自分が誰よりも知っているから、弁護はいら
ねぇ。ただ、ここまで俺を追い込んだ町(役場)とか工事関係者の人達と白黒をつけないと、俺は安心して死に
きれねぇ、と言っていました。
問い 被告人はいずれ刑務所に入ることになりますが、
証人は被告人と交際を続けて行く気持ちがありますか。
答え はい、一生付き合って行くつもりです。
問い 被告人が刑務所に入ると気懸りなことがありますか。
答え はい。私はこれまでに狩猟人の色々な人達と会って来ましたが、その中でも高堰さんはまさに奇跡的と
言うべき狩猟人です。大自然の中で自由に生きて来た人が、これから果たして閉ざされたコンクリートの中で正
常に暮らして行けるのかどうかということが最も気懸りなことです。
(略)
問い 今後どういう形で被告人を助けて行きますか。
答え できるかぎり面会に行って、一日も早く(獄舎から)出られるよう元気づけて行きたいと思います。
高堰さんが大自然に戻った時に教えてもらうことが限りなくあるのです。
問い 被告人の土地に対する執着心とは裏腹に、被害者に対する賠償のため土地を手離すという相反する選択
があると思いますが、その辺の調整について何か考慮していることがありますか。
答え 何事も高堰さんの気持ち次第ですが、仮に高堰さんの土地が二・三〇町歩(主に山林)あるとして、こ
れを処分しても二束三文の値打ちしかなく、全額を弁償に充てたとしてもまだ足りないと思います。
ですから少なくとも半分程度の自然の土地を(高堰さんに)残してやるためには、それなりの値段で土地を買
97
い取ってやるしかない訳で、できたら仲間と運動(資金カンパニヤ)を起こして、そういう方向で努力し、援助
して行きたい気持ちですが。何分にも高堰さんと具体的な話し合いをする機会もなく、今のところはただ仲間と
話し合っているだけです。
(被害者の心証)
問い 付け加えて述べたいことがあったら述べて下さい。
答え 被害者宅に私もご焼香に行きましたが、その時、親族会議みたいなものを開いていました。
ひととなり
ためら
遺族の人達は加害者である高堰さんの為人を私に聞きたがりました。私は最初、躊躇いましたが、思い切って
私の知っているかぎりの高堰さんの為人を話しました。
その後、私が横浜に帰宅してから、被害者の親族代表という人から電話があって、「今までは加害者の気晴ら
しで撃たれて殺されたと思って、どうしようもない割り切れない気持ちと不安で落ち着かない毎日を送っていた
が、あなたのお話を聞いて初めて本当のことがわかり、気持ちも落ち着いて、ほっとしている。ありがとう」と
いう趣旨の応答があったことを付け加えておきます。
ついで坂野は検察官菅井利夫の問い(反対尋問)に答えていいました。
問い あなたの証言では除雪それ自体が不当だというように聴こえますが。
答え 相手に迷惑のかからないよう誠意をもって除雪してくれたらいいのです。
(略)
問い 証人が一緒に山に入ったマタギは何人ぐらいおりますか。
98
8 公判
答え 多い時は四〇人もいたことがあります。
問い その中でマタギらしいマタギは何人いましたか。
答え 一〇人もいたかいないかです。
問い その一〇人もいるかいないかのマタギの中でも被告人は優秀なマタギなのですか。
答え そうです。個性的で、かつ優秀です。
問い 被告人に匹敵するマタギはいましたか。
答え 銃のうまさでは匹敵する人はおります。その人達が高堰さんを一番優秀な人だと言っていました。
問い 被告人の社交性についてはどう思いますか。
答え 最初のイメージと違って、本当に気さくな人だと思っております。
(略)
問い 被告人の立場に立ったら、誰でも止むを得ずこういう結果(殺人)になったろうという趣旨の証言をし
ましたね。
答え それは高堰さんの立場に立って見ないとわからないことでしょうが、私はこういう結果にならざるをえ
なかったと思ったのです。
さらに坂野は裁判官古川順一の問い(補充訊問)に答えていいました。
問い 『又鬼』(群像舎)というドキュメント映画の撮影はいつからいつまで行われたのですか。
答え 昭和五三年(一九七八年)春から五五年一二月一四日まで(事件は翌五六年一月六日)です。
問い 今後も続けて撮影する予定はあるのですか。
99
答え 高堰さんのようなマタギがいないと、はたして続けられるかどうかわかりません。
問い 被告人とは一生付き合って行くと言いましたが、どういう形で付き合って行くのですか。
答え 高堰さんがこれからどうなるのかわかりませんが、どうなろうともいつも会って力になって行きたいと
いう気持ちです。
(略)
問い 中嶋のやり方がずるいとか、ひどいと思ったことがありますか。
答え 高堰さんは自分が納得すれば無理なことを言わない人だけに、中嶋のやり方はひどいと思いました。
閉廷後、衆座の坂野・岩崎・原田・山県と高堰の長男正志と弁護人荘司は法廷ビル近くの一食堂で、高堰の公
判にともなう「今後の問題」について話しあいました。
問題1=公判の方針については、事件の原因で高堰を追いつめた張本人の部落と町当局と土建業者を糾弾しな
がら、刑の軽重を度外視している高堰の体調悪化を見越して刑の軽減をもとめていくことが再確認されました。
荘司が刑軽減の要素として、①誤殺への謝罪、②被告人の老齢、③部落での村八分による孤立、④未解決の土
地問題、⑤被告人の人柄、⑥遺族への賠償、を挙げました。
問題2=未解決の代替地問題については、これは誤殺事件の動機形成の主要素で事件とは切っても切り離せな
いけれども、これを扱って解決できる訴訟は「刑事訴訟」ではなく「民事訴訟」であり、これを民事訴訟にかけ
るには高堰と町役場との間で林道用に提供した私有地の代替地による補償契約の文書が必要で、それがなければ
できないことであり、民事訴訟に踏みきって仮に勝訴した場合でも、一つの障害としてせっかく得た代替地が土
100
8 公判
地収用法の強制執行によって町当局に収用されるおそれのあることが、あらためて明らかにされました。
そこで、代替地問題を民事訴訟にかけて町当局を告訴するかどうか、そのさい弁護人は荘司がやるかどうか、
荘司がやらないときは誰に弁護人を頼むかは、留保して、後日に高堰の意向をたしかめて決めることになりまし
た。
問題3=遺族への賠償問題については、正志がすでに五月七日(八一年=昭和五十六年)に内金一〇〇万円を
遺族に渡し、こんご示談で総額と期限を決めていくことになりました。
そのさい、資金調達のため私有地を処分することが不可避になっても、受刑後に出所する高堰の自給と自活が
最少限確保される土地だけは残す努力を正志と衆座がすることが合意されました。
なお阿部遺族には、申請中の労働者災害補償保険(労災)の適用がすでに六月一七日に仙台労働基準監督署で
認可・決定されて、遺族特別支給金およそ三〇〇万円と遺族年金(死亡時の年収)およそ一七五万円が支給され
ることが知らされました。
公判翌日の七月一八日、衆座の四人は地検大館支部拘置所で高堰に面会(一回三人の規制)し、裸心と意中を
通じ合わせました。
そのなかの一つに、「親爺さん、土地は命だすね?」「んだす!」がありました。
八一年八月一六日、山県は拘置所の高堰あてにつぎの手紙を出しました。
前略 七月一七日の公判傍聴、翌一八日親爺さん(高堰)との面会のあと、自然人の親爺さんが獄中に拘禁さ
101
れていることを想うと、涙が出たです。どうか決して負けんでください。
要件を書きます。
⑴パンフ
〈マタギ誤殺事件の真実を問う衆座〉の『マタギの激怒=狩人の魂』というパンフ(八一年七月記)、同封で
お手もとに。このパンフ、すでに正志さんから親爺さんの手に渡っているかもしれませんが、どうか後日の(被
告人)陳述のときのために参考にしてください。
なおこのパンフ、阿部さん遺族からの要望ですでに坂野から遺族あてに送られて、遺族からの返事を待ってい
るところです。
⑵賠償問題
この件、通例では何千万円のケタになるそうで、正志さんが一番苦慮していることですが、私ら衆座と正志さ
ん(略)合意の考えは、親爺さんの〝命の土地〟をできるだけ売ったりしないで、その代わりに正志さんと衆座
で精一杯何百万円のケタ(土地売価相当)で、できるかぎりのゼニをかき集める動きをおこして、それを遺族に
渡し、土地をできるだけ残すようにすること(略)。
この私らの考えにたいして親爺さんの率直な思いを至急に知らせてください。
⑶土地問題
阿仁町が親爺さんに当然渡すべき八反歩の代替地の件については、荘司弁護人の話では、はっきりと代替地の
所番地等を明記した契約書(に相当するもの)がないので、民事訴訟をおこしようがないとのこと。
ついてはこの件、親爺さんと正志さんが荘司弁護士を通じて、阿仁町から代替地に関するハッキリした契約書
102
8 公判
ここ
なり覚え書きを出させるように、ぜひとも至急の手配と手続きを進めてください。
⑷碑柱
親爺さんの家の周りの畑と田に、私ら衆座で〝南無自然極法=茲に高堰喜代志の痛憤の魂魄宿る〟(南無=帰命)
ヨソ
と──〝南無山神=茲に又鬼高堰の怒魂宿る〟と──〝南無天地命律=茲に狩人喜代志の肝魂宿る〟という三本
の碑柱を立てて、地元にしろ他処からにしろ誰もたやすく親爺さんの土地に手をつけられないようにする肚です
(九月末日までに)。
どうか了承してください。
⑸映画
岩崎と坂野が中心で、前に撮らせてもらった親爺さん方の熊の巻き狩りの記録映画『又鬼』を地元と全国で九
月末日頃から上映すべく、いま懸命に準備しているところです。
(略)
要件は以上です。
親爺さん、どうか呉々も体に気をつけてください。 不一
のちに都内のさる弁護士の助言で、町当局が未解決のまま放置している代替地問題は、民事訴訟のほかにも「行
政訴訟」で解決する手があり、林道用に提供した私有地の代替地による補償の契約書や覚え書きはなくても「行
政不服審査法」もしくは「行政事件訴訟法」にもとづいて、代替地による補償の不承認から不履行=不作為の不
服申し立てができて、私有地に不当に公道の林道を通している違法行為への損害賠償から慰謝料の請求ができる
103
ことが判明しました。
が、弁護人荘司はこの行政訴訟についてはまったく言及しませんでした。
八一年九月二五日におこなわれることになっていた高堰の第六回公判が一〇月二三日に順延されました。
同年一○月二三日、地検大館支部法廷で高堰の第六回公判が開かれ、検察側証人として栩木沢部落委員加賀谷
時一が出廷し、林道用地提供の仕方ほかについて検察官と弁護人の双方から尋問を受けました。
加賀谷は、七一年(昭和四六年)九月九日に町役場が林道用地買収説明会をもって、用地提供者への補償は従
来の代替地ではなく金銭によっておこなうことを提示したと証言し、二日後の九月一一日に部落集会がもたれ
て、誰もいっさい異議なく林道用地の買収に応諾し、金銭による補償を承諾したと証言しました。
そのさい加賀谷は、みずからが調書で高堰が用地買収応諾の部落集会に出席したと偽証したことを、集会には
一四戸のうち一一戸が出席したといって撤回せざるをえませんでした。
同日、山県は高堰の長男正志・坂野・岩崎と高堰の公判を傍聴後、あらかじめ都内の自宅で朽ち木でつくった
一メートル前後の碑柱三本──高堰の魂魄を表徴する三柱をもって独りで阿仁町に向かい、阿仁合駅前のさる宿
に一泊し、翌二四日朝、戸鳥内・栩木沢の高堰宅(空家)にむかいました。
すでに納屋代わりになっている旧家屋の周りにある畑で山県が三柱を三ヵ所に離ればなれに、土を掘って石で
四方を固めて立てはじめたとき小雨が降りだしました。急ぎまとったビニールの透明な簡易雨合羽が降りやまぬ
104
8 公判
雨滴にしとど濡れそぼつなか、じっとり汗をかきながら作業を終えた山県は、立てた三柱――「南無天地命律=
茲に狩人喜代志の肝魂宿る」と「南無山神=茲に又鬼高堰の怒魂宿る」と「南無自然極法=茲に高堰喜代志の痛
ぎょう
憤の魂魄宿る」をフイルムに写しとりました。
この碑柱立て、雨中の無言の業は、高堰を黙殺せんとする部落と町と世にたいして、ただただ独りマタギ喜代
志の逆怒の肝魂の何たるかを暗黙に告知せんための行為でした。
八一年一一月二七日、地裁大館支部法廷で高堰の第七回公判がおこなわれ、高堰が土地問題ほかについて弁護
人から検察官との質疑応答の形で被告人陳述をしました。
この日、衆座からは坂野と明石太郎(群像舎カメラマン)が傍聴に駆けつけました。
明けて一九八二年(昭和五七年)二月一二日、地裁大館支部法廷で高堰の第八回公判が開かれ、高堰が被告人
証言をしました。
高堰は土建業者中嶋礼治の所業問題では、中嶋の傍若無人な仕打ちは「ゆるせねこと」で「堪忍袋の緒が切れ
て」といい、町当局が放置している代替の土地問題では「あした(ああいう)山間部で人なみに生活するには、
土地は大事で命だから」といいました。
閉廷後、衆座の坂野・岩崎・山県と高堰の長男正志と弁護人荘司の打ち合わせで、被害者阿部遺族がすでに適
用を受けている労災保険について、いずれ仙台労働基準監督署が加害者高堰に全額の損害賠償請求をしてきて、
105
高堰の財産が同額分没収されることが不可避であることがあらためて確認され、その対応策、法的没収を食いと
める策として、高堰喜代志名儀の山林・原野・田畑を正志名儀に名儀変更する必要があることが合意されました。
八二年三月一一日、地検大館支部法廷で高堰の第九回公判がおこなわれ、高堰が検察官菅井利夫の被告人訊問
に応じました。
検察官の質疑は未解決の代替地問題と中嶋との抗争問題との因果関係に集中し、菅井が「関係ないということ
だね?」というのに、高堰が「ある!」と応じました。
当日、地検大館支部拘置所で高堰の長男正志は坂野と父親喜代志に面会し、父親に「阿部さん遺族が受けた労
な
どうせ全部とられんだら、そんだら徹底的にやるか、私
災で、
そのうち労働基準監督署からその分の損害賠償請求がきて、
土地をみな取られるかもしれね」
と告げました。
め
喜代志は「お前だちまで、そんだらごというのが
選弁護人で裁判ば」と応えました。
①高堰自身の裁判闘争──事件の根因である土地問題で黒白をハッキリつける闘いが激化してきたこと。
かな? と危惧しました。
この時点でつぎのことがハッキリしてきました。
坂野は帰りしな、喜代志がつぎの公判(検察官の論告求刑)にも「来てけれ」といったので、弱気になってる
感じ、なんとか土地を残さねばと肚を決めました。
そのとき正志は、父親が受刑後に盛岡に来る(正志宅に移住する)気はなく、土地が失くなったら死ぬ気だと
!?
106
8 公判
②正志と阿部遺族の間で示談での慰藉・賠償の総額決定が急がれていること。
③高堰の自給と自活のための土地確保のために、喜代志と正志の間で売買する形で山林・原野・田畑の名儀変
更の仮登記が必要であること。
④阿仁町長と中嶋土建社長にたいして慰藉・賠償の民事訴訟を起こす必要があること。
八二年四月二六日、高堰正志あてに山県が手紙をだしました。
前略 正志さん、先三月一一日の公判には行けずにすまんでした。
坂野から当日の公判のあらましと、正志さんが親爺さんとの面会で親爺さんに、阿部さん遺族への労災補償の
関係(賠償)で国に土地をみな取られるかもしれないことをはっきり伝えた由、聞きました。思いきってよく云っ
てくれました。これで親爺さんも正志さんも、国のいいなりにはならん覚悟を新たにされたと思います。これか
らが本番の闘いである気がします。
ついては、これからやるべきことはいろいろありますが、まず六月一一日(四日に変更)の検察官論告求刑ま
でにハッキリさせておくべきと思うことを書きます。
⑴阿部さん遺族への賠償総額の結着。
これについては示談で決まりしだい、すぐ知らせてください。
⑵土地確保のための名儀変更の仮登記の準備。
これについては親爺さんから正志さんに、売買契約(時価総額と分割支払方法と内金明記)によって土地の名
107
儀変更を仮登記でやっておく。
これは東京・渋谷区の顧問弁護士の一人が、土地確保の方法として示してくれたなかの最良のものです。仮登
記の権利は国の請求権や強制収用権よりも強い由。
正志さん、これについてはぜひ盛岡市役所の法律相談室で、そのとおりかどうか、「法の落とし穴」はないか
どうか、どういう仮登記のやり方が一番いいか、確かめなおして結果を知らせてください。
いずれにしても仮登記の準備は進めましょう。親爺さんに納得してもらって。
以上のほかに残されている問題は──。
いまの裁判の進め方はいままでどおりでいいかどうか。
あげるかもしれないことは、マタギの親爺さんを生ける屍にする断じて度しがたい人非人の仕打ちだから、私ら
しかばね
正志さん、阿部さん遺族への労災補償の関連で、国が親爺さんから土地をみな(先祖代々の分もふくめ)取り
きりさせていきましょう。
が、これについてはいまの裁判の成り行きをしばらく見守り、私ら(親爺さんと正志さんと衆座)の態度をはっ
のどんな裁判でもまずダメだという気がしてます。
因を最重視して事件の正当防衛性と無罪(誤殺は別)を主張できるだけの人物でなければ、いまの裁判でも今後
弁護人は、親爺さんの「又鬼(狩猟民)の魂と世界」がわかり、事件の重さと深さと意味がわかり、事件の原
この三点については後日じっくり相談しあいましょう。
いまの裁判と今後の町等に対する訴訟問題で、それぞれ弁護人をどうするか。
阿仁町と中嶋礼治に対する賠償訴訟(代替地問題をふくめ)をいつ、どうやるか。
C B A
108
8 公判
は決して負けずに対抗策を講じていかなければウソでしょう。
うえの⑴と⑵について正志さんの返事、お待ちしてます(電話でも手紙でも何でも)。
なお親爺さんの重大な事件について、衆座の訴及文(「マタギの怒炎=狩人の魂」と「又鬼の銃弾と魂――公
判中の一誤殺事件が示すもの」)を受けいれた一般誌を二冊(〈80年代〉と〈状況と主体〉)お手もとに。これ
は親爺さんと正志さんへの今後のカンパのための一つの下準備です。
正志さん、親爺さんに対して共感する人は決して少なくないです。さらに一層、気を強くもたれてください。
(略)
どうか体には気をつけられて。 匆々不備
八二年六月三日、高堰正志と阿部遺族の示談で慰藉・賠償の総額が六六〇万円、期限が昭和五八年(八三年)
三月三一日で合意・決着し、翌四日公判の日、両者が合意書に調印しました。
同年六月四日、地裁大館支部法廷で高堰の第一〇回公判が開かれ、検察官菅井の論告求刑と弁護人荘司の最終
弁論がおこなわれました。
菅井は論告で、高堰が「長年狩猟で鍛え、射撃の腕前は抜群。不仲の中嶋社長を必ず殺す、という確定的な殺
意を抱いて執拗に追跡、無抵抗の阿部さんの背後に迫り、相手を確認もせず殺害した行為は残忍そのもの」で、
「本人(阿部さん)の無念さ、遺族の悲しみは想像以上」であり、「誤認殺人とはいえ、射撃の腕前を駆使して
無抵抗な人間を無残に射殺した罪は大きい」と断じて、懲役一二年を求刑しました。
109
たいして荘司は最終弁論で、第一=公訴事実については「争わない」とし、第二=情状関係で、一=被告人に
とって土地とは何かの問題について──二=栩木沢林道をめぐるトラブルについて──三=被告人の孤立につい
て──四=中嶋の登場──五=殺意の形成──六=本件凶器が猟銃であることについて──七=誤殺の量刑にお
ける地位について──八=その他被告人に有利な情状、と章分けして意見を陳述しました。
そのあらましは──。
一=被告人にとって土地とは?
「本件被告人の殺人行為の意味を理解するためには、被告人にとって土地とはいかなる意味をもつのかを正し
く把握する必要がある」──「柴田一忠(阿仁町支所長)から『守地奴』とののしられ、部落の者たちからは『村
八分』の憂き目をみながら、被告人は土地を『命』として守り続けてきた」──「本件中嶋(土建会社社長)に
対する被告人の殺意は自らの土地への無法な侵害者に対する被告人の激怒が殺意となって爆発したもの」
被告人の土地への愛着=執着は「不動産としての土地」にたいしてではなく、「自らの血肉としての土地」──「自
らの生存の最後の砦としての土地」──「自然としての土地」にたいしてだった。
不動産としての土地とは、
「坪当たり何円と金銭的に評価し、何坪あれば何百万円の財産だと考える」土地で、
「金儲けの具と考える」土地。
血肉としての土地とは、「阿仁町のような山間僻地に住み、狩猟と農耕によって生活してきた被告人」にとって、
「財産として対象化されず、自らの身体の一部に近いものとして意識」している「先祖伝来の土地」。
生存の砦としての土地とは、「町当局や部落の有力者から徹底的な迫害をうけながら、自らの確信に従って行
動する被告人の行動を支えた」土地で、「いかに迫害をうけようと、いかに爪弾きにあおうと、自分には農耕用
110
8 公判
の土地と狩猟用の山野があれば生きていけるという自信」の基盤になった土地で、「長いもの(権力)にも巻か
れずに自らを貫いて生きる生き方を根底から支える」土地。
自然としての土地とは、狩人の被告人が生存するため、「開発を絶対の善とする風潮の中でなんの権力ももた
ない被告人が抵抗しぬく」ために不可欠な、「獣たちの生存を包み込む自然」の土地。
阿仁町当局が被告人との間の代替地の「トラブルを解決しえないまま終わった理由の一端」は、「被告人の持
つ土地に対する愛着を皮相にも『ゴネ得をねらっている』という程度にしかみることのできなかった町当局の精
神の貧困にある」。
「被告人にとって無法に土地を奪われること(提供地が未補償)は、自らの身体を傷つけられることと同義」
二=林道をめぐるトラブル
「栩木沢林道敷地内に被告人の私有地」があり、その「土地の補償について町当局が十年来ついに被告人の満
足を得られる解決策をみいだしえないままになっていたことは、証拠上疑いのないところ」で、責任重大。
「林道をめぐるトラブルの発端は、被告人の入院(熊との格闘による大怪我で)を機に懸案(補償を代替地で
はなく金銭で)を解決しようとして火事場泥棒的に工事に着手した町当局のやり口にある」──「既成事実を作
はば
りさえすればなんとかなる(被告人にたいし林道開設工事を始めて金銭での補償をゴリ押しする)という山村の
権力の在りようは、被告人の激怒によって阻まれる」
町の火事場ドロボー的ヤリ口とは、まだ町が高堰に提供地への補償方法(金銭で)をはっきり提示するいぜん
に、高堰が一九七二年(昭和四七年)四月に熊との死闘で顔面を大ケガして米内沢の共立病院で二ヵ月半ばかり
入院・加療して退院し、さらに七月に盛岡のさる大学病院で整形手術をすることになったとき、高堰が町の建設
111
課長と施工業者の松岡組社長に「もし入院して二・三ヵ月も帰ってこれねどきは、道路工事されでも仕方ね」と
告げ、それが三者間の口頭での約束事になっていたが、高堰が盛岡に行き、手術が二・三ヵ月あとに延びて二・三
き
日して帰宅する間に、町当局があえて破約してそのスキをつき、抜き打ち的に工事に着手して高堰の土地を潰し、
立ち木を伐り倒したこと。
町は「被告人の代替地要求」を土地特売のかたちで解消する構えをみせながら、すでに金銭で補償済みのほか
の部落民すべてにも土地特売を決めるような「寝ワザ的行政」をすすめ、「被告人の怒りを上塗りする」。
あつれき
町当局が「被告人の土地に対する心情の一端でも理解しえたなら、紛争がこうまで泥沼化することもなく」、
土地をめぐる「軋轢が本件の如く不幸な形で爆発することもなかった」。
三=被告人の孤立
「土地に執着し、(町)権力に対しても敢然と抵抗する被告人にもたらされたものは孤立」──「関係証拠(調
書)に『村八分』という言葉が何度か登場」し、「町役場職員さえも『高堰は村八分にあっているような厭な奴だ』
と平然と述べている」。
孤立が「被告人の抵抗を一層かたくなで強靭なものにした」し、「被告人をそこ(殺人という最悪の形)まで
追い込んだ」──「本件殺意の対象である中嶋の『被告人は村八分になっているような奴だ』との侮りが、中嶋
の態度を夜郎自大(仲間内でのエバリ屋)にさせた」──「被告人の孤立は中嶋の傍若無人な振舞を助長し、被
告人と中嶋との人間関係の緊張と軋轢を、被告人が『殺人によって清算しなければならない』と思いつめるとこ
ろまで増幅した」。
四=中嶋の登場
112
8 公判
か
すくな
中嶋は「はじめは処女の如く登場」し、「栩木沢林道をめぐる被告人の悩みに耳を藉すかの如くふるまい」な
つくろ
まれ
がら、「捜査段階(調書)で『この時は適当に調子を合わせていただけだ』と正直に告白」し、「巧言令色鮮し仁」
おご
(口先が巧く顔つきをとり繕う人で仁の心をもつのは稀)という「被告人の最も嫌うタブーを犯した」。
やがて中嶋は、「自らは権力(町長)につながるものだという驕りと被告人の孤立に対する侮り」によって「夜
郎自大の正体をあらわに」し、「暴虐ぶり」を発揮して「除雪の結果(違約)に抗議する被告人」を転倒させ、「故
と
意に被告人を挑発している除雪作業」をし、「ついに十二月三十日(八〇年=昭和五五年)には被告人の首を絞
める(被告人が脱糞し今日に至るも首の痛みを感ずるほど強烈に)」。
抗争のなかで中嶋は、被告人の猟銃のあつかい方に関して「後日のために証拠写真を撮ると称して、実は意味
のない写真撮影、挑発以外の何ものでもない行為」をおこなう──「被告人を挑発しぬき、嬲りぬいた中嶋が被
告人の殺意の対象となったとしても、その責任の一端は中嶋自身が負わなければならない」。 (調書で中嶋は「今考えてみるに高堰に対し、もう少し丁寧に応じていれば高堰も今回のような犯罪はおこさ
なかったべな、軽はずみであったなと反省してます」と語る)
五=殺意の形成
弁護人「なぜ中嶋に殺意を抱いたか」に、被告人「堪忍袋の緒が切れた」──「中嶋がどういう行動をしたか
ら堪忍袋の緒を切らしたか」に、「中嶋の私に対する行動の全部」──「中嶋の当初の巧言令色、被告人を侮っ
た言動の数々、ことさらな挑発を企図している除雪作業や写真撮影、二度にわたる暴行、特に十二月三十日のも
のについては脱糞による屈辱」、それら「中嶋の被告人に対する行動の全部に対する怒りが一気に押し寄せ、被
告人の堪忍袋の容量を超えて、殺意となって爆発する」。
113
六=凶器が猟銃であること
「本件は突発的殺意に基いて行われた非計画的殺人」で、「被告人が凶器として猟銃を選んだのは偶然にすぎ
ない」し、「九粒弾の使用もまた偶然」。
「殺人罪の量刑」では「凶器の殺傷能力の高低が量刑基準の一つとして作用する」が、「本件の場合、凶器の
点を量刑にあたり重視するのは正当ではない」し、「凶器の殺傷能力の点を量刑上、機械的に被告人の不利益に
参酌するのは明らかな誤り」。なぜなら「被告人は本件非計画的殺人を決意するにあたり、(狩人として)最も手
近にあった最も自らにふさわしい武器を自然に手にとったにすぎない」から。
七=誤殺の量刑における地位
いっし
誤殺のため、「被告人の中嶋に対する殺害行為は未遂に終わり、阿部氏の死の結果は過失により発生したとい
う関係は量刑上、当然被告人に有利に参酌されるべき」──「被告人が自らの人生を断念してまで一矢報いよう
とした中嶋は、被告人の手の届かないところで安穏に生きている」から、誤殺は「阿部氏にとって最大の悲劇で
あるが、同時に被告人にとっても悲劇以外の何ものでもない」。
「被告人の殺人行為は、まずこの『誤殺』という点において最も手ひどい制裁を受けている」から、「やはり『誤
殺』という点は被告人の刑を減軽する方向に機能する」。
八=ほかに有利な情状
①被告人に「量刑上考慮される余地のある前科」がまったくない。
②被告人が「高齢」である。
③被告人の「健康状態」がよくない。
114
8 公判
ゆうじょ
④被告人の「長男高堰正志が本件発生後に阿部氏遺族の慰藉のために献身的な努力」をして、被告人の「刑終
了後の身柄引き受けで誓約」している。
⑤阿部氏遺族に「労災補償金が交付」されて、「損害の一部が償われて」いる。
⑥今般「被告人と阿部氏遺族との間で慰藉料の支払いにつき示談が成立」し、「遺族も被告人を宥恕(容赦)」
している。
この日、衆座からは坂野一人が正志・阿部遺族とともに公判を傍聴しました。
高堰は面会した坂野に告げました、「あんだら求刑みでな判決出だら、控訴する」と。あんだら求刑とは、事
件の結果だけをみて原因を度外視し、町当局と中嶋土建社長の非を問題にしない論告のことでした。
八二年七月三日、高堰正志が弟の結婚問題で盛岡から大阪に向かう途次、東京に立ち寄り、山県宅で坂野・岩
崎・原田・山県と徹夜で打ち合わせをし、つぎのことを確かめあいました。
①安部遺族への慰藉・賠償の総額六六〇万円の資金は、山林・原野・田畑の土地はいっさい処分せず、立ち木
を処分して充当する。
なお遺族への労働基準監督署からの労災補償の総額はおよそ一三○○万円。
②いまの公判で控訴するかどうかは、判決の中身による。
なお正志はいまの誤殺の刑事事件の裁判では控訴をせず、事件の原因である未解決の代替地問題と私有地を林
道として使用している違法問題は民事訴訟──損害賠償請求──私選弁護人(いまの公判の国選弁護人荘司)で
115
解決したい意向を漏らす。
③高堰の自活の土地確保のため、喜代志から正志へ名儀変更の仮登記をする件は、労働基準監督署からの損害
賠償請求の有無の情勢をもうしばらくみてから決める。
八二年七月一六日、高堰の第一一回公判(判決)がおこなわれる予定でしたが、裁判官三人の合議による判決
が未調整のため七月二一日に延期されました。
この日、大館に来ていた坂野と山県は地検大館支部拘置所で高堰に面会しました。
高堰は二人と懸案事を問答するなかでいいました。
カア
公判について=「判決、納得できねば控訴する」──「控訴は、弁護士代なんぼかかってもかまわね、私選の
弁護士頼みて」──「死ぬったって負けていられね」──「阿部さんの奥さん(阿部ハチエ)、『がんばって』と
いってけだ」──「最後まで頑張る」と。
負けていられねとは、代替地問題を未解決のまま放置して私有地を無断で林道として使用している町当局の無
作為と無断の違法にたいしてであり、横暴な振舞をした中嶋土建社長の無法にたいして。ガンバルとは、町と中
ね
嶋の法上の非を明白にし、みずからが法上の裁きを受けるのと同じように町と中嶋に裁きを受けさせて、一途に
裁判の公平を期すため。
事件について=「こした(こういう)事件なば滅多に無」──「俺は何のために鉄砲もったか?」──「堪忍
袋の緒、切れだ」──「正当防衛? んだす」──「町に(原因の)責任ある」と。
正当防衛とは、又鬼の命と命の土地の危機、無視と屈辱と抹殺にたいして。
116
8 公判
民事訴訟(町当局と中嶋土建社長にたいし)について=「公平な裁きを受けさせねば」と。
訴訟とは、町に未解決の代替地と私有地の無断使用の損害賠償をもとめ、中嶋にはナブリの慰藉をもとめて。
八二年七月二一日、地裁大館支部法廷で高堰の第一一回公判が開かれ、裁判長須田が判決をくだしました。
判決は主文と理由の犯行にいたる経緯──罪となるべき事実──証拠の標目──法令の適用──量刑の事情か
ら成り、カナメはこうでした。
(主文)
「被告人を懲役九年に処する」
(量刑の事情)
背景と軋轢──「被告人の本件犯行は、栩木沢林道をめぐる被告人の代替地要求問題の未解決を背景にして、
中嶋の除雪作業の仕方について自己所有地の侵害として所有者の立場を強く主張した被告人と中嶋との人間関係
の緊張と軋轢が一挙に増幅し生起した」
悪質残虐──「被告人は『マタギ』としての禁をあえて犯し、中嶋を射つべく熊射ち用の殺傷能力の極めて高
い水平二連散弾銃を携行し、熊を追うが如く、雪中を逃げ迷う中嶋を一キロメートル以上にわたり執拗に追跡し、
被害者(阿部)を中嶋と見誤り、危険が迫ったことに全く気付かずに夢中で雪中の沢を這い登る被害者の背後か
ら、その心臓部をねらって熊射ち銃に装填した実弾を発射し、一瞬のうちに貴重な生命を奪ったもので、その行
為は誠に悪質残虐といわざるを得ない」
挑発と誤射──「被告人が中嶋殺害を決意するに至ったについては中嶋の側に挑発的言動がなかったとはいえ
117
ないけれども、このようなことがあったからといって中嶋殺害が許容されるものでなく、ましてや被害者に対す
る誤射の弁解とすることはできないのは当然」
無念──「突如として理由もなく命を絶たれた被害者の無念さは察して余りあるうえ、遺族の嘆き悲しみも深
刻なものであったことが認められる」
わか
有利な情状──「被告人の刑事責任は極めて重いものがあるが、被告人は本来、被害者自身に対して加害の意
思はなかったものであり、自己の行為の結果が解ると、その重大さを認識して後悔の念を深め、現在では被害者、
遺族に対して衷心から謝罪の意を表しているうえ、被告人の家族の努力により、遺族との間で示談が成立し、示
談金の一部は既に支払われ、残金についても被告人所有の不動産を売却して支払われることが確約されて、慰藉
おもんぱか
の方途も講じられているし、遺族も被告人の家族の誠意ある態度に接して被害感情をやわらげ、老境にある被告
人を慮って、その生涯を畳の上で終えられるよう寛大な判決を望んでいることが認められるから、これら有利な
情状をも考慮」
裁判長はさいごに被告高堰に、「罪、減一等」で検察官の求刑一二年を九年に減刑したむねを告げました。
そのとき異例なことが起きました。高堰が反射的に裁判長の判決を撥ねかえすようにふいに発言しました。
「控訴します!」
高堰は判決が肝腎な事件の根因と直因、町当局の違法と中嶋土建社長の無法をまったく問題にせず、裁いてい
なかったので承服できず、直ちに控訴を表明しました。
違法とは、町が高堰を無視して林道用に提供した私有地を未補償のまま無断使用しつづけてきたこと。無法と
は、中嶋が高堰を侮辱して破約の除雪で田畑を侵害し、腕力で身心を屈辱にまみれさせたこと。
118
8 公判
弁護人荘司は判決(九年の刑)がみずからの予期(五・六年)にまったく反して重い刑だったので、ただちに
量刑不当で控訴したいむねの強い意向をしめしました。
しるし
高堰本人と弁護人、この二人の理由が異なる控訴の意思に、高堰の長男正志は消極的に同意し、衆座は積極的
に賛同しました。
控訴の弁護人は自動的にこれまでどおり荘司が国選でやることになりました。
高堰は坂野・岩崎・山県との面会で、「このまま負けたら、あんたらの協力に感謝の印が示せね」といい、三
人と高堰の間で、控訴では事件の原因、町と中嶋の非=害=悪を徹底して衝くことが合意されました。
正志と三人と弁護人荘司の打ち合わせで、控訴は部落と町が高堰にたいして起こした土地トラブルと中嶋が高
堰にたいしておこなった行為に焦点をしぼること、町と中嶋にたいして慰藉と損害賠償をもとめる民事訴訟は私
選の弁護士でやること、荘司が民事訴訟をやるかどうかは本人が検討することが確かめられました。
⑵控訴審
一九八二年(昭和五七年)一〇月一八日、弁護人荘司昊は仙台高等裁判所秋田支部に被告人高堰喜代志の一審
判決に不服を申し立てる控訴趣意書を提示しました。
カナメは、控訴申し立ての理由が「量刑不当」であること、不当の理由としてつぎの諸点の軽視から度外視を
挙げたこと、でした。
「被告人と町当局ないし栩木沢部落有力者らとの間に存した土地を巡るトラブル」──「栩木沢林道をめぐる
119
被告人と町当局ないし栩木沢部落有力者との間のトラブル」──「中嶋の落ち度」──「被告人に有利な情状」
一=町当局・部落有力者との土地トラブル
被告人は「阿仁町という山間の閉鎖社会で『村八分』という不当な扱いを受けていた」──「適切な量刑をな
し、被告人の納得を得る裁判をなす」には、「『村八分』の契機となった被告人と阿仁町当局及び部落有力者の間
に存した土地を巡るトラブルの真相を解明し、理は被告人と町当局及び部落有力者のいずれにあるかを明らかに
する必要がある」。
最初のトラブル──昭和一六年(一九四一年)に被告人が兵役で入隊中、「部落有力者ら(加賀谷末五郎と佐
藤金蔵)が被告人の所有地(栩木沢二〇〇番の山林)を部落有地として特売」し、「部落有地(同二番の山林)
そち
のうち被告人に対する特売分を他の者(三人)に分配してしまった事件」──除隊で帰郷した被告人は「抗議し、
町当局とも交渉」して土地をとりもどす。
が、「有力者らによる土地の不正な分配→これに対する権利者たる被告人の正当な抗議→抗議に基く是正措置
という経過をたどった事件」で、有力者たちは「長いものに巻かれることを拒否した被告人の抵抗」が許しがた
く、「被告人に対し『村八分』という山村閉鎖社会の中で最も残酷で最も陰湿なサンクション(制裁)を用意する」。
被告人の孤立=村八分を確定したトラブル──昭和四四年(一九六九年)に町の財産区有地(高大野四〇番)
が部落の全戸に等分に分配(特売)され、「被告人分配分だけが広すぎるとして問題になった事件」──「再測
め
ね
量の結果、被告人分配地が一反歩余広いことが判明」し、有力者ら(加賀谷時一と加賀谷一義)が緊急集会で、
「お前にばり土地大きくやったはずは無」「登山道路まで入れてやったはずはね」「道路ば入れる不正して一反歩
も余計にくすねた」と、被告人に「謂われのない非難」をあびせて喧嘩をふっかけ、被告人が「土地に異常に強
120
8 公判
い執着」をもって「不正をしてまで所有地を広げようとする汚い人物」だとの悪評が部落に定着する。
が、
「ことの真相」は、被告人への過分配は「加賀谷時一が間違った測量をやらせた」結果であり、しかも「自
らの分配地が広すぎると加賀谷時一にまず申し出たのは被告人」であり、さらに被告人は「過分配分の返上を申
し入れ、町当局に斡旋を依頼」し、「自らに不当に有利な不公正な分配結果についても最大限是正のための努力
をしている」。
にもかかわらず、町は「土地は一度登記した以上、再測量はしない」と不干渉の態度をとり、「問題は未解決
のまま」放置されて、「被告人に対する『村八分』体制」のみがここに確定する。
なお真相の奥にさらにもうひとつの真相があり、被告人が受けた土地の分配は実質上は等分で、登記上=図面
ね
上でのみ過分だった。それは部落の有力者が測量で慣例にしたがい道路を入れて実測したためで、その「ミス測
量」による道路分が過分配分で、その責任は有力者にあった。が、有力者らはあえてその事実は隠蔽し、捩じ曲
げて、被告人が受けた図面上の過分配を被告人が道路を入れた不正のせいにした。
これは平然とオノレの責めを他に転嫁し、ワレの黒を白に、他の白を黒にスリ替える怖るべき瞞着でデッチア
ゲだった。
二=町当局・部落有力者との林道トラブル
無配慮──「驚くべきこと」に、栩木沢林道開設用地にもっとも多く所有地を提供することになる被告人の「村
八分」状態に、「町当局が全く意を用いていない」。
情報からの疎外──「村八分」の結果として、「被告人は部落内の情報から疎外」され、「町当局から部落に流
れる情報は被告人を素通り」し、被告人は林道用地の補償が「従前の代替地補償の方法でなく金銭補償の方法に
121
そご
よること」をまったく知らず、「従前通り代替地補償が行われるものと信じた」。
意思の食い違い──「補償方式を巡る被告人と町当局の意思の齟齬は栩木沢林道をめぐるトラブルの火種とな
る」
騙し討ち──被告人は林道用地の提供承諾書で、「説明らしい説明もないまま判子だけもらっていく町当局の
やり方を騙し討ちと感じた」。
裏切り──「昭和四七年(一九七二年)、狩猟中に熊に襲われ、怪我をした被告人は、(治療後の顔面整形で)
盛岡の大学病院に入院する」にさいし、町当局の林道工事担当者らに「入院が長期化するようなら工事をはじめ
てもいいと述べた自らの好意」がウラをかかれ、入院が延期になって二・三日後に帰宅した被告人はその間の「不
在(わずか二・三日)をいいことに直ちに工事を始めてしまった町当局のヤリ口に裏切りを感じた」。
八反歩要求──被告人が代替地要求で「五反歩の要求を八反歩と改めたのは、工事による土砂の崩落により被
害を蒙った田地についての補償分(三反歩)を加算したから」であり、「八反歩(提供分五反歩プラス被害分三反歩)
という代替地の要求は、従前の補償基準(山林・原野七倍~宅地・苗代田一二倍)に照らし、過大どころかむし
ろ控え目なものであった」。
(提供分五反歩の要求は、正味一反歩~二反歩を一反歩に減らした反数に、基準の七倍~一二倍を五倍に減ら
した倍率を掛けた結果だった)
代替地特売案の拒否──町当局が昭和五一年(一九七六年)に提案した「夏魚泊の土地(大阿仁財産区有地)
八反歩の特売案」、代替地補償を特売の形でおこなう案を、被告人が受諾しようとして「拒否したのは全く当然
のこと」で、一に割り当てられた土地が「劣悪な土地であった」、岩だらけの山でダマシだったからであり、二
122
8 公判
に町が「被告人を除く栩木沢部落民全員」、林道用地を提供してすでに金銭補償を得ているものと用地を提供し
ていないものまでに、財産区有地を「特売することになっていた」というウラ取り引きと歴然たる差別をおこなっ
ていたからだった。
異常な事態──「栩木沢林道は、林道敷地内に被告人の私有地をかかえこんだまま公共の利用に供されるとい
かも
う異常な事態」になり、町当局は事態を放置して責任をとらず、「土地所有権を主張する被告人と公道を通って
何故悪いという通行者の絶えざる緊張関係」が醸しだされ、それがついには「被告人と中嶋礼治との葛藤にまで
連なっていく」。
三=中嶋の落ち度
「被告人の殺意形成にあたっての中嶋の落ち度は、当然に本件量刑にあたって被告人の有利な情状として考慮
されるべき理ではないか」──「殺意形成にあたっての中嶋の落ち度を、本件が誤殺事件であるが故にすべて捨
象してしまう原判決の立場は、明らかに誤っている」
落ち度①「被告人の度重なる注意を無視した傍若無人な除雪行為」
落ち度②「(昭和五五年=一九八〇年)一二月二〇日、同月三〇日の二度にわたる暴行」
さいわい
かさ
(三〇日の事件で中嶋が被告人の首をタオルで締めあげたのは、いったん中嶋土建の従業員が両名を引き離し
た後、被告人が多勢に一人になったのを奇貨に中嶋が嵩にかかって加えた攻撃である。そのとき被告人は失禁し
て息が止まりそうに、窒息死寸前の状態に陥っている)
落ち度③「度重なる挑発的写真撮影」
落ち度④「佐藤英明にことさら被告人の動静を監視させた行為」
123
以上、「中嶋のやり口は被告人を嬲っているとしか言いようがない。『村八分』になっている取るに足らない老
人だとあなどって被告人をなぶりぬく中嶋のやり口は、鉄砲(銃口)を向けた被告人が本気であると知って逃げ
だすまで一貫して続いている」。
四=兇器
(ほぼ先の最終弁論を再説)
五=誤殺の量刑における地位
(右に同じ)
六=ほかに有利な情状
(なお被告人と被害者の遺族との示談で約された慰藉料六六〇万円のうち、既払い一六〇万円を除く残金、昭
和五八年三月期限の五〇〇万円の支払いについては、当控訴審における審理がその頃まで継続することになれ
ば、確実にこれを履行し、立証すべく準備を進めている)
八二年一〇月二五日の時点で、すでに高堰は大館拘置所から秋田刑務所に移管されていました。それは仙台高
裁秋田支部法廷で控訴審がおこなわれるためで、衆座には長男正志が電話連絡のとき、それを知らせました。
同年同月同日、山県は秋田刑務所の高堰あてに手紙を出しました。
前略 正志さんから、親爺さんの住所が大館から秋田に移った由、電話で聞きました。自然人の親爺さんには
124
8 公判
移住先は心休まるところではないでしょうが、どうか周りの生活環境に負けないでください。
親爺さん、控訴の公判では事件のほんとうの原因について、また原因のほんとうのところをハッキリさせる証
人(町当局者ら)を呼びだすことについて、どうか親爺さんが納得できるまで思う存分の手を打つようにしてく
ださい。(略)
これから寒さがきつくなりますが、体には呉々も気をつけてください。
なお、事件前の親爺さん方マタギの熊の巻き狩りの記録映画『又鬼』がやっとできあがりました。これから、
私らは私らで事件のほんとうのところと、親爺さんのこれまでの自然と一体になった生活がいまの時代と世にも
ついみを世人に訴えていきます。 匆々不一
八二年一二月、衆座はリーフレット(チラシ)『一つのアピール』をつくり、それを関係者と誌紙とグループ
と不特定多数に郵送と映画上映会と集会と街頭で配布しました。
アピールはこうなっていました。
たかせき
あに
マタギ
いま一人の〝大地の衆〟が秋田刑務所で、「このままでは死にきれん」おもいで控訴審をひかえています。名
前を高堰喜代志さんといい、秋田県阿仁町の熊狩りを主とする又鬼衆のなかの〝独り又鬼〟で、生粋の狩猟衆で
根っからの百姓衆で、六九才です。
高堰さんは一九八一年一月、雪深い山里で一つの怒殺事件を起こしました。痛恨の誤殺でした。事件の詳細は
別文の『マタギの激怒=狩人の魂』を読んでいただければ、ほぼハッキリします。
125
事件の発端は、七一年一〇月に阿仁町が国と県を代行して山里の一林道を開設するためにゼニで用地買収に乗
りだしたことに、高堰さんが一人だけ反対して、用地提供の補償にあくまで代替地を要求したことにあります。
「土地は命」だったからです。
なぶ
事件の真因は、阿仁町当局が「村八分」の高堰さんを無視して代替地問題を一〇年間にわたって未解決のまま
放置したことと、地元の一土建業者が林道付帯工事にともなって高堰さんを嬲りものにしたことにあります。
この無視となぶりは、独りマタギの狩猟と農耕で自然と一体になった自給と自活の生活を貫いてきた高堰さん
にとっては、みずからにたいする抹殺であるとともに、自然の命の申し子である鳥獣や草木や作物、さらに生け
るすべてのものの生と死の母体で命の里である大地と大自然の命律そのものにたいする抹殺をいみしていまし
た。高堰さんは我慢にがまんを重ねた末に、ついに「堪忍袋の緒が切れて」抹殺の一凶元、土建業者にむかって
激怒の銃弾を炸裂させました。が、誤殺でした。
事件の急所は、稀有な〝自然人〟の高堰さんがただ一途に自然とその命律の尊厳ひとつにかけて、自然をゼニ
と
の食いものにしてのさばるニンゲンサマの凶権にたいして徹底して逆襲と弾劾の怒弾を放った一点にあります。
これはニンゲンサマのエゴと大地の命、ゼニの狂権と自然の命律、どっちを選るか、二つに一つの勝負でした。
八二年七月、秋田地裁・大館裁判所は高堰さんに懲役九年の判決をくだしました。「悪質残虐である」からと、
事件のいちばん肝心な根因はまったく度外視して。
高堰さんはこの判決いぜんに、誤殺した被害者の遺族とは長息を通じて謝罪の赤心による「損害賠償」を決め、
八二年八月、控訴に踏みきりました。いまだ未解決のまま放置されている代替地問題をふくめて、事件の真因と
ほんとうに断罪さるべきなのは誰で何かをハッキリさせるために。
126
8 公判
それにいま、この法廷内の闘いとは別に、法廷外で一つの問題がひかえています。ご遺族に国から交付された
労災補償について、いずれ国から高堰さんに損害賠償の請求がなされる可能性が大であること。
高堰さんとそのご家族はいま、理不尽にも法廷の内外で四方八方から袋叩きにされて孤立無援の苦闘を強いら
れています。
アピールします。一人の〝大地の衆〟の私闘にぜひとも心の喜捨と身の喜捨とゼニの喜捨を!
心の喜捨とは? いま獄中の高堰さんに激励の便りと助っ人の動きを!
身の喜捨とは? 控訴審に応援の傍聴と働きかけを!
ゼニの喜捨とは? 高堰さんの苦闘に寸志の一灯を!
八二年一二月七日、高裁秋田支部法廷で、裁判長渡辺達夫・裁判官武藤冬士己と小池洋吉──検察官瓜生貞雄
──国選弁護人荘司昊で、高堰の第一回控訴審がおこなわれました。
この日、弁護側証人として元郷中会長鈴木勝憲(郷中は戸鳥内・栩木沢・野尻・小倉の四部落)が尋問を受け、
公共用に提供する私有地の補償方法については、これまで代替地による補償がほとんどで、特に金銭によるとか
代替地によるとかの指定がない場合には、補償は提供者の要求にまかされて「土地が欲しければ土地、金がほし
ければ金」で、代替地でも金銭でもどちらでも選ぶことができた旨、証言しました。
同年一二月二〇日、衆座の坂野・岩崎・山県は秋田刑務所で高堰に面会しました。
高堰はいいました──。
127
諸事について=「皆さんに心配かけて申し訳ね」と。
体調について=「大館(拘置所)では下痢がつづいたども、それがここ(秋田刑務所)ではとまった。いま血
い
圧の薬、一日に三回飲んでる。それに首のまわり(中嶋に絞められたところ)、まだおかしい」──「体に合っ
た自然の薬、熊の胆なんか差し入れできない? 」「できね、制約あって」と。
移管にさいして=「大館(拘置所)で(所長や課長や職員に)『踏んばれ』と激励された」と。
弁護士について=「私選にしてぇ。いまの国選の先生、面会(接見)に来てねぇ」──「私選の候補二人、大
館(拘置所)で教わった先生二人、正志に連絡済みだども」と。
被告人尋問では=「何でもいいたいことを存分にいってほしい」「そうする」と。
マタギ仲間について=「大館(拘置所)にいだとき、(鈴木)松治(打当・シカリ)と(松橋)一美(比立内・
射撃名人・徒党を組むのを嫌って異名『独りマタギの一美』)が面会に来てけで、激励してけだ」(二人とも高堰
より年下で後輩)と。
明けて一九八三年(昭和五八年)二月一日、高裁秋田支部法廷で高堰の第二回控訴審が開かれ、妻テツエが情
状をめぐる尋問に応答しました。
同年四月一九日、高裁秋田支部法廷で高堰の第三回控訴審がおこなわれ、被告人が質疑応答の形で、原審で展
開された事件の背景と動機の要点を点検して、事実に相違する点(ウソ)と事実を補足する点と事実を再確認す
る点を明らかにする証言をしました。
128
8 公判
(均等分配の土地トラブル)
おらえ
昭和四四年(六九年)、町の大阿仁財産区有地の一部が一六等分されて栩木沢部落の各戸に籤引きで特売・分
配されたとき、被告人の高堰が「図面では俺家の分、多い」と申しでたにもかかわらず、部落の有力者加賀谷時
一が「喜代志が不正して多く取った」と非難し、高堰が「返そうと町の担当者と話しあったども、一度登記した
ものはまた測量はしねがらとのこと」、つまりはそのままにしておく、返しようがないとのことで、コトはその
まま放置されて、部落民の高堰にたいする村八分を決定づけるトラブルになった。
が、事実は、高堰への過分配は有力者加賀谷の慣行で道路を加えて測量した測量ミスによるもので、高堰の不
正によるとは真っ赤な嘘であり、しかも過分配は道路を加えた図面上のことで、分配は道路を除いた実質上で等
分であり、それは「国土調査のとき」明らかになった。
(通行止めの穴)
昭和五四年(七九年)一〇月、町の両課長柴田一忠と高堰定治が高堰と談合し、代替地問題を放置して林道を
みえ
完工させてきた両課長が「今日決めてくれねば、道路はほかさもってく」といって、高堰にひとをバカにした岩
だらけの山をふたたび受けいれるよう高飛車に強要し、しかももはや変えようがない林道を変えると大見得を切
り、高堰が「あのガンケ山なば、ダメだ。ほかに代替地出す気ねぇんだば、道路ほかさもってくの、どっちも傷
つけねで一番いいべ。んだば、いまの林道で、もう私有地は歩かせね」と応じた。
ここに両者は決裂し、高堰は「町がそこまでいうんだば、林道になってる私有地は誰にも歩かせね。それは町
の責任だ」と、町と徹底して闘う意志を固めて「通行止めの穴ば掘った」。
が、事実上はそこ、穴を掘ったところを通る必要がある人と車は、高堰は板をわたして通した。
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(除雪でのブル使用)
ズリ
昭和五五年(八〇年)一二月、中嶋土建の社長中嶋礼治が工事で林道を通るため高堰宅に挨拶にきたとき、話
が工事にともなう田畑での砕石被害から除雪の仕方におよび、高堰が「除雪のどき、道路のズリ起こさねでけれ。
め
田んぼと畑にはズリの石ころ、絶対に落とさねでけれ」と要望し、中嶋が「わがった。仕事は一週間ほどで終わ
るべから、除雪のどきはお前の土地、スコップで雪かきしてブルは使わね、絶対ブルで雪押さね」と確約した。
が、調書では高堰が「除雪はスコップだけでは大変だし、経費がかかるだろうから、小型ブルでやればいい」
がた
と、ブルの使用を認めたことになっていた。
高堰は、これは「警察方のウソ」で、「みな刑事方の造りごと」であり、「私は町のブルも私の土地には入らな
いことと、高堰定治課長とは話して約束を交わしている」ぐらいだから、「中嶋にブルの使用許可など何もして
おりません」し、しているというなら「証拠になるものを見せていただきたい」と指摘した。
(中嶋による首締め)
昭和五五年(八〇年)一二月三〇日、中嶋がブルで違約の除雪をし、高堰が厳重に抗議し、中嶋が高堰に飛び
がた
かかって取っ組みあいになり、中嶋土建の作業員数人(男女)が寄り集まるなかで中嶋がふたたび高堰を倒し、
高堰の首にかかっていたタオルで高堰の首を力まかせに絞めあげた。
そのとき、高堰は「息がとまりそう」になり、失禁して脱糞し、「カアさん方」の女衆が「社長、離せ! 殺
してしまう!」と叫んで、とめていなかったら、「あのとき殺されていた」、失神寸前で窒息死していた。
中嶋による高堰の首締めはそれほど強烈で、高堰は脱糞で屈辱にまみれ、失神寸前で絶命の渕に立たされ、
「こ
のまま中嶋のなすがままでいたら、いずれ殺される」と感じた。
130
8 公判
(中嶋への殺意)
昭和五六年(八一年)一月六日、中嶋がブルでズリ混じりの雪を田畑にどしどし落としこみ、外に出てそれを
目撃した高堰が仰天して激昂し、「落どすな!」と制止の怒声を発したが知らんフリされ、やがて中嶋と「ボー
リングの人方」である東洋基礎開発の大友美佐男と阿部哲男の三人が大友運転のブルとともに高堰に向かって
ほか
やってきて、中嶋土建の佐藤英明が高堰の家の周りで高堰の動勢を監視していた。
もみごめ
雪を押しこまれた田畑、「あの土地は、三月になると降った雪全部を他のところに捨てて土の面を出し、四月
十日以降になると籾米を蒔いて田の苗を育てる土地で、絶対に雪を押しこむことのできない土地」で、苗代田だっ
た。それゆえ、そこへズリまじりの雪を落としこむことは、とんでもないこと、悪辣きわまる所業で、赦されざ
る土地侵害だった。
四人を目にした高堰は、俺を袋叩きにする気だか? このままだば中嶋にいたぶられるだけだ、もう我慢なん
ね、今日ごそ決着ばつける、相手が四人なば銃で立ち向かうしかね、と意を決し、家に入って水平二連散弾銃を
手にし、窓から銃口を四人にむけて「お前だち、こんだら雪寄せして俺ば黙らせる気だば、今日ごそコレで結着
ばつけてける!」とどなり、警告した。
調書では、この段階、高堰が「今日こそ決着をつけてやる」とおもって告げた瞬時が、そくで「中嶋をぶっ殺
タマ
してやる」という殺意が生まれて固まった段階と見なした。が、事実はそうではなかった。この瞬時、高堰は銃
に弾丸をこめず、銃を「対決はコレで行くぞ」と威嚇でつかっただけだったから。
銃口を向けられた四人は逃げて、高堰の視界から消えた。が、中嶋と阿部と佐藤の三人はふたたび高堰の家の
周りに舞いもどり、高堰の様子を伺ってアチコチと徘徊し、
「中嶋が一番先に入口の板の陰に隠れ、若者(佐藤)
131
み
がその次に来て隠れ」ようとした。それを目にした高堰は瞬間、恐怖で背筋を寒くしておののき、「前に三回も
殺してやる! と言って」暴力をふるった中嶋が俺を襲いに来、殺しに来て、俺のスキをうかがってると看てと
や
り、「殺らねば殺られる」、もう赦されね、「相手三人に俺一人」なら銃で立ち向かうしかねと「思いきった」決
断をした。
その直後、高堰はふたたび窓を開け放って「中嶋! 今日ごそ一騎討ちだ。覚悟しろ!」と最後通告の怒声を
発し、銃を手にして外に出、一目散に逃げる中嶋をゆっくり追った。
中嶋にたいする殺意は、この瞬時、高堰が殺らねば殺られるとおもい覚悟しろと通告した段階で、一瞬のうち
に醸成された。
(遺族への賠償完了)
昭和五六年(八三年)四月二日、阿部遺族への慰藉・賠償の総額六六〇万円のうち、既払いの一六〇万円をの
ぞく残額五〇〇万円が、高堰の長男正志から遺族代表阿部ハチエに支払われた。
この日(四月一九日)、賠償完了を証示する領収書写しと、高堰に「寛大な判決」を望む遺族代表の控訴審裁
判長あての上申書写しが、追加証拠として法廷に提出された。
阿部ハチエの上申書はこうなっていました。
今回の事件について、私は現在では犯人高堰喜代志を恨んでおりません。
高堰喜代志の長男正志さんは今日まで本当に誠意ある態度で私達に接して下さいました。今では相互に本当に
132
8 公判
信頼し合ってお話のできる仲になりました。
高堰喜代志も老人であり、せめて畳の上で死なせてやりたいという正志さんの気持ちはよくわかります。
先日、夫が間違えられた中嶋礼治さんともお会いしましたが、一言も「済まなかった」との言葉がいただけず、
横柄な態度で応対され、随分口惜しい思いをしました。
今では筋違いかもしれませんが、高堰より中嶋さんの方を恨む気持ちが強いのです。
高堰に対しては寛大な判決をお願いします。
同日(四月一九日)、秋田刑務所で正志は一人で、坂野と山県は二人で高堰に面会しました。
高堰は、坂野と山県の前ではじめて涙を流していいました。
口論──「正志とやりあった。控訴審は今日で終わり(結審)だし、もう裁判はいっさいこれで打ち切りにす
るというがら」
上告──「控訴審が今日で終わるだば、上告する。町や部落がついてる嘘、まだ明らかにされてねがら」
お
民事訴訟──「町ば相手に、民事訴訟やる(未解決の代替地と私有地の無断使用の賠償訴訟)。正志がそれ、
民事訴訟ばやってけだら、文句いうことねども」
ドン底──「これで裁判みな打ち切りになったら、ドン底に堕ちる。いままで闘ってきたごと、みな無意味に
なる。ご迷惑かけてる皆さんに済まねぇ」
同日、坂野と山県は高堰正志と話しあい、正志の本意を確かめました。
133
正志はいいました、つぎのことを。
親父──「少しも心を入れ替えてない、親父は」
心を入れ換えてないとは? 父親喜代志が公平な裁きを求めるあまり、部落と町と中嶋の数々の騙しの仕打ち
を責めるのに急で、自分の相手を間違えた殺しの罪を罰する気を薄れさせているとみたから。
上告──「打ち切る、上告は。理由がハッキリしない」
理由がはっきりしないとは? コレという決め手の理由がないとみたから。
え
民事訴訟──「無駄なこと、町にたいする民事訴訟は。なんのメリット(利得の取り柄)もない。親父の満足
のために民事訴訟をやる気はない」
ムダでメリットがないとは? かりに民事訴訟で町から代替地ほかを出させたとしても、それが町と対決し町
に責任をとらせて罰を負わせ町にシコリを残すだけにおわるおそれがあるうえに、代替地が阿部遺族への労災補
償の埋め合わせ(損失補填)として国に接収される可能性が大きく、訴訟の労多くして報いがゼロからマイナス
になるリスク(危険性)が大きすぎるとみなしたから。
代替地──「町が放置してる代替地の問題は話しあいで解決する」
対決の訴訟ではなく示談=和談なら、合意で町に責任をとってもらい代替地を出してもらうことが可能だか
ひと
さら
ら、たとえ代替地を国にとられても、結果は労少なくして報いがゼロではなくマイナスにもならないとみたから。
家族──「家族の苦労は、他人にはわからない。もうこれ以上、親父の犠牲にはなれないし、恥晒しなことは
したくない。親父は悪いことやったんだから、心を入れ替えなければ生きてる資格はないし、どこに人間性があ
る。親父は法には従うべきだ」
134
8 公判
犠牲とは? 人殺しの一族の汚名と裁判の重圧と遺族への慰藉・賠償金の立て替え負担と勤め仕事での支障と
日常の対人関係での異和──ほか。
恥さらしとは? 父親がみずからの相手をまちがえた殺しの罪とともに、部落と町と中嶋の欺きの非と無視の
悪に法の裁きをもとめて、殺人の刑事裁判の中身に不服を申し立て、土地の民事裁判を起こそうとしていること
を、父親が殺しは部落と町と中嶋の無視による抹殺の悪が起因だからとオノレの殺しの罪に開き直り、傲慢にも
あが
殺しをほんとうは正当防衛だと正当化さえして罪を省みず、厚かましくもオノレはさておいて部落と町と中嶋に
法の罰を受けさせようと悪足掻きしているとみなしたから。
法に従うべきとは? 父親が人間失格のどうしようもない殺人鬼になってしまわないためには、まず何をおい
ても人一人を殺した罪をあらためて省みて詫び、控訴審に異を唱えることはもうやめて、罪の罰=世の法による
罰を受けたうえで、部落と町と中嶋への対応を考えなおせばいいと考えたから。
ここで高堰正志は裁判への対応の仕方で、みずからが父親喜代志とも衆座とも大きく食い違ってきたことを明
らかにしました。喜代志は落涙し、衆座は白けました。
食いちがいとは?
一=心の入れ換え
高堰正志は父親喜代志に、相手をまちがえて人を殺した罪の心からの謝罪と贖罪を最優先させるよう、新たに
すす
〝改心〟を迫りました。
この改心の勧めは、喜代志と衆座には寝耳に水のことで、ただちに理解も承服もできかねることでした。これ
までなんとか異体同心で裁判に対応してきた正志が、なぜ急にことさら、いままでの対応の仕方をすべて否定し
135
かねないような改心をもちだしたのか?
いくつかある因の一つで主因は、喜代志があとで出てくる手紙で明らかなように、「ボーリングの人方(誤殺
した阿部哲男ふくむ)はなにもこの事件になど巻き込まれなくともよいものを、(除雪で)最後まで中嶋に、私
を殺してやると言ってる者に利用されて、行動を共にした事も責任は充分ある事だと思うものであります」といっ
たことにあったか?
正志はこれを、喜代志が誤殺した故人にたいする罪まで、故人には中嶋とグルの責任があるから、それほどひ
どい罪ではないと思うようになった、と受けとめたのではないか?
そうだとしたら、これは誤認でした。喜代志は前言のあとに「まちがって阿部さんを殺してしまったのであり
ます。御許し下さい」といって謝罪していますから。
あがな
そこで喜代志と衆座は、正志のいう改心の必要をまったく感じず、中嶋を殺らねば殺られるゆえに殺ろうとし
たことは正当防衛と考えていましたが、誤殺した故人にたいする罪は謝し、法で罰の刑を受けて、贖いながら、
喜代志を誤殺にまで追いつめた部落と町と中嶋の責めを法と裁判で明白にしていこうとしていました。
二=メリットの取捨
と
高堰正志はメリットのない裁判、父親を満足させるだけの裁判は、父親の犠牲になるだけで、家族の苦労を増
し、恥さらしなことだから、もうやらないと宣しました。
これは正志がさいごのところで、損得で動く世で利得のメリットと保身を選って、独り又鬼の喜代志の、みず
からを抹殺しにかかった損得一義の山里の凶権にたいする損得抜きの徹底した逆撃と捨て身を捨てたことをいみ
していました。
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8 公判
損得の世の中心には、物神でバンバンザイのゼニとオノレ本位でサマサマのニンゲンのエゴがひかえていまし
た。あげくにゼニとニンゲンのエゴは、万物の命源である自然と自然の申し子であるいっさいの生きものの動・
ただ
植・鉱物を、いいようにオノレの利得のメリットの具にして食い荒らし、食い殺しつづけていました。
たいして高堰喜代志が一体である自然の直中では、万物を不断に相依相関で活生と活死につかせている命律が
ほしい
黙動しつづけていました。ために喜代志の逆撃は、みずからとともにいっさいの生きものと命源の自然と自然の
生死をつらぬく万物活命律を、恣ままに蹂躙してきた損得の世のゼニバンバンザイでニンゲンサマサマの凶権に
たいする断罪の決戦から弾劾の抗戦でした。
これ、喜代志の逆撃は、実は史上に稀有で画期たりうる独りマタギの私闘──古代に国家ができていらいひき
ごう
つづいて二一世紀の現代に極限に達している、「万物の霊長」とウヌボレたニンゲンサマの闇雲に反自然のエゴ
餓鬼史でゼニ餓鬼史で万物殺命史を、一挙に根こそぎくつがえして、徹底して合自然の万物活命史に一変させる
原種子たりうる大地の一衆の私戦でした。
それゆえ、正志がみずからの利得のメリットを選って喜代志の逆撃を捨てたことはつきつめれば、みずからが
いっさいの生きものと自然と自然の命律をもっぱらオノレの利得の餌食にして食いつぶして踏みにじる損得の世
のバンバンザイのゼニとサマサマのニンゲンの凶権の側に立って、思いあがったニンゲンサマの反自然の万物殺
命史を護持する生き方にどっかりと腰をすえ、そのうえで喜代志が無意識の本能で自然の命律を拠りどころに自
然と一体でいっさいの生きものと活生と活死の在り方をし、合自然の万物活命史の知られざる担い手の生き方を
して、みずからと自然が凶権に抹殺される危機に決然と逆撃に打ってでた闘い方をしているのを、傲然と蹴って
潰すことをいみしていました。
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そもそも正志は喜代志が人違いの殺しの罪を省みずにタナにあげて、裁判に「公平」をもとめる身勝手な我意、
オノレ中心のエゴを押しとおそうとしているとみなしたからこそ、親父は心を入れ替えなければ「生きてる資格」
はないし、
「人間性」がゼロだといい、もうこれいじょう親父の「犠牲」になって親父を満足させる気はないし、
マト
「恥さらし」などんな裁判もやる気はないし、親父は「法」に逆らわずに従うべしといいました。
これは的を射ていたか?
一に喜代志は、しっかりと殺しの罪を省みて、決してそれをタナあげしてはいませんでした。
二に喜代志が裁判に公平をもとめたのは得手勝手なオノレ本位のエゴによるものだったか? 否でした。
高堰喜代志は、みずからは潔く人ちがいの殺しの罪の罰を受けたうえで、どうじに事件の基因、みずからが激
怒して銃で勝負せざるをえなかった部落と町と中嶋の仕打ち、村八分と代替地の未解決と暴行の理不尽きわまる
悪を、どんな裁判によってでもハッキリさせて、悪に報いのケジメをつけさせようとしていました。
ここでの激怒と悪の処断要求は、決して喜代志の闇雲なエゴによるものではなく、結果の殺しの罪とともに、
殺しをもたらした原因の悪の両成敗をもとめる情理に根ざしたものであり、さらに深くは喜代志が一体の自然の
義、いっさいの命の源で里で糧を恵む自然の道に無意識のうちに発するものでした。
三に喜代志は「改心」しなければ「生きる資格」も「人間性」もなかったか? 否でした。
高堰正志がいう改心は、誤殺の罪をあらためて心から謝して償うことに専心して、これいじょう裁判に逆らっ
て裁判をやるな、法による判決に従えということでした。
そうすれば生きる資格も人間性もあることになるか? 否でした。
そもそも人ちがいの殺しの罪の償いだけを心がけて、あとは黙ってろとは、結果の殺しの罪だけに罰を受けさ
138
8 公判
せて、原因の殺しを呼びこんだ悪を野放しにしてのさばらせておくことでした。悪とは、土地を命とする喜代志
の土地トラブルにともなってゼニの欲得ずくで喜代志を無視して扼殺しにかかった部落と町と中嶋の尊大で凶悪
な仕打ち、おそるべきエゴの所業のことでした。それを黙ってのさばらせておくことは、いまの世、損得専一の
世でバンバンザイのゼニとサマサマのニンゲンのエゴが、いっさいの生きものの動・植・鉱物といっさいの命源
の自然をわがものガオで飽くことなくオノレの利得の具にして食いつぶしつづけている凶悪な罪状と、自然の命
律から生態系を平然と踏みにじりつづけている極悪な凶状を、そのまま黙認して放置しておくことに直結してい
ました。
であれば、正志がいう改心の行きつく先は、誰にしてもいまの世の趨勢であるゼニ餓鬼でエゴ餓鬼のニンゲン
サマののさばりを甘受して、オノレが当のものになることであり、正志がいう生きる資格と人間性の持ち主の正
体は、ゼニ餓鬼でエゴ餓鬼のニンゲンサマそのものでした。
これは誰も想いもしなかった驚くべき矛盾で逆転で欺瞞でした。誰にしても「改心」の名においてゼニとエゴ
の餓鬼になり、「生きる資格」と「人間性」の名において当の餓鬼のニンゲンサマになってしまうわけですから。
喜代志はそんな堕地獄の改心をする必要も、欺きの人間性の持ち主になる必要もまったくありませんでした。
もともと喜代志は誤殺の罪を償おうとしていましたから、ことあらためてゼニとエゴの餓鬼に堕してしまうよ
うなイカサマな改心をしなくてもよかったし、当の餓鬼のニンゲンサマとしてのインチキな生きる資格や人間性
も持たなくてすみました。
代わりに喜代志は、罪の償いだけに専念して黙っていずに、人ちがいの殺しを誘発させた部落と町と中嶋の悪
をどんな裁判によってでも明らかにして、悪のヌエにそれ相応の責めを負わせようとしていました。
139
それは、いまの世で極限に達しているつぎの極悪事をハッキリさせることに連結していました。ゼニ餓鬼でエ
ゴ餓鬼でウヌボレ餓鬼のニンゲンサマが、ニンゲンをふくめていっさいの動・植・鉱物を産んで生かして死なせ
イケニエ
て再び産む自然の命律から生態系の大恩をまったく忘れさって、いっさいの生きものと自然そのものをほしいま
ブツ
かばね
まにオノレの利得の生贄にして食い荒らすおそるべき忘恩罪を犯しつづけ、あげくにいっさいの命と自然を物神
とく
のゼニを肥やす供物に下落させてクズにし、カラにしてアテを失くさせ、生ける屍にして生首を野ざらしにして
いるものにおとしめているおそるべき瀆命罪を犯しつづけていること。
それはさらに、いまの世で危機の渕に立っている命の起死で回生の途としてつぎの途を選ることに連結してい
ました。誰にしても、まず命源の自然といっさいの命に土下座して極悪な忘恩罪と瀆命罪を謝罪し、そのうえで
罪の胴元、いまの世のバンバンザイのゼニとサマサマのニンゲンのエゴの二体で一体の餓鬼の万物殺命道に見切
りをつけて、ニンゲンをふくめていっさいの生きものの動・植・鉱物を不断に相依相関(食物連鎖)で活生と活
死(自死他生で他死自生)につかせている自然の万物活命道につきしたがう途。
そこで、生きる資格や人間性といえば高堰喜代志にとっては、裁判でも何事でもおかしなことには黙っていず
におかしいとハッキリものをいって情理の筋を通すことと、誰のものにしろ、いまや自然の鬼っ子に成りさがっ
たオノレ中心のニンゲンサマの名による言動ではなく、いっさいの命に生死の活かしあいをさせて生死にわたっ
て命を活かしつづけている自然の命律の義に根ざす言動が、ほんらいの生きる資格や人間性をもっているもので
した。
それにしても高堰正志が父親喜代志を難じていった「心の入れ替え=改心」や「生きる資格」や「人間性」と
いう言が、ちょっと掘りさげて一皮むけば、いまの世のヌエであるゼニ餓鬼でエゴ餓鬼でウヌボレ餓鬼のニンゲ
140
8 公判
ンサマの横行を黙認し、擁護する虚飾の言に堕し、当のニンゲンサマがオノレを正当化するマヤカシの言に下落
していることは、驚くべきことでした。当の人は、父母にはキリカラ家(ボロ家)の実家を新築しなおしてプレ
ゼントするような「甲斐性のある孝行息子」で、何事でも「粘り強く努力して、やりきる」し、対人関係では誰
にも事件の被害者遺族にも「誠意があって、いい人柄で」と信用され、会社では「信任厚い係長」で、世では「真
面目」で「常識をわきまえ」て「頼られ」て「責任をまっとう」して「申し分ない」という人物でしたから。
ひとでなし
おおやけ
四に喜代志がどんな裁判にしろ、さらに裁判をつづけることは「恥さらし」なことだったか? 否でした。
しょうわる
正志がいう恥とは、喜代志が誤殺にしろ何殺にしろ人殺しをしたこと自体が人としてあるまじき性悪で業深い
罪で拭いがたい汚辱の恥であり、どうじに喜代志が裁判をつづけることが人非人の人殺しの犯罪と汚名を公の場
で衆人の前にさらしものにしつづける恥であり、さらに喜代志が裁判に不服を申し立てたり新たな裁判を起こそ
うとすることがオノレの罪はさておき、手前勝手な我意=オノレ本位のエゴをゴリ押しして罪作りな相手を責め
ようとする厚かましくも恥知らずでえげつない恥でした。
はたして、そうだったか?
たの
元をただせば、高堰喜代志の殺しはみずからを無視とナブリで扼殺せんとした相手に激怒を発し、みずからの
の
拠りどころの自然とその生態系と命律の尊厳ひとつにかけて、相手の恃みの強権、自然をバンバンザイのゼニの
たい
食いものにして伸すニンゲンサマの凶権にたいし、一気に断罪で逆襲の怒弾を炸裂させ、さいごのところで自然
と一体の命対ニンゲンサマのエゴ、
自然の命律対バンバンザイのゼニの狂権の一対一の勝負にかけた怒殺でした。
これ、喜代志の殺しは、怒殺のかぎりで、自然の鬼っ子に成りさがったニンゲンサマのバンバンザイのゼニに
よる〝自然殺し〟の極悪罪を、自然尊持の義によって断つことでしたから、因業な罪であるどころか稀有な義挙
141
であり、ヒトデナシの恥であるどころか自然の申し子である生来の人が自然死守のために決行した、心ある人を
熱くゆさぶる捨て身の行為でした。
この怒殺は、法治国日本のニンゲン法、ニンゲン本位の法では、こともなげに罪で恥に下落させられてしまい
とら
ます。どんな殺しでも殺しはみな一様にそうあつかわれる例にもれず。これはニンゲンの殺しだけを重大視して
よご
命源の自然やいっさいの生きものの殺しがまるで眼中にないニンゲン法の殺しの捉え方の、手前勝手で偏狭で矮
小で底が知れて情けない限界をおのずと露呈していました。
が、いまほとんど誰もが度外視している自然のただなかに遍在する不文律の自然法、ニンゲンの手垢に汚れて
いずニンゲンの恣意ではどうこうしようのない自然中心の法からみれば、この怒殺は罪や恥にするのはとんでも
ないことで、自然法の一つ、因果応報の法(悪因悪果の法罰と善因善果の法徳)の法罰をみずから本能で体現し
て貫かんとした貴重な法遂行の行為でした。
や
自然法は自然の命法で、自然の命律の自然律と同じで、因果応報の法は因果応報の律と同じ。
じ
惜しむらくは、喜代志の怒殺は貫徹されずに誤殺に急変しました。これは殺ったほう殺られたほう、ともに痛
恨のきわみでした。
相手を間違えた殺しは、まちがえたこと自体がニンゲン法にも自然法にも関係なく、直かに本人にとってたま
らない恥で、悔やみきれない罪でした。
とはいえ、この人違いの殺しは、人ちがいと気づく直前まで本意と内実において怒殺、ゼニ餓鬼でエゴ餓鬼の
ニンゲンサマの自然殺しに断罪の雷火を叩きつけて自然法の一法罰を加える決死の行為でしたから、決して悪辣
な罪などではなく、断じて汚名ぬぐいがたい恥などではありませんでした。
142
8 公判
トガ
そこで喜代志が裁判をつづけることは、みずからの誤殺の罪は認めたうえで、自然殺しの一張本人、ゼニとエ
ゴの両餓鬼のニンゲンサマの一代表の部落・町・中嶋の科を明らかにすることでした。
これはそれゆえ、人でなしの人殺しの罪と汚名の恥を世人にさらしものにするどころか、まったく逆にヤバッ
チーと中傷されたキレイな人、合自然の生来の人が、誰よりもいい人ヅラして実は誰よりもアコギなダマシ・ギ
ツネで反自然の人非人のヌエらの性ワルぶりを、一気に白日のもとにさらそうとすることでした。
もと
それに喜代志が裁判に注文をつけたり新たな訴訟をおこそうとすることは、もういうまでもなく、決してオノ
ただ
レの人ちがいの殺しの罪をアッチにおき、オノレのエゴをむきだしにしてもっぱら罪の因になった部落・町・中
ひきがね
嶋の非だけを糺そうとするような厚顔無恥な振舞ではなく、みずからの罪はしっかり受けとめたうえで、みずか
そそ
らが一方的かつ全面的にワルにされて、罪の引鉄になった相手のほんとうのワルぶりが度外視されている無念を
晴らそうと異議を申し立て、ワルの汚名を雪いで相手のワルさを明らかにしようとすることでした。
ワルとは人を食った欲得ずく屋でダマクラカシ屋のこと。
さ
五に高堰喜代志の殺しを、みずからも正志もマタギ仲間の鈴木松治も「バカなごとして」といいました。
松治のいうバカなこととは? それは仲間の喜代志が「人に銃向ければ、自分の腹裂ける」という又鬼の掟の
ひとつをあえて破ってまで決行した殺し、断罪の怒殺を貫徹できずに誤殺におわって致命的にズッコケたこと─
─決死の弾劾が正反対の裁かれる罪に一転して、喜代志が死ぬにも生きるにもアテをまったく失くしたおそるべ
き虚に落ちこんだこと──喜代志が不意打ちで誤殺の相手をこの世から消し、遺族を痛苦の奈落につきおとし
て、相手の妻の人生をぶち壊した負い目をもったこと──喜代志がみずからの一生を台なしにし、家族に死苦を
なめさせて、もう独りでも仲間とでも銃でのマタギ(狩り)ができなくなったこと、でした。
143
お
正志がいうバカなこととは? それは父親の喜代志が怒殺にしろ誤殺にしろナニ殺にしろ、人としてやるべき
ではない人殺しをやってしまったこと──父親が誤殺で相手と遺族に一命を絶つというとりかえしのつかない禍
害をおよぼしたこと──父親がみずからに人殺しの烙印を捺され、家族と親族に人殺しの一族の汚名を着せ、家
系に人殺しの汚点を残したこと、でした。
へきれき
喜代志のいうバカなこととは? それはみずからが怒殺を貫けずに誤殺でコケ、それが致命的な痛打になっ
て、自決覚悟の勝負、この世と一生と命のすべてをかけた断罪が宙に浮いて雲散霧消し、あとが無残なことになっ
ナマ
たこと──みずからが青天の霹靂(急雷)で誤殺の相手と遺族に落命の災厄を、家族と親族と又鬼仲間に人殺し
の類縁の汚名をもたらしたこと、でした。
が、このようなバカなことは、独りマタギの喜代志が土地トラブルにともなって、みずからに生殺しから圧殺
の牙をむいてきた欲得ずくのニンゲンサマの一ヌエで自然の鬼っ子の一権化、部落と町と中嶋にたいして、あく
まで自然と一体のみずからに徹して、まったくこの世の損得ぬきでウルトラ・バカになり、命さえ投げだして「殺
しゅったい
るか殺られるか」の勝負、ヤクザなニンゲンサマのエゴを断罪して殺りきるか、大事な自然の生態系を黙って殺
られっ放しにしておくかの決戦に打って出たからこそ、生来してきました。
それゆえこのバカなことは、ただたんに愚で罪で無惨なことではなく、その奥につぎの秘事が伏在していまし
た。それはゼニバンバンザイでニンゲンサマサマのいまの世と世人が、ワレが生かされている命源の自然とその
おとし
申し子のいっさいの生きものに恩義知らずな仇をなし、それをヘロリ然でゼニとエゴの歯牙にかけて食い殺しつ
づけて、いっさいの命をカラでボロカスで生きながらに生首さらす屍に貶めているおそるべき狂状と罪禍にたい
して、これに徹底して報いの業火、弾劾の銃弾を叩きつけ、どうじに世と世人をワレから、いっさいの生きもの
144
8 公判
と自然の生態系にこそしたがって徹底して生と死の活かしあいをする生来の人の姿、合自然の人の本姿に一気に
立ち還らせて、根こそぎ命を一新し回生させようとする本能の秘事。
ごう
そうであればこそこのバカなことは、たんに痴で情けないことで罪なことで恥として一蹴して埋葬してしまう
ひかり
べきものでは決してなく、断罪の業火(自然の因果応報の法罰)と回生の光(自然の命律)に直通して、
〝 業そ
さげす
く光〟のワザ(自然の法罰である断罪の命の業火がそくで自然の命律である回生の命の光になる自然と人一体の
ほう
ワザ)を体現しようとする本能に発していることでしたから、カンタンに蔑んだり忌み嫌ったり粗末にしたりせ
ずに大事にしなければウソで、そうしなければみずからがシタリ顔でニンゲンサマの尊大な呆けヅラさらすだけ
でした。
八三年五月一〇日、高裁秋田支部法廷で高堰の第四回控訴審が開かれ、裁判長渡辺が判決をくだしました。
主文は──「原判決(懲役九年)を破棄する。被告人を懲役八年に処する」
ゆうじょ
懲役が一年減刑されました。
理由は──。
(示談金の完納と遺族の宥恕上申)
く
「原判決後に至り、被告人の息子正志の奔走・努力により、被告人方の不動産を処分するなどして示談金の残
額五〇〇万円の支払いを完了させ、被害者の遺族もその誠意を酌んで上申書を提出して、被告人に対する宥恕の
意向を示していること等の事実が認められ、これらの事情に照らせば、現時点においては原判決の量刑(九年)
は重すぎることに帰し、これを破棄しなければ明らかに正義に反すると認められる」
145
(ほかに有利・同情すべき事情)
「中嶋による挑発的行為のあったこと、被告人には古く傷害罪により罰金刑に処せられたことが二回あるほか
には前科のないこと、被告人が本件まで農業およびマタギとして狩猟に専心従事してきたこと、被告人がすでに
高齢であること、被害者の遺族に対して労災補償金等が交付されていること」
減刑のいちばんの理由は、被告人の家族が被害者の遺族に示談金を完納したことと、遺族が裁判長に被告人を
寛恕(容赦)する上申をしたことの、二つで一つのことでした。
が、被告人高堰が減刑よりも重視したことで弁護人荘司が減刑のために強調したこと、事件の原因の部落と町
と中嶋の非=害=悪を、判決はどう判断したか?
(部落での土地トラブル)
「被告人が戦時下兵役中にその所有土地を部落の有力者に無断で売られるなどしたこと、昭和四四・五年ころ
うかが
部落内の土地分配をめぐるトラブルについて、被告人が部落の人達から不当な扱いを受けたことについて、その
ような事実のあったことが窺えないではないが、いずれも本件とは関連の薄いことがら」
お
被告人が土地を横領され、土地で不正取得の濡れ衣を着せられながら部落から受けた不当な村八分は、被告人
を圧迫して、つねに問答無用の無法に圧しつぶされる脅威にさらし、圧しつぶされまいとする反撥から孤絶に追
いこむ魔の制裁になり、町当局が代替地問題で被告人を平然と無視する誘発剤になり、中嶋土建の社長が田畑侵
害問題で被告人に傲然と暴挙におよぶ促進剤になりました。
部落が高堰を見くびって起こした土地トラブルで、公然とやってのけた明らかに犯罪である不正(横領)とデッ
チアゲ(ヌレギヌを着せる)は、そのまま高堰にたいする闇の制裁、村八分の発端と確定打になって、町と中嶋
146
8 公判
あなど
もてあそ
の高堰にたいする侮りにまで波及していきましたから、直接には中嶋が高堰を愚弄して起きた事件、間接には部
落と村が高堰を弄んで起きた事件と、あきらかに根深く連関していて、事件の誘因でした。
が、判決は、部落が土地トラブルで高堰を不当にあつかったことは認めましたが、それは事件とは関連が薄い
と裁定して、事件の誘因とは認めませんでした。
(町当局の対応)
「栩木沢林道をめぐる(用地)買収方式の説明、工事の着手や代替地についての町当局の(被告人への)対応
の仕方に、適切でないところのあったことは窺われるが、(町当局と被告人の)争いがこじれるようになったに
ついては、被告人の妥協を排し、あくまでも自己の要求を押し通そうとするかたくなな態度も一因をなしていた
ことは疑いない」
町が高堰にたいして、提供された林道用地の補償にカネではなく代替地をもとめられて(当初に慣例と異なる
カネでの補償が村八分で高堰に知らされずに)未解決のまま放置してきたことは、理不尽な私権無視で不当な不
作為から不履行で違法であり、どうじに林道の一部になった私有地を無断で使用しつづけてきたことは、あきら
かに私有地侵害で違法でした。
こじ
そして町が高堰をこの二つのこと、二つの違法で無視しつづけて黙殺せんとしたことが事件の根因でした。
かたく
が、判決は、町と高堰の拗れた紛争とそれが事件の背景であることは認めましたが、争いの責めは町の対応の
不適切さと高堰の頑なな非妥協性の双方にあると裁断して、町の歴然たる違法行為と、それによる高堰の黙殺が
事件の根因であることには一言も言及しませんでした。
(中嶋の挑発)
147
「本件の直接の原因となった(被告人の)中嶋との確執については、中嶋が除雪にさいし被告人の再三の注意
を無視して砂利混じりの雪をブルドーザーで林道脇の被告人方の田畑や敷地内に押し出したこと、昭和五五年
一二月三〇日の喧嘩のさい中嶋が被告人の首をつよく締めるなどしたこと、本件当日(昭和五六年一月六日)も
しんしゃく
被告人の注意を無視してブルドーザーで同じような除雪の仕方をつづけたことなど、中嶋の側に挑発的言動が
あったことは、原判決も判示するところであり、その点は被告人に有利な事情として斟酌すべきものである」─
─「しかし(略)それをただちに中嶋殺害の決意に結びつけ(結果として被害者阿部を殺害し)た被告人の心情
はあまりにも独善的・短絡的であって、社会的にみてとうていやむを得ない行動として人を納得させ得るものと
はいえない」──「したがって、中嶋の落ち度を考慮に入れるとしても、それが被告人の刑事責任をそれほど大
バラシ
きく軽からしめるものとするのは相当でない」
中嶋がブルの除雪で砕石混じりの雪を高堰の田畑・山林に何度も故意に押しこんだことは、高堰にとっては確
約が平然と踏み破られて騙し討ちに遭い、頼りの田畑・山林=命の綱で源の土地・自然が無残に侵害されて荒ら
され、みずからと土地がとめどなく愚弄されて蹂躙されることをいみしていました。
さらに中嶋が高堰をひき倒して首を絞め、脱糞させて窒息死寸前に陥らせたことは、高堰にとっては又鬼のみ
ずからと一体の自然とその申し子の生きものが屈辱にまみれて殺される危機に立たされたことをいみしていまし
た。
そして高堰が中嶋を逆撃して生死をかけた決着をつけようとしたのは、高堰が部落の村八分と町当局の無視に
よって受けてきた愚弄と屈辱が中嶋の暴挙によって一挙に極限に、もはや耐えがたい限界点に達して「堪忍袋の
緒が切れ」、しかも部落の抹殺と町当局の黙殺の二つで一つの脅威にいきなり中嶋の扼殺寸前の暴力が合体して、
148
8 公判
や
高堰が現実にいつ殺られるかわからない危機、「殺らねば殺られる」危機の渕に立たされたからこそでした。
だからこそ、そういう内実があったからこそ、中嶋の違約の傍若無人な除雪と高堰への暴行は事件の直因にな
りました。
判決は、中嶋の挑発的言動=落ち度とそれが事件の直接の契機であることは認めましたが、高堰がそれによっ
て中嶋を殺る決断をしたのは独善かつ短絡にすぎて、やむをえない行為とは社会的にはとても認めがたいと裁定
して、中嶋の挑発=落ち度の暴挙=破約の除雪と首締めの暴力が高堰におよぼした内実、高堰が中嶋にたいし愚
ひ
弄と屈辱と殺られる脅威の極限で激怒をたぎらせて理不尽に殺られてしまわずに断罪で殺る逆撃に打ってでた内
実は感受も知覚もおよばなかったか? 一触だにせず、度外視して陽の目をみさせず、闇からヤミに葬りさりま
した。
が、その内実はもう一歩踏みこめば、こうでした。
中嶋は、バンバンザイのゼニとサマサマのニンゲンのエゴが命源の自然をはじめいっさいの命を牛耳って食い
つぶす反自然で倒錯した凶悪な時代と世の一権化で一ヌエでした。たいして高堰は、合自然で、いっさいの生き
ものに生かされて、命源の自然の命律を拠りどころにしている生粋の一マタギでした。そこで高堰が中嶋から受
けた愚弄と屈辱とナマ殺しのきわみは、そのまま自然といっさいの命がゼニとニンゲンのエゴから加えられた生
きながらに殺される凶害のきわみでした。どうじに高堰が中嶋にたいして断罪で殺る逆襲に転じたのは、そのま
ま命源の自然といっさいの生きものがゼニとニンゲンのエゴの罪業にたいして発動した必罰の逆撃でした。
判決は、その内実には一言も言及せず、想いが及ばず、存ぜぬ半兵衛をきめこみました。
(事件の総括)
149
「本件は、被告人方居宅東脇を通り、一部は被告人所有地上を通る栩木沢林道の建設にさいしての、その被告
人所有地に対する買収の方式、条件をめぐる被告人と阿仁町との間の紛争等を背景とし、その後に行われた秋田
県発注の栩木沢地区についての地滑り防止工事事業の一部である水路工事を請負った中嶋礼治と被告人との間
の、中嶋がたびたびこの林道上をブルドーザーにより除雪し、林道脇の被告人所有の田畑や宅地内に砂利混じり
の雪を押し出したことからの争いを直接的な契機として、中嶋の態度に欝積した憤懣を爆発させた被告人が、水
平二連散弾銃をもって同人を射殺しようと決意」──「本件の直前、被告人は中嶋らから危害を加えられるとか、
加えられそうになるとかしたことは全くなかったのに(略)、短絡的に中嶋殺害を決意し、手に何物も帯びるこ
となく必死に逃げ回るばかりの中嶋らを熊射ち用の水平二連散弾銃をもって、約一・一三キロメートルも執拗に
追跡したうえ、雪の斜面を登って逃れようとする被害者阿部(哲男)を中嶋と思いこみ、その背後約一九メート
ルの至近距離から狙いを定めて銃を発射・命中させ、なにものにも替えがたい人命を瞬時に奪い去ったものであっ
て、その犯行の冷酷、非情さに照らし、まことに悪質、重大な案件というほかはない」
判決は、高堰の中嶋にたいする射殺の決意が鬱積した憤懣によると指摘しながら、高堰が事件の直前(当日)
に中嶋らからなんの危害も加えられず、なんら危険がなかったと断定し、にもかかわらず高堰が中嶋の殺害を決
意したのは中嶋のそれまでの挑発をもって殺意の契機にした独善と短絡に由ると判断し、高堰が中嶋らを執拗に
追跡したうえで、熊撃ち用の銃で中島とみた被害者を射殺して、掛け替えのない人命を一瞬のうちに奪いとった
うら
ことを強調し、事件=高堰の犯行を冷酷・非情で悪質・重大と裁断しました。
事実と内実はどうだったか?
高堰の中嶋射殺の決意とは? それはたんに怨みツラミの殺意ではなく、怒殺の決断でした。怒殺とは、中嶋
150
8 公判
=ゼニとエゴの餓鬼の一ヌエが闇雲に高堰=命源の自然と一体の根っからの一又鬼をナマ殺しにして、〝命源殺
し〟におよぼうとした極悪罪に、高堰が本能で自然の報いの法罰を体し、徹底して罪業焼却の業火、断罪の怒弾
を射こまんとしたことでした。
高堰は事件の直前に中嶋から危害を加えられる危険は何もなかったか? ありました。
一に新年早々の事件当日(一九八一年一月六日)、中嶋は三人の男衆(大友美佐男・阿部哲男・佐藤英明)と
ズリ
女衆四人(山田ミワ・中嶋正子・中嶋トミエ・田口カオル)とともに、ブルで前年末までとはまったく違う歴然
と破約の滅茶苦茶な除雪、あきらかに高堰にたいする腹イセで見せしめの除雪を強行して、砕石混じりの雪を高
堰の田畑と山林にどしどし落としこみました。
ツラ
ツブテ
これは高堰の神経を逆撫でして高堰を激昂させた乱暴狼藉で、歴然たる危害で脅迫でした。高堰は制止の怒声
を発しましたが、相手はブルの音で聞こえぬ風で、蛙の面にションベンで梨の礫でした。
二に事件の直前、中嶋が男二人(ブルに乗る大友と歩く阿部)と山のほうから高堰の家のほうにもどってきて、
男一人(佐藤)が家の周りでずっと何気なく監視をして高堰の動勢を窺っていました。それを目にした高堰はそ
のとき反射的におもいました。──このひどい除雪の仕方からみて、俺がいま厳しく文句をつけたら、中嶋はま
ちがいなくこれ幸いと俺を襲ってきて、ひどい暴力沙汰におよぶだろう。いまのままでいたら、俺はただ中嶋に
ひどい目に遭わされるだけで、いずれ殺られる。もう我慢ならない。今日こそケリつけてやる。相手が四人なら、
銃で立ち向かうしかない。
これ、強く抗議すれば中嶋に急に襲われて殺られるとのおもいは高堰の錯覚や妄想ではなく、前年末に首を締
められたときに如実におもいしらされたことで、高堰の冷静な現状認識で、胸中で急激に強迫観念化したもので
151
した。
この強迫観念は中嶋が高堰の心理に加えた危害であり、高堰の危害を受ける可能性の予感は的確な現状判断に
もとづいていて、一〇〇%的中する筋合いのものでした。
そこで高堰が家のなかから銃口を四人にむけて「今日ごそ決着つけでける!」と警告を発し、四人がいったん
逃げたあと、中嶋が二人(阿部・佐藤)とふたたび高堰の家の脇に忍び寄り、高堰の様子を探って家の周りをア
ひと
え
チコチうろつき、中嶋が玄関口の立てかけた板の陰に身を隠し、ついで佐藤がそこに忍び入って隠れました。
そのとき高堰は「誰だ! 他人の家さ無断で入るのは!」と怒鳴りながら、これは中嶋が虎視眈々、スキをつ
いて俺が玄関口から外にでる出鼻に、いきなり俺を急襲してまたも銃を強奪し、「ぶっ殺す!」とこれまで三回
高言したとおり、こんどこそ俺を半殺しにして殺る気だとおもい、殺らねば殺られると覚悟し、銃で殺るしかな
いと決断しました。
直後、高堰は窓から中嶋に「もう堪忍袋の緒が切れだ! 覚悟せ!」と通告し、銃をもって外に出ました。
ひそ
ここにある、中嶋が佐藤とわざわざ高堰の家の玄関口に忍び寄って身を潜めたことと、高堰がそれを中嶋が俺
をふいに襲ってメチャクチャにするスキを狙っていると受けとめたことは、何をいみするか?
中嶋の身隠しは、高堰が銃を持ちだしてきたことを「オドシだべ」から「証拠に写真ば撮る」と見くびり、高
堰の目に触れて銃口をむけられないように一時身を退避させて、高堰が外に出てくるハナか家のなかでスキをみ
せたら、高堰を銃もろともとっつかまえようとしたことを、アリアリとのぞかせていました。
ここには中嶋が高堰を挑発して危害を加えようとする構えがハッキリと出ていました。
高堰のスキをつかれて襲われるというおもいは、現実に一〇〇%蒙ることがまちがいない危害の可能性と予感
152
8 公判
をおのずと表白し、
どうじに高堰のすでに心奥におよんでいる危害である強迫観念をおのずと表示していました。
高堰の中嶋にたいする殺意は独善で短絡だったか? そうではありません。
中嶋が部落と町をバックにして高堰の身心に直かにおよぼした尊大・凶暴な振舞による愚弄と屈辱と襲われて
殺られる脅威は、もはや忍耐ギリギリの限界点に達していました。それは高堰の「堪忍袋の緒が切れた」と「殺
はずか
らねば殺られる」の二言と二事がそのまま凝縮して赤裸に証示していました。ために高堰は、中嶋に不当に耐え
がたい辱しめを受けつづけながらナマ殺しで殺られるよりは、激怒の逆襲によって中嶋を一気に殺り、中嶋に度
じょく
さつ
しがたい凶と害をなした報いをおもいしらせて責めをとらせ、無念を晴らす決断をしました。それは断罪で致命
的な辱を晴らす殺の決意でした。
と
ここにあるのは、命の赤裸な尊厳と凌辱の決定的な分水嶺、二者択一の渕に立たされた高堰が、必然に不可避
よ
で懸命に命の尊厳を選り、ひるがえってその義により、命の致死的な凌辱の凶害をなす中嶋に、報いで断罪で償
いの死を告げてもたらす決断でした。
これは、高堰が中嶋にたいして恣意的で、オノレのエゴと都合本位で、オノレのみ善がっているような独善と
はまったく無縁であることをおのずと明かしていました。どうじにこれは、高堰が中嶋の、命の尊辱や生死の大
事にはならないような乱暴狼藉の落ち度をとがめて、それをもって直ちにカンタンに中嶋を殺そうとする決意を
するような短絡ともまったく無関係であることをおのずと物語っていました。
ここで高堰とは、合自然で、命源の自然の命律を拠りどころにする自然の申し子の生来の人の一象徴でした。
たいして中嶋とは、反自然で、物神のゼニサマとオノレ中心のニンゲンサマのエゴを頼りにする自然の鬼っ子の
ウヌボレ・ニンゲンの一典型でした。
153
それゆえ高堰の中嶋にたいする命の尊厳の義による断罪の怒殺意とは、生来の人=命源の自然が自然の命律の
尊厳、自然の申し子の動・植・鉱物いっさいの命の尊厳の義によって、オノレが産みだされて生かされている自
とく
然といっさいの生きものをオノレの利得のダシでカモでエジキにして食い荒らして食い殺し、弄んで辱しめてい
るウヌボレ・ニンゲン=物神のゼニサマとニンゲンサマのエゴにたいして、その凶悪な罪業、忘恩で瀆命で命源
殺しの極悪罪を断罪して、その罪の胴元、ゼニサマとニンゲンサマそのものを野辺送りにすることと同じで、自
然の報いの法罰と同じでした。
命の尊厳は、当代のニンゲンサマのオノレ本位の「生命尊重」や「なにものにも替えがたい人命」の尊重では
あたい
なく、それはゼニ餓鬼でエゴ餓鬼のイノチ護持だから、堕地獄のイカモノで、とんでもないイカサマでダメモノ
で、反時代の命源の自然中心で、いっさいの生きものの生死にわたる命の尊厳であってはじめて、その名に価し
て、名実ともなってウソ偽りがなく、ほんとうのものでした。
リンチ
それにしても高堰がなんの義によるにしろ中嶋を断罪して怒殺しようとした決断とは、それは義の名による独
断と独善のきわみで、おそるべき私刑の決意ではないか? そうではありません。
たしかに史上では民族と国家と団体と個人それぞれの埒内で、さまざまな義の名で、さまざまな独善のきわみ
の、さまざまな断罪の制裁(公然たる処刑と隠然たる私刑)による、さまざまな虐殺が横行してきました。
が、ほとんどの義──独善の断罪──制裁(処刑と私刑)の虐殺が共通して依拠し、軸心にしてきたのは、万
まが
物の霊長で、誰よりもオノレ中心で、何よりもサマサマのニンゲンのエゴでした。それゆえ、どんな義も虐殺と
いう怖るべき相対地獄の現場を現出させて、紛いものの絶対の光の化けの皮がたやすくはがれ、相対的な魔の妖
光に堕していました。
154
8 公判
こう
みいつ
たとえば二〇世紀前半の第二次世界大戦(別名・太平洋戦争で大東亜戦争)下で、大日本帝国の義、現人神天
皇は、神国の神民で皇国の皇民の日本民族のビカビカの御稜威、絶対の威光でありながら、どうじに資本餓鬼帝
みず
かばね
む
おおきみ
へ
国日本の民族エゴの不可侵で無比の畏光になり、「五族協和の王道楽土」建設(五族は日・満・蒙・華・鮮)か
ら「大東亜共栄圏」建設の旗印のもと、「〽海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ」
かばね
は
で、自国の臣民の献身の屍を食み、侵略先の他国の夷民の犠牲の屍を食んで、おそるべき鬼神の底光りを発し、
他国で皇軍による夷民虐殺を頻出させて、ついには相対的な魔の妖光から不義の虚光に堕しました。
その点、高堰の義──断罪──怒殺の決断はどうだったか? それは拠点と主軸が命源の自然の命律でした。
それゆえ、義はニンゲンをふくめていっさいの生きものの動・植・鉱物を互いに相依相関で生死をつらぬいて活
エセヒカリ
命につかせている自然の命律で、これは相対的な人意や人力では造りだすことも消しさることもできない絶対の
律そく光そのものですから、相対的なマガイモノのヒカリ、魔や不義の擬似非光には下落しようがないものでし
た。どうじに断罪と怒殺の決意は、中嶋のニンゲンサマのエゴが高堰の自然と一体の命と生きものの土地を傍若
無人に侵害して扼殺しにかかったことを、高堰が「赦せね」エゴの罪と断じ、罪の根を断つべくエゴのヌエに逆
撃の怒弾を射こまんとした決断で、これは高堰が無意識のうちにオノレのエゴではなく自然の命尊持の義から発
して固めたものだから、あくまでニンゲンサマのオノレの都合本位のエゴに根ざす独断や独善や公的な処刑や私
刑とは無縁でした。
事件は冷酷で悪質だったか?
判決は高堰がどんな動機=理由=原因があろうと、一に猟銃=熊射ち用の水平二連散弾銃をもって、二に山中
を執拗に追跡して、三に射殺で一瞬のうちに人命を奪いさった結果をもって、冷酷・非情で悪質・重大と裁断し
155
ました。
これはいまのニンゲンサマ中心の世の法と常識によって、事件の表面と結果だけ──人を獣なみに撃ち殺した
と強く印象づける表面と結果だけをとりだしてみれば、そのとおりでしょう。
が、ナニゴトも原因あっての結果で、事実の裏面あっての表面で、因果も表裏もそれぞれ一体で切り離せない
もので、この事件はことさらにその事理がピタリ当てはまって重要ないみをもち、人一人を猟銃で殺らざるをえ
なかった事実の裏面と原因に、いまの世の法と常識を根底から揺さぶって突き破り、はるかに超え出て、もうソ
レでは裁きようがないほどの重大事、どえらい内実を伏在させていました。
それは何?
事件は、高堰を愛称ではなく蔑称で「クマ」といって獣なみに下等視してナメた一土建会社の社長中嶋に、
「殺
らねば殺られる」瀬戸際に立たされる「赦せね」害=辱を受けた独りマタギの高堰が、ついに「堪忍袋の緒が切
れて」一気に生死をかけて害を断ちきり辱を拭いさる逆襲、玉砕覚悟で辱元の中嶋を殺り返して滅しきる逆撃に
打って出た「勝負」でした。
殺られるとは誰が誰に、何が何に? 獣の熊を山神=自然のただなかの山の生態系の申し子で賢くて最強で、
同じ自然の申し子である生来の人と対等とみる又鬼が、クマを盲目の本能のままに動く下等で粗暴で危険な獣
で、マタギをクマなみとみなす「万物の霊長」のニンゲンサマに(殺られる)──合自然で、いっさいの生きも
のの動・植・鉱物と命の糧を分かちあい、生と死の活かしあいをする反文明の自然人が、反自然で、いっさいの
動・植・鉱物をオノレのエゴの存立と利得と栄華のダシにして牛耳り、食いものにし、弄び、食いつぶす文明人
のニンゲンサマに(殺られる)──万物を互いに相依相関で不断に活生と活死で、生死をつらぬいて活命につか
156
8 公判
せて黙動しつづけている超文明の、命源の自然の生態系が、万物をオノレの利権から覇権の歯牙にかけてイケニ
エにし、オノレを誕生させて生存させてくれている母体の自然まで、オノレの権勢から威光誇示のエジキにして
食い荒らし、汚染して瀕死に追いこみ、オノレの虚栄の市を繁昌させている自然殺しの、狂った資本餓鬼文明、
逆立ちしきったゼニ狂い文明に(殺られる)。
勝負とは、又鬼が熊の集団猟の巻き狩りで「山神様からの授かりもの」としてクマを仕留めたとき、山神に深
あいて
謝の意中を告げて、仲間に仕とめたことを知らせるために「勝負! 勝負! 勝負!」と三度叫ぶ言葉のひとつ
でした。
そこで致命的に害されて死を強いられた高堰が対手の中嶋を一気に逆撃して倒す勝負とは、つぎのことをいみ
していました。
それは一に、下劣で迷妄で凶暴な獣なみとあなどられた又鬼が、尊大にも霊長ヅラしてオノレこそが傲岸で闇
雲で凶悪である本性を丸出しにしたニンゲンサマと対決し、不当なさげすみを排して、マタギの怒りをおもいし
らせる闘いでした。
よきかな
獣そのものは劣で妄で凶であるどころか、自然の申し子として自然の生態系のままに正直に生きて、弱肉強食
であるかにみえて食物連鎖にストレートにしたがって生死の活かしあいをし、なにごとにも潔白で、賢明で善哉
で、襲われたら瞬時に身を護って逆襲するみごとな生きものでした。
ざか
それは二に、致死的に踏みにじられた自然人が、同類のいっさいの生きものを同じようにほしいままにオノレ
のエゴ栄えのエサで肥やしでモテアソビモノにして食いつぶしつづけているエゴ狂いの文明人の凶暴な反自然の
無法、エゴ餓鬼のニンゲンサマの極悪な生きもの潰しの罪業にたいして、これを徹底して断罪して叩きつぶす反
157
文明で滅文明の死闘でした。
これは文明人のおそるべき無法と罪業の根を断つ闘いで、元締めのニンゲンサマを一対一の差しで殺りきる闘
いですから、決死で自爆覚悟の闘いでした。
それは三に、瀕死に追いこまれた万物と命源の自然が、追いこんでいるゼニ餓鬼文明で資本狂い文明の、万物
の命殺しの凶悪罪と命源殺しの極悪罪にたいして、これを胴元の文明もろとも自然の命律のままに悪因悪果の法
罰、断罪の業火をもって徹底して焼きはらい、みずからを命律のままに善因善果の法徳、讃命の光によって起死
そく回生させ、生来の生死活かしあいの原境を新たに切り開いて、脱文明でみずからをとりもどし、超文明でみ
ずからを解き放って生き返らせる世紀の決戦でした。
これはついにゼニ狂いで資本餓鬼の文明にまで下落したニンゲンサマのオノレ本位のエゴ狂い文明史を一挙に
根こそぎ、ほんらいの命源の自然中心で、万物の生死にわたる活命一途の自然史に一転し、一変し、一新する史
上に未曾有の決戦でした。
ここで万物と自然が文明を焼きつくすとは、自然の雷火が人の逆怒炎となって文明に火を放つことで、さらに
いえば自然界の逆流の「ポロロッカ」(大河アマゾンで逆流する河水が河辺の何もかもを根こそぎ流しさる)が
人界の逆怒流となって文明を呑みくだすことでした。
事件は、いじょうで明らかなように奥深いところで重大でドえらいことを秘在させていました。自然人が文明
人のニンゲンサマの反自然の無法と罪業を徹底して弾劾し、張本人の文明人を打ちのめす反文明の闘いと、さら
に自然がゼニ餓鬼で資本狂いの文明とヌエのオノレ中心のエゴ餓鬼の文明人のニンゲンサマを、鉄槌の業火で葬
送し、地上を生来の万物活命の原境に回生させる徹底して脱文明で超文明で地上再生の戦いを。
158
8 公判
それゆえ事件は、いまのニンゲンサマ本位の文明の世の法そのものを底からゆさぶり、突き破り、はるかに超
あやま
え出て、葬りさらんとするもので、当の法のワクからまったくはずれていて、当の法では裁けず、裁くこと自体
がおこがましく、とんでもない思いあがりの過ち、命源の自然つぶしの上塗り罪を犯すことになるタチのもので
した。
そして事件は裏面と原因の核質において、いまの世のゼニ狂いで資本餓鬼の文明とヌエのエゴ狂いの文明人の
自然の生態系殺しの凶悪な罪科を断罪して地上から追放しようとするものでしたから、文明の世の法が断じたよ
うに「冷酷で悪質」であるどころか、心ある人をゆさぶって共感させる義挙そのものでした。
事件はただ表面と結果の誤殺だけが、悔やみてあまりあり、痛みをもって思いやるべき罪過でした。
あんばい こう
当日(控訴審判決の一九八三年五月一〇日)、高堰の長男正志と衆座の坂野と山県、それに新顔の安倍甲が秋
田刑務所で高堰に面会しました。
安倍は地元秋田の無明舎出版の代表で、みずからノン・フィクションを書き、高堰喜代志が登場する『最後の
狩人たち──阿仁マタギと羽後鷹匠』(長田雅彦)を出していました。
高堰はいいました。
上告について=「上告する」と。
曇った裁判とウソについて=「(林道用地買収関連で)俺はハンついてねのに町がついてるというがら、関係
書類をみな(調書も)見せてほしいといってきたども、弁護士も法廷の裁判官も見せてくれねがった」──「曇っ
た裁判は納得できね。明朗でね。関係書類をみれば、誰がウソついてるかハッキリする」──「ひとを騙したこ
159
とは赦されね。(町でも部落でも中嶋でも)相手がウソついてることハッキリすれば、それでいい」と。
弁護士について=「(上告は)お世話になった弁護士の先生は悪くいいたくねども、いまの、国選の弁護士だ
ばダメだ」──「私選の弁護士の先生、東京で頼みたい」と。
上告に反対の正志が父親喜代志にいいました、「そんたら勝手なこといって。自分がやったこと反省しねよう
では、世の中に通用しね」と。
カヤ
同日、高堰正志と坂野と山県と安倍が秋田市内の一レストランで、高堰喜代志の上告をはじめ今後に残された
問題について率直に話しあいました。
要点はつぎのとおりです。
(上告)
山県「控訴審判決でも肝心な事件の原因、部落と町と中嶋のワルぶりは蚊帳の外におかれて、親爺さんのワル
さだけが裁かれた。親爺さんはその不公平が納得できないから、上告する」
坂野「喜代志さんはダマされたことがゆるせない。相手が事件前にダマして、ひどい仕打ちをして、事件後に
ウソをついて、またダマしていることがゆるせない。相手にやられっ放しでは我慢ならない又鬼の意地を貫かせ
てやらなければ」
山県「一歩退いて、正志さん、親爺さんの最後の我儘、ゆるさないか」
正志「呑む」
安倍「いまの法に幻想をもたないほうがいいのではないか。上告は多分、却下される」
160
8 公判
坂野「幻想? 町や中嶋が裁かれることを期待すること? 喜代志さんは上(最上級の裁判所の最高裁)に行
けば言い分がわかってもらえるかもしれないとはいっているけれども、上告は相手の言動の是非(理非)をハッ
キリさせる筋を通すことが主眼。だから、喜代志さんも誰も、いまの法やこれからの裁判にさして期待はしてい
ない」
山県「ムダを承知で上告する」
(民事訴訟)
きんの
正志「汚ないと思われるかもしれないけれども、町にたいする代替地問題での民事訴訟は、なんのメリットも
ないし、私と家族(仕事と今後)に悪影響があるので、やりたくない」
山県「民事訴訟については上告もふくめて、米谷さん(阿仁町議)から紹介を得ている地元秋田の弁護士金野
繁さん(共産党系)に一度相談してみるつもり。その助言を参考にしてみたら」
正志「代替地問題は町と示談で解決したい」
(余談1)
高堰正志は話しあいのなかで、みずからの生き方を開陳していいました。「私は親父とちがって近代的な生き
ひと
方をしてきたけれども、法は誰にも公平で社会は調和が基本だと思っている。いまの裁判で親父にきつい態度を
とるのは、私が肉親にも他人にも自分にも現実的で厳しいから」と。
(余談2)
安倍は話しあいのあとで、山県が「地元でマタギ高堰喜代志を支援する動きがまるでなしで、援護する声がまっ
たく挙がらないのはおかしいし、情けない」というのに応えて、みずからの胸中を吐露していいました。
「事件
161
を高堰さんの内面を加味して書きたい。目的は事件も又鬼高堰も素材=手段にして、自然を追いつめる文明の実
態を明らかにしたい」と。
安倍はのちに(およそ一年半後の八四年一一月二〇日)無明舎出版から自著『ひとりぽっちの戦争──阿仁マ
タギ殺人事件の銃座から』を世に出しました。が、これは惜しむらくは、どうも事件のもっとも奥底をかいくぐっ
ていないようです。
同夜、安倍宅に一泊させてもらった坂野と山県は翌日の八三年五月一日、秋田市内の第一合同法律事務所に金
野弁護士を訪ね、高堰喜代志の件で相談しました。
そのあと二人は秋田刑務所で高堰と面会し、上告をはじめ緊要事について打ち合わせをしました。
それぞれの中身は山県が高堰正志あてに出した数日後のつぎの手紙と補記にあきらかです。
前略 控訴審判決の日(五月一〇日)はお疲れさまでした、お互いに。当夕、四人(正志・坂野・山県・安倍)
で話しあったことについて翌一一日、早速、金野弁護士に相談して助言を得た結果を伝えます。
1上告についての弁護士の助言
①事件の判決が結果次第で原因が度外視される限界をもった現行法の範囲では、問題の事件は上告の理由と認
められるものが見当たらないから、たとえどんな弁護士が代理人で上告しても、まず却下されるだろう。
②だから、いまの段階では私選で弁護をひき受けるものは、まずいないのではないか。
③わずかに上告の理由として、事実誤認をとりあげる手があるが、判決の経緯を調べたうえでないと、それが
162
8 公判
認められるかどうかはなんともいえない。
あざむ
ひど
④それでも上告を申し立てるなら、国選の弁護士によって手続きがとられることになるはず。
それなら、本人が欺かれて酷い目に遭った無念を晴らす途はもはやいっさい無いかとの私らの問いに、弁護士
は法定内では唯一、民事訴訟に無念を晴らす可能性が残されているとのこと。
2民事訴訟についての弁護士の助言
①誰がやるにしろ、まず示談で町と未解決の代替地問題を当然の要求として解決しておいたうえで、町に私道
無断使用等の損害賠償請求はいっさいせずに、町と部落の長年の人権無視と土建業者の暴行等にたいして、もっ
ぱら慰謝料をあえて一万円程度の低額で請求する民事訴訟を起こし、そのなかで町のダマシや部落の村八分や土
建業者の横暴を暴いて明白にし、勝訴にもちこんで、無念を少しでも晴らす。
②金野弁護士はこの示談と民事訴訟を頼まれれば、実情とこれまでの経緯のあらましを調べたうえで、ひき受
けるかどうかを決める。
③このような民事訴訟をおこしたからといって、国から遺族への労災補償の損害賠償請求はないから、その点
は安心していい。というのは、遺族にはすでに本人の肉親から示談で決まった損害賠償金が全額支払われている
いじょう、国は本人から賠償金の二重取りはできないから。結果、本人の土地はそのまま残る。
④以上のような民事訴訟の弁護料は総額でおよそ二〇万円。
⑤法定外では、本人の声をふくめて、公平にみえる現行裁判の結果のみを重視して原因を軽視する不合理=限
界や事件の真相を糾明する言文での闘いが、本人の無念を晴らすのにきわめて有効で意義があるのではないか。
いじょう、一一日の金野弁護士の助言と一〇日の四人の談合それぞれのポイントを、一一日夕方、喜代志さん
163
に直接伝えて話しあった結果、喜代志さんが吐露した意向はこうです。
⑴上告は「却下を承知のうえ」でやってみる。「私選の弁護士」は諦めて、「国選の弁護士」を待つ。
おとな
⑵「できるかぎりのことはやる」ことを前提にして、民事訴訟ができるなら、「あんたらがいいと思う私選の
弁護士でやってほしい」。
⑶法定内とは別に法定外で、事件の真相とマタギの主張をハッキリさせる言文での闘いは、「温和しいやり方
だども、あんたらと一緒にやる」。
私らは喜代志さんが落涙しながら表白した以上の意中に同意して、できるかぎりのことをやらねばと思ってい
ます。
なお看守(伊藤章)さんの助言で、喜代志さんが刑期(八年)を無事三分の一(およそ二年八ヵ月)務めれば、
仮釈放の規定があることが判明しました。喜代志さんは「あと二・三年だば我慢できるども、六年も七年もだば、
やっていけね」と洩らしていました。
いじょう、金野弁護士の助言と喜代志さんの意向について、正志さんの考えを知らせてください。
ひとをダマし、ひどい仕打ちをしてのうのうとしている相手がゆるせない喜代志さんの又鬼の意地と筋は、一
見公平にみえて実は不合理きわまるいまの法のなかで、あえて無駄を承知してできるかぎり貫かせなければウソ
でしょう。
(略)
補記=高堰喜代志と坂野・山県の面談のあらましは──。
164
8 公判
①上告
げ
はじめに高堰は、いまの法に限界(事件の結果を重んじて原因を軽んじる)があって、上告が却下されそうで、
弁護も私選では誰もやりそうにないことを、なかなか解せないでいて、「そんだば──私選で誰も弁護やってく
れそうもねぇんだば、上告しなくてもいい」とふいに涙を流していった。
が、山県が「却下を承知のうえで上告をやる手がある。申立書で相手のワルさを糺してハッキリさせる筋をと
おす手」というのに、気をとりなおした高堰が「上告する。国選の弁護士で」といいなおした。
②民事訴訟
高堰は頼みの長男正志が民事訴訟を拒んでいるのに気を落としていたが、坂野が励まして「民事訴訟で勝つ手
が残されている」というのに、
「できるんだば、やってほしい。あんたらが推す私選の弁護士さんで」と応じた。
③言闘
高堰は法定外の言文での闘いについて、「おとなしいヤリ方だども、手紙ば山県さんあてに出して、あんたら
と一緒にやる」といい、
「これまで正志と弁護士さんいがい誰にも手紙出さなかったのは、迷惑かけるといけねぇ
と思ったから」とつけ加えた。
④余談
高堰は「この判決(控訴審)のまま刑(八年)についたら、あんたらにもう会えねぐなる」といい、上告でひ
と踏ん張りするけれども、刑が確定したあと、三分の一つとめて、仮釈放で「早く出られたら、あんたらに熊の
肉食わせてぇ」とつけ加えた。
165
ちな
因みに金野弁護士の助言のひとつ──高堰はすでに遺族に賠償金を支払い済みで、国は高堰から賠償金を二重
には取れないから、高堰が国から遺族への労災補償の賠償を求められることはないという指摘について、これま
で荘司弁護士は一度も一言も言及したことがありませんでした。
⑶上告審
ここに高堰喜代志が秋田刑務所から一九八三年(昭和五八年)六月一六日づけで山県あてに出した手紙の一通、
最初の一通があります。
色々と御世話様に相成り厚く厚く御礼申し上げます。就きましては本日六月十六日、ようやく(上告の国選弁
護士の)通知が入りましたので御知らせ致します。今後は何ほど御世話に成るか御願い申し上げます。
弁護士は、東京都港区新橋二―一二―八藤田ビル六階六〇二号、電話〇三―五〇三―五四〇五、滝谷滉先生で
あります。
其れから上告趣意書は同文のもの三通出す事とありますので、御貴殿様から御願いして下さい。
事件番号あ第七六五号、係属法廷名最高裁判所第一小法廷。
此の様な訳でありますので、何から何まで御世話様に成らなければならないので、御貴殿様御取り次いで頂く
様御願い申し上げます。
次に(事件関連の)証拠書類は検察方に皆持って行かれて居りますので、弁護士を通して裁判所に御願いする
166
8 公判
と見る事が出来るとの言でありますから、
弁護士先生に御願いして頂く様御願い申し上げます。
当所
(大館と秋田)
では五回も六回も弁護士を通しても見せて頂けないので上訴したのでありますから、先生に御願いして下さい。
これは東京の最高裁判所でおこなう上告審のために決まった国選の弁護人の知らせでした。
ざら
高堰は上告で、事件の原因の一半をなす土建業者中嶋礼治と阿仁町当局と栩木沢部落のウソ=だまし=責め=
非を洗い浚い明白にすることに懸けて、ひきつづき山県あてに六月一九日づけでつぎの手紙を出しました。
色々と御世話に成りますが、何分にも宜しく御願い申し上げます。
就きましては小生、此の度の上訴につきまして一寸(問題点)申し上げます。
一(証拠書類)
証拠書類見せて頂けないで判決下された事。書類には事件に関係の有るものが幾つも有りますが、警察方は御
前の家から覚書などは何も持って来て居らない、役場方で調べて証拠にして居るのだとウソ言って居る事。
二(中嶋礼治の約束)
中嶋礼治は(工事のとき)私の家に来て、道路歩かせてくれと言い(略)、御前の土地(林道上)は(雪)スコッ
プで上げてブルドゥザーは絶対使わないからとの言でありましたので、熊の肉食べさせたら、生まれて初めて食
べた、是れ飲んでくれと言って(略)酒二升くれたのであります。(略)其れを(中嶋は)酒二升で(高堰が小
型ブルの使用を)許可したとウソ言って居るのであります。
(略)私はブルの使用など何も申して居りません。警察方のウソであります(調書で高堰が小型ブルを使って
167
いいと言ったことになっているのは)。町のブルも私の土地では雪を押さない約束して居るのであります。
三(一二月三〇日の事)
三十日、朝食してからウサギ取りに行こうと思って外に出て見ると、雪捨てに歩く道も道路から二メートル以
上離れたところに植えて有る梅の木も、ブルドゥザーで押した雪で押されて居り、二十五日と二十六日も同じ様
に押した雪を俺に捨てさせて居りますから、雪はここではなく別のとこに持って行けと中嶋のとこの作業員に
言って、私は雪を道路に撥ねていたのであります。
そこに中嶋が来て、この野郎、殺してやると言って私を追って来たので、私は家に上がって話すべしと言って
家の中に入り、玄関口に立てかけておいた鉄砲こわされては困ると思って右手に持つと、中嶋がうしろから俺の
首筋引っぱったのです。そのとたん、なんとしたはずみか中嶋が先にころんで、私が鉄砲離せと言って揉み合っ
て居ると、若者(佐藤英明)が来て、離せと言うので、私が中嶋から離れたら、又中島が家の中に入って来て私
から鉄砲奪って行き、カメラで写したのであります。
私が鉄砲取り戻しに行くと、中島が若者と二人で私をころがし、私が首締められて、もう息が止まりそうになっ
フン
た時、作業員の母さん方が何人も口をそろえて、殺してしまうから、離せと再三言ったら、中嶋がようやく私を
離したのであります。私、立ってみると尻のサル股に糞が大分出て居ったのです。あの時、母さん方居らなけれ
ば殺されて有ったと思って居ります。
そうして中嶋は又、私の家の敷地にブルで雪を押し、U字溝もドラム缶も押し、U字溝の上でブルを何回とな
く押したので、U字溝は一本残らず使い物にならなくなったのであります。
(略)
168
8 公判
四(偽造書類)
大館(拘置所)に私、居った時、検察庁(秋田地方検察庁大館支部)で、此の覚書が御前の家から出て来たと言っ
て、ニセ印押した書類出して見せて下さいましたが、私の印でもなければ私の書いた字でもないのであります。
(略)
五(町当局の抜き打ち工事)
私、(昭和四六年=一九七一年四月に狩りで)熊におそわれて米内沢の病院に二ヶ月半位入院し(略)、(一年
後に)盛岡の大学病院に行く(大ケガした顔面の整形手術のため入院する)ことになり、二ヶ月も三ヶ月も家に
帰らない時は道路(林道)着工しても仕方ないからと町当局に言って、(七月初旬に)盛岡に行ったら病院で秋
に顔面の肉がかたまってから来いと言われましたので、三日目に家に帰ってみると、道路用地の山林の立木は全
部切られて、町当局は(高堰を出し抜いて七月中旬に)道路工事に着工して居ったのであります。 その時、町当局はまだ私に提供地の補償契約書を示さないで、何日もたってから(一ヶ月半後の八月下旬に)
突然、提供地の売買契約書を送り付けて来ましたが、私は其れを印押さないでずっと家にしまって居ったのです。
私、大館に居った時、(拘置所の管理職の)先生方に(町当局が高堰と提供地の補償契約書を取り交わさないで、
林道の工事に着手し、私有地に林道を通して、私有地を林道として使っていることの是非を)聞いてみましたら、
違法であると教えて下さいました。
六(町長と町の責任)
阿仁町長沢井作蔵が(昭和四七年八月下旬に)、御前にばかり(提供地の補償の代替地として)町有地やられ
ないとか、町有地は無いとか言ってるのも、其の覚書(公文書の手紙)を家に大切にしまって居ったのです。其
169
れも警察方に持って行かれて居るのです。
町有地がないなら、町長はなぜ(昭和五一年=七六年三月に提供地の金銭補償とは別に)、栩木沢部落の全戸
に高堰喜代志だけを除き町有地(二町七反歩)を特売する事が出来たか。是れも書類に出て居るのであります。
そこで私考えるに、町は栩木沢部落に特売する土地が有って、どうして私に(補償で)くれる土地はないのか。
其のため私の提供地の強制収用も通らないと思うのであります。町は勝手に人の土地つぶして道路(林道)通し、
代替地を十年以上も決めないで勝手に道路の付帯工事させて居りますので、是れは町の責任である事、私強く訴
える者であります。こうした事も書類見れば御判りになるのであります。
郷中(戸鳥内・栩木沢・野尻・小倉の四部落)の前会長鈴木勝憲さんも(昭和五七年=八二年一二月の)秋田
(の控訴審)で証人に立って下さいました。(略)町当局に責任有るか(略)、十年も決めない者に責任は十分有
ると言われたのであります。
(略)
七(悪いのは喜代志)
警察方では中嶋は悪くない、悪いのはみな喜代志だと言って調書に出して居る様でありますが、中嶋が俺の家
の中に二回も侵入して俺から鉄砲取り上げて外でカメラに写したり、私有地に勝手にブルで雪を押しこんだり、
又ブルの除雪で梅の木埋めてU字溝こわしたりして居ながら、なぜ俺が悪いのか。
(略)
八(ボウリングの人方の事)
ボウリングの人方(東洋基礎開発の大友美佐男・阿部哲男ほか)は(昭和五六年=八一年)一月四日と五日、
170
8 公判
私、ウサギ取りに行く時、二度にわたり話して居ります。林道はまだ私有地だから、御前さん方は私有地のとこ
ろではブルで雪など押すなと言ったら、絶対押さない、雪が降れば歩いて行く、心配しないでくれと言って居た
のであります。
それが一月六日、ボウリングの人方の一人(大友)が(中嶋のあとに)中嶋のブルに乗り、ブルを路面に対し
て横向きにして雪を全部、俺の畑に押したのです。(略)
ボウリングの人方は何も此の事件になど巻き込まれなくともよいものを、此の様になったのであります。最後
まで中嶋に利用され、私を殺してやると言ってる者と行動を共にした事は、刑事はそんなこと言うものでないと
言って私を口止めして居るのですが、私から見ると責任は十分有る事だと思う者であります。(略)
ボウリングの人方の一人は中嶋のブルで下(部落のほう)にさがりましたが、その後三人(中嶋・佐藤・阿部)
で相談して中嶋が一番先に俺の家の玄関口の板の陰にかくれ、(略)私も三人に俺一人だため思い切った考えに
成ったのであります。前にも中嶋が三回も殺してやると言って、私ひどい目に会って居りますので、思い切った
のです。
(略)
九(部落のウソ)
此の度、俺が逮捕されてから、部落は相談してウソ言って居るのであります。(略)部落は林道通す相談(昭
和四六年=七一年九月、林道の開設と用地提供の補償が慣例の代替地ではなく金銭であることについての町役場
の説明会と部落の承諾集会)については、俺に一言も知らせないで、しかも其の林道通す相談(集まり)に、俺
が行った(出席した)事にして(ウソついて)、其れが調書にも出て居るのであります。
171
栩木沢部落の人方はなんぼウソ言っても、私が警察方に持って行かれて居る覚書(昭和四九年=七四年一〇月
に町が高堰に示した、金銭ではなく代替地を特売の形で渡すムネの覚え書き)を見せて頂ければ答えが出るので
あります。
十(事件と土地問題)
私、なんとして考えて見ても此の事件は土地問題と切っても切り離す事の出来ない事件であります。
(略)
町当局が一番悪いと思って居ります。中嶋の様な情も何も判らない者に付帯工事させて、中嶋が俺を殺してや
ると言って殺しかけても何も咎められることもなければ、又町がどんな事して道路(林道)通しても何も責めら
れる事もなきものなら、法も何も無いと同じだと思って居ります。昔も今も補償の契約書も交わさないで道路通
してもよい法は、日本中どこにもないと思います。
(略)
十七(土地問題の責任)
町当局はなぜこんな事(代替地問題)を決めないで居ったか。此の責任は町に有る事であります。
(略)
私からも先生(滝谷滉弁護士)に御願い致しますが、なんとか国選より私選にして頂く様御願い申し上げます。
(略)
八三年六月二四日と二五日、山県は早速、都内港区新橋に上告審の弁護人滝谷を訪ね、詳細に打ち合わせをし
172
8 公判
ました。
あらましは──。
①上告趣意書
期限──趣意書の提出期限は七月二〇日で、趣意書はそれまでに提出する。
接見──「高堰の上告の本意を、一度会って確かめてほしい」「会うことは時間的にムリなので、手紙で確か
めたい」
指摘事項──「高堰の手紙での指摘事項一八項目(一部重複)を、趣意書に全面的に取り入れてほしい」「そ
うする」
②国選を私選に
「弁護を国選ではなく、ぜひ私選で」「上告審は法律審で、第二審(控訴審)の判決に憲法違反や判例違反や
事実誤認がないかどうかを審判(審理し判断)するだけで、被告人の召喚も証人尋問もないので、弁護を私選で
やる必要はなく、それはまったく無用でムダであり、弁護は国選で十分だから、国選で」
③証拠書類
「事件の証拠書類を調書をふくめて、高堰に見せてやってほしい」「何が見たいか確かめて、コピーを送る」
④上告理由
法規定──上告ができる理由は、二審の判決が憲法に違反するか、最高裁の判例に相反するか、高裁の判例に
反するか、事件が法令の解釈に重要な事項をふくむか、の四通りにかぎられる。
申し立て──「理由を一変させて、事件の正当防衛による無罪(誤殺は別)の主張で通せないか」「事件は現
173
行法では無罪にならないから、それはムリ。申し立ての理由は、事実誤認をふくめて量刑不当の主張でいくしか
ない。最高裁の裁定のひとつに、量刑不当と事実誤認による原判決の破棄があるから」──「申し立てのなかに、
町当局が高堰の私有地を未補償のまま林道にして無断で使用している違法と、土建業者の中嶋に追いつめられた
高堰の強迫観念と、事件当日の除雪四人組(中嶋・佐藤・大友・阿部)の破約の除雪の責任を明示してほしい」
「そうする」
⑤最高裁の裁定
上告審の裁定──上告の棄却(却下)か、原判決の破棄(差し戻し指令)か、訂正の判決(量刑判決)のいず
れか──原判決の破棄のなかに、甚だしい量刑不当と重大な事実誤認がある。
裁定の期間──一ヵ月から三ヵ月。
⑥余談
そち
刑確定後──「肉親いがいでも高堰と面会、手紙のやりとりができるか」「高堰が前もって申請して許可をとっ
ておけば、できる」
出所後──「高堰は銃をもって狩猟ができるか」「それは地元警察の行政措置しだい」
同年六月三〇日、弁護人滝谷は山県を同伴して、都内千代田区隼町(三宅坂)の最高裁(コンクリートを打ちっ
放しでトーチカめいた奇っ怪で醜い建物)で、事件とこれまでの裁判の記録調べをしました。
翌七月一日、
山県は弁護人の事務所で滝谷に、
チェックした控訴審判決文の問題点と、
上告理由の私見を伝えた。
174
8 公判
(判決文の問題点)
⑴中嶋らの危害
ズリ
判決文の「本件の直前、被告人は中嶋らから危害を加えられるとか、加えられそうになるとかしたことは全く
なかったのに」とは、事実誤認だった。
高堰は事件当日、まず中嶋らにそれまででもっともひどいブルでの除雪、砕石混じりの雪を押しこむ除雪で田
畑を侵害されて、危害を加えられ、さらに中嶋らが家の玄関口に隠れ潜んで急に襲ってくる脅威にさらされて、
まちがいなく中嶋らに危害を加えられそうになった。
⑵部落の不当な制裁
判決文の「昭和四四・五年ころ部落内の土地分配をめぐるトラブルについて、被告人が部落の人達から不当な
と
扱いを受けたことについては、(略)本件とは関連の薄いことがらで」とは、事実隠蔽だった。
これは栩木沢部落の有力者が高堰を、不正に土地を過分に盗ったとデマをとばして非難し、高堰にたいする村
八分を確定づけた悪辣な仕業だった。が、高堰にたいする部落の闇雲で不当きわまる制裁だった村八分は、高堰
を生きながらに殺して部落から葬る抹殺だった。そして事件は中嶋が高堰の首を絞め、扼殺しかけて、高堰にた
や
いする部落の村八分による抹殺と町の代替地問題の無視による黙殺を如実に露骨に体現していたからこそ、高堰
が殺らねば殺られると決断して、決行したことだった。それゆえ部落の高堰にたいする不当な扱いは、事件と関
連が薄いどころか根深い因果関係をもっていた。
⑶町当局の違法
判決文の「栩木沢林道をめぐる(用地)買収方式の説明、工事の着手(抜き打ち)や代替地(未解決)につい
175
ての町当局の対処の仕方に適切でないところのあったことは窺われるが」とは、免罪の言だった。
阿仁町が高堰と補償の契約を結ばずに林道開設工事に着手し、高堰の私有地をつぶして林道を完成し、補償の
代替地問題を未解決のまま放置して林道中の高堰の私有地を無断で使用していることはことごとく、明らかに違
法だった。
⑷独善でも短絡でもない
判決文の「中嶋の側に挑発的言動のあったこと(略)を、ただちに中嶋殺害の決意に結びつけた被告人の心情
はあまりにも独善的・短絡的であって」とは、事実誤認だった。
高堰は中嶋に何度か、ぶっ殺してやるといわれて襲われ、一度は首を締められて脱糞し、殺されかけて致命的
な屈辱を受け、致死の脅威にさらされて殺られる強迫観念をもつにいたり、事件当日ついに屈辱と脅威が極限に
達して、もはや忍耐しきれなくなったからこそ、無法者の中嶋は度しがたいと、中嶋を逆襲して倒す決断をした。
それは、そうせざるをえない情理の必然につらぬかれていて、不可避なことで、手前勝手な独善や早トチリの短
絡とは無縁だった。
(上告理由の私見)
⑴憲法違反
阿仁町の違法行為──町が高堰と補償契約を交わさずに高堰の私有地を林道にしてつぶし、補償の代替地を未
決定のまま林道中の高堰の私有地を無断で使用している違法行為は、高堰の土地所有権(財産権)を侵害する憲
法違反に当たる。
⑵最高裁判例違反
176
8 公判
原審と控訴審の判決がともに、事件の結果である高堰の誤殺のみを重視して、事件の原因=動機である部落の
村八分による高堰抹殺と町の代替地問題無視による高堰黙殺と中嶋の暴挙による高堰扼殺をまったく軽視してい
ることは、最高裁判例違反の動機不当軽視にあたる。
八三年七月二日、山県は秋田刑務所の高堰あてにつぎの返信を出しました。
前略 早速ですが、滝谷弁護人は六月三〇日から最高裁で、上告趣意書作成のために、いよいよ資料調べに入
りました。
弁護人は上告申請期限の七月二〇日までに、時間的余裕がないために喜代志さんに会いにいけそうもない由。
それで昨七月一日、弁護人には改めてつぎのことを依頼して合意しあいました。
⑴上告趣意書には、まず喜代志さんの先日の手紙(六月一九日づけ)での指摘事項(一八項目)をできるかぎ
り組み入れること。なかでも一つの柱として、事件の原因である土地問題で町当局が犯している明白な「違法」
の非をハッキリ示すこと。それに、弁護人が判決文をふくめて全資料を調べたうえで、これはと思うことを私ら
が控訴審の判決文で疑義をもつ「事実誤認」をふくめて盛りこむこと。
なお趣意書は、できあがる前に草案を滝谷弁護人と私らで検討する機会を設けてもらいましたから、喜代志さ
んが先日の手紙の内容のほかに、さらに指摘したいことがあれば至急知らせてください。
⑵喜代志さんが以前から見たいといってきた「証拠書類」、土地に関する覚書関係の書類は、近々に弁護人の
ほうから喜代志さんあてにコピーしたものを郵送してもらうこと。
177
届いたとき、念のため確かめなおしてください。
喜代志さん、七月二〇日以降の一ヵ月から三ヵ月の間に出る最高裁の裁定については楽観できませんが、お互
いにやれるところまで精一杯やりましょう。
これから暑くなる季節です。体には十二分に気をつけてください。坂野も宜しくといってます。
なお、また便りしますが、喜代志さんが見たいと思うような本などがあれば、知らせてください。 草々不備
同年七月一三日、弁護人滝谷はみずからの事務所で山県と、上告趣意のポイントを絞りこみました。
⑴上告の理由
憲法違反(町の高堰の土地所有権の侵害)で行くことも、最高裁判例違反(事件の原因で動機である部落と町
と中嶋の高堰抹殺の不当軽視)で押すこともムリがあり、事実誤認をふくめて量刑不当で行き、そのなかで町と
部落と中嶋の責任を明らかにする。
⑵上告のポイント
高堰の土地をめぐる町の違法──高堰の追いつめられた心理状態(殺られる強迫観念)──高堰を追いつめた
町と部落と中嶋と除雪四人組(事件当日)の責任──被害者遺族の被害感情の緩和──高堰の情状(誤殺の悔悟・
高齢・体調不良・老妻・自然人)の五点。
翌七月一四日、山県は秋田刑務所の高堰あてに返信を出しました。
178
8 公判
前略 二度目の手紙、七月九日に受けとりました。早速コピーを滝谷弁護人に渡して一三日、喜代志さんの最
もと
初の指摘一八項目(二度目のものはほとんど最初のものと重複)を基にして上告趣意の大筋とポイントを、弁護
人とじっくり話しあい、煮詰めました。
結果のあらましはつぎのとおりです。
⑴上告の理由は、事実誤認をふくめて量刑不当で押し、そのなかで町と部落と中嶋と除雪四人組(事件当日)
の責めと非を糾明する。
⑵上告のポイントはつぎの五点で、①事件の原因である町当局の喜代志さんの土地をめぐる違法、②事件を起
こさざるをえなかった喜代志さんの追いつめられた極限的な心理状況と強迫観念、③追いつめた側の町・部落・
中嶋・除雪四人組の責任、④亡き阿部さん遺族の被害感情の緩和、⑤喜代志さんの情状として誤殺の反省・高齢・
身心の摩耗・老妻・自然人。
弁護人はこれらを骨子にし、さらに専門的にこまかい見解を加え、裏づけ書類をつけて上告趣意書を作ること
になりました。
趣意書の文面は、滝谷弁護人が「任せてほしい」とのことで、草案をあらためて検討する余裕が日時的になく
なってきたので、委任しましょう。提出は七月二〇日の期限ギリギリになりそうですが、趣意書はできあがりし
だい、喜代志さんのもとにコピーを送ってもらうことになっています。
なお喜代志さんが見たいと要望していた証拠書類で、弁護人と私らが上告審でいちばん肝腎とみた書類──喜
代志さんがハンを押していない町との土地特売契約書のコピーを、弁護人から二〇日以前に喜代志さんのもとに
送ってもらいます、
179
それに喜代志さんが二度目の手紙で大変気にかけている加賀谷重郎の大ウソの証言(調書)、「喜代志は前(昭
和一三年=一九三八年)に父親を銃で殺した」というタチが悪い作り話でイヤガラセの流言(実際は心臓病で急
死)は、弁護人と話しあった結果、こんどの事件にも上告審にもまったくなんの影響も及ぼしていないことがハッ
キリしたので、喜代志さん、もう気にしないでください。
どうか体には十二分に気をつけて。また便りします。
二伸 身心の具合で、その後おかしいところがあれば至急知らせてください。
このあとも最高裁の裁定が出るまでの間、高堰と山県のあいだで手紙のやりとりが頻繁になされますが、肝心
な高堰の手紙は「何回も同じ事書きますが」とみずからいうように、指摘する事実と要望する事項の中身が重複
するものが多いので割愛せざるをえず、高堰の手紙も山県の手紙も文脈上欠かせないもので、あまり重複のない
ものを見ていけば──。
七月二五日、山県は秋田刑務所の高堰あてにつぎの返信を出しました。
前略 七月一八日と二一日づけの手紙、すでに受けとっています。要旨は弁護人に連絡ずみです。
七月二〇日、最高裁第一小法廷に上告趣意書が提出されました。そのコピーが同日づけで滝谷弁護人から喜代
志さんのもとに送られているはずですが、届いていますか。
あとは、一ヵ月~三ヵ月の間に最高裁がくだす裁定を待つことになります。どういう結果を出すか、楽観せず
180
8 公判
に見守りましょう。
喜代志さん、いよいよ暑くなってきました、体には呉々も気をつけてください。
また便りします。 不備
上告趣意書の眼目は、町と部落と中嶋と除雪四人組(事件当日)の責めと非を明白にすることにありました。
そこで弁護人滝谷滉が作成した上告趣意書は、あらましがつぎのようになっていました。
記=「第二審判決は、被告人の本件所為に対し懲役八年の刑を言い渡したが、右は刑の量定が甚だしく不当で
あり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認むべき事由がある」
第一=総論
一=被告人の人物・生活歴・生活内容等について
自給自足──「被告人は秋田県の山深い村落に住み、永年老妻と共に約五反歩の田畑を耕作しつゝ、所有する
山林・原野約三十町歩を基盤に狩猟や山菜の採取等により自給自足の生活を営んでいたものである」
山野は生命──「被告人にとってこれらの山野(田畑・山林・原野)は唯一無二の財産であり、生活の基盤と
糧であり、活動の場であり、生命でさえもあった。被告人はかかる自然の中において素朴に生一本に生きて来た
実直な人物であることは疑いないところである」
第二=栩木沢林道の開設工事と阿仁町並びに中嶋礼治らの責任について
(略)
二=土地が潰れる
181
「右林道は私人が所有する田畑・原野・山林の中に幅員四米の道路を延長二六七七米にわたって開設し、もっ
て山林の振興をはかるという計画であるが、被告人にしてみればもと〳〵自己所有の原野・山林の自然が破壊さ
れることは内心好ましく思ってはいなかったであろうし、ましてや所有土地の至るところに幅員四米の道路が切
り開かれ、結局宅地・田及び原野各二筆、畑及び山林各一筆、合計地積約一八六〇平方米に及ぶ貴重な土地が潰
あず
れるという損失ははかり知れぬものがあり、自然と一体感をなす気持ちが強く、かつ林道開設に伴い他の住民と
は異なり何らの利益に与かるものでもない被告人が、よくぞ自我を捨てゝ町に協力、(自己の所有地が林道敷地
となることを)承諾したものと考えざるを得ないのである」
(略)
四=覚書と拒絶
覚書──「町は昭和四九年(一九七四年)一〇月二三日、覚書と題する書面を作成の上、被告人に提示している。
1甲(町)は乙(被告人)に対して特売地として戸鳥内字夏魚泊参番の内より八反歩を特売するものとし、そ
の位置は別添測量図(略)。
2宅地内を通過する排水については(略)五〇年度において施工することとする。
3工事のため土砂の崩落で沢の流路が閉ざされて、乙の田地を流れていたが、元の沢を掘削することは相当の
経費を要することもあり、乙との協議で乙の田地に乙が沢を掘削し、その経費として甲は人夫五人分四五〇〇〇
円を支払うものとする。
4今後、通称勘助沢手前を工事する場合は、勘助沢の田に土砂を捨てることを承諾する。
(略)
182
8 公判
これによれば、林道開設工事、排水工事に伴い、(提供の)土地や立木の補償問題以外に(略)、被告人が相当
の損害を受くべきことが当然の前提とされているのであって、本件犯罪の基因となった水路工事(と業者)も右
の条項と密接な関係を持つものである」
拒絶──「被告人は特に1の条項が土地八反歩の有償売買(所謂特売)であること、右土地が岩場のガンケ山
であって土地としての価値が乏しい物件であるため、これ(覚書)に応ずることがどうしてもできなかった訳で
ある」
(略)
六=町当局の非良識
「町当局は(代替地の補償案として)変わった案を立てゝみたけれども、結局被告人との話し合いは成立に至
うんぬん
らなかった。けだしその理由は客観的に考察しても明らかな如く、町当局が示す内容が余りにも非良識的である
故であって、この点に関する原審判決の被告人が頑固一徹にして妥協を好まない云々の認定は、およそ実情を取
り違え、判断の誤りを犯していること明らかというべきである」
七=補償問題の放置
「 右 の 被 告 人 に 対 す る 補 償 問 題 は、 遂 に 本 件 犯 罪 の 発 生 に 至 る ま で 何 ら 解 決 さ れ ぬ ま ゝ 経 過 し、 町 当 局 は
本 件 発 生 直 後 の 昭 和 五 六 年( 八 一 年 ) 一 月 一 二 日、 買 収 代 金( 金 銭 補 償 ) の 支 払 い と い う 方 法 を と り、 金
一一八〇四四円を急遽、被告人とは全く関係のない町役場建設課長高堰定治に預けるという方法により処理(仮
に誤魔化し処理)したのである」
八=町の責任
183
「栩木沢林道の開設工事につき町が被告人に対してとった一連の措置は不適法・不適切であったという外な
く、ましてや事業着手前に補償問題に関する事前処理の法的義務を負いながら未処理のまゝ工事を進めた責任は
重大というべく、かゝる町の姿勢とこれに加担する部落に対し被告人が反発心を持たざるを得なくなった点につ
いては、誠に無理からぬ事由があること至極当然というべきである」
九=中嶋礼治の責任
「中嶋は地元業者として水路工事が林道開設工事の派生的工事であること、基本的な契約において町と被告人
ひるがえ
との間に補償の合意と措置がとられていないことを熟知しながら、被告人との間に結んだ(除雪の仕方の)約束
を翻したばかりか、却って威圧的・挑発的言辞を弄し、専ら営利追及のため非人間的な行動をとり続け、被告人
の心理を徹底的に追い詰め、もって本件犯行を誘発させた責任は、町並びに部落の責任と併せ極めて重大である
というべきである」
第三=本件犯行の動機について
一=中嶋の一連の行動
約旨の破棄──「(中嶋は)当初の被告人の除雪についての要望に対し、土砂や石混じりの雪を被告人所有の
田畑や敷地内に落とさないことを約束しながら、間もなく意図的に約旨を破棄した」
暴挙の除雪──「(中嶋は)除雪に際し、被告人の再三にわたる要請と注意を無視して砂利混じりの雪をブルドー
ザーで被告人方の田畑に押し出し続けた」
暴行──「(中嶋の)昭和五五年(八〇年)一二月二〇日並びに同月三〇日の被告人に対する暴行、特に後者
における暴行は積極的で、被告人の首を締め脱糞までさせるというもので、現在に至るまで後遺症を残す程の行
184
8 公判
為に出た」
挑発──「(中嶋の)被告人に対する粗野な言辞、(被告人の家の周りに)わざわざ監視人を付する行為、再度
銃を持つことによって自己を防衛せんとする被告人を写真撮影する威嚇的・挑発的行為」
二=追いつめられる
あ
「(中嶋の右の行為は)遙かに年長にあたる被告人の立場と心情を無視した行動であり、中嶋の使用人らも一
体となってこれに加担した上、敢えて反覆的に被告人を虐げ、ために被告人にしてみれば、従前の平和であった
生活内容と対比し、このまゝの挑発・虐待される日々が続いたならばと精神的にも追い詰められ、自分の生活の
平穏はあり得ないと考えざるを得ぬ程の心理状態に陥ったことは、容易に理解することができる」
三=術は万端尽きはてた
「もと〳〵顧みれば、被告人は自我を抑え、自己の貴重な土地を犠牲にして林道敷地に提供し、その挙げ句田
おびただ
畑等の中に至る処、幅員四米の道路が造られ(これは埋め立てその他で実質的にはおよそ倍の土地が死ぬことに
なり、加えて出来上がった道路の崩れや落石等の被害は夥しいものがある)、補償の処理もなされず、その上、
水路工事を担当した中嶋並びにその使用人からブルドーザーによる除雪作業の際、土砂や石混じりの雪を自己の
田畑に押し込められ続け、要望を行っても受け容れられず、居宅には監視人が付けられて常時覗かれ、挑発され、
口論となれば多勢に非勢、体力に劣る被告人が暴行を受け、最早被告人としては銃を以って保身すると同時に中
嶋を威嚇する以外に術はなく、しかし写真に撮られて小馬鹿にされ、術は万端尽き果てたのが実態であり、かゝ
る傍若無人の振舞を行い続けた中嶋らの行為には強い憤りを感ぜざるを得ぬというべきである」
四=怒りの爆発
185
びんりょう
い
とっさ
「この様な被告人の心理状態において強迫観念にさいなまれ、鬱積した怒りが咄嗟に爆発してしまった被告人
の本件犯行は、動機において憫諒すべきものがあるにとゞまらず、本件所為に出ずるほか期待可能性がないとし
ても過言ではなく、その責任判断については改めて深い考察・検討を必要とするところである」
第四=その他の情状について
一=被害感情の緩和
「被害者の遺族も既に被告人の処遇は寛大にという上申書まで提出しているのであって、右は単に金銭的な慰
ゆえん
藉を尽くされたというにとゞまらず、事件発生後、公判の進行等に伴い、被告人にかゝる本件犯罪の背景・動機、
被告人の人物等を充分理解された所以であって、この意味においても被害感情は著しく緩和されている」
二=悔悟と心身摩耗
「被告人は本件犯行後、深く反省・悔悟しているものであるが、既に二年半有余に及ぶ未決勾留生活は余りに
も永く、日々その責苦に心身を摩耗し続けているものであって、再犯のおそれは全くない」
よわい
三=老齢と衰弱
「被告人は齢既に七〇才に達する外、秋田刑務所に移監されてからの衰弱は著しいものがあり、長期に及ぶ身
体の拘束は余りにも酷である」
四=無人の居宅と老妻
「栩木沢の自然と共に生きて来た被告人にとって、現在日毎に荒廃して行く無人の居宅や田畑のことを思えば
断腸の思いにかられるであろう」──「(補償問題はじめ)未処理の問題も山積している」
―「被告人の老妻は
被告人のいない栩木沢には住むこともできず、住みなれた故郷を離れ、盛岡に住む長男正志方に身を寄せている。
186
8 公判
罪のない妻のためにも、老夫婦がまだ健在の間に一日も早い故郷での生活の回復実現が配慮さるべきである」
八三年九月二日、山県は秋田刑務所の高堰あてに返信を出しました。
め
前略 追い剥ぎ奴の生計費の稼ぎに追われて便りが遅れてしまいました。手紙と手書き図面は受けとっていま
すから安心してください。
上告審のその後は、まだ結果が出ていません。こんどの上告審は、書類審査だけで公判をひらくわけではなく、
最高裁の内部で裁定されるだけですから、結果を待つしかありません。
な
滝谷弁護人から預かった書類は、すでに七月二〇日に提出した上告趣意書作成のときに参考のために使ったも
ので、同封でお手もとに。これは失くさないように、また誰にも渡さないように大事に保存してください。
上告の結果は、いましばらく待ってください。結果が出しだい、すぐ知らせます。(略)
喜代志さん、獄中は大変でしょうが、体には充分気をつけてください。 不備
同年九月六日、最高裁第一小法廷は高堰の上告審で、裁判長藤崎万里、裁判官団藤重光・中村治朗・谷口正孝・
和田誠一の五名によって、つぎのように「決定」をくだしました。
主文──「本件上告を棄却する」
理由──「弁護人滝谷滉の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
/よって、(略)裁判官全員一致で、主文のとおり決定する」
187
刑事訴訟法第四〇五条は、上告ができる理由を規定していて、高裁の判決が一に憲法に違反する、二に最高裁
の判例に相反する、三に高裁の判例に相反する、の三つを挙げている。
高堰の上告はこの規定のどれにも該当しないゆえをもって却下されました。
同年九月一〇日、高堰が山県あてに手紙を出しました。
何から何まで御世話様に成りましたが、昨日(九日)最高裁より通知(上告棄却)がありましたので御知らせ
します。
滝谷先生様に九月九日御手紙出して(抗告)御願いしましたが、後はなんとなるか心配して居ります。今後も
何卒宜しく御願い申し上げます。坂野さんにも宜しく御願い申し上げます。
私が(見せてほしいと)言うのは私の家にある(土地関連の)覚書、警察に皆持って行かれて居りますので、
其れを写して見せて頂きたいという事であったのです。警察方や町が言っている事では答えは出ないのでありま
す。(町は)俺が居らないのを見て(盛岡の大学病院へ)、林道通して(着工)、道路通してから覚書(代替地用
の町有地はない旨の)出して、ウソ言って居るからであります。私に(町から)送られて居る書類、見せて頂か
ないことには納得行かないのであります。(略)
今度の期間(即時抗告)は三日と聞いて居りますので月曜日迄だと思って居りますが、滝谷先生様に御願いし
て(覚書類を)調べなおして頂ければと思って居りますが、なんともならない事と思って居ります。
今日は時間に成りましたので(消灯時間で就寝時間)、終わります。最後迄、色々と御世話様に成り、厚く厚
188
8 公判
く御礼申し上げます。さようなら。
き
高堰は最高裁から上告棄却の決定書を受けとったとき、おそらく秋田刑務所の管理職から訊きだした即時抗告
をただちに考え、三日間の提起期間では日時的にムリかとおもいながら、できればそうしてほしいと滝谷弁護人
と山県に依頼の手紙を出しました。高堰は警察が高堰の家から押収した土地関連の覚書類を見れば、町や部落の
ウソや不正が明らかになって、裁判でも町や部落の罪科が問われると思いきめていて、ために当の覚書類を見て
裁判に載せないかぎり納得できないと、上告が却下されるや即座に抗告の手続きをとろうとしました。
が、高堰の思いきめによる抗告はできませんでした。
同年九月一五日、山県が高堰あてに返信を出しました。
前略 手紙受けとりました。
上告は、喜代志さんがすでに知ってのとおり却下されました。期待はすまいと覚悟してやったとはいえ、残念
こら
であり、これがいまの法と裁判の限界であることを喜代志さん、ハッキリと知ってください。無念でしょうが、
や
堪えて、割りきってください。
いまの法は、事件にどんな止むにやまれぬ原因、どんな避けがたい理由があろうと、それは二の次にし、度外
視して、誤殺の結果だけを重視し、さらに被告側の主張は、それがいかに正当であろうと、ほとんど聞き捨てに
し、切り捨てて、裁定をくだすわけです。だから喜代志さん、誤殺の件については、裁判にはもう何をどういっ
189
ても結果は同じで、少しの期待ももてないのだから、裁判を相手にするのはもうキッパリとやめにしましょう。
喜代志さんの手紙の内容について早速、滝谷弁護人に会って、緊急に話しあった結果を伝えます。
①上告棄却後のことについて
手続き上、「訂正判決」と「抗告」(提起期間が三日で裁判の執行を停止する即時抗告と無期限の通常抗告と憲
法違反を理由とする特別抗告)があるそうですが、訂正判決はかりに申し立てても、なんの期待もできないとの
こと。また抗告はいろいろと条件つきで、こんどの誤殺事件では条件が当てはまらず、できないとのこと。
喜代志さん、いまの法はどこまで相手にしても、肝腎な事件の原因を問題外において相手にする甲斐がないか
ら、その点、現状をよく見なおして、なんとか割りきって、もう相手にすまいと肚をきめませんか。
②警察に持っていかれたと喜代志さんがいう土地関連の覚書類について
最高裁にある裁判書類一式のなかには、目録にもどこにも、先日喜代志さんのもとに送った書類写しいがいに、
土地関連の覚書類は見当たらないとのこと。また、それはどこにあるにしろ、銃のように「没収」されていない
かぎりは、規則上、刑確定後に被告人に返却されるとのこと。
ただし問題は、たとえ喜代志さんがいう土地関連の覚書類が裁判書類一式のなかにあったとしても、それがあっ
たからといって決して判決内容は変わりはしなかっただろうとのこと。というのは裁判所の側は、既存の書類一
式のなかでも充分に、町当局が喜代志さんの最終の承諾=売買契約書押印を得ずに土地を無断で林道に流用して
いることを知ることができたからこそ、前の控訴審の判決でも「工事の着手や代替地についての対処の仕方に適
切でないところがうかがわれる」と書いたとのこと。それにもかかわらず裁判所の側は、この土地問題に関する
町当局の責任と違法、この事件の原因を知りながら、それを「間接的なもの」と見なし、まったく度外視して判
190
8 公判
決をくだしているとのこと。
喜代志さん、そもそも裁判所は、代替地問題を放置している町当局の無責任と事件との因果関係をはじめから
アッチにおき、どんな原因があろうと、どんな覚書類があろうと、それを問題外にして、結果だけをみて誤殺は
つら
「独善的」という論法で終始しているのだから、もう誤殺の裁判では、いくら原因を主張してもラチはあかない
とハッキリ現状を見きわめなおし、辛さを忍んで、ケジメをつけませんか。
なお喜代志さんがいう土地関連の覚書類は、刑確定後、返却されてこなければ、念のため刑務所のほうに申し
出て催促してください。
以上が滝谷弁護人と緊急に話しあった結果の要点です。
つぎに町当局が無責任にも未解決のまま放置している代替地問題について、正志さんと電話で話しあった結果
を伝えます。
①八反歩について
正志さんは代替地の八反歩については、民事訴訟はせず、弁護士も使わず、単独で「示談」で決着をつけたい
きんの
とのこと。ただし交渉がうまくいかなかったときには、私(山県)がすでに内諾を得ている東京の滝谷弁護士か
秋田市内の金野繁弁護士に仲介を頼むことがあるかもしれないとのこと。
しんしゃく
喜代志さん、町当局の責任を問う残された手掛かりのひとつ、代替地問題の解決を、正志さんの意向どおり示
談でやるかどうかについては、正志さんとよく話しあって態度を決めてください。
私ら衆座としてはこの件、喜代志さんの無念さを最重視したうえで肉親代表の正志さんの意見も斟酌しなけれ
ばならず、また先に金野弁護士の助言として、八反歩問題は訴訟ではなく示談で直接町当局に当然の要求をし、
191
じ
責めを負わせて解決するのが一番ということであり、加えていま滝谷弁護士の助言として、八反歩は訴訟よりも
示談で直かに町に責任をとらせて結着をつけるのが最適ということなので、示談は手ぬるい方法ですが、一歩退
いてそれで決着をつけることに同意します。
問題は正志さんがそれをやるかどうかです。
②八反歩いがいの民事訴訟について
さわ
町当局にたいして賠償もしくは慰藉を求めて違法の非を糺す民事訴訟については、前に金野弁護士から慰藉の
き
みをもとめての糾弾訴訟の助言を得ていますが、正志さんは仕事と家族に差し障りがあるので、いっさいどんな
民事訴訟も起こしたくないとのこと。
喜代志さん、この件についても息子の正志さんとよく話しあって態度を定めてください。
私らとしてはこの件、正志さんの意向には何もいう気がしません。
いじょうが正志さんと電話で話しあった結果の要点です。
さいごに、喜代志さんの無念を晴らす残された方途として、アテにできない法や訴訟の枠を越えた言動で、町
の非を糺し、又鬼の本姿を明らかにしていくことがあります。
その一は、私らが喜代志さんと、町当局の責任──マタギ誤殺事件の裁判の限界──独り又鬼・高堰喜代志の
反時代の生活と超時代の魂を、世に明らかにしていくこと。
その二は、喜代志さん自身が、一日も早く仮出所の資格を得て世に復帰し、栩木沢の家でふたたび自然を相手
にした生活にもどって町当局と部落民と中嶋に、自然と一体で生きて死ぬ生粋なマタギの肝魂と実姿を示してい
くこと。
192
8 公判
喜代志さん、最後にものをいうのは、法でも裁判でもない、町でも部落でもない、目の先三寸の勝ち負けでも
ない、命源の自然の命律にしたがって生きて死ぬ人の日々の営みと魂です。これは人が生きている間も死んだ後
もモノをいう底力を秘めています。喜代志さん、無念を晴らすさいごの途は自然とひとつの魂に懸けることだと、
肚を決めませんか。
なお刑確定後に、衆座の私らが喜代志さんと、面会と手紙のやりとりができるかどうかは刑務所の内規による
との滝谷弁護人の話なので、喜代志さんから刑務所のほうに訊いてもらってその可否を知らせてください。
どうか身心を大事にしてください。
八反歩とそれいがいの民事訴訟について、正志さんと話しあった結果の返事を待っています。 不一
この日、八三年九月一五日いこう、山県は秋田刑務所の高堰あてに何度も手紙を出しましたが、返事がいっさ
いなく、高堰と山県の間で音信がふいにパタリと途絶えました。刑が確定して、肉親いがいには誰も高堰と面会
も手紙のやりとりもできなくなったためでした。
年が明けて一九八四年(昭和五九年)六月一〇日、山県は高堰喜代志の受刑後の様子を訊くべく盛岡市内の正
志宅に電話を入れ(本人不在)、喜代志がすでに(いつかは不詳)秋田刑務所から山形刑務所に移管されている
ことを知らされました。
そこで山県はムダを承知、ダメ・モト(ダメでモトモト)で翌一一日、あえて山形刑務所の高堰あてにつぎの
手紙を出しました。
193
前略 昨夜(六月一〇日)、盛岡の正志さん宅に電話して(本人留守)、喜代志さんが秋田から山形に移監され
ていることをはじめて知りました。
これまで秋田のほうに何度も手紙を出していたんですが、なんの返事もないので、どうしたのかと思っていた
んですが。
面会は「特定の親族いがいはダメ」とのことで、残念で、手紙ならどうかと、こうして一筆したためていると
ころですが。
喜代志さん、その後どうされてますか。
①身心の具合はどうですか?
②山形での所内生活はどうですか?
③町が放置していた土地問題はどうなってますか?
所内では手紙を出すことも対象が制限されているようですが、以上のことについて喜代志さんから一報もらえ
れば、ありがたいです。
私も坂野も生計費の稼ぎに追われていますが、便りは「ヨシ」であればこれからもできるだけ出すつもりです。
どうか体に気をつけて、仮釈放のときまで耐えぬいてください。(仮釈放のときは、ぜひ前もってイの一番に
一報を)
喜代志さんからの返信、心待ちにしています。 草々不一
高堰から返信はありませんでした。
194
9 再会
196
9 再会
一九八八年(昭和六三年)三月下旬、横浜・磯子区在住の坂野英彰が都内渋谷区在住の山県仁に電話で、高堰
喜代志がすでに去年(八七年六月に)仮出所していることを知ったムネ伝えました。
一驚した山県はまず盛岡の高堰正志宅に夜、電話し、電話口にでた本人に「喜代志さんの仮釈放を知らせてく
かか
れなかったのはなんで?」と尋ね、ワケをいわずにいいよどむ相手に「仁義を知らない」と苦言を呈しました。
ワケは正志が「激しい言動」をとる山県を敬遠して、衆座にはもう親父と関わりをもってほしくないと思ってい
たからでした。
山県はついで同夜、秋田の山奥の高堰喜代志宅に電話をかけ、音信不通になっていらいおよそ四年半ぶりに受
話器から懐かしい喜代志の肉声を耳にして、胸をつまらせました。ときに高堰七四歳、山県五二歳でした。
山県「いやぁ、親爺さん、懐かしい声が聞けて、嬉しいなぁ。わかりますか、私、東京の山県です」
高堰「ああ、山県さん」
山県「今日までずっと、親爺さんが仮釈放で出所していることを知らないで。出所するときはイの一番に知ら
なん
せてほしいと、獄中の親爺さんあての手紙にも書いといたし、息子の正志さんにも頼んでおいたのに、まるっき
り音沙汰なしだったもんだから」
高堰「刑務所では、肉親のほかは誰の手紙も何も見せてもらえねがったから、わがらねで、申し訳なかったす」
山県「んでしたか。とにかく遅れ馳せながら、仮出所おめでとうございました。早速、一升壜さげて、内祝い
に飛んでいくから」
高堰「んだすか」
山県「話は会ってから、山ほど尋きたいことがあるから。その前にちょっと、獄中生活はどうでしたか。大変
197
だったでしょう。体こわさなかったですか」
つら
高堰「何もなんも。山形でだば、体も血圧がちょっとあがっただけで、なんも辛いことねがったす。仕事も人
一倍やったす。病舎でだば月に三五〇〇円も稼いだども、それが舎内では最高だすべ」
山県「んでしたか。それはよかった。安心しました。今月末までには稼ぎで休みとって、みんなで伺いますか
ら。もしみんなが仕事や稼ぎのスケジュールの都合で行けなかったら、一人ででも必ず行きますから」
山県は坂野・岩崎・原田に高堰の出所祝いに駆けつける連絡をとりましたが、それぞれに仕事もしくは稼ぎの
ひら
都合で一緒に行くことができず、まずは山県が孤りで四月二九日と三〇日の二日間、高堰のもとに駆けつけまし
た。
ひら
八八年四月二九日、昼、山県は阿仁合駅前から乗ったバスを栩木沢入口前(高堰商店前)で降り、眼前に展け
た四囲の山並みにこころが開かれ、晴天下の路傍に残雪が散見される舗装された村道を林道入口の高堰宅まで一
キロメートル弱、一升ビンを二本ぶらさげて汗だくになりながら誰とも出会わずにたどり、高堰が家の前の路上
に出て待ちかまえている姿を目にし、こころ躍って「オヤジさーん!」と大声で呼びかけ、ゆっくりと近づき、
「いやぁ、久し振りです」と高堰と握手し、目頭を熱くしました。
その日、高堰喜代志のすでに何ヵ月も前になされていた仮釈放の遅ればせの内祝いの宴が、高堰夫妻と衆座の
山県のあいだで、妻テツエの心尽くしの手料理、山菜中心の料理によってささやかにもたれました。
宴のなかで話は刑務所での生活、土地問題のその後、マタギ部落のいま、熊の生態、高堰の今後ほかにおよび
ました。
198
9 再会
なかで、事件の根因で最大の懸案事だった林道用地の提供にともなう代替地の土地問題は、高堰の受刑中に長
息正志が町と示談で決着をつけず、町がいぜんとして未解決のまま放置しつづけ、高堰が仮出所後に町の担当課
あ
長と戸鳥内の部落会長を相手に即時の解決を迫っていることが明かされました。
山県は驚き、呆れ、開いた口がふさがりませんでした。対応の経緯と策は翌日、詰めて話しあうことになりま
した。
刑務所の日々について高堰はいいました。受刑の山形刑務所では、高血圧のためにほとんどが病舎住まいで雑
居房から独房に移ったと。事件は看守長が「町長(前町長沢井)ば殺せばいがった(よかった)」というほど理
解されていたと。待遇は「誰さま、いかなることゆったって、ああいうことはできるもんでね」という異例の特
別待遇を受け、「寝具から何から、みながら(すべてみな)別のものをしぇ、俺さ着させてけた」と。作業では「一
ト月に三五〇〇円稼いだども、病舎で三〇〇〇円以上かせいだ人いねよ」と。
翌三〇日、高堰は未解決の土地問題で何人かに電話をかけ、「東京から来てけた人(高堰を支援する衆座の一人)
がいる」といって解決をうながし、山県にいいました。
「会長、決めるって、そうゆってら」
「会長って、どこの、誰?」
「戸鳥内部落の会長高堰徳一郎」
「親戚?」
「んでね」
199
「何才ぐらいの人?」
「五〇代だべ」
「人物は大丈夫? タヌキじゃない? 曲がったことしない?」
「曲がってね。こたびの部落総会には来てけなやとゆったども、俺が決めるとゆってるから──ただ時間にし
てなんぼか遅れるべども、俺が決めるとゆってるから、まちがえね」
「期待しましょう」
「決めねばねぇんだ。曇りがねよにせねばねんだ」
「それは代替地の八反歩ですね。そのほかにまだある土地問題というのは?」
「それはしぇ、あっちゃ(不詳)に三町歩か四町歩、こっちゃ(不詳)にも十何町歩か、買ってらとこあってや、
今年内に登記直しせばいいった」
「そんなにあるの、未登記の土地が? しかし、それは登記だけすればいいことだから、それほど問題じゃな
いですね」
「ん。それは俺、話せば、でぎると思ってる」
八反歩の土地問題は、ひとまず「俺が決める」と確約した戸鳥内部落会長にゲタをあずけて一任し、その結果
しだいで町への督促か町長との直かの話しあいか部落会長・町長・高堰の三者協議か提訴かのいずれかに踏みき
ることが、高堰と山県のあいだで合意されました。
その日、高堰は打当にある町営の温泉につかり、シカリの鈴木松治(高堰より六才年下で、ときに六八才)に
会ってこようと山県を外に連れだしました。
200
9 再会
先に立ち寄った松治宅では、高堰と山県はおカミの手厚い山菜料理のもてなしを得て、松治とたまたま泊りこ
あだ
い
みでマタギを取材中のミニコミ誌〈あるく・みる・きく〉の一青年(名を聞きそびれる)とともに、自由な放談
に花を咲かせて、時を忘れました。
と
話は今春の熊狩り、又鬼修業の坂野英彰(綽名「髪被り」=長髪)、クマの胆と皮、喜代志の熊狩り復活は?
ぼ
昔のクマ狩り、いまの熊獲り制限、喜代志と松治の間柄、事件と報道と部落と町と「罪人」と裁判と弁護士と
刑務所、未決の土地問題、喜代志の敗戦時の人助け、マタギ勘定、喜代志の今後は「のんびりと」──と多岐に
わたりました。
なかで、今春のクマ狩り(まだ捕獲ゼロ)は──。
せこ
松治「んだって、俺のいうこと聞かねもんだもや、若い連中が。自分だちの勘定でやってるもんだも、追うの
も(熊の巻き狩りで勢子が)、撃つのも(マツパ=マテ=ブッパが)」
喜代志「なんとして。むずかしく考えねで、(勢子は)マツパのどこさ熊ぼってやらねばいけねぇった。問題
はそれだ、それが一番の先決問題なんだ。(勢子は)それ、決めねばねんだ。そして(シカリは)やっぱりしぇ、
へ
撃てる人と撃てね人(射撃の腕のよしあし)があるもんだために、みんなツラみておいてや、マツパば配置さね
ばねんだ」
め
う
松治「んだ、んだ。ツラみて、自分のハラさ入ておかねばな」
きんの
喜代志「あいや」
松治「昨日は、前にライフルで射ってクマ逃がしたことある若手に射たせてやるべかなとおもって射たせた
ば、なんぼ射っても当てれね。ライフルの眼鏡、スコープ狂ってるもんだも」
201
喜代志「当たらねば仕方ねぇな。熊ば逃がす奴は、どこ狙って撃ってるかってゆえば、大抵目撃ってるんだ。
クマの体の下撃って逃がす人はそういねぇんだ。熊近づいてきて、慌ててるためにしぇ、体の上撃つんだ。一呼
おみき
吸おいて下撃てば当たるったって、それ知らねもんだも、若ぇ人は」
松治「これ、眼鏡狂っててクマ逃がしたの、御神酒あげんの足りねかったんだべと、みなが何升も呑んでや、
わら
哄ったよな(笑い)」
喜代志「んだから、やっぱりしぇ、年寄りというものには、経験へてるために学べばいい、学ばねばいけねん
だ、なんとして。俺いっつもしゃべってるよ、狩りのときは心は一致さねばクマは授からね、獲れね。心は一致
さねばねぇんだ、まずもってな。頭っからそういう考えになれねばいけね。なんとそれ、てんでに考えもってた
ら、絶対授かるもんでね」
ころ
松治「そう、そう。んだから、こんどまた俺のいうごと聞かれねば、俺やめるからとゆっといだども」
又鬼修業の坂野英彰は──。
喜代志「熊の巻き狩りでしぇ、カメラさ写すのに、坂野のようにクマば撃って転ばすとこまでみせたの、そう
いねぇよ」
山県「恵まれてますね、坂野は」
喜代志「ああ、恵まれてる」
山県「お二人(喜代志と松治)のお陰ですね」
喜代志「おうや、なんてゆったって二人のお陰だよ。それはしぇ、旅館さ泊ってるとや、カネつづかねんだと。
202
9 再会
おら え
え
と
そんきゃ好きな猟だば、黙って俺家さ泊ればいいと、松と二人して協力して坂野ば、あっちゃ、俺ほのほうさ来
いば俺どこさ、こっちゃ、松のほうさこいばここの家さ、泊めてな。そして坂野、やってらった、写真ば撮るこ
とだけでねぐ、勢子の手伝いと勢子ば」
山県「んでしたか」
ときゆき
っつおう
喜代志「んだってや、あれ、坂野がまたいい性根してるもんだもの。みなで獲って分配してけた熊の肉、世話
になった旅館、比立内の松橋旅館(マタギの茂治・時幸父子が自営)さもってってや、みなご馳走してるんだ。
へ
んだから、それからあとに獲ったクマの肉、人にやらねっていい、家(横浜)さもっていけって坂野さゆって、
俺家の冷蔵庫さ入ておいたよ」
松治「まんず、あれ、坂野さん、そういう風でここ(打当)さも長く来てるから、この村で知らねぇ人いねな」
なめえ
山県「人柄だしね」
松治「名前はわからねども──うん、あの髪かぶった奴(長髪)か、あのカミ被りかって(笑い)」
山県「(笑い)髪被りとはおもしろい。こんど本人にいってやろ」
喜代志 「(笑い)それにしぇ。また乗ってくる車がおかしなもんだんだ、ブップ・ブップと音させて。んだから、
あ、坂野きたなと、みんなすぐわかるんだ」
へ
松治「それから、こんどあれだべ、畑や田んぼで部落の協同作業が多くなる時期になるべ。せばや坂野さん、
雨降りの日でも、俺も行って手伝ってくるってな。そして仲間さ、マタギの仲間さ入ったも」
喜代志「んだな。俺家にいても、狩りで山さ行かねどきは畑の手伝いするのしぇ。んだから、いうんだ、お
め
前、そんた働かねったって、なんともねぇから、黙ってれって。──そんで、こんだ山さ行ってこば、まずビー
203
のど
ル一本ずつ冷やしたの飲むんだ。せば坂野、喉乾いてんべ、ああ、おいしいなってゆってな。それから酒飲ませ
て、あるものなんでもみな食わせるんだ」
山県「いやぁ、坂野ぐらい長期間、マタギを体験・修業させてもらった人、おそらくいないでしょう、ヨソモ
ンの門外漢で」
松治「いね、いね」
喜代志「絶対いね」
山県「それだけ一所懸命、徹底してやったんですね」
松治「んだな」
喜代志「ほんとに友だちであったよ、又鬼みんなの」
山県「それは坂野がその期間、暗黙のうちにマタギ、ほんとの又鬼の弟子にしてもらっていたんですね」
松治「んだ、んだ」
山県「よくやったなぁ、坂野は」
喜代志の熊狩りの復活は? は──。
き
山県「松治さん、なんにも知らないヨソモンがヘンなこと尋くけど、喜代志さんの松治さんとの猟の名コンビ
の復活の可能性はあるもんですか、ないもんですか?」
松治「あれだな、八〇代だば、もう歩けね、歩けね(山中の急斜面は)」
山県「ダメですか、トシで」
204
9 再会
喜代志「いやいや、まんだ俺だっきゃ七〇代だよ、歩けるよ」
山県「(笑い)ほらほら、親爺さん、やる気充分」
松治「まあ、いいかげんなどこでしぇ、やめるもんだ」
喜代志「いいよ、思いきったよ。やめる」
松治「俺も、そうなると思ってら、あと二・三年で」
め
喜代志「ほんとは、みながクマ逃がしたときや、そこさ俺行って、ぼってや、みんなに熊とらせばな、俺もま
た復活して一花咲かせるどこだったどもな」
山県「(笑い)オヤジさん、まだまだ、やる気満々」
松治「いやいや、たとえ復活したところで、そんときクマぼうのも射つのも若手に、ほんだらお前やれと、こ
う渡さねばな」
喜代志「んだった。あとは俺、なんも望まねよ」
松治「あと、あれだべも、俺もできねぐなれば、ここ(打当と戸鳥内)も、人まとまんねぐなる、まとめねぐ
なるもな」
喜代志「んだな」
いくつ
松治「そうなればハー、熊獲りも、ここ(又鬼の村)もハー、終わりだな」
山県「松治さんはいま何才?」
松治 「六八だよ、ハー。もう狩りも二・三年ちゅうどこだすべ。七〇になったばハー、なんぼ元気あるったって、
もうやれねぐなる、歩けねぐなる」
205
喜代志「七〇以上になったば、降り場だよ、ほんと」
いまの熊獲り制限は──。
松治「この春(四月中旬から五月中旬)の(クマ猟の)県からの割り当てだば、この阿仁(北秋田郡)で四つ
きんの
(四頭)、各組(打当と比立内の集団猟の組)で二つよりねぇんだよな」
松治妻「んで、昨日あっこ、比立内で熊ひとつ獲れたば、こんだここ、打当でとれねぐなるんでねの?」
喜代志「んだ、昔からそういうもんなんだ。んだってしぇ、クマは比立内のほうさ出れば、こっち、打当さ出
ねし、こっちさ出れば、あっち、比立内のほうさ出ねと、そういう巡り合わせになってるもな」
松治「んだな。それはなんというか、熊の回りよう、巡りようだべもな」
喜代志「ところがしぇ、それはクマがいねぐなってるからではねぇんだ。昔からいままで、熊はなんぼ獲って
き
きたってや、そんたに減ってねぇし、絶やせるもんでねぇ。んだから、いま棲息する頭数は五〇頭か一〇〇頭でねぇ
か? と質いてきた人さ俺、ゆってやったよ。いやいや、そんたもんでねぇんだ、秋田県一県でもや二〇〇〇頭
こと
こと
も三〇〇〇頭もいると。これ、ハッキリゆえた人、いねぇんだよ。熊の生態も山ん中の様子もよぐ知ってねばねぇ
からな。今年だっきゃ、この打当の管轄だけでも一〇〇頭はいるよ」
おら
山県「それだけ生命力が強いんですね、熊は。ニンゲンが考えてる以上に繁殖力もあるし──」
松治「そう、そう。俺、子どもの時分、ちょうどマタギさかかってやるべとおもって一週間ばり、ひとつのコー
スを寝泊りしながら歩いて森吉山の頂上さ出たことあるども、当時そんくぇー歩いても、熊の歩いた跡なんぼ見
つけたかってゆえば、せいぜい二つか三つだったもな」
206
9 再会
喜代志「んだった」
ふ
松治「ほいで、いまどうだっていえば、なーにクマの二つや三つの足跡だば、昼間から出かけて行ったってや、
すぐ見つけられるもな」
喜代志「んだ、んだ。いまはかえって殖えてるよ、昔より」
松治「それにしぇ、当時、この村で春に熊五つも獲ればや、やあ今年は五つとったもな、いがった(よかった)
なぁって喜んだもんだ。ところが、いま五つ以下だば、とったっていわねも。やっぱり一〇以上とんねば、やぁ
いがったなぁっていわねもんだもな。んだから、いまは当時よりも、そんくぇー増えてると思うんだよな」
喜代志「んだ、ふえてる。クマは絶やされねで、ふえてる」
み
松治「んだって、新聞あたりさ出て来る統計でもや、ある年は熊がまず少ねぐなってても、次の年はまたぐ
わぁっとふえてくるもな」
喜代志「それはしぇ、クマは移動動物なために、まんず実のあるとこ、餌のあるとこさ移って、集まってくる
からだべも」
た
松治「んでや、県だか国だか、学者だか役人だか知らねども、二・三年前に『熊絶滅寸前にある』だなんて、
おら
新聞や雑誌(週刊誌)さ大々的に出したべ。んだども、こんだ何年も経たねうちに『クマ異常繁殖』だってゆう
べ。んだから、こんたこと誰が、どこ、何調べて出してんだって、俺いうんだ」
喜代志「なんも知らねでゆってんだ」
松治「んだとおもう。俺が一つゆえることは──ここら(内地)の熊はみな胸さ月の輪(白い三日月の斑紋)
ができてるわけだな(月の輪グマ)。それがいままで子熊、県内から集まってくる子グマ飼ってみてわかったども、
207
森吉山周辺でとる熊は全部、月の輪がキチンとついてるんだ。だども、それが太平山周辺からくるクマは月の輪
がまるっきりデタラメで、まちまちなんだな、輪のつき方が。んだから、県内の熊だば、県内と県外のよそから
も来て繁殖してるんでねがな」
山県「松治さん、そのこと、ふえてること、シカリとして県に強くいってますか?」
松治「いや、まんだ。われわれの勘でゆったぐれぇだば、向こうは認めねぇと思うし、県だば一応自分がたで
調べて一方的に決めてくるから。今年はクマが県内に何頭いると、せば一年に何頭ふえてると、んで何頭ふえて
れば何頭とってもいいと、そしてとっていい頭数は郡から町村さ実績に応じて、どこさ・なんぼ割り当てればい
いと、県で全部きめてくるもな」
山県「実態をろくに知らない官吏が決めるのは、おかしいですね」
せんぼく
喜代志「んだ。実績だば、毎年の数字みれば、北秋田郡(阿仁町ふくむ)が一番とれてる、いっつでも。それ
から仙北郡な」
松治「今年も俺ほ(打当)のこの区域さ、熊の生息調査区域ってきめられてるんだ、二ヵ所。そうして県が調
査の日、かりに四月三〇日なら三〇日、調べたら、そのとき、そこに二頭いたとして、そう報告する。んだども、
いま二頭いても、そこを隈なく調べたわけでねぇ、穴から出てるのだけだし、それからまた今日いねぇたってや、
おら
明日またどこばどう越えてくるかわからねぇ。んだから、調査にならねぇ、正確な数字は出せねぇ」
喜代志「おうや。これ一番手っとり早くゆえばよ、秋、雪が降って山さずっと俺も行ってた時期や、沢さいけ
ば、みんな、みーんないるよクマ、どの沢にもみないる。俺、んだから秋田県だってこの、棲息の数字を表わせ
ば二〇〇〇頭も三〇〇〇頭もいるっていうのは、そういうところからいいきってる。──打当尾根からかかって、
208
9 再会
一日で俺ぁ回ってこんべ。そうせばどうして、熊こっちも歩ってれば、あっちも歩ってる。みな、そういうもん
なんだ。それを基準にせば、そういう頭数がいるということ、わかるんだ」
松治「いま、あの、クマさ無線の送信器(テレメーター)つけて放して調べるやつ、やってるども、どうもあ
れでは全部の頭数はハッキリしねぇし、出せねぇと思うんだ」
喜代志「出せね、出せね」
青年「いまテレメーターついてるのは八頭しかいないでしょう、太平山で。八頭の動きですべての動きをつか
むのはムリですよ」
山県「県が熊の調査を、実態をいちばんよく知ってる又鬼ヌキでやってるのは、誰がみてもまったくおかしい
き
ですね。もし私がマタギの立場だったら、おそらく強硬にいって申し入れますよ、数(生息と捕獲割り当て)ば
調べて定めるときは、
もっとちゃんとマタギのシカリば顧問にして、
立ち会い人にして、
意見ばきいてやるべしと」
喜代志「あいや、そうでねばいけねんだ」
松治「そう、そう。県がわれわれの意見を聴いてやってくれれば、なんも文句はねぇどもな。誰から聞いて、
ああいう数字出してくるもんだか、わからねぇんだ。そしてそれをこんど、われわれさもってきてガバッと当て
はめてくるんだよな」
喜代志「誰からも聞いてねぇよ、県は。ただしぇ、俺が二〇〇〇頭からいるというものをや、一〇〇頭いうぐ
らいの数字で割り当てたって、なんも意味さねって。いや、それも仕方ねぇんだ。クマ獲れたばいいったって、
とれねもんだも、さっぱり」
松治「県が追跡調査やっても──まず一つの山ぜんぶ隈なく調べて熊追い出しても、一頭しか出ね場合ある。
209
追いだせば必ず出るかってゆえば、穴さ入ってるクマとか子熊がついてるクマは、追いだしたって出てこねんだ」
おら
喜代志「なかなか動くもんでね」
松治「実際、そんだも。俺やってみれば、そんだからな。そのために、ハー、まずどういう人から聴いて、あ
あいう数字出してくるもんだかなと思ってな」
山県「シカリの松治さんに、こんなド素人がいうのおかしいけど、一発猟友会として意見まとめられて、県に
強烈にゆってやったらどうですか。ダメでもともとで」
なん
松治「いやいや、それ、猟友会でゆうてるらしいんだよな。んだども、やっぱり県ではそう簡単に認めないら
しいんだな」
山県「なんにも知らねぇでねぇですか、役人はほんとのとこ。知らねぇもんが何ば決めるか、という感じになっ
てきますよ」
松治「まんず誰から聞いて、そういう数字出してるか。んだら、実際に明確な数字出すために、山さこいば、
ついて歩いてみせるから、そうせば一番わかるども」
山県「数字は又鬼のシカリを立ち会い人にして出すべきですね」
松治「それをまずやればいいったって」
山県「官吏は熊や山の専門家じゃなくて、いってみれば素人でしょう。頭んなかでは知ったつもりになってる
けど、マタギのようにいつも自然を相手に生活してるわけじゃないんだから」
松治「そう、そう。ただ机のうえで、あっちから話聞き、こっちから話きいてきて、いやいやこれはこうだっ
ちゅうことを、ただ通りよく書いて報告出すだけの話でな。まったくおかしいとおもうんだ」
210
9 再会
事件は──。
うわて
喜代志「松はいま王様(打当のシカリ)になってるども、これも俺のお陰だよ」
山県「(笑い)オヤッサン、いう、いう」
皆(笑い)
喜代志「松治、なんぼ威張ったってや、それより俺まだ上手だもな」
皆(笑い)
松治「なんも、なんも。ほんとにバカッこ、これ」
皆(笑い)
松治「わんずかのこと我慢しねぇで、ああいう事故起こしたから、いま最低のどこや、これ」
喜代志「それが、三回も四回も殺すってかかられて、やったことだから、仕方ねぇんだ」
山県「あの事件はああせざるをえなかった」
喜代志「いや、一言もいわねよ、俺は罪人だから。何もいわね」
松治「俺かて、あれ、何ていわれたって、怒れねもの」
喜代志「おこれねよ、俺、罪人になったもんだも、どうして。しょうがねぇ。これ、理屈いうもんでねぇ。─
─ところが、山形の刑務所さ行ったってしぇ、まだ三年目にならねぇとき、給料(仕事の報酬)三五〇〇円も俺
わた
にけた。自慢でねぇども、病舎でそこまでやったの、いねぇよ。それにしぇ、敷蒲団だって人の倍も厚いやつ、
掛布団だって綿のいいやつ、これ高堰にって、俺につかわせべ」
211
山県「優遇ですね。刑務所ではわかったんですね、親爺さんがどうしてああせざるをえなかったか」
松治「んだば又鬼の王様、刑務所の王様になったな(笑い)」
皆(笑い)
喜代志「おうや」
め
山県「オヤッサン、罪人の気持ち、捨ててくれればいいんだけど。誤殺はたしかに罪だけども、原因はそうで
はないから」
喜代志「看守長もゆってけた、お前だっきゃ、なんも悪くねぇと」
うわ
み
松治 「あの裁判もおかしいようだな。どうして喜代志をああいう風にしたかっていうそこ、一本の木であれ
ば、根っこと幹を調べねぇで、たんだその、ほんとの上っこばり、枝や葉や実ばりな調べて、あれはおかしいと
思うんだな」
ね
喜代志「それもいいったってや、米内沢(森吉)の警察署で裁判(出張尋問)したときや、関係書類から俺の
衣類から、みなもってってや、俺出所するときそれ、、署で前にもうハー焼いて無ぇときた。これは許されねぇ
ことだよ。ところがしぇ、大館の警察署の大将、検事局(検察庁)の御大、盛岡から出てる人だ、俺のとこさ三
回も来て、なんとかしてけれ(穏便に)ってゆうべ。わかった、これ以上あんた方に俺、迷惑かける気はねぇた
めに、俺がハンコつけばいいんだから、んだばそうするとゆったよ。したっきゃ、次に大将、電話寄こしたっけ
も。なんぼ(代償)払えばいい? なんぼって、なんぼ出す気だ? まず八万円。よし、そいでいい、となった。
ところが大将、俺なんも要求さねのに一〇万円もってきたべ。んだから俺、八万円よりもらわねとゆったば御大、
いやいや、そうでねぇてば、これは俺だって下手せば首切られるようなことやって、国から(お詫びで)出るカ
212
9 再会
ネだために、なんとかとっといてけれとゆうもんだも。俺、よーし、わかった、ハンつくとゆって、一〇万円受
けとったよ」
松治「んだか、そんたこともあったか。──あの当時の新聞、雑誌(週刊誌)というものも、一方的に喜代志
のことを悪いと書いてるもなぁ。あれもおかしいな」
喜代志「んだよ。部落は部落で村八分だの、九分だの、押しつけていたもの」
松治「んだな。部落も悪いし、まず一番悪い仕掛けこしらえたの、町だべな」
喜代志「おうや」
同三〇日夕、高堰と山県は喜代志宅に帰る最終バスの時刻が迫り、町営の温泉で一浴びすることをあきらめて
松治宅を辞しました。その折、高堰は松治夫妻に、明日帰京する山県と一緒に長男正志宅のある盛岡に行くから、
そこで「持ち腐れの宝」の熊の毛皮、売ってきてけるといって、重い何枚かを背負ってバスに乗りこみました。
喜代志宅にもどった山県は、ちょっと散歩にといって事件現場、故阿部哲男供養の卒塔婆のもとに行き、故人
おぼない
の霊に七文字(南無妙法蓮華経)の題目を捧げました。七文字はいっさいの命を生と死をつらぬいて連鎖させて
活かしつづけている自然の命律を黙示して表徴するものでした。
おぼね
だし
その夜、高堰は自宅で山県の所望で歌を、地元秋田の民謡で生保内節(通称おぼねだし)と仙北節をうたいま
した。
〽吹けや生保内東風 七日も八日も 吹けば宝風ノオ 稲アみのる キタサノサーア コラサノサー ドッコ
イショー
213
のど
しゃが
ぼ
唄は豊作を祝うもので、声は山中での熊の巻き狩りで「ホーホ、ホーリャ」と大声を発してクマを追うとき、
「ライオンの喜代志」の異名どおり朗々としてよく響き、よく透っていたものが、咽喉の不調で嗄れ声になり、
歌いぶりはそれがかえってアフロ・アメリカン(黒人)のジャズやゴスペルでのハスキー・ヴォイスに似て渋く、
味があるものになりました。
これは高堰の出所の遅蒔きのささやかな内祝いの納め唄でした。高堰はみずからのシャガレ声が気に入らず、
おなご
二曲で歌いどめにしました。
唄のあと──。
高堰「俺ぁ若いとき、女がた、よくたらしこんだもんだよ」
山県「(笑い)そんなこといって、おこられるよ、あとで奥さんに」
テツエ「たらしたなんて、何ゆってんべや(笑い)」
山県は高堰夫妻を記念写真におさめました。
翌五月一日、高堰と山県は未結着の代替地問題を電話で連絡しあうことにして、比立内駅から盛岡に向かう列
車に乗りこみました。
214
決着
10
10 決着
一九八八年(昭和六三年)九月一八日、山県仁はふたたび高堰喜代志宅を訪れました。それは先に再会してか
ら五ヵ月後で、いぜんとして未解決の土地問題に最終結着をつけるためと、高堰からマタギの世界ほかさまざま
なことを聴きとっておくためでした。
代替地問題はどうなっていたか? 戸鳥内部落の会長高堰徳一郎はすでに部落の総意として、喜代志に八反歩
の代替地を決めて渡すべしと決めていました。が、阿仁町当局はいぜんと同じ担当課長(建設課長)高堰定治が
グズついて解決をズラし、八反歩の代替地を特売にしようとしていました。ために喜代志は何度か提訴しようと
し、そのまえにいまの町長近藤竹夫と直かに会って一気に決着をつけようとしましたが、課長が「来ねでけれ」
と町長に会わせようとせず、さらに「もう少し待ってけれ」とはじめて頭をさげたので、課長にゲタをあずけて
回答を待っていました。
喜代志「いかなる人がどんなことゆったって、俺に曇りって、ほんとからいけばひとっつもねんだ、な。これ
が、あんた方、認めてけるとこなんだ」
おらえ
山県「そうです。ところが周りは曇っていすぎて、騙して誤魔化そうとしすぎて、悪すぎて──」
ね
喜代志「んだよ。あの事件で、大館の検事局(検察庁)の御大、俺家から持ってった証拠の書類(高堰に有利)
も衣類もみながら焼いてしまって無くしてや、弁償に一〇万円とっといてけれときたべ。ところがしぇ、阿仁町
の仕打ちはそったもんでねぇよ」
山県「そう、ひどすぎる」
喜代志「だども、まずは課長がもう少し待ってけれというとこまできたから、俺また明日電話して、あんたに
も聴いてもらって、町に然るべき方法とってもらわねばね」
217
山県「そうしましょう。──オヤッサン、半分安心した。戸鳥内部落の会長が八反歩の土地問題は代替地にす
けい
べしと決めたということを聞いて、問題の半分は片がついたし、問題はあと半分、町当局の返答が残っているだ
けになったとおもうから」
喜代志「あいや、そやった(そうだった)。──それとしぇ、いま官行造林の境界問題、俺のとこ(山林)さ
け
蹴こんでる。んだから監督さ連絡して二回も注意してる」
と
めえ
山県「ん? 何、それは?」
き
喜代志「これはしぇ──去年、町で官行造林を処分しちまってるんだ、木ば伐って。それで、こんどまた造林
したべ。そんとき、俺のとこ蹴こんで、木みな採ってるんだ。こういう問題だ」
山県「ああ、そうか、親爺さんのとこの木、余計に切りすぎて、造林してるんだ」
喜代志「おうや」
山県「木は勝手に伐ったの? オヤジさんの了承も得ないで?」
喜代志「んだ、勝手に切ってるよ」
山県「どうしてそんなことできるんだろう?」
喜代志「これは監督、間違ってると認めてる。官行造林というものの境界は図面にみな出すべ。俺、この前も
監督のとこさ行ってみてきたよ。そのときや──ほら、まちがえねがべ。ああ、まちがえねと、監督もハッキリ
ゆってるよ」
山県「それはかりに親爺さんが黙っていても、町は当然補償しなきゃだめだね」
喜代志「こんどは正してける」
218
10 決着
山県「どうしてそういうこと平気でやるのかな」
喜代志「なんも。こたび、答え出す。これ(この件)も、あんたがいるうち、電話で」
せ ぶ
山県「ぜひ、そうして」
喜代志「二畝歩かなんぼだども(勝手に木を伐採したのは)」
は
山県「いや、オヤッサン、それは木が採られた山林の面積が一歩だろうと一反だろうと、切られた木の本数が
一本だろうと一〇〇本だろうと、どっちも同じことで、境界を食みだして無断で木を切る町の性根がよくない、
いいかげんで。それでそのこと、こっちからゆっていかなければ知らんフリしようとするんだから、これはタチ
がわるい」
喜代志「んだった。だども、なんぼ町がゴマカす気になったってや、人はそうそうゴマカさえねぇよ」
山県「そうだね」
喜代志「いままでしぇ、こうして俺はなんぼ苦労してるかわからねどもな、答えはつねに出してやらねばねぇ
ニンゲンなんだ」
山県「周りが悪すぎるね」
喜代志「阿仁町だったって、なんぼいばったって、曇りはクモリで晴らして解決さねばねぇもの」
山県「八反歩の土地問題は課長が決められなかったら、最終的には町長の鶴の一声か裁判にもちこむかだね」
喜代志「んだ。町がなんぼ、どったことゆったって、特売でねぇ、代替地でな。それ、明日また課長に電話す
る。その結果によって、あんたまた判断してければいい」
山県「電話するときオヤジさん、部落ではもうみんな代替地認めてんのに、なんで役場で認めないんだと、そ
219
れに高堰がなんのために罪科に服してきたかと、この二つのこと、強くいってやる必要があるでしょう」
喜代志「んだな」
き
翌一九日、長年におよぶ土地問題と去年いらいの立木無断伐採の問題について、高堰は町の担当課長と電話で、
どう決着をつけたか?
山県「親爺さん、もう一回訊きますよ、八反歩の土地問題は一応、もう解決したとみていいんですね」
高堰「いい」
山県「代替地の要求が実質的に通ったと。町は名目だけは特売の形にしてくれといってきて、カネは高堰から
とらずに町が出すと。だから実質的に代替地と同じだと」
高堰「んだ」
山県「それで八反歩はもう今月中に契約できると」
高堰「できる」
山県「となると、土地問題はもう、部落のほうは代替地で了承ずみだし、町のほうは代案で内定にしたから、
問題なしですね」
高堰「あとは測量して登記せばいいんだ」
山県「それは自動的に処理されることだから問題ないですね。ほかに、立木の無断伐採の問題は、町が当然補
償しなければならないこと」
高堰「それは一六万(円)なんぼかで決まった」
220
10 決着
山県「決まった? なら、これももう問題なしですね。あとは、私有地を十何年も勝手に林道として使われて
きたことと、土地問題をこれも十何年にわたって未解決のまま放置されてきたこと、この二件の慰謝と賠償の請
求が残っているけど、オヤジさん、それは?」
高堰「なんも、請求さね」
山県「ああ、気がいいなぁ。よすぎる」
高堰「なんも。ほんとは賠償の請求してもいいったって、なんも俺はかまわねぇよ」
山県「請求する気はない? わかりました。──そうすると、土地問題もナニ問題も、もう一応決済して結着
しましたね」
高堰「んだ、決済した」
山県「もうすべて済んだとみていいですね」
高堰「いい」
山県「じゃあ、問題はいっさい、もう頭から外していいと。それに、提訴のことも、弁護士のことも、町長と
会うことも、ハズしていいと」
高堰「んだ、いっさいハズしていいな」
山県「わかりました」
高堰「ほんとは俺、課長(高堰定治)より先に町長(近藤竹夫)と会って話してや、ことを処理する気になっ
こんたけ
き
てた。ところが、町長に結論いわれたら、ほら、課長はもういばっていられねべ。んだから課長の定治、俺に町
長の近竹(略称)に会いに来ねでけれっていうべ。わかったとゆって、んだば、どうしてけると尋いたよ。んだっ
221
きゃ、課長、もう少し待ってけれとゆって、俺さはじめて頭さげたべ。それで俺、課長にゲタあずけたんだ」
山県「ああ、そう。──やっと決着がついたね、オヤジさん」
高堰「あいや、ただ時間が長くかかっただけで、要は負けてね」
山県「そう。──それでひとまず一件落着したから、オヤッサン、まずは握手しましょう」
高堰「おうや。どうも」
山県「よく辛抱しましたね、十何年も。昭和四六年(一九七一年)一〇月から六三年(一九八八年)九月まで
一七年も」
高堰「なんぼ長えったって、最後は解決してける力もってたためにな」
懸案の土地問題、八反歩の代替地問題は高堰が町の担当課長の特売の形をとった代案を容認して呑み、実に
一七年の歳月をへてやっと結着しました。
それは事件の急所だった二者択一の勝負──ゼニと土地、サマサマのニンゲン・エゴと命の里の大地、バンバ
ンザイのゼニといっさいの命源の自然の命律、どっちを選るか、二つに一つの勝負を、ひそかに継いで貫いた行
と
為でした。高堰は林道用に提供した私有地の補償に、終始一貫、金銭(町当局の用地買収による)ではなく代替
地(町有地との土地交換による)を選りましたから。
て
その夜、外に出た山県は満天に宝石がバラまかれたようにギッシリとつまって群居する大小の星々が、キラリ
ひた
ン・キラリンと煌めきながら、コロリン・コロリンと音たてて雨滴のように頭上に降りそそぎ、掌でたやすくつ
ばた
かめそうな異景に出食わし、瞬時に身心がきらめきの海にどっぷり浸って透きとおり、精化して星々のあいだを
自在に羽搏く至福に恵まれました。
222
10 決着
シメジ
そのとき山県はおもいました、生粋の又鬼で根っからの百姓の高堰喜代志はきらめく〝星々の衆〟の一人だか
ら、その本姿をはっきりさせておかなければと。
キノコ
翌二〇日、高堰は山県をうながして山に茸のうちの占地採りに出かけました。高堰のあとについて林中の斜面
を登り降りしながらシメジを教わったとおり採っていた山県は、いつか高堰の姿を見失い、迷子になったか? とヒヤリとし、身の丈を越す雑草の藪につきあたり、なかに突入して「親爺さーん、どこだー?」と呼ばわり、
うま
「こっちだー。道さでれー!」と返ってきた声にむかって突進し、汗みずくでやっと道に出て、ヤブの迷路から
脱けだし、路傍に座りこむ高堰を目にしてホッとしました。
帰路、山県が谷川の細流で飲んで顔と頭に浴びせた水は冷たく、まろやかで美味く、瞬時に身心を爽快にしま
した。
この三日間、事件の原因の土地問題が最終決着をみた一九日前後の三日間に、高堰と山県の二人が事件を省み
て話しあったことの要所はこうでした。
高堰「それがどうして、俺がや人殺したもんだも。これは取り返しがつかね、どうもなんね」
山県「誤殺が痛かった」
高堰「んだども、ほんとからいけば、なんも俺はそんたに謝罪さねばねぇニンゲンでねぇよ」
山県「原因からいけば」
高堰「あの日(事件の日)、俺ば袋叩きにしてけるという考えでアレ、中嶋だち四人(中嶋土建の中嶋・佐藤
223
と東洋基礎開発の大友・阿部の四人)、ここ(高堰宅の周り)さ蹴こんできたもんだよ」
うわて
山県「そのなかに阿部さんもいた」
と
高堰「ん。あの人より(仕事で)上手が一人いるんだ。それ(大友)が中嶋のブルで雪ばみな押してきたもん
だ、奥(山側)から。俺ぁ、みな視てるよ。──んだから、ここ(居間)から窓あけて、鉄砲狙ったよ、ほんと。
あんとき撃てばいいった、中嶋ば。したっきゃブルがや、ぐーっとさがった(部落のほうに)。それから、ここ(玄
え
ぼ
ひど
むご
関口)さ一人、二人(佐藤と中嶋)と入ってきた。それで俺ぁ怒った、こん畜生、こんどは赦さね! んだって
や、中嶋は俺ば三回も殺してけると息巻いてるべ、んだから。──ところが警察だば、そんでねぇもの、そこば
さか
見ねぇもの、どうして。俺が家から一キロ(メートル)も山の奥さ人ば追って猟銃で殺してるから、酷い、惨い
とゆうべ」
あ
山県「阿部さんも、さいごに親爺さんが、中嶋でねば叫べといったとき、一言、中嶋でねといえばよかったのに」
高堰「一言な。──俺のババだばや、いまもあっこ(誤殺現場)さ行って、リンゴとかいろいろ供げてるよ。
──あの人の奥さんに対しては俺ゃ、感謝してる」
け
山県「あの奥さんはえらいね。上申書で、寛大な判決を要望してるから」
高堰「いまだば高堰より中嶋が憎いということを書いてるもの。んだから奥さんには、いつかは会えばな、俺
も年はとってるども心を明かしてな、答えを出さねばねぇと思ってるんだ」
山県「オヤジさんのそういう気持ちもふくめて、いずれ事件とマタギのオヤッサンのほんとうのところをハッ
キリさせる本を出すから」
高堰「俺だっきゃ、曇りもなんも持ってねぇよ、な。なんのためにこういう事件が起きたか、これをハッキリ
224
10 決着
してもらえばいいんだ」
山県「そうする」
たた
カタキ
高堰「あの事件だけは俺、はじめに抜かった。あんとき、中嶋が来たどき、酒一升もらったやつ、返しておけ
ずるがしこ
ば一番いいものや、そうさねがった。それが祟ったよ」
山県「中嶋は狡賢くて、猫っ皮かぶっていたから」
高堰「んだ。それ、わからねかった。──だども、いいよ、いつかは仇とる」
山県「中嶋は因果応報で、善因善果の逆、悪因悪果の報いを受けるでしょう」
高堰 「まずな。
──したどもアレ、
中嶋きたときや、
熊の肉一キロ
(グラム)
も煮て食わせたべ。
あれがタタッた」
山県「折角のもの、とんでもない奴に食わせて、いい気にならせて、一杯食わされたね。ただ、そこがまたオ
ヤジさんのいいとこで、礼をつくして尋ねてくる人には誰にでも四民平等、いいもんでもなんでも食わせてやっ
てもてなすからね」
高堰「それは俺のバンバがまたそやった。そういう風に人ばもてなすの、非常にいいんだ。誰にも甲乙ぜった
いつけね。これはバンバのいいとこだも。俺、認めてるよ」
山県「阿部さんが、さいごのところで俺は中嶋でねぇと叫ばなかったのは、オヤジさんにたいして自分が中嶋
の側にいて、中嶋と同一行動をとって、中嶋とグルだったと意識していたからだろうか?」
高堰「それはわからねども、俺のバンバは、俺が罪のねぇものを殺したという信念をや持ってるために、いま
でもあっこ(誤殺現場)に行けば、供物をあげてるんだ」
山県「奥さん、霊を供養して」
225
カア
オヤジ
高堰「んだ。俺はあの人の奥さん、大館さ裁判で来たとき、頑張ってとゆってけだ気持ち忘れねども、夫を失っ
たカアさんにたいして、ほんとや、いつか行ってな、お詫びさねばねぇという気持ち、まだあるよ」
226
独り又鬼の世界
11
228
11 独り又鬼の世界
⑴マタギ
一般にマタギとは何か──又鬼の語源と由来と旧分布と旧生態と現在、いまのマタギの所在と在り方と生活に
ついては、諸説まちまちであるうえに、この一文の眼目からはずれるので割愛し、必要最少限のことを大まかに
記せば。
サンカ
又鬼は、由来が縄文期までの狩猟・採取の民の流れを汲み、農耕が始まる弥生期いこうは平地の農民にたいす
る山地の猟民や半猟半農の民ほかになり、漁撈が中心の山窩とは別でした。類別は、個人狩猟の独りマタギと共
まんじ
同狩猟の又鬼集団の別から混在がありました。古来からの信仰は山神信拝で、そこに平安期に山岳仏教の天台密
やまだち
教と真言密教が混入していました。
みそぎ
むりょうじゅ
こと
マタギの系統は二分されて、『山達根本之巻』を秘伝にして天台系の日光権現とむすび、万事万三郎を始祖に
ぶじ
きよめ
して禊に「南無(帰命)無量寿覚仏(阿弥陀仏)」をつかう日光派と、『山達由来之事』を直伝にして真言系の高
はら
野山・金剛峯寺につらなり、空海=弘法大師を授戒の師として潔斎に「南無薬師(如来)真言」から「南無山神
アビラウンケン
ソ ワ カ
十二神」をつかう高野派に分かれていました。どっちの派もお祓いの呪言の締めには、真言密教に発する「南無
阿毘羅吽欠(地水火風空)莎婆訶(成就=めでたし)」をつかってきました。「阿仁又鬼」は、日光派の始祖万三
サハリン
郎の「直系子孫でマタギの本家」の自負をもってきました。(『マタギ──消えゆく山人の記録』太田雄治)
みちのく
又鬼の語義は狩人と狩りそのものをいみして、〝自然の原民〟のアイヌ衆(北海道)もオロッコ衆(樺太)も
マタギという言葉をその両義においてつかってきました。所在はいま、陸奥の東北地方に散在し、生業はいま、
229
ほとんどが農業から林業が主で狩猟が副になっていました。
⑵一人の存在
高 堰 喜 代 志 に つ い て、 か っ て 事 件 を 速 報 し た 地 元 の 秋 田 さ き が け 新 報 は こ う 記 し ま し た。「 高 堰 は、 昔 か ら
の伝統を持つ狩人集団『阿仁マタギ』の〝生き残り〟で、巻き狩りを指揮する〝しかり〟と呼ばれる指導者の
中 で も 長 老 的 存 在。 ツ キ ノ ワ グ マ を 何 頭 も 仕 止 め た こ と の あ る 腕 前 で、 地 元 で は〝 名 人 〟 と い わ れ て い た 」
(一九八一・一・七)
より正確には、高堰は又鬼集団の生き残りではなく独りマタギの〝生き証人〟で、つねに集団を統括して共同
猟の指揮と儀式をつかさどる統領のシカリではなく、ふだんは単独猟をやっていて、集団の共同猟で熊を巻き狩
ぼ
りするときの勢子の指揮では群をぬく名人でシカリ格の長老であり、熊を射止めるマツパ(射手)の腕だけでは
当人より上の達人が何人かいました。
高堰はいいました、「問題は鉄砲撃ちのとこさ熊追ってやれねば、撃てねの。誰さま、なんぼ自慢してもや、俺やっ
たようにクマ獲れねぇし、俺くれぇ生きものとれた人、ほんとはいねぇんだ。とったクマで歴史に残る王様は誰
さま、いかなることゆったって、六五貫(二四三・七五キログラム)のやつと六三貫(二三六・二五キログラム)
のやつと、あれ二つ。それみな松治に撃たせてる。六五貫のクマとったのは、打当の前のシカリ辰五郎(鈴木)
と俺と松の三人で、松がまだ狩猟免許受けてねどきだよ」と。
鈴木辰五郎は高堰が一目おいて「俺、尊敬してるよ」という又鬼の最長老で、若いときさる牧場の熊狩りで、
230
11 独り又鬼の世界
眼前に立ちあがって急襲してきたクマを寸前に身をかわしてハズミで転がし、他のものに仕留めさせて「空気投
げの辰」の異名をもっていました。
高堰が事件にいたるまでの四十数年来、共同猟のときいがいはほとんど独りマタギで過ごしてきたワケは? 一つには、高堰が住む栩木沢から戸鳥内の部落がいつからか打当や比立内のような又鬼部落ではなくなっていた
からであり、二つには、栩木沢の部落が高堰を闇雲に村八分にして高堰に孤立を強いるようになったからであり、
三つには、高堰がマタギ集団が組みこまれた現代流儀の猟友会組織の、「畜生」の禽獣狩りとはウマとソリと心
が決定的に合わなくなったからであり、四つには、みなでやる熊の巻き狩りいがいでは、名人クラスの本式の又
あいたい
鬼が少なくなったために、猟が大勢でやるとギクシャクして不満足に終わり、独りでやるほうが余計な気遣いを
せずに満足いくまで自在に振舞えるからでした。
カナメは三つ目でした。高堰が山林や原野の鳥獣と相対してやる狩りは、本能と精神においてモダンなハンター
とはまったく異質で対極にあるものでした。どう違ったか? 高堰は一に、狩る相手とみずからが自然を母体と
する命の子同士としてまったく対等と感応できる血を宿して、猟をやりました。高堰は二に、生死を分ける仮借
や
ない狩りの勝負では、勝つほう負けるほうどっちも暗黙のうちに自然の万物を互いに生死の活かしあいにつかせ
ている律につきしたがって、勝って殺った側は命の糧に恵まれて生き継いで生を活かされ、負けて殺られた側は
まれ
死んでカテを恵んで死を活かされて命の源に、山神や水神や風神の神々のもとに、活ける畏るべき天地の活生と
活死の無窮の律に帰る、と信ずることができる魂魄をうちに秘めて、猟をやってきました。
これはゼニがすべてのいまの世と世人と時代の狂った凶状からは、もはや夢想すらできないほど稀有で貴重で
驚くべき世界、自然と一体の命こそがすべての世界でした。
231
たいして、いまや又鬼とは名ばかりでモダンなハンティングに傾いた猟友会組織のハンターの狩りは一に、狙
う側のニンゲンは痩せても枯れても「万物の霊長」で最上等のニンゲンサマで、狙われる側の鳥獣はタカが知れ
た下等な野獣や野禽の「畜生」にすぎないと、相手をあくまで優劣と上下で見くだす立場に立ち、二に、いざ殺
い
るときはどこまでも弱肉強食のエゴと優勝劣敗のキバひとつにかけており、三に、餌食で金目の獲物漁りに腐心
し、四に、仕留めた相手が熊であれば、肉も毛皮も胆も「高価な獲物」として鵜の目・鷹の目になる、という流
儀でした。
これは、なにもかもが利産のダシでゼニに換算されるフザケた世の毒にあてられて、素寒貧になったイノチの
持ち主らがハケ口を、いまや不当にも細々と生き継ぐ〝弱きもの〟におとしめられた鳥獣に向けて、エジキあさ
りの最低なエゴをむきだし、「弱いもの殺し」に憂さを晴らして、やっとこさ不遜きわまるニンゲンサマの己惚
れを満足させている図の、貧寒として殺伐たる世界でした。
高堰は山神についていいました。
山県「山の神様(女神)っていうのは、昔の人は信じたと思うけど、いまの人は信じてない?」
高堰「あんまり信じてねぇな」
山県「親爺さんは?」
高堰「いや、俺は信じてるよ。んだから、クマ獲るときや、ほんとや、ババーとぜったい寝ねぇよ。そんくぇー、
信仰してる。やっぱりしぇ、誠心誠意っちゅうもの、その人の気持ちが一番大事だんだ。だからや、なんぼ山の
よ
神様のことゆったって、そういうこと(禁忌)を守らえねばや、いけねんだ。誤魔化さえねぇんだ、魂はな」
山神は自然の生死活かしあいの命律の別名で、熊の巻き狩りの山入りには女神の山神の祟り避けのために、女
232
11 独り又鬼の世界
タブー
との共寝=妻との同衾と猥談は禁忌のひとつでした。
高堰は猟友会組織のモダン・ハンター集団とは住む世界が違いました。だから独りマタギに徹しました。高堰
つい
のその独りの在り方が人知れず底光る光芒を発するのは、ゼニののさばりとニンゲンサマのエバリと弱肉強食の
エゴに本能で叛旗をひるがえしてきた一点と、それと対で、自然の命律にしたがって、自然の申し子の鳥獣や草
木とあくまで対等の命を拮抗させ、驚くべき生死の分かちあい、生死における互恵から代謝をつらぬかんとする
アニマ
肝魂に懸けてきた一点においてこそでした。この在り方は、中世いらい時の権勢下の一端に組みこまれて又鬼と
マナ
呼ばれるようになった世界すら突きぬけて、はるか太古いらいの生粋の狩猟衆の生き方と死に方、〝精霊〟とい
う名の自然の命の原力と原律による生死を、本筋において血でひき継いでいました。どうじに高堰のこの在り方
は、物神化したゼニの凶権と不可侵化したドグマ(教条)の魔権が大エバリでのす狂勢にアグラをかいて居直り、
あげくに無残にもいっさいの命をカラッポにしてボロクズにしている極悪ないまの資本主義圏と仇ないまのかろ
うじて余命をたもつ社会主義圏の世と世人と時代にたいして、これを根こそぎくつがえして、世の支柱の衆と自
然の申し子の生けるいっさいのものの生来の生死分かちあいの世界に一変させて一大回生させるにたるだけの、
無類で無比の火種と秘光と底力をやどしていました。
阿仁町では、「特殊な伝統をもつ狩人」で「近年その狩法は見られず」である又鬼の伝来の衣服や用具を「貴
重な文化財」として保存しています。が、文化財とは何か? それはおおむね、いまの世人とは無縁のもので、
ひか
当代のウスッペラな懐旧趣味で毒消しされて乾涸らびきった昔の遺品で、いまの世の臭いものを覆い隠すのに利
用されている虚飾の安全弁でした。そんなものが貴重?
高堰はそうした文化財的な、ナニモノでもなくお飾り的なマタギの生き残りの一人だったか? 否でした。高
233
堰は当代の生きるもゼニ・死ぬもゼニで、手段のゼニ盲信の生死の対極に位置して、太古いらいの生きるも自然・
死ぬも自然で、命源の自然に帰一する生死をつらぬかんとする現に活在の又鬼の一人、生粋な狩猟衆の一人、稀
有な大地の衆の一人でした。これを貴重といわずに、いったい何が貴重? 一歩身を退いて文化財というなら、
いま
ハヤリ
高堰は当代流行の死せる安全弁の文化財を底から突き破って、そんなものをはるかに超え出ている活ける超文化
財でした。
そういう存在である高堰を、地元でも、事件いぜんにドラマのモデルにしたりマタギ集団の一人としてドキュ
メンタリーで撮影したり又鬼名人の一人として取材したりした映画やテレビや新聞の関係者でも、事件関係者で
も、誤殺事件を起こしたゆえをもって、粗末にあつかって黙殺しつづけていくなら、そういう当人らはいったい
何をやっていて、どだい何ものなのか? それは事件の真因をつかもうとせず、高堰の真価を知ろうとせずに、
たか
ただ闇雲に一人の自然人を寄って集って真綿締めにして、扼殺せんとする凶悪罪を犯している人非人でなくて、
いったいナニモノか 人非人には、天罰とともに人罰は必至でした。
高堰が熱を帯びた猟とは何だったか? 狩りで熱がこもってきたのはどうしてだったか? それは山そのもの
なっても若い人と同様に奥深い山に出かけて元気で歩いていた」と。
月~五月の春マタギと一二月~二月の寒又鬼の二期)は別人のように我を忘れて狩りに熱中していたし、老年に
かん
高堰喜代志の長息正志はいいました、「父は私たち子供の頃から、農業のかたわら、春と秋・冬の狩猟期(四
⑶生来の狩人と肝魂
!?
234
11 独り又鬼の世界
と熊の猟そのものに謂われを解き明かす鍵がありました。
まず山は高堰にとって、女神と信じられている山神の豊沃な精気と峻烈な鬼気が、五官に触れる一木一草から
あら
一鳥一獣―一虫一岩―一風一雲―一光一雨―一水一雪にいたるまで、真っ裸で生動してやまぬ万物と万象に活き
いきと宿り、脈々と貫かれていて、みずからの命が一気に浄われて活き返り、命の力が漲ってくる源、何ものに
も替えがたい命の蘇生の里で精錬の磁場で聖域でした。山神の精気と鬼気とは、天と大地の、無窮の生の律と仮
借ない死の律の別称で、この二つのものは光と闇のまったく相反する対極のものでありながら、万物の生をも死
ばた
をも清濁併せ呑んでどっちも活かしてしまう命の根、万象を不断に相依相関で生成―消滅―新生させつづけてい
る大自然の命律の前では、あくまで一対で一体のものでした。
うごめ
高堰は山では、樹木の屹立にも、潅木や野草のざわめきにも、鳥の羽撃きや叫びにも、獣の石火の挙動や姿な
なだれ
き咆哮にも、虫の蠢きにも、風の往来にも、霧のもやいにも、千変万化する雲流にも、大気のどよめきにも、嵐
にも、蒼空にも、陽光にも、水源の流れにも、朝夜の冷気にも、底光る雪原にも、樹氷の鳴動にも、雪崩にも─
─これら五感で感じるいっさいのものから、山神の凛烈な精気と峻厳な鬼気を吸いとって栄気を養うことに恵ま
れて、ほんらいのワレと活ける命に立ち返ることができました。どうじに山は高堰にとって、いっさいのウソや
ゴマカシやコケンやエバリをはじきだして、そこではいっさいのものが真っ正直で、自在な活姿と生死を分ける
容赦のない勝負と生死活かしあいの本姿についていました。
生来の狩人は、狩りのときでも日常の営みでも世にたいしても、その血と心底に、高堰のように山を命の里に
し、山神という名の生死分かちあいで一体の命律にワレと命を帰一させる肝魂を宿していて、その律と魂を唯一
の拠りどころにしてみずからを律している存在でした。山をたんに獲物漁りの猟場あつかいなどせずに。そして
235
ニセ
マタギと通称されている狩猟衆で本道をいく生粋の存在かどうか、真か偽かを決定づける分岐点、峻別の決め手
はこの一事──当の仁が山神という生死活かしあいの命律とひとつの肝魂に依拠して生きて死んでいるかいない
かにありました。
高堰は狩人あるいは狩猟衆として〝真〟の有資格者でした。その魂は、生界と死界を自在に往来しているいっ
さいの精霊に通じていました、山霊にも、木の精にも、鳥や獣の霊にも、風や光や水や雪の精にも、地霊にも、
天の精にも。精霊は、万物から万象を生死の交換と代謝によって不断に活生と活死につかせている大自然の命の
原力から原律の又の名でした。
ついで熊は高堰にとって、人ともほかの鳥獣虫魚とも同じな一大命体の自然の子同士で、鳥獣のなかで「王様
の猛獣」で、力では人は足もとにもおよばず銃でやっと対抗できる相手で、山神からの「授かりもの」のなかで
「いちばん頭いい」うえに最強のものでした。そこでクマを筆頭で中心とする猟は高堰にとって、単独猟でも集
団猟でも人と熊が生きる糧をめぐって年に何回か、互いにどっちかが死んでどっちかが生きのこる待ったなしの
勝負をやり、山神の鬼気の死の律に魅入られたほうが負けて死んで相手にカテを恵んで相手の生を活かし(自死
他生)、山神の精気の生の律に力を付与されたほうが勝って相手をカテに生きて相手の死を活かし(他死自生)、
よみ
互いに生死代謝の命律の仲立ちによって命を交換し、生と死を活かしあい(活生と活死)、命を分かちあってい
るできごとで、〝死そく生〟で生そく死の厳粛な命の秘儀でした。この儀を嘉するのは山神という名の生死一体
の命律で、その律には死したものが生きのこったものから謝恩の聖餐として捧げられました。
高堰はこの秘儀、狩りの本道を踏襲している数少ない生き証人の一人で、生来の猟はもっぱら弱肉強食の獲物
あさりとはまったく似て非なるものでした。
236
11 独り又鬼の世界
現証があります。
一に死闘。
高堰は一九七一年(昭和四六年)四月(二七日)、又鬼仲間二人と春グマ狩りに栩木沢の奥から森吉山の八合
目あたりまで出かけ、途中で二人と別れてマタギ犬(猟犬)の「ポチ」(秋田犬と柴犬の雑種でオス)とマーク
ずみの一ヵ所、熊がよく冬眠の巣にする大ブナの倒れ木の穴に直行しました。そこに近づくや、いきなりポチが
吠えたて、クマが穴の奥にいることがわかり、高堰が穴を塞ぐようにブナの枝を三本立てかけ、穴の直前(二メー
トル弱)で待機しました。ほどなく熊が穴口に出てき、邪魔な枝を内に引っぱりこみにかかった刹那、高堰が心
かじ
臓に照準をさだめ、単発式の元折れ銃の引鉄をひきました。が、なぜかクマは倒れず、高堰に飛びかかってき、
ナタ
頭を殴打し、銃を払いとばし、頬を齧り、右目に爪を食いこませてきました。高堰は右目が見えなくなり、「こ
んどは頭かじられる」と思い、腰の鉈を手探りしたが抜きとれず、「俺もこれで終わりだ」と観念しました。そ
タマ
はず
の瞬時、吼えつづけていたポチが熊の後ろ足に噛みつき、クマが高堰から離れていきました。
高堰の「百発百中」であるはずの弾丸が至近距離の的から外れたのは、高堰がそのとき使ったタマがそれまで
の手製の鉛弾丸ではなく火薬店の既製のもので、それを銃に逆に詰めたため、弾丸があらぬ方向にすっとんだか
らでした。
え
高堰はポチのお陰で九死に一生を得、「普通の人はあっこで倒れて参る」ところ、右の頬と鼻の肉をぶらさげ
ながら、「ダッチ、ダッチと血流して、家まで三里も這って」きて、その「バゲモノみでぇ」な姿に腰を抜かし
た
た妻テツエに、「クマど闘って負げだ」と告げ、口惜しさを露わにしました。
そのご高堰は「四年か五年経ってからだった」が、顔面を「片輪」
(整形)にされた当の熊とふたたび巡り会い、
237
カタキ
「仇」をとって「獲った」ところ、「オナゴもの」でした。そのときもまたポチが「ワンワと吠え」て高堰に知らせ、
高堰が「みな違う」クマの「足跡」を見て当の相手と判別しました。
ポチについて高堰はいいました、「アレがどこさ行ったかわからねども、ニンゲンの言葉通じるヤツで、ほん
とに利巧。猟でもや、俺なんも教えねったって、みな覚えてるよ」と。ポチは誤殺事件後に、町の保健所で薬殺
されていました。が、高堰の家族も衆座も高堰の気落ちをおもんぱかって、そのことを高堰に知らせないように
してきました。
二に祈念と禁忌と潔斎。
よ
マントラ
ダーラニー
又鬼は古来、山神が律する山を神聖視してきました。そこに集団でも個人でも山入りにさいして、さまざまな
祈念とタブーと門外不出で秘中の秘の厄避け唱え言葉(呪言=真言=呪陀羅尼)が生まれました。
祈念では一例に、集団での入山者は前日に山神の神社かシカリの家の神棚で御神酒を奉じ、山神を拝し、豊猟
まつ
と無事を祈念し、御神酒をみなで飲む。ついで入山後の狩り小屋(マタギ小屋=丸太造りで樹皮葺き)で、みな
がシカリ持参の山神の御札を祀り、拝す(いまも)。
禁忌では一例に、入山者は一週間前から女色を絶ち、ついで本人・家族・親類の結婚と家族・親類の出産と葬
さと
儀があると、それぞれ一定期間(かっては二日間~一年間、いまは二日間~三日間)入山を禁じられる。さらに
山では、里言葉(ふだんの話し言葉)は禁じられてマタギ言葉(山言葉)がつかわれ(かって)、シカリの命に
背くことや歌や猥談や酒やタバコが禁じられる(いまも)。加えて留守宅では、妻は化粧や着飾ることを禁じら
れる(かって)。
又鬼言葉の一端は、握り飯=アモ、米=クサノミ、塩=サンゴ、肉=ピイ、熊=イタズ、猿=スネ、犬=セタ、
238
11 独り又鬼の世界
蛇=ナガムシ、家=イカネ、火=イグシ、鉄砲(火縄銃)=シルベ(シロビ=スルベ)、山刀=ナガサ、金銭=
き
ヒカリ、男=セタキ、女=ヘラ、仲間=ヤウチ、山=イマ、風=シロペ、草木=ツクリ、雪崩=ワシハシゴリ。
潔斎では一例に、入山者は当日、夜明け前に起き、火に塩を入れて火を清め、火打石で 鑽り火して身を浄め
いぶ
る。ついで入山後の狩り小屋で、みなが山神の神札を拝するとき、モロビ(オオシラビソ=アオモリトドマツ)
ごり
けが
コザワ
の枝を焚き、屋内と身を燻して清める(いまも)。さらにタブーを犯した者は溜まり水か小沢の水か大川の水で
水垢離をとり、水がなければ笹で笹垢離をとり、穢れをとる(かって)。
サンド
アビラウンケンソワカ
厄 よ け 呪 言( 口 中 で 声 を 出 さ ず に 唱 え る ) は 一 例 に、 潔 斎 の た め に 小 沢 の 水 で 水 ゴ リ を と る と き、「小 沢 の
シンジン
水 神 通 り 水 神 我 身 に 三 度 阿 毘 羅 吽 欠 蘇 婆 訶 」 を 三 唱 す る。 豊 猟 と 無 事 を 祈 願 し て 水 ゴ リ を と る と き、
ダイカワ
ダイシンジン
ショウカワ
コリミズタマ
ミタビ
キヨ
「大川には大水神 小川に小水神 南無また山神 垢離水賜ひ給えや 我身に三度掛けぬれば 我身も潔み給
ケサ
よ
えや すなわち不浄の袈裟貸し給えや 我身も潔み給う 阿毘羅吽欠蘇婆訶」を三唱する。雪崩除けのとき、
マリシテン
やく
「摩利支天王 浮かすこと 此の場を通りのうち お待ち給えや 南無阿毘羅吽欠蘇婆訶」、あるいはたんに「南
サイホウ
無西方無量寿覚仏」を三唱する。
摩利支天は、インド神話の一風神で、日光が神格化されたもので、除障増益の一神とされ、仏教ではつねに太
まもり
陽の神格化された日天子の前にいて姿を見られずに自在に神通力を発揮する一天神で、仏法守護の諸天善神の一
神で、日本では武士の守本尊とされ、護身・得財・勝利を念ずる一修法の摩利支天法の本尊。
おら
高堰はマタギのシキタリ(習わし)についていいました、「昔は厳格なもんであって、シカリのゆうことはみ
な守らねばねぇった。いまだったら、なんとして、そういうことはねぇもの。
俺だってマタギ始めたときだっきゃ、
ほんとや、ババと一週間も一〇日も寝ねぇで山さ行って又鬼したもんだ。水垢離はさねったって、モロビの枝に
239
火つけて、体いぶしてな」と。
三にケボカイとモチグシ。
マタギは、倒して獲ったクマの皮を剥いで解体する皮断ち(カワタチ)を、ケボカイ(ケボケ=毛サギ)とい
う山神に奉ずる神事としておこない、熊の肉を山神に供えることをモチグシ(持ち串)という祭事としておこな
いました。
チヨフ
ケボカイはまずクマを頭を北にして仰向けに横たえ、シカリがそのうえに塩を振りかけて九字を切り、つぎの
唱詞(唱え言葉)を三唱する(口中で声を出さずに)。
「東は(略)皇国仏神 西は弥陀の救い(略)
南は世界念仏 北は釈迦に申し下ろす 千代経る此の里に立
イットキ
タマ
ち出でて 射つ者も射たるる者も 一時の魂をふれん この忍土(略) 南無阿毘羅吽欠蘇婆訶」、あるいは「大
ノチ
物千匹 小物千匹 あと千匹 叩かせ給え 南無阿毘羅吽欠蘇婆訶」。
あかはだ
コヨリ(小刀)での皮剥ぎが終わると、皮は頭と尻を反対にして赤膚にかぶせ、トリキ(トリキシバ=クロモ
コウミョウ
ジ)の小枝で尻から頭へ三度撫でて、つぎの唱詞をとなえる。
「南無西方無量寿覚仏」を七度、「光明神事」を三度、「これより後の世に生まれて よい音を聞け」を一度。
アバラ
そ
そのあと赤ハダの体は、前足・後足と頭を切り離し、内蔵を取り出し、胴体の肉から背骨と肋骨を削ぎとり、
足からアバラまで六つの部分に分ける。
このケボカイで、熊に塩をかけるのはクマを浄めるためでした。九字を切るとは、密教で厄払いと護身のため
に、「臨兵闘者皆陣列在前」の九字を唱えて、指で空中を横・縦に切ることでした。唱詞の「魂をふれん」は、
熊の慰霊と鎮魂でした。「叩かせ給え」は、山神に恵みの授かりものとしてクマを得たことを深謝し、さらにひ
240
11 独り又鬼の世界
きつづき得られるように念じている呪言でした。真言の「南無阿毘羅吽欠蘇婆訶」は、地水火風空の五大に帰命
し奉る、めでたし、という語義で、射つ又鬼も射たれる熊も、命を命源の大自然とその命律の万物における生死
活かしあいの律にゆだねきって全力をつくせば、いっさいのことが律どおり「よし」で成就されることをいみし
ていました。
アミターユス
アミターバ
さらに剥いだ皮を赤ハダに逆にかぶせるのは、クマが生き返って祟りをしないように防ぐためでした。「南無
西方無量寿覚仏」は、西方の極楽浄土の無量寿仏で無量光仏の阿弥陀仏(略して弥陀)に帰一する祈念(念仏=
称名=南無阿弥陀仏の一変形)で、一切衆生(有情類)を浄土に往生させる弥陀の超世の誓願、摂取不捨(摂っ
はなむけ ことば
て捨てず)の四十八願によって、死した熊の救霊、極楽への往生を念じたものでした。「よい音を聞け」は熊へ
の餞の辞で、クマが命の源に立ち還って、あの世でも生まれ変わる次の世でもよい音を──命の極楽境が奏でる
楽音を、さらに当の境を生み出す自然の生死をつらぬく万物活命律が発する妙音を聞く身になるように念じたも
のでした。
熊の狩りとケボケについて高堰はいいました、「クマは山の神様から授かるもんだども、獲るのはそったもん
でねぇよ。授かりもんなんて、そったことありえね。やっぱり、その人の経験と技術だもんだもの。腕と考え方や。
判断力が一番大事だ。だからしゃ、(一例が)熊は授かりもんだとゆって獲れねで、そいでテレビ番組(マタギもの)
さクマだせばいいってゆってや、檻の熊出して撃って見せてもや、そんで納得さえるもんでねぇて。そんたら偽
とら
りこいてしゃ、世の中渡ろうったって通るもんでね」と。「クマ獲って皮剥げば、反対に掛けて、そして拝んでな。
拝むやつは、別になんもむずかしくね。生きもの捉えたために、二度と生き返って祟るなということを聴かすも
んだも」と。
241
ケボケの唱詞は「いまはそんたことだっきゃ関係ねぇよ、ほんとからいけば。やっぱりしぇ、その人の気持ち
だんだために」で、いまはほとんど形式に流れています。が、高堰はこの唱詞のなかの眼目、「南無阿毘羅吽欠
蘇婆訶」=めでたし地水火風空に帰命すると、「これより後の世に生まれてよい音を聞け」=生まれ変わって命
の原境と原律の妙音を聴く身になれという精神、又鬼の古来からの神事の急所を暗黙のうちに本能でひき継いで
いて、しかも熊と生死を分ける勝負と生死の活かしあいをする狩りの本道を踏襲している数少ない狩人の一人、
生粋な狩猟衆の一人でした。
ついでモチグシは、クマの解体後、左の首肉と心臓と肝臓をそれぞれ三切れずつ九切れ、トリキの枝で即製し
た三本の串に刺し、右手に持ったままで焚火で焼き、それを山神に供え、皆で食べる。そのとき、シカリがつぎ
の呪言を唱える。
「十二の持串 十二戻して あと十二本叩かせ給え 阿毘羅吽欠蘇婆訶」
これは初めに獲った熊のケースで、二頭目は三つの部分の肉が五切れずつ一五切れ、三頭目は七切れずつ二一
切れ、四頭目は九切れずつ二七切れ、五頭目は一二切れずつ三六切れ、六頭目からは初めにもどる。
このモチグシは、山神にクマの肉を供物で聖餐として捧げて、謝恩の念を伝え、またの豊猟を祈願している祭
事でした。要所は、山神という名の命源の自然とその命律にたいする謝念でした。
高堰はモチグシについていいました、「いまも学んでるよ、やるんだ、モチグシ。そいつは、どっからでもト
あぶ
さかな
リキの枝切ってきて、串三本つくって、それさ熊の首と肝臓と心臓の肉刺してな、三本合わせて手でつかんで火
で炙って、山の神様に捧げるんだ。それから、それさ塩つけてな、酒の肴にして、みなして呑むんだ」と。
四にマタギ勘定。
242
11 独り又鬼の世界
解体後のクマの皮(毛皮)―胆(胆嚢)―肉―頭―骨は、猟の参加者みなに平等に分配される。皮と胆と頭と
骨はみなで入札し、値を決め、換金して、平等に分配する。肉は秤りにかけ、人数分だけ同量に分けたうえで、
籤引きにして、平等に分配する。
これは〝又鬼勘定〟もしくはマタギ分配といわれているものですが、ここでひとをハッとさせて感じ入らせる
のは、肉の配分で各人が分け前を少しでも多くとろうとする欲望に振りまわされてイザコザを起こさないよう
に、肉をハカリにかけて等量に分けたうえでクジ引きにして配分して、いっさい疑念を差しはさむ余地がない公
明正大な平等配分を徹底して心がけている点でした。
このマタギ勘定は、山神から授かって熊から恵まれた命の糧を又鬼同士の間で、現代流儀のゼニ儲けとも何々
かなめ
主義の色づけとも無縁に、共働と共有と等配分によって分かちあっている純然たる猟共同体=〝マタギ共同体〟
の要で柱で象徴でした。これはそれゆえ貴重で、みごとで、驚くべき術で、いかに称揚してもしすぎることはな
いでしょう。
そしてこの共同体──山神を仲立ちにして、野生の禽獣が人とまったく対等に山林で生きる糧をめぐって生死
カテ
を分かちあい、禽獣の死が人の生のカテになり、人の死が禽獣から微生物(細菌)の生のカテになり、人が人と
まったく等分にカテを分かちあっているこの、あくまで自然の生態系と食物連鎖による生死の代謝と活かしあい
の命律に本能でしたがった素裸で生粋な万物活命共同体の魂魄と在り方にこそ、生来の狩りの真髄があり、ほん
らいの狩猟衆の真骨頂があったのです。
高堰は長年にわたって自然とそこに生きる動・植・鉱物と巻き狩り参加の人を相手に、ひとしれず黙々と、と
はいえ自然体でごくあたりまえに、もともとの猟の裸核をなす又鬼共同体から万物活命共同体を体現してきまし
243
た。併せて高堰は妻と農耕を営んで、ほとんど自給で自活で自適の毎日を送ってきました。
もんめ
ぺい
マタギ勘定について高堰はいいました、「誰でもクマの肉欲しいためにや、目方なんぼでも余計あればいいっ
ていう人、一匁でも余計もっていきてぇという人がなんぼでもいる、一杯いるもんだんだ。んだからしぇ、肉の
配当、適当だば悶着起きていけねんだ。まず肉、目方計って、分けて並べておいてや、こんだそれクジ引きさせ
べ。それ、クジ引き始めたの俺だども、それからあと配当で誰さまも文句、ぜったいいえねんだ。曇りのねぇ配
当だも。それをやるのが又鬼勘定、クモリのねぇほんとに平等の配当をやるのが。そした気持ち、平等の配当ば
やる気持ち、誰さまいかなることゆったって、ふつうの人はなかなか持てねんだ」と。
そこで高堰がこれまでの営みでおのずと自証している裸の猟共同体が、たんに地元だけにとどまらずいまの世
と世人と時代にたいしてもっている真価と本義は何か? となれば──。
いまの世と世人と時代は、片や「人権尊重の自由主義」を標榜してのす資本餓鬼帝国では、ゼニが物神ヅラで、
国の支柱の衆のみならず大地の命あるものみなと命源の自然を利産の商品で具のブツ・ダシにして食い殺し、片
や「人民のための社会主義」の旗をかかげて風前の灯の前衛餓鬼帝国では、ドグマ(教条)が魔神ヅラで、ここ
でもまた国の主力の衆だけではなく大地の生けるいっさいのものと自然そのものを生産の材で具のブツ・ダシに
して食いつぶしている、極悪きわまる狂状で獄況にありました。この、かっては敵対して、いまは資本専横経済
の「市場経済」を軸に「平和共存」している「自由主義圏」と「社会主義圏」は、実のところどっちも根で、万
トリコ
物の霊長のニンゲンサマが中心で、ゼニバンバンザイの資本餓鬼文明からドグマサマサマの前衛餓鬼文明のニン
ゲンのエゴ本位で虚栄専一の近代文明の虜で、利権から覇権にかけて優勝劣敗から弱肉強食をムネとし、衆と大
地の命あるものと命源の自然をカモでブツ・ダシにしてヘロリ然で食い荒らして殺命一途である一連の在り方
244
11 独り又鬼の世界
き
で、互いに密通しあってグルの同類でした。
たいして高堰が黙って示す生の命共同体の肝魂と在り方は徹頭徹尾、天と地の万物がみな生けるものとして等
価で、動・植・鉱物と人=世の支柱族の衆の間から人と人の間で互いに生死の活かしあいが最後でものをいって、
それぞれの命がヌシでした。それは根で、何よりも自然を無限の生体で命源として畏敬して、どこまでも人と生
けるいっさいのものの生死にわたって活命一筋にかける途でした。
ざか
イケニエ
この途はそれゆえ、いまの世と世人と時代が非人=世の支配族の資本族から前衛族の思いのままに、まっさき
に自然を有限な物体とみなして、人と生きものみなをゼニ栄えやドグマ栄えのブツ・ダシから供物あつかいで生
殺しや殺しの歯牙にかけて生首さらす獄況に追い落としている途にたいして、徹底して反ゼニで、反前衛で、反
ブツ・ダシの立場に立っています。
誰がいったい、ゼニや前衛の狂った凶権のいいなりになっていられるか!
いまゼニ至上ヅラ圏とドグマ絶大ヅラ圏で、衆といっさいの命はいったいどうなっているか? カモで、ダシ
き
で、ボロカスで、カラになっている!
裸で生の命共同体の途は、この怖るべき狂状と赦されざる凶元にむかって、これを底から見返して見放す逆照
射鏡として無二のもので、これに断罪の業火を放ってこれを焼きつくす司祭として無比のものでした。が、この
途は、いまの世と世人と時代の凶勢をただ叩きつぶすだけの能しかないか? この途はそれと併せて、理不尽に
も惨苦を強いられつづけている衆と万物の命を、ただただ生来の活姿に生き返らせるにたる類を絶した回生の光
あたい
と底力と方途、そく命源の自然の生死をつらぬく万物活命律を根深く宿していました。そして命共同体の魂魄と
在り方がいまの世と世人と時代にたいしてもっている真の価と義は、この断罪の業火と回生の光の二物にして一
245
ごう
ひかり
物のワザ、業そく光のワザを担っている一点にこそありました。
高堰はいうまでもなくこのワザを担うにたる有資格者の一人であり、誤殺におわった怒殺は断罪そく業火のワ
ザの本能的な発動でした。いずれ徐々段々に世の下積みの苦労衆が独りひとり、以心伝心で手を組んで業火と光
の二つにして一つのワザを発し、高堰がひとしれず黙々と体現してきたような共同体を仕組んで営んでいくで
しょう。
「断罪なんて、いったい誰が、なんの権限があって?」と問うご仁がいるや? 苦労知らずの文明浮かれ人で
結構毛だらけな文明虚人でおわしますな。底辺と辺境と脱国の難儀している衆、その諸父母兄弟姉妹のみが、み
ずからと生きものいっさいと自然のナマ殺しにされつづけている命の一大回生にかけて、殺し屋の狂元である世
の支配族の資本族と前衛族を断罪できる権能をもっていました。
246
日々の営み
12
248
12 日々の営み
⑴略歴と生計
高堰喜代志は、一九一三年(大正二年)五月一日、秋田県北秋田郡阿仁町の山里で戸鳥内・栩木沢の現住地に、
家業が農業で、副業で林業と又鬼もやる高堰家で、慶治とヨシ夫妻の間に二男三女の次男として生まれました。
父親の慶治は、性格上でかなりの「ジョッパリ(強情っ張り=頑固者)」で、履歴上で徴兵で「まず兵隊でや、
欧州大戦(一九一四~一八年の第一次世界大戦)さもや引っぱらいて、仙台まで行って、それから戻ってきてる」
のが異色である点を除けば、百姓としてもマタギとしても格別変わったところのない人物で、心臓病で六一歳で
他界しました。
母親のヨシは、「人にや悪口をゆわれるような人でねがった。ほんとに素直な人だった」し、「七二(歳)だか、
それまで生きたよ。中風になってな、二年ばり。当時では長生きのほうだな」で永眠しました。
高堰は父親からジョッパリで一徹、母親から素直でストレートな血筋を受け継いだようです。
〈学歴〉
高堰の学歴は小卒で、高堰は現存の荒瀬村立中村尋常小学校に入学し、そこを卒業しました。
マサカ
パニック
高堰が農家の子として幼児期から少年期を過ごした大正期(一五年)と昭和期初めの世は、大戦参入──民本
主義──米騒動──朝鮮人虐殺──大恐慌が継起しました。
大戦参入は、ゼニ餓鬼帝国の「帝国主義諸国」(侵略主義から植民地主義を本旨として国家と独占資本が一体
249
化した資本主義の権化の国)のドイツ・オーストリアほかとイギリス・フランス・ロシア・アメリカほかが敵対
して戦争に突入した第一次世界大戦に、「大日本帝国」(首相大隈重信)が「今回欧州ノ大禍乱ハ日本国運ノ発展
かおる
ありとも
ニ対シ大正新時代ノ天佑(天助)ニシテ、日本国ハ直チニ挙国一致ノ団結ヲ以テ此天佑ヲ享受セザルベカラズ」
(元老井上馨の首相大隈と元老山県有朋への手紙)との本意のもと、日英同盟を口実に対独宣戦布告をして参戦
したこと。
ユアンシーカイ
それによって日本は、ただちに海軍がドイツ領南洋諸島を占領し、陸軍が「中華民国」山東省のドイツ利権を
接収し、中国(大総統袁世凱)に植民地化の二一ヵ条(内蒙古と南満州の日本領土化ほか)を武力の威圧をもっ
て強要した。どうじに日本は空前の好景気に浴して、資本と産物の輸出が激増し、農林・水産・鉱工業の総生産
高が三倍以上になり、企業と工場の新設ラッシュがあり、三井・三菱・住友・安田の四大財閥を筆頭に「金融独
さん
そさい
占資本」(大資本の集中から大産業資本と大金融資本の結託による)が造成され、穀・菜耕地が五反未満の自作
小農が減少し、一町以上の中農と一○町以上の寄生大地主と養蚕・畜産・蔬菜(野菜)での富農が急増し、
「成金」
が輩出した背面で、物価が暴騰し、労農の無産大衆が生計難に陥った。
プロレタリア
この大戦中、一九一七年(大正六年)に帝政ロシアでV・I・レーニンひきいるロシア社会民主労働党ボルシェ
ヴィキ(多数派=のちのソ連共産党)の先導、同盟を結んだ労働者と貧農の武装蜂起によって人類史上ではじめ
てプロレタリア革命=社会主義革命が成就され、労・農・兵の代表評議会ソヴィエトが国家権力を握った。
民本主義は「大正デモクラシー」の別名で、一九一六年(大正五年)に東京帝国大学教授吉野作造が大日本帝
国憲法の枠内、「神聖ニシテ侵スベカラズ」で「統治ス」の天皇制とゼニ専横の帝国主義の制約下で主唱(中央
公論一月号)したもの。
250
12 日々の営み
それは「国体の君主制たると共和制たるとを問わずあまねく通用する主義」で、政治で「民衆を重んじ」て、
プチ・ブルジョア
「貴賤上下の別をたてず」に「民衆の利福」を目的にし、政党内閣制と普通選挙制(すべての成年の選挙権を認
める)を主張し、中産階層に支持された。
かし
米騒動は一九一八年(大正七年七月~九月)、米価の暴騰(白米一升二○銭が四○銭~五○銭強に)にともない、
各地で生計難に陥った無産大衆が勃発させた「窮民一揆」。
それはまず富山県魚津町で漁民の女房で沖仲仕の女衆が河岸で荷主相手に県内の産米の県外への積み出し中止
を要求し、阻止をはかったことが発端になり、周辺の町村で女房陣が役場・米屋に米安売り・窮迫者救助の要求
運動をおこし、同県西水橋町で女衆が「売るも売らんもこっちゃの勝手だ」とうそぶいた米屋を襲撃して警察と
衝突し、それらが「越中女房一揆」として報道され、京都市柳原で被差別部落民が蜂起して米屋を襲い、市内の
無産窮民(日雇い人夫・荷役人夫・人力車夫・職人・行商人ほか)が呼応して米屋から交番を襲い、これが大騒
動になって軍隊が鎮圧し、東北三県(青森・秋田・岩手)と沖縄県をのぞいて全国の大・中都市で困民が米屋・
米輸入商・交番を襲撃し、山口県宇部町と北九州の諸炭鉱で大暴動がおき、騒動の勃発地域が一道三府(東京・
京都・大阪)三七県三九市一五三町一七七村に、参加大衆が七○万人以上に、射殺された衆が一七人に、検挙さ
れた衆が八二五三人に、懲役刑に処せられた衆が二六四五人(うち無期刑七人、死刑二人)におよんだ。
デマ
朝鮮人虐殺は、一九二三年(大正一三年九月一日)に関東大震災(マグニチュード七・九)が勃発したとき強
行された凶事。
そのとき「朝鮮人が放火し、井戸に毒薬を投げ入れ、暴動をおこした」といった流言が飛び交い、政府(首相
山本権兵衛)が東京府と神奈川県に戒厳令を発し、警察・軍隊・町内自警団が朝鮮人をかたっぱしから不法に逮
251
捕し、殴殺・刺殺・斬殺・射殺と虐殺のかぎりをつくし、被殺者が関東一帯で三○○○人以上、全国で六○○○
人以上に達した。
のちにデマは、ひとつの密電と密謀の露見によって政府自体が流したことが判明した。密電は内務省が各地方
長官あてに打電した電報で、「東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ、
現ニ東京市内ニ於テ爆弾ヲ所持シ石油ヲ注ギ放火スルモノアリ、(略)鮮人ノ行動に対シテハ厳密ナル取締ヲ加
エラレタシ」というもの。密謀は陸海両軍・内務省・警視庁・戒厳司令部の各代表の謀議で、真っ赤なウソであ
る朝鮮人の暴動について「之ヲ事業トシテ出来得ルカギリ肯定スルコト」とし、「海外宣伝ニ、特ニ赤化(共産
主義者化)日本人及ビ赤化朝鮮人ガ背後ニ暴行(暴動)ヲ煽動シタル事実アリタルコトヲ宣伝スルニ努ムルコト」
としたもの。
このとき、どうじに日本人でサンディカリズム(労働組合=サンダィカを社会変革と変革後の社会の生産・分
配の機関とする)系の労働者平沢計七と南葛労働会の労働者河合義虎ほか九人が、亀戸警察署に検束され、軍隊
たちばな
あまかす
に刺殺された(亀戸事件)。さらにアナルコ・サンディカリズム(無政府主義で組合変革主義)のアナーキスト(無
政府主義者)大杉栄と妻伊藤野枝と甥橘宗一(六歳)が、憲兵隊渋谷分隊長で大尉甘粕正彦の指揮によって麹
町憲兵隊に連行され、絞殺されて古井戸に埋められた。
大恐慌は一九二九年(昭和四年)、アメリカのニューヨーク・ウォール街の株式取引所で株価が大暴落したこ
とがキッカケになり、資本主義諸国を急襲した経済パニック(銀行の破産、預金の取り付け騒ぎ、物価の暴落、
おさち
輸出入の急落、企業の倒産、賃金の切り下げ、労働者の首切り、失業者の増大ほか)。
日本(首相浜口雄幸)では、同年に不況(投資・生産・雇用の減少、金融の閉塞、経済の不活発化)が深刻に
252
12 日々の営み
なり、労働者の首切りと賃下げが継起し、工業生産と輸出入が急落し、物価が生糸と米で暴落し、失業者が帰農
者をふくめて三○○万人以上に達した。翌三○年(昭和五年)、政府は「経済国難」を乗り切るのに独占資本(金
融独占資本)の利害を第一とするデフレ(物資が過多で通貨の価値があがる)策の三策、財政緊縮と金解禁(金
マユ
かき
輸出禁止を解く)と「産業合理化」を推し進め、不景気をさらに煽った。なかで農村は、米作が大豊作だったに
もかかわらず、米価をはじめ生糸の繭・野菜類・花卉類ほか農家でつくるものすべての価格がひどく下落し、未
たの もし
曾有の豊作飢饉に陥った。さらに三一年、北海道と東北は冷害で大凶作になり、農家で山菜の根や屑米で飢えを
凌ぐ家、借金が嵩む家、無尽=頼母子講(掛け金を出しあってカネを融通する組合)でやりくりする家、収穫前
の青田売りをする家、娘を身売りする家、欠食児童の家が多出し、地主や仲買人がフトコロを肥やした。
ときに高堰は欧州大戦を父親の応召で知り、小学校と村での話で関東大震災と朝鮮人抹殺を知らされ、近隣の
森吉町阿仁前田での小作争議(一九二五年に大地主庄司家の小作料引き上げで起きて五年におよぶ)と小学校卒
え
業後の総選挙(普選法による初のもの=二八年)で大正民本主義を知らされ、冷害で食糧難を知りました。
当時について高堰はいいました、「あの当時、小学生当時だっきゃ、みな家(農家)の手伝いしたもんだ。み
おらえ
らく
ながら、そういう教育だもの。あのあたりはしぇ、食うことが先決問題、食っていくことが一番の宝。んだから、
小学校卒業せばや、みんな出稼ぎに出た、俺も。俺家の暮らしは、まんず楽なほうだったども。なんも不自由は
ねぇったから。みんな持ってるったもんだも、米も味噌も」と。
学校の思い出は?
「学芸会なんてあればや、これ優秀なもんだんだ。どこさ出たって、ぜったい恥ずかしくねぇ教育、みんな受
けたもんだも」
253
どんな劇?
キジ
「猿、馬、虎、犬、雉子、そういうヤツをみんな合わせてな。俺はキジになった。声もよかったんだよ。いまはな、
ちょっと落ちたども」
動物の物語?
「ん、そいったやつ」
学業は?
いとこ
っきゃな、誰さまなんぼ頑張ったって、俺ぜったい負けねかった。ほんと、自慢でね。それと、
「なんと、算数なだ
んぼ
地理。四国に何県、九州になんぼ、そういう小学生時分に習ったことだっきゃ、いまでもみんな憶えてるよ」
成績は一番?
「なんもや、二番。一番は俺の直きの従兄弟、高堰新一郎。打当さ婿になってってしゃ、死んだども」
従兄弟同士で張りあった?
に追いつけねかった。反対に国語は俺、あれに
「うん。だども算数だばや、あれがなんぼがんばったって、俺
かん
負けた。あの当時、綴方書くったってや、『秋のカンカン蝉が甲高い音を立てて鳴いていました』なんて、そう
いう文章書くべ。これには俺、参った。ふつうでは、とてもああはや表現できねぇもの。これだけは、どうして」
中学へは?
「行かね。当時は、ここらにねぇよ」
ときに山里の少年喜代志の遊びは、激動の世で娯楽施設が「なんもねぇった」とこで、山林と田畑と山川と山
野の鳥獣虫魚・草木石が相手で、飼い犬(マタギ犬)と一緒にやる雀や兎獲り、木のぼりや木の実採り(栗や山
254
12 日々の営み
ヤマメ
ザリガニ
さく
ブドウ)、川での泳ぎや山女・海老蟹獲り、蝉や兜虫採りなどで、何よりも又鬼の本格的な猟に通じる生きもの
獲りに魅せられ、心躍らせました。
〈出稼ぎ一〉
おぼない
出稼ぎはいつから、何をやって、どこへ? あたい
一四(歳)のときだか、一番先に生保内(秋田県仙北郡田沢湖町)さ行ったもんなんだ。そこに酢酸って、
「
す
酢つくる工場あってな、運ばれてきた木切りに行った。木の切り口から酢酸、酢でもや一番強い酢(木酢液)、
ブナ
ノコ
出てくるわけだ。んでその木切るの、何十本切れば何ぼの価になるという計算でやったもんだ」
木は何?
杉でも、みな切ったもんだ。鋸はその当時は、いまの電動ノコみてぇのねぇから、手ノコ。
「なんでも。橅でヤも
スリ
その大きいやつ、鑢で目立てして木切るの、なかなかふつうの人にはできねぇった。(直径が)三尺(九○・九
ソロバン
センチ)ある木でも、ズバッと切るようにならねば一人前でねぇんだ。俺だば、人が半分も切れねうちにスパッ
と切る技術もってたよ。その腕というものが大事なんだ。これ、自慢でね」
報酬はどのくらい?
「一日、一円か一円五○銭。安いほうだども、それより取らえねぇの。会社でみんなそういう風に算盤おいてやっ
てるもんだも。いま考えてみれば、あのあたりの会社のやり方というものは、とてもしぇ、並大抵なもんでねかっ
たよ」
255
〈出稼ぎ二〉
つぎの出稼ぎ先は?
マキ
「北海道さも渡った。あっこさ行けばしゃ、薪切りってあった。三方六寸(一八・一八センチ)といえば、三方
が六寸になるように切ればいいったマキ。それから三方六・七寸、三方七・八寸と、いろいろあった。こんだそれ、
リン
切った木を割るんだ。二つ割り、三つ割りと──。みんなこれ、切るのも割るのも規準があってや、そのとおり
カエデ
かて
やらねばダメ。それで値段、切り賃が、三方六寸であれば二銭五厘」
木はどんな?
これ、鋸の目早く減るども、ストーブ
「栗の木とかイタヤ(板屋楓)とか──。イタヤという木は堅ぇんだた。
け
さくべれば火力がほかの木の倍も出る。んだから、切り賃はなんぼか高ぇった」
仕事は請け負い?
おしゃまんべ
くんぬい
ヒグマ
「んだ。請け負い所の会社があって、みんな会社ぐるみでやったもんだ、あの当時はな。北海道はしぇ、ちょ
うど山を開発する時期であったも」
おら
北海道はどのあたり?
キコリ
くの国縫から)瀬棚に入って行くあたりで、赤熊(羆)がうんと出る
「俺いちばん行ったとこは、(長万部のお近
い
よろ
とこ。それから(八雲の近くの)野田生とか山崎から入ったあたり、もっと奥さ行って北見とか名寄から入った
き
とことか、なんぼでもある。北海道には何回も行って、四ヵ月か五ヵ月いてや、五年か六年になってるも」
仕事は山の中で、山林の木伐って、木材として里に降ろすか、さらに細かく切って薪にしておろすかする樵の
仕事?
256
12 日々の営み
ひ
「んだ、山小屋でな。小屋掛けて、みなして自炊生活しながら、やったもんだ。夜の明かりは電灯でね、石油
ランプ。ランプは買うったって、開拓中の北海道であればこそあったども、内地ではもうほとんどねぇ時期だっ
は
たよ。外の明かりはカンテラ使って、風吹いて吹きこんでも、灯が消えねぇようなやつ、つかったもんだ。それ
ワラシ
と山小屋で冬に大事だものはや、いまもしてら、スキー。なんと山から沢までは、みなスキー履いて行くんだ。
ばはん
ばんば
童は学校まで行く距離な。んだから、いまでもスキーの競技なば北海道が強いった」
木を運んだのは?
「馬だ。それがなんと、北海道の馬搬て、輓馬競走やるったでっけぇ馬が三○頭も五○頭も山にのぼってくる
んだ。俺だちが伐った木、運ぶに」
稼ぎはどのくらい?
トシ
「稼ぎだば誰にも負けねがったども、四ヵ月も五ヵ月もかかって一○○円ねがったな。あの当時、一○○円と
れば最高だども、切り賃安かったし、自炊で米・味噌買わねばねがったから」
あいだ
年齢は何歳から何歳ぐらいまで?
カラフト
わっかない
「一五から二七か八(歳)まで、間ばおいて五年か六年、北海道で稼いだ、兄貴と」
その間、高堰は一九三五年(昭和一○年)、二二歳で郷里の栩木沢部落のテツエ(一八歳)と結婚しました。
〈出稼ぎ三〉
ほかに出稼ぎは?
「一九(歳)のとき、樺太(サハリン)さ行った、兄貴と北海道の稚内から冬に。それがなんと、おっきい船
257
ハシケ
かい
から降りて艀に乗ったども、前の海凍ってしまって櫂もなんも掻けねんだ。カラフトって、そういうとこ」
トド
そこでも木切った?
椴松とドイツトド。カラフトはあれより無ぇ、全部それだ。それとしぇ、川もみながら凍って、
「んだ、木は
い
なんも道路要らねんだ。川の上、氷のうえ、みんな渡って、人でも車でもな。土だって三尺(九○・九センチ)
た
ぐれぇまで、みな凍っちまう。温度は零下三五度。それ以上になれば、もう仕事さね。誰さま、なんぼ頑張ったっ
て、できるもんでねぇ。んだから、山さ行って、さぶくて仕事さえねば、トドマツでもドイツトドでも焚いて火
みじけ
に当たるんだ。せば、トド、ごうごと音立てて燃えてな。こりゃあまた逆に、火焚くっていえばしぇ、零下三五
度以上だってことなんだ」
夜は短い?
「あっこはしぇ、夜寝てから朝日が出るまでの時間、短くて、四時間か五時間しかねぇよ。すぐ夜、明けるんだ。
ところが部屋は丸太、横に組んで、そのうえの屋根さ土あげて防寒、保温する。んだから寝まるときは、こやつ
(シャツ)一枚。これよりねぇよ、暑くて。下でストーブ焚くもんだも。してるうちにハー寝たっきゃ、直きに
夜、明けてしまうんだ」
当時、樺太の防寒具は?
「なんも、別に変わりねぇ。まず大体同じだ、内地と。なんぼか、足に毛布の防寒靴っていうの、履くども、違うの、
それだけであって、なんもそんたに変わんねな」
カラフトは何年ぐらい?
「なんも、一年。あんとき俺、樺太さ出稼ぎに行くってゆったば、俺ば一人離さえねぇって兄貴ついてきたんだ。
258
12 日々の営み
ところが仕事せばや、二人とも普通の人の倍やる。んだから、あんときも二人で一○○円以上、稼いだもの。そ
れで俺、兄貴に一緒にあべ(帰るべ)とゆったども、兄貴はみんなが、ほかのまだ伐る山あるから、そこさ登るっ
てゆうのさ残ったんだ。俺は先に帰ったども。したら兄貴、切ったぎった二尺なんぼの丸太に急な斜面のとこで
左足はさまれて転落して大怪我してしまった。だどもカラフトだべ、兄貴、思うように帰ってこえねで、二週間
も三週間もかかってやっと内地さ帰ってきて、青森の弘前病院でハー、死んでしまった。事故死だ」
享年いくつ?
「二四か五(歳)だ。結婚しててや、小市──いま栩木沢にいる高堰小市が兄貴の息子だ」
〈北海道で猟〉
北海道でマタギやって熊獲ってない?
ワラ
「いやいや、それは無ぇ。猟は兎ぐれぇのもんだよ。これがまた面白ぇんだ。北海道のウサギっていえばしゃ、
内地のウサギの倍あるんだ、おっきさが。これ獲るの、楽しみなもんなんだ」
どうやって獲る?
へ
「あれ、ブドウの蔓ってあるべ。あれをや、こう二本合わせたとこ曲げて、輪っこ(藁製のワラダと同じ)にして、
ウサギがいると目星つけたとこで投げてやる、ブーンと。せばやウサギが、それば、輪っこば鷹(天敵)だとお
へい
もって、驚いて、穴さ、隠れ場の穴っこさ入るんだ。ウサギは前もってそういう穴堀って待ってる。いつでもタ
カ来いば、その穴っこさ入るために。おもしれぇもんだよ。んでや、ブドウ・タガこしらえて投げてやれば、ウ
サギがタカだと思ってグーッと穴に入る。せばシメタもんだ。ふんづかまえる」
259
へ
高堰が少年期と青年期、結婚の前と後に北海道と樺太に樵の出稼ぎをしたのは、「あの当時はしぇ、ああいう
とこさ行かねばカネ入んねぇし、行けば取るにいいった」からで、経済国難の世で世人がウの目タカの目になっ
ていたカネ儲けのためではなく、生計費稼ぎのためでした。
セコ
その間、高堰は郷里の阿仁で小卒後の一四歳ごろから熱望していた又鬼の集団猟に参加をゆるされて、獣を
マッパ
射手のもとに追いこむ勢子の手伝いをするようになり、二○歳のときから鳥獣の射ち方を村田銃で身につけはじ
め、二二歳ごろから本格的にマタギをやりだし、古老マタギから勢子としても射手としても一人前と認められて、
狩りの腕前が「天才肌」と見なされるようになりました。
高堰は当時についていいました、「又鬼の師匠は叔父の高堰重吉。これが俺の元祖だよ。夜、寝てても俺のと
こさ来て、山さ連れてったもんだ」と。
〈兵役〉
一九四一年(昭和一六年)、先にふれたように高堰は二八歳のとき召集令状がきて八月一日から一○月二七日
ひろひと
までおよそ三ヵ月間、秋田一七連隊(歩兵隊)に入営し、兵役につきました。
同年、現人神天皇(裕仁)を頂点に戴く大日本帝国は、アメリカのハワイ州ホノルル市のパール・ハーバー(真
珠湾)を奇襲攻撃(海軍の航空隊と特殊潜航艇で)し、「大東亜戦争」=太平洋戦争=第二次世界大戦に突入し
ました。
この大戦は、ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義)の日本とナチス(国家社会主義ドイツ労働者党/総統A・
260
12 日々の営み
ヒトラー)のドイツとファッショ(結束党/総統B・ムッソリーニ)のイタリアの三国枢軸、資本餓鬼帝国の三
国同盟と、ブルジョア・デモクラシーのアメリカとイギリスとフランスとオランダほかの連合国、ゼニ餓鬼帝国
の連合国と、連合国側についたソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)、前衛餓鬼帝国との、世界(アジアとヨー
ロッパとアフリカほか)の利権と覇権をめぐる三つ巴の戦いでした。
この第二次大戦で兵役についた高堰は、第一次大戦時の父親と同じように戦地に行かずにすみました。
高堰は兵役についていいました、「軍隊でもや、中隊当番なんてやれた人、古参兵でも中隊に一人か二人、新兵(二
等兵)だばほんとはゆるさえねぇんだよ。ところが、それさ俺ぁ選ばれた。それにしぇ、古参兵にいびられるな
んて、そったこと俺にはなんもねかった。んだって、あの当時、みんな腹空かしてパン買って食ったども、二○
円も買えば余ってどうもなんねぇから、それば古参兵に食わせていたもんだも。んだから、古参兵が新兵ばいき
なりぶん殴るなんてことはなんぼもあるども、俺はそんた手に乗る人でねぇも」と。
〈敗戦直後〉
一九四五年(昭和二○年八月一五日)、「神国(皇国)日本」が「鬼畜米英」に惨敗して天皇の玉音放送で無条
件降伏を告げ、連合国のアメリカ軍に進駐・占領されてG・H・Q(連合国最高司令官総司令部/元師D・マッ
カーサー)に管理され、翌四六年、人神天皇が「人間宣言」をして天皇中心の価値観が民主重視のそれへ激変し、
一億総決戦の国粋体制が一挙に瓦解して極度の食糧難と栄養失調から過度のインフレ(物価高騰)と失業難(六
○○万~一○○○万人強)で一億総飢餓のドン底状況が現出するなかで、高堰は三二~三歳になり、父親が三八
年(昭和一三年)に他界していらいすでに高堰家を継いで一家を支え、食う米に困らずに部落で困る家にコメを
261
分けてやる人助けをし、六男三女の子宝に恵まれることになりました。
え
かてめし
当時について打当のシカリ鈴木松治のおカミはいいました、「あの終戦当時、米不足だときや、この人(高堰
喜代志)の家ばりハク(白米)食べたし、あとみんなカデ(糅飯=混ぜ飯)食べてな。なんぼもコメもってる人
は、この人の家とオレの伯母の家とな、二軒っこだったな」と。
め
高堰自身はいいました、「困って仕方ねぇ人さは米やって食わせてな。田一反歩、コメ一俵ととっ替えてけれ
なんて来るもんだも。俺はお前の親父さんの世話になってるし、そった不公平だことやる人でねぇ、黙って持っ
き
てけって、けたよ。甥っこにだって、そんだよ。それから俺の本家の人、あのぐれぇの大地主だってあの当時、
バ
(農地改革で)田畑も五町歩よりもたれねぇで、コメもなんもねくて、俺家から二升もってったよ。訊けば、こ
の家ではカネがねくて田んぼや山、抵当にして借りてるんだと。したらこんだ、婆ァさん目みえねぇって、大館
のおっきい病院さ行って、秋田さも行ったども、治療代も入院代もカネねぇべ。オヤジさんハー、情けねぇなと、
土地売る気だってゆうから、俺、これ持ってけって、貯金通帖さハンもたして、オヤジからバーさんにカネ渡さ
ジ
したよ」──「なかには俺の親類で、米あるやつ見て俺に、んが(お前)コメ出さねば、警察さゆう(闇米貯め
てると)なんて、そういうこと(オドシ)までいうのいたども、俺家のコメはヤミ・ゴメでねぇんだ。爺ィの時
分から、みながらそういうやつ、コメでも粟でもなんでもみなあるんだ。んだからベコ、牛(肉牛)だってや、
俺家のやつはそういう穀物食わせるもんだも、なんとしてたちまち肥えて、ほかの家のやつよりうんと高く売れ
るもんだも」──「ここの部落だば、ほとんど俺、面倒みてるよ。そのなかに、あとで町議会議員になったのい
るよ。誰さま、なんたことゆったって、そういうこと実行してるの、まずねぇよ」──「それと俺、あの当時、
山、一七町歩も買ってら。入札で堂々と」と。
262
12 日々の営み
高堰家は戦前・戦中・戦後を通して、祖父の時分から家長の他人に倍する働き=稼ぎによって、カネと食糧と
山林を生計に困って不自由しないように徐々段々に増やして豊かに持つ資産家になっていたようです。
そのことを松治夫妻は一言でこういいました、「いい山もってるんだ」──「なんにも不自由しねぇったも」と。
ねた
そね
そうであればこそ高堰は敗戦後に人に米を無償で分与する人助けができました。が、どうじに、そうであるが
ゆえに高堰は部落の人に妬み嫉まれて戦時中、兵役についたとき部落の有力者に私有地を特売されて横領され、
しゃくぶく
それが除隊後に判明して抗議し、当該地をとりもどしたあとに村八分の対象にされるようになりました。
〈創価学会脱会〉
高堰は長男正志の嫁の折伏で創価学会(略称学会)に入会しましたが、阿仁町長選挙で応援する立候補者が異
こうや
なり、納得できなかったため学会から脱会しました。(入会も脱会も年月日不詳)
ワイロ
高堰は学会=公明党がときの現町長沢井作蔵を推したのにたいして、幸屋の元町長佐藤時治を推しました。沢
井は町の公共事業で業者から賄賂をとるような町長だったからでした。が、学会は高堰が沢井の不正ぶりをいく
ら指摘しても聞き入れなかったので、高堰は業を煮やして学会から脱会しました。
高堰はそのことについていいました、「学会はや沢井さ肩もってて、俺が沢井のことなんぼゆったって聞かね
もんだも。俺は幸屋の時治かついでな。迷惑かけたくねぇ、辞めるって、学会きれいに辞めたよ」──「沢井な
ば口当たりがいいために、みな惚れるんだ。ところがしぇ、こんだ例えばや町の土木工事なんてあるべ。したら
沢井、業者からみな頭金とるんだ。高等ブローカーだも。なんでもみなソロバンおいてやるもんだも。オレにこ
んくぇー寄こせ、せば仕事やらせるって、みなこういう流儀でやるんだ、堂々と。んだから、アレの手にかかれ
263
かまど
ばや、竈の火消される、財産みながらとられちまうんだ」──「沢井は田中角栄(元首相)に近ぇ、同じだ」と。
〈事件前の生計〉
一九六五年(昭和四○年)に三女の末娘が中卒後に美容院に就職するため東京に出ていらい、高堰家は喜代志
とテツエ夫妻二人だけになりました。ときに喜代志五二歳でした。それまでに六男三女の子らはみな、末娘のよ
きょ
うに中卒か高卒で、就職か結婚で家を離れ、地元の阿仁町や上小阿仁村、岩手の盛岡市や岐阜の多治見市や秋田
の能代市、大阪や東京の各地に散り、居をかまえました。
たん
その間とその後、高堰家の生業は農耕が主で養牛(肉牛)と山菜採集と植林と狩猟が副で、のちに養牛はやめ
せ
ぶ
ました。資産は一九八一年(昭和五六年一月六日=高堰六七歳)の事件直前に、およそ田が一町五反(実際の耕
作は五反)と畑が四畝(四○○㎡=四アール=一二○坪)と山林(原野をふくむ)が三○町歩(三○ヘクター
ル)と宅地が三○坪(七六年=昭和五一年に長息正志が父母のために建てた二八坪の平屋とともに正志名儀)と
ワラビ
作業小屋が二棟(一棟は旧家屋)、ありました。現金収入はこれも事件直前に、およそ年に供出米が二○俵分で
タケノコ
キノコ
ブドウ
二八万円と夫妻の老齢年金(テツエは六○歳・喜代志は六五歳から)が五五万円と立ち木から山菜(春は 蕨や
筍・秋は茸や山葡萄)と獣皮と預貯金がX円、でした。
ここで目をひくのは年収で、六○代の夫妻が年額八三万円前後、月額平均七万円前後で一年を過ごすのは、と
きに八○年前後の狂乱物価が相次ぐ世では明らかに生活保護世帯よりも下の最低所得層で、貧乏人の生計状態で
した。
敗戦後にカネも山林もある資産家だった高堰家は三十数年後の経済大国で逆に山林はあってもカネはない貧乏
264
12 日々の営み
つま
人になっていました。高堰が出稼ぎをしなくなり、家が子沢山になったためでした。
が、高堰夫妻は貧乏を自若として受けとめて、倹しく自適の日々を送ってきました。それは二人が自給の農作
と山菜採集と狩猟と植林を生活の最後の拠りどころにしていて、カネがなくても何も困ることはなかったからで
あり、カネが緊急に必要なイザというときには調達源の山林と立ち木があったからでした。
め
高堰は子らが家を離れて独り立ちしたあとの二人の生計についていいました、「ババと二人暮らしで、どうに
か生活してる」──「まだ山林なば、なんぼもある」──「前には一○○○万や一五○○万のカネだばや、いつ
でも出した人だもの」──「貯金て、なんもねぇんだ。家建てるためとか、みんな使って。だどもまんだ農協さ、
なんぼか定額預金してる」──「カネはねくても、なんも困んね」と。
たたず
高堰夫妻が住む木造平屋の家の道路をへだてて向かい側の畑のなかにあった大小二つの作業小屋、放置された
ままの廃屋と藁葺きの納屋の古びた佇まいは、事件直後に地元で故意に流された高堰にたいするあまたの悪評、
「利己的」とか「強欲」とか「ヤバッチー」とかとは正反対に、二人が何年来となく決して欲をこかず、見栄を
張らずに泰然と貧乏暮らしを甘受してきた名残りをハッキリととどめ、いかに人並みはずれて質素な耐乏生活を
苦もなく送ってきたかを、おのずと如実に物語っていました。
高堰が妻と自若として貧乏生活を送ってきたのはなぜか? その力の源は何だったか?
⑵自給の百姓
高堰喜代志は何年か前(一九七六年=昭和五一年・六三歳)に一記者(前出の『最後の狩人』長田雅彦)の取
265
材に応じていいました、「なしてこった山奥さ住んでるんだべと思うべ。んだども、マキは何十年分もある。水
は水道でねがら金かかんね。ババと二人で食うだけだば何とでもなる。夏場に(百姓で)働いて、冬はマタギやっ
て酒飲んでれば、言うごどねぇのシェ」と。
こ
高堰はここで一見していともさらりと、山奥は大変だ? 苦労多い? そったことねぇ、大したこってねぇ、
なんもいうもんでねぇ、と何事もなげに悠々自適の太平楽な毎日を送っている様子の言葉を吐きました。事実、
高堰は一つの確たる拠りどころに立って、あくまで自適の日々を過ごしてきましたが、事件後をふくめた来し方
は仮に事件がなかったとしても、決して太平楽ではありませんでした。が、高堰は「信念の人」で「竹を割った
よう」で「ザックバラン」であるうえに辛抱強い「忍苦の人」で、耐え忍べる範囲のことではやたらにワレをつ
きだしてアレコレいったりしませんでした。
が、確たる拠りどころとは? それは、できるかぎり自給の農耕と狩猟を日々の生活と終生の土台にしていく
ことでした。自適の毎日とは? それは、ゼニの稼ぎを最少限にしてゼニに振りまわされないようにし、自然に
逆らわずに自然の恵みに浴し、命のカテをゼニによらず自然の作物と果実と鳥獣から得ることで、つまるところ
ゼニを頼りにせず自然を頼みにして生きて死ぬことで、ゼニあっての生死にあらず自然あっての生死につくこと
でした。高堰は事件直前まで、部落での理不尽きわまる村八分をものともせずに、この自給による自適の日々を
貫きとおしてきました。
たの
高堰の自給は具体的には? 衣食住のうちで、住まいは自家でした。食べものは田畑でつくる米と野菜、山野
で狩りする鳥獣、山林で採る山菜と果実、山川で獲る魚でした。生き水は水道水ではなく山(沢)からの引き水
でした。生き火になるのはガスでも石油でもなく山林からの薪でした。衣類は既製品でした。娯しみは酒でした。
266
12 日々の営み
なんでもモノがありあまって、カネでなんでも買える世で、あえて自給に徹して贅沢を排したこの生活ぶりは
稀有で驚くべきものでしたが、この生活で何よりも大事で、欠くわけにいかないもので、死活を握っていたのは、
農地と山林と原野でした。
高堰にとって、バンバンザイのゼニとサマサマのニンゲンの二者一体のエゴの根城であるヤクザな私有制が隈
なく網の目を張りめぐらせているいまの世では、最少限でも自給のために欠かせない〝土地〟で、いざとなれば
ゼニに換えることができる土地をみずからの所有地として確保しておくことが、不可避で必須でした。生来、部
落での強欲との酷評とはまったく逆で寡欲で、稀有な自然人の高堰にはそれ、土地の私有は、そもそも土地を大
気や陽光と同じように万物に共有のものとして、生死活かしあいの場として実在させている自然の摂理と、その
摂理のままに生きて死なんとするみずからの本能にまったく反することでした。が、高堰はあえて致し方ない土
さかて
すべ
ばた
地の私有によって、せめてもみずからの土地では自然の摂理と、それにしたがうみずからの本能を目一杯に活か
さんとしてきました。これは私有制を逆手にとって見返さんとする術でした。
たとえば高堰は私有の山林では、鳥獣が存分に生きるカテの木の実や虫の餌を得て羽撃けるようにして鳥獣を
生かし、どうじにみずからがカテになってくれる山菜や木々や鳥獣によって目一杯生かされていました。
そうであればこそ高堰は、町役場と部落が林道用に提供する私有地の補償問題で反自然の魔の手、ゼニでの買
収でことを処理せんとすることには徹底して歯向かい、頑強に代替地での土地の交換を求めて、それを事件と受
刑をへて貫きとおし、なしとげました。この並大抵ではない土地への執着の奥には、土地が自給の拠りどころで
ゆだ
ある内実が控え、さらに山菜でも穀物でもいっさいの生きるカテを無尽に生みだしつづける土地の地神、自然の
万物生成の命律に生業を委ねる秘実が伏在していました。
267
山神に命の生死を託す生粋の狩猟衆の一人だった高堰はまた、地神に自給のカテと日常と一生をゆだねる生粋
もと
の百姓衆の一人でもありました。そこで高堰が山林もちで現金なしの貧乏生活を柳に風で自若として受け流して
きたワケと因は、何よりもみずからのこの自給に徹して大地の命律と一体で生きて死なんとする在り方にあり、
副次的にみずからが現金収入は少なくても、いつでもカネに替えることができる立ち木と山があるため、カネに
苦しめられることがなく、貧乏とおもったことがないことにありました。いまの世で、貧乏とは金欠で生計に窮
して命まで貧寒となることでしたが、高堰は反自然で自然殺しのゼニに抗して自然にしたがい、命の原力と活か
しあいの原律に通じていて命が豊かだったから、それあればこそゼニに首根を絞めあげられて引きずりまわされ
ずに済んだし、貧乏が致命傷になることはなく、ゼニがなくても平気でいられたのでした。
そして高堰の自適は、ゼニを蹴って命源の自然につく日常の過ごし方でしたから、それ自体ですでにして、ゼ
ニに信服して命が生首さらす死苦をなめさせられているいまの世人の自辱のきわみの狂姿を、底の底から照らし
だして射ぬきかえす無言の反射鏡になっていました。
受刑後に高堰は自給についていいました、
「春はワラビでも、ウドでも、コゴミでも採って、秋はキノコでも、
ヤマブドウでも、クルミでもとってればや、無理して稼がねったって、なんともねぇ。そんくれぇの収入(稼ぐ
くらいの現金)、あがるもんだもの(山菜売れば)。んだから、これからはや、のんびりと、朗らかに生きていく
よ」──「野菜はつくるども、自給は半分だな。俺、植えた白菜、最高に育ってら」と。
⑶自活は自然とひとつで
268
12 日々の営み
まが
高堰喜代志は紛いものではない狩猟衆で百姓衆の一人として、えげつない村八分も厳しい風雪もものともせず
山里で自給に徹した日常を送ってきました。
し
かりそめにもこれを「変人の風狂」とでも受けとる向きは、お手前様がいかに当世ゼニ狂い文明の手垢に汚れ
ハヤリ
きった痴れもののウスラな己惚れヅラさらしているかしれません。あるいはこれを「ロマンがある」とでも歯が
浮く当世流行コトバをもちだしてシタリ顔する向きは、オノレサマがいかに宙に浮いて足が地についていない
ざ
か、またお手前様の言挙げがいかに当の相手を文明虚人のいい気な慰みもので安っぽい見せ物におとしめている
戯れ言であるかしれません。高堰の長年にわたる自給の日々は、奇異な風狂の世界でも、夢遊病のロマンの世界
でもなく、一人の質実な自然人が自然の仮借ない生死一体の命律に謙虚につきしたがって働いて生きて死なんと
する世界でした。
が、高堰がこの世界で骨を埋めるべく、この世界の二つの支柱、狩猟と農耕に専念してきたのはどうしてだっ
たか? 一つには、高堰が二男三女の次男として生まれた家で、長男が若くして事故死で他界して、農業と猟業
を生業とする家を継ぐことになったからでした。二つには、高堰は若い時分、家業を手伝いながら出稼ぎや遊び
しょう
で行った先々の華やいだ街々の世間に、娯楽でも衣食住でも職業でも山里を離れてもいいとおもえるほど魅了さ
ぎょう
れるものに出食わさなかったからでした。三つには、高堰には生業として狩りと農作が一番みずからの性と力に
合っていて、しかも何の業よりもみずからを活かすことができたからでした。
ここで急所は、みずからを活かすとは何だったか、自活の極姿はどういう在り方だったか、の一事でした。
贅言をはぶけば、高堰にとって狩猟と農耕で、みずからの力によってみずからを活かすとは、鳥獣や草木や作
物や命あるすべてのものを不断に生成―消滅―再生させつづけている母体、大地と天のいっさいのものに自死他
269
生―他死自生で生死と命の活かしあいをさせている命律、自然の万物と万象をつらぬいて秘動しつづけている活
生―活死―活命の原律につきしたがい、それに依拠して生き死にしてはじめて、みずからの力が養われてみずか
らの命が活かされている在り方でした。これは徹底して命源の自然の生死をつらぬく命律を源にして、みずから
ごう
を生けるものいっさいとともに活在させんとする道であり、大地と天の自然と一体になった自在と自律と自活に
こそ懸ける合自然の生き方と死に方でした。そしてこれは、当世に大手ふってのさばる、ニンゲンサマのワレあっ
ての自然だという尊大狂いのニンゲンの反自然の立場とはまったく逆で、高堰がいう「曇り」──バンバンザイ
のゼニ・エゴとサマサマのニンゲン・エゴの「曇りがねよにせねば」ならない在り方であり、当世風とは決して
相容れないばかりでなく、エゴ狂いの世のウヌボレ狂いのヌエらの狂権発動──「曇りの中の曇り」と徹底して
対決し、これを晴らさんとする立場に立っていました。
例証があります。
一に撮影。
一九八一年(昭和五六年)一月の事件いぜんから一映画プロダクションの青銅プロが、秋田県や県教育委員会、
阿仁町や町猟友会の協力を得て監督後藤俊夫・主演西村晃で製作してきた劇映画『マタギ』──高堰そっくりの
老マタギ(平蔵)の物語で、高堰は撮影当初、又鬼の在り方や熊との死闘や巻き狩りの話から狩りの手ほどきや
ウソ
マコト
山の道案内で、主役の老マタギの役づくりや脚本づくりや撮影の陰の目付け役になり、全面的に協力しました。
が、その途次、監督は又鬼が熊を射止めるシーンで、虚構を真実に見せるドラマの常套手段のヤラセによって、
なんぼ作りもんの映画でも、そんたら対等の勝負にならねぇこと、一方的
猟友会のマタギに飼い熊を山に連れだして殺させんとし、そうしました。そのとき高堰はどうしたか。──飼っ
てるクマば撃つだと? 何やっか
!?
270
12 日々の営み
しょう
な屠殺、やらせる奴も、やるヤツもあまりにひでぇでねか! と激怒した高堰は、撮影から手をひきました。
高堰は、不当にも野生の精気を抜きとられたうえに、無惨に屠殺されて映画の一シーンの餌食になるいたまし
い飼われ熊の命をおもって、監督の後藤を──いかにも情理をわきまえた紳士ヅラして性ワルで凶悪な反自然の
本性をむきだした白く塗りたる墓の偽善ギツネを、クマに代わって直ちに撃ちぬきかえしてやりたかったでしょ
う。
当の監督は高堰が事件を起こすや、残る撮影のため数日後にやってきた秋田(県庁)で記者会見して、こうい
いました。「非常に残念なことになったが、事件は映画とは関係ない。マタギにとって銃は神様だと思うし、人
を撃つなどとは伝統的なマタギの精神を受け継いでいる人のやることではないと思う」(八一・一・一○秋田さき
がけ新報)
事件は映画と無関係とは、映画から高堰の影を消しさって、高堰を黙殺した言でした。ここに、オノレの都合
本位と立場固持で忘恩の徒になり、高堰が起こした誤殺事件を人殺しゆえに臭いものとして蓋をして忌み、事件
の真相も高堰の真価も見きわめようとせず、四面楚歌の高堰をいっさい支援しようとせずに見殺しにした男の一
てのひら
人がいました。これは事件前に取材ほかで多少にかかわらず高堰とかかわりのあった映画畑やテレビ畑や新聞畑
のもので、事件後に公判で苦闘する高堰には掌を返したようにまったくワレ関せずで知らんふりをきめこんだ食
わせものの一典型で一代表でした。
人を撃つなんて伝統的なマタギのやることじゃないと? 誤殺という事件のオモテだけを見て、ほんらいの又
や
鬼の自然人だからこそ反自然の凶権をふるうニンゲンサマサマのヌエらと殺るか殺られるかの勝負に出た事件の
オクを見ようとせず、知りもせずに知ったかブリして伝統的なマタギの精神をもちだした当の男は、オノレが合
271
ほっかぶ
自然で生死を分かって活かしあう勝負にかけるほんらいの又鬼の猟道にまったく背いて、ただにヤラセで飼い熊
を殺したことはタナにあげて頬被りし、イケシャーシャーと高堰がマタギの精神にまったく反するなどと白を黒
といいくるめる大ウソをぬかしくさりました。
こういう手合いを称して、もはや度しがたいイカサマ権化のペテン師といいます。
二に事件。
八一年一月、高堰は林道用に提供した私有地の補償に要求した代替地問題を地元の阿仁町当局と栩木沢部落に
なぶ
無視されつづけたすえに、林道の一付帯工事を孫請けして無視の尖兵になった地元の中嶋土建社長にナマ殺しと
同じ嬲りを受け、ついに堪忍袋の緒が切れて土建社長に逆撃の怒弾を放ち、痛ましくも別人を撃ってしまいまし
た。
怒殺が誤殺に一変したこの事件は、根っからの百姓であるとともに生粋な又鬼(狩人)で、命源の自然のいっ
さいのものを互いに活生と活死につかせている命律にこそ依拠している高堰が、みずからの抹殺を通して生ける
いっさいのものと自然そのものを露骨にバンバンザイのゼニ・エゴとサマサマのニンゲン・エゴのエジキにし食
め
い殺さんとした凶悪な世のヌエらを、一気に断罪の怒火で焼きつくさんとしたことを自証していました。
受刑後に高堰は自活の一柱をなす狩猟についていいました、「(事件)前に俺から熊獲ること訊かねばねって来
て、坂野(英彰)と一緒に山さ連れてった大潟村(秋田県)の鈴木(隆治)、こんだ俺の(事件で失くした)狩
ぼ
猟免許おりたら、すぐ来てけれってゆってら。んだから、俺まだマタギできる。なに鉄砲打たねったって、ここ
さいれとゆって、熊追ってくる。そうせば、みなまた熊獲るにいいった」と。
272
別れ
13
13 別れ
一九九二年(平成四年)一一月一三日の夜、横浜・磯子区の坂野英彰が都内渋谷区の山県仁に電話し、高堰喜
代志が家で梯子から落ちて地元の病院に入院し、六日前の一一月七日に脳溢血で死去し、今夜、岩手・盛岡の長
男正志宅で葬儀があることを伝えました。
高堰の不意の訃報に喫驚した山県は、遺族からはなんの知らせもなかったうえに、葬儀には出ようにも間に合
わなかったので急遽、妻テツエあてに押し花と線香つきの弔電を打ち、末尾に「喜代志さんの魂をひき継ぎます。
南無妙法蓮華経」と記しました。
南無妙法蓮華経とは、一三世紀に日蓮が釈迦の究極教の法華経を圧縮して射だした成仏という名の活命の極致
ほうぼう
え
に直入する鍵の七文字で、自然の生死をつらぬく万物活命の極法を黙示して象徴する七文字で、ニンゲンの増上
ごう
ひかり
慢による謗法(命の極法の蹂躪)が渕源の万物殺命獄土の凶世を、一挙に依法(極法に依拠)で生来の万物活命
光土の吉世に根こそぎ回生させんとする業そく光(業火にして回生光)のワザモノのきわみの七文字でした。
享年七九歳で永眠した高堰は、命の極法の原境、土と水と大気と光に還りました。そこは、日蓮が「法華経の
明鏡をもって自身に引き向かへたるにすべてくもりなし」(呵責謗法滅罪抄)といったときの煩悩のくもり、高
堰が「曇りは晴らさねば」といったときのニンゲン・エゴの曇りがまったくない命の素形=因子の世界でした。
い
高堰は生前(受刑後)に「いまは俺、(戸鳥内で又鬼を仕切る)権限ねぐなった。(事件で)ドン底さ落ちて、
地獄に往ったのと同じだ。んだども、俺は死ぬとき地獄には往かね、極楽さ往く」といいました。極楽とは自然
の命の極法とひとつになった世界で、生と死にわたって活在する万物活命の極境のことでした。高堰は生前には
合自然で極法にしたがい、死後には極法の因子の土と水と大気と光に帰りましたから、みずからのおもいどおり
極楽に参入したにちがいありません。
275
ばた
げ
独り又鬼・高堰喜代志の御霊よ、自在に羽撃き、無礙に疾駆して、凶の地を撃ち、吉に息吹きかえす秘力を、
われら地に這う衆の一人ひとりに直伝してはくれないか──。
276
後記
ものがみ
これは時代の闇に徹底して反時代で超時代の閃光を放った、稀有な一人の大地の原民の一事件と在り方のド
キュメントです。
しかばね
さまよ
闇とは? それは尊大化したサマサマのニンゲン・エゴと物神化したバンバンザイのゼニが、人をふくめていっ
さいの生けるものと万物の命源の自然をオノレのダシでカモ、エジキでイケニエにして食いつぶし、いっさいの
命を素寒貧でカラ、ボロカスで生きながらに屍、アテどなく彷徨って生首さらす怖るべき獄況に追い落としてい
るニヒリズムのブラック・ホールでした。
閃光とは? それはアコギなニンゲンのエゴサマとゼニサマが凶元の、反自然のきわみで万物殺命の命獄を、
ごう
根こそぎ大自然の生死にわたる万物活命の原境に、徹底して合自然で一変させる命光の一閃でした。
このドキュメントが地の刻苦の衆の諸父母兄弟姉妹の超苦の一石になれば幸いです。
二○○九年四月春
縣 一石
277
あがたいっせき
縣 一石
1935年 東京に生まれ北海道に育つ
1958年 北海道大学文学部英米文学科を中退
これまで 戦争犠牲者援護団体を皮切りに諸職を遍歴
いま
拝金の世に排金の村に向けて生計費の追剥奴と競歩
作品
ストリート・イベント『生首展』
写真集『東京無宿』
衆誌『真砂』
冊子『マタギの激怒・狩人の魂─マタギ誤殺事件の真実を問う』
『三島由紀夫論─天皇の仮面とニヒリズム』
『近代主義の落とし
穴』
『七文字の黙示─命法の極点』
寄稿
『反時代の自然真営道─安藤昌益の志』
『法子たらんと─宮沢賢治
の闇と光』
『ミカド・インペリアリズム』
─602
─────────────────────────────────
曇りがねよにせねば 独りマタギの怒弾と日々
一石
二〇一一年七月十五日 電子版発行
二〇〇九年四月二十日 発行
著者 縣
発行 本の風景社
〒 351-0035
埼玉県朝霞市朝志ヶ丘4─ ─
電 話 048 ─470─2757
FAX 048 ─470─2758
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13
IBN 978-4-903703-23-7 C0095
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10