世界文化遺産

世界文化遺産
平成28(2016)年 No.1162
8/5
広報
前月比
世 帯 数
113,393
(+45)
人 口
193,156
(+55)
発行 台東区
編集 総務部広報課
〒110-8615
台東区東上野4丁目5番6号
☎ 5246-1111(代表)
FAX 5246-1029(広報課)
のあるまち
住民登録
台東区
区の世帯と人口(7月1日現在)
Ⓒ国立西洋美術館
平成28(2016)年 8月5日
トルコのイスタンブー
ルで開催された第 回ユ
ネスコ世界遺産委員会
~ 日開催)にお
いて、
「ル・コルビュジエ
の建築作品―近代建築運
動への顕著な貢献―」
(7
時
か国共同推薦)の審議が
日
時
畔の小さな家」
(②)や、ル・コルビュジエがディ
ベ ロ ッ パ ー と な っ た ア パ ー ト で、 自 身 の ア ト リ
世紀を代表する宗教
エ お よ び 住 居 と し て も 利 用 し た「 ポ ル ト・ モ リ
トーの集合住宅」
(⑧)
、
建 築 で あ る「 ロ ン シ ャ ン の 礼 拝 堂 」
( ⑨ )、 妻・
また、フランスの「マルセイユのユニテ・ダビ
タ シ オン 」
( ⑫ )は、ホテル、レスト ラン、 郵 便
の建築作品はバラエティに富んでいます。
タンの休暇小屋」(⑰)など、ル・コルビュジエ
すみ か
局、幼稚園、体育館、プールなどが併設された集
(※)
「モデュロール」
つい
イ ヴ ォ ン ヌ の プ レ ゼ ン ト と し て 設 計 し、 ル・ コ
合 住 宅 で す。 建 物 の 設 計 に は、 ル・ コ ル ビ ュ ジ
ル ビ ュ ジ エ の 終 の 棲 家 と な っ た「 カ ッ プ・ マ ル
エが提唱した人体寸法と黄金比などに基づく「モ
ル・ コ ル ビ ュ ジ エ が 考 え 出 し た、 建 築 の 寸 法
を 決 め る ル ー ル で、 人(
㎝のヨーロッパ
ル・コルビュジエの建築作品
) は、 パ リ を 拠 点 に、 世 界 中 で
1965
活躍した建築家・都市計画家です。建
デュロール」(※)が採用されているなど、規格
の 男 性 ) が 手 を 伸 ば し た 高 さ(
・コルビュジエ( Le Corbusier
・ 1887
~
築 分 野 以 外 に も 絵 画、 彫 刻、 家 具 な ど の 制 作 に
化や標準化を体現しています。
宅の天井にちょうど良い高さと定めたものです。
㎝) が 住
も 取 り 組 み、 小 住 宅 か ら 国 際 連 合 本 部 ビ ル の 原
そ の 他、 彼 が 両 親 の た め に 作 っ た「 レ マ ン 湖
世 紀 の 建 築・ 都 市 計 画 に 大 き な 影 響 を
新しい建築に対する考え方や価値観を世界中に
広 め、
与えました。
か国(フランス、日本、ドイツ、スイス、ベルギー、
今 回、 世 界 各 地 に 所 在 す る 彼 の 建 築 作 品 の う
ち、 近 代 建 築 運 動 へ の 顕 著 な 貢 献 が 見 ら れ る 7
して含まれています。
資産が世
界 文 化 遺 産 に 登 録 さ れ ま し た。 大 陸 を ま た い で
ア ル ゼ ン チ ン、 イ ン ド ) に 所 在 す る
7月 日夜、トルコでクーデターと思われる事
案が発生し、世界遺産委員会の審議が一時中断さ
の登録は、今回が初めてです。
構 成 資 産 に は、 個 人 の 邸 宅 か ら 集 合 住 宅、 宗
教 建 築 や 行 政 庁 舎 な ど、 さ ま ざ ま な 建 築 作 品 が
れました。しかし、審議再開が決まったため、
区 議 会・ 堀 越 副 議 長、 台 東 区 町 会 連 合 会・ 黒 田
含まれています。
階会議室に台東区・服部区長、台東
会長(国立西洋美術館世界遺産登録たいとう推進
ル・コルビュジエが提 唱した「 近 代 建
協議会副会長)
、文化庁・宮田長官、国立西洋美
日に区役所
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案 ま で 幅 広 い 創 作 活 動 を 展 開 し ま し た。 ま た、
ル
分)、世界遺産一覧
されることが決定しました。
日
▲現地での審議の様子
例えば、フランス・ポワシーに所在
する「サヴォア邸と庭師小屋」
(⑥)は、
術 館・馬渕 館 長、上野観 光
連盟・二木 会 長、区 議 会 議
築の5原則」
(ピロティ、屋上庭園、自
⑰
2
2
6
⑯
行 わ れ、 7 月
分(現地時間7月
「記載」
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「ル・コルビュジエの建築作品」の中には、上
野公園に所在する国立西洋美術館が構成資産と
表に
11 14
1
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17 17
員、区職員など関係者が集
実は、「ル・コルビュジエ」という名前は、
雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」の中で用いたペンネームで、
本名は「シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ」なのです。
コレ、知ってた?
由な平面、水平連続窓、自由なファサー
ド)を具現化したものです。近代建築
録推進担当☎(5246)1193
17
ル・コルビュジエ Le Corbusier ©FLC
⑩
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まり、登録の瞬間を祝 福し
ました。
住宅の最高傑作とも呼ばれています。
©FLC/ADAGP/DePrins/Emden/Kieslowsky/OMG, 2016
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⑤
【フランス(10 資産)
】
①
② ③ ④
ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(①)
、ペサックの集合住宅(③)
、サヴォア邸と庭
師小屋(⑥)
、
ポルト・モリトーの集合住宅(⑧)
、
ロンシャンの礼拝堂(⑨)
、
サン・ ⑥ ⑦
⑧ ⑨
ディエの工場(⑩)
、マルセイユのユニテ・ダビタシオン(⑫)
、ラ・トゥーレッ
トの修道院(⑭)
、
フィルミニの文化の家(⑯)
、
カップ・マルタンの休暇小屋(⑰) ⑪ ⑫
⑭ ⑮
【日本(1 資産)
】国立西洋美術館(⑬)
⑬
【ドイツ(1 資産)
】ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅(⑤)
【スイス(2 資産)
】レマン湖畔の小さな家(②)
、イムーブル・クラルテ(⑦)
【ベルギー(1 資産)
】ギエット邸(④)
【アルゼンチン(1 資産)
】クルチェット邸(⑪)
【インド(1 資産)
】チャンディガールのキャピトル・コンプレックス(⑮)
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(7月
ジエの建築作品 ― 国立西洋美術館 ―
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▲現地との中継の様子
▲登録の瞬間、拍手喝采が沸き起こりました!
第 1162 号 (2)
広報
広報
特集 世界文化遺産 ル・コルビュジ
川 崎 造 船 所 が 経 営 危 機 に 陥 る と、 彼 は 社 長 の
座 を 降 り て、 自 ら の 財 産 を 会 社 の 財 務 整 理 に 充
て ま す。 日 本 に 運 ば れ て い た 美 術 品 は 数 度 に わ
たる展覧会で売却され、散逸してしまいました。
資産の中で唯一
の 美 術 館 建 築 で あ り、 東 ア ジ ア で は
立 西 洋 美 術 館 は、
国立西洋美術館ができるまで
国
唯 一 の ル・ コ ル ビ ュ ジ エ 作 品 で す。
彼が収集した美術品のうち、かなりの数がヨー
ロ ッ パ に 残 さ れ て い ま し た が、 ロ ン ド ン の 倉 庫
年に完成した国立西洋美術館は、
「松方コ
はるかに上回る人気で連日満員となり、美術館前
には長蛇の列ができました。
フランスの文化交流の象徴となった建物です。
レクション」の寄贈返還を通じて、戦後の日本と
一方、パリに残された約
点の作品は、ロダ
ン美術館の一角に保管されていました。第二次世
容や数さえも定かではありません。
に あ っ た 作 品 群 は 火 災 で 失 わ れ、 現 在 は そ の 内
ます。
館には、ル・コルビュジエのさまざま
年、サンフランシス
例 え ば ピ ロ テ ィ( 1 階 部 分 を 柱 の み 残 し て 外
部 と す る 形 式 )、 屋 上 庭 園、 ス ロ ー プ( 斜 路 )、
な建築のアイデアが散りばめられてい
界大戦後、これらの作品群は一時フランス政府の
自然光を利用した照明計画、モデュロールなど、
本
「松方コレクション」とは、松方幸次郎( 1865
~ 1950
年)がヨーロッパ各地で収集した美術作
品のことです。
コ平和条約締結の際、当時の吉田茂首相はフラン
ス政府所有となったコレクション約
ています。
で の 募 金 で 賄 う こ と に な り ま し た。 当 時 の お 金
し か し、 戦 後 間 も な い 日 本 に は 十 分 な 予 算 が
あ り ま せ ん。 不 足 分 は、 画 壇 や 財 界 を 巻 き 込 ん
限発展美術館」の構想をよく現した作品として
面 計 画 な ど、 ル・ コ ル ビ ュ ジ エ が 提 唱 し た「 無
増加に伴い渦が大きくなるように増床できる平
を要求します。フランスは、新しい美術館をつく
で お よ そ 1 億 円 が 集 ま っ た と 言 わ れ て お り、 い
評価されています。
り巨額の財を得ました。
を運び、絵画、彫刻からタペストリーまで、膨大
かに人々の期待が大きかったのかが分かります。
ることを条件に返還に応じました。
な数の美術品を買い集めました。ロダンの彫刻作
、
ま た 本 館 は、 陸 屋 根( 平 面 状 の 屋 根 の こ と )
正 方 形 の 平 面 形 状、 ら せ ん 状 の 回 廊、 展 示 品 の
品、モネやルノワールの絵画など、彼が手に入れ
美 術 館 の 設 計 に は、 世 界 的 な 建 築 家 ル・ コ ル
ビュジエが選ばれました。ル・コルビュジエは、
年間でたびたびヨーロッパを訪れては画廊に足
▲自然光を採り入れた 19 世紀ホ
ール
年 から 約
た作品の総数は1万点に及ぶと言われています。
設 予 定 地 を 調 査 し ま し た。 ル・ コ ル ビ ュ ジ エ が
▲ピロティ
船で莫大な利益を上げた彼は、
彼が美術品の収集に情熱を傾けたのは、自分の趣
味のためではありませんでした。彼は、日本に作品を
作った設計図を基に、彼の弟子である前川國男、
月に日本を訪問し、上野公園内の建
持ち帰って美術館をつくり、若い画家たちに本物の
坂倉準三、吉阪隆正
の3人が協力して
年
西洋美術を見せたいという気概をもっていたのです。
美術館の建設を進
彼が美術品の収集を始めたのは、第一次世界大
戦中のロンドン滞在時のことです。大戦により造
崎 造 船 所 の 初 代 社 長 に 就 任 し、 海 運 業 な ど に よ
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年の
しかし、彼の美 術 館 建 設の夢は、
世界恐慌によってかなうことはありませんでした。
めました。
年
そして
3月に国立西洋美
日に開
術 館 本 館 が 完 成 し、
同年6月
館しました。
開館後は、予想を
▲完成当初の国立西洋美術館
© 国立西洋美術館
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© 国立西洋美術館
▲スロープ(斜路)
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国有財産となります。
松 方 幸 次 郎 は、 明 治 の 元 勲 で 総 理 大 臣 も 務 め
た 松 方 正 義 の 三 男 で す。
年、 株 式 会 社 川
ル・ コ ル ビ ュ ジ エ の 建 築 の 特 徴 が よ く 表 現 さ れ
国立西洋美術館の建築的特徴
情熱がようやく報われたのです。
松方幸次郎が美術館構想を抱いてから約 年、
本人が亡くなって9年が経っていましたが、彼の
40
点の返還
1
9
5
9
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常設展の無料観覧を
台東区民を対象に実施します
国立西洋美術館では、世界文化遺産への登録を記念し
て、常設展の無料観覧を台東区民を対象に下記の通り実
施します。
この機会に、ぜひご来館ください。
▷期間 8月15日㈪~28日㈰(22 日㈪は休館)
▷対象 台東区内在住の方
▷持ち物 住所確認できる物(運転免許証、本人宛て
住所が記載された郵便物等)
※企画展(メッケネムとドイツ初期銅版画展)は有料と
なります。詳しくは、左記ハローダイヤルへお問合せ
ください。
常設展内 版画素描展示室で、
「ル・コルビュジエ
と無限成長美術館―その理念を知ろう―」
(9 月 19
日㈷まで)を開催しています。
▷所在地 台東区上野公園 7 − 7
▷開館時間 午前 9 時 30 分~午後 5 時 30 分(金
曜日は午後 8 時まで)
※ 8 月 5・12・19・26 日の金曜日は午後 8 時 30
分まで
※入館は閉館の 30 分前まで
▷休館日 月曜日、年末年始(12 月 28 日~ 1 月
1 日)
※月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日が休館
▷常設展観覧料 一般 430 円 、大学生 130 円
※高校生以下・18 歳未満・65 歳以上・心身に障害
のある方と付添者 1 人は無料(入館の際に学生
証または年齢確認できる物、障害者手帳を提示)
▷無料観覧日(常設展のみ)
第 2・4 土曜日、文
© 国立西洋美術館
化の日(11
月
3
日)
本館(ル・コルビュジエ設計)と新館(前川國男設計)
からなり、松方コレクションの作品およびルネサンス ▷問合せ 国立西洋美術館
☎(5777)8600(ハローダイヤル)
以降 20 世紀初頭までの作品等を展示しています。
国立西洋美術館概要
17
1
8
9
6
株式会社川崎造船所
(現・川崎重工業株式会社)
初代社長 松方幸次郎
写真提供:
川崎重工業株式会社
11
1
9
5
9
10
第 1162 号
(3)
平成28(2016)年 8月5日
▷問合せ 世界遺産登録