気ままで可愛い病弱彼女の構いかた

気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
竹原漢字
ファンタジア文庫
2469
3 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
2
口絵・本文イラスト MACCO
﹃恋とは落ちるものではない。駆け上がるものだ﹄
というのは、何で読んだ言葉だったか。
*
嬉しいだけの、普通の登校日だと思っていた。
今日も、早く帰れるのが
い。
今日は、ここ、私立朝霧橋学園の入学式だ。
感慨深い思いは、あまりない。中学から高校へと、通う学校が変わり、
とはいっても、
遠くなる代わりに自転車での登校が認められるようになる盻眇そんな程度の認識でしかな
揺らし、視界を薄桃色に染めた。
校門をくぐると、風が桜の花を
遅くまで咲いていた桜も、もう数日で葉桜に変わるだろう。
例年になく
5 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
盻眇彼女の、姿を見かけるまでは。
一陣の風が吹き抜け、薄桃色の嵐を
かに顔を伏せ、白い手でかき上げ
瞳を飾る長いまつ毛が、影を落とす。その影が、肌の白さを一
そんな彼女へ、一人の女性が近づいていく。顔を上げた彼女の表情から察するに、待ち
人はその女性であったらしい。
と。
れを着けているのは、確か二年生のはずだ。
この学校の制服を着ている。入学式の日にいるのだから、新入生だと思うが見覚えはな
かった。違う中学だったのか。と思っていたら、彼女の着けるタイの色に気がついた。あ
生まれてこの方、日の光を浴びたことがないのではないだろうかと思うその白さは、一
種の透明感さえ生み出していた。肌の下の血管が、薄く透けて見えそうだ。
そんな対比を必要としないくらいに、肌が白い。
物思うように伏せられた
層際立てた盻眇いや。
滑らかな曲線を描く頰に、一房髪がかかっている。
たそれを耳にかける。形のよい耳朶が露わになった。
遮る柔らかな春日の下、黒髪が艶やかな光を放っている。長い。易々と車椅子の
日傘が
座面にまで到達しているそれは、立っていれば腰まで届く長さだろう。
さして日差しの強い日ではなかったが、日傘を差していた。白い、飾り気の少ないデザ
インだ。
開けると、桜色のカーテンの向こうに、彼女がいた。
車椅子にちょこんと座り、手持無沙汰そうに桜の木を見上げている。誰かを待っている
のか。
思わず目をつむり盻眇
校舎の入り口に向かうため角を曲がる。と、また、
起こした。
6
既に見せつけるように日傘の下に突き出してい
不思議なことを言う。見てくれも何も、
るのに。はあ⋮⋮、と少女のついたため息が、ここまで聞こえてくるようだった。お姉ち
﹁眤﹂
少女に向かって声をかけ、手をひらひらと、見せるように揺らしている。怪我をした、
と言っているようだ。お前の目で、見てくれよ、と。
年齢相応のフォーマ
二十代の後半だろうか。すらりとした長身に、セミショートの髪。
ルな装いをしているが、あまり着慣れていないのか窮屈そうな印象だ。
7 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
ゃん、人をCTスキャンみたいに使わないでよ。お姉ちゃんこそ、本職なんだから自分で
愛称らしい盻眇が、どういたしまして、というように下を向いて
だけど、そのまま視線をそらすのも失礼だと考えたのか。少女の顔に、
た。
困ったような。
戸惑うような。
くすりとした微笑み。
その笑みを見たとき。
見てしまったとき盻眇。
微笑みが刻まれ
訝しんでいると、女性盻眇姉の態度に気づいたらしき少女も、目を向けてく
じっと見てしまっていたので、知り合いかと思ったのだろう。
が、思い当たった気配はなかった。当たり前だ。初対面なのだから。
視線が交わる。
記憶を探るような色が浮かんだ。
少女の表情に、
その様子を
る。
た。
視線が交錯する。数秒こちらに視線をぶつけていた女性は、何故か驚いたように眉を上げ
そんな少女を見下ろしていた女性が盻眇気配に気づいたのか、ふとこちらを振り返った。
少女盻眇ミヤ、という
息を吐く。
何が起きているのか分からないが、女性は、ありがとよ、と歯を見せて笑った。ミヤの
見立てなら、間違いないしな。
盻眇特に何も起きなかった。
大丈夫だよ、と断言するように言う。こんなくらいなら、しばらく動かさ
が、少女は、
ないようにしていたら、すぐに治るよ。
素直に従う女性。
瞬間盻眇
次の
返しのようなものなのだろう。
お定まりの返しに、少女はまたも息をついたが、女性の要望には応えることにしたよう
だ。ん、と、手を差し出すように促す。まあ、既に突き出しているので、せめてもの意趣
いいじゃないかよ、と女性盻眇姉らしいが盻眇が言い返す。減るもんじゃないし。
診なよ。
8
9 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
10
*
何かが駆け上がる音が、確かに聞こえた。
11 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
が流れていた。
いや何も、と甘口廿日こと僕は返す。
戻す盻眇いや、それを﹃本﹄
そう⋮⋮と眉をひそめつつも、相手は広げていた本に視線を
と呼んでいいものか。
瞬かれた。
ぱちくりと、大きな目が
﹁え、甘口君、いきなり一人で何言ってるの眤﹂
﹁そして、目の前にいるのがその吸血鬼である﹂
*
すなわち。
保健室に、吸血鬼が棲んでいると。
朝霧橋学園にはとある
私立
12
13 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
身体の調子が悪いときと
真っ赤なあれである。どこの家庭にもあるらしきあれである。
かに見て、重篤な病気なのではと怯える盻眇らしい盻眇あれである。枕にするには分厚す
黒目と白目のハイコントラストが僕を見つめてくるので、ことさらに、僕は顔をそむけ
た。﹁断る﹂
﹁⋮⋮ごめん、そっちに置いてもらって、いい眤﹂
調子がいいときは持てるんだけどなー、と言いながら、ページ数に比例して数キロはあ
るだろうその書物に手を添えたまま、上目遣いに僕を見る。
﹁⋮⋮持ち上がらない﹂
うとして。持ち上げようとして。
の上に置いていたそれを、脇のテーブルに置くために持ち上げようとして盻眇持ち上げよ
描写まで表現できるのか。すげえな、僕の表情筋。
僕の表情はそんな細かい
啞然としてる僕をよそに、そいつは、ぱたん、と音を立てて︵というか、ページ数から
言って、﹁バタン眄﹂という感じだったが︶、保健室の床の上のベッドの上の の上の布団
﹁マジか﹂
枕にすると案外いい感じに寝られるよ﹂
﹁甘口君の表情が、分かりやすすぎなんだよ。盻眇ついでに言うとね、﹃家庭の医学﹄は
﹁独白に突っ込みを入れるなよ﹂
かは知っておきなよ﹂
﹁⋮⋮いや、ご家族が病気になることとかあるでしょ。そういうときのために、対処法と
ない。風邪すら引いたことのない僕には、医学の知識なんか欠片一つも必要ない。
まあ、要するに、﹃家庭の医学﹄である。
普通に読書として楽
僕の眼前にいるこいつは、それを、さも面白い読み物かのように、
しみながら眺めていた。分からなくもない、という意見もさもありなんが、僕には分から
ぎ、鈍器にするには充分すぎる。枕に短し、鈍器に充分。
14
*
美闇は、あっけからんと、そう言った。
と、そいつ盻眇病夜宮
﹁いやだって﹂と、そいつは言う。﹁甘口君、﹃病夜宮係﹄じゃん﹂
﹁﹃何で﹄はこっちの台詞だよ。何で僕がそこまで構わないといけないんだ﹂
それくらい﹂
﹁えー﹂と、小さな口を尖らせて、不服そうな声を出す。﹁何でさー、いいじゃん別に、
15 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
病夜宮美闇。
スキルは何だ。それはお前の領分じゃないだろ
が鬱血で悲鳴を上げ
こいつがそう されているのは、そう盻眇
﹁ い や、 だ か ら ね 眤 そ う や っ て 独 白 に 入 ろ う と し な い で。﹃ 家 庭 の 医 学 ﹄ を ま ず ど け
扇 情的な記事が書けそうだ。
しかも、相手は に名高い吸血鬼。より一層
吸血鬼。
学校の保健室で同級生に悲鳴を上げられている男子の図、というのはなかなかにセンセ
ーショナルな話題を校内に振り撒きそうだ。
それはちょっと困るな。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁私も、悲鳴を上げるよ眤﹂
﹁いや別に構わないけど﹂
るよ眤﹂
普通に表情を読んだだけ。と、病夜宮美闇はつけ加える。
﹁ていうか、いい加減﹃家庭の医学﹄をどけてくれないと、私の太
﹁今のは スキルとかじゃなくて、普通にコミュニケーション能力だよ﹂
う﹂
﹁だから、お前のその独白を読み取る
﹁いやいやちょっと待って、甘口君。その、私の名前に対して何か言いたげな感じは何﹂
僕の前にいる、僕のクラスメイトの名前が、それであった。
愉快な名前の奴である。
まあ、何というか盻眇とても
美しく病んだ夜の闇の宮。と書き下してみれば、とても中学二年生。
が、人名である。
16
肌を何故か赤らめつつ、病夜宮は顔をそらした。その拍
え、いや、まあ。と病的に白い
﹁⋮⋮何で顔を赤くする﹂
﹁え、あ、ちょ﹂
そう思ってベッド脇に置いていた椅子から腰を上げ、僕は病夜宮の方へと身をかがめる。
顔が、近づいた。
突っ込みを入れたかったが、まあ確かにこいつの言うとおりだ。いい加減、
スキルに
病夜宮の願いを聞いてやることにしようか。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
て眤﹂
17 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
子に、緩めているブラウスの襟からこれまた日に当たった様子のない鎖骨が覗く。そして、
その本心からのものらしい信頼が、逆に僕の心の奥底をつつき、僕はまた黙り込んでし
まった。
と、病夜宮が無防備な笑みを見せる。
﹁甘口君、そんな人じゃないもんね﹂
﹁だよねぇ﹂
﹁いやいや、そんなことしねえよ眄﹂
﹁えっと、何その反応。え、まさか、私今本当に甘口君に触られてた眤﹂
うに言う。
予想に反して、病夜宮は単にきょとんとしているだけだった。えっと⋮⋮、と戸惑うよ
おそるおそる病夜宮の顔をうかがう。が。
﹁眤﹂
しては、それは褒め言葉にならない。
褒め言葉になるだろうそれだったが盻眇一部の、皮
女の子に対して使えば、たいていは
肉として捉えられてしまうだろう肉体的に豊かな女子は除いて盻眇、こいつ、病夜宮に関
そう僕は言い盻眇言ってから、しまった、と思う。
﹃細い脚﹄。
かよ﹂
﹁ナレーション風に言うな。こんな厚い布団を通して、お前の細い脚のことなんか分かる
﹁そして、さりげなく布団の下の私の脚の感触を感じ取ってみる甘口君なのだった﹂
視線を引きはがして、僕は﹃家庭の医学﹄を片手で持ち上げる。つもりだったが、思い
の外分厚いわ重いわで取り落としても格好悪いので、両手でしっかりとホールドした。
いやまあ。
さらにその奥の盻眇。
18
入学直後のどこか張りつめた空気はとうに無くなり、教室内にはどこの学校にもありそ
*
沈黙の時間を利用して、回想シーンを入れておこう。
入学式から数日後の話だ。
沈黙に包まれる。
僕のリアクションに、再び病夜宮も不思議そうに首をかしげ、保健室は
19 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
うなごくごく普通の日常が広がっていた。早々とクラスに馴染む生徒に、どの集団にも属
けではない。ま、僕はなりたくないけれど。
仕事はあるだろうが、そのために忙殺されてしまうような大層な役職が目白押しているわ
その日のディスカッションのテーマは、クラスの係決めだった。まあ、そう大したもの
があるわけでもない。学級委員長とか美化委員とか図書委員とか、なったらそれなりには
事件が起きたのは、ホームルームの時間だった。
彼女は、一度もこの教室に登校してきていないのだった。
私立朝霧橋学園、一年一組三十番。
病夜宮美闇。
僕が気にしているのは、入学してからこちら、クラスメイトの一人を全く見たことがな
いことだった。
まあつまり。
僕が気にしているのは、彼女の非存在である。非彼女の存在と言い
れない盻眇いやよくないな。意味が全く分からん。
一年一組、出席番号最後方。﹁や﹂で始まる名字の彼女のことだ。
とはいうものの、彼女の存在が、気になっているわけでは、僕はない。
換えてもいいかもし
五十音順に並んだ座席。廊下側一番前に座る僕の、ちょうど反対、点対称。
窓側一番後ろの座席のことだ。
貧すれば鈍するという言葉があるが、人間、余裕ができれば自然に周りを見渡すものだ。
目下の僕の関心事は、教室の反対側にあった。
上手く過ごしていた。
僕はそんな教室内で、まあそれなりに
せず焦った顔で周囲を見回す生徒。
20
と、そこには書かれている。
﹁眤眤眤﹂
﹃病夜宮係﹄
黒板に書かれた役職名の下に、次々と名前が書かれていき、最後から二つ目の生き物係
も決まり、ラスト一つ。
と僕は思うものの、物好きはどこにでもいるもので、立候補なり友達同士じゃれあって
他薦するなり、割とすんなりと全ての委員が決まっていった。
21 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
疑問符しか浮かばない。
頭の中に、
響きにはむしろ立候補してほしくない、という雰囲
疑問の声を上げようとする僕にかぶせるように、﹁放課後、保健室に行ってください﹂
そう続けられ、塗り重ねられた疑問に、僕は上げる声を失った。保健室に眤 何で眤
わざとらしく、窓側一番前から反時計回りに一周した視線は、終点である僕の席で停止
した。﹁それでは、出席番号一番、甘口君お願いします﹂
﹁では、先生の方で係を決めたいと思います﹂
その質問も形式的であったし、その
気まであった。
先生もそれは分かっていたのだろう、クラスルームを見渡すその仕草は、どこか形式的
なものだった。﹁立候補は、いませんね眤﹂
それこそ無茶振りである。聞いたこともなければ、何をするのかも分からない係に、誰
がなろうというのか。あのお人好しでもいれば話は別だろうが、あいつは隣のクラスだ。
女は教室内を見回した。﹁えーと、誰か、立候補はいませんか眤﹂
た。﹁いや、無茶振りが過ぎるでしょう、久凪崎先生⋮⋮﹂呟きののちに目を上げて、彼
説明を求めるようなざわつきがあり、担任の先生が教壇に立つ。
﹁えーと、これは⋮⋮﹂言いかけ、口をつぐむ。見れば、先生も困ったような顔をしてい
僕だけが分かっていないのかと思って周りを見ると、級友たちもみんな似たような表情
だった。
が、何だ、その係って。何をするんだ眤
いや、もちろんそれは、かの一度も姿を見かけたことのないクラスメイトのことを示し
ているのだろうとは思うけど。
意味が全く分からない。何だ、病夜宮係って。
生き物係の次に書かれているんだし、何か飼育する係か眤
22
ンジを果たしていた。委員長と現重責を認知した呼び方で呼んであげるべきか、元会長と
でいた元会長であるところの会長は、先ほどのホームルームで学級委員長へとクラスチェ
中学生のときに生徒会長をしていたのだ。三年の夏にその責務を辞してから、元会長と
呼ばれるべきところを会長と変わらず呼ばれ職務詐称の疑惑を持たれる可能性を常に孕ん
皆に呼ばれている女子である。僕の隣に座っているのも、彼女が﹁会長﹂とい
会長、と
う名字だからだ。噓である。
フィールディングを見せたのは、隣の席の女子だった。﹁あれ眤﹂と、首をかしげる。
と、タイミングよく盻眇悪くと言うべきか盻眇チャイムが鳴った。そそくさと担任の先
生が出て行き、僕は質問を投げ損なってしまった。投げ損なったその言葉に対し、見事な
23 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
過去の栄光を称えた名称で呼んであげるべきか、悩むところである。
埒が明かないだろう。意を決し、僕が戸に手をかけると
﹁ん、何だ眤 怪我でもしたのか眤﹂
教諭らしく盻眇入学式のオリエンテーションで、﹃久凪崎先生﹄という名前ととも
養護
にそう紹介されていた盻眇 いてくる女性に、﹁いえ﹂と僕は首を横に振る。
白衣を着ている。長身故に
れもない女性の顔だ。
戸をスライドさせた人物が、目の前にいた僕にぶつかりかけ、眉を上げる。
一瞬男性かと思ったが、すらりとした肢体の上にあるのは紛
﹁おっ、と﹂
僕が力を込める前に、開いた。
が、このままこうしていても、
盻眇
普 通 の、 ど こ に で も あ り そ
見上げる。﹃保健室﹄と書かれたプレートがある。ごくごく
うな保健室の風情である。 の係を押しつけられた理由が分からない。
僕は押しつけられた職責に従い、素直に保健室の前まで来ていた。正直帰りたかったの
だが、進学早々、先生に目をつけられたら今後の生活に支障を来しそうだ。
放課後。
だよ﹂
病夜宮さん、と彼女は答える。
﹁病夜宮さん、高校に入学してから、というか中学のときかららしいけど盻眇保健室登校
僕の顔を見てだろう、僕の疑問を正確に理解しているらしき彼女に、僕は、何が眤 と、
き返した。
﹁甘口君、知らないの眤﹂
24
﹁悪い、私はちょっと用があるから。ミヤなら、一番奥のベッドにいるから﹂
と思ったものの、﹃病夜宮係﹄というのが、保健室に行く必要があるものなら、当然養
護教諭に話が通っているだろうと納得する。
その言葉に、逆に僕が怪訝な表情を浮かべる番だった。お前か眤 何で養護教諭が僕の
ことを知ってる風なんだ眤
訝しげな顔をされるかと思ったが、あにはからんや、女性はまた眉を
耳慣れぬ係名に、
上げるだけだった。﹁ああ、よく見たらお前か⋮⋮﹂
僕はそのまま言い切った。﹁呼ばれてきました。その、﹃病夜宮係﹄とかいうので﹂
﹁呼ばれて﹂一瞬そこで口ごもった。呼ばれた、と言っていいものか、悩んだからだ。が、
25 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
抜け、廊下を奥へと歩いて行った。
そう言って、女性は僕の横をすり
猫の名前か
ミヤ眤 とまた僕の頭にハテナが浮かぶ。響きからして、人の名前⋮⋮いや
もしれない。なら、﹃病夜宮係﹄というのが、飼育係のようなもの、という考えは間違っ
少女の声だ。肌の白さとは対照的に、赤々と血の色の
﹁盻眇の方がいいよね﹂
車椅子の少女だ。
入学式の日。あのとき見かけた、
少女の顔を改めて正面から捉えて、ようやく﹃初めましての方がいいよね﹄の言葉の意
味が分かった。
小さく呟くような言葉に首をかしげる僕を見上げて、少女がまたくすりと笑う。
﹁初めまして盻眇病夜宮、美闇です﹂
唇が、形を変える。
少女の﹃白さ﹄に目を奪われている僕に、声が、かかる。
﹁初めまして﹂
絞り出したままの絵の具よりも白かった。盻眇いっそ薄気味悪いほどに。
肌の白さの方が圧倒的に白かった。洗剤のCMの洗濯物よりなお白かった。チューブから
ブラウスの白さにも負けず劣らず盻眇いやはっきり言って、明らかに勝っている。少女の
真っ先に目を奪われたのが、異様なまでの肌の白さである。ベッドの上で上半身を起こ
し、下半身は布団をかけている。制服の上着は脱ぎ、ブラウス姿だ。その布団の白さにも
そう言って、女子生徒がくすりと笑みを浮かべる。
目が合った。
﹁こんにちは﹂
手前で足を止め、顔だけ出してカーテンの向こうをうかがう。
失礼します、と部屋の主は今出て行ったところだが、一応僕は声をかけ、保健室へと足
を踏み入れた。まっすぐに、一番奥のベッドに向かう。一つ目、二つ目⋮⋮奥のベッドの
光越しに、誰かがいることが分かる。﹃ミヤ﹄とやらだろうか。
ド﹄はカーテンの手前部分が引かれ、直接見ることはできなかった。が、窓から差し込む
仕切れるようになっている。ほとんど開けられていたが、女性が言った﹃一番奥のベッ
りない。薬品棚に、事務作業用の机、壁際に並んだベッド。ベッドはそれぞれカーテンで
まあ、一人で首をかしげていても解決しない。女性が開けていった戸から、僕は保健室
の中を覗き込む。ごくありふれた保健室だ。高校のそれは初めて見るが、中学と特に変わ
ていなかったのかも。
26
27 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
*
顔の細かい造作は病夜宮に実に似通っていた。
それもそのはず。病夜宮美闇の実の姉だ。
美陽。私立朝霧橋学園の養護教諭である。
久凪崎
く。
呪縛
髪をがしがしとかき回しながら、保健室へと入ってくる。その仕草に僕はようやく
が解けたように動き出せた。いまだ持っていたままだった﹃家庭の医学﹄をテーブルに置
屋の監督者である私が怒られるんだよ﹂
﹁いちゃつきたいなら、よそでやれ。保健室のベッドで不純異性交遊されるとな、この部
久凪崎先生は、 ってそちらに顔を向けた妹と男子︵僕のことだ︶に
﹁あのな﹂と嘆息するような声を出す。
交互に視線を送り、
いつの間にか開いていた保健室の戸に寄りかかり、長身の女性がこちらに半眼を向けて
いた。白衣をラフに着こなし、肩口で えられた髪。身長や髪の長さなどに差はあれど、
救いの神が現れた。
﹁⋮⋮何見つめ合ってんだ、お前ら﹂
若干気まずげな盻眇僕だけだったかもしれないが盻眇沈黙をどうしようかとぐるぐる考
えを渦巻かせていると。
沈黙はまだ続いていた。何となく言葉が切り出しづらく、病夜
回想は終わったものの、
宮もそんな僕を見て不思議そうに目を瞬いている。
そして、その後のやり取りを経て、僕は正式に彼女を﹃助ける﹄役目を負う、﹃病夜宮
係﹄になったのだった盻眇。
28
釘を刺す。さっきの姉の仕草に、さすが姉妹、よく似てい
と、病夜宮がため息交じりに
﹁お姉ちゃん﹂
いやいや、生徒にそんな話するとかどんな教諭だ。
姓が違うことで分かるかもしれないが、妻帯者、じゃないな夫帯者である。
ちなみに、
一児の母でもあるらしい。
﹁ちょっと聞かせてくれよ。今度旦那とするのに参考にするから﹂
﹁いや何だその発想﹂
てたな﹂
﹁っていうか、何だそれ眤 ﹃家庭の医学﹄プレイ眤 随分マニアックなことしようとし
29 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
た。
﹄のこと眤﹂
頷いた。久凪崎先生が、
ではなく、人の役に立てるのが楽しいと前に言っていた。学校中の悩みを治すのが最終目
一環なのだが、それによ
スクールカウンセラーもしている姉盻眇久凪崎先生の手伝いの
り、出席日数の不足分を充当してもらえるらしい。まあそうは言っても、それだけが目的
﹃学園で発生した病気や怪我、悩みに関する問題を解決すること﹄
事情により保健室登校である病夜宮は、慢性的な出席日数不足の状態である。その不足
を補うため、学園とある約束をしているそうだ。
お前、本当にその呼び方でいいのか眤
﹁⋮⋮いや、合ってるんだけど⋮⋮﹂
﹁あれ、違った眤﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁﹃
から紙を取り出しながら病夜宮の方を向く。
と、僕は
﹁お前が、喜ぶ情報を持ってきたぞ﹂
﹁ああ、そうそう﹂
と、笑いを収めた久凪崎先生は改めて僕を見た。
﹁今日は何の用事で来たんだ、﹃病夜宮係﹄﹂
﹁で、だ﹂
ね眤 と見上げた視線で首をかしげられ、僕は⋮⋮﹁ああ﹂と
そんな僕を見て盻眇何故か盻眇くくく、と喉の奥で笑う。
﹁事あるごとに、私と甘口君、くっつけようとするのやめてよ。甘口君に失礼でしょ﹂
30
何故か盻眇気に入ったみたいで、以来好んでその表現を使っているみたいなのだが⋮⋮本
入学直後に﹃病夜宮係﹄に任命され、そのことを説明されたときに、﹁つまり、ペット
に を持ってくる飼育係のようなものか眤﹂と言ったら、病夜宮がいたくその表現を盻眇
今度にしよう。
﹃病夜宮係﹄の仕事の一つな
そして、その情報盻眇﹃ ﹄を持ってくるのが、この僕、
のである。面倒だが、まあ僕にもメリットのある話であり⋮⋮まあ、それについてはまた
で、当たり前の話だが、解決するためにはそもそも、そういった問題が発生したことを
知らないといけない。
標だそうだ。
31 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
当にいいのか眤 お前、それ、自分がペット扱いされてるんだぞ眤 ⋮⋮まあ、本人が気
に入っているのなら別にいいんだけど⋮⋮。
そしてまた、姉同様に病夜宮美闇も一風変わった﹃特技﹄を持っていて盻眇。
った﹃体質﹄とかを見抜く﹃特技﹄を持っているんだ﹂とのこと。
気のせいだと言われれば反論できないもの盻眇であるはずなのだが、久凪崎先生には、
何故か僕にそれが間違いなくあると断言できるらしい。久凪崎先生曰く、
﹁私は、そうい
人より事件に巻き込まれやすいかな眤﹂という程度のものでしかない。
能力、というほどのものではない。アンコントローラブルであるし、そもそも﹁ちょっと
僕盻眇甘口廿日の﹃体質﹄。
﹃シンギュラリティ﹄という名前のそれは、いわゆる非日常や事件を引き寄せるものだ。
褒め言葉として言ったのだろうが盻眇そうと分かっていても、僕は表情が硬くな
当人は
るのを隠し切れなかった。
と、久凪崎先生が何気ない口調で言う。
﹁お前の﹃体質﹄って、すげえ役に立つよな﹂
それは盻眇
﹁本当に﹂
で、もう一つ。そちらが僕が﹃病夜宮係﹄に選ばれた理由である。
み﹄を投書してもらうことになっている。
一つは、校舎に置かれた投書箱。そこで、生徒からの﹃悩み﹄を受けつけているのだ。
改めて先生等に相談するほどではないが、誰かにちょっと聞いてもらいたい、という﹃悩
また、﹃ ﹄の仕入れ先には二つある。
32
﹁いや、悪いがちょっと来てくれ盻眇るとありがたいんだけど、大丈夫か眤 無理そうな
﹁えっと、ここで話を聞くだけでよさそう眤﹂
手渡しつつ。
と、何とか気を取り直して僕は病夜宮を見る。 から取り出した紙を
﹁お前に、解決してほしい悩みが投書されてたんだよ、保健室の吸血鬼さん﹂
﹁そういうわけで﹂
流されるだけに決まってる。
口さがない人間に﹁一種の病気﹂と言われたこともある僕の﹃体質﹄を、さも便利なも
ののように口にされ、正直とても不愉快だったが、この白衣の人物にそんなこと伝えても
振る。
盻眇まあ今は関係ない話か。と僕は内心首を
33 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
らまた別の日にするけど﹂
布団を脇にどけて立ち上がろうとするのに手を貸してやりながら、別に待たされてはな
いよ、と僕は返した。
脇に手を伸ばした。
そして、ベッドの
杖に。
正確には、そこに置かれている
名称の、腕に装着して使うタイプの歩行補助具だ。
ロフストランドクラッチという
手慣れた様子でそれを腕に固定すると、﹁お待たせしました﹂と、病夜宮が顔を上げる。
団の中を確認したのは、スカートがめくれていないか確かめたのだろう。
重に床を探り、サンダルタイプの盻眇病夜宮専用の盻眇上履きを履く。﹁⋮⋮よし﹂と布
それから両手をベッドについて、よっ、と身をよじると、掛布団の端から両脚が飛び出
してきた。かぶっていた布団以上の白さが、目に眩しい。ハイソックスを いた爪先で慎
緩めていたタイを盻眇ベッドの上にいるときはいつもそうしている盻眇締め直し、脱い
でいた制服の上着に袖を通す。
ちょっと待ってね、準備するから、と病夜宮。
﹁大丈夫だよ﹂
34
35 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
*
人の病気をあげつらった悪口⋮⋮だと思っていたのが、実際にそれを口にしたクラスメ
イトを問い詰めると、どうやら褒め言葉であるらしい。基本的に保健室にいて生徒の前に
忌避﹄盻眇外では常に日傘を差しているのが、病夜宮が﹃吸
また、二番目の﹃紫外線の
血鬼﹄と呼ばれている由縁だ。
受している身なので、文句は言うまい。
担っている。面倒なのだが、まあ僕もそれなりに﹃病夜宮係﹄であることでメリットを享
蔭で、出歩くときに常に誰か付き添っていないといけないのである。今までそれ
そのお
は、久凪崎先生の役目だったのだが、僕が﹃病夜宮係﹄になってからは、僕もその役割を
厄介である。そうだ。
特に、最後の症状が
言い換えると。歩くのに杖が必要で、紫外線を避ける必要があり、急な貧血︵医学的に
は間違った用語らしいが︶で倒れるかもしれない。というものである。
脚の筋力低下、メラニン色素の合成阻害、突発的な起立性低血圧。
と言っていた。
一言で言えば、免疫力が低下する病気らしい。それに伴い、様々な症状が併発すると。
その現れ方については個人差が大きいそうだが、病夜宮自身については﹁ざっくり三つ﹂
ゃんと知っておく必要があると思ったのだ︶。
ので、僕のこの病気に対する知識は、ほぼ当人盻眇病夜宮盻眇から聞いたものである。
︵好奇心からとかではなく、つき合っていくに当たり、何に気をつけたらいいかとかをち
というのが、病夜宮の病名である。かなり珍しい病気らしく、ネットで調べてもほとん
ど情報は載っていなかった。
﹃フィジカルガラスシンドローム﹄
36
紳士と言いたかったのか真摯と言い
甘口はシンシだねーとにやける久凪崎先生を残し︵
*
可愛いと思うよ。
⋮⋮まあ確かに。病夜宮は
本人に直接言う気はないけれど。
だ。当人もその由来を耳にしたことがあるのか、割と気に入っている節はある。
姿を現さないミステリアスさと、その整った外見をかけ合わせて命名されたあだ名だそう
37 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
たかったのかは知らないが︶、僕たちは保健室を出る。
生であることを示すタイの色。
泊。
白水
図書委員である。
まあ、つまり、利用者の姿はなかったが、図書委員ならいた、という
﹁⋮⋮こんにちは⋮⋮病夜宮さん⋮⋮﹂
挨拶をする。こちらを向いて、僕にも。
と、白水泊盻眇泊さんが
﹁こんにちは⋮⋮はっくんも﹂
﹁こんにちは、泊さん﹂
と僕も返した。
うのは言い切っておこうか。
というか、むしろ言いたかった。言い切りたかった。泊さんは今日も可愛いなぁ⋮⋮とい
泊さんとは幼馴染みなのだ。
縁で泊さんとも仲良くしている。というかむしろ、泊
泊さんの妹と僕は同学年で、その
さんと仲良くしているその縁で妹とも知り合っていると言ってもいいかもしれなかった。
叙述トリックだ。
小柄な体格。ふわふわとウェーブした髪は、今日は頭の後ろで緩い三つ編
女子の中でも
みになっていた。どこか遠くを見るような瞳で、まっすぐに病夜宮を見上げている。三年
その声に顔を上げたのは、図書室のカウンターの内側に座っていた女子だ。
﹁こんにちは、白水先輩﹂
いので分かったのだろう。
返った。が、返答は待たずに、振り向き直して、目
前を歩く病夜宮が、半眼で僕を振り
的の人物へと歩いていく。誰が悩んでいるのかも言ってなかったのだが、その人しかいな
﹁⋮⋮何言ってるの、甘口君﹂
誰の姿もないのに、目的の人物は見つかった眤
﹁ふふふ、これは一体どういうことなのか、全くのミステリーである⋮⋮﹂
普段から利用者の少ない施設であるが、今日は誰の姿も見受けられない。
が、目的の人物は見つかった。
戸を開けて、病夜宮を先に通し、続いて中に入る。日差しはまだ高く、室内を明るく照
らしていた。
私立朝霧橋学園の図書室。
いい天気だねー。そうだな。と会話をしながら盻眇病夜宮の歩調に合わせるのでどうし
ても時間がかかるのだ。無言だと気まずすぎる盻眇僕たちは目的地へ向かった。
38
39 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
盻眇で、病夜宮も図書室に時々本を借りに来るようで、泊さんと知り合いらしい。
と、病夜宮を見る。
﹁読みたくならない本とか⋮⋮この世にはないよ﹂
不用意な病夜宮の発言に、泊さんが、
﹁⋮⋮病夜宮さん﹂
と、病夜宮が首をかしげる。
﹁そんな読みたくなる本とか、ここにありましたっけ眤﹂
﹁連日眤﹂
﹁連日⋮⋮同じ本が⋮⋮何度も借りられたの﹂
ちなみに、今日は月曜日だ。
﹁先週⋮⋮﹂
多用されているのも、そういう抑揚の少ない話し方だからである。
と、泊さんは思い出したように首を縦に振る。ような仕草を見せる。
曖昧な表現になるのにも訳がある。泊さんは、基本表情に乏しい無表情さん
盻眇という
なのだが、それに伴い、それほどはっきりとしたアクションも取らないのだ。﹃⋮⋮﹄が
僕の促しに、
﹁ああ⋮⋮﹂
驚くべきレベルの分かりやすい突っ込みを入れる僕。
と我ながら
﹁そうじゃなくて、何か、本を借りていく女子がいるとか、どうとか﹂
じゃなくて﹂
﹁いやいや、そんなミレニアム懸賞問題に挙げられている数学上の高度な未解決問題の話
﹁⋮⋮リーマン予想の⋮⋮こと眤﹂
挨拶もそこそこに、僕は泊さんに質問を投げかける。
﹁で、泊さん。泊さん、何か悩んでることがあるって言ってなかった眤﹂
40
と、病夜宮は素直に謝る。
﹁で、どんな本なんですか眤﹂
盻眇感情の伝わりにくい泊さんではあるが、その
﹁すみません﹂
そんなものがあれば、それは無人島ではない。
怒りは病夜宮に通じたらしい。
怒っているようにも感じられた。
その声は、どこか
オマニアなのだ。いつだったか、
泊さんは、この世のあらゆる本を愛しているビブリ
﹃無人島に持っていくなら何眤﹄という質問に対し、﹃図書館⋮⋮﹄と答えていた。
41 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
そこでめげずにもう一度質問できるところが、病夜宮の長所だと、実は思っている。口
には出さないが。
﹁はい⋮⋮﹂
と泊さんがそれを受け取り、背表紙に
﹁また⋮⋮ご利用ください⋮⋮﹂
尋ねる病夜宮に、泊さんが、上下させていた手を止め、頷く。
その仕草に、その絵本が件のものだと気づいたのだろう。
﹁ひょっとして、これが眤﹂
欠片も見せずに、入っ
その背中に視線を向けながら、泊さんが不思議そうに見えなくもない顔をしている。返
却された本の内、絵本を手にして かに上下させている。
手続きを済ませた女子は、別の本を借りていこうとする様子など
てきたとき以上の素早さで、そのまま図書室から出て行った。
貼られたバーコードをリーダーに通す。
その内の一冊が、ひときわ目を引く。ひらがなで、大きく書かれたタイトル。明るい色
で塗られた分かりやすいイラスト。絵本だ。
そう言いながら、カウンターの内側に座っている図書委員︵泊さん︶に、数冊の本を差
し出した。
﹁あの、これ、返却に来たんですけど﹂
顔をしてから盻眇カウンターへと近づいてきた。
彼女は軽く室内を見回すような仕草をし盻眇病夜宮が突いている杖に少し驚いたような
図書室の戸が開いて、一人の女子が入ってきた。僕たちの一学年上、泊さんの一学年下。
タイの色で二年生だと分かる。
と。そのとき。
﹁うん⋮⋮﹂と、泊さん。﹁絵本⋮⋮だから﹂
﹁へえ。そんなすぐ読める本なんですか眤﹂
病夜宮の確認に、泊さんはこくりと首を縦に振る。
﹁昼休みに⋮⋮借りに来て⋮⋮放課後に⋮⋮返しに来る﹂
一瞬だけ首をかしげてから、すぐに得心したように頷いた。
﹁ああ。今も借りられているんですね﹂
﹁ない眤﹂
﹁今は⋮⋮ないの﹂
横に振った。
﹃どんな本眤﹄と言いつつ、病夜宮が図書室を見回したからだろう、泊さんは静かに首を
42
43 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
﹁そう⋮⋮これ﹂
と、泊さんが三つ編みを左右に
﹁いつも⋮⋮違う女の子﹂
﹁ううん⋮⋮﹂
つまり盻眇
かに目を細
解説が欲しいような視線を泊さんに向けるが、相手が拾ってくれなかったため、僕の方
を見てきた。
浮かべたのは、僕ではなく、病夜宮だ。
とハテナマークを
﹁眤眤眤﹂
﹁ん⋮⋮﹂と僕の顔を見上げてくる。﹁本は⋮⋮読むためのもの⋮⋮だよ﹂
病夜宮が気づいた様子はなかったので、僕が
﹁泊さん、どうしたの眤﹂
そう言いながら、どこか不服そうな顔を、泊さんがしたような気がしないでもない。
いた。
揺らす。
﹁借りていく生徒、というのは、毎日今の子なんですか眤﹂
と話を変えた。
めたように見えなくもないと思わなくもない泊さんに対して抗弁してから、
﹁ところで眄﹂
ですね眄﹂と、結局否定したんだか肯定したんだかよく分からないことを、
自らの不用意な発言に気づいたらしき病夜宮は、﹁と、思わないこともないような絵本
何でそんな本が高校の図書館にあるかはともかく。
思わない盻眇﹂
ぺらぺらと、他のページにも目をやってから、感想を述べる。
﹁⋮⋮特に、どうということもない、普通の絵本ですね。高校生にもなって借りようとも
噓ではないが。
仕掛けられた、いわゆる飛び出す絵本であるようだ。
つまり、ギミックが
漏らすだけだった。
飛び出された病夜宮は、特段驚いた様子もなく﹁ふぅん﹂と声を
冗談である。
というのはまあ
突然、中から飛び出してきた狼が、病夜宮に襲いかかった眄
受け取った病夜宮が、中を
と。
言いながら、その絵本を差し出す。
検めるかのように適当なページを開いた。
44
45 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
﹁盻眇僕の出番だな眄 泊さんの表情を解説するがために生まれてきた、この僕の眄﹂
ていることだよ﹂
を射ていると判断したらしき病夜宮は、改めて僕を
と言った。
﹁できれば、その女子生徒たちから直接、話が聞きたいんだけど⋮⋮﹂
僕の発言に頷いてみせた病夜宮は、
﹁情報が必要だね﹂
*
と、僕はまとめる。
﹁そういうわけで、この﹃連日借りられる絵本の悩み﹄を解決するのが、お前に求められ
若干引き気味の目が、かなり引き気味の目に進化した。
﹁まあ、とにかく﹂
﹁え眤 いやだって、僕、泊さんのこと大好きだし﹂
﹁何で君、今の発言だけでそこまで分かるの⋮⋮眤﹂
正
泊さんの顔を見て、僕の発言が
見てきた。若干、引き気味の目で。
だし、許せない。だから、解決してほしくて投書したの盻眇ということだよ﹂
連日行われているのは、間違いなく別の目的に使っているからだ。それは本に対する冒瀆
まあ、泊さんが言いたかったのは。
﹁本は読むためにある。だけど、こんな、昼休みに借りて、放課後に返すようなことが、
病夜宮が、君、自分のことそんな風に思ってたの⋮⋮眤 というような目を向けてきた
が、泊さんじゃない病夜宮の表情を読むことなど僕にはできないので、無視した。
46
いまいち説明を聞いてもどういう利用方法なのか分からない。
﹁そうかー、甘口君知らないのかー。ジェネレーションギャップだなー﹂
﹁知らないけど⋮⋮﹂
書いてく奴﹂
﹁貸出カード眤 何だそれ眤﹂
﹁え、あれ、知らない眤 図書室とかで昔使われてたシステムで、本を借りる人が名前を
﹁眤 何やってるんだ眤﹂
﹁いや、貸出カードとかあれば、そこから誰が借りたか分かるんだけどなー、と思って﹂
そう言って、まだ手に持っていた件の絵本の裏表紙をめくったりしている。
47 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
﹁いやいや、僕たち、同年代だろう﹂
聞き返すような微妙な反応を見せたが、僕が言う前に思い出したようだった。
﹁あ、そうか﹂
﹁白水先輩の眤﹂
﹁お前⋮⋮泊さんの﹃能力﹄について知ってるだろ﹂
俯いて考えをまとめていた病夜宮は、僕たちの視線に気づき、顔を上げた。﹁え、あれ、
何その顔眤﹂と、僕たちの︵主に僕の︶表情を見て尋ねてくる。
杖に寄りかかるようにして、空いた方の手を顎に当てて考え込む。
と答えた病夜宮は、
﹁じゃあ、今の子の話だけでも⋮⋮。まだ近くにいるのなら、追いつけるかな⋮⋮眤﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
⋮⋮見せてもらえないと思う﹂
駄目﹂と、ふるふると三つ編みを左右に振られた。
言って、泊さんを見るが、﹁⋮⋮
﹁私じゃ見られないし⋮⋮多分、先生とかは⋮⋮見られると思うけど⋮⋮こんな理由じゃ
と、さっき女子生徒が返却に来たときにバーコードを読ませていたリーダーを指差す。
﹁それのデータ見せてもらったらいいんじゃないのか﹂
っていうか、そんなよく分からないシステムのことなんてどうでもいいんだよ。
﹁履歴を知りたいんだったら、そこの﹂
ジェネの前のGはどこから来た。
﹁Gジェネはまた別の略語だ﹂
よ﹂
﹁ほらほら、ジェネレーションギャップだよ。略してG・Gだよ。もしくはGジェネだ
こくりと頷く泊さんを見て、病夜宮が、これ見よがしに線を引くような仕草をしながら
言ってくる。
﹁白水先輩、知ってますよね眤﹂
48
・
*
特徴盻眇小柄な体格、いつも違うヘアス
と呼ばれるそれは、白水泊を形作るいくつかの
タイル、表情に乏しい顔、抑揚の少ない声盻眇の中でも、最も際立ったものである。
﹃物語の結末を知る者﹄
・
と、カウンターの内側にいる泊さんを見下ろす。
﹁盻眇﹃本に対する絶対記憶﹄﹂
49 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
一言でいえば、病夜宮美闇が言った通りの、﹃本に対する絶対記憶﹄という表現に
る。
ら、一生忘れられることはないのだ⋮⋮眄﹂
⋮⋮いや、どんなまとめ方なのさ、それ。と、病夜宮が冷めた目で見てくる。
いや前に、マジ危ない状況があって。と、話を続けようとしたがさすがに正気に
僕は口を噤んだ。﹁ともかく﹂と、話を戻す。
﹁泊さんの能力をもってすれば盻眇﹂
尽き
遮った。
言いかけた僕を、病夜宮が
﹁あれ、でも。図書委員のカウンター当番って日替わり制だよね眤 別に先週ずっと返
戻って、
﹁泊さんに、肌色比率が高い本を読みながらとある行為にふけっている場面を目撃された
つまり盻眇
人が読んでいる本もその能力の対象であるし、誰も読んでいない本すらも、その能力の
範疇である。
そしてまた、それらの記憶は自らが読んだ本に限らない。
よくない︶。
超能力の類いではない。本好きが高じてできるようになっ
すさまじい能力だが、決して
た、普通の能力だ︵事実、本が関わらないことに対しては、実は泊さんはあまり記憶力が
も、全く、誇張ではなく何一つ、忘れることがない。
表紙、あらすじ、目次、登場人物、内容、背表紙、裏表紙盻眇等々はもちろん、その本
を読んだ日時、そのときの状況その他諸々。本に関連づくと認識されたことは、一切、何
すなわち。
本に関連する記憶を、絶対に忘れないのだ。
50
突っ込む病夜宮の向こうで、まさかの泊さんも、表情で読み取れそうなくらいに﹁何そ
れ﹂というような感じの顔をしていたが、結局は僕には何も言わずに、病夜宮を見上げた。
﹁泊さん眄 言ってやってくだせえ眄 この物知らずに、物の道理ってやつを眄﹂
﹁え、何そのキャラ﹂
﹁何だって⋮⋮何が眤﹂
呆れた物言いをする病夜宮に、僕は呆れた息を吐くしかない。
﹁泊さんを一体何だと思ってるんだ⋮⋮﹂
﹁お前は⋮⋮﹂
却とか貸出のタイミングで図書室にいたわけじゃないでしょ眤﹂
51 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
﹁私⋮⋮先週ずっと⋮⋮図書室にいたよ⋮⋮﹂
頭と頭をぶつけ合い︵相手が女子にしては背が高かったためである。僕の背が低いわけ
ではない︶、二人して痛みにしゃがみ込んだ。﹁いてて⋮⋮﹂﹁いたた⋮⋮﹂と痛がり合っ
廊下で、曲がり角の先から走ってきた女子とぶつかりかけた。運動神経の良さをお互い
発揮して、お互い咄嗟に回避したものの、お互い同じ方向に避けたため結局ぶつかる。
﹁きゃっ﹂
つもりだったが。
﹁うわ眄﹂
行きよりも大分短い時間で保健室に戻る。
*
そう言って歩き出そうとする病夜宮盻眇の突く杖をなるべく視界に入れないようにして、
﹁ああ、いいよ﹂と、僕は言った。﹁僕がもらってくるから﹂
けど﹂
相 を打つ僕の隣で、病夜宮も頷く。
﹁それなら生徒名簿みたいなのがあればいいかな眤 お姉ちゃんなら多分持ってると思う
﹁ああ、そういう意味﹂
﹁顔とかは⋮⋮分かるけど⋮⋮名前は、分からない⋮⋮﹂
え、どっち眤 と思った僕と病夜宮の心を察したかのように、等分に僕たちの顔を見つ
つ、泊さんが続ける。
﹁⋮⋮ううん眤﹂
﹁ う ん⋮⋮﹂ と、 泊 さ ん は ゆ っ く り と 首 を 縦 に 振 っ て か ら、 同 じ 速 度 で 横 に 傾 け た。
ということは⋮⋮、と、泊さんの顔を見る。
﹁その、この絵本を借りて行ったっていう生徒、全員分かるわけですか眤﹂
てみせる。﹁ですよね、白水先輩ならそうですよね﹂
﹁え、まだそのキャラ維持するんだ﹂と突っ込みつつも、そうかそうか、と病夜宮は頷い
﹁ったく、泊さんのビブリオマニアっぷりを、舐めてもらっちゃあ困るな眄﹂
﹁⋮⋮ああー﹂納得したような息を漏らす病夜宮。
たの⋮⋮﹂
﹁え眤 ずっと図書委員の仕事してたんですか眤﹂
﹁ううん⋮⋮﹂と、三つ編みを揺らす。﹁普通に⋮⋮ずっと⋮⋮図書室で本を⋮⋮読んで
52
53 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
たのちに、相手が慌てて言ってくる。
泉の冗談であることは分かっていた。
一年生で僕の隣のクラス。泊さんの妹であり、当然僕の幼馴染みでもある。
詳しいエピソードはまたの機会に譲るとして、泉のパーソナリティーを一言で言えば
﹃お人好し﹄だ。超がつくほど、見境なしで、凄絶なまでのお人好し。
﹃底なし沼のお人好し﹄
そう注意したものの、今のがこいつ盻眇白水
白水泉。
﹁いやいや。今のは、廊下を走ってたお前が百パー悪いからな。ちゃんと謝れよ﹂
﹁何だ、はーちゃんか。謝って損しちゃった﹂
語尾が尻すぼみになったのは、相手が、僕が誰かに気づいたからだ。なーんだ、という
表情をし、﹁なーんだ﹂と言った。
﹁ご、ごめんなさ⋮⋮﹂
54
り、気になるものがあったら、そっちに視線が行ってしまうのは仕方のないことだと思う
⋮⋮先に、言い訳をさせてもらおうか。
﹃相手の顔を見て話をしましょう﹄と小学校のときには習ったけれど。動くものがあった
つもりだったのだが。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
そう言って、しゃがんだ体勢のままこちらをうかがってくるので、僕も泉の顔を見返し
た。
怒哀楽のはっきりしたこいつの表情は分かりやすい。﹁ごめんね、はーちゃん、大丈夫眤﹂
﹁うそうそ、冗談よ﹂と、泉がポニーテールを揺らして明るく笑う。泊さんとは違い、喜
いところである。いや、あれはこいつが悪かったんだけど。
なら、自分が悪くなくても謝る奴だ。﹃下校時ピーナッツバター騒動﹄などは記憶に新し
の二つ名でも知られる彼女に、自分が悪い状況で謝らないという選択肢はあり得ない。何
・
家族同然のつき合いをしてきた仲とはいえ、いきなりそんなところが見えてしまって視
しゃがみ込んだ格好の泉の、スカートのその奥が丸見えであることに気づいてしまった
のだ。青色と白色だった。縞々だった。
⋮⋮⋮⋮。
まあ、つまり。何が言いたいかというと。
そして、まあ、あれじゃん眤 僕だって高校一年生の健全な男子じゃん眤
年頃じゃん眤
女の子のこととか、気になっちゃうお
普段見えない部分とか気になっちゃうお年頃じゃん眤
女の子の、
んだ。
55 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
線が釘づけになった僕を、一体誰が責められようか。
合わせるようにして立ち上がって、泉がすごい勢いでポニーテールを左右に揺らす。
﹁あ、ううんううん眄﹂
それを破ったのは僕が先だった。
﹁悪い眄﹂と謝る。立ち上がりながら、目をそらしてもう一度。﹁⋮⋮ごめん﹂
沈黙だったが。
一秒にも一分にも一時間にも感じられた気まずい
ほどよく日焼けした
が広がっていく。
で。僕と同じように固まる。
肌盻眇泉は運動部だ盻眇でもはっきりと分かるくらいに、羞恥の朱
濁す僕に、きょとんと目をしばたかせていた泉だったが、やがて僕の視線が自分
言葉を
の顔を捉えていないことに気づいたようで、その行き先を追うようにして下を見た。
﹁大丈夫、はーちゃん眤 そんなに痛かった眤﹂
﹁いや、そうじゃないんだけど⋮⋮﹂
指摘しようにも上手く言葉がまとまらない僕に、﹁ん眤﹂となお一層、泉は心配げに顔
を寄せてくる。近い近い。距離とかその他諸々が色々と近い。
﹁え、と⋮⋮﹂
56
57 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
﹁悪くない悪くない眄 はーちゃんは悪くない眄 はーちゃんに悪気がなかったことは、
考えてしまった末に。
﹁はーちゃんは悪くないわ眄﹂
だって、と。
﹁だって、あたしがパンツを見せたかったんだから眄﹂
そんなことを宣言して。
思いっきりスカートをまくり上げた眄
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮正気に戻ったっぽいけど、今の気持ちは眤﹂
﹁⋮⋮恥ずかしさで死にそう﹂
月
日発売のファンタジア文庫で!
・
⋮⋮まあ、とにかく。
続きは、
︵
7
詳しいエピソードをまたの機会に譲る必要のなくなった﹃
て。
白水泉の第二の特徴。
﹃ド ジ っ 子﹄。
・
底なし沼のお人好し﹄に加え
僕を遮るように断言した泉だったが、その先の言葉は考えていなかったようで、﹁えと、
その﹂と考えた末に。
﹁はーちゃんは悪くない眄﹂
あたしはよく分かってるから眄 見えちゃったのは不可抗力だから眄﹂
﹁いやでも、すぐ目をそらせば盻眇﹂
58
59 気ままで可愛い病弱彼女の構いかた
C)Kanji Takehara, MACCO 2016
20