π′゛ ノ∠ / 397 No。 愛知版 撃 講 饒 疇 要 羹 憂 竃 瑶ダ 野 唱 * 今 月 の花 額 紫 陽 花 =塑 t (そ の 13) 韓 国 映 画 「 帰郷 」(2“ 碑) を地獄に送ったのか∼ ∼何が少女ら ‖ (企 」己 ) 監督、制作 :チ ョ。ジョンレ 女らに言葉失う 七〇万人が観賞 週間で 一 公開一 瘍鯖 何が少女らを地獄に送 ったのか ∼ 映画 ﹃帰郷﹄ポ スター . ・ ● ●・ ・ ■. で . 一 ●. ・ . ・ 1額輔1壼理1崚 警 郷の地を三度と踏めなかった 少故 讐岬 輔壽輿嵐1翼 へ罐 2016年 7月 (397)号 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) 伊藤―郎 (朝 鮮文化を知る会) 軍 ﹁慰 安 婦 ﹂ と し て 連 行 さ れ た カ こ の映 画 は 、 一九 四 三 年 に 日 本 、言 ど け な い 一四 歳 ジ ョ ン ミ ン は 、あ 。 の と お り で あ る 一九 四 三 年 韓 国 の 独 立 七 〇 周 年 に あ た る 二〇 。 金 で 一三 年 を か け て 制 作 さ れ た 各 国 で の募 金 に よ って集 め た お 慰 乗 せ ら れ る 。行 き つ く と こ ろ は ﹁ 行 き 先 の告 げ ら れ な い ま ま 列 車 に そ し て そ の他 の多 く の少 女 た ち は 、 本 軍 に よ って連 行 さ れ た コ ン ヒ 去 ら れ る。 ジ ョ ン ミ ン と と も に 日 、 に引 か れ て 家 族 のも と か ら連 れ 葉 も 分 か ら な い ま ま、 日本 軍 の手 一五 年 の 光 復 節 の 公 開 を 予 定 し て 安 所 ﹂ と い う 地 獄 で あ った 。 ン ・イ ル チ ュ ル ︵蝉艘嘲 ︶ 氏 の 実 話 。 を も と に制 作 さ れ た 映 画 で あ る い た が 、 後 半 の制 作 費 が 不 足 し た ﹁慰 安 婦 ﹂ の 逃 亡 後 、 連 帯 責 任 た め 予 定 ど お り の公 開 が で き な か った 。 紆 余 曲 折 を へ て 二 〇 一六 年 映 画 の題 材 の政 治 的 ﹁ 外 交 的 な が 加 え ら れ る。 日本 軍 人 は す べて た少 女 に 対 し て は特 に凄 惨 な 暴 力 に 日本 軍 人 に対 し て朝 鮮 語 を使 っ 。特 で少 女 た ち に加 え ら れ る暴 力 、 影響 が原因 で 韓 国 にお いて上映 。 す る映画館 が不足し て いる状態 で の少 女 の衣 服 を は ぎ 取 り 以 下 のよ 二月 二四 日 に公 開 さ れ た 、城南 、 あ った が 韓 国 の ソ ウ ル 市 ﹁ お前 た ち は 人 間 で は な い﹂ う に 言 い 放 つ。 主 党 も 公 式 に映 画 上 映 を 行 う劇 場 ﹁も う い ち ど こ の よ う な こ と を 、 韓 国 の民 市 によ る支援 が決定し 、 の確 保 の意 志 表 明 を 行 う に 至 り 館 で公 開 さ れ た が 、 公 開 後 わず か 結 局 韓 国 で は 三 四〇 か 所 の映 画 か ら 引 き 金 を 引 け な か った 兵 士 も 、 殺 す 場 面 で は 少 女 に 対 し て良 心 少 女 た ち を ひざ まず か せ て打 ち 。 起 こし た ら皆 殺 し にす る ﹂ 一週 間 で 観 客 動 員 数 一七 〇 万 人 を で平 和 に暮 らす ジ ョン ミ ンと 殺 され る。作 品 では生 まれた故 郷 一般 公 開 が 確 保 さ れ た 。 記 録 し た 。 海 外 で は 今 年 二 月 に米 、 国 の ロサ ンゼ ル ス ダ ラ ス で 公 開 。 安 所 ﹂ の地 獄 が 対 照 的 に 描 か れ る ﹁ 慰 射 殺 さ れ 、 少 女 た ち と 一緒 に 焼 き さ れ た 。 ま た ネ ット テ レ ビ を 通 じ て カ ナ ダ 、 英 国 で のデ ジ タ ル 上 映 病 気 の少 女 た ち を 虐 殺 す る 現 場 か ら奇跡 的 に生 還 を果 た す ジ ョン ミ も 行 わ れ て い る。 映 画 の大 ま か な あ ら す じ は 以 下 7月 (397)号 (愛 知版 ★韓 国挺身 隊 問題対策 協議 会作 成 の ﹃平和碑 ︵ 平 和 の少 女 像 ご 建 立現 況図 含 一 〇 一六 ・三︶を基 に、 そ の後 の建 立 も加 えま した。 ︻ 編集 部︼ で武 装 し た 日本 軍兵 士 が 無 理 や り の韓 国 社 会 の 問 題 も 深 く 追 及 し て く 現 在 の ﹁慰 安 婦 ﹂ を め ぐ る 現 在 し い。 映 画 は 当 時 の問 題 だ け でな か は 読 者 が 映 画 を 見 て判 断 し て ほ ぜ 過 去 の少 女 と の対話 を やめ な い 去 の少 女 と の対 話 を や め な い 。 な て、被 害者 は現在 に生きながら過 現 在 も 苦 し み を 与 え る社 会 にお い に 対 す る 理 解 の欠 如 か ら被 害 者 に 韓 国 が 交 互 に 切 り 替 わ る 。﹁ 慰安婦﹂ であ ろう か。 画面 は当時と現在 の こ の 世 に こ れ 以 上 の地 獄 は あ る 使 す る。 弱 い少 女 たち に あ ら ゆ る暴 力 を行 ル 映 画が韓 国、海外 にお いて相次 まざ まな 形 で執拗 に描 かれ る。銃 る暴 力 、 強 制 労 働 、 人権 侵 害 がさ 日本 軍 兵 士 に よ る少 女 た ち に 対 す み の 比 で は な か った 。 映 画 で は 、 少 女 た ち の痛 み は 、 観 客 の胸 の 痛 し か し 日本 軍 に よ り 連 行 さ れ た を えぐ ら れ る よ う な 痛 み を覚 え た 。 筆者 は映 画 を見な がら何度 も胸 であ ろう。 の 姿 に 多 く に 観 客 は 言 葉 を 失 った 地 を 三度 と 踏 め な か った 少 女 た ち が ら 地 獄 の苦 し み のな か で 故 郷 の ン 。 戦 場 で性 奴 隷 の強 要 を う け な 『平和碑 (平 和の少女像 )』 建立現況 園 連 れ て来 ら れ て抵 抗 も でき な いか )2016 日本と朝鮮 いで上映され るなか、韓 国国内に 、 はすでに二五体以上 海外にも米 。 国に平和像が建てられている 今 年八月にはオーストラリアにも平 。 和像が建てられる予定である 加害国である日本 においては平 。 和像は 一体も建 てられていない 映画 の公開に先立ち、昨年 二〇 一五年十 二月 二八日の日韓外相会 談後、日韓両国 の外相は共同記者 慰安婦﹂問題に関す 会見を開き、 ﹁ る日本と韓国の合意事項を発表し た。 支援す る﹂た 慰安婦﹂を ﹁ 元 ﹁ 、 めの財団を韓国政府が設置し 日 本政府 の予算 から約十億用を拠出 すると いうも のである。 この合意 被害者不在 に ついて内外からは ﹁ 。 の合意﹂との批判が多く出ている この合意 の問題点は いく っかぁ る。公式謝罪、法的賠償 の内容 の 、 欠落 のほか最大 の問題点は 合意 完全 か つ不可逆的 に で示された ﹁ 解決﹂と いうも のが、 アジア諸国 にお いての日本 の加害責任を不問 にしようとす る加害者側 の論理 で 構成されていることである。 日本軍性奴隷制に対す る﹁本政 ヽ 府 の法 的 責 任 も 明 記 さ れ で いな い . 、 問 題 の 根 源 は 一九 六 五 年 の 帯 求 。 権 協 定 の内 容 と 同 じ で あ る ま た ﹁慰 安 婦 ﹂ 問 題 は 、 韓 国 の み で な 、朝鮮 民主 主義 人民共和国、台 く 、 東 南 ア ジ ア 、 ォ ラ ンダ 湾、中国 。したが な ど にも 及 ぶ 問 題 であ る つて そ も そ も 日本 と 韓 国 の 二国 間 の交 渉 の み で 解 決 さ れ る も の で は な い の であ る。 こ の不 当 な 合 意 に 対 し て韓 国 国 内 では韓 国挺身 隊問題 対策協 議会 、 以下、 ﹁ 挺 対協 し を は じ め市 民 ︵ 国 の地 方 議 会 に お い ても 今 年 の 一 若 者 が 反 対 の声 を 上 げ て い る 。 韓 月 に大 田市 議 会 と 光 州 市 議 会 で合 意 の再 交 渉 を 求 め る意 見 書 が 可 決 さ れ た。 ソウ ル の日本 大 使 館 前 に 設 置 さ 、 れ て いる平 和 像 の周 辺 で は 昨 年 十 二月 の合 意 に 反 対 す る 学 生 に よ る コン サ ー ト など も 開 催 さ れ て い る。 今 年 の六 月 九 日 に は﹁ 挺 対 協 が 中 心 と な り ﹁慰 安 婦 ﹂ 被 害 者 を 支 援 す る 独 自 の 財 団 で あ る ﹁日 本 軍性 奴 隷 制 問 題 解 決 のた め の正義 記憶財 団﹂ が設立さ れ た。理事 に は 挺 対 協 のテ 美 香 常 任 代 表 が 加 わ E り 、 顧 問 と し て 元 ﹁慰 安 婦 ﹂ の 被 。 害 者 ら が参 加 し て いる 最 後 に筆 者 が強 く 言 いた い こと 慰 安 婦 ﹂ の問 題 で私 た ち の目 は、 ﹁ に 触 れ る 情 報 は 氷 山 の 一角 で あ る こと であ る。 紀元前 宇宙暦 二千四百二十五年︵ 、その頃宇宙人類は、 二万五千年頃︶ 、 ワ ツター星はもちろんのこと 宇 、 ご 宙中 に暮 らしているのだ が 星 タンカ とに国というものがあ って︵ 、 ンカ ー星 のように訳あ って 全タ も ー星人 の統 一の願 いがあるのに 、 かかわらず 宇宙星間 の都合もあ 一つの星が東西に分裂して つて、 、 いる例外もある︶ 勢力を競 いあ っ ていた。 、 その年、九月十七日 チムマギ 問 題 の性 格 上 、 名 乗 り 出 て い る 。 被害者 のほう が少な い 凄 惨 な体 験 を 社 会 的 偏 見 の中 で 証 言 す る こ と は ど れ だ け 勇 気 の いる こと であ ろう か。 ま た公 で の証言 によ り 証 言 者 に そ の苦 し み を 再 び 再 発 さ せ ︱ ・ワ ッター星首相がタンカー星 ヮッター星とタンカ を電撃訪問し︵ 、 ー星と の間には、数百年 に渡り い 様々な問題が起 こり星間 の星交 ︵ わゆる国交︶は閉ざされていた。様 々な問題に ついての歴史的事実は 、 一つであるはず なのだが それぞ 、 れ の立場で受け取り方が違 い 敵 対意識 ?さえも、 ヮ ッター星で言 被 うところの拉致問題の解決 へと︵ 、 害者五人とその家族が帰星︶ そし て星交正常化 へ、明るい展開に向 、 的搾取、強制 、 てしまう。 そもそも全体像 を描き われは 性暴力 性 、 者 への免罪 出すこと自体が難し い問題な ので 労働 人権侵害 の加害 符を与えてはならない。日本 にお ある。 、 多彩な さらに日本 の旧内務省 の資料 は いても今後 韓国や世界 の 。 との連帯が広が 未だ に未公開 のままでぁる 情報 階層 の市民 の運動 。 の少なさを理由に間違 ってもわれ ることを期待したい ︻筆 者 か ら 読 者 へ︼ 本 文 中 、 聞 き な れ な い宇 宙 用 語 や 星 人 名 が 出 て来 ます が 、 そ の 用 語 や 星 人名 の解 説 をご 希 望 の 方 は 、 身 近 な 琉 球 人 に解 説 を お 願 いし てくだ さ い。 立 場 の人 達 に と つて は 、 正 規 の目 的 と は 違 う 別 の意 味 で、 暗 黙 の了 解 のう え、 利 用価 値 のあ る部 屋 な の で あ る。 政 府 の重 要 な 書 類 や 大 事 な 条 約 書 な ど 、捨 て た り 、 廃 棄 し た り を 、 正 式 に は し て い け な いも の の内 、 そ の処 分 に 困 っ て し ま っ た 、 高 官 引 き継 がれ てき たも のであ り、 そ な ど が密 か に 処 分 す る部 屋 と し て キサミヨー氏が首相︶ ボイラー室と 呼ばれている部屋である。 も つて い か な け れ ば な ら な い 。 の高 官 ら は 、 墓 場 ま で そ の秘 密 を この部屋はボ イラー室 であるの は名 のとおりな のであるが、あ る 、ア ー氏は首相を引退し、現在は、 今、私 がい と ころは、 ワ ッタ る ー星 の首相官邸 の︵ すでにテムマギ 宇宙SF小説では 来に飛んでいく︵ 未来や過去 に飛んでいく のは当た 。 り前︶ かうかと、両星人達は期待した。 そこから、物語は十 二年後 の未 みゆきま なぶ 4___ 日本と朝鮮 (曇 担趣) 2010年 7月 (397)号 20161平 7月 (397) 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) 役 職 な の です が 、 実 際 は そ れ ら 不 正 規 の廃 棄 物 を 最 終 的 に 処 理 す る 点 から 、今 口 の首 脳 会 談 で 得 ら れ た これ ら の成 果 は わ が 星 を 含 む 比 東 字 宙 地 域 にお け る安 全 保 障 環 境 の改 善 に資 す るも のであ った と考 える。 私 は い今 回 の首 脳 会 談 の結 果 を 時 書 絆 隷鷺 鷲 管熙H雫機● F 静 =● 〓 ” 減 ヽ ﹁ ダ 霧ザ 聯静‘ .ハ ‘ ﹃ H掛島︵ 群胴﹄ ”︸濤 へ轟可 海鶴 騨 ム・ 温控蕉懸 ■碑滞躍戸警 警紹粋神= 一 ぜ癬犠詢 ﹂﹁甲 ♂ ,喘 通 撫 ギ﹁﹁ ︲ 中轟 吻 沖戸把薔響崚 よ カ ー 聴皓先 名古屋市ヤ区学1-1群8(一 財)愛 知熙十年会館内 Emalg.由 .2015c狗 ma‖ COm 現 代の 朝鮮通 信使あい ち ミニチョゴリも作つ cま 9。 のが 、 重 要 な 職 務 な の で す 。 こ の部 屋 で は 、 廃 棄 物 の 怨 念 と でも いう ので し よ う か、 不 思議 な ま え つつ、両 星 間 の諸 懸 案 の解 決 に 向 け 早 期 に 具 体 的 な 前 進 を 図 り 、も つ 現 象 が 時 々起 こ り ま す 。 今 日も それ が 起 こり ま し た。 部 てわ が 星 とタンカー 星 との更 な る 関 係 た の か 。 こ の 物 語 は 皆 様 の期 待 す 言 動、 約 束 はど う扱 わ れ てし ま っ い る の か ? チ ム マギ ー 元 首 相 の こ の文 書 が 、 何 故 、 廃 棄 さ れ て ワッター 星 首 相 チ ムマギ ー た いと考 え ていま す 。 実 現 に 向 け 、最 大 限 努 力 を 払 つていき の改 善 、ひいて は 両 星 間 星 交 工 常 化 の 屋 の 隅 の 書 類 の乱 雑 に 投 げ ら れ た 山 の中 に 蛍 の光 り か の よ う に 微 か に光 り 、 救 いを求 め て い る よ う な 、 そ の山 を 物 に気 を ひか れ た私 は 掻 き分 け、 書類 らし き も のを助 け 出 し ま し た。 本 来 、 秘 密 に し て お く べ き こと 道支援を行う考えで 環品物取一 相¨琢一 ⋮ るし な い に か か わ らず に続 い て い きます。 琉 球 人 に よ る親 切 ガ イ ド ︼ ︻ ○ ワ ツタ ー 星 = 私 達 の星 ○ タ ンカ ー 星 =隣 の 星 ○ ア キ サ ミ ヨー 氏 = あ れ ま 1 2 う な つて る の ︶ ○ チ ム マギ ー 首 相 = 胆 が 太 い 首 ○ テ ィ ー ダ マ ク ト = 真 の太 陽 相 t/t魂 椰 こ若者大歓迎です !! お申し込引よ 事務局まで。 いた 関する道具作りを始めます。そこで、ぜひやつてみたいという― 私 は建 前 上 、 ボ イ ラ ー 係 と い う 。 た そ の な ェ 内 容 を 次 と お り 一 記 つ 彙 こ ︰ 締星 卜 翼 頼 種 基 奪 ぶ 後 襲い 鐵 誕需 輩 琳 をし 岬 ぃ ﹂ ﹄ 中 馨 一 ﹂ 径 二 た 騒 曇 養 一 。 つ 制蒻 鋼雲築蓑算を 聾詳華杯 舞 中 醐 魏 纂嘲 、 れ 定 の 一 な さ の 〓 ﹁ 一ザ ﹂ 貯 ﹄ 事 翔 濠 〓 羮慶 梅蘇弊パ蟹 な の で す が 、 こ っ そ リ コピ ー を と り ま し た 。 そ の コピ ー が 次 の と う り です 。 マク ト 国 防 委 員 長 との間 で 両 星 間 首 は、 十 私 ︵=当 時 のチ ムマギ ー 首 相 ︶ 、 、 七 日 タンカ ト 星 を 訪 間 し テイ ーダ ま ‘ ︶ ﹂ ″ ︼ 欅 ″ 牛 ″ 一 ︶ ︵ 一 牡 錦 川 こ ︲ ︰ 、 を 考 に 対 応 友 好 的 れ な い う よ ﹄ 一 ︵ 瑳郷 嘔 瘍﹁ 難夕 影臼 、 宇 。 脳 会 談 を 行 いま し た 、 今 口 の首 脳 会 談 にお いては テイー ダ マクト 委 員 長 との間 で、両 星 関 係 や 、 iア ル等 光 東 宇 宙 地 域 の平 和 と 核 ヽ ﹁ 安 定 に か か わ る 安 全 保 障 上 の問 題 等 嘔が 罐 島 舞窮物 に 影け 目 耐 平 義 静 観 セ 捧 わ 狂 載 籠 な な 議 れ ︻ 瞥 , につき 、大 局 的 か つ率 直 な 議 論 を 行 い 服つくりも進んできましたので、くつ、ぼう臥 旗などなど、通信使に 2016年 7月 (397) 日本と朝鮮 鯉壁亜⊇ ∼ 瑞浪 の学徒 動員 ∼ 前編 一 ぃ働者劇団つぶれそう 回 史 佳 崎 野 ﹁ 立憲主義を取り戻せ!﹂ の熱 気が全国各地 に拡が った五月 一日 のメーデ ー集会 の日、僕は岐阜県 。 の瑞浪市 の化石山に行きました 今 回の日的は第 二次世界大戦末 通 期に、学徒動員で戸狩山地下壕 ︵ 称 ﹃化石山﹄ の建設に携わ った上 、 屋廣忠さんの間き取り調査 で 岐 阜県地下壕研究会 の加藤明さんに 同席してもらいました。 加藤さんは地下壕研究 の第 一人 者 で、長野県 のダ ム エ事から岐阜 県 の瑞浪市 に中国人捕虜が輸送さ れた 一九 四五年 四月に、現場を目 。 撃した生き証人の 一人です と ころが専門家 の加藤さんでさ 取りをするために瑞浪市 の化石山 に来 ていました。 そこで驚く べき 資料を加藤さんから見せて戴 いた 間組瑞浪出張所﹂ のです。それは ﹁ と いう戸狩地下壕 で働 いていた中 国人捕虜の名簿です。 化石山 の中国人捕虜三二〇名 の うち、亡くな った三九人の名前は 埋葬記録が残されていたため判 つ ていましたが、戦後、中国 へと帰 つて行 つた生存者 二九 一人 の名前 は現在まで知られていませんでし た。 満州帰りの元日本兵士を中心 に 供養会が結成され、化石山 の山頂 に ﹃日中不再戦誓 いの碑﹄を建立 し、毎年九月に行う目中合同慰霊 祭 に、生存者 や遺族 の万を招 こう と供養会 の方が必死で捜しました が、名簿がなか ったために見 つけ がいたことも判りました。 戦後七 一年が経過し、中国に帰 還した捕虜が見 つかる可能性はな いかもしれませんが、遺族を見 つ け出し、被害者 から見た化石山で の地下壕現場 の様子を明らかにし て、強制連行 の実態に迫ることを 強く望んでいます。 土屋廣忠さんは昭和五年生まれ の八六歳。学徒動員 で働 いていた 当時は旧制中学 の三年生でした。 ﹁ 私よりも上 の世代は、みな志 願して戦地 へ。下 の世代は国民学 小学校︶でしたから、学徒動員 校︵ の経験がある世代は僅 かですね﹂ と土屋さんは語ります。 ﹁ 日の前の捕虜 元 々は、川崎航空機 の製造 に携 わ っていた土屋さん。外 に投げ出 され雨ざらし のために錆びてしま を みた ら ⋮ ﹂ た資料は生存者 の氏名や出身地、 った戦闘機をベーパーで磨 いてい たといいます。昭和 二十年に入る ることが出来ませんでした。 今 回、加藤さんに見せてもら つ 亡くなられた捕虜 の死亡経緯や火 葬、遺骨 の行方までが詳細に記さ とアメリカ軍による本上空爆 が激 しくなり、軍需工場を岐阜県瑞浪 え知らなか ったた学徒動員による 地下壕作業 が中 日新間の取材 で明 らかになり、記事を読んだ僕が電 、 話番号を調 べてアポ をと って 聞 。 き取り調査 にたどり着きました 二回に分けて間き取り、及び現 。 在 の化石山 の状況を報告します れています。 今まで若 い捕虜は、亡くな った 市 の化石山 へ疎開することになり ました。 戸 狩 山 地下 壕 の 中 国 人名簿 実は間き取りを行 った前 日の四 十七歳 の李貴州と いわれてきまし 、 月二〇日、僕は加藤明さんに聞き たが 生存者 の中 に十六歳 の青年 お話 を うかが った 『化石 山」 の位置 土屋 廣 忠 さん 明 さん 土屋さんら学徒も 、 そ のま ま 化 、 石 山 へと 移 動 し 汽 車 で 名 古 屋 か ら運ば れ てき た大 きな旋盤機 を中 国人捕虜 や朝 鮮人労働者 が掘削 し た地 下 壕 の中 に引 き 込 む作 業 を し ましたが、 ﹁旋 盤 機 が 重 た く て 二 十 人 ぐ ら い で 紐 を え い や っ 1 と 引 っ張 り ま 、 み ん な 腹 ペ コで力 が 入 し た が 、 敗 戦 間 際 の 日本 は 食 糧 が なくてね らな いん です。 もう大変 な重 労働 で し た よ。 勉 強 な ん て全 く 出 来 な 、 と に か く 一生 懸 命 働 き ま し くて た﹂ 、 こ っそ り と 中 国 人 捕 虜 に頼 ま れ 。 捕虜 を見 たら そんな気持 ち にはな 中 国 人 は じ ぶ と く抵 抗 す る憎 き 、 日 の前 の 敵 で あ った は ず で す が 。 と な ど 考 えず に分 け ま し た ﹂ 、監督 に殴 られ る こ が 気 の毒 で ね が、 ガ リガ リ に痩 せ た中 国 人 捕 虜 ﹁見 つ か れ ば 監 督 に 殴 ら れ ま す 渡 し て い た のです `タ ま し た。 そ の大 豆 を 分 け て欲 し い 大 豆 を 調 理 し て空 腹 を し の いで い 土屋さ んは肥料 とし て配給 され た 。 話 も し た こと が あ ると 言 います ・荊 と 、 振 り 返 り ま す 。 、 中国 人捕虜 を間近 で目撃 し 会 加藤 Fi鷺 翼ず ン kイ │ム 7月 (397) 2016 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) 7 らなかったと言います。 土屋さん自身は間近で中国人捕 、 か ら な いよ う に 土 砂 に草 を被 せ 。 た り 、本 の 枝 を 植 林 し た そ ぅ で す で も 根 っこ の な い草 本 は 直 ぐ に 、 三 日∼ 四日に 枯 れ てしま う ので 、 国 民 学 校 の授 業 と し て植 林 一度 。 作業 をし た そ ぅです ァ メ リ カ 軍 は 地 下 工 場 の実 態 を 土 屋 さ ん は ﹁そ ん な 馬 鹿 げ た こ と 。 化 石 山 で は ヮ ン ・シ ー ル ン と い 笑われました 。 れ た 資 料 で 明 ら か に な っ て ぃま す 、 知 って い た こ と が 戦 後 に 公 開 さ と語ると、隣 にいた岐阜県地下壕 研究会 の加藤明さんが、 ﹁ 私も捕虜を直接見ましたが、 を 真 剣 に や って い た ん で す ょ ﹂ と 虜が殴られて いる現場を見たこと がないそうです。 ﹁ 監督に殴られないよう、我慢 をし、要領よく行動していたので はないかと思います﹂ 中国人捕虜はみんな栄養失調でし た。 日本人でも食 べ物がな いのに 中国人が食事 できるわけありませ 。 う 青 年 が働 いて いま し た 中 国 人 捕 虜 の中 で 二 番 目 に若 い十 八歳 で す 。 死亡名 簿 には中 国河北省清苑 。 ヮンさ 県出身 と書 かれ て います 年 二人 と交 流 し ま す 一日に鰻頭が三つ、それだけ。 ん。 だから作業中 に倒れるんです。 そ うすると、監督が走 ってきて怒鳴 り つけて棒 で叩くんです ょ。捕虜 は監督に向 か って膝を つき、手を もう殴らな 合わせて、中国語で、﹃ いで下さい。ご めんなさ い﹄と何 ン を、 私 は 何 処 か で見 て い た のか 撃 さ れ て います 。 モ ッ コで 土 砂 を 運 ぶ 姿 を 何 度 も 目 、 加 藤 さ ん は 穴 の中 か ら 捕 虜 が お く べき で し た ね ﹂ も っと 中 国 人 捕 虜 に 関 心 を も つ て もし れま せん。 そう考 え ると当 時 、 も しれな いし 話 をし て いた のか ﹁も し か し た ら 、 ワ ン ・シ ー ル 。土 屋 さ ん は 、 ん は 、 児 童 向 け に 書 か れ た ﹃化 石 、 地 元 の少 山 ﹄ ︵偕 成 社 ︶に 登 場 し 度も謝 っていましたよ﹂ と、証言してくれました。 谷間 に落ち ていく 姿を目 撃 土屋さん、加藤さんは同じ体験 をしました。化石山から大量に掘 り出した土砂がアメリカ軍に見 つ ﹁ 穴 から谷間 に 、土砂 を捨 て て、 ま た中 に 入 る作 業 を繰 り返 す わけ 、 土 砂 と 一緒 に 谷 間 に 落 ち て 、 栄養 失 調 で踏 ん張 る 力 が です が なく 。 、 いく捕 虜 を何 度 も 目撃 し ま し た ょ そ れ で も監 督 は 平 気 な 顔 を し て 、 元 は谷底 でし 。 いま化石山 の 作業 は続けられた 、 土砂 に 駐 車 場 に な つて い る所 は よ つて出 来 た 地 形 。 た 。 掘 り 返 せば 捕 虜 の骨 が 出 て き ます よ﹂ と、 静 か に語 り ま し た と、振り返ります。 日本 の敗戦 で立場が逆転し、中 国人捕虜は堂 々と町を行き来する ようになりました。捕虜に暴力を 振る った監督たちは いち早く瑞浪 から退散し、村 の人たちは中国人 捕虜が町を襲う のではな いかと い う噂を聞き つけ、とても怖が って いました。 と ころが上屋さんが汽車 に乗る と席に座 つていた中国人が、 ﹁ 上屋サン、ドウゾ座 ッテ下サ す よ ﹂。 瑞 浪 市 に いた中 国 人 は み ん な 礼 儀 正しく、暴 力沙汰 は殆どな か っ た そ う です 。 土 屋 さ ん は 今 ま で自 分 の体 験 を 語 る 事 は 殆 ど な か つた し 、 語 ろ う と も 思 いま せ ん で し た。 し か し 世 の中 が き な 臭 く な り 、 ま た 戦 争 が 始 ま る のではな いかと 不安 にな つ て き た の で、 体 験 を 語 る こと が 必 要 だ と感 じ た と 言 います 。 ﹁ 私 の 同 級 生 が 一人 、 近 く に い て 同 じ よ う な 体 験 を し ま し た。 今 ﹁ 子どもの声 で 元気 に﹂ 男 性 が 極 端 に 少 な か つた終 戦 当 度紹介 し ます ので、 また来 てくだ ︻取 材 = 二 〇 一六 年 四 月 二 〇 日 、 さ いね ﹂ と約束 をし て、お別 れしました。 時 、 と に か く 働 け 、ど 言 れ 一 れ で必 死 に勉 強 し 、 教 員 免 許 を 取 得 し て 、 小 学 校 の先 生 に な つた 土 屋 さ ん 。 け れ ど 最 近 は 子 ど も の数 が 減 り 、 寂 し く な った と 嘆 き ま す 。 五 月 一日 ︼ . ﹁子 ど も の 声 を 聞 く と 元 気 に な 戦時中の1需 浪市にお:す る宰電メ、 連行 強体」 労働 を題材 とした洟慮1で 、観客のみ 強市」 なさんに、過去の戦争の事実につしヽ て知 つ てt,ら い、日中友好をを力める一助 となる 公演にしたいぅ イ﹂ と、席を譲 つてくれたと言います。 ﹁ 覚え 大豆を譲 つた私 の顔をよ︿ 15:00 る、 子 ど も は未 来 の宝 です !﹂ ☆会場 名 古 屋 市 東 文 化 小 劇 場 ☆料金 ′ 一 般 前売 :2000円 (当 日2300酌 ′ 中高生 前売 :500胃 (当 日 800円 ) 教 員 時 代 の顔 を 垣 間 見 ま し た 。 )19100 (上 )11100 敗戦で 立場が 逆転し て てくれてたんですね、だ から私は 中国人をち っとも怖くなか ったで 平不□を願 う演劇 の会 玉音放送を何処 で聞 いたか尋ね ると、瑞浪 の町 の中 で、と言われ ました。何か重大な発表があると 言われた ので、 ラジオを聴 いたけ れど意味 がサ ツパリ判らず家 に帰 ったら、土屋さんのお婆さんが、 どうやら日本 が戦争 に負けたらし 素」 作担当 :舟 橋健 ― TEE 090‐ 3443‐ 3403 ☆聞い含 わせ (金 9月 16日 17日 ☆日時 2016年 いと言 つたそうです。 その時 の気持ちを聞 いてみると ﹁ 悔し いとかと いう気持ちはなか った。 これからどうな るんだ ろう と いう不安、戦争 に負 けたと いう のも半信半疑だ つた﹂ よる 2016年 7月 (397)号 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) (397 日本 と朝鮮 (愛 知版 )2016年 7月 ︻● 集 者 ま え が き ︼ Λ 翼調評 ﹂ 欄 は 、 我が 国とは未 E 交 状 態 に あ る 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 の立場 や日 朝 関 係 を 含 む 諸 見 解 を 理 解 で き る よ う に 、 同 国 の対 ピ ョン ヤ ン︶ か ら日 朝 協 会 愛 知 県 外 文 化連 絡 協 会 ︵ 連 ︵ 名 占 犀 ︶ に 直 接 送 ら れ る 情 報 ・資 料 を 紹 介 す る 。 欄 です 平和協定締結は後回し 以降、朝鮮半島では戦争でもな 戦関係 、敵対関係 を核 保有 国同士 ´ 朝鮮 民主主義 人民共和 国を核強 国 争 の後 に 停 戦 協 定 が 結 ば れ ま し た 。 一九 五 〇 年 代 の 三 年 間 の 朝 鮮 戦 常 的 な 戦 争 状 態 に置 か れ て い る朝 中 でも 戦争 が終結 さ れ得ず 、 恒 民共和国が自衛的対応措置で自主 民主主義人民共和国を核と膨大な 侵略武力をも って絶えず威嚇して きた歴史 であり、朝鮮民主主義人 るアメリカが交戦他方である朝鮮 一方 であり、世界的な核大国であ この六〇余年の歴史は単に停戦 状態 の維持 ・持続 ではなく、交戦 爆 弾 ま で 保 有 し た 至 って 強 力 な 国 脅 威 の歴 史 に終 焉 を 宣 言 し 、 水 素 対 す る ア メ リ カ の 一方 的 な 核 攻 撃 成功は朝鮮民主主義人民共和国に た。 共 和 国 の戦 略 的 地 位 も変 わ り ま し 時 代 は変 り 、朝 鮮 民主 主義 人 民 ット に な って い ま す 。 鮮 半 島 は 世 界 最 大 の ホ ッ ト ・ス ポ る地 域 で あ り ま す 。 停 戦 は 文 字 通 り 、 戦 い を臨 時 中 止 権と生存権 を守 ってきた歴史 であ ります。 力 を 持 った 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 ケ ット ﹁火 星 1 1 0 ﹂ 実 験 発 射 の 地 上対 地 上中 長 距 離 戦 略 弾道 ロ す る と いう こと で あ り 戦 争 を完 全 アメリカ の悪辣な核戦争脅威は の交 戦 関 係 に 替 え さ せ ま し た 。 の 前 列 へと 後 押 し し 、 朝 米 間 の 交 く平和 でもな い不安定な停戦状態 が六〇余年間、続 いて来ました。 朝鮮 対外文化 連絡 協会 できない焦眉の課題 東 北 アジ ア は地政 学的 に世 界 の 列 強 が 対 峙 し て い る敏 感 な 地 域 で あり、領 土問題、歴史 問題 を囲ん 【朝鮮民主主義人民共和国・ ピョンヤン 2016年 7月 16日 発】 原文 日本語。 タイ トルも原文 のまま. に終 え る と 言 う の で は あ り ま せ ん 。 で長 い間 対 立 関 係 が続 い て来 て い 上〉 〈 鰭 国は、 アメリカ の核脅威 や桐喝、 専横を斥け公正な世界秩序を構築 す る責任あ る核保有国 の威容を誇 示しています。 朝米交戦関係 の性格が根本的に 変り、朝鮮半島を取り巻く東北 ア ジアの戦略的構図が大きく変更さ れた今 日の現実は世界最大 のホ ッ ト ・スポ ットである朝鮮半島で停 戦協定を平和協定に替 え、強固な 平和保障 システムを構築す ること をい つよりも緊迫に要求していま す。 平和協定締結と信頼構 築問題 最近、 ﹁ 東北 アジ ア安保 に関す るウランバートル対話﹂、 ﹁ 東北 ア ジア協 調対話﹂をはじめ、 いろい ろな多国間議論 の場で、平和協定 締結 の前途が遼遠 であるので朝米 双方 が信頼構築措置を先 に講じる 方 が有益 であろうと いう主張が 一 部提起されました。 一般的に信頼を構築する上で第 一義的な問題は、国と国がお互い に平和的に共存し共栄できるとい う確信を持 つことであります。 ここで平和共存 の意志は信頼構 築のも っとも基礎的 で根本的な要 素と な り ます。 今 日 、 朝 米 間 の交 戦 関 係 は ア メ 関 係 に 切 り替 わ り ま し た。 双方 が 侵 略 し た り害 す る意 思 が 界 最 大 の ホ ッ ト ・ス ポ ッ ト 、 核 対 決 場 であ る朝 鮮 半 島 で平 和 協 定 の す る こと を緊 切 に求 め て いま す 。 締 結 で強 固 な 平 和 シ ス テ ムを樹 立 立 ち 向 か っ て い た 六 〇 余 年 前 の交 平 和 協 定 の締 結 は 、 朝 米 間 の信 リ カ の核 兵 器 に 共 和 国 が歩 兵 銃 で な け れば 信 頼 構 築 に ついて考 え ら 戦 関 係 で は な く 核 保 有 国 同 士 の交 息 さ せ る のは朝 鮮 半 島 で信 頼 構 築 世 紀 以 上 続 い て き た戦 争 状 態 を終 核 強 国 の 前 列 に 入 った わ が 共 和 国 労働党第 7回大会 で、 アメリカ は 金 正 恩 国務 委 員会 委 員 長 は朝 鮮 め の措 置 に つ い て 協 議 し 、 一定 の 頼 構 築 の た め の法 律 的 、 制 度 的 裏 を論ず る前 に優先的 に解 決 され な の戦 略 的 地 位 と 大 勢 の流 れ を直 視 合 意 に達 し た こ と も あ り ま す 。 戦 関 係 であ り ます 。 け れ ば な ら な い先 決 問 題 で あ り ま し 時 代 錯 誤 の対朝 鮮 敵 対視 政 策 を な い朝 鮮 半 島 の現 実 か ら 提 起 さ れ は 任 意 の時 刻 に 戦 争 が 起 こり か ね 停 戦 協 定 を平 和 協 定 に替 え る の 間 明し まし た。 和 協 定 に替 え な け れば な ら な いと 撤 回 す べき で あ り 、 停 戦 協 定 を 平 中 止 で は な く 朝 鮮 半 島 で強 固 な 平 朝 鮮 停 戦 協 定 は 一時 的 な 交 戦 の 樹立す る のは朝 鮮民主主義 人民共 さ せ、 強 固 な 平 和 保 障 シ ス テ ムを 鮮 半 島 の戦 争 状 態 を 法 律 的 に終 息 ア メ リ カ と の平 和 協 定 締 結 で朝 和 保 障 シ ス テ ム を確 立 す る こと を 和 国 政 府 と 人 民 の 一貫 し た 立 場 で る 差 し 迫 った 要 求 で あ り ま す 。 予 見 し た 国 際 法 的 文 書 と し て採 択 す。 題 と し て提 起 さ れ ます 。 今 ま で朝 米 双方 は信 頼 醸 成 のた し か し 、 こ のよ う な 措 置 は そ の が 反 故 に な った の は 代 表 的 な 実 例 であ り ます 。 平 和 協 定 の締 結 で平 和 共 存 のた め の制 度 的 な 仕 掛 け が 作 ら れ 法 律 的 に固 着す ると、朝米 双方は相 互 の平 和 共 存 意 志 に 対 す る確 信 に 基 づ き 信 頼 構 築 のた め の実 践 的 な 措 置 を合 意 し 履 行 し て行 け る でし よ う。 停 戦 協 定 締 結 以降 、 今 日 ま で続 平和協定締結のための 朝鮮民主主義人民共和国 の 一貫した努力 制 度的仕掛 け がな く、 アメリカ が 履 行 に つい て保 証 し う る法 律 的 、 対朝鮮敵 対視政策 を執拗 に追求 し いてきた世界的な核保有 国であ る 、わ ア メ リカ の対 朝 鮮 戦争 策 動 は た こと に よ り 、 履行 さ れ え ま せ ん ア メ リ カ で行 政 府 が 代 わ る度 、 の経 済 建 設 に重 大 な 障 害 を き た し 脅 か し て来 た し 平 和 的 発 展 のた め が 共 和 国 の自 主 権 と 生 存 権 を 常 時 、 す でに合 意 され た措 置が自紙状態 ました。 でし た。 にな る現状 を防 ぐ ため にも法 律的 、 し かし ア メ リカ がか たく な に共 東 北 ア ジ ア地 域 の戦 略 的 要 衝 に 和 国 の 平 和 協 定 締 結 要 求 に そ っぽ 制 度 的 な裏 付 け が必 要 であ り ます 。 し か し アメリ カ は南朝 鮮 に対 す を 向 け な が ら 核 戦 争 の危 険 を 強 要 あ ると罵倒し、核先制攻撃対象 に ﹁ 悪 の枢 軸 ﹂ で る念 願 か ら、 ま た朝 鮮 半 島 と 地 域 状 態 を終 わ ら せ平 和 的 発 展 を 遂 げ 朝 鮮 民主 主義 人 民共 和 国 は戦 争 た ち ま ち 東 北 アジ ア全 域 の情 勢 を 位 置 し て い る朝 鮮 半 島 で軍事 的 対 る軍事 的駐屯 を永久 化 し、各種 戦 緊 張 状 態 に追 い込 み世 界 的 核 戦 争 一九 九 〇 年 代 の ク リ ン ト ン 行 政 争装 備 を持 ち 込みな が ら停戦協 定 す る のであれば、朝鮮 民主主義 人 置 を 取 った に も 関 わ ら ず 、 ブ ッ シ 、 決 と 衝突 が持 続 し戦争 が起 こると を体系的 に破壊 しまし たし、朝 鮮 民共和国 は強 力な核抑 止力 に依拠 の導 火 線 に な り え ま す 。 公式指定 し た こと により、す べて 主義 人民共和国を 府 の末 期 、 朝 米 が 関 係 正 常 化 を 約 束 し 、 そ の 履 行 の た め の 一連 の 措 問 題 の平 和 的 解 決 を遮 り ま し た。 ュ行 政 府 に 代 わ り な が ら 朝 鮮 民 主 争 へと エ ス カ レ ー シ ョ ン し う る 世 現 実 は 一点 の 火 花 が 直 ち に 核 戦 的 に終 息 さ せ る でし ょう。 し て 朝 鮮 半 島 で の交 戦 関 係 を 物 理 術 的 な 戦 争 状 態 か ら 事 実 上 の交 戦 朝 鮮 と ア メ リ カ の関 係 は単 純 な技 で に 久 し い 前 に 反 故 と な り 、結 局 、 ア メ リ カ に よ って 停 戦 協 定 は す され まし た。 付 け を 保 障 す る見 地 か らも 先 決 間 す。 朝米 間 に平和 協定 を締 結 し て半 れ ま せん。 な く 、 敵 対 視 し な いと いう 確 信 が 10 2 2016年 7月 (397)号 ( 日本 と朝鮮 リカと の平和協定締結を米国会 に 感 か ら 終 始 一貫 停 戦 協 定 を 平 和 協 、 定 に替 え る と いう 要 求 を 提 起 し 保障 システム樹立 のための協商を 一九九四年四月には新たな平和 正式に要求しました。 そ の実 現 の た め に 粘 り 強 く 努 力 し アメリカに重ねて提起しましたし、 の平 和 と 安 定 を守 ろ う と す る責 任 てき まし た。 し か し アメ リカ は朝 鮮 であ ら ゆ 、 る外 国 軍 隊 を 撤 収 さ せ 朝 鮮 問 題 一九九六年 二月には双方 の軍事的 衝突を防ぐ ために停戦協定を代替 できる暫定協定を締結しようとい う提案もしました。 二〇 一〇年 一月には朝鮮戦争勃 発六〇年に当たる年 に平和協定締 結 のための会談を速やかに開く こ とを停戦協定 の当事国に提案もし ましたし、国連総会第七〇国会議 しく平和協定を締結することを重 ねて提案しました。 しかし、われわれの正当な平和 をはじめとす る諸契機 に朝鮮半島 での劇的な情勢変化の要求 に相応 民主主義 人民共和国は いろいろな 増 大 す る戦 争 危 険 に 対処 し て朝 鮮 協定締結要求とその実現に向けた 案し ま し た。 、 一九 五 六 年 四 月 朝 鮮 で の 平 和 維持 と 朝 鮮 問 題 の 平 和 的 解 決 の た め の平 和協 定 を締 結 す る こと を ア 、 メ リ カ や 関 係 国 に提起 し ま し た し 一九 七 四 年 二 月 、 停 戦 協 定 の 当 事 者 であ り平和保障 シ ステムを実質 的 に 保 障 で き る実 権 者 であ る ア メ ︵つづ く ︶ より、 いまなお実を結 べず にいま す。 努力は停戦協定 の当事者 であり、 南朝鮮 で実質的な軍の統帥権を握 っているアメリカ の挑戦と反対 に 契 機 に 平 和 協 定 の締 結 を幾 度 も 提 ア メ リ カ の停 戦 協 定 破 壊 行 為 と 。 よ って 無 効 化 さ れ ま し た れ て 一年 も 経 た ぬ 内 に ア メ リ カ に 台 に な って い る 停 戦 協 定 は 署 名 さ 律 ヽ 平 和 協 定 締 結 の明 白 な 法 的 土 的 に破 壊 し ま し た 。 の た め の中 核 事 項 を体 系 的 に全 面 、平和保障 協定第 六〇項 をはじめ に解 決 す る問 題 が規 制 さ れ た停 戦 を朝 鮮 民 族 同 士 で平 和 的 に根 源 的 )2016年 7月 (397)号 (愛 知版 日本と朝鮮 __11 │ 鎮 ●不 ▲立 後 の 新 しいア ジア )戦 (― 12 2016年 7月 (397)号 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) (5) 第二話/解 放後 の国家建設 【 編集部か ら】本連載の 第 一 話 は、 2016年 3∼ 4月 に掲載 しま した。 国歌も対称的です。 ︵ 南︶東海 の水乾き 白頭 の山 すリ ヘる日まで 神よ 保護され よ 我が国万歳 1 北 の理 念 、 南 の理 念 南北 の国名は、大韓民国、朝鮮 民主主義人民共和国と名づけられ 銀はみち 一 二千里 の山河 美しき 祖国 半 万年 の歴史に 賢 き人民 の栄光 身も心もささげ 革命、すなわち階級 のな い社会、 労働者階級の思想を表しています。 以上 の南北 の国歌と国旗は、古 北 の国旗は、人民による人民 の る。 そして人 々は理と気を備える という哲学思想にあります。 世界 ︵ 宇宙︶は無極すなわち太極 に始まり、 その運動は陰陽に表れ この太極旗 の理念は新儒学 の、 期 の改革派金玉均 の同志 の朴泳孝 によ って考案されたそうです。 南の国旗は、大韓帝国の時代に、 明治日本 へ向かう政府代表団が使 用したと言われています。朝鮮末 北の国旗は、平和、平等、自由、 革命を表しています。 南 の旗は、中央に大極、陰陽、 卦を配しています。 この朝鮮 永遠に支えよう 国旗も対称的です。 ︵ 北︶朝日輝け この山河 金 ました。 日本 の植民地にされた李氏朝鮮 をそれぞれが継承しました。 北は、 ﹁ 朝鮮一を継承し、理念を 民主主義人民共和国﹂を名 表す ﹁ 乗りました。 南は、朝鮮王朝 の末期 の 一時期 ﹁ 大韓帝国﹂と国名 を変更したの 大韓﹂を継承し、理念を表す で、 ﹁ ﹁ 民国﹂を名乗りました。略して ﹁ 国﹂とも呼びます。 韓 国名 には、言わば社会主義と自 議会制民主主義︶を 由民主主義 ︵ 目ざしました。 北は武装闘争 によ って民族 の独 立を戦 いと った共産主義者が主体 に、建国を進めたので、当然 の帰 結でした。しかし南では、共産主 義者 ・抗 日の民族主義者たちが、 米国軍政に排除されたので、保守 勢力が主体になりました。 大国による国土の分断に加えて、 政治勢力もまた対決的な勢力から なる国家が建設されました。 風と革新、保守 と革命、実 に対称 的です。 対称的と言えば、実際 の日常生 活では北と南は、見事 に逆転して います。例えば南の女性に比べて、 北 の女性 の、何としとやかで優し 古風さ﹂におど いことか、その ﹁ 京 ろきました。ちなみに日本では、﹁ 女に東男﹂と言われますが、朝鮮 北女﹂と言われていま では ﹁ 南男・ す。 2 、 ﹁民 主 改 革 ﹂ に 南も 北も仰 天 植民地支配から解放された朝鮮 半島には、歓喜 の ﹁マンセー ︵ 万 歳と の声が大地をふるわせました。 奸悪なるムチの下に 泣きし 四十年 すさんだ この山河にも 春来 たる 貪欲なる爪あとに 平和の花 笑い咲く 高くかかげよ 自由の旗 大きく歌え 解放の歌 り0 国有化を行いました。 ﹁ 土地改革﹂は実 に徹底的に行 われました。全 ての地主 の土地は 無償 で没収され、土地なき農民に 無償で分配されました。土地改革 、 の実行 にあたり、その委員会は 貧農を中心に組織され、農民が主 体にな って実施しました。 正に農民による農民 のため の農 村改革 です。行政的な上からの改 革に終わらず に、農村 における支 。 配階級 の支配を無くした のです 、 土地を手にした農民にと っては 夢 のような出来事 です。地主たち にも農民同様、自力 で耕 せる農地 した。 もう 一つの効果は、日帝時代に さに 一石二鳥 の効果をもたらしま に、我等 こそが国 の主人である、 との自覚を持たせたことです。ま それは増産ばかりか、農民たち 乗り越 える政策 を実 施 した のでし た。政策は的中しました。 欲 を高 め る ことによ って、危機 を 対策 とし ても、農 民たち の生産意 北朝 鮮臨時 人民委 員会 は、 そ の 元来、北には豊 かな農地は多くあ りません。よ って食糧難が常 にあ りました。 土地改革は、農産物 の増産 をも 、 たらしました。解放はされたが 。 筆者が十歳 の時です。今 でも い は残されました しかし彼等にと っては信じられ 。 ぬ悪夢 であ ったことでし ょぅ 村 の名士であ った彼等 の影響力を削 、 ︵ そ︶ぐために、他村にうつされ 。 一農民として生活しました 地主たち の 一部は南に逃れまし た。彼等 の 一部は強 い反共意識を 単独選挙反対 持ち、済州島 の四去 一 の島民たち への、弾圧の先兵にな つた者達もいます。 解放 の歌﹂をそらんじ く つか の ﹁ て歌えます。 歓喜 に泣き笑う朝鮮社会 があり ました。 ﹁ 解放され自由﹂を得ましたが、 朝鮮は貧しくて、植民地性と封建 性 の中 にありました。社会 の民主 化が求められました。 首班 ﹁ 北朝鮮臨時人民委員会﹂ ︵ 金日成将軍︶は民主改革を実施し 重要産業国有化﹂によ っ ました。 ﹁ て、 日本窒素など日本人企業等 の (397)号 7 2016年 日本 と朝鮮 (愛 知版) と 、 民主改革は 北 の地 に明るさ 豊かな朝鮮 自由な朝鮮 のどかな畑に 歌声高く 今年も豊作 黄金のうねり 赤いチョゴリで 働く乙女 感じられます。 し 望 ﹂ 嚇 デ ︶ 却 章 ﹄ “ 隷 ﹄ 静 “ 赫 ﹃ つ 植 え つけられた反共意識が次第に 日本軍 払拭されたことでしょう。 ︵ 共産匪賊﹂と喧 は抗 日ゲリラを ﹁ 伝した︶ 北 の農民たちが格別に階級意識 が強か ったと言うことではありま せん。他人 の土地を取り上げ るの ですから、農民 の階級意識を高め るプ ロセ スが必要でした。それが 七喜一 制の実施運動でした。 農民 の暮らしは昔から喰うや喰 生 わず でした。地主階級 による ﹁ 工場 ニケ年計画 がんばりぬこ うなるサイレン ハンマー は響く トラジ の花咲く お いらの かさず殺さず﹂によ って、春 にも 草根木皮﹂ なれば農民 の多くは ﹁ で命をつないでいました。 七■二制 の運動によ って、農民た 豊かな朝鮮 自由な朝鮮 人民 議会制民主主義とは異なる ﹁ 民主主義﹂制度が出現しました。 の豊かさを歌 ったのでしょう。 かくして、朝鮮半島 の北部 に、 しかし農民と労働者は、国と土 地と工場 の主人にな った喜び、心 ﹁ 世紀的な落後性﹂の朝鮮が、に わかに豊かになるはずがありませ ん。 う ちは、自己 の権利意識 にめざめ、 生産者として、農業発展上 の自己 の地位 に覚醒したのです。巧 みな 人民委員会 の農民問題、農業問題 政策でした。 北 の農 民たちには、土地改革は 天地開間でした。 この天地開闘は 南 の地 にも伝わります。しかし、 資本主義体制 の南では拒絶されま す。 いや、かえ って政情 不安 の火 種となり、民主化と統 一を求める 運動が拡が っていきます。 日本と朝鮮 (愛 超版) 2016年 月 7月 (397)号 i4 竺 鳳霧暑 現魔 理 単 驚 話 蠍 禽∴躙 鶴 :話 5和 野 この度は FAR lo周 年記念 錦秋の韓国済州島・ソウルを貫井先生と行く、歴史・風土・郷土料理を満喫する親善訪間 ツアーを 実施することになりました。 ふるつて皆様のご参加、よろしくお願い申し上げます。 壌 ◆期日:2016年 10月 日時 都市 名 時間 中部 ソウル 10/24 (月 済州島 ) 07:30 09:30 11:30 12:30 15,20 16:30 18:30 09:00 済州 10/25 (火 ) 18100 <済 州 ‖レハルハ・ン 24日 (月 )∼ 10月 27日 (ホ )i3;白 4日 日 pHO掛 程 食 レア輛 難 集飢 大韓航空にて空路 仁川空港へ向かう 仁川空港着後、 バスにて、金浦空港へ移動 国内線にて済州島へ向かう 墜 KE1239:15:20発 /16,25着 】 済州市内観光 (竜 頭岩、三姓穴) 夕食ご案内、 ホテルヘ 「宿泊 :済 州KALホ テルJ 朝鮮王朝15代 王・光海君論所址 (中 央路)見 学、観徳亭 (光 海君葬式の所) 抗蒙遺跡址、旧日本軍要塞・済州平和博物館見学、 秋史 (金 正喜)請 居址、途中、昼食 ご案内 太平洋戦争当時、旧日本・アル トゥル飛行場 (模 意浦飛行場)見 学、 山房窟寺 ノヽ メリ垢己念碑、ウェ ドルゲ 天地淵瀑布 夕食後、ホテルヘ 機 内食 ・ ・ 夕 :黒 豚シャフシャフ 朝 :ホ テル 昼 :ヘ ムルトッベギ 夕 1韓 国 家庭 韓 定食 朝 昼 タ 「宿泊 :済 州KALホ テル 済州市内観光 :朝 鮮王朝・光海君流配地・朝天面・恋北亭 (東 屋)、 虚応堂普雨大師殉教碑 城邑民俗村、途中、昼食ご案内、 和公園見学、 空港へ 向か う 43平 国内線にて金浦ヘ /15,40着 ) J 10/26 (水 ) 10/27 (木 ) ◆ ◆ ※ 済州 09,00 ソウル 13100 14130 15,40 18,00 18:40 ソウル 09:00 12:00 中部 16:20 17:00 19;00 着後、南大門市場、お買い物、 (KE1230,14,30発 ホテルヘ タ食 ご案内 「宿泊 :プ レジデントホテル」 世界文化遺産 1朝 鮮王朝 東九陵見 仁川市へ 途中、昼食ご案内 仁川チャイナタウン見学 マッカサー公園 仁川大橋経由にて、空港へ向か う 仁川空港着後、出国手続後、 大輸 ヨ こて ` 馴 19∞ 発/2回 つ ず 寝乳象でした ◆ K口 現地事情による、行 更になる場合もあります 利用航空会社 :大 韓航空 (エ コノミクラス) 宿泊ホテル :1・ 2日 目 ;済 州KALホ テル :済 州市 中央路 151 1 事 ホテル アワビお粥 骨付カルビ焼 朝 :ホ テル 昼 ;チ ャジャンメン (酢 豚付 ) 機 内食 (TELi 064-724-2001) ホテル:ソ ゥル市 中区 乙支路 1-188-3(TEL; 02-753-3131) 旦旦旦 __ニ ソウル プレジデント 口 ◆ 塗 行 主催 (申 込 先 );NPO法 人 (フ レジ再 アジヲ E口 =両 旅 実行委 員会 ◆ 旅行代金 114,000R (2人 】 1人 ※ 【 定員;20名 1室 基 準 )※ 中部空港税.現 地空港税.燃 油含 む ※ 旅行参加 申込み締め切りは、9月 10日 (土 )で す。 担当 ;田 中 統 ヘ FAX:052-7119606 ◆ 現地旅行社 :(株 )KTS旅 行社 ソウル 住 所 :ソ ウル市 中区 太平路 ◆ 旅 行 受 注 : KTS旅 行 社 1-61コ リアナホテル 9F TEL;02-738-6873 名 古 屋 支 店 : 〒 453-0015名 古 屋 市 中 村 区 TEL:052-452-6873 FAX,052-452-6874 椿町 担 当 :車 (チ ャ)先 ― 15-4フ ラワー ホテ ル (Bl) EU 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) 2016年 7月 (3971号 _____一 ――― 00第 45回 韓日歴史・文化フォーラム 曙鶴冒旨引路く』 γ日韓国交朝 ヒ50周 年記念鴨 居是典・目韓文化交流絵画胸 報告∼ 朝鮮 美術 で あ る民画 は 、庶 民 の実 用的 な民俗絵 画 で あ り、結 婚 や還暦 な どの儀 ネ し、装飾 、魔 よけ、開運 な どを 目的 に、 屏風や掛軸 、壁 に貼 るな ど して用い られ て い ま した。 朝鮮 美術 は、 日本 の植 氏地 時代 に民 藝運動 の創 始 者で あ る柳 宗悦 に よって、それ まで収集 研 究 の対 象 と考 え られ なかった 朝鮮 民 画が 、 日本 で も注 目され るよ うに な りま t´ た。 しか し、縄 文時代 か ら古墳時代 にか けて孵 鮮 半島か ら多 くこ)人 が武器や 農具 な ど多 くの 文化 を携 え てや つて来 ま し′ た。 その時 代 に作 られ た と言われ る古墳 に描 かれ た壁 画 には高 句麗 で作 られ た可能性 が 強 い と 1) 言われ る モ )の 1)あ り、 古 くか ら朝鮮 の美術 は文 化 同様 に 日本 と関わ りが あった と言え ます。 今 回 の講 師 で ある鳥居是典氏 は現在 岡崎 市立 矢 作 南小 学校 の校長 を務 め る一 方 、学生時代 か ら古墳壁 画 に興味 を持 ちは じめ 、村 落 に見 られ る境 界標 であ る1子 軍標 (チ ャ ンス)や 神 竿 (ソ ッテ)、 韓国伝統芸能 の仮 面劇 (タ ルチ ュム)な ど韓 国 に縁 あ る素材 をモチー フ に絵画 を描 いて きま した。 日韓 国交 正 常化50周 年 の 昨年、韓 目関係 の改善 を願 い 、在釜 山 日本国総領事館後援 の もと、韓 国 釜 山市 にお いて絵画展 を開催 し、大 きな反響 を呼 び ま し た。 講演 では 、釜 山で開催 され た絵 画展 の報告 と絵画 の モ チー フ につ いて説 明 を して もらいます 。 │ 日 場 時 /2016年 8月 3日 (水 )午 後 6時 ∼ 所 /愛 知 韓国 人会 館 5階 ホール 名古屋市中村区亀島1-6-2 地下鉄東山線 「亀島駅」③出口より徒歩1分 参 加 費 /500円 ※資料代として 主 催 /韓 日歴 史・ 文 化 フォー ラ ム 実行 委 員会 後 援 /駐 名古 屋 大韓 民 国総領 事 館 名古 屋 日韓親 善協 会 在 外 同胞 財 団 講 師 /鳥 居 是典 氏 (岡 崎市立矢作南小学校長) 略歴 :愛 知教育大学大学院美術科修了 フリーで制作活動 (個 展・グループ展等多数開催 平成 26年 3月 フォーラム『朝鮮通信使 と日韓の未来思考』パネリス ト ) お申込・問合せ先】FAX:052-452‐ 1716 【 E― lnal l:jigyoOmindan― aichi.org 韓 日歴史 =文 化フォー ラム事務局 (民 団愛知内)金 栄― (キ ム・ ヨンイル)TEL:052-452-6431 ふ りがな お名前 FAX番 号 お電 話 番号 一T ご住 所 E― mall ru いま 面 白 い市 民 運動 の構 報 誌 〇 軍 の論 理 の特 徴 と 航 行 安 全 ︰ 研究会 ○ 続 ・日 間 賀 島 古 墳 出 土 の 須 恵 器 I 柿山 朗 池田陸介 ほか 第棄 鞭 掘 可 日報 会 儒 積 鑑 巧 権 力 ■ ETo“ 年 11月 ∞ 日 ほか の の ● E C H O ︵エ コー ︶ ︵ 第 五 二 号 二 〇 三 → 七 。九 ︶ ︻発 =緑 区 の 歴 史 を 学 ば う 会 ︼ 楚 巽 異舌 示 t ︻ 葬 ︵ . 〇緑区と戦争/区誌、校誌 に記さ れた空襲⋮橋本辰生 鳴海宿村 の情景23︼鹿 のい 〇 ︻ た村 ︵ 朝鮮通信 使の饗応料理に尾 張藩 =起、鳴海、名古屋=では鹿 を用意、など の記事あり︶⋮堀崎 嘉明 捕虜 のいた町﹄創作朗読劇と ○ ﹃ 資料展を観て⋮三輪誠 ・谷島敏男 ほか す む 行 =旧 日 本 軍 に よ る 性 的 被 害 女 性 を 支 え る 会 ・事 務 局 =名 古 屋 市 中 鳴 海 球 場 物 語 ︵4 こ 中 等 学 校 ○ ︻ 及 び 高 等 学 校 野 球 大 会 の変 遷 ⋮ 酒 井隆弘 地 下鉄鶴舞線「鶴舞駅Jド 車 徒歩3分 」R中 央線「鶴舞駅 │か ら従歩2分 じヽ ﹁ 政 府の行為によ って再 ひ戦争 の修禍が起こることのないやうに﹂ ︵ 日本国定法前 天︶ 平 和 勿 ︻表 紙 = 三 浦 雅 子 ︼ /愛 知 版 :種案 じ/自 朝協会愛知県連合会事務局 ■ 464-0353名 古屋市千種区小松町6-9-1 2016年 7月 (397)号 Tギ 052-731-9445 Eメ ール y‐[email protected] 日 本 と 朝 鮮 ● J 0%鵡m‐ぜ ち 聯 群 終了30分 前まで 区新栄町︼ ご 冥福 を お祈 り いた し ます ︼ 〇 ︻ ●なごや市職 、 第 二 一七 一号 二〇 一六年七月 陳 桃 さ ん ︵九 四 ・台 湾 ︶ イ ・ス ︵ 、 発行 =名古屋市職員労 ダ ン さ ん ︵九 五 ・韓 国 ︶ コ ン ・ 十 一日︶ ︻ ジ ヨ ミ ョプ さ ん ︵ 九 七 ・韓 国 ︶、 働組合︼ 、 〇 ︻ 南陽図書館 におじやましまし 匿 名 さ ん ︵韓 国 ︶ キ ム “ギ ョ ン た︼地域と つながる図書館 で/司 ス ン さ ん ︵九 一 ・韓 国 ︶ 、 ァ・ 図書館もカ ○ ニ コ ン 写 真 展 な ぜ 中 止 に ∼ 安 書はナビゲーター ︵ ウ ンター業務 の委託化や指定管理 世 鴻 裁 判 勝 訴 報 告 会 ⋮ 久 野 綾 子 [感 者制度 の試行導入がすすめられ︰ 想 文 = ﹃表 現 の 自 由 ﹄ 守 る 行 動 が 書架はす みに追 いやられている所 重 要 / 被 害 女 性 の 願 い に 日 本 は 応 も⋮図書館本来 の役割が果たせて え る べ き だ / 被 害 女 性 の 視 点 に 感 慰安婦﹄と戦争 つなが って 銘/ ﹃ いるか⋮﹄などの指摘あり︶ ○力合 わせて働きやす い環境に/ い る ] 慰 安 婦 ﹂問 題 解 〇 第 十 四 回 日本 軍 ﹁ 臨時職員懇談会 嘱託・ ○労働組合 って大事だネ/ 一六新 決 ア ジ ア 連 帯 会 議 開 く / 日 本 政 府 への提 言 歓実行委員会合宿 ほか ほか あ ゆ ち ︶風 土 記 ●年魚市 ︵ ゆい︶ ●結 ︵ ︵第 8 号 一一〇 一六 年 七 月 三 十 一 発 ︵ 第六号 =一一 〇 一六 ・ 七 ・八︶ ︻ 行 =ユニオンと連帯する市民の会︼ 日 ︶ ︻発 行 =戦 争 遺 跡 研 究 会 ︵東 海 〇 ﹁ 経済的徴兵制﹂は進む のか︰ 市 名 和 町 こ ︻ 特 集 1現 存 軍 神 像 ︼ 植木日出男 〇電力会社も無視できな い太陽光 ○ 学 校 記 念 誌 か ら み た 校 内 の 軍 神 像 や 建 造 物 な ど ⋮ 清 水 ︵き よ み ず ︶ 発電の広がり⋮近森泰彦 〇 ︻ 統 一戦線 の歴史②︼石川友左 啓 介 〇 全 国 現 存 軍 神 像 一覧 ⋮ 戦 争 遺 跡 衛門と人民戦線事件⋮木村直樹 10:00∼ 18:00 入場受付は ) (最 終 日は 15:00終 了 会堂 ● 1祖 旧 IB月 ● 7月 (397)号 2016年 日本 と朝鮮 (愛 知版 ) _
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