茂松茂人・大阪府医師会新会長に聞く

茂松茂人
大阪府医師会新会長
に聞く
特
集
大阪府医師会は6月23日開催の第307回定例代議員会の終結後、茂松茂人 ・ 前
副会長が新たに会長に就任した。本号では、茂松会長に今後に向けての抱負など
を語ってもらった。
(聞き手/阪本栄・府医理事、自見弘之・広報委員会委員長)
特 集
茂松茂人・大阪府医師会新会長に聞く
と心配されました。しかし、伯井・前会長
が築いた3期6年のご功績を引き継ぎ、次
世代を担う医師にとっ て「魅力ある医師
会」を築くことが自分の務めではないかと
決心した次第です。5月28日開催の第306
回臨時代議員会で府医会長に選任・選定い
ただき、6月23日の第307回定例代議員会
の終結より、新たに執行部がスタートしま
した。これまでと変わらぬご指導、ご鞭撻
を賜りますよう、よろしくお願い申し上げ
ます。
茂松茂人・大阪府医師会長
〈プロフィール〉
昭和27年生まれ。昭和53年大阪医大卒。
同大整形外科助手、阪本蒼生会蒼生病院整
形外科部長を経て、平成2年に茨木市に茂
松整形外科を開設。平成13年8月∼20年3
月まで大阪府医師会理事、22年4月∼28年
6月まで府医副会長を務め、28年6月23日
に府医会長に就任。27年春に藍綬褒章を受
章。趣味はドライブ、スキー、スポーツ観
戦。
○阪本 私も執行部の一員として引き続
はじめに
き会務にあたります。何卒よろしくお願い
いたします。会長となられてから、大きな
○阪本 本日は、就任直後のご多用のと
変化はありましたか。
ころありがとうございます。
○茂松 会務に関しては、ご承認いただ
○茂松 これまで10数年、府医の理事お
いた諸事業を着実に行うべく、役員・事務
よび副会長を務めてまいりましたが、伯井
局とミーティングを重ねています。これま
俊明・前会長の勇退に伴い、後任として指
では伯井・前会長をサポートする立場でし
名いただきました。私自身、この重責を果
たが、1万7千人を超える会員を率いるこ
たすことができるのかとずいぶん悩みまし
ととなり、今まで以上に緊張感が伴います
たし、家族からも「本当に大丈夫なの?」
ね。
大阪府医師会報7月号
(vol.391)
しょうか。「どんなことにも基本的な考え
方には筋がある。理論に基づいて物事を考
えなさい」という母校の恩師・小野村敏信
先生の教えに感銘を受けました。また、大
学では体も大きくなっていましたから、ク
ラブ活動中のけがも多く、運動器疾患への
関心が高くなりました。その時お世話にな
った先生の影響もあるかもしれませんね。
○阪本 スポーツは他にも何かされてい
ますか。
○茂松 4∼5年前までは毎年スキーに
○自見 茂松会長は、高校の後輩にあた
行っていました。 半日滑って帰って来た
ります。母校は「文武両道」をモットーに
り、年末年始は家族と一緒に出かけたりし
しており、クラブ活動も盛んです。茂松会
ていましたが、最近は膝が痛くて控えてい
長は、バレーボール部だったとお聞きして
ます。大学に所属していた頃は、栂池高原
いますが。
の診療所に1週間アルバイトで行かせてい
○茂松 お恥ずかしい話ですが、高校で
ただいたりもしました。 楽しかっ たです
は途中で退部したのです。中学でも部活動
ね。
はバレーボールでした。高校もバレーボー
○阪本 忙しい毎日を送っておられると
ル部に入部しましたが、強豪校で練習もハ
思いますが、どのように気分転換をされて
ードでした。練習に没頭するあまり、成績
いますか。
が急降下してしまい(笑)、退部させられ
○茂松 現在は会務の際には会長車で移
てしまいました。そのリベンジもあり、大
動していますが、もともと車の運転が好き
学ではバレーボールに明け暮れた学生生活
で、気分転換に淡路島や琵琶湖の湖北など
を送りました。
へドライブすることもあります。今はなか
○阪本 当初から医師を目指しておられ
なか時間がありませんが、たまには行きた
たのですか。
いですね。
○茂松 昔から物づくりが好きで、はじ
○自見 開業されたきっかけは。
めは工学部を志望していました。たまたま
○茂松 勤務医時代は2つの救急病院に
医学部と工学部に合格したのですが、人と
勤務していたのですが、年間500件を超え
じかに接する仕事に魅力を感じ、親の勧め
る手術を行っていました。手術室で1日を
もあり医学部に進学したのです。
過ごしたこともありますね。専門分化され
○自見 整形外科を選択された理由は。
ていない時代でしたので、麻酔も自分で管
○茂松 整形外科の教授に憧れたからで
理しなければならず、少し疲れてしまった
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というところでしょうか。しかし、勤務医
○茂松 当時、副会長を務めておられた
時代の貴重な経験は私にとって大きな財産
榎光義先生が辞任され、大北昭先生が後を
ですね。開業してからは、紹介した患者さ
継がれました。私は大北先生の後任として
んの手術を病院で一緒にさせていただいた
理事に就任し、救急を担当することとなり
こともあります。
ました。就任した平成13年8月末の翌月、
○阪本 現在も診療を続けておられるの
9月11日にアメリカ同時多発テロが発生し
ですね。
ました。直後に、アメリカの新聞社に炭疽
○茂松 患者さんの反応を直接感じ取れ
菌を送りつけるテロがあり、日本ではこれ
る場所なので、できる限り続けたいと思っ
を模倣した事件が相次ぎました。大阪のア
ています。診療が難しい日は、母校の医局
メリカ大使館にも白い粉が届いた事件が起
で代診の先生を探していただいています。
こり、対応に奔走しました。また、日韓ワ
体制を組んでいただき、 とても心強いで
ールドカップ、ACLSの立ち上げなど、短
す。現場で医療を続け、そこで感じたこと
期間に大きなことがいくつもあり、就任し
を医師会活動に反映させていきたい。椅子
た年はとにかく走り回っ た記憶がありま
に座っているだけでなく、自分も率先して
す。植松先生には2年間徹底的に鍛えてい
しっかり頑張ることで、会員の先生方への
ただき、自分の担当以外の委員会にもでき
理解も広がると信じています。
る限り出席し、たくさん学んで物事を公平
に考えて活動するよう教えられました。組
府医の活動は「医問研」から
織の中で動くとはそういうことだなと感じ
たのを覚えています。
○自見 医療問題研究委員会(医問研)
○阪本 松原謙二・日医副会長とはこの
の1期生とお伺いしています。
頃から一緒に活動されていますね。
○茂松 植松治雄顧問の講演を初めて聞
○茂松 医問研の1期生の時から一緒で
いたのがこの時です。茨木市医師会の理事
した。法学部でも学んでおられるなど、委
に就任した年に医問研が設置され、「勉強
員の中でも異色の経歴で、行政の文書を適
してこい」と委員に送り出していただいた
切に理解できたり、植松先生を質問攻めに
のですが、やはり心惹きつけられるものが
したり、当時から彼一人目立っていました
ありました。当時の委員は現在、郡市区医
(笑)
。 お互い府医理事に就任してから
師会の役員を務めるなど活躍されていま
は、
「反省会」と称して2人で遅くまでよ
す。医師会の中で仕事をしていこうと、み
く飲んでいましたね。今考えてみれば、そ
んな刺激を受けたのだと思います。
れが頭を整理する機会になり、気晴らしに
○阪本 その後、平成13年夏に理事に就
もなっていたのかもしれません。松原先生
任されました。植松先生とは2年間ともに
の存在は、医師会活動を続ける上で、私に
執行部で活動されましたね。
とって大きな刺激になったと思います。帰
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る前に食べるカレーうどんがおいしかった
きましたが、今から思えば、岩手は土地柄
んです。だから体重が減らないんですね。
か、普段から行政との連携が円滑な印象を
受けました。 対策本部へ行っ ても、 自衛
JMATでの医療支援
隊・警察・消防・医師会など、すべての団
体が1つのフロアに集まっていました。熊
○自見 4月に発生した熊本地震では、
本には、4月14日・16日に地震が起こった
JMATの一員として益城町へ行かれたと大
後、21日から3日間の日程でしたが、医療
阪府医ニュースで読みました。東日本大震
の必要な所を探りに行ったような感じでし
災でも活動されていましたが、印象などを
た。熊本市内は意外と車で走ることができ
お聞かせください。
ましたが、益城町へ入ると景色が一変し、
○茂松 先程お話ししましたように、最
倒壊している家屋が多く、活断層の上だけ
初に担当したのが救急でしたので、救急災
が局所的に被害を受けた印象でした。
害医療への関心は高いですね。JMATの一
○阪本 救急を担当されていたことが
員として岩手県大槌町・熊本県益城町に赴
JMATとして現場に参加するきっかけにな
っていますね。
○茂松 そうですね。 災害が発生した
時、何をしなければならないか、どう動く
べきかヲなど、その意識は高かったかも
しれません。
○自見 今後、南海トラフや東海地震な
どの発生も予想されています。
○茂松 大阪は大都市ですから地下街も
多く、その被害は想像もつきません。東日
東日本大震災での医療支援活動
熊本県益城町では巡回診療を中心に活動
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本大震災以降、体制づくりや訓練は進んで
ら、今後は読書の時間を増やしたいと思っ
いますが、まだまだ足りません。しかし、
ています。学生時代は医学部の勉強とスポ
たとえ経験したことがなくてもいざという
ーツが中心の生活でした。人と接する時間
時には対処しなければなりませんから、訓
は多かったのですが、歴史などには少し疎
練を真剣に行うことは大切です。また、府
いですし、今は医学書よりも、医療行政に
医では、災害における外科疾患は直近の医
関する書籍や雑誌を読む方が多いですの
療機関が初期対応することが有効であると
で。
の観点から、24年より「災害・外傷初期診
○自見 医師会の会務は多岐にわたると
療」の研修等を行っています。今後も救急
思いますが、特に力を入れたいことはあり
災害への取り組みを進めてまいります。
ますか。
JMAT活動を通じて医療支援に参加するこ
○茂松 実際に診療する中で、患者さん
とは、近畿圏で発生した時に必ず役立つと
が通いにくい、足が遠のいているなと感じ
思っ ています。「経験させてもらえてい
ることがあります。診療所にかからず、市
る」という意識を持つことも非常に重要で
販薬で済ませてしまう人が増えているとい
す。
う実態もあります。医療介護総合確保推進
法が成立しましたが、医療費抑制はかなり
医師会が「健康弱者」の
思いに応える
厳しくなってきました。
「医療費を増やす
財源はない」とよく言われますが、超高齢
社会において、高齢者にも若い世代にも理
○自見 話は変わりますが、苦手なこと
解が得られるよう対応するには、どうして
はありますか。
も一定の予算は必要です。少しでも配分を
○茂松 そうですね。こう見えて、人前
向けてもらえるよう尽力しなければなりま
で話す時は少し緊張します。日医代議員会
せん。
など大きな会議での質疑もまだ慣れません
○自見 国民皆保険制度は、日本の社会
し、以前、あるテレビ番組に出演させてい
を支えるとても良い制度ですが、国民にと
ただいた時は、1時間半の収録中、服の中
っては少し難しく、その恩恵もあまり理解
は汗でびっしょりでした。当時、司会をさ
されていないように感じます。
れていた、 やしきたかじんさんから「先
○阪本 広報活動を通じて、国民に理解
生、汗かきすぎ!ええ先生紹介しましょう
してもらう努力も必要ですね。
か」って(笑)。
○自見 普段、地域の医師会で活動する
○阪本 意外です。先生でも緊張するこ
中で、行政と連携について話し合う機会が
とがあるのですね。
ありますが、担当者が交代することで、付
○茂松 もちろんです。体は大きいです
き合いにくく感じることがあります。大阪
が、 ナイーブなんですよ(笑)。 それか
府ではいかがですか。
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○茂松 たしかにそのような印象を受け
も多くなりましたね。新しい発想も生まれ
ることもありますね。異動ですから仕方が
やすいのではないですか。
ありませんが、制度の詳細を詰めていく時
○茂松 そうですね。みな熱心です。前
に直接の担当者が交代されることもありま
会長の伯井先生の下で学んだことを私が引
す。
「2025年問題」は、都市部で顕著にな
き継ぐのですから、尊重したいと思ってい
ると言われています。市民・府民の健康に
ます。若いからこそできることもあります
ついて、在るべき姿を医師会から提示し、
から。一方で、諸先輩方が築き上げられた
メリハリを付けながら行政と交渉していき
伝統も大切にしなければなりません。魅力
たいと思います。また、日々の診療の中で
ある医師会にするには、もうひと頑張りし
患者さんからの信頼を得ることが、国民を
なければならないこともあります。
味方につけることにもつながります。医療
○自見 茂松先生が、次世代を担う先生
にかかっておられる「健康弱者」への理解
方を導かれる番ですね。
は得られやすいですが、健康な8割の方に
○茂松 幸運なことに、医師会活動を通
どう伝えていくべきか。シンポジウムや国
じ、たくさんの先輩方から学ばせていただ
民運動に加え、府医で行っている公開討論
きました。特に医問研では医療制度の歴史
会やメディカルカフェ なども活用しなが
を知るきっかけを与えてくれました。日本
ら、地道に活動するしかありません。
の歴史の中で医療がどう捉えられてきたか
○自見 以前に比べ、執行部は若い先生
という経緯を理解しておかなければ、なぜ
第36回 大阪の医療と福祉を考える公開討論会(26年11月15日)
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これほど抑制されるようになったのか、今
度、医師会活動や医師になるということに
後を含めた動向なども把握できなくなりま
ついて伝える機会があればいいなと思って
す。 経済に左右されるようではいけませ
います。授業数が削減される中で難しくな
ん。
「健康弱者に寄り添うのが医師会であ
ってきてはいるのですが、大学の先生方な
る」という、この想いは若い世代にも伝え
どにお願いして講義や講演の時間を取って
ていきたいですね。
もらえればと考えています。
○阪本 先日のウェルカムパーティーに
会員一人ひとりの理解を深める
は、275人の新研修医が参加されました。
医学生や若手医師などに伝えたいこと、頑
○自見 具体的に考えておられることは
張ってほしいことなどはありますか。
ありますか。
○茂松 私達が医学を学んだ頃と比べ
○茂松 医療は、患者さんの視点で考え
て、専門化が進み、習得しなければならな
ることが大事です。在るべき医療の実現の
い知識量が膨大になっています。また、診
ためには、会員からのバックアップが必要
療以外の業務量が増え、じっくりと患者さ
であり、医師会に対する会員の意識向上へ
んに接することが難しくなりつつありま
の努力をしたいと考えています。地域医療
す。このため、医師になってからも、肝心
は、会員の力がなくては成り立ちません。
の患者さんの気持ちを理解することをあと
そして、個々の会員への働きかけには、や
回しにしがちです。人の命と健康を守るの
はり郡市区等医師会の協力が不可欠です。
が医師だという、この原点を忘れずに頑張
そのためには、まず郡市区等医師会へ私達
ってほしいですね。「病は気から」と言い
執行部が足を運び、意見交換できる機会を
ますが、 本当に昔の人はよく言っ たもの
作りたいと思っています。あわせて、5大
で、これだけ医学が進歩しても、医師への
学や病院団体との連携を更に深めていきま
信頼や安心感が病気を回復させるきっかけ
す。
になったりするものです。
○阪本 広報活動や医師会の組織強化に
先日も、JMATで巡回診療した時に被災
ついて、何かお考えはありますか。
者の方から「診ていただけただけで気持ち
○茂松 国民の理解を得るためには、ま
がやわらいだ」とおっしゃっていただきま
ず、会員の理解を得ることがとても重要で
した。そうであるからこそ、我々医師に課
す。そのためには、大阪府医ニュースや会
せられた使命も大きいのです。
報をもっと読んでもらえる媒体にすること
○阪本 最後は、人と人のつながりです
はもちろん、一般会員の先生方に府医の働
ね。患者さんから学ぶこともあるのが医学
きを感じ取ってもらう努力が必要だと思っ
教育です。
ています。また、医学部入学後、卒業前、
医師になった時など、教育の段階である程
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ば、筋はちゃんと通していけると思うので
おわりに
す。それとやはり物事に真摯に取り組む、
ということでしょうか。
○自見 最後に、先生の「茂松茂人」と
○自見 今後の活躍に期待しています。
いうお名前ですが、 一度聞いたら忘れな
食べ過ぎに気を付けて頑張っ てください
い、覚えやすいお名前ですね。
(笑)。
○茂松 ありがとうございます。松が茂
○茂松 茂松執行部はまだ始動したばか
るように人が茂りますように、と付けても
りですが、期待にお応えできるよう、しっ
らったと聞いています。
かり努めてまいります。よろしくお願いい
○阪本 好きな言葉はありますか。
たします。
○茂松 「信念と誠実」です。何事もそ
○阪本 本日はありがとうございまし
うですが、信念を絶対忘れてはいけない。
た。
それさえ見誤らず、誠実に取り組んでいけ
(文責:広報委員会)
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