師団長要望事項 師団長統率方針 第6師団広報紙 明 者 の 捜 索 活 動 、 生 活 支 援 等 の 災 害 派 遣 活 動 を 行 っ た 。 熊本地震災害派遣部隊が任務を完遂 索 現 場 で は 、 第 20 普 通 科 連 南 阿 蘇 村 の 行 方 不 明 者 捜 き 出 し で は 子 供 や お 年 寄 り ま で 歩 い て 確 認 し 設 置 。 炊 設 け れ ば 良 い か を 、 路 地 裏 活 動 す る 隊 員 に 対 し て 応 援 の 多 く の 方 々 か ら 献 身 的 に 活 動 中 、 地 域 住 民 や 全 国 る 事 が 出 来 た と 思 い ま す 。 で は あ り ま す が 元 気 を 届 け 感 謝 の 言 葉 を い た だ き 少 し い ま し た 。 避 難 者 か ら は 、 に 心 を こ め て 給 食 支 援 を 行 元 気 に な っ て も ら え る よ う 避 難 者 の 方 々 が 少 し で も い ま す 。 も 早 い 熊 本 の 復 興 を 祈 っ て す る 事 が で き ま し た 。 一 日 為 に 今 で き る 事 を 考 え 活 動 施 す る と と も に 、 被 災 者 の び 活 動 地 域 の 情 報 収 集 を 実 活 動 し や す い よ う 、 経 路 及 紙面はWebでも ご覧になれます。 伊藤士長 重 迫 撃 砲 中 隊 大 東 士 長 け て 被 災 地 に 入 り 、 部 隊 が 嬉 し い で す 」 と 語 っ た 。 と し て 選 ん で い た だ き 大 変 い き た い と 思 い ま す 。 本 部 管 理 中 隊 捜 索 活 動 や 入 浴 支 援 、 給 水 力 と 地 域 の 特 性 を 踏 ま え 、 部 隊 が そ れ ぞ れ の 持 て る 能 を 収 集 、 そ れ を 基 に 各 隷 下 ど の よ う な 場 所 に 給 水 所 を 豊 富 な 阿 蘇 市 内 に お い て 、 動 、 給 水 所 選 定 は 地 下 水 が り 「 生 活 支 援 隊 」 と し て 活 6 後 方 支 援 連 隊 が 主 体 と な ま た 、 生 活 支 援 等 は 、 第 感 謝 の 言 葉 を 胸 に 任 務 を 終 え 無 事 帰 還 し た 第 め て 、 約 一 ヶ 月 の 災 害 派 遣 み ち の く の 想 い を 胸 に 込 え 、 こ れ か ら も 訓 練 を し て 第 6 施 設 大 隊 内 谷 2 曹 地 域 の 伐 開 等 を 実 施 し た 。 弾 着 区 域 、 既 設 道 路 、 訓 練 場 、 小 火 器 戦 闘 射 場 、 及 び 市 街 地 訓 練 場 、 至 近 距 離 射 出 来 ま し た 。 今 回 優 秀 隊 員 速 な 整 備 を 実 施 す る こ と が か ら の 的 確 な 指 示 に よ り 迅 中 隊 伊 藤 士 長 は 「 小 隊 長 整 備 隊 は 、 第 一 爆 破 訓 練 場 、 と し て 表 彰 さ れ た 重 迫 撃 砲 ら 命 令 下 達 を 受 け た 各 中 隊 整 備 に 参 加 し 、 優 秀 隊 員 ( 副 連 隊 長 ・ 石 川 2 佐 ) か を 完 遂 し た 。 十 九 日 、 22 連 隊 整 備 隊 長 盛 期 に 向 け て 、 所 命 の 任 務 経 験 を 活 か し 次 の 任 務 に 備 る 事 が で き ま し た 。 今 回 の 解 し 淡 々 と こ な し て 行 動 す に 気 を 配 り ま し た 。 疲 れ を 癒 し て も ら え る よ う ど あ り ま し た が 、 少 し で も 方 や 、 好 み の 温 度 が 違 う な 統 一 整 備 」 に 参 加 し た 。 八 年 度 王 城 寺 原 演 習 場 春 季 3 百 名 を も っ て 「 平 成 二 十 か ら 二 十 六 日 の 間 、 隊 員 約 二 瓶 1 佐 ) は 、 四 月 十 九 日 第 22 普 通 科 連 隊 ( 連 隊 長 懸 命 に 整 備 を 行 い 、 訓 練 最 し て お き た い と い う 思 い で る 演 習 場 を 少 し で も 立 派 に 自 分 達 は 修 練 の 道 場 で も あ 派 遣 で 活 動 の 中 、 残 さ れ た 師 団 主 力 が 熊 本 地 震 災 害 の 参 第 難 加 第 第 44 し し 2 1普 さ 、 小 中通 を 部 隊 実 下 長 隊科 連 感 へ と し の し 渡隊 ま 指 て 邉 し 揮 派 曹 た 統 遣 長 が 制 に 、 な 自 が れ し り 分 れ て て 東 、 が て も 、 日 人 浴 入 ら 自 本 そ 場 隊 い 衛 大 れ を し 、 隊 震 ぞ 運 ま 自 の 災 れ 営 し 衛 お の 入 す た 官 風 時 浴 る 。 に 呂 に の 側 今 あ に 被 仕 に 回 こ 入 災 、 練 磨 の 道 場 を 入 念 第に 22 整 普備 通 科 連 隊 技 も 披 露 さ れ た 。 J r 」 に よ る 演 自 分 と し て も 成 長 し た 様 に し て の 「 誇 り 」 を 強 く 感 じ 、 第 6 後 方 支 援 遠連 藤隊 士 長 衛 生 隊 ル ー イ ン パ ル ス 基 地 所 属 の 「 ブ 航 空 自 衛 隊 松 島 初 め て と な る 、 駐 屯 地 と し て は サ ー ト の ほ か 、 る ふ れ あ い コ ン 連 携 し て 偵 察 及 び 地 域 住 民 る と と も に 、 市 対 策 本 部 と 松 陸 将 ) の 一 部 指 揮 下 に 入 中 の 第 4 師 団 ( 師 団 長 ・ 赤 川 陸 将 ) の 下 、 現 地 で 活 動 西 ( 司 令 官 動 を 行 っ た 。 く 丁 寧 に 土 砂 を 払 い 捜 索 活 エ ン ピ や バ ケ ツ を 使 い 素 早 達 は 泥 ま み れ に な り な が ら 害 の 恐 れ も あ っ た が 、 隊 員 堆 積 し 足 場 も 悪 く 、 二 次 災 巡 回 し て ニ ー ズ を 聞 き 取 り 、 と 熱 い 思 い を 語 っ た 。 所 の み な ら ず 地 域 の 住 宅 を し く さ れ 感 動 し て い ま す 」 方 々 に 対 し て も 寄 り 添 っ た と に よ り 、 避 難 し て い な い 生 隊 員 に よ る 問 診 も 行 う こ 必 要 な 救 援 物 資 の 配 布 や 衛 の 大 き な 活 力 と な っ た 。 励 品 は 、 日 々 活 動 す る 隊 員 や 、 各 協 力 諸 団 体 か ら の 激 れ た 多 く の 激 励 メ ッ セ ー ジ ほ か に も 全 国 か ら 寄 せ ら 阿 蘇 市 に 順 次 展 開 し た 第 鎮 6 四 月 十 八 日 、 余 震 が 続 く 路 も 寸 断 さ れ 大 量 の 土 砂 が 代 で 捜 索 を 実 施 。 現 場 は 道 科 隊 が 他 方 面 隊 の 部 隊 と 交 普 通 科 連 隊 及 び 東 北 方 面 特 と 心 を 癒 し た 。 ま た 、 避 難 呂 と 隊 員 の 笑 顔 は 疲 れ た 体 住 民 に と っ て 、 温 か い お 風 れ な 生 活 を 強 い ら れ て い る 水 や 停 電 、 避 難 所 で の 不 慣 浴 支 援 「 花 笠 の 湯 」 で 、 断 第 6 後 支 援 連 隊 補 給 隊 の 入 さ ら に 、 好 評 だ っ た の は い ま す 。 自 衛 官 の 方 々 に 優 る 女 性 は 「 自 衛 隊 に 憧 れ て た 、 花 笠 の 湯 を 利 用 し て い 安 堵 の 表 情 を 浮 か べ た 。 ま り 、 み ち の く か ら の 救 援 に く て 安 心 し ま し た 」 と 、 語 方 々 が 来 て く れ た の が 嬉 し 家 が 宮 城 県 な の で 、 東 北 の 西 方 総 監 ・ 小 師 団 各 部 隊 は 、 J T F 師 団 の 一 部 の 配 属 を 受 け 、 約 二 千 五 百 人 態 勢 の 東 北 方 面 災 害 派 遣 援 を 実 施 し た 。 第 6 師 団 は 掛 川 師 団 長 の 指 揮 の 下 、 東 北 方 面 直 轄 部 隊 及 び 第 9 炊 く な ど 住 民 に 配 慮 し た 支 の た め に 柔 ら か め に ご 飯 を い た だ い た 。 や 感 謝 の 言 葉 、 手 紙 な ど を 宮 城 県 出 身 の 女 性 は 「 実 炊き出したご飯を配布する隊員 感 じ ま す 。 各 人 が 与 え ら れ た 任 務 を 理 か ら の 聞 き 込 み な ど で 情 報 支 援 を 行 っ た 。 子供たちとのふれあい、笑顔を力に 第 44 普 通 科 連 隊 偵 察 バ イ ク で 約 二 日 間 か 所 の 選 定 な ど を 綿 密 に 調 整 え 事 起 6 る に こ 師 。 対 り 団 し う は 、 る 、 万 可 今 全 能 後 の 性 も 態 の 練 勢 あ 磨 を る 無 整 有 限 、 暖かい食事を届けるため、朝早く炊き出しの準備をする隊員 笑顔でお見送りをする隊員 し て 活 動 を 開 始 し た 。 ‐ 隊 、 第 44 普 通 科 連 隊 、 第 21 部 隊 を 編 成 し 、 熊 本 県 阿 蘇 市 及 び 南 阿 蘇 村 な ど に お い て 、 行 方 不 屯 地 太 鼓 部 に よ 第 6 音 楽 隊 、 駐 す る と と も に 、 だ と い う こ と と 、 自 衛 官 と 加 し 、 災 害 派 遣 は 「 実 戦 」 今 回 初 と な る 災 害 派 遣 に 参 す る 自 衛 隊 を 見 て で し た 。 け が 、 東 日 本 大 震 災 で 活 躍 自 衛 隊 に 入 隊 す る き っ か 化 を 感 じ 、 嬉 し か っ た で す 。 る 人 が 増 え て い る こ と に 変 に 比 べ て 笑 顔 で 接 し て く れ 活 動 を 継 続 す る 中 で 、 当 初 確 認 す る こ と が 出 来 ま し た 。 足 り な い か と い う ニ ー ズ を ら い 、 実 際 の 苦 労 話 と 何 が 周 囲 の 被 災 状 況 を 教 え て も 入 浴 に き て く れ た 方 々 に 員 の 一 日 を 紹 介 奏 に あ わ せ た 隊 行 進 、 ら っ ぱ 吹 そ の 後 、 観 閲 弔 砲 を 実 施 し た 。 と F H 70 に よ る す る た め 、 黙 祷 々 へ の 弔 意 を 表 牲 に な ら れ た 方 重 迫 撃 砲 中 隊 國 井 士 長 熊本・大分地震で犠牲になられた方への弔砲 第 20 普 通 科 連 隊 に 思 い ま す 。 と し て 活 動 し た こ と を 誇 り 20 連 隊 が 「 日 本 の 自 衛 隊 」 第 6 後 方 支 援 内連 海隊 3 曹 補 給 隊 震 発 生 に よ り 犠 式 辞 及 び 来 賓 挨 拶 の 後 、 地 い 、 式 典 で は 駐 屯 地 司 令 の 排 し 内 容 を 一 部 変 更 し て 行 難 状 況 等 を 鑑 み 、 祝 賀 色 を に よ る 災 害 派 遣 、 被 害 や 避 県 地 方 で 発 生 し た 熊 本 地 震 日 か ら 十 六 日 に 熊 本 ・ 大 分 今 年 の 行 事 は 、 四 月 十 四 駐 屯 地 を 後 に し た 。 約 九 千 三 百 人 の 来 場 者 は 、 し 、 昨 年 よ り 約 二 千 名 多 い 、 ど 温 か い ご 声 援 、 感 想 を 残 郡 山 で 見 れ て 良 か っ た 」 な r を 一 度 見 て み た か っ た 。 」 、 「 ブ ル ー イ ン パ ル ス J 災 害 派 遣 頑 張 っ て く だ さ い 第 20 普 通 科 連 渡隊 辺 3 曹 熊 本 に 行 っ た こ と に よ り 、 り ま し た が 、 今 回 、 九 州 の 「 郷 土 愛 」 と い う 印 象 が あ つ い て は 、 東 北 で の 震 災 で 派 遣 と な り 、 以 前 の 2 回 に 震 災 、 宮 城 ・ 岩 手 ) の 災 害 今 回 で 3 回 目 ( 東 日 本 大 第 4 中 隊 い を 感 じ ま し た 。 声 を か け て も ら い 、 や り が も 気 持 ち よ か っ た で す 」 と 行 い 「 あ り が と う 」 「 と て く さ ん い る 中 で 入 浴 支 援 を の お 風 呂 に 入 れ な い 方 が た 余 震 が 続 く 中 、 怖 く て 家 補 給 隊 事 を 行 っ た 。 屯 地 創 立 六 十 三 周 年 記 念 行 1 佐 ) は 四 月 二 十 四 日 、 駐 郡 山 駐 屯 地 ( 司 令 福 森 見 せ て く れ て あ り が と う 。 開 放 し て 素 晴 ら し い 行 事 を 遣 中 に も 関 ら ず 、 駐 屯 地 を 訪 れ た 来 場 者 は 「 災 害 派 駐 屯 地 創 立 六 十 三 周 郡年 山記 駐念 屯行 地事 第 6 後 方 支 援 佐連 藤隊 3 曹 多 様 な 任 務 を 遂 行 し つ つ
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