リレー連載 戦略経営の すすめ 第5回

戦略経営ジャーナル Vol. 4, No.2 (July, 2016)
リレー連載
戦略経営 の
すすめ
第5回
方法論から始まり方法論で終わったオランダにおける PhD
横澤 公道
2005 年 10 月、私はオランダの東部に位置するオランダ公立 Twente 大学経営管理学部 PhD コ
ースに入学し、2012 年 3 月に約 6 年間という月日をかけて PhD を取得した。
オランダで博士課程を始めたきっかけは、東ワシントン大学大学院で経営修士号(MBA)を勉
強していた際に、インターナショナルオペレーションズマネジメントを教えていた Harm-Jan
Steenhuis 教授(現在 Hawaii Pacific University、MBA のチェア)に、Twente 大学で博士課程
を始めてみないかと声をかけていただいたことであった。その当時はすでに日本企業から内定が
決まっていたこともあり、色々と悩んだのだが、最終的にオランダに行くことを決断した。
オランダでは二人の教授に指導教官になってもらった。一人目は、私をオランダへと推薦して
くれた Steenhuis 教授で、彼がアメリカから遠隔で日々の指導を行ってくれた。もう一人は
Steenhuis 教授が過去に Twente 大学で博士課程生だった時に彼の指導教授だった Erik J. de
Bruijn 教授(2013 年に退官)であった。de Bruijn 教授は、博士論文の指導はしないものの、
Steenhuis 教授とのアメリカとオランダでのスカイプを通じた遠隔での指導では行き届かない部
分に気を配ってくれ精神的な大きな支えとなってくれた。
オランダの大学の博士課程は、日本と違い単位を取得するというシステムではない。入学初日
に、秘書から博士課程生のための研究室のデスクに案内され、建物の入り口のカードキーを渡さ
© The International Academy of Strategic Management
ISSN:2185-8985
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れただけであった。その後、de Bruijn 教授から、4 年間で博士論文を書き上げること、1 年後に
博士課程を続けられるかの審査があることの 2 点を告げられたのみであった。実際に、博士課程
において取得しなくてはいけない単位も、方法論も専門科目の授業もなかった。別の見方をする
とそれは、途中で挫折したら最終的な学位は修士号ということになる。そういった退路が断たれ、
すべては自分で計画し、ディシプリンをもって 4 年間という時間を自ら管理しなければいけない
という状況での博士課程のスタートであった。
Steenhuis 教授の専門分野と私の調査内容が多少異なっていたこともあり、研究テーマについ
ての理論面に関する指導はあまりしてくれなかったものの、方法論、特に定性研究の方法につい
ては厳しく指導され、また一切の妥協がなかった。存在論、認識論、方法論の三つの哲学的な仮
定から定義される研究パラダイムや帰納法、演繹法といった調査戦略、さらにそこから実験、ア
ンケート調査、アクションリサーチ、グランデッド理論アプローチ、ケーススタディなどの研究
アプローチなどに関連する著書のリストを手渡され、それらの読解と、それらをまとめたディス
カッションペーパーの執筆を求められた。ペーパーを提出してはそれについてアメリカとの時差
がある中で、時間を決めてスカイプを通じて週に数回のペースで議論を行った。
私以外にも、博士課程の学生は、オランダ人をはじめ、ドイツ人、イギリス人、スーダン人、
リビア人、パキスタン人、スペイン人、ポーランド人、韓国人などいたが、それほど方法論に時
間を費やしている学生はいなかった。開始から 1 年もすると同時期に始めた数人は、すでにフィ
ールドにでてデータを集め始めていた。そのような中、専門分野の論文や著書もあまり読まず、
方法論の理解にほぼすべての時間を費やしていたので、さすがに焦り始め Steenhuis 教授に今の
ままでは 4 年間で終えることができないから何とか次のステップに移行したいのだと訴えても彼
は頑として認めてくれず、その後も地道な方法論の理解に時間を費やさざるを得なかった。結局
フィールドにでてデータを集め始めたのは 2 年目半ばになってからのことである。
オランダで PhD を取得するためには、博士論文を執筆したのち、まずは指導教授の審査がある。
それが通ると次に学部が選出したオランダ国内外の外部審査員 3 名(私の場合、スウェーデン人、
オランダ人、日本人教授)から審査を受ける。それが通ると最終的には公開試問(Public defence)
へとなる。公開試問はその名の通り、誰でも入ることができる講堂で、内部・外部審査員から 40
分間の口頭での質問攻めにあい、それに対して自分の理論を守り切らなければいけないという最
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方法論から始まり方法論で終わったオランダにおける PhD
後にして最大のイベントである。40 分間、質問から自分の理論を守り切ることができたら、最終
審査があり通ると晴れて学位の授与式へと移行する。
だが、そのプロセスは簡単には行かず、過去に外部審査員が審査の段階で待ったがかかること
は頻繁にあり、それを確実に通すためには、査読付きの学術論文 5 本を書き上げなければいけな
いという暗黙のルールがあった。私の場合、4 年間のうちの 2 年ほどを方法論に費やしてしまい
残りに 2 年で 5 本の査読付き学術論文を出し博士課程を修了することはほぼ不可能であった。
そのような状況でも妥協しない指導教官のもとで、方法論の基礎を地道に学び続けていくのだ
が、その重要性は、博士課程終盤になるにつれて認識させられることになる。1 年目からフィー
ルド調査を始めた他の博士課程の同期が、集めたデータをもとに論文を執筆する段階に入ると、
方法論的な手順を追っていないため、多くのデータが使えないと初めて気づき滞り始めたのであ
る。博士論文は最終段階になり、数年フィールドで集めたデータが、理論を構築、または実証す
るのに役に立たないとわかってから、再びフィールドにでることは非常に困難であり、挫折する
ものが出てきていた。
そうした中、初期の段階で方法論を学ぶことで、厳密な手順のもと、データを集めることがで
きたおかげで、博士課程の最終段階において論文の執筆を効果的に進めることができた。その段
階でようやく方法論こそが調査の型であり、調査のプロセスであり、学術論文の構成そのもので
あることに気づかされた。
その後 5 つの査読論文を執筆し、それを一冊の博士論文へとまとめるのにはやはり 4 年では終
わらず、6 年という時間を費やしてしまったが、PhD コースを無事修了することができた。博士
課程を振り返り、初期の段階で、方法論を徹底的に叩き込んでくれた Steenhuis 教授の妥協のな
い指導なしには、PhD の取得はなかったとおもう。彼には感謝してもしつくせない。また現在も
研究テーマが博士論文から変わっていく中で、方法論だけは変化しない部分である。そういう意
味でも今もなお博士課程において方法論を深く理解しておくことの重要さを常に認識させられて
いる。
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(執筆者)
横澤公道氏は、横浜国立大学大学院 国際社会科学府・研究院 准教授
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