学校だより 第10号

平成28年7月4日
第10号
日
校長 荒 井 秀 樹
本当の正義とは
アンパンマンが私たちに訴えかける
移動教室のレクリエーション大会。あるクラスでは、アンパンマンの劇を演じていました。そして、毎年夏に
なると日本人が振り返る過去、それは戦争。今年も区内の中学2年生が広島・長崎に平和の旅に出かけます。今
日は、アンパンマンの作者である やなせたかしさん の戦争にまつわるアンパンマン誕生秘話をお話しします。
やなせたかしさん は94歳でお亡くなりになられました。アンパンマンが売れ始めたのは、やかせさんが53
歳の時。いってみれば人生の晩年。それまでは、失意と絶望の連続だったそうです。周りの漫画家たちが売れ始
める。新人にもあっさり追い抜かれていく。
人生に絶望を感じたある晩、やなせさんは凍えた手のひらに懐中電灯の明かりをかざします。すると自分の手
に流れる血管が、ビックリするほど赤く透けて見える。どんなに気持ちがなえようと、絶望に打ちひしがれよう
と、体の中の血管は命を運び続けている。それを見た時に思わず涙が止まらぬほど溢れてきたそうです。そして
生まれた歌が、生命の躍動感を歌った歌、「手のひらに太陽を」です。皆さんもよく知っているあの歌は、この
ようにして生まれたのです。
そんな苦しい生活の中、ある先輩漫画家が やなせさん に声をかけてくれます。「君が落ち込む気持ちはわか
らんではないが、人生は一寸先は光だよ」この時の言葉に、折れかかった気持ちが救われ、やなせさんは、再び
絵本を描き続けます。そしてその絵本に、本当の正義とは何か、というメッセージを込めます。
やなせさんは21歳の頃から5年間、中国で戦争を体験します。戦地に赴くときは、「苦しんでいる中国の人た
ちを助ける正義の戦い」と教えられました。しかし日本の敗戦で戦争が終わると、社会の価値観は一変し、「日
本軍に中国の人々は苦しめられた」と言われるように変わってしまっているのです。
「今まで正義と信じていたものとはいったい何だったのか?」「本当の正義とは何なのか?」
最後にやなせさんがたどりついた答え、それはどんなに苦しい状況にあっても、「ひもじい境遇にある人を助
けることこそ正義である」ということでした。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為こそ
が正義、だから やなせさんが描くアンパンマンは、困っている人に、自分の顔をちぎって食べさせてあげるので
す。その優しさこそが、やなせさんにとっての正義の象徴なのです。
当時は、ウルトラマンや仮面ライダー、「ヒーローは皆強い」というのが世間の常識でした。でも、やなせさ
んが生み出したヒーローは、困っている子どもたちに自分の顔を食べさせてあげる。そしてその度に、自分のパ
ワーをすり減らしてしまう。強くはないかもしれないけれど、優しい気持ちを子どもたちに分け与えていくヒー
ローだったのです。他のヒーローのように強くはないけれど、自らを犠牲にして人を救うヒーローなのです。
しかし世間の大人は、アンパンマンを最初は受け入れませんでした。顔を食べさせるという自己犠牲の描き方
が残酷だというのです。しかし幼い子どもたちは、この優しいヒーローを受け入れるのです。アンパンマンは、
どの保育園や幼稚園でも大人気。やがて大きなブームになっていくのです。アンパンマンの究極の優しさを見抜
いたのは、大人ではなく、子ども達だったのです。
「手のひらに太陽を」の歌詞は、懐中電灯で自分の手のひらを見たあの晩の思いを歌にしたものです。絶望の
中にあって、生きる力を感じさせてくれた思いが、あの歌には込められているのです。
やなせさんの人生に触れながら、アンパンマンを見つめ直すと、単なる子どもの絵本とは思えなくなります。
そして「手のひらに太陽を」という歌も、単なる子どもの歌とは思えなくなります。作者の気持ちに触れた時、
今までとは全然違う作者のメッセージが伝わってきたように思います。
何度も書き直しながらやなせさんが作詞したアンパンマンの歌詞を、皆さんも読み直してください。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
何の為に生まれて 何をして生きるのか
今を生きることで 熱いこころ燃える
たとえ胸の傷が痛んでも
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
だから君は行くんだ微笑んで
見えなかった作者の思いが伝わってくるような気がしませんか?
(この話は放送朝礼で話しました)
太田先生が育児休業に入ります 新たに関先生が着任しました
1年副担人 数学の 太田昌美 先生が6月25日から産前産後及び育児休業に入りました。8月中旬に
出産予定です。元気なお子さんが生まれることを皆で願いましょう。そして、新たに 関友哉 先生が
着任しました。関先生は皆さんとの交流を着任前から深めるために、6月に入って学習指導員として
数学の授業のサポートもしてくれていました。関先生の授業が本格的に始まるのは、期末考査明けか
らになりますが、生徒の皆さんも協力して、楽しい授業の時間を一緒につくりあげていってください。
2年生 富士見高原移動教室 今後の成長につなげて
2年生は、6月15日(水)から2泊3日、板橋区尐年自然の家八ヶ
1 日目 南アルプス北端の入笠山登山
岳荘で富士見高原移動教室を実施しました。梅雨時ということで、天
2 日目 鷹山ファミリー牧場体験学習
候が心配される中の出発となりました。
夜は体育館にてレクレーション大会
初日は、南アルプスの北端に位置する入笠山に上りました。東京を
3
日目
宿舎敷地内にて写生と短歌づくり
出発するときは小雨模様、しかし長野県に近づくにつれて雨も上がり、
無事に登山することができました。思った以上に登山客が多く、入笠
湿原は登山者でにぎわっていました。宿舎に戻り夕食を済ませ、夜は各クラスに分かれて今後の生活についてミ
ーティング、そして残った時間で翌日に予定されているレクの出し物の練習をしました。
2日目は時折、霧雨の降る天候となり、レタスの苗を植える農業体験の予定を変更し、
日本に3台しかないという大型トラクターの乗車体験とバター作り体験にチャレンジしま
した。昼食は、先月まで牧場で育てていたという牛の肉を食するバーベキュー、命をいた
だくということを実感として感じたようです。午後は乳搾り体験、牛舎での体験、山羊と
のふれあい体験など、動物たちとの命と触れ合う時間を過ごしました。夜は体育館でのレ
ク大会。各クラスが工夫を凝らした出し物を披露しました。友達の演技やダンスに大きな歓声が沸き、思った以
上の盛り上がりでした。その後は、全員参加のゲーム大会。レク係の進行で楽しい夜を過ごしました。
3日目は、明るい日差しとともに1日が始まりました。この日は、八ヶ岳荘周辺で、自然の美しさを絵に描き
残し、移動教室の思いを短歌にしました。文化発表会などでお披露目できればと思います。
この3日間で、できたことあるいはできなかったこと、それぞれにたくさんあると思います。そのどちらから
も学ぶべきことがたくさんあるはずです。大切なのは一人一人が3日間を振り返る事です。その中から、変えて
いくべきことやさらに伸ばしていくべきことを見つけ、よりよい自分、よりよい学年づくりに生かしていくこと
が大切です。一人一人にとって、次へとつながる2泊3日になったことを願っています。
中学生 広島・長崎平和の旅
2名の平和大使が広島・長崎へ
板橋区は 1985 年(昭和 60 年)1 月に「平和都市宣言」に伴い、様々な平和記念事業を展開しています。
その一環として、「中学生 広島・長崎平和の旅」は実施されます。“次世代を担う子どもたちに平和の大切さ
を伝えたい…”という思いから、戦後 50 年にあたる 1995 年(平成 7 年)から実施されている事業です。
本校からは、広島平和の旅に 2年2組 星有綾 さん、長崎平和の旅に 2年3組 岡村美喜 さん が代表として
参加します。両名は、事前に課された作文でも、戦争の悲惨さや理不尽さについて語り、改めて平和の尊さを考
え、自分ができることを見つめなおし、平和に寄せる思いを訴えていました。今後は秋に予定される板橋区平和
のつどいや 10 月に行われる文化発表会で、平和の旅で学んだことを、多くの区民の皆様、本校の生徒たちに伝
えていきます。
東京都 学力向上を図るための調査
学習の定着と「読み解く力」の定着をみる調査です
実施対象
中学 2 年生
実施日
平成 28 年 7 月 7 日(木)
調査内容
国数社理英の 5 教科及び生活質問紙
お
知
ら
せ
第 4 回土曜授業プラン(学校公開)
今学期最後の学校公開です。今回は授業の様子をご覧
いただきます。多くの方々の来校をお待ちしています。
実施日
平成 28 年 7 月 16 日(土)
公開時間
1 時間目から 3 時間目 各教室
表彰 栄誉をたたえる
第 49 回 板橋区立中学校総合体育大会
野 球 部
準優勝 (都大会出場権を競うためブロック大会出場)
ソフトテニス部
個人戦
5位 3 年 中村友香、佐藤南櫻 ペア
(都大会出場決定)
卓 球 部
個人戦シングルス ベスト 8
2 年 山崎里桜
(2 年 山崎里桜 及び 2 年 阿部真琴が都大会出場権獲得)
第 4 ブロック夏季大会
剣 道 部
女子の部 団体 第 3 位
(3 年 田中楓 本大会の結果 都大会出場権獲得)