湯川記念財団・木村利栄理論物理学賞記念講演 於京都大学基礎物理学研究所 2011年1月19日 量子重力理論とホログラフィー原理 高柳 匡 東京大学数物連携宇宙研究機構 (IPMU) 内容 ① ② ③ ④ ホログラフィー原理とは ホログラフィーの最も簡単な例: 2次元超弦理論とタキオン場 ホログラフィーとエンタングルメント:量子情報の幾何学化 結論と今後の展望 ① ホログラフィー原理とは 重力理論の量子化(量子重力理論)は、理論物理の最大の 問題の一つ。理論的な興味のみならず、たとえば、宇宙がビッ クバンなどを通してどのように無から生まれたか理解する上で 必要不可欠。 量子重力理論の最有力候補 ⇒ 超弦理論 (Superstring) 成功例: ブラックホールのエントロピーの微視的導出 [Strominger-Vafa 96’,…] この時、超対称性が重要な役割 ⇒ 静的(Static) な背景 しかしながら、現在でも時間に依存する(ダイナミカルな)時空 の超弦理論による記述は、特別な例を除いてよく理解されてい ない。例えば、宇宙創成や、ドジッター時空の量子重力理論が どのようなものか分かっていない。 この理由は、 (1) 超弦理論が非摂動的に定式化されていない。 (2) 超弦理論の摂動計算も、曲がった時空では、技術的に困難。 この問題点を大きく改善するアイデアが、ホログラフィー原理で ある。これを用いると、量子重力の計算を我々のよく知っている 量子多体系の計算に置き換えることができると期待される。 ホログラフィー原理とは 重力理論において、多くの物質を十分小さな空間に詰め込んで 行くと、ある質量に達したところで重力崩壊してブラックホール になる。 大量の物質 ブラックホール 地平線 ブラックホールは、その中の状態を外にいる観測者が知ること ができない。光ですら、地平線から外に出ることが不可能。 ブラックホールの内部には隠された情報がある。 =ブラックホールのエントロピー ブラックホールのエントロピーは、Bekenstein-Hawkingの 面積公式で与えられる。(熱力学とのアナロジー) S BH Area(地平線) 4G N このような考察から、重力理論において、与えられた領域A内の エントロピーの上限が、 Area( A) S ( A) 4G N と求められる。(∂Aは、Aの境界部分) この不等式をエントロピーバウンドと呼ぶ。(Boussoバウンド) 従って重力理論では、ある領域内のエントロピーは、高々表面積 に比例する。 cf. 場の量子論、もっと一般に量子多体系では、エント ロピーは体積に比例する。 重力理論の自由度は、体積ではなく、面積に比例する。 このようにしてホログラフィー原理が提案された。[‘t Hooft 93’, Susskind 94’] M d 1 Boundary ホログラフィー原理 (d+2)次元の(量子)重力理論 on M = (d+1)次元の非重力理論 (~量子多体系) on ∂M M d 2 Bulk 非摂動的に定義された 計算可能な理論 超弦理論におけるホログラフィー このように、ホログラフィー原理は、量子重力の非摂動的な定 式化を与えると期待される。その具体的な例は、超弦理論の 様々な場合を考察することで得られる。超弦理論においては、 ホログラフィー = 開弦と閉弦の双対性(の極限) open-closed duality と解釈される。 開弦 ⇒ ゲージ理論 (非重力) 閉弦 ⇒ 重力理論 Dpブレイン N枚 =(p+1)次元の とても重い板 閉弦 ブレインを重力理論の背景 と思う=時空が曲がる さらに、ブレイン近傍を拡大 ブレイン上の 低エネルギー有効理論 開弦 (p+1)次元のSU(N)ゲージ理論 = 曲がった空間における 超弦理論 ② ホログラフィーの最も簡単な例: 2次元超弦理論 ホログラフィーの成り立つ最も簡単な例は、時空の次元が2次 元の超弦理論である。2次元では、重力がダイナミカルではな いが、他にスカラー場なども付随するので、全体としてダイナミ クスを持った系になる。 この理論は、2次元Type 0超弦理論と呼ばれ、非摂動的に安 定で、厳密に解けるダイナミカルな量子重力理論として貴重な 模型である。このホログラフィック双対は、行列量子力学で与え られる。 [Toumbas-高柳 03’, Douglas-Klebanov-Kutasov-Maldacena-Martinec-Seiberg 03’] 2次元Type 0超弦理論 通常、超弦理論の時空の次元(臨界次元)は、10次元である。 しかし、ディラトンを空間座標に依存させる(linear dilaton)と臨 界次元を変わる。非臨界弦理論とも呼ぶ。[Polyakov81’…] 世界面の超対称性N=1を仮定する( cˆ 1 String とも呼ばれる)。 弦の世界面上の場: ( X , ) cˆ 1 ( , ) cˆ 9 時間方向 空間方向 (リュービル理論) 0 0 1 弦理論の結合定数: g s e 2 が大きいと発散して しまう。 そこでリュービルポテンシャルを導入して次の世界面の作用を 考える。 1 2 2 S dz d [ D D e ]. 2 波は反射される 弱結合 ポテンシャルの壁 φ 強結合 GSO projectionの取り方で、Type 0AとType0Bの二種類の超弦 理論が定義できる。それぞれのmassless場は以下の通り。 Type 0A 理論 NSNS セクター: NS RRセクター : (C(1) , C( 2) ) ⇒ massless スカラー場 ⇒ 2種類のRRベクトル場 (ダイナミカルな自由度なし) Type 0B 理論 NSNS セクター: NS RRセクター : R ⇒ massless スカラー場 ⇒ RR スカラー場 両者は、T-dualityで関係付き、以下では主に0B理論を考える。 ホログラフィック双対:Type0B行列模型 (1+1)次元のType0超弦理論=(0+1)次元の‘ゲージ理論’ (行列模型) S 0 B dt Tr ( Dt M ) U (M ) , 2 行列M (t )は、 N Nのエルミート行列であ る。 共変微分を、 Dt M t M i[ At , M ], とすると、 U ( N )ゲージ対称性 : M gMg 1 を有する。 また、特にポテンシャ ルは、次のようにとる : U ( M ) M 2 逆調和振動子型 (0 A理論は、 Mを複素行列として、 U ( N1 ) U ( N2 )ゲージ対称性。) ゲージ対称性を用いて、Mを対角化する。 gMg 1 1 2 n この時、N粒子の自由なフェルミオン系と等価になる。 2 H i 1 U (i ) , i ( , ,...., ) ( ) 1 2 N i j i j 従って、非摂動的に厳密に解くことができる。 N 自由な多体フェルミオン系なので、フェルミ面ができる。 フェルミ面上の波の散乱振幅=2次元超弦理論のS行列 が確かめられる。 E スカラー場= フェルミ面上の波 E フェルミ面 cf. 2次元Bosonic弦理論 ⇒ 非摂動的に不安定 ホログラフィーとタキオン場 では、タイプゼロ行列模型は、どのように超弦理論のホログラフィー から理解できるだろうか? タイプゼロ行列模型 = N個のD0ブレイン と解釈できる! 一般に、超弦理論には通常の安定なDブレインのほかに 不安定なDブレイン(brane-antibraneとnon-BPS brane)が存在する。 2次元のType0B超弦理論のD0ブレインも、不安定ブレインである。 そのようなDブレイン上には、タキオン場Tが存在し、有効作用には、 タキオンポテンシャルU(T)が存在する。 [bosonic 2D string: Mcgreevy-Verlinde 03’] 1 2 U (T ) ' T . 2 ⇒Type 0 行列模型 タキオン凝縮 U (T ) 不安定なブレイン タキオン凝縮による崩壊 (Rolling Tachyon) T ブレインが消滅 して真空になる 通常の10次元の超弦理論でも不安定なブレインは存在する。その場合のタ キオン凝縮は、時間に依存する背景で実際に解析できる系として貴重であ り、宇宙論(インフレーション)への応用も行われてきた。 タキオン場有効作用の計算: Sen-Zwiebach 99’ (Cubic SFT) Kutasov-Marino-Moore 00’ (non-BPS D-brane BSFT) 寺嶋-上杉-高柳 00’ (brane-antibrane BSFT) Rolling Tachyon: Sen 02’ (Open String) Strominger-高柳 03’ (Closed String) ③ ホログラフィーとエンタングルメント:量子情報の幾何学化 2次元量子重力のホログラフィーは、厳密に解析できるので理 想的だが、トイ・モデルである。現実的には、より高次元の ホログラフィーが必要。 その代表的な例が、超弦理論におけるAdS/CFT対応である。 Type IIB超弦理論におけるD3ブレインを考える。[Maldacena 97’] 開弦 N D3 4次元 N=4 超対称性ゲージ理論 ⇒ 共形場理論(CFT) 等価 閉弦 5 AdS S Type IIB 超弦理論 on 5 AdS/CFT (d+2)次元反ドジッター(AdS) 空間上の(量子)重力理論 (d+1)次元空間上の 共形場理論(CFT) (ラージN ゲージ理論) dz 2 dt 2 i 1 dxi2 d 2 2 R AdS空間: ds AdS ( d 2) AdS 境界 UV cutoff z>a z 2 . AdS空間 z 長さのスケール UV ⇒ (繰りこみ群) ⇒ IR ホログラフィーで最も重要な点は、二つの等価の理論で、次元 が変わることである。そこで次のような疑問が生じる。 Question (d+1)次元の共形場理論のある領域Aの情報は、 (d+2)次元のAdS重力理論のどの部分に対応するのか? A ? 議論を明確にするために、次のような量を考える。 空間をAとBに分けたとする。そのとき、観測者は、Bに関する情 報を得ることができないとする。その場合に、生じる情報の不確 定性は、エントロピーとして見積もれる。 このようなエントロピーは、量子多体系において、 エンタングルメント・エントロピーと呼ばれる。 H H A HB S A Tr[ A log A ], A Tr B [ tot ] . B A CFTの時間一定面 簡単な例 : スピン1/2を持つ二つの粒子系(2 qubit) 1 (i) A 2 A B B Not Entangled ? ? (ii) A ? B A B / S A 0. 2 Entangled SA log 2 エンタングルメント・エントロピーの面積則 場の理論は、無限の自由度を有するので、幾何学的エントロ ピーは紫外発散する。そのとき、最高次の項に関して次の 面積則が知られている(aは正規化のための格子間隔)。 Area(A) ( d 3) SA ~ O(a ). d 1 a [Bombelli-Koul-Lee-Sorkin 86’, Srednicki 93’] これはブラックホールのエントロピーの面積則に似ている。 地平線 BH ?? 観測者 重力理論的な解釈が あるのでは。 ホログラフィック・エンタングルメントエントロピー [笠-高柳 06’] 漸近的にAdSd+2に近づく空間 UV固定点を持つd+1次元の場の理論 この場合には、 Area( A ) SA . ( d 2) 4GN ここで、 A は、d+2次元時空中のd次元の最小曲面 で、境界が部分系Aの境界と一致するもの。 (時間方向を省略した) N B 最小曲面 A A AdSd 2 (Poincare座標) z 直感的解釈 B ??? A A 観測者 A があたかもブラックホールのホライズンであるかのよう に振る舞い、Bの情報を中に隠している。 コメント 幾何学的エントロピーの面積則の導出は、この公式を用いると とても容易である。 Area( A ) Area( A ) ~ R ....... d 1 a A A d なぜならば、AdSの計量は、境界付近(紫外領域)で発散する からである。 具体的計算 d+2次元のAdS空間の場合に、ホログラフィックな公式を用いると、 次の2つの場合にエントロピーを解析的に計算できる。 (a) 帯状 Ld 1 A (b) 球殻 B l A A B l 面積則の紫外発散 球殻の場合 d 3 l d 1 l SA p p 1 3 ( d 2) 2GN (d / 2) a a d /2Rd l pd 1 a pd (if d even) 2 p l q log l (if d odd) d 2 a a , where p1 (d 1) 1 , p3 (d 2) /[2(d 3)],.... ..... q (1) ( d 1) / 2 (d 2)!! /(d 1)!! カットオフに依らない定数 奇数次元の共形場理論の自由度 c関数として性質を有す [Sinha-Myers 10’] . セントラルチャージに比例 4D CFT の計算との 一致が最近 確かめられた。 [Theisen et.al. 09’, Casini et.al., Solodukhin 10’] 閉じ込め・非閉じ込め相転移への応用 IRで閉じ込めが起こるゲージ理論の重力双対を考える。その 一つ良い例は、AdSソリトンと呼ばれる背景であり、PureなSU(N)ゲージ 理論と(近似的に)AdS/CFTによって双対になることが知られている。 その背景でエンタングルメント・エントロピーを考えてみる。[Witten 98’] AdS Soliton IR z B A Cap off: Mass gap UV l 最小曲面 2種類の最小曲面が競合するので相転移が起こる。 [西岡-高柳 06’, Klebanov-Kutasov-Murugan 07’] r=r0 Sfinite l l Disconnected Surfaces 閉じ込め・非閉じ込め 相転移 Minimal Surface l 格子ゲージ理論の結果(4次元YM) [SU(3): Nakagawa-Nakamura-Motoki-Zakharov 0911.2596] 相転移 [SU(2): Buividovich-Polikarpov 0802.4247] 相転移 [See for other calculations of EE in lattice gauge theory: Velytsky 0801.4111, 0809.4502; Buividovich-Polikarpov 0806.3376, 0811.3824] 最近の話題:強結合系の熱化現象への応用 量子多体系を励起した場合に起こる熱化現象は、相互作用が重要なので、 直接的な解析は困難。しかしAdS/CFT対応を用いると、ブラックホールの生 成過程として古典的に記述することができる。 エンタングルメント・エントロピー = 粗視化したエントロピー = 生成されたブラックホールの大きさ [宇賀神-高柳 10’] Vaidya時空を用いた解析 ds 2 (r 2 m(v))dv 2 2drdv r 2 dx 2 m(v) SA v t* Linear growth 時 間 発 展 t [Arrastia-Aparicio-Lopez 10’ (also Albash-Johnson 10’, de Boer et.al 10’)] BH 実空間繰りこみ群(Entanglement Renormalization)とAdS/CFT [Vidal et.al. 06’ Swingle 09’] 粗視化 一次元空間 エンタングルメント・ エントロピーの計算 ④ 結論と今後の展望 • ホログラフィー原理は、現在でも理解されていないの量子重力の問 題を解決する上で、最も重要な鍵となると期待される。 • ホログラフィーの最もシンプルな例が、2次元Type0超弦理論の行列 模型による記述である。低次元であるが、非摂動的に安定で厳密に 解ける貴重な模型である。量子重力のダイナミクスも計算されてきた。 • 2次元超弦理論では、ダイナミカルに系を励起してもブラックホール は生成されない。しかし、2次元超重力理論の近似では生成する ことが知られている[CGHS BH 92’]。 ⇒行列量子力学が可解系だからか? 弦理論の補正がとても大きいので超重力理論を信頼できない。 [最近の 3 dim. SL(n) Chern-Simons + matter ⇔ 2D W-minimal model ではどう か? Gaberdiel-Gopakumar 10’] • エンタングルメント・エントロピー(EE)は、AdS/CFTのような高次元の ホログラフィーにおいて、量子多体系の量子情報がどのように重 力背景に蓄積されているか明らかにする。 • またEEは、物性物理でも最近、重要な役割を果たし、盛んに研究 されている。我々のホログラフィックな計算は、強結合の量子凝縮 系におけるエンタングルメント・エントロピーに対して強力な予言を 与える。 • AdS/CFTよりも一般のホログラフィーを理解する上でも役に立つ。 例えば、平坦な時空の重力に関してホログラフィーが成り立つと すると、それと双対な非重力理論は、非局所的な場の理論になり、 基底状態が強くエンタングルしていることが分かる。 [李-高柳 10’] 今後の展望 (1) ドジッター時空や初期宇宙のホログラフィー ⇒エンタングルメント・エントロピーでプローブ? 行列量子力学におけるアナロジー? (2)ブラックホールの情報問題の解決 ⇒ブラックホールと輻射の量子エンタングルメント? (3)AdS/CFT対応の物性物理への応用 ⇒ランダム系の記述? ご清聴どうもありがとうございました。 エンタングルメント・エントロピーの基本的性質 (i) Aと Bの間に相互作用がなく独立 (ii) 全体系が純粋状態の場合 S A SB 0 . S A SB . 熱力学エントロピーと違って示量的ではない! (iii) 有限温度では、一般に S A SB である。 特に高温極限では、 S A S B 熱力学的エントロピー (iv) 強劣加法性(Strong Subadditivity) [Lieb-Ruskai 73’ ; See also Nielsen-Chuang’ text book 00’] S A B C S B S A B S B C . ある種の凸性(Concavity)を表す C B A コメント(3) 強劣加法性のAdS/CFTによる証明 [07’ Headrick-TT, 06’ Hirata-TT] A B C A = B C A B A B C A = B C A B C C S A B S B C S A B C S B S A B S B C S A S C この証明で明らかなように、余次元が重要な役割をする。 強劣加法性は、一般の量子多体系のホログラフィーの存在を示唆する。
© Copyright 2024 ExpyDoc