会計研究のアンビバレンス -たかが会計、されど会計- 石川純治 平成16年1月14日 慶應義塾大学 0 ■はじめに アンビバレンスの道に 慶応の会計学徒になにかお話を 講話ごとき高尚な話などできない、また性分でもない 慶応ご退任にあたりお断りできなくなった そのツケが退任の花道にというプレッシャー ! どういう題目でお話しするか 最初は、学問ならず「雑学のすすめ-私の研究遍歴-」 だが、「遍歴」するほどの研究人生でもない さて? 1 そこで、「会計研究のアンビバレンス-たかが会計、 されど会計-」 この道に入って、ことある毎に生じてくる葛藤にぴったり アンビバレンス…同一対象に対して作用する全く相反す る感情の併存、両者の間の激しい揺れ 平たく言えば、「愛と憎しみ」の同居 会計学は一生の学問研究に値するか? 会計研究の動機付けのむつかしさ だが、ある「出会い」、「契機」で このアンビバレンスの道に 2 今となっては、「たかが会計、されど会計」 「たかが会計」と割り切れば、それでいい 切実な問題は「されど会計」、これがむつかしい どこに折り合いをつけるか、今でも揺れている わずかばかりの研究および教育を振り返って 以下、思いつくまま 雑多なことを 3 1)アイジリとの出会い-大学院・実務補修時代- 昭和49年(院生のとき)、実務補修所の講師からア メリカのアイジリ教授の話 そもそも「イジリ」の名前を知る印象深い出来事 同時に、日本のアカデミズムの偏狭さを知る。 『計数管理の基礎』(1970年)を見つける 会計と数学の融合をみてあっと驚く! 会計書に、最初の「されど会計」をみる。 『会計測定の基礎』(1968年)に出合う 公理的方法に新鮮さと知的好奇心 会計にこんな研究があるのか、感動! 4 さらに『会計測定の理論』(1976年)が出版 修士論文をベースに「井尻理論の方法と対象」を院生とし て学会発表(昭和55年5月の第39回大会、創価大学) 朝一番、杖をついて前列で真摯に聞いてくれた老人 雑誌「会計」に掲載(昭和56年4月) 「対象と方法」ではなく、「方法と対象」 「方法」が対象をどう切り取るか、その規定関係を強調 さらに、会計の「全体」をどう捉えるかという問題意識 今読んでも、そこでの問題意識が今日にも 5 他方で、会計研究ではなく ベルタランフィーなどの「一般システム理論」、チェンの 「データベース理論」(実体・関係モデル)に熱中、 後日、同じデータベースのリレーショナル言語(QBE言 語)を使った研究者(マッカーシー)に会いにミシガン州 立大学へ。最初のアメリカ訪問。 統計学に関心。 私の博士課程の時代は自由でのんきな時代 会計士補(実務)と大学院生(研究)との2足の草鞋。 この6年間の時代に、3つの井尻作品に出会う! 6 2)実学と虚学のはざまで -OR、最初の単著- 福岡大学での講義科目はオペレーションズ・リ サーチ(OR) 最初のテキスト『経営数学とオペレーションズ・リ サーチ』(1984年) ゼミでは多変量解析の経営・経済分析への応用 会計学は授業なし-幸せな時代。 日本OR学会に所属 毎年、学会発表。 後日、最初の単著『情報評価の基礎理論』(1988年) 7 最初の著作が会計書ではなかった! 私の「会計研究のアンビバレンス」を象徴 ちなみに、日経図書文化賞の最終選考で「会計学の 領域を超えたものであり…」と評され、落選! OR学は実学と虚学のはざま 実学のようで虚学の色彩が強い。 実学の数学的研究への“最初のアンビバレン ス” のちに、同じく会計研究にいだくことになる。 8 3)カーネギーメロン大学で -井尻先生の人間に触れる- 1989年、カーネギーメロン大学に ここでの1年間は、研究よりも井尻先生の人間に触 れたことが一番 井尻先生の影響のポートフォリオ ポートフォリオに2つあこがれがある。これでたいて いカバーできる。 ファウストの好きな言葉:「かれは天上のいちばん 美しい星を取ろうとしているかと思うと、大地のもっ とも深いたのしみをも極めたいと考えています」 実践的なことにも興味があるし、また非常に抽象的 なことにも興味がある。 9 ちなみに、「人間井尻」の一端 厳しさのなかにある暖かさ 志しの高さと腰の低さ 人へのわけへだてのない接し方 こまやかな気配りと子供のような心の純粋さ 凡人のものさしでは通用しない「人間井尻」 てぶらのスマートさ 先送りしない決め方の速さ 一度会うと誰も“井尻ファン”に 10 4)畠中・木村との出会い -日本の古典的作品の現代的意義- 畠中福一『勘定理論研究』(1932年) 大学院時代に日本の古典的研究書にはじめて出 会った会計書 ほとんど一睡もせず一気に最後まで。その感動 の出所は? 社会科学としての複式簿記 これが若干26才で逝去した人の作品か 時代を超えて、人の才能というもの 11 木村和三郎『科学としての会計』(1972年) 日本の古典的作品という点で、どうしても触 れなければならない 日本の会計アカデミズムの1つの財産 たんなる過去の遺産にとどめるべきでない! その現代的接点を その一例 有価証券の会計問題 40年も前の論文の一節 12 「会計学においては、有価証券の評価問題 については、いまなお全く完全に解決 せられていない。…平均利潤/平均利 子の分数式によって示される有価証券 の価格は、商品の費用価格、有形固定 資産の費用価格とは全く別のもので あって、これを貸借対照表上どうして 示すかが、未解決のままになってい る」 (木村[1972]260頁) 13 有価証券の価格 商品の費用価格、有形固定資産の費用価 格とはまったく別のもの 有価証券の価格本質論からする会計評価 の問題 この先見性の源泉は? 会計学的範疇だけでは、そうした先見性 や洞察力は生まれてこない 14 木村は理論だけでなく、その生き方にも 「ワーさん」の愛称で親しまれ、その講義は「漫談」で大 勢の学生を沸かせた木村、だが 『商大事件』(1943年)に連座され、大学を追われる。 このことを知る人は、今や学界でも少なくなった。 この木村の生き様とオーバラップする人物 中国会計学会の創設者のひとり、学界の重鎮であった 伝説的人物、婁爾行 激動の中国史のなかで、ひとりの会計学者・教育者が 翻弄され悩みながら生きていくその姿 拙稿「婁爾行と中国会計研究の歩み」 15 ふたりの学者に共通するもの ともに大学を一時期追われ仕事を剥奪 「真摯な」学者態度 「自由を希求」する 制度的な「自由」が保証され、それが当たり前の 今日 「自由」な時代であるがゆえに、今日の研究者にとっ てあらためて考えさせられるテーマ 木村の日誌の一端、その命がけの生き方に身の引 き締まる思い 16 木村のラストレッスン 「退職のことは一言も触れず、又学生も何も聞 かず、平々として水の如し。却って気持ちよし。 時間一パイの話をして退職の挨拶すらも為すこ となし。ラストレッスンとはいうものの常の如くで あった。却ってよかった。しかし正直のところ、学 生に講義するのは満喫した。停年までこのよう なことは続けられないと感じた。さすれば、何れ は退くことになるのである。恩給に未練もない。 …本を離れるのは実に辛い。もっと読んでおくべ きであったと自らの不勉強を責め、慚愧此の上 なし」 (1943年12月23日の日誌より) 17 5)岩田の現代的接点 ー利潤計算原理と2つの財産法- 現代的接点を探るという点でもう一人 岩田巌『利潤計算原理』(1956年) 大学院時代に輪読のかたちで 今日の収益・費用観と資産・負債観の関係 今日的会計問題のルーツは資産・負債観の台頭 わが国の古典の眼を通して見るとどうか 冷静な視点と研究態度が大切 18 損益法と財産法の理論的関係 今日の英米流の費用収益観と資産負債観との関 係を考察する上で1つの理論的視点 2元的利潤計算原理-2つの財産法- 損益法 2元的利潤計算原理 動態論(動態論的財産法):損益法と コンパティブル 財産法 静態論:損益法とインコンパティブル 19 静態論での財産法 貸借対照表に求められる目的は利益計算が第一 義的ではない。→今日のいわゆる資産・負債観 にもいえる。 ただ、今日、財務リスクの開示といったように、 貸借対照表に求められるものが静態論の時代と 異なっている。 とはいえ、今日の資産・負債観に通じている。 利益計算が第一義的ではないという点 貸借対照表が中心になる点、 20 6)若い人たちの研究スタイル-プロ フェッショナル会計学の偏重・追随でいいか- 今日、若い人たちがあまり古典を読まなくなった。 FASBやIASBだけが会計研究ではないはず 古典を読むゆとりがなくなった 古典など役に立たないといった功利的考えも 『福翁自伝』の一節:敵塾の書生について 「兎に角に当時緒方の書生は、十中の七、八、 目的なしに苦学した者であるが、その目的のな かったのが却って仕合で、…今日の書生にして も余り学問を勉強すると同時に終始我身の行く 先ばかり考えているようでは、修行は出来なか ろうと思う」 21 慶應での院生大会(2001年9月)に参加 そこでの報告にも英米中心の研究スタイルの傾向 もっと無骨でもいいので、古典をふまえた研究が ちなみに、論理の力や理論性があまりはばをきかさ ない分野→学界や研究者集団がステイタス主義や ブランド主義あるいは徒党主義に陥りがち ちなみに、カーネギーメロン大学とピッツバーグ 大学のPh.Dの学生たち シュマーレンバッハの名前は ? 誰もその名前の誰かも知らない、驚いた! これがアメリカだ! 22 太田哲三の一節は、1つの警鐘 「…英国の学風がさかんであれば無批判にこれを採入 れ、次いでドイツの学派が輸入されれば多くの学者が それに傾倒する。米国の学風が流行すれば、米国に おける末梢的な問題までが日本の雑誌論文の課題と なって宣伝されるのである。…後進の学徒が研究補足 し、すぐれた学問に発展させることが必要である」(岩 田[1956]の序文) 今日においても本質的に依然として変わっていない。 それどころか、今日的状況のなかその傾向はむしろ強 められている。 23 7)笠井理論との出会い -「徹底的に考えぬく」ということ- 太田の警鐘:「後進の学徒が研究補足し、すぐ れた学問に発展させることが必要である」 この数少ない作品が笠井理論 理論の継承 今日、ほとんど言われなくなった! 山桝理論の継承、そのいっそうの現代的展開 「笠井理論の学説的意義」(『三田商学研究』第42巻 第4号) 「山桝の衣鉢」 :『会計の論理』の書評の冒頭 24 笠井理論の特徴を1つだけ、と聞かれれば 「徹底的に考えぬく」ということ 「先生は、長時間をかけてきわめて用意周到に 構想を練り上げ、そのうえで一気呵成に草稿を 仕上げるタイプだったのではないか、…いずれ にせよ、先生が草稿をものにされるまでには、 熟柿がじねんに落ちる時のように、長い沈潜の 過程が先行していたことだけはたしかである」 (『三田商学研究』第29巻特別号(山桝先生追悼号)、1987年、笠 井論文の追記) ここで「先生」とは? 25 1990年(平成2年2月15日)、大著『会計統合の 系譜』をいただく 笠井理論との出会いと、40回にもおよぶ往復書簡 この著者とは不用意にはお目にかかれない 「時と場所」を慎重に 余談話: 安平昭二先生の“ありがた迷惑” 簿記学会全国大会(1994年9月、大阪学院大学) での懇親会 お目にかかれる時期でないと躊躇する私を無理 やり紹介 何か、“お見合い”(?)のような出会い 26 8)「全体」を志向するということ -いかに自分を得心させるか- 『会計の論理』の序文 3点に集約 「どのような方向で自分を得心させるか」 それこそきわめて得心するこころ、感銘するところ ①真理は全体 ②比較することは理解すること ③会計のことは会計に聞け 常に「全体」を志向することの大切さ こうした全体志向性がないとむしろ不安である 今日、ピースミルな部分論に終始する議論が多い だけに重要な点 27 「全体」をつかまえよ! 全体観をもつことの大切さ 特定のトピックを理解するには:全体との位置関係 例1:金融商品会計の学習 他の資産(実物資産)会計との関連 例2:キャッシュ・フロー計算書の学習 3つの基本財務諸表の相互関係 (拙著『キャッシュ・フロー簿記会計論』) 28 例1:資産評価の全体(その1) ●販売用資産 製品・商品 販売用不動産 含み損処理(2001年3月期) ●回収資産 売掛債権 金融商品会計 ●運用資産 貸付金、有価証券 投資不動産 ●事業用資産 固定資産 (2001年3月期) 公正価値会計 時価評価 減損会計(2003年3月期→2006年予定) 例1:費用性資産と金融資産(その 2) -2つの計算枠組み- 〈対象資産〉 〈損益認識〉 棚卸資産 LIFO,FIFO 低価評価損など 〈その枠組み〉 〈測定の属性〉 固定資産 減価償却 減損 ① 有用原価の繰越 ② 維持資本の修正 原価・配分スキーム 購入額系統 金融資産 時価変動損益 時価・変動損益スキーム 収入額系統 論争に耐えうる論点を 今日、アカデミズムでは論争がほとんどみられない 今なお進化をとげている笠井理論 特に注目すべき論点を2つだけ その1:有価証券の評価損益本質論 「実現可能説」に代表される通説(擬似売却説)批判の 論拠 その2:入帳記帳の論理 有力説である「主観のれん説」批判の1つの論拠 31 ちなみに、「主観のれん説」の問題点を2つ 評価損益をキャッシュフローの配分としての実 現損益と捉える点 将来不確実なキャッシュフローに事前の配分ルー ルは妥当しない 評価損益を名目資本維持による全体利益の期 間配分とみる点、 全体の配分損益というより、より“完結”した損益 32 9)会計学とモデル・構造 -複式簿記のサイエンス- 会計学の本を書くの難しい! 最初の著書のときのようなモデル作りになじまない モデル作りあげるという点で骨折りの分野 拙著『キャッシュ・フロー簿記会計論』(1996年) 複式簿記の同型性と相対性 比較的、自分なりの「モデル」を見せ得た著作か 2つの複式簿記 3つの基本財務諸表の動的相互関係のモデル化 3つの基本財務諸表を誘導する簿記システムのモデ ル化 33 2つの複式簿記とその結合:同型性と相対性 Ⅲ ①損益計算書 ②貸借対照表 Ⅰ Ⅱ ③キャッシュフロー計算書 34 例2:3つの基本財務諸表の統合 (Ⅰ )在 高 勘 定 資産 C NC 現預金 ① 期首残高(B/S) #1 #2 #3 #4 #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 期中合計 合計試算表 残高試算表 振替 ② 期末残高(B/S) (Ⅲ )収 支 勘 定 30 売掛金 商品 建物備品 減償累計 買掛金 20 125 給与支払 他費用支払 売掛金回収 買掛金支払 社債収入 建物等支払 負債 L 40 70 -60 100 -30 30 70 持分 K 未払給与 引当金 0 10 Π 社債 資本金 0 留保利益 100 20 65 商品販売益 -15 給与 -10 その他費用 -15 -10 90 -50 100 -125 -90 -50 100 125 -10 5 -10 ΔC -10 (Ⅱ )損 益 勘 定 35 30 ΔC -10 20 55 10 125 ΔNC 50 225 -10 20 -40 50 5 ΔL 5 5 5 100 0 15 100 ΔK 100 ΔΠ 55 50 225 在高差額貸借対照表(②-①) :ΔC+ΔNC=ΔL+ΔK+ΔΠ キャッシュ・フロー計算の間接法:ΔC=ΔΠ-ΔNC+ΔL+ΔK 損益計算の間接法 :ΔΠ=ΔC+ΔNC-ΔL-ΔK -40 50 5 15 100 100 -10 減価償却費 -5 給与 -5 引当金繰入 20 ΔΠ 20 20 20 40 「複式簿記のサイエンス」を志向 パチョーリ以後の簿記書に数学者が多い、驚 き! 「物的2勘定理論」のシェアー:「複式簿記は、 損益等式を2つの決算書の形であらわした1つ の数学的芸術品」 「社会科学としての複式簿記」(畠中)と、「数 学的芸術品」(シェアー)としての複式簿記 この2つの性格をどう接合できるか 構造をどう描くかとともに、その動態をどう描く か 36 10)時価会計の経済的基礎 -会計と法と経済- 2000年3月、『時価会計の基本問題(中央 経済社)』 1995年「原価・時価論争と資本循環シェーマ- 異質な資本運動と会計評価問題-」 それを皮切りに、2000年の「金融商品の論拠 づけを巡って」まで、今日の時価会計問題に ついて一連の論文 「有価証券は商品Wか?」 この出発点は、最初の論文での問題提起 37 「実物経済の会計」と区別される「金融・証券経 済の会計」という捉え方がその基礎 今日の時価会計の対象…これまでの伝統的 会計(原価主義会計)が捕捉対象としていた 「実物」の経済ではなく、それとは経済活動を 本来的に異にする「金融・証券」の経済 それゆえ、今日の時価会計を実物経済の会計 枠組みの拡大・延長上ではなく、それとは何ら かの別枠のもとで再構成するという視点 (序文より) 38 余談だが、 2000年度日本公認会計士協会学術賞 償金40万円、有り難し! 2001年7月帝国ホテルの席上、ゲンナマ40万 円の入った分厚い封筒 大金は持ったことがないので、急いで近くの 銀行に 39 学部時代にむさぶるように読んだ印象深い本の 1つ 川島武宜の『所有権法の理論』(岩波書店) 基礎にある経済学(商品経済)から捉えられた物 権・債権の基礎理論 若いときに読んだ書物の影響 頭のなかのどこかにストアされているよう 拙著の問題意識にも 現実的な社会現象としての法律も、会計も それらを現象たらしめている基礎があるはず 40 現実的な社会現象としての会計 より具体的には、「経済」と「法」と「会計」の3つの視点 から社会のなかの“生きた会計”の姿を 大学案内の『駒澤VOICE 2005』(2004年度版)の講義 紹介のインタビュー 「構造」をどう描くか(共時態)とともに、「動態」をど う描くか(通時態) 世に言う「時価会計」も、「動態」的視点からみることが 大切 1970年代以降の「時価会計」の特徴 それぞれの時代的背景(経済的・社会的条件)のもと で、それぞれ性質の異なった「時価会計」が登場 41 「会計」と「法」と「経済」 -ダイナミックな相互関係から社会の中の会計を!- 『駒澤VOICE』2004年版 より 42 4つの「時価会計」 ①個別価格変動会計 ②公正価値会計 ③減損会計 ④知的資産会計 時代 対象資産 時価変動の態様 経済的基礎 1970年代 事業用資産 持続的騰貴 資産インフレ(実物経済) 相場変動 マネー経済 80年・90年代~今日 金融資産・負債 今日(日本) 事業用資産 著しい下落 資産デフレ(実物経済) これから 無形資産 現在価値の変化 知識産業の台頭 43 11)試験委員の悩みと期待 -深い思考力と高い志しを- 試験委員の任務が終わると、さっそく大手受験 予備校から講演の依頼 大手予備校は試験委員にとって、いわば“知恵比 べ”の相手(エネミー) 正直なところその存在が“じゃま” 大阪(3月)、東京(6月)、福岡(9月)の3校で 「簿記会計をいかに学ぶか:思考力と志を高めよ」と 題して講演 その一端を:問題作成の悩みと受験生への期待 44 いかに学ぶか :「学び方」を学ぶ、5項目の実践 思考力を高めよ 「相対化」できる力を 「全体」をつかまえる 「ヨコの学習」の大切さ 具体から始めよ 45 「思考力」を高めよ 良い問題とは 「習うより、慣れろ」では解けない問題 特に論文試験 大手予備校の延長線上のものは作りたくない心理 予備校とのある種の“知恵比べ” 試験委員は簿記のプロか? 思考力をどのように問うか、問えるか 46 「ヨコの学習」の大切さ 「タテの学習」と「ヨコの学習」 タテ:個々のトピック別 ヨコ:タテの違いを超えて横断的に貫くもの 例:P/LとC/Fにおける2つの方法 系統だった学習 応用が利く学習 47 例:P/LとC/Fの2つの方法 -その対応関係- 〈損益計算〉 〈キャッシュフロー計算〉 系 ΔB/S (i) P/L Δπ等式 系 財産法 C/F 間接法 ΔC等式 B/S 系 (ii) P/L 収益-費用 系 取引 損益法 C/F 直接法 収入-支出 倫理性と国際性 :会計・監査を担う若い人たちに「高い志」を! 社会経済の公正性と会計士の役割 何のための会計・監査か なぜ法があるか(法の精神) なぜ会計があるか(会計の精神) テクニック偏重 → エシックス(倫理)へ (HPの時事会計入門No.15「会計改革と司法改革」参照) 社会経済の国際化と会計士の役割 資本市場の国際化→会計の国際化 アメリカCPAにチャレンジ! 49 12)本当に理解するということ -見えてくる感覚を- 井尻教授のunderstanding ペイトン・リトルトン『会社会計基準序説』と 木村和三郎『会計学研究』 の比較 「ここで『理解』ということは、たんに実在の 事象について説明できる、予測できる、また はそれに作動してかえることができる、とい うレベルのものではない。こういった行為が あくまで当該の事象に焦点があるのにたい して、理解のほうの焦点は事象の根本にあ る原理とそれから生まれる知識ということが できるであろう」 50 通常の理論の役割り 「超理論」での役割 ①「説明」、②「予測」、③「作動」の3つ、 さらにそれらと区別される④「理解」の重要性 事物を本当に「理解」するということ 「事象の根本にある原理」といったレベル ものごとが本当に見えてくるというのは、そういった レベルから見てはじめて可能 「見えてくる感覚」の大切さ 問題は、いかにしてその感覚を獲得するか 51 基礎学問につながる会計学の重要性 「超理論のレベルで考えるとまったく同感で、 基礎学問につながる会計学があってこそ会 計の本当の『理解』が生まれる」 英米会計では応用研究は盛んでも、基礎学 問につながる会計学は必ずしも重視されず 今日の「会計ビッグバン」の変革が何処から 来ているかを「理解」 メタ理論のメタ性 52 13)アカデミズムのあり方 -アカデミズムとプロフェッション- アカデミズムとプロフェッション IASBやFASBの会計は、プロフェッショナル 性を支える会計という性格 理論とは会計士のプロフェッションを権威づけ るものでもない、より純然たる存在 論理的一貫性とか全体的体系性 アカデミズムとプロフェッションの区別 プロフェッショナルな会計に埋没しない それを相対化、客体化できるアカデミズムの 本来的あり方(存在意義)が問われる 53 歴史の文脈で この相対化、客体化の1つの方法 歴史の文脈で今日的会計問題を見透し洞察する 英米を中軸にした会計基準のグローバル化現象 その基礎にあるアングロサクソン・モデルの本質的理解 なくしてその真の姿は見えてこない 企業会計の今日的変容 経済の発展過程とりわけ証券市場および株式会社制度 の発展過程の一環として 変容の基礎の史的・総体的考察を抜きに、企業会計の 今日的変容の真の姿を理解し洞察することはできない 54 わが国のアカデミズムの傾向性 古典がほとんど顧みられない 論争が見られなくなった アカデミズムとプロフェッションの混然化 英米会計偏重の研究スタイル アカデミズムのあり方にかかわる学問態度 先の基礎学問につながる会計学の重要性に 加えて、この点を強調したい! 55 ■プロローグ たかが会計、されど会計 藻利重隆『経営学の基礎』 この本は今でも記憶に残っている 金儲学や金儲術としての経営学への不安、焦燥、 苦悩が率直に 経営学を会計学に置き換えて、 会計学は学問か、学問性とは何か その不安と焦燥:幾分年齢を経た今日でも依然とし て身体につきまとっている 田中耕太郎の「法律学徒に贈る文」(東大の法 学部の卒業式のスピーチ) 会計学徒も、この含蓄ある言葉をよくよく理解してほ しい 56 「…ゴッホの例をだして、ゴッホが橋の下の醜い景色 を描きながら芸術の美を追求したのとおなじように、 法律というのも日常のいろいろな醜い争いを通じて人 間のというものがわかるものであると。…これが会計 にピッタリあてはまるのですよ。…こういう意味から会 計を職業的な技術的なものだけととらえないで、それ を人生の一側面、社会の一側面、歴史の一側面とよ り深いものにつながる学問としてとらえ、それに使命 を感じる人がどんどんふえてほしいと思いますね」 (田中昭義編『日本における会計学研究の発展』90-91ページ) 57 「されど会計」への思い入れ、葛藤 会計学は単なる技術学ではない それを通して何らかの「世界認識」にかかわって ほしい さらには自己の「生き方」にかかわるものであっ てほしい 「雑学のすすめ-私の研究遍歴ー」 「会計研究のアンビバレンス」の裏返し 「されど会計」を模索する必然の道か 58 将来書きたい会計書 「されど会計」と密接にかかわる それは、「再読に耐える会計書」 ビジネスマンではなく、“インテリ”に読み甲斐のある、 “インテリ”の会計書 会計研究のアンビバレンス 「されど会計」が書けないかぎり、それから生涯解放 されることはない 成仏できず、それも本望か 所詮、この世界に成仏なし 59 最後に 福澤諭吉が骨身にしみて敬愛の気持ちを抱い ていた師匠「洪庵先生」の学風 知徳の独立 己のよしとする所を行う、独立の人 自己の信念に忠実 新島襄の遺言の言葉「 き)」 (てきとう)不羈(ふ 司馬遼太郎の新島襄永眠100周年記念講演 「てきとう」…人がああいうからとそこへ行かない人、 自分の考えを明晰に持つ人、 「不羈」…馬の手綱がつかない、離れ駒のような人、 人に御されない人 60 雑多なお話、 ご静聴ありがとう 61
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