コカ・コーラの事例

コカ・コーラの事例
1990年代後半までは、
コカ・コーラはグローバル経営の
模範にされてきたが、凋落を経験し、
現在は底からの回復を目指して
奮闘している。
ここでは、各CEOの戦略の
失敗と成功を見ていく。
時代の流れ
• 1886年 創業
• 1902年 初の海外進出(キューバ)
〃
ライバル社ペプシコーラ創業
• 1929年 世界の76カ国で販売
〃
ペプシ初の海外進出
• 1945年 第二次世界大戦
海外駐屯軍にソフトドリンクを供給。
世界中に63か所の生産工場建設
ロバート・ウッドラフ
1923年~1981年
• 海外進出信者
• コカコロニー化(コカ・コーラ植民地化)
マルチローカル戦略
海外の事業はほぼ独立して経営。
海外事業の主な業務は1000ヶ所以上の製
造販売会社が担っており、意思決定を委託。
ロベルト・ゴイズエタ
1981年~1997年
“どの国も同じようなもの”
• グローバル化(160カ国→200カ国)
画一的戦略
• アメリカと海外の事業を分けない
• ベルリンの壁が崩壊した際、東ヨーロッパ進出
国境の消滅
• 世界中の地域グループの拠点がアトランタ本社へ。
海外事業における本社の関与を高める。
中央集権化
• 販売促進関連部門の大半が、一連のマーケティン
グ活動の標準化思想
ダグラス・アイヴェスター
1997年~2000年 ゴイズエタ路線継承
• 1998年 アジア通貨危機→成長鈍化
• 利益成長率の目標を引き下げ
原因・・需要の減少
海外政府(特にヨーロッパ)や工場
との関係が悪化したこと
濃縮原料の値上げを押し付けたことにより、
工場の忍耐の限界→解任へ