極東選手権競技大会の世界 • 1913年・マニラで第一回大会 • 1934年まで10回開催 • フィリピン、日本、中国が参加 帝国主義的膨張の途次にあった日本、アメ リカの植民地下にあったフィリピン、建国 後国内統一と対外問題処理におわれる中国 がスポーツの技を競った−「奇跡的な存 在」 第8回大会@上海 • どのような視点で問題とされ • そのような経験をしたのか 選手、役員、メディア、在留日本人 • 大会の性格の転換期 アメリカ人主導から三国の自主的運営に アジア的帝国主義の道へ 排日運動と極東大会 • 時代的背景に左右される (日本の帝国主義政策と排日運動) • スポーツマンシップの強調 反日感情、在留日本人社会への配慮 日本はスポーツ先進国との自負 在留邦人と極東大会 • 在留邦人−「早熟な『国民』」 日本人としてのアイデンティティを確認させ てくれる「ハレ」の場 選手団サポートのために献身的に活動 現地の政府や国民との軋轢・摩擦を心配 選手団も在留邦人の支援に感謝 「アジア主義」と極東大会 • 「アジア主義」とは • スポーツ、極東大会での「アジア主 義」 競技力向上に裏打ちされる形で日本盟主論 が強調される アメリカ(人)の影響力の排除 「アジア主義」と極東大会 競技力向上による極東大会軽視論 国際親善を国策と結びつける発想 極東大会の解消と東洋選手権競技会の創設 当時の日本人、スポーツマンの限界
© Copyright 2025 ExpyDoc