福沢諭吉は甲申政変の黒幕か 静岡県立大学 平山 洋 第26回韓国日本近代学会国際学術大会発表 於立命館大学・2012年11月10日 1 甲申政変(1884年12月)は韓国近代史上の 画期的大事件である 2 しかし、その評価は定まっていない その理由は、 ① 清国からの独立を標榜したとはいえ、金玉均・朴泳 孝・徐載弼らは日本の支援を受けていた ② 首謀者は亡命して助かったのに、残った人々は死刑に なった ③ 何より三日で失敗した(計画が杜撰すぎる) など。 本発表の目的は、政変の評価をするのが目的ではなく、 事実がどうであったかを、探るところにある。 3 日本、とりわけ福沢諭吉からの支援は、 いかばかりだったのか 最初に結論から ①福沢諭吉は黒幕ではなかった ②日本政府内に独立派支援者がいた ③政変自体は金玉均ら独立派の策謀である 4 「福沢諭吉は黒幕ではなかった」証拠 ①福沢作成「京城変乱始末」(資料20、1885)と 金玉均筆「甲申日録」(資料29、1885)で非言 及 ②黒幕説の物的証拠とされるものは全て事後の事 柄(資料28・30、1885・1886) ③井上角五郎誣告裁判で免訴になっている(資料 35・36、1888) ④黒幕説(1910以降)の由来は井上角五郎(『漢 城旬報』主筆)だが、当初は否定(資料37、 1891) 5 「日本政府内に独立派支援者がいた」証拠 ①田中不二麿宛書簡「黒幕は政府内にいる」(資料25、 1885) ②竹添公使は後援を約束したが、現地の外交官の独 断では不可能(資料20・29、1885) ③朴泳孝による日本政府批判「清仏戦争に乗じて助け てくれるはずだった」(資料45、1935) 6 「政変自体は金玉均ら独立派の策謀である」証拠 ①金玉均筆「擬以朝鮮策略」(資料6、1884)での 決意 ②甲申政変後朝鮮政府は日本の関与を調査したが 、出てこなかった(資料19、1885) ③金玉均筆「甲申日録」(資料29)や朴泳孝(資 料45)、徐載弼(資料46・48)での証言 7 策謀の経過 ①1884年10月31日、竹添公使が再着任し日本によ る清国攻撃を明言(資料13・20・29) ②1884年11月12日、竹添公使、独立派が武装蜂起 した場合の対応を本国に問い合わせる(資料9) ③1884年11月16・18日、徐光範、島村久代理公使 と面談(資料11) 8 1884年12月4日 午後6時、郵征局開局セレモニーの開始 テレビドラマ『済衆院』第3話より 9 1884年12月4日 午後7時、祝宴の開始 テレビドラマ『済衆院』第3話より 10 1884年12月4日 午後8時、安国洞別宮前で爆発、すぐに鎮火 政変の開始を告げる重要な合図だったが、騒ぎが大き くならなたったので、祝宴はそのまま続けられた テレビドラマ『済衆院』では描かれていない 11 1884年12月4日 午後9時、金玉均、懐中時計で時刻を確認する 12 1884年12月4日 午後9時(同時刻)、閔泳翊異変に気づく 13 1884年12月4日 午後9時過ぎ、閔泳翊、隣家火災と聞き外に出ようとする 14 1884年12月4日 午後9時過ぎ、閔泳翊、独立派により右耳を切り落とされる 15 1884年12月4日 午後9時過ぎ、郵征局外、徐載弼(左手前)・閔泳翊(右手前)・ 金玉均(左奥)・洪英植(右奥)、ただし演出である 16 1884年12月4日 政変勃発後の推移 ①午後10時、英領事アストン、避難した日本公使 館で日本兵を目撃(資料19、1885) ②ほぼ同時刻、景福宮内の国王日本軍の出動を依 頼し、夫妻で景祐宮に避難(資料20・29) ③午後11時、日本軍景祐宮の警備を開始(資料20・ 29) 17 1884年12月5日 ①午前零時から明け方にかけて、景祐宮に参内した閔台鎬 ら大臣次々殺害さる ②午前9時、独立派政権新人事発表 ③午後にかけて国王による謁見 ④ほぼ同時に国王夫妻クーデタの事実を知り、景福宮への 帰還を望む ⑤午後5時、景福宮へ還御 ⑥夜半にかけて清国軍景福宮を包囲(閔妃の依頼による) 18 1884年12月6日 ①朝より袁世凱、国王への謁見を求めるが独立 派政府はそれを拒否 ②午後3時、清国軍の攻撃開始 ③午後4時頃、竹添公使と独立派首脳は日本軍の 護衛の下景福宮を脱出 ④午後8時頃、一行日本公使館に到着 19 政変の失敗、独立派の亡命 ①1884年12月7日、事大党政府が復活して国王は清 国軍の勢力下に置かれる ②同日、竹添公使・独立派首脳ら済物浦日本人居 留地へ避難 ③1884年12月11日、独立派首脳定期船千歳丸で日 本へ亡命 20 金玉均ら独立派の目論見 ①清仏戦争に乗じて親西欧諸国政権を樹立する ②外国の外交官たちに郵征局の攻撃を清国軍だと 思わせる ③独立派は武装解除されていたので、日本の軍事 力を利用 ④日本側が弱腰になるかもしれないので、すばや く実行に移す 21 金玉均ら独立派の目論見はずれ ①独立派内に内通者がいた ②閔妃が秘密裏に清国軍へ出動を要請した ③大臣殺害を知った竹添公使が深入りを避けた ④清国軍1500名、日本軍150名では勝負にならな かった 22 余談・韓国ドラマ「済衆院」(2010) 第3話甲申政変への違和感 ①唯一の日本人西洋医海瀬敏行軍医はアレン医師 とともに閔泳翊の治療にあたっている ②初日の深夜に起きた大臣暗殺の時点では、クー デタとは知られていなかった ②電信はまだ開通していない ③独立派は銃器をもっていなかった 23 ご清聴ありがとうございました 24
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