河童の話 授業:児童文学と文化 指導教授:スイカ先生 発表者:こころ 期日:2010.10.16 2016/7/9 1 作者の紹介 坪田譲治(つぼたじょうじ) 1890―1982 小説家、児童文学者。 1890年3月3日、岡山県に生まれる。 1908年早稲田大学文科予科に入学。在学中小川未明に師 事するが、病気や入営などで退学・再入学を繰り返した のち、1915年早稲田大学英文科を卒業。 その後帰郷して家業の製織所に勤め、家業と文筆との苦 しい生活が続く。1926年『正太の馬』を出版。 同年『赤い鳥』に最初の童話『河童の話』を発表。 その後同誌発表の『善太と汽車』で鈴木三重吉の激賞を 受けた。 2016/7/9 2 作者の紹介 1933年以後は文筆に専念、1935年『改造』に発表した 『お化けの世界』は好評を得、出世作となった。 1936年9月から『朝日新聞』に連載された『風の中の 子供』は、子供の心情が社会とかかわるところで描か れた作品で、文壇的地位を確固たるものにした。 1938年には『子供の四季』を『都新聞』に連載、翌年 新潮社文芸賞を受賞。 1954年『坪田譲治全集』全八巻が刊行され、この全集 で翌年芸術院賞を受賞。 1963年には童話雑誌『びわの実学校』を創刊。 1964年芸術院会員となる。 1982年7月7日、92歳で没す。 2016/7/9 3 関係図 写実主義 坪内逍遥 師 徒 早大童話会を立ち上げ 小川未明 師 鈴木三重吉 師 徒 坪田譲治 2016/7/9 『赤い鳥』創刊 徒 4 『赤い鳥』と坪田譲治 「河童の話」以来、鈴木三重吉を師と仰ぎ、『赤い 鳥』誌に、その後、40編童話を書いた坪田は『赤 い鳥』出身の童話作家ともいわれる。 『赤い鳥』は昭和4年に一時休刊となり、坪田はい よいよ生活に窮した。 『赤い鳥』後期にもっとも活躍した作家だと言われ る。昭和6年、第二次『赤い鳥』発刊後、坪田は同 誌に精力的に執筆。「びわの実」「善太の四季」 「ひまわり」などの代表作は児童文学の新時代を拓 くものとして高い評価をうけた。 2016/7/9 5 坪田に対する評価 藤田圭雄氏:「『赤い鳥』を中心に完成した近代児 童文学は、『魔法』『狐狩り』をはじめとする先生 の御作によって、文学としての確固たる地位を確保 した。そして先生の膝下には『びわの実学校』の俊 秀がひしめきあい今日の児童文学隆盛の秋を将来し ている。」 2016/7/9 6 坪田に対する評価 山本健吉氏:「氏は小説家であるとともに、児童文 学者でもありました。いや(小説と児童文学の)垣 根を取り払うことのできた、少数の作者の一人でし た。少数というとき、私がすぐに思い出すことので きる名前は、小川未明と宮沢賢治と坪田譲治の三人 の名前であります。それぞれ思想家であり、詩人で あり、散文家であり、そして童話の作家でありまし た。」 2016/7/9 7 坪田に対する評価 尾崎士郎:「坪田は小説を童話のように書き、童話 を小説のように書く。」 2016/7/9 8 批判 坪田譲治は、はじめ小説を書いていたが、後に生活の ため、童話にも執筆分野を広げたので、一部の作家や 評論家から『二足の鞋を履いた』と批判された。譲治 は、随筆などで、生活苦のために童話を書き始めたこ とを書いてはいる。しかし、それとは別問題として批 判に対して、「小説も文学であり童話も文学だ。私は 文学を書くのであって、『二足の鞋を履いた』という ことにはならない。」と反論した。 2016/7/9 9 子どもの読み物の呼称からみて児童文学の変遷 子どもの読み物の呼称の史的な変遷、明治時代のお 伽噺と言われていたのが、昭和の始めに、童話とい う呼称に代わり、さらに、児童文学という呼称も童 話と共に使用されるようになっていった過程をお話 したいと思う。 2016/7/9 10 お伽噺 明治時代は勿論、それ以前から、物語などは語り継 がれてきた。いまではそれを昔話とか、民話といっ ているが、明治時代の中頃までは、お伽噺と呼称し ていた。 2016/7/9 11 →お伽噺(再話) 近代児童文学の先駆者、巌谷小波の「こがね丸」が、 明治24年(1891)に少年文学叢書の第一巻として出版 されると、少年文学の呼称もお伽噺とともに使われ るようになった。 2016/7/9 12 →童話 明治21年(1888)以降から、アンデルセンの作品や 「グリム」、「小公子」、「真西遊記」などなど文 学性豊かな外国の物語が、ぞくぞくと翻訳され普及 されると、お伽噺という呼称ではそぐわなくなり、 大正期に入ってメルヘン(空想によって作った物語) とか、ファンタジー(空想や幻想)、動植物を擬人化 して描いたものなどを内容とした童話という呼称が 使用され始め、大正7年(1918)、鈴木三重吉が、童話 雑誌「赤い鳥」を創刊することによって、童話とい う呼称が定着した。 2016/7/9 13 →児童文学 大正末期から昭和の初期にかけて、プロレタリア児 童文学運動が勃起し、その渦中で現実の子供や、子 供の置かれている社会的状況を、リアルに描こうと する散文(字数などに制限のない通常の文章)の子供 の読み物が期待されるようになり、児童文学と呼称 されるようになった。 2016/7/9 14 坪田の児童文学理論 文学によって人生のエキスである真実を児童に追体 験させようと説くものであり、作家は世界を正しく 解釈し、児童に対して現実から遊離した甘やかしの 筆をとってはならないとするものである。 児童に近代リアリズム文学を与えようと唱え続け、 また自己の作品に児童の現実生活を児童の心性に基 づいてリアルに追求する。 2016/7/9 15 童心主義とは 子供のもつ自由な感受性や鋭い直観力、豊かな空想 力などを尊重し、童心の世界を絶対的な理想の世界 とみる児童観および児童芸術観。第一次世界大戦後 の『赤い鳥』を中心とする童話童謡時代におこった 思想で、「いかなる成人たりとも……童心を失ひ得 るものではない」(北原白秋)、「『童話』は…… 子供の心を失はないすべての人類に向つての文学で ある」(小川未明)などのことばから「童心主義」 という呼称が生まれた。この提唱によって、大人の 鑑賞に耐えうる優れた童話童謡が出現したが、同時 に子供の興味をひかない懐古的耽美的作品も現れた。 2016/7/9 16 坪田として童心主義の児童観 児童を、児童のみの狭い殻の中に逃避させずに、社 会に生きる独立した個性を持つ人間として愛し、そ の内的生活をも探求したものである。 2016/7/9 17 批判 ~彼らの言うことは正確な意味の童心ではない。 『児童文学入門』に指摘してある「彼らは童心を汚れ を知らざる神の子キリストのように扱ってきた。そし て童話を、丁度母親が片言で子供に話して聞かすよう な態度で語ってきた。」 2016/7/9 18 作品の紹介 粗筋: •お爺さんは子供の頃に鉄橋の下でフナやハヤを 釣りっていると、河童が現れるという話を孫たち に語ります。 発表時期: •坪田譲治は昭和2年6月号の『赤い鳥』に童話 「河童の話」を発表した。 作者: •坪田譲治 2016/7/9 19 評価について 坪田の作品の特徴は、小説では、大人の世界の様々 の出来事に、子供がどう対応するか、子供の心理描 写、情景描写をリアルに描き、ストーリーとか物語 の筋(説話物語)よりは、描写(描写文学)に重点を置 いた作品が多く、子供を良く描いているという定評 を受けている。しかし、誤解を招く恐れがあるので 一言つけ加えておくと、物語にはストーリーや、筋 がなければ成立しない。従って坪田の作品にもスト ーリーも筋もあるが、描写に力点がおかれていると いう意味なのである。 2016/7/9 20 作品の特色 擬音擬態語が多い 子供向きに可愛い物事を運用する 児童心理が鋭く描写されている • 児童の行動(本能的行動、遊び、ある事象に対する 児童心性に基づく反応) 子供の心と生活をリアリスティックに追求する 2016/7/9 21 作品の特色 「猿蟹後日物語」ー厳谷小波が開拓したお伽話と違う • 注:日本伝承の昔話、民話を整理、再創造する 世間の小さいな人のために、芸術として真価ある純麗な童 話と童謡を創作する 「赤い蝋燭と人魚」ー小川未明を代表とする多くの児童文 学者の作品に漂うエキゾチシズムが完全に拭いて去られて いる 日本的特性があって、日本人にとって「わが国児童文学」 の全般にわたる著しい特質である 2016/7/9 22 文学運動をめぐって考査する なぜプロレタリア文学は振興したら、坪田文学に光 は当たらない? 「河童の話」にどこか資本主義のニュアンスがみら れる? 2016/7/9 23 プロレタリア文学とは 第一次世界大戦後の大正デモクラシー プロレタリア文学(大正9年~昭和5年): •近代資本主義の内面的矛盾が生んだ、労働者階 級の階級的自覚と要求に立脚した文学のこと。 2016/7/9 24 食物連鎖を考査する 資本階級 鳶 労働階級 河童 ナマズ 小魚 がま 2016/7/9 25 河童像をめぐって考査する 「河童」とは? 坪田にとって、「河童」とは? 2016/7/9 26 河童の紹介 河童(かっぱ)は、日本の妖怪・伝説上の動物、または 未確認動物。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」 に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「か わわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも 言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各 地方によって異なる。類縁種にセコなどがいる。水神、 またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天 狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとさ れる。具体例としては各地に残る河童神社、河童塚(鯨 塚、道具塚と同じ)がある。 2016/7/9 27 河童の見方 2016/7/9 28 わが国の児童文学 リアルな生命の躍動を示しているからというだけで はなく、松風の音、小河のうねり、昔は狐や河童の 出没したという日本の風土、そして、日本の家族制 度のもとにしか培われ得なかったところの日本人だ からでもある。 2016/7/9 29 わが国の児童文学 坪田の「善太・三平」= • アメリカのトム・ソーヤー • イギリスのピーター・パン と同様の意義において、 日本児童文学に燦然と輝く永遠の存在である。 2016/7/9 30 参考文献 日本文学全集ー坪田譲治 集英社(昭和49年) 近代児童文学の父・坪田譲治 永井萌二 坪田譲治とリアリズム児童文学 加来和子 CiNii 検索 - 河童の話.url プロレタリア文学 - Wikipedia.url 坪田譲治 (作家) - Wikipedia.url 坪田譲治 - Yahoo!百科事典.url 坪田譲治を訪ねて 目次.url 坪田譲治(おかやま人物往来).url 心の棲み家 昭和の作家群像 - Webcat Plus.url 日本近代文学館 - Yahoo!百科事典.url 童話 - Yahoo!百科事典.url 赤い鳥 - Yahoo!百科事典.url 2016/7/9 31 以上。 2016/7/9 32
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