坪田譲治

河童の話
授業:児童文学と文化
指導教授:スイカ先生
発表者:こころ
期日:2010.10.16
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作者の紹介
坪田譲治(つぼたじょうじ) 1890―1982
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小説家、児童文学者。
1890年3月3日、岡山県に生まれる。
1908年早稲田大学文科予科に入学。在学中小川未明に師
事するが、病気や入営などで退学・再入学を繰り返した
のち、1915年早稲田大学英文科を卒業。
その後帰郷して家業の製織所に勤め、家業と文筆との苦
しい生活が続く。1926年『正太の馬』を出版。
同年『赤い鳥』に最初の童話『河童の話』を発表。
その後同誌発表の『善太と汽車』で鈴木三重吉の激賞を
受けた。
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作者の紹介
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1933年以後は文筆に専念、1935年『改造』に発表した
『お化けの世界』は好評を得、出世作となった。
1936年9月から『朝日新聞』に連載された『風の中の
子供』は、子供の心情が社会とかかわるところで描か
れた作品で、文壇的地位を確固たるものにした。
1938年には『子供の四季』を『都新聞』に連載、翌年
新潮社文芸賞を受賞。
1954年『坪田譲治全集』全八巻が刊行され、この全集
で翌年芸術院賞を受賞。
1963年には童話雑誌『びわの実学校』を創刊。
1964年芸術院会員となる。
1982年7月7日、92歳で没す。
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関係図
写実主義
坪内逍遥
師
徒
早大童話会を立ち上げ
小川未明
師
鈴木三重吉
師
徒
坪田譲治
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『赤い鳥』創刊
徒
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『赤い鳥』と坪田譲治
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「河童の話」以来、鈴木三重吉を師と仰ぎ、『赤い
鳥』誌に、その後、40編童話を書いた坪田は『赤
い鳥』出身の童話作家ともいわれる。
『赤い鳥』は昭和4年に一時休刊となり、坪田はい
よいよ生活に窮した。
『赤い鳥』後期にもっとも活躍した作家だと言われ
る。昭和6年、第二次『赤い鳥』発刊後、坪田は同
誌に精力的に執筆。「びわの実」「善太の四季」
「ひまわり」などの代表作は児童文学の新時代を拓
くものとして高い評価をうけた。
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坪田に対する評価
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藤田圭雄氏:「『赤い鳥』を中心に完成した近代児
童文学は、『魔法』『狐狩り』をはじめとする先生
の御作によって、文学としての確固たる地位を確保
した。そして先生の膝下には『びわの実学校』の俊
秀がひしめきあい今日の児童文学隆盛の秋を将来し
ている。」
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坪田に対する評価
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山本健吉氏:「氏は小説家であるとともに、児童文
学者でもありました。いや(小説と児童文学の)垣
根を取り払うことのできた、少数の作者の一人でし
た。少数というとき、私がすぐに思い出すことので
きる名前は、小川未明と宮沢賢治と坪田譲治の三人
の名前であります。それぞれ思想家であり、詩人で
あり、散文家であり、そして童話の作家でありまし
た。」
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坪田に対する評価
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尾崎士郎:「坪田は小説を童話のように書き、童話
を小説のように書く。」
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批判
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坪田譲治は、はじめ小説を書いていたが、後に生活の
ため、童話にも執筆分野を広げたので、一部の作家や
評論家から『二足の鞋を履いた』と批判された。譲治
は、随筆などで、生活苦のために童話を書き始めたこ
とを書いてはいる。しかし、それとは別問題として批
判に対して、「小説も文学であり童話も文学だ。私は
文学を書くのであって、『二足の鞋を履いた』という
ことにはならない。」と反論した。
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子どもの読み物の呼称からみて児童文学の変遷
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子どもの読み物の呼称の史的な変遷、明治時代のお
伽噺と言われていたのが、昭和の始めに、童話とい
う呼称に代わり、さらに、児童文学という呼称も童
話と共に使用されるようになっていった過程をお話
したいと思う。
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お伽噺
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明治時代は勿論、それ以前から、物語などは語り継
がれてきた。いまではそれを昔話とか、民話といっ
ているが、明治時代の中頃までは、お伽噺と呼称し
ていた。
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→お伽噺(再話)
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近代児童文学の先駆者、巌谷小波の「こがね丸」が、
明治24年(1891)に少年文学叢書の第一巻として出版
されると、少年文学の呼称もお伽噺とともに使われ
るようになった。
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→童話
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明治21年(1888)以降から、アンデルセンの作品や
「グリム」、「小公子」、「真西遊記」などなど文
学性豊かな外国の物語が、ぞくぞくと翻訳され普及
されると、お伽噺という呼称ではそぐわなくなり、
大正期に入ってメルヘン(空想によって作った物語)
とか、ファンタジー(空想や幻想)、動植物を擬人化
して描いたものなどを内容とした童話という呼称が
使用され始め、大正7年(1918)、鈴木三重吉が、童話
雑誌「赤い鳥」を創刊することによって、童話とい
う呼称が定着した。
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→児童文学
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大正末期から昭和の初期にかけて、プロレタリア児
童文学運動が勃起し、その渦中で現実の子供や、子
供の置かれている社会的状況を、リアルに描こうと
する散文(字数などに制限のない通常の文章)の子供
の読み物が期待されるようになり、児童文学と呼称
されるようになった。
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坪田の児童文学理論
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文学によって人生のエキスである真実を児童に追体
験させようと説くものであり、作家は世界を正しく
解釈し、児童に対して現実から遊離した甘やかしの
筆をとってはならないとするものである。
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児童に近代リアリズム文学を与えようと唱え続け、
また自己の作品に児童の現実生活を児童の心性に基
づいてリアルに追求する。
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童心主義とは
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子供のもつ自由な感受性や鋭い直観力、豊かな空想
力などを尊重し、童心の世界を絶対的な理想の世界
とみる児童観および児童芸術観。第一次世界大戦後
の『赤い鳥』を中心とする童話童謡時代におこった
思想で、「いかなる成人たりとも……童心を失ひ得
るものではない」(北原白秋)、「『童話』は……
子供の心を失はないすべての人類に向つての文学で
ある」(小川未明)などのことばから「童心主義」
という呼称が生まれた。この提唱によって、大人の
鑑賞に耐えうる優れた童話童謡が出現したが、同時
に子供の興味をひかない懐古的耽美的作品も現れた。
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坪田として童心主義の児童観
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児童を、児童のみの狭い殻の中に逃避させずに、社
会に生きる独立した個性を持つ人間として愛し、そ
の内的生活をも探求したものである。
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批判
~彼らの言うことは正確な意味の童心ではない。
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『児童文学入門』に指摘してある「彼らは童心を汚れ
を知らざる神の子キリストのように扱ってきた。そし
て童話を、丁度母親が片言で子供に話して聞かすよう
な態度で語ってきた。」
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作品の紹介
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粗筋:
•お爺さんは子供の頃に鉄橋の下でフナやハヤを
釣りっていると、河童が現れるという話を孫たち
に語ります。
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発表時期:
•坪田譲治は昭和2年6月号の『赤い鳥』に童話
「河童の話」を発表した。
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作者:
•坪田譲治
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評価について
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坪田の作品の特徴は、小説では、大人の世界の様々
の出来事に、子供がどう対応するか、子供の心理描
写、情景描写をリアルに描き、ストーリーとか物語
の筋(説話物語)よりは、描写(描写文学)に重点を置
いた作品が多く、子供を良く描いているという定評
を受けている。しかし、誤解を招く恐れがあるので
一言つけ加えておくと、物語にはストーリーや、筋
がなければ成立しない。従って坪田の作品にもスト
ーリーも筋もあるが、描写に力点がおかれていると
いう意味なのである。
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作品の特色
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擬音擬態語が多い
子供向きに可愛い物事を運用する
児童心理が鋭く描写されている
• 児童の行動(本能的行動、遊び、ある事象に対する
児童心性に基づく反応)
子供の心と生活をリアリスティックに追求する
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作品の特色
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「猿蟹後日物語」ー厳谷小波が開拓したお伽話と違う
• 注:日本伝承の昔話、民話を整理、再創造する
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世間の小さいな人のために、芸術として真価ある純麗な童
話と童謡を創作する
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「赤い蝋燭と人魚」ー小川未明を代表とする多くの児童文
学者の作品に漂うエキゾチシズムが完全に拭いて去られて
いる
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日本的特性があって、日本人にとって「わが国児童文学」
の全般にわたる著しい特質である
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文学運動をめぐって考査する
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なぜプロレタリア文学は振興したら、坪田文学に光
は当たらない?
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「河童の話」にどこか資本主義のニュアンスがみら
れる?
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プロレタリア文学とは
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第一次世界大戦後の大正デモクラシー
プロレタリア文学(大正9年~昭和5年):
•近代資本主義の内面的矛盾が生んだ、労働者階
級の階級的自覚と要求に立脚した文学のこと。
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食物連鎖を考査する
資本階級
鳶
労働階級
河童
ナマズ
小魚
がま
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河童像をめぐって考査する
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「河童」とは?
坪田にとって、「河童」とは?
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河童の紹介
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河童(かっぱ)は、日本の妖怪・伝説上の動物、または
未確認動物。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」
に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「か
わわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも
言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各
地方によって異なる。類縁種にセコなどがいる。水神、
またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天
狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとさ
れる。具体例としては各地に残る河童神社、河童塚(鯨
塚、道具塚と同じ)がある。
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河童の見方
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わが国の児童文学
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リアルな生命の躍動を示しているからというだけで
はなく、松風の音、小河のうねり、昔は狐や河童の
出没したという日本の風土、そして、日本の家族制
度のもとにしか培われ得なかったところの日本人だ
からでもある。
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わが国の児童文学
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坪田の「善太・三平」=
• アメリカのトム・ソーヤー
• イギリスのピーター・パン
と同様の意義において、
日本児童文学に燦然と輝く永遠の存在である。
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参考文献
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日本文学全集ー坪田譲治 集英社(昭和49年)
近代児童文学の父・坪田譲治 永井萌二
坪田譲治とリアリズム児童文学 加来和子
CiNii 検索 - 河童の話.url
プロレタリア文学 - Wikipedia.url
坪田譲治 (作家) - Wikipedia.url
坪田譲治 - Yahoo!百科事典.url
坪田譲治を訪ねて 目次.url
坪田譲治(おかやま人物往来).url
心の棲み家 昭和の作家群像 - Webcat Plus.url
日本近代文学館 - Yahoo!百科事典.url
童話 - Yahoo!百科事典.url
赤い鳥 - Yahoo!百科事典.url
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以上。
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