第二讲 日本の近代 日本事情 学習要点 建国記念の日 文明開化 近代化の原動力 建国記念の日 建国を記念する日 神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝う こと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で 祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活 させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国 を記念するための祝日を設けることとなりました。その 際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。 そして、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適 用されました。 「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実 に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実 そのものを記念する日だからだと言います。 建国記念の日 紀元節から記念日へ 日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、神武天皇( 初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)とし たことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」と いいます。紀元節は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が 催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行わ れていました。しかし戦後になり「紀元節を認めることにより 、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威 となるのではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止され ました。しかしその後テレビ局が行ったアンケート調査により 、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいる ということがわかりました。その結果、1966年になり建国記念 の日に関する提案が承認され、翌年1967年から適用されること となりました。建国記念の日が成立するまでには「日本の正確 な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」な ど専門家による多くの議論があったようです。 建国記念の日 建国は神話の中に 建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですので 、この休日に日本の歴史を勉強してみることも面白いか もしれません。 日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコ ノミコトとは、初代天皇になった神武天皇であると書か れています。イワレビノミコト(神武天皇?)は、現在 の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと 紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の 宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の 日」に定めたという説もあります。しかし、歴史学上で は神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として位置づ けられているようです。 文明開化 明治(めいじ)時代初期(しょき)に,西洋文明を急速に とりいれて近代化していった動き。 〔西洋文明の流入〕 明治政府(めいじせいふ)は,日本 の近代化を進めるため,欧米諸国(おうべいしょこく) の制度(せいど)や技術(ぎじゅつ)などをさかんにとり いれた。このため,明治(めいじ)時代初期(しょき)に は,欧米(おうべい)の文化が急速に流入し,風俗(ふう ぞく)や衣(い)食住にも大きな変化(へんか)がおきた 。しかし,こうした動きは都市中心で,農村にはあまり いきわたらなかった 文明開化 明治(めいじ)時代初期(しょき)に,西洋文明を急速に とりいれて近代化していった動き。 〔西洋文明の流入〕 明治政府(めいじせいふ)は,日本 の近代化を進めるため,欧米諸国(おうべいしょこく) の制度(せいど)や技術(ぎじゅつ)などをさかんにとり いれた。このため,明治(めいじ)時代初期(しょき)に は,欧米(おうべい)の文化が急速に流入し,風俗(ふう ぞく)や衣(い)食住にも大きな変化(へんか)がおきた 。しかし,こうした動きは都市中心で,農村にはあまり いきわたらなかった 文明開化 〔文明の内容(ないよう)〕 (1)教育・思想…無学(むがく)な者をなくそうとして 学制(がくせい)が発布(はっぷ)され,近代的(きんだい てき)な学校制度(せいど)が生まれて,高等教育機関( きかん)も誕生(たんじょう)した。本木昌造(もときし ょうぞう)が鉛(なまり)の活字による活版印刷(かっぱ んいんさつ)を開始し,新聞や雑誌(ざっし)が急速に 発達(はったつ)した。福沢諭吉(ふくざわゆきち)・中 江兆民(なかえちょうみん)らによって西洋の自由・平 等の近代思想が紹介(しょうかい)され,のちの自由民 権(みんけん)運動*に大きな影響(えいきょう)をあた えた。 文明開化 〔文明の内容(ないよう)〕 (2)生活の変化(へんか)…1872(明治(めいじ)5)年 に太陽暦(れき)を採用(さいよう)し,やがて1日24時 間制(せい)や七曜制(しちようせい)も実施(じっし)。 断髪令(だんぱつれい)が出されて,ちょんまげ頭はザ ンギリ頭にかわった。都市では,れんがづくりの洋風建 築(けんちく)がたちならび,舗装(ほそう)された道路 を,鉄道馬車や人力車が走るようになった。ガス灯(と う)やランプが使われ,洋服を着て帽子(ぼうし)をか ぶり,靴(くつ)をはく人もふえた。懐中(かいちゅう) 時計やこうもり傘(がさ)をもつことは紳士(しんし)の 誇(ほこ)りとされ,牛肉・牛乳(ぎゅうにゅう)・パン ・西洋料理(りょうり)などが食生活にとりいれられた 。 近代化の原動力 政治 中央集権制度 経済 土地の売買、近代的企業 社会 西洋文明の流入 教育 新しい学制
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