図書館とメディアの歴史 担当:後藤嘉宏 第4回(くらい)配付資料(4-3ヘレニ ズムと古代) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 1 ヘレニズム文化の問題 • アレクサンドリアはエジプトの都市。アレクサ ンドロス大王のエジプト遠征で征服し、都市 建設が決まった。 • アレクサンドロス大王の没後、重臣であった プトレマイオス1世は、大王の遺体をエジプト に運び、エジプトの初代ファラオとなる。 • このプトレマイオス1世の建設したのが、アレ クサンドリア図書館。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 2 アレクサンドロス大王(BC356-323在位BC336323)のウィキペディア情報から1/2 • 紀元前342年、父王に招かれたアリストテレス が「家庭教師」となる。都ペラから離れた「ミエ ザの学園」で、紀元前340年までアレクサンド ロスとその学友を教えた。こうして、王と共に ギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友 」たちは、のちに大王を支える将軍となった。 • マケドニア王→ギリシアポリス制圧→ペルシ ア、エジプト制圧→インド遠征に失敗→バビロ ンで高熱で死す 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 3 アレクサンドロス大王(BC356-323在位BC336323)のウィキペディア情報から2/2 • 「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言し死去 してしまった。 • ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレ ニズム文化はアレクサンドロスの帝国とその 後継王朝へ根付き、ラオコオン、ミロのヴィー ナス、サモトラケのニケ、瀕死のガリア人など の彫刻が各地で制作された。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 4 プトレマイオス1世(BC367-BC282在位BC305 -BC282) のウィキペディア情報から1/3 • エジプトのヘレニズム国家プトレマイオス朝の 初代ファラオである。アレクサンドロス3世(大 王)に仕え、アレクサンドロスの死後はディア ドコイの一人としてエジプトに拠った • プトレマイオスは国王フィリッポス2世が息子 アレクサンドロスのために哲学者アリストテレ スを招いて作ったミエザの学園に学んだ「学 友」でもあった。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 5 プトレマイオス1世(BC367-BC282在位BC305 -BC282) のウィキペディア情報から2/3 • アレクサンドロスと父フィリッポス2世が対立し た際に、アレクサンドロスと親しかったプトレ マイオスはラオメドン、ネアルコス等と共に追 放された。紀元前336年にフィリッポス2世が 死去すると、プトレマイオス達は呼び戻され、 アレクサンドロスから厚遇を受けた。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 6 プトレマイオス1世(BC367-BC282在位BC305 -BC282) のウィキペディア情報から3/3 • ペルディッカスがプトレマイオスを討伐せんとエジプ トに遠征してくると、プトレマイオスはこれを迎え撃ち 、ナイル川の戦いでペルディッカスに対し勝利を得 て、その地位を確固なものとした。彼は内政におい て統治体制を確立し、外征においては領土を東地 中海まで拡張するなどして、古代エジプトの繁栄を 取り戻した。また、首都アレクサンドリアに、王立研 究所(ムセイオン)とそれに併設したアレクサンドリア 図書館を建設した。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 7 アレクサンドロス大王と プトレマイオス1世 • http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/AlexanderTheGreat_Bust.jpgと http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/21/Ptolemy_I_Soter_Louvre_Ma849.jpg 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 8 アレキサンドリア図書館 についてのウィキペディア情報1/3 • 紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレ マイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建 てられた図書館。 • 世界中の文献を収集することを目的として建設され 、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の 殿堂とも言われている。図書館には多くの思想家や 作家の著作、学術書を所蔵し、その蔵書はおよそ70 万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレ イデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大 学術機関としても知られる。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 9 アレキサンドリア図書館 についてのウィキペディア情報2/3 • プトレマイオス朝当時のアレクサンドリアに入 港した船は、積荷に含まれる書物をすべて一 旦没収された上で所蔵する価値があるかどう か精査されたという。所蔵が決定された場合 には、写本を作成して原本の代わりに持ち主 に戻し、同時に補償金が支払われたとされる 。このやり方で集められた書物が船舶版と呼 ばれている。 同様にして他の図書館の蔵書 を強引に入手したという逸話もある。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 10 アレキサンドリア図書館 についてのウィキペディア情報3/3 • 図書館は写字生を多数抱えており、組織的 に写本を作っていた。また当時の写本は、近 代的な製紙技術と印刷技術がなかったため、 ナイル川のデルタで栽培されていたパピルス を原料としたパピルス紙を利用していた。 • →図書館は1)学術研究機関であり、2)写本 工場、いまでいう出版印刷業であった。多分 に修道院にこの側面は受け継がれ、大学に 発展したといえる。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 11 アレクサンドリア図書館のウィキペ ディア情報への補足1/4 • プトレマイオス1世の創設とあるが、マソン& サルヴァン『図書館』(クセジュ文庫)では、プ トレマイオス2世とあるし(16-20)、寺田光孝 編著『図書及び図書館史』(樹村房)は、プト レマイオス1世の遺志を継いでプトレマイオス 2世が作ったとしている(14)。またウィキペデ ィア英語版では、プトレマイオス1世が創建し たという説と2世が創建したという説、双方が あると紹介してある。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 12 アレクサンドリア図書館のウィキペ ディア情報への補足2/4 • 「資料収集には、既存の文献を集めるだけで なく、写本づくりも含まれていた。さらに写本 作りには翻訳作業も伴っていた」(寺田ほか 15)。聖書などの翻訳もなされたという。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 13 アレクサンドリア図書館のウィキペ ディア情報への補足3/4 • 「初代の館長から第6代の館長まで、著名な学者が 図書館の管理をしていた。・・・流布する異本が数多 くあった古代にあっては、複数のテキストを校合し、 正確なテキストを見きわめ、定本を作り上げる作業 が必須であり、ここでその作業がなされていた。西 洋の文献学(philology)はこの図書館を舞台にして 完成したといえる」(寺田ほか16-17)。特に文献批判 学は、ホメロスに対してなされた(フォルシュティウス ほか『図書館史要説』日外,6)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 14 補足の補足 • ホメロスの公式版はかつて作られたことがな かった。「図書館が蔵書を蓄積しつつあった 時代までは、種種の写本が存在し、それらの 写本にみられるテキストには種種の相違点が 含まれていた。・・・だから図書館はそれらを・ ・・来歴による方法で区別した。・・・(このよう にしてホメロスの)標準的テキストの確立」が なされた(カッソン『図書館の誕生』55)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 15 アレクサンドリア図書館のウィキペ ディア情報への補足4/4 • 「プトレマイオス王朝はアレクサンドリアに学 者たちを招聘し、王家が費用を負担して、膨 大な蔵書のなかで生活させ、仕事ができるよ うに仕向けて、図書館を王家の管理下にある シンクタンクのようなものにした」(バトルズ『 図書館の興亡』草思社、40) • 「ペルガモンの図書館の発展を阻止するため に、市の支配者たちはパピルスの輸出を禁 止した。だが・・・逆効果で、ペルガモン人に羊 皮紙の発明を促した」。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 16 アリストテレス哲学とヨーロッパに ついての概要(1/2) • アリストテレス文献のヨーロッパでの滅亡(実 際の散逸とギリシア語を読めなくなることの、 二重の意味で)と復権 • 中世前期のヨーロッパの哲学・・・キリスト教と それと同調的なプラトン哲学、ネオプラトン主 義が支配・・・地上より彼岸が重視される・・・ 科学的合理性より宗教性 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 17 アリストテレス哲学とヨーロッパに ついての概要(2/2) • アラブ世界がアリストテレスを翻訳 • アラブ世界とヨーロッパの交渉(レコンキスタ 運動等) • 中世後期にアリストテレス哲学がヨーロッパ に普及 • 現世的、自然科学的な発想の基礎付けに • キリスト教神学と科学的合理性との折り合い を付けるべきスコラ哲学の発展 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 18 アリストテレスとアレクサンドロス 大王一族との深い繋がり • アリストテレスの父はアレクサンドロス3世(ア レクサンダー大王)の祖父のマケドニア王ア ミュンタス3世の侍医(ルーベンシュタイン『中 世の覚醒』53)。アミュンタス3世の息子フィ リッポス2世と同年代のアリストテレスは子ど もの頃から親しく、息子の家庭教師を頼まれ (R54)、その息子が長じて大王となった。また アレクサンドリア図書館を作った未来のプトレ マイオス1世も、未来の大王と共に学んだ (ウィキペディア「プトレマイオス1世」)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 19 アレクサンドロスとアリストテレス の画像 • http://www.sciencephoto.com/image/222937/530wm/H4000211-Alexander_of_Macedon_and_Aristotle-SPL.jpgによる1 9世紀の「図解、賢者への道」というフランス語の本での「アレクサンドロスを教え るアリストテレス」の図。本当はプトレマイオス1世その他の「ご学友」もいたはず。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 20 アレクサンドロスとアリストテレス • ルーベンスタインによると、アリストテレスの普遍 主義的な考え方と、ギリシアを統一し、統一ギリ シアでペルシアに立ち向かおうというアレクサン ドロス大王の考え方は一致していたと推測する (R65)。 • しかし大王が急死すると、アテネの民衆は大王 派と目されるアリストテレスを涜神の廉で死刑に しようとし、アリストテレスは母の故郷のカルキス に逃げ、一年後に胃病でなくなるが、自殺説もあ る(R71)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 21 アレクサンドリア図書館と その破壊-ヘレニズム文化の焼失 • アレクサンドリア図書館には写本をいくつも集めてい るので、言語学者がテキストの校訂をしうる→前原型 本作り→販売用写本→流布 • 48年、ローマ(カエサル軍)がムーセイオンを焼く 〔G20〕。 • ウィキペディアによると、「しかし最悪の打撃は4世紀 末以降のキリスト教徒による継続的な攻撃である。5 世紀には当時のキリスト教徒大司教の使嗾のもとに ヒュパティアの虐殺(415年)などの蛮行を繰り返し、大 図書館やムセイオンをも破壊した。このようなキリスト 教の蛮行によりヘレニズム学術の貴重な成果の大半 が失われた」とのこと。この間の事情を側面からみる。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 22 ヒュパティアについて(ウィキペディ ア情報)(1/3) • ヒュパティア(370年?- 415年3月)は、古代エジ プトの著名な女性の数学者・天文学者・新プラト ン主義哲学者である。キリスト教徒により異教徒 として虐殺された。 • テオン(著名な数学者と哲学者であった)の娘で あり、ヒュパティアは400年頃アレクサンドリアの 新プラトン主義哲学校の校長になった。彼女は プラトンやアリストテレスらについて講義を行った という。そして、彼女の希に見る知的な才能と雄 弁さや謙虚さと美しさは、多数の生徒を魅了した。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 23 ヒュパティアの 肖像(とはいえ想像図) • http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/hypatia.html及び http://pedia.mapion.co.jp/wiki/img_wp/ja/f/f8/250px-Hypatia.jpg 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 24 ヒュパティアについて(2/3) • 新プラトン主義の他の学校の教義より、彼女 の哲学はより学術的で、その関心のためか 科学的で神秘主義を廃し、しかも妥協しない 点では、キリスト教徒からすると全く異端で あった。 • 四旬節のある日、総司教キュリロスの部下で ある修道士たちは、馬車で学園に向かってい たヒュパティアを馬車から引きずりおろし、教 会に連れ込んだあと、彼女を裸にして、カキ 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 25 ヒュパティアについて(3/3) の貝殻で、生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ 落として殺害した。 • ヒュパティアの無惨な死は多くの学者たちが 亡命してしまうきっかけともなり、中長期的に は古代の学問の中心地であったアレクサンド リアの凋落を招く一因になる。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 26 ルーベンスタインによる ヒュパティア虐殺の説明1/4 • 「彼女自身は異教徒だったが、アレクサンドリアとい うキリスト教が優勢な土地ゆえ、弟子と友人の多く はキリスト教徒だった。教え子の中には、のちに司 教になった者が少なくとも二人含まれていた。教会 の指導者たち(その多くはやはり新プラトン主義者 だった)との関係は、きわめて友好的だった」(R116) • それが虐殺されるに至った背景は、1世紀前の司祭 アリウス(250-336)(イエスは神の被造物とする)と アレクサンドリア司教アタナシウス(295-373)(三位 一体論の源流)との宗教論争にあるという。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 27 ルーベンスタインによる ヒュパティア虐殺の説明2/4 • 歴代のローマ皇帝が、アリウス派、アタナシウス 派(ニカイア派)のいずれかに与する。 • アリウス派・・・拠点アンティオキア • アタナシウス派・・・アレクサンドリア ・・・相互の都市も覇権を争う • 381年コンスタンティノープル公会議・・・アタナシ ウス派(ニカイア派)を正統に →異端派やユダヤ教徒その他異教徒への暴力 的な攻撃が始まる 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 28 アリウス、アナタシウスの画像 • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9よ りアリウス、http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Sainta15.jpgよ りアナタシウス 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 29 ルーベンスタインによる ヒュパティア虐殺の説明3/4 • 「地中海世界は半ば無意識のうちに「キリスト 教が単に優勢である社会」から「キリスト教が すべてを支配する社会」に向かって、一歩を 踏み出していた」(R118)。 • アレクサンドリアでは司教テオフィロスに煽ら れた民衆が熱狂して、神殿やアレクサンドリ ア図書館の分室を焼き払った(R119)(391年)。 • 異教の寺院の焼き討ちが民衆の娯楽に。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 30 ルーベンスタインによる ヒュパティア虐殺の説明4/4 • 415年、司教キュリロスがキリスト教徒を扇動し、 ユダヤ人の大量虐殺。 • ビザンツ帝国のアレクサンドリア長官オレステス が司教を叱りにいったさい、長官に投石し怪我さ せた修道士を死罪に。 • ヒュパティアは、この長官オレステスと親しかった ので、キリスト教の邪魔をしているという噂が立 つ。 • ヒュパティアの虐殺へ。 • この一環としてアレクサンドリア図書館は徐々に 焼かれていった。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 31 キュリオスの画像 • http://en.wikipedia.org/wiki/File:POPE_kyrellos.JPGよりキュリオス像 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 32 アレクサンドリア図書館の画像 • http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ancientlibraryalex.jpgよりア レクサンドリア図書館の内部図・想像図 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 33 シャルティエらによるアレクサンド リア図書館の評価 • シャルティエ&カヴァッロのいうにはアレクサ ンドリア図書館は文献学を発展させ、書物以 前の口承時代のものも書物にしてしまったと いう(C16)。 • 普遍的かつ合理的な図書館・・・巻子本のサ イズや一巻に収める作品は原則1作品といっ た、標準化が行われる(C16-17)。 • 基本的に王朝の壮麗さを示すための図書館。 少数の学者・文人の作業所(C17) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 34 分かち書きの問題1/3 • なお、オングにいわせると初期の写本では、 単語と単語との間に空白がなく、文字の分か ち書きをしていないという(O,131)。 • オングは時期を明示していないが、高宮利行 (慶大名誉教授、某Yゼミナール創設者の御 曹司)は、10世紀後半になってから、西欧で も写本の分かち書きをするようになったという http://www.humi.keio.ac.jp/workshop/2001/l ecture/010528/010528_takamiya.html 。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 35 分かち書きの問題2/3 • 高宮の続き。「なぜ分かち書きが普及するの にそんなに時間がかかったのか。この疑問に 対してシーンガーは、古代の読書が音読に固 執していたこと、古代ではたやすく続むとか速 く読むといった、現代で利点と考えている面に 関心を払わなかったことを、理由に挙げてい る」。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 36 分かち書きの問題3/3 • シャルティエらにいわせると、音読が行われ たのは、連続記法の意味を読者に分からせ るためだという説もあるという(C12)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 37 ヘレニズム~中世 書物の形態変容 • キリスト教徒 Codex(冊子体の本)を作る・・ ・一冊で聖書全部が入る。 • Volumenあるいはscroll(巻子本)→codex(冊 子本) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 38 巻子本の写真 • http://laurenericksondotcom.files.wordpress.com/2011/09/scroll3.jpgより巻子本、 ローマ初期 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 39 冊子本の写真1/2 • http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/CodeAlexandrinusFol65vE xplLuke.jpgよりアレクサンドリア写本のcodex(5世紀のギリシア語聖書写本、大英 図書館蔵) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 40 冊子本の写真2/2 • http://www.lib.umich.edu/writing-graeco-roman-egypt/codex.htmlより、2世紀エジプトのパ ピルスのcodex(聖パウロの手紙) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 41 『聖書』が他に先駆けて冊子本になっ た事情1/3 • 『聖書』のコデックスについて http://www.pauline.or.jp/imamichi/imamichi0 2.phpで補足。 • パピルスは素材が手軽に入手できるので 比 較的に安く便利でしたが、もろく湿気に弱いた め、エジプトのような乾燥地でなければ長期 保存は困難でした。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 42 『聖書』が他に先駆けて冊子本に なった事情2/3 • パピルスの巻物はもろいだけでなく いつも両 手に持って開いてゆかなければならず、朗読 者が必要なところを開くにも不便でしたので、 2世紀には綴じ本も出はじめます。それは、パ ピルスを2つに折って中綴じにしたものです。 教会は、早くからこのほうが巻物より便利で あると気づきました。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 43 『聖書』が他に先駆けて冊子本になっ た事情3/3 • 綴じ本の場合には、四福音書やパウロの手紙をそ れぞれ1冊にまとめることもでき、紙の両面が使える ので経済的ですし、必要な箇所も開きやすいからで す。とはいえ、パピルスの裏は 繊維が縦に入ってい るため、文字をきれいに書きにくいという難点があり ました • 4世紀になると、獣皮紙の保存のよさ、綴じ本にして も裏表ともスムーズに使え、先に書かれたものを削 り落として再利用することもできる、などの利点が高 く評価され、皮革紙が主流となりました。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 44 ウィキペディアでの冊子本の記述1/3 • コデックスについてウィキペディアの記述より • 記録上確認できる範囲で著作の配布・提供にコ デックスがはじめて用いられたのは、1世紀の後 半のことであった。この時代、書物や記録物の 形態としてもっともよく用いられていたのは巻物 であり、4世紀まで巻物が書物の主流であった。 ガイウス・ユリウス・カエサルはガリアへの遠征 時、文書を巻いておくよりも蛇腹状にまとめたほ うが素早く参照できることに気づいた。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 45 ウィキペディアでの冊子本の記述2/3 • 4世紀から8世紀のカロリング朝の時代にか けて多くの巻物がコデックスに書き換えられ ていったが、この間にコデックスにされなかっ た書物は失われてしまった。コデックスには 巻物にはない多くの利点があった。平面的で 場所をとらない、特定の箇所を開いて読みや すい、表にも裏に書ける、表紙をつけて中身 を守ることができる、持ち運びが楽などという ことである。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 46 ウィキペディアでの冊子本の記述3/3 • コデックスにはもうひとつ、書庫などで保管する 際に背にあたる部分にタイトルをつけて探しやす くできるという利点があった。書名をわざわざつ けるという発想は中世にいたるまで一般化しな かったので、ほとんどの古代の書物は冒頭の数 語をとって書名としていた。 • 初期のコデックスはパピルスをまとめたものだっ たが、パピルスは破れやすく、エジプトでしか作 られなかったので、徐々に羊皮紙にとって変わら れた。羊皮紙はパピルスより高価だったが、頑 丈だったことで好まれた。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 47 コーデックス化されない本は失われた ・・・という箇所の補足1/2 • 存在するテキストの選択・・・選集作り。 Corpus(文集)に。これに収められたテキスト のみが原型本に。原型本に基づき写本が各 地に。 • ギリシア語文献・・・2世紀半ば~後半 • ラテン語文献・・・4世紀末~5世紀初頭 • この「選書」の時期と、巻子本→冊子本の時 期が重なる(G21) 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 48 コーデックス化されない本は失わ れた・・・という箇所の補足2/2 • 「パピルスに代わって、羊皮紙の冊子が一般 化したのは、その前にも例がないではないが 、だいたい四世紀のことである。それはちょう ど時を同じくして、四、五世紀の狂信と戦争の 犠牲となって、古代の大図書館が消滅してい ったころのことであった」(マソンほか『図書館 』19)。 2016/7/8 図書館とメディアの歴史 49
© Copyright 2025 ExpyDoc